アンビバレント・ヒップホップ(9) 抒情ガ棲ミツク国ノ詩|吉田雅史
初出:2017年6月16日刊行『ゲンロンβ15』
前回の連載で改めて確認したこと。それは、日本語ラップの自意識は、いまだアメリカの影を背負っているということだった。そして、答えが出なかった問いはこうだった。そのような日本語ラップの自意識におけるアメリカの影に対する態度は、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』(1976年)的な、ときに虚勢としての反抗心に駆動されているのか。それとも田中康夫の『なんとなく、クリスタル』(1980年)のように「弱さ」を漏出させているのか。
あらかじめ結論を先取りするならば、これは白か黒かという問題ではない。前者については、「ボースティング」をMCの基本態度とし、右傾化に象徴されるような日本独自のスタイルを確立しようと、多くのアーティストたちにより連綿と積み上げられてきた試みがある。また後者の例としては、アメリカ産のラップへの憧憬を隠そうとせず、また最先端の流儀をかつてなく上手に取り入れるアーティストたちが想起されるだろう。これは両者のバランスの問題だ。白と黒のグラデーションの表れこそが、日本語ラップを独特の存在たらしめている根拠となっている。それを見定めるためにも、本論における眼差しは、ときに白を黒として見るような、つまりフィルムのポジとネガを反転させるようなものでなければならないだろう。
再び日本におけるヒップホップ黎明期を思い出してみよう。1983年に日本でも公開された『ワイルド・スタイル』の衝撃。他の西洋由来の文化と同様、日本においてその発展を担った先人たちはショックに震えた。映画というメディアであるからこそ、視覚に訴えかける圧倒的なインパクトは、ある種、敗北感のような傷跡すら残したというのは、前回の連載で指摘した通りだ。
その後、まずは模倣から入り、徐々に独自の様式を開拓、さらには右傾化などを挟みつつも、日本語ラップは発展してきた。『ワイルド・スタイル』から数えれば35年を経て、この肥沃な地平には数多くの到達点や転回点を示すマイルストーンが乱立している。
アメリカの文化を一方的に受け入れるところから始まったこのジャンルは、日本という身体への血肉化が急がれた。しかしその過程で、ある特定の日本的なものに対しては、逆にアレルギー反応を示すところがあった。つまり、これも前回の連載で言及した通り、落語、駄洒落、俳句、短歌、といった日本的な「芸能」で括られるようなキーワードたちは、一部のアーティストたちによって日本独自のヒップホップのスタイルの確立に有効に活用されて来た例外こそあれ、ヒップホップにステレオタイプのイメージを持つ者たちからは、むしろ嘲笑の的となった感すらあった。そのような拒絶感について考えを巡らせるとき、太平洋戦争後の日本における、とある批評に纏わる事象が思い起こされる。
あらかじめ結論を先取りするならば、これは白か黒かという問題ではない。前者については、「ボースティング」をMCの基本態度とし、右傾化に象徴されるような日本独自のスタイルを確立しようと、多くのアーティストたちにより連綿と積み上げられてきた試みがある。また後者の例としては、アメリカ産のラップへの憧憬を隠そうとせず、また最先端の流儀をかつてなく上手に取り入れるアーティストたちが想起されるだろう。これは両者のバランスの問題だ。白と黒のグラデーションの表れこそが、日本語ラップを独特の存在たらしめている根拠となっている。それを見定めるためにも、本論における眼差しは、ときに白を黒として見るような、つまりフィルムのポジとネガを反転させるようなものでなければならないだろう。
再び日本におけるヒップホップ黎明期を思い出してみよう。1983年に日本でも公開された『ワイルド・スタイル』の衝撃。他の西洋由来の文化と同様、日本においてその発展を担った先人たちはショックに震えた。映画というメディアであるからこそ、視覚に訴えかける圧倒的なインパクトは、ある種、敗北感のような傷跡すら残したというのは、前回の連載で指摘した通りだ。
その後、まずは模倣から入り、徐々に独自の様式を開拓、さらには右傾化などを挟みつつも、日本語ラップは発展してきた。『ワイルド・スタイル』から数えれば35年を経て、この肥沃な地平には数多くの到達点や転回点を示すマイルストーンが乱立している。
アメリカの文化を一方的に受け入れるところから始まったこのジャンルは、日本という身体への血肉化が急がれた。しかしその過程で、ある特定の日本的なものに対しては、逆にアレルギー反応を示すところがあった。つまり、これも前回の連載で言及した通り、落語、駄洒落、俳句、短歌、といった日本的な「芸能」で括られるようなキーワードたちは、一部のアーティストたちによって日本独自のヒップホップのスタイルの確立に有効に活用されて来た例外こそあれ、ヒップホップにステレオタイプのイメージを持つ者たちからは、むしろ嘲笑の的となった感すらあった。そのような拒絶感について考えを巡らせるとき、太平洋戦争後の日本における、とある批評に纏わる事象が思い起こされる。
