チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(2)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎

初出:2014年3月1日刊行『福島第一原発観光地化計画通信 vol.8』
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第2話 放射能偵察に欠くことのできない機器
1983年。夏。
チェルノブイリまであと3年。むろん当時は誰も知るよしもない。
部隊が展開する。
カードル型大隊[★1]の放射能化学大隊。ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の中央・東部を管轄する広大なキエフ軍管区では他にない唯一の部隊。この大隊が連隊へと展開する。
それが我らが放射能化学偵察連隊である。
1ヶ月にわたり続く。
訓練召集。
百名規模の中隊に対し1名の正規組の軍人が中隊長として配置される。
他の要員はすべて〈パルチザン〉と呼ばれる予備役兵。
我々の中隊に正規の将校はいなかった。中隊長もやはり〈パルチザン〉で予備役上級中尉のニコライ。
中隊で最も階級が高いのはセムという第一小隊長の大尉だ。
別名セミョン。生物学の準博士で放射線医学研究所の上級研究員。あごひげをたくわえた男前で、かつウィットに富み快活で気持ちのよい男だ。ユダヤ人。年齢的にも中隊のなかでは最年長で人生経験も豊富。
一方の私はまだ若く、下から数えたほうが早い。第三小隊を率いる若い隊長。階級は中尉。
──核戦争勃発のシミュレーションが始まる。終始なごやかな雰囲気…
休憩時間にセムが問いかける。
「ところで、BRDMが積んでいるものの中でいちばん重要な機器はなんだと思う?」
BRDM(正しくはBRDM-2Rkh)とは、通常任務に加えて放射能・化学兵器・生物兵器の汚染調査ができるよう改造された第2世代の装甲偵察哨戒車のこと[☆1]。
外見は4輪付きの大型ボートのよう。車体横の装甲板の下に2組の小さい予備輪が隠れており、これを出せば堀や塹壕を突破することもできる。
重量7トン。エンジン140馬力。
乗員は4名。隊長、運転手、狙撃手、化学偵察員から成る。
車体上部の回転式砲塔に機関銃が2丁溶接されている。ひとつはKPVT──ウラジミロフ型タンク用大口径機関銃(14.5mm口径。射程は最大1.5kmだが実際は3キロ離れた敵兵にも脅威となる)。もうひとつは対歩兵用7.62mm口径のPKT──タンク用カラシニコフ銃。
装甲は銃弾や砲弾の破片から守るだけでなく、ガンマ線の3分の2をカットする(内部に貫通するのは外部の量の3分の1)。
車内は完全な密閉空間で、放射性物質や有毒物質、ウィルスや微生物で汚染された土地を移動できるように、車外から取り込む外気を浄化するフィルターを備えている。さらに余剰圧力が確保され、車内の気密が破れたときには空気を外に出して汚染空気やダストが車内に浸入させない仕組みになっている…
タイヤが弾や破片によって傷つけられてもタイヤ内の圧力を維持しておくシステム(それほど強力ではない)もある。
水にも沈まない。浮力を維持しながら時速8キロで走行する。路上では最大110キロまでスピードが出る。泥のぬかるみからも白鳥のように自力で脱出する…
このBRDMは多種多様な機器を搭載している…
その中でいちばん重要な機器はなんだろう? きっとすぐには思いつかないものだ。
まずは手始めに現実に起こりうることを想像してみようか。
すなわち戦争…
昔はどんな風に戦っていたか。歩兵隊と機械戦力での優位を得るため、敵の防御で最も脆弱なところを探しだし、そこに戦力を集中投下して敵の前線を突破した… 一方、現代の戦争はその逆。敵の最も強い部分を特定し、核攻撃を加える。これによって強い部分が一気に弱点へと変わるので、その間隙に速度を緩めず部隊を進める(汚染地帯をすばやく通過し、生身の兵士への被ばくを最小限に押さえる。ゆっくりしていると兵士は被ばくで戦闘能力を喪失する…)。反撃する敵を制圧しながら、高レベルの放射能汚染地域をやり過ごして、敵の後方を奪う。しかし敵も手をこまねいて見ているわけはない。激しく抵抗し、こちらの部隊に対して同じように汚い攻撃をしかけるだろう… この敵と味方、双方の最前線には常に放射能化学偵察隊が配置されるわけである… なんと誇り高いことか…
さて、このような状況において最も大事な機器とはなんだろう?
