チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(3)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎

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初出:2014年3月16日刊行『福島第一原発観光地化計画通信 vol.9』
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第2章 初めての日々、初めての線量、初めてのルート



7/14 1.2? 赤い森
 
7/15 0.8 赤い森 — コパチ
 
7/16 0.? 冷却池
 
7/17 0.5 冷却池
 
7/18 0.7 ベラルーシ
 
7/19 ? ? 冷却池
 
7/20 0.6+0.4 建設現場の穴
 
????? +0.2? 運河、ラディジチ
 
7/20、21 0.5+0.2 ディブロヴァ

放射能偵察小隊長の作業ノートの1頁目

第8話 偵察ルート

 偵察ルート〈赤い森3〉は距離標識の柱からスタートする。計測担当のペトロが地面〈地表〉と空気〈空間〉の線量を測り、私が測定地点の番号と測定値を記録する。装甲車は荒れるに任せた幹線道路から脇道に外れ、松脂の匂い立ち込めほの暗くひんやりした森へ下っていく。  ハッチから頭を出すと、目を凝らして道を観察し、無線機の上に広げた荒っぽい手書きのルート図(本物の地図は機密ゆえに本部から持ち出しが禁止されていた)を遠目に見ながら、運転席のコーリャにときおり指示を出す。エンジンが大きな唸り声を上げているうえに、緑色のポリウレタン製マスクが邪魔して声が通りにくいため、その都度装甲車のなかに体を入れては「右へ曲がれ」、「左側に寄せろ」、「その茂みの近く」と声を張り上げる。コーリャが車を止めると、ペトロが装甲車から飛び降り、歩きながらゾンデを取り出し、決まった地点の空間と地表を測定すると、私がメモをとる。終わるとペトロは長靴を装甲車の側板に擦りつけ、付着した泥を丁寧に払い落し、ハッチによじ登る。「前進」の合図とともに動き出す。  測定はまだまだ続く…  線量はどんどん上がる。  若木の伐採跡が行く手をさえぎる。白い木目むき出しの鋭利な根株が列をつくって並んでいる… 幅にして約7メートル。「迂回しようか」と尋ねるとコーリャは黙ってうなずく。私たちの後ろタイヤは剥げで何の保護もしてない。パンクしようものなら、どうやってここから脱出できるか分かったもんじゃない。それに加え、ここの線量はかなり高い…  測定はまだまだ続く…  私が道を示し、コーリャが車を操り、ペトロが測定を行う。息の合った連係プレーである…

第9話 人間の最良の友


 偵察ルート〈赤い森2〉。

 原発から2、3キロ南に走ったところ。線量は毎時数十ミリレントゲン(≒数百μSv)。

 装甲車は幅広い砂道を走っていた。右手一面は松林。丈の低い新緑のマツが茂っている。

 左手には民家と塀、そして小庭… コパチ村のはずれである。

 にわとりの鳴き声…

 焼けつくような日差し。

 村には人っ子一人いない。そうなってすでに3ヶ月が経つ。

 車を止める。ペトロが測定。ハッチに這い上がろうとする…

 と、装甲車のそばに1匹のわんころ。

 私たちのほうを見上げている。

「なんにもあげるものはないんだ… 本当だってば…」

 犬はこちらをじっと見つめたまま。

「なにもないんだよ…」

 よりによって今日に限って! いつもは万が一に備えて必ず何か軽食を忍ばせてくるのだが… 今日はごあいにく…

「おい誰か、何か持ってないか?」

「ないよ…」

 犬に向かって「ほら聞いたか。ないんだ… なーんにも」

 イエイヌ(Canis lupus familiaris)は装甲車の車輪のそばから、自然の支配者ホモサピエンス(Homo sapiens、〈知恵のあるヒト〉)をいかんとも形容しがたい目で見つめていた… 3ヶ月もここでひとりぼっち…

 コーリャが思い出す。「おい待て」と言い、ハッチの黒い穴にもぐりこむ。

 戻ってくると干からびたサンドイッチを包みから出してみせた。

「そうか!」引き出しに入れっぱなしだった。隠したまま忘れていた非常食…

 サンドイッチが放り出されるやいなや、犬は空中で飛びついた。

 

