チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(6)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
初出:2014年5月3日刊行『ゲンロン観光地化メルマガ vol.12』
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第3章 キャンプのバックグラウンド(背景事情)
7月25日
夜。明かりが煌々と灯るテント──〈レーニン部屋〉。
中隊の士官が、さまざまなリストや線量や報告用紙で一面埋め尽くされた長テーブルに座って書きものをしている。
ミーシャは感謝状を封筒に詰めて糊で貼っている。
政治将校は紙の山に埋もれている。
私:おれたちの本来の仕事はキャンプじゃなく現場、原発だ。
政治将校:それは大きな誤解だよ! 誰でも最初はわからないもんだ…
放射能偵察小隊長の作業メモより
第17話 毎時0.3ミリレントゲン~キャンプのバックグラウンド
キャンプの線量は毎時0.3ミリレントゲン(≒3μSv/h)だった。
いつのことだったか、日が傾きかけていた頃だ。仕事の後に私と第三小隊長のヴォロージャ、それともう一人誰かが偶然いっしょになった。
立ったまま、気の置けない仲間同士であれやこれや話をする。
そして一服。
そこにアンドレイという政治・思想担当の副隊長(いわゆる政治将校)がやってきてその輪に加わる。
タバコの箱を差し出してきたが、一本するりと地面に落ちてしまった。
〈ホワイト〉と呼ばれるフィルター付きの輸入物。
ここでの貴重品。(チェルノブイリのような場所ではタバコは恒常的に不足していた。)
魅惑的なフィルター付きタバコが足元に転がっている。
我々──3人の放射能偵察隊長──は黙ってタバコを見つめている…
政治将校はかがんでタバコを拾い上げると息を吹かけてから火をつけた。
それを見ていた我々は胸を撫で下ろし、タバコを無駄にしなくてよかった、とおのおの心の中で思った…線量は仕事のときと比べたらお遊びのようなレベル。埃を吹き落せば問題なし。どうせここは自然放射線のたった2、30倍程度なのだから…
──〈すぐに拾ったタバコは落としたうちにはいらない〉──
毎時0.3ミリレントゲン。キャンプのバックグラウンド線量。
第18話 シャピーロ
私の中隊にシャピーロという新入りが入隊した。
中背、黒髪、丸顔、茶色の大きな出目。どこにでもいるような兵卒。とりたてて変わったところもない。が、みんなが私のように感じたわけではないようだ。
というのも、一週間経ったころ、特務部員、つまり大隊の特務部(スパイや政治的に好ましからざる者の取締りに従事)の職員が私のところにやって来て尋ねる。「シャピーロはどんな感じです?」
「これといってなにも。普通です。それがどうかしたんですか?」
「いや、なんでもないんです… 勤務状況はどうです? 彼の話す話題は? 自分からしきりに偵察に出たがったりしていませんか?」
回りくどいが何から何まで〈シャピーロ〉に関することで、まるで私が何かを知っているとでも言いたげな感じだ。
「働きぶりは他の者と変わりません」と、とりあえず答える。「話すことも… ありふれた話題です。どこにでもいるような普通の青年。いまは原発方面で働いていますが…」
「そうか、それでいいでしょう。当面は原発で働かせておいて、偵察には連れて行かないでください」
「分かりました、そうしましょう」と真意を測りかねながらも返事をした…
どうしてこの特務部員はシャピーロにばかり突っかかってくるんだ?
──そうか、シャピーロはユダヤ人! 政治将校がこのなぞなぞみたいな問答を特務部員に許可したのも、シャピーロだからだ!
シャピーロ… ユダヤ人に典型的な名字…
何か起これば真っ先にシャピーロの名前が挙がる! シャピーロがいったい何をしたっていうんだ? 召集されたからやって来ただけ。にもかかわらず来てみたらこの仕打ち… そんなに疑うんなら家に帰してやってくれ。
──でも、もし仮にだ、シャピーロがここに志願兵としてやってきていれば? 誰もが決して羨ましがらない状況に陥っていたに違いない!
愛国心に駆られたのか、そもそもどこの国に対する愛国心なのかを特務部員に延々と説明する羽目になっただろう…
第19話 スパイ狩り
こんな場面を想像してみてくれ。
オペラを鑑賞している。
一階観覧席。
一流の音楽演奏。
舞台上では壮大な芝居が演じられている。
燕尾服に身を包む指揮者。
ホール丸天井のシャンデリア。
男性の厳格な正装。女性の豪華なドレス。
さまざまな宝石の放つ輝きが交じり合う。肌を露にした肩。
そんなところで──うっとりする香り!──ほのかな芳香が漂う…
──誰かが、失敬、「すかしっ屁」をしたようだ(「すかしっ屁よりも音の出るオナラの方がまし」と子どもがふざけて言っていたものだ)。目には見えない香りが客席に広がる― 肌を露にした肩、宝石の輝き、男性の正装…
こうなってしまったら音楽や芝居どころではない!
それでも、忍耐強い観衆は微動だにせず、(さっきよりもやや張り詰めた様子で)舞台に視線を集中したままである… 犯人は誰? 左隣りの男か、ほらみろ冷や汗かいている… まさかご婦人方じゃないだろうな… 指揮者は指揮棒を振り続けている… それとも前に座っているこいつか── 首元が紅潮している… 待てよ。ちくしょう! まさか自分も疑われるんでは!全身が火照りだす── 体が意志に逆らってトマトみたいに赤くなっていく…
セルゲイ・ミールヌイ
1959年生まれ。ハリコフ大学で物理化学を学ぶ。1986年夏、放射能斥候隊長として事故処理作業に参加した。その後、ブダペストの中央ヨーロッパ大学で環境学を学び、チェルノブイリの後遺症に関して学術的な研究を開始。さらに、自分の経験を広く伝えるため、創作を始めた。代表作にドキュメンタリー小説『事故処理作業員の日記 Живая сила: Дневник ликвидатора』、小説『チェルノブイリの喜劇 Чернобыльская комедия』、中篇『放射能はまだましだ Хуже радиации』など。Sergii Mirnyi名義で英語で出版しているものもある。チェルノブイリに関する啓蒙活動の一環として、旅行会社「チェルノブイリ・ツアー(Chernobyl-TOUR)」のツアープランニングを担当している。
保坂三四郎
1979年秋田県生まれ。ゲンロンのメルマガ『福島第一原発観光地化計画通信』『ゲンロン観光地化メルマガ』『ゲンロン観光通信』にてセルゲイ(セルヒイ)・ミールヌイ『チェルノブイリの勝者』の翻訳を連載。最近の関心は、プロパガンダの進化、歴史的記憶と政治態度、ハイブリッド・情報戦争、場末(辺境)のスナック等。
チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(15)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
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