大砲用照準器? 砲兵に正確な目標指示を与え、反撃を試みる敵にとどめの火砲を浴びせる…
それとも車搭載の放射線検知器? 高レベルの放射線環境で装甲車からわざわざ降りずとも線量を測定できる。もっとも車内も〈お庭〉の3分の1の線量はあるのだが…
いや逆に、化学偵察員が肩にベルトでかけている放射線測定器DP-5のことか? より正確な放射線測定のため…
それとも化学偵察隊になくてはならぬVDKhR? これも同じ〈肩掛け箱〉タイプだが、化学兵器(窒息剤、神経剤、糜爛剤)の有無や濃度を教えてくれる。
そうじゃない無線だ! こうした情報を仲間に伝えるのが先決だろうが!
いやそれとも、汚染現場のマーキングが重要? 通称〈フラッグ〉──1メートル強の長さで指の太さくらいのスチール製の棒。下の方は鋭く尖っていて、上には黄色の旗。旗にポケットがあり、毒ガスの名称と濃度(あるいは放射線レベルのことも)、測定日と時間を記して署名したメモが入るようになっている… 矢のような形の〈フラッグ〉は特殊なカートリッジを使って地中に埋め込まれるが、その勢いは5センチの厚板を貫通するほど。もしこの装置を地面から斜め45度に傾けたら(禁止は承知の上だが)、矢は軽く80メートルは飛ぶ。いざとなったら武器としても使えそうだ…
まてまて、そんなものじゃない。自動生化学分析装置か! さまざまある機器のなかでもいちばん高価。敵が生物兵器を使用したとき、空気中の病原性ウィルス、細菌、バクテリアを教えてくれる…
──BRDMにはありとあらゆるものが積み込まれている。どれもこれも、起こりそうにもない〈万が一〉に備えて…
このなかでもとくに重要な機器はとなにか?
「それはきっと、えっーと…」と私。
セムが物憂げな眼差しで私を見てから、ぼそっとつぶやいた。
「人間さ」
「はあ…?」
「人間だよ。放射能化学偵察の車両にあるいちばん重要な機器は人間。偵察員が無線で応答しているうちは、他の部隊も安心してそこを通ることができる。それがもしパタッと止んだら──すなわち偵察員の身に何かが起きたということ。代わりの隊員を送らなければいけない」
──放射能化学偵察隊という世にも珍しい連隊の展開。
ソビエト社会主義共和国連邦ウクライナ共和国ハリコフ州の針葉樹林のはずれ。1983年夏。チェルノブイリまであと3年…
追憶はこの辺にとどめ本題に入ろう。
実証科学の世界では結果や結論を記述する前に、実験が行われた環境だけでなく、測定を行った機器についても言及するのが一般的だろう。実験の可能性と制約、すなわちどこまでが信頼でき、どこからが信頼できないかをはっきりさせるためである。
このような実証科学の健全なルールに則り、またセム(1983)の指摘も踏まえ、本書の重要な機器の技術仕様を以下に引用する。
名称:ミールヌイ・セルゲイ・ヴィクトロヴィチ
性別:男
年齢:27歳
体重:76kg
身長:178cm
服サイズ:50[★2]
靴サイズ:43[★3]
帽子サイズ:60
ガスマスクサイズ:3
軍階級:予備役中尉
軍事専門分野:放射能化学偵察小隊長(専攻0098001、第…部隊、1983年)、自動車化狙撃小隊長(専攻0001、ハリコフ大学軍事講座、1976〜1980年)
民間専門分野:化学(物理化学、ハリコフ大学、1980年)
心臓異常なし、肺きれい
発作:自覚なし(神経病理学の検査では患者が「ない」と言う場合はカルテに「自覚なし」と書く)
身内又は親戚の精神病患者の有無:自覚なし
前科又は外国の親戚:なし(この項目はたとえ否定したところで、必ず詳しい身元調査が行われるので「なし」と断定される)
気質:多血質[☆2]
ユーモア感覚:否定せず
補足1