 霊長類のボス3匹を乗せた装甲車がその場から離れていく。

 イエイヌはその後ろ姿を見送った。

 そしてよろよろとした足取りでもと来たほうに歩いていった。

第10話 悲観と楽観の逆転


 無人の町、プリピャチを周回するルートを走行する。

 美しい松林に囲まれ、水量も豊富で流れの速いプリピャチ川のそばに、快適な高層住宅が建ち並び、約5万人が住んでいた。たった3ヶ月前のこと。

 いま私たちはその町を外部から隔てる有刺鉄線のフェンス沿いを走っている… 100メートル間隔で測定を行う。

 28/30…(空間は毎時28ミリレントゲン(≒280μSv)、地表は毎時30ミリレントゲン)

 12/18 は空き家の向かい…〈建設者通り34〉と大きく書かれている…

 12/17…

 1/10 は曲がり角…

 12/19 は荒れ放題の温室…

 そんなとき、突如…

「再び人が住むようになる!」白衣に白帽の研究者(ここでは〈科学屋〉と呼ばれる)が杭から杭へと張られた有刺鉄線の内側から、真新しい装置を使って地面を測定している。一方、ペトロはこちら側から深緑色の測定器DP-5を向こうと同じ杭の下に当てている。「毎時60ミリレントゲン(≒600μSv)」… 「再び人が住むようになる!…」

「ほんとうかい?」にわかに気持ちが明るくなった。「ここはもう永遠に人が住めないと聞いていたから…」

「プリピャチは人が住めるようになる。もとのように活気ある町になる」科学屋は自信満々に答えた。「そのために我々、物理屋がここで働いているんだ… そちらさんは正規組の将校か?」

「いいや、もとはといえば化学屋さ…」

「では、ここで何を?」

 冗談で切り返す。

「〈ストーカー小隊長〉だよ。毎日ゾーンに忍び込んでは測定を行うのさ…」

 話題はタルコフスキー監督の〈ストーカー〉☆1へと移る。映画のなかで表現された〈ゾーン〉。チェルノブイリのゾーンとここまで瓜二つとは…

「まさかあれをこの目で見ることになるとはな…」

「こっちも同感だよ…」

「それにしても、あの〈ストーカー〉を二度と見られぬのは残念だな」

「まったくだ… タルコフスキーが非帰還者★1となってしまった以上は、もう永遠に無理だろう…」

「かけがえのない才能を失ったよ… ソ連には今も昔も彼に並ぶ監督はいなかった」

「その映画ももう二度と拝むことはできないが」

「実に残念だ」

「同じく・・・」

 私たちは本物のゾーンにゆっくりと視線を走らせた。有刺鉄線の向こうの会話相手… 科学屋の背後には略奪され廃墟と化したプリピャチ、〈荒廃をもたらす嫌悪すべきもの〉☆2とはこのことか… フェンスそばには薄汚れた緑色でゴツゴツした装甲車。手入れもされぬままほったらかしの遊園地。森から巨大でカラフルな観覧車が突き出て見える… 私はかろうじて記憶に残っていたタルコフスキーの映画のシーンを回想する…

 私たちふたりは親友同士のように「では元気で!」と挨拶を交わし、(有刺鉄線越しに握手はしにくいので)別れの合図にうなずいて見せると、その場を離れた。

 鉄条網を挟んで別々の方向に。

 

 ソ連でタルコフスキーの映画が公開されたのは1年後

— 新しい時代の到来。



 プリピャチの町は現在も無人のまま。

永久に無人のまま。

第11話 りんご


 プリピャチの周りをさらに車で走ると果樹園に通りかかる。

 見るとどこかの部隊が作業中。我々と同類、〈パルチザン〉と呼ばれる予備役兵だ。

 車を止める。測定する…

 部隊の連中が近寄ってきて、装甲車を取り囲む…「おたくはどこのものだ?」「そっちこそどこからだい?」会話が始まる… 隊長の中尉が歩み寄ってきた…

 私は装甲車てっぺんの陽に暖められた平らな回転塔に腰掛けて、メモをとる用意をしていた…

──突如、さっきまで樹木のそばに立っていた数人がこちらに向かって歩く姿が目に入った。りんごにかぶりつきながら!!