1 抒情の水脈
戦後、様々な方法で、旧態依然とした日本的価値観は否定された。勿論文芸の世界も例外ではなかった。たとえばそこで槍玉に挙げられたのは、旧来の日本的表現の象徴として、誰にでも理解し易い形である俳句や短歌だった。中でも、桑原武夫が提出した「第二芸術──現代俳句について」に代表される、一連の「第二芸術論議」と呼ばれる論争が起こった。桑原は、有名な俳人と素人の句を並べ、区別をつけることの難しさを指摘した。つまり、俳句作品単体では「その作者の地位を決定することが困難」であり、俳壇での地位などが判断基準となってしまう。その意味で俳句は芸術として評価しえないものだと喝破した[★1]。このような俳壇、歌壇や結社の閉鎖性、封建的体質は、小田切秀雄らも批判した点だった。要するに、それは内輪で成り立っているジャンルではないかという批判だ。
そしてこの一連の論争中、本論で特に取り上げたいのは、詩人の小野十三郎が1947年発表の「短歌的抒情に抗して」などの文章で示した「短歌的抒情の否定」である。小野は、特に短歌の31文字の音数律に表れる抒情を問題視した。彼の言葉遣いのインパクトも相まって、後に半ば一人歩きするようになるこの「短歌的抒情」とは、一体何を意味しているのだろうか。
自然を写生し歌い上げる短歌は、そもそも抒情を拠り所にしている。小野が否定したのは、直接的には、たとえば「四季」派[★2]の詩人たちの作品に見られたような、戦争の翼賛に利用されてしまいかねない類のセンチメンタリズムであった。それはまた、小野が「濡れた湿っぽいでれでれした詠嘆調」と指摘した、日本人の中に眠っているセンチメンタリズムでもあった[★3]。明治維新以降、盲目的な封建制から自由になったはずの日本人は、それにもかかわらず、当の封建的なものと結び付こうとする前近代的な感情(これは浪花節や歌謡曲調とも呼応する)を深いところに根付かせてしまっている。この感性≒精神が31音の韻律、彼が名指すところの「奴隷の韻律」に、音楽性として表れていることを、小野は指摘したのだ。だがこれはあまりに彼の嫌悪感(小野は自身の短歌嫌いを何度となく公言していた)と感性に依拠するところが多く、特に日本人の精神が韻律の音楽性に表れるという部分に飛躍、言い換えればロジックの欠如があった。さらに短歌的抒情を否定するのは良いが、その後に示されるべき具体策を持たなかったがゆえに、批判にもさらされた。それは多くの論者が指摘するところであり、また本人も認めていた[★4]。
しかしながら小野は、確固たる立場を確立していく。当時、「短歌的抒情の否定」に至る小野の思考の過程が透けて見えるような、写生のスタイルを提示した『大阪』(1939年)、『風景詩抄』(1943年)、『大海辺』(1947年)などの詩集は既に出版されていたが、さらに戦時中に花田清輝の雑誌『文化組織』に連載された原稿を中心に、切れ味鋭いアフォリズム(アフォリズムの形を取ることで検閲の目を逃れようとしたという説もある)で構成された『詩論』(1947年)が評価される。そんな中で、この「短歌的抒情の否定」はイデオロギーをまとい一人歩きすることになる。
小野は『詩論』の中で、「短歌的リリシズムの強烈さに想到せよ」と警鐘を鳴らす。それは「ファシズムの精神温床となったほど強烈」なものであり「『天皇制』を護持し得るほどに強大」であると[★5]。ここで、前回の連載で引用した浅田彰の議論を思い出したい。それは、90年代の日本文化には「J回帰」、つまり表層的なシミュラクルとしての日本への回帰という特徴があったという指摘だった。そして彼は「J‐POP」や「J文学」のみならず、天皇制までもが「『J天皇制』に変質したかに見える」と言及していた[★6]。天皇即位10周年記念式典では「首相のまわりをGLAYやSPEEDが囲み」「元X JAPANのYOSHIKIが奉祝曲を演奏した」──この「『J‐POP』で飾り立てられた『J天皇制』」との指摘は、まさに小野が危惧した「短歌的抒情」が戦後50年以上を経てもなお日本人の根底に根差していることの表れなのではなかろうか。
吉田雅史
1975年生。批評家/ビートメイカー/MC。〈ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾〉初代総代。MA$A$HI名義で8th wonderなどのグループでも音楽活動を展開。『ゲンロンβ』『ele-king』『ユリイカ』『クライテリア』などで執筆活動展開中。主著に『ラップは何を映しているのか』(大和田俊之氏、磯部涼氏との共著、毎日新聞出版)。翻訳に『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』(ジョーダン・ファーガソン著、DU BOOKS)。ビートメイカーとしての近作は、Meiso『轆轤』(2017年)プロデュース、Fake?とのユニットによる『ForMula』(2018年)など。
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