上述の機器(以下「機器」という)が聞いた、見た、あるいはその他の手段(本書であきらかになる)で自ら感知したことはいわゆる「一次情報」として記述する。「機器」が他人から聞いたことはそのまま「自分が聞いたところによれば」、「これこれの人が言った」と記述する。
「機器」の記憶が曖昧なこと(あるいは詳しくは知らないこと)がある場合は、「機器」は正直にその惨めな状態を報告する。「機器」の認知器官の障害となる物がある場合もそれについて言及することとする。
「機器」が派遣されるチェルノブイリはそれでなくても、ひっきりなしにデマが飛び交っているのだから…
補足2
単に「チェルノブイリ」というときは「チェルノブイリ原発事故によって影響を受けた地域」、「事故がもたらした影響の総体」の意味で用いる(ロシア語では小文字で始める)。一方、具体的にキエフ州の元居住区(事故当時人口1万2千人)を念頭に置くときは「チェルノブイリ市」または「チェルノブイリの町」(大文字で始まる)と表記することとする。
いやそれとも、汚染現場のマーキングが重要? 通称〈フラッグ〉──1メートル強の長さで指の太さくらいのスチール製の棒。下の方は鋭く尖っていて、上には黄色の旗。旗にポケットがあり、毒ガスの名称と濃度(あるいは放射線レベルのことも)、測定日と時間を記して署名したメモが入るようになっている… 矢のような形の〈フラッグ〉は特殊なカートリッジを使って地中に埋め込まれるが、その勢いは5センチの厚板を貫通するほど。もしこの装置を地面から斜め45度に傾けたら(禁止は承知の上だが)、矢は軽く80メートルは飛ぶ。いざとなったら武器としても使えそうだ…
まてまて、そんなものじゃない。自動生化学分析装置か! さまざまある機器のなかでもいちばん高価。敵が生物兵器を使用したとき、空気中の病原性ウィルス、細菌、バクテリアを教えてくれる…
──BRDMにはありとあらゆるものが積み込まれている。どれもこれも、起こりそうにもない〈万が一〉に備えて…
このなかでもとくに重要な機器はとなにか?
「それはきっと、えっーと…」と私。
セムが物憂げな眼差しで私を見てから、ぼそっとつぶやいた。
「人間さ」
「はあ…?」
「人間だよ。放射能化学偵察の車両にあるいちばん重要な機器は人間。偵察員が無線で応答しているうちは、他の部隊も安心してそこを通ることができる。それがもしパタッと止んだら──すなわち偵察員の身に何かが起きたということ。代わりの隊員を送らなければいけない」
──放射能化学偵察隊という世にも珍しい連隊の展開。
ソビエト社会主義共和国連邦ウクライナ共和国ハリコフ州の針葉樹林のはずれ。1983年夏。チェルノブイリまであと3年…
追憶はこの辺にとどめ本題に入ろう。
実証科学の世界では結果や結論を記述する前に、実験が行われた環境だけでなく、測定を行った機器についても言及するのが一般的だろう。実験の可能性と制約、すなわちどこまでが信頼でき、どこからが信頼できないかをはっきりさせるためである。
このような実証科学の健全なルールに則り、またセム(1983)の指摘も踏まえ、本書の重要な機器の技術仕様を以下に引用する。
附属書1
技術仕様
重要機器
名称:ミールヌイ・セルゲイ・ヴィクトロヴィチ
性別:男
年齢:27歳
体重:76kg
身長:178cm
服サイズ:50[★2]
靴サイズ:43[★3]
帽子サイズ:60
ガスマスクサイズ:3
軍階級:予備役中尉
軍事専門分野:放射能化学偵察小隊長(専攻0098001、第…部隊、1983年)、自動車化狙撃小隊長(専攻0001、ハリコフ大学軍事講座、1976〜1980年)
民間専門分野:化学(物理化学、ハリコフ大学、1980年)
心臓異常なし、肺きれい