 おい、おまえら、頭がどうにかしちまったのか!!!??ここら一帯は毎時数十ミリレントゲン(≒数百μSv)なんだぞ!分からないのか!?この期に及んで体内からも被曝したいのか!?しかも四六時中… まったくおまえらときたら!…

 先方の中尉には声に出して言わなかったが「ちゃんと部下のこと見てるのか」と合図を送った。

 その効果はすぐにはっきりと現れた。連中の顎の動きがぴたっと止まったかと思うと、その続きはまるで飼料シュレッダーの〈反転〉スイッチを押したかのようだった。

 

 口が開き、噛みしだかれた薄緑色の塊がこぼれると、そのまま長靴の上に落ちた…

第12話 毎時4ミリレントゲン


「おい、用もないのになんでそんな暑いところに突っ立っているんだ?」

 原発へ向かう途中、計測係のペトロを降ろした。幹線道路から右手に入った〈運河〉ルートの測定のためである。

〈運河〉といっても本物の運河ではなく、T字型ピットと言ったほうが近い。なだらかな傾斜の側壁と底をコンクリートで固めた大きな排水溝である。線量は高くなく、毎時5〜25ミリレントゲン(≒50〜250μSv)程度。測定作業に装甲車は必要ないので、通常は隊長の私と計測係がピットの底、側壁の中腹と上を歩いて回るだけだ… 今日は私たちがチェルノブイリ原発で建設中の第5、第6発電ユニットの〈建設現場〉ルートを新たに開拓する間、ペトロがひとりで〈運河〉ルートを歩き回って結果を記録することになっていた(この日は本部から大佐と2名の計測係が我々に同行していた)。

 1時間半か2時間ほど経った頃、〈建設現場〉ルートの仕事を終え戻ってみると、ペトロが砂地の空き地のど真ん中に棒のように突っ立って、汗だらけになっているではないか。口笛で合図したが、聞こえてない。こちらを見ようともしない。暑さのせいで頭がおかしくなっちまったのか。さらに声を張り上げて呼ぶとやっと気づき、こっちへ歩いてきた。

「おい、用もないのになんでそんな暑いところに突っ立っているんだ?」

「この辺りどこも測りましたが、あそこが一番低いんです。だからそこに立っていたんです」

「この辺りがいったいいくらだって?」ペトロの一風変わった行動に驚く。だってここの線量は十分低いはずだ。

「えーと、毎時10、12ミリレントゲン(≒100〜120μSv)です…」

「それでここを選んだってわけか?!…じゃあ、あの木の下は?」ペトロが立っていた場所から10メートルもそこらのところに一本だけ木が生えている。陰もあるし、自分ならそこで待つところだ。

「14です」(≒140μSv)

「おまえが立っていた場所は?」

「毎時4ミリレントゲンです」(≒40μSv)

 そうきたか! 私ならば迷いもせず、14ミリレントゲンでも涼しいほうを選んだだろう。4ミリレントゲンで炎天下の砂の上で待つよりは… というよりも選ぶ以前に、測定もせずに日陰のほうに行っていただろう。この辺の線量はたかだが毎時10ミリレントゲン程度。原発から南東の方向でこれだけ離れていれば、心配するようなホットスポットもないだろうし、事実お目にかかったこともない。

 一方のペトロときたら危険に対する正常な感覚を失っていないようだ… ここでは珍しいタイプ。

 我々の中隊(百名程度)にはもうひとりだけかなりの期間──もしかしたら除隊するまで。私はこいつよりも早く去ったので分からない──几帳面なまでに放射線を避け続けた若僧がいた。

 しかし大概の人間は慣れてしまっていた。

 毎時4ミリだろうが、10ミリだろうが、はては14ミリだろうが、我々が偵察任務で食らう線量に比べればほとんどゴミみたいな値。ゼロに等しい。

 そんなのいちいち気にしていたらこっちの頭がおかしくなっちまう…

第13話 ジヴロヴァ村の食事(隊長メモより)