発作:自覚なし(神経病理学の検査では患者が「ない」と言う場合はカルテに「自覚なし」と書く)
身内又は親戚の精神病患者の有無:自覚なし
前科又は外国の親戚:なし(この項目はたとえ否定したところで、必ず詳しい身元調査が行われるので「なし」と断定される)
気質:多血質[☆2]
ユーモア感覚:否定せず
以上、1986年6月1日作成
第3話 「戦闘能力喪失」
“軍事は徹底的に学べ” V・I・レーニンハリコフ大学軍事講座、ソ連の軍組織および部隊のスローガン
みなさんは不思議に思われるかもしれない。
「そもそもなぜ私が〈中尉〉として養成されたのか」と。
紛れもない民間人である。士官学校ではなく一般大学へ進み、化学を専攻した。
その理由を教えられたのは大学の軍事講座の最初の秘密講義だった(〈適正な〉健康状態の全男子学生のほか、いくつかの学部では女子学生も看護婦や通訳になるために軍事講座を受けなければならなかった)。
将来の中尉──自動車化狙撃小隊(つまり昔でいう歩兵隊)の隊長候補が最初の講義で教えられたこと。
それは近代の総合戦(つまり歩兵隊も重火器も航空部隊も参加する戦闘)における兵士1名の想定耐久時間に関係するんだが、何分か分かる?
といっても答えられるはずはないね。
現代の戦闘で兵士はひとり40分間もつものとして計算されている。
この時間を過ぎたら負傷か戦死とみなされる。すなわち〈戦闘能力喪失〉というわけ。
では下っ端の将校は? 中尉や小隊長はどうか?
この答えも意外だ。
たったの20分。
戦場で生存していられるのも作戦に参加できるのも部下である兵士の半分の時間だけ。
理由は明快。兵士は所詮ひとりの兵士。それ以上でもそれ以下でもない。だが将校ひとりを無力化すれば1小隊30名全体の行動を混乱させることができる。
将校は敵が狙う格好のターゲット。
そんな理由から我々は中尉となった。軍隊には多少なりとも訓練を受けた予備の小隊長が多く必要なのだ。いざというときの戦争に備えて…
第4話 「それ以前」の基本的考え方
「怖かったか?」
「いや、それほどでもない。軍事訓練で基本的考え方は教わっていたから」
大学の軍事講座の大量破壊兵器に関する授業でたたき込まれたこと。
兵士の1日の被ばく線量限度は50レントゲン。
つまりこういうことだ。放射能汚染された土地での戦闘は1日で50レントゲン(≒500mSv)の被ばくまで許される。超えそうなときは戦闘員を汚染地帯から引き揚げなければならない。
3日間の線量限度は90レントゲン(≒900mSv)。それ以上超えてはならない。
チェルノブイリでの線量限度は全滞在期間に対して25レントゲン(≒250mSv)。
軍人の日の線量限度の半分。
じゃあ、たいした量じゃないな。
とはいえ、1グレイ(≒1Sv)の吸収線量から不快なことが起こると新聞で読んだことがある。グレイの定義は覚えていなかったが、幸いその記事には人体が受ける約100レントゲンのガンマ線に相当すると解説がついていた… この「グレイさん」からはなるべく距離を置こうと決めた…
ほかに頭に残っていたことといえば、急性放射線症は数百レントゲン、たしか400〜600レントゲンくらいで起こるということ。これははっきり覚えていた。ほかにはこれといってない。
これがすべてだ。
チェルノブイリ、放射能の大事故など当時誰が想像できただろう。我々はほとんど無知同然だったといってよい…
第5話 「毎時15ミリレントゲン」〜チェルノブイリの嘘を数量化しよう
“我々はおとぎ話を実現するために生まれてきた…”ソ連空軍の行進曲より
新聞〈プラウダ〉(訳注:「真実」の意味)──ソ連時代のことを忘れてしまった人のために解説すれば、これは〈ソ連共産党中央委員会組織〉である[☆3]。
事実上ソ連を代表する新聞。〈イズベスチヤ〉などの他紙もあったが、記事になるテーマにしても、押しつけがましい〈啓蒙〉にしても〈プラウダ〉にかなう新聞はなかった。
国家レベルの常用な問題はまさに〈プラウダ〉の独壇場。脳みそを使う必要なんてない。〈プラウダ〉に書かれたことを馬鹿のひとつ覚えのように復唱し、ソ連の各民族言語に翻訳する。年金生活者は耳にタコができるくらい聞かされている…
何から何まで〈プラウダ〉一色の時代。
こんな背景もあって最初の頃(チェルブイリ原発爆発後の数ヶ月間で、ソ連政権が情報を求める内外からの圧力に徐々に屈していった時期と重なる)、〈プラウダ〉と比べたらソ連のほかのプレスは全くといっていいほど存在感がなかった。
事故から1ヶ月後にソ連のプレスに唯一公表された30キロゾーン圏内の線量は〈原発敷地内の数箇所で〉毎時15ミリレントゲン(≒150μSv)というものだった。私はいずれ自分の身に降りかかることを予感しつつ特別な関心を持って見守っていたが、この記事を読んで安堵からため息をついた。「なんだよ、騒ぐに値しないではないか」 もちろん手放しで喜べるような話ではないが、毎時15ミリレントゲンは軍隊が1日50レントゲン──思いつきなんかではなく何かの根拠をもって決められたはず…──であることと比べたら天国に思えた。
ましてや、急性放射線症に必要な数百レントゲンには遠く及ばない…
15ミリレントゲンとは1レントゲンを1000で割って15をかけるということ。まったく取るに足らない。原発で起きた業務事故の類いだろう。
当時の私はその状況にとんでもないデタラメが隠されているなど想像すらできなかった。
というのも実際には私の頃、つまり爆発から3ヶ月経った時点ですら線量はところどころで(しかも原発の敷地外の赤い森で!)毎時15レントゲン(≒150mSv)あった。原発には毎時150レントゲン(≒1.5Sv)の場所すらあった。たしかな確証もあるが、爆発直後の数日間は毎時1500レントゲン(≒15Sv)に達する場所が原発敷地にあった。
毎時1500レントゲン(実際の値)を〈プラウダ〉が伝えた毎時15ミリレントゲン(千分の1レントゲン)で割れば:100000
十万。
デタラメ指数。
ソ連──とその今でも残る残滓──がいかに現実離れし、おとぎ話のような〈全てが尋常じゃない〉国であったか驚くだろう! どんなおとぎ話でも〈現実歪曲指数〉が百を越えることはまれ。せいぜい数十程度…
十万
〈プラウダ〉──〈ソ連共産党中央委員会組織〉──に教わることは少なくない…
──それはそうとして、こんな風にデタラメを正確に数量化することは滅多にできることではないよね? 放射能のおかげかね…
もちろん〈プラウダ〉様にも感謝しなくては…
覚えておいてほしいのは、これがソ連においてマスメディア(そう呼ぶのもおこがましが)が報道した初めての核事故だったということ…[☆4] ただそれすらも、放射能がソ連という謎の多い社会主義国の境界を越えて外国に飛び出しさえしなければ決してニュースになることはなかっただろうが…
第6話 呼吸マスク入門
チェルノブイリ原発から35キロ離れた軍の宿営キャンプで、生まれて初めて呼吸マスクというものを手にした。これまでさまざまな訓練を積み、予備役中尉の階級もあるが、呼吸マスクに触るのはこれが初めて…
ガスマスクは──過去に被ったことがあった。もっと大げさな作りで化学物質、バクテリア、ウィルス、放射性ダストから守ってくれる… 一方、この呼吸マスクが防いでくれるのはホコリだけ… そんなものにどうして関心を持とうか、持つわけない。
ここに2種類の呼吸マスクがある。白い布製の〈花びら〉(これは商品名)と緑のポリウレタン製の軍隊用。
どっちを選ぼう?