 7/27

 ジブロヴァ村へ出張。

 昼食をごちそうになる。

 スープと食後の飲み物だけの質素なもの。

 私たち3人の隊員に対して飯盒は2つだけしかない。

 食事につきものの塩は、胸の高さまで詰まれたテーブル代わりの板に塊ごと載っかっている。

 先にいただく。飯盒の本来の主(コーリャ)はタバコを吸って私が食べ終わるのを待ってくれている。

 薪の上に腰を下ろしたが、地元の中尉が近づいてきて迷惑そうに言った。

「中尉殿、あなたは士官食堂へ行けばよいではないか。食堂はちゃんと皿に盛ってくれる」

 私は黙っていた。

 いくら説明しても無駄だろう。私たちが同じチームの一員なんだということを。

 上等軍曹が現れて、同じことを言う。今度は兵士の食堂を勧められた(テントが隣にあった)。

 のぞいてみる。

 汚いテーブルの上にはネギの青い茎、すべりやすい土の床は泥だらけ。塩素の臭い。そして暗い。

 私はすぐに出て、薪に腰かけたまま食事を続けた。

第14話 タイプライター(隊長メモより)


 7/19

 本部の放射能偵察課にタイプライターが届いた!★2

 通行許可証を作成する。タイプライターに向かうと、滑るように指でキーを叩く。

 即座にこのまま本部で勤務しないかと誘われる。

 断る。

 その晩、中隊のキャンプで知ったが他の仲間何人かにも同じ誘いがあったとのこと。

 みんな断ったらしい。

 


★=原注、☆=訳注

 



★1 ソ連当局によって外国に派遣されたが祖国に帰らなかった亡命者のことをいう。当時最も重い罪〈国家反逆罪〉とみなされた。

★2 驚いたのも無理はない。すでに世界を2ヵ月半も震撼させていたチェルノブイリ原発事故の放射能情報を取り扱う最も重要な部署──ソ連(太平洋から大西洋をまたにかける巨大な帝国だった)の国防省特別対策本部放射能偵察課──に事故後しばらく普通のタイプライターが1台もなかったのだ!民間人の私ですら個人用と仕事用にタイプライター2台を持っていたのに… 放射能偵察課ではあらゆる書類が将校の手書きだった。


☆1 (訳注)地上に突如現れた謎の「ゾーン」とその謎を解明しようとする人々を独特の映像美で表現したアンドレイ・タルコフスキー監督のSF代表作(1979年)。チェルノブイリ事故を予言したような内容でもあり、映画のなかで「ゾーン」に侵入を試みる「ストーカー」と呼ばれる人々は、チェルノブイリのゾーン侵入者の暗喩ともなっている。

☆2 (訳注)新約聖書『マタイによる福音書 24:15』の以下の部分からの引用。「それで、預言者ダニエルを通して語られた、荒廃をもたらす嫌悪すべきものが、聖なる所に立っているのを見るなら(読者は理解せよ)、…」

セルゲイ・ミールヌイ

1959年生まれ。ハリコフ大学で物理化学を学ぶ。1986年夏、放射能斥候隊長として事故処理作業に参加した。その後、ブダペストの中央ヨーロッパ大学で環境学を学び、チェルノブイリの後遺症に関して学術的な研究を開始。さらに、自分の経験を広く伝えるため、創作を始めた。代表作にドキュメンタリー小説『事故処理作業員の日記 Живая сила: Дневник ликвидатора』、小説『チェルノブイリの喜劇 Чернобыльская комедия』、中篇『放射能はまだましだ Хуже радиации』など。Sergii Mirnyi名義で英語で出版しているものもある。チェルノブイリに関する啓蒙活動の一環として、旅行会社「チェルノブイリ・ツアー(Chernobyl-TOUR)」のツアープランニングを担当している。

保坂三四郎

1979年秋田県生まれ。ゲンロンのメルマガ『福島第一原発観光地化計画通信』『ゲンロン観光地化メルマガ』『ゲンロン観光通信』にてセルゲイ(セルヒイ)・ミールヌイ『チェルノブイリの勝者』の翻訳を連載。最近の関心は、プロパガンダの進化、歴史的記憶と政治態度、ハイブリッド・情報戦争、場末(辺境)のスナック等。
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