「花びら」は布でできているから軽くて頼りない[★4]。軍隊用はもっと頑丈でしっかりした作りで、ビニール袋に密封されていた。
ペンナイフを取り出して袋を破く。説明書を取り出す。しわくちゃになった茶色の紙だが、印刷が不鮮明で文字や挿絵がやっと読めるくらい。しかしここではなによりも必需の品。じっくり研究しなくては…
説明書の左側には顔に呼吸マスクを装着した若い男性の挿絵がある… 1940年代の襟づめの軍服を着ている! このマスク、いったいどのくらい古いの!?
説明書の上部には四角の箱に太字で〈3〉と書かれている。これはマスクのサイズ。〈大顔〉には第3号、普通の人は2号でちょうどよい。1号は〈小顔〉用… 頭が大きければ大きいほど大きなサイズが必要だ。
説明を読んでみよう…
呼吸マスクR-2
使用上の注意
No.5391
用途
呼吸マスクR-2は放射性ダストから呼吸器官を守ります。
蒸気やガスに対して効果はありません!
使用法
袋から呼吸マスクを取り出してください。
あごと鼻がしっかりと中に収まるように顔に装着ください。
頭の大きさに合わせて紐を調整してください。
マスクのしわを伸ばし、マスクの鼻部分を鼻に押し当て、二、三回大きく息を吐いてください。
使用中はマスクが顔に密着していることを確認してください。
マスクの中に水滴がたまったときは、マスクをあご下から引っ張って水滴を落としてください。
除染法
マスクの埃をブラシで慎重に取り除くか、マスクを何かに叩きつけて除染を行います。マスク内側表面の埃は湿らせた布巾またはガーゼで拭き落とします。
破損の恐れがありますのでマスクは裏返さないでください。
保管法
マスクはビニール袋に入れて輪ゴムで封をして保管します。
押しつぶさないように気をつけ、湿気、有機溶液や油から守りましょう。
マスクの修理は5390TOの技術説明書および使用マニュアルに基づき行ってください。
発注1.
第7話 線量について:キャンプ(放射能偵察小隊長の手帳より)
7月17日
就寝前のテント。みんなもう寝棚で横になっている。
曹長:
「原発ではコンテナより向こうに行ったらだめだぞ。2レーガン[★5]くらいたくなければな」
「それでなくてもあいつは11日間で20レーガンもくらってるんだ」
「あいつをもっとPUSOに行かせよう。あそこじゃ0.6レーガンつけてくれる」
私はやっとの思いで笑いをこらえていた。
──このくだりを手帳に記したのは1986年7月17日。チェルノブイリに着いて3日目。
その後いつの間にか、このような会話を書き留めなくなった。
自分でも気づかなくなったのだろう──ごく当たり前の日常となったから…
(第1章「チェルノブイリへの道」完)
★=原注、☆=訳注
★1 平時は上級将校と必要な物資(機器、武器、火薬、装備品、食料)だけから構成される部隊のこと。
★2 XL
★3 27.7
★4 後でわかったが、これは誤解だった。〈花びら〉にはペトリャノフという学者が発明した特殊な「ペトリャノフ生地」が使用され、フィルターのほかにも静電帯電で小さな埃を吸着する。使用期間には限りがあり、通常は数時間でマスクの効果が低下するため新しいものに交換しなければならない。チェルノブイリでは誰もこのことを知らなかったが(私もそのひとり)。
★5 米国大統領ロナルド・レーガンとソ連指導部は互いを憎み合っていた。レーガンはソ連を〈悪の帝国〉と呼び、ソ連のメディアはレーガンを悪の権化として報道した(国民は冷笑していたが)。当時を象徴するアネクドートは〈「レーガンの犬の名前は?」「ロナルド」〉。第25部隊では線量を言うときに発音が難しいレントゲンの代わりに(嘲笑も込めて)レーガンを用いた。
☆1 (訳注)イメージはBRDMでググってほしい。ウクライナを訪れる方はキエフ市内から空港に向かう途中にある大祖国戦争博物館の屋外展示でお目にかかれる。
☆2 (訳注)ヒポクラテスの説に基づく気質の分類。多血質は活発、楽天的で、困難や不幸を克服しやすいと言われる。
☆3 (訳注)つまりはソ連共産党の公式発表などを掲載する機関紙。
☆4 (訳注)ソ連では1950年代のウラル核惨事等を始めとする深刻な核・放射線事故が起こっていたが長い間秘密にされていた。
★1 平時は上級将校と必要な物資(機器、武器、火薬、装備品、食料)だけから構成される部隊のこと。
★2 XL
★3 27.7
★4 後でわかったが、これは誤解だった。〈花びら〉にはペトリャノフという学者が発明した特殊な「ペトリャノフ生地」が使用され、フィルターのほかにも静電帯電で小さな埃を吸着する。使用期間には限りがあり、通常は数時間でマスクの効果が低下するため新しいものに交換しなければならない。チェルノブイリでは誰もこのことを知らなかったが(私もそのひとり)。
★5 米国大統領ロナルド・レーガンとソ連指導部は互いを憎み合っていた。レーガンはソ連を〈悪の帝国〉と呼び、ソ連のメディアはレーガンを悪の権化として報道した(国民は冷笑していたが)。当時を象徴するアネクドートは〈「レーガンの犬の名前は?」「ロナルド」〉。第25部隊では線量を言うときに発音が難しいレントゲンの代わりに(嘲笑も込めて)レーガンを用いた。
☆1 (訳注)イメージはBRDMでググってほしい。ウクライナを訪れる方はキエフ市内から空港に向かう途中にある大祖国戦争博物館の屋外展示でお目にかかれる。
☆2 (訳注)ヒポクラテスの説に基づく気質の分類。多血質は活発、楽天的で、困難や不幸を克服しやすいと言われる。
☆3 (訳注)つまりはソ連共産党の公式発表などを掲載する機関紙。
☆4 (訳注)ソ連では1950年代のウラル核惨事等を始めとする深刻な核・放射線事故が起こっていたが長い間秘密にされていた。


セルゲイ・ミールヌイ
1959年生まれ。ハリコフ大学で物理化学を学ぶ。1986年夏、放射能斥候隊長として事故処理作業に参加した。その後、ブダペストの中央ヨーロッパ大学で環境学を学び、チェルノブイリの後遺症に関して学術的な研究を開始。さらに、自分の経験を広く伝えるため、創作を始めた。代表作にドキュメンタリー小説『事故処理作業員の日記 Живая сила: Дневник ликвидатора』、小説『チェルノブイリの喜劇 Чернобыльская комедия』、中篇『放射能はまだましだ Хуже радиации』など。Sergii Mirnyi名義で英語で出版しているものもある。チェルノブイリに関する啓蒙活動の一環として、旅行会社「チェルノブイリ・ツアー(Chernobyl-TOUR)」のツアープランニングを担当している。

保坂三四郎
1979年秋田県生まれ。ゲンロンのメルマガ『福島第一原発観光地化計画通信』『ゲンロン観光地化メルマガ』『ゲンロン観光通信』にてセルゲイ(セルヒイ)・ミールヌイ『チェルノブイリの勝者』の翻訳を連載。最近の関心は、プロパガンダの進化、歴史的記憶と政治態度、ハイブリッド・情報戦争、場末(辺境)のスナック等。
チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(15)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(14)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(13)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(12)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(11)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(10)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(9)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(8)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(7)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(6)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(5)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(4)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(3)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(2)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(1)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- セルゲイ・ミールヌイ『チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記』 訳者からのメッセージ|保坂三四郎