チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(11)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎

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初出:2014年8月1日刊行『ゲンロン観光地化メルマガ vol.18』
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第5章 現地の人々



「生き残ったこと」に対する罪悪感は、戦争、自然災害や
核ジェノサイドを体験した者に見られる。[……]
生存者の感じる罪悪感は他人の苦しみや死を見たほど大きくなる。[……]
自分は助かったが他の者が別の運命をたどったという記憶は、
良心に重荷となってのしかかってくるのである。
Herman J.L. Trauma and Recovery.
New York, Basic books, 1997. P.53-54.



第36話 ベラルーシ ~ 誕生日プレゼント



"Нежил."(非居住)



現代の地形図でポリーシャ地方の
多くの村名の下につけられた略号


 

「中隊長殿、今日は私の誕生日なんです。ここはひとつ、プレゼントをしてくれませんか」

「いったいなんのことだ……?」中隊長は首をかしげた。

「明日、ベラルーシに測定に行くということですが……」

「そうだ。たしかにベラルーシだが」
「私の小隊をベラルーシ行きに加えてください」

このような成り行きで私はベラルーシに行くことになった。

 人生で3度目のベラルーシ。

 最初の2回はまだ学生の時分。化学専攻学生の記念行事があって、ベラルーシ大学の同僚たちに会いに行った。2回とも列車だった。列車で行くとどんな感じかって? 寝るときはまだウクライナ、起きたらもうベラルーシという具合だ…… 女性車掌のアナウンス「あと30分でミンスクです! 起きてください! シーツを返却してください! 今からトイレは使用できなくなります!」

 ──今回は装甲車での入国である。

 道端の存在感のない標識。

「ベラルーシ・ソヴィエト社会主義共和国」と書かれている。

 道路もそれほど大きくはないが、アスファルトの質はよく、道に沿って人工林が続く。真夏の太陽が燦々と降り注ぐすばらしい一日…… 平野で森は疎ら。牧草地や草原が広がる。数百キロ南のウクライナでも普通に見られる風景だ…… 村々は幹線道路から分離されている。村への分岐道の入り口には遮断機が立ち、その左右は眩い光沢を放つ柱が鎖のように並び、柱と柱の間には有刺鉄線が張りめぐされていた。遮断機そばの小屋には警官二人が詰めている…… また、小さな町を通り過ぎたときは、三階建て集合住宅のバルコニーで下着やシーツが洗濯ロープにかけられて干されているのが目に入る…… もう数ヶ月、数週間もこのままなのだろうか?

 PUSO(放射能検査・除染所)〈サヴィチ〉を通ってゾーンから出た。何のトラブルもなく、放射能検査係から止まれと声すらかけられなかった。

 オストラグリャディで停車する。中隊長は部隊唯一の地図(借用書にサインして本部から持ち出したもの)を広げて、それぞれの装甲車にいくつかの村を割り当てていく。

 私たちはチェヒ、プロスコエ、ルディエ、ヴォロテッツを任せられた。

 私はまず村の名前をメモした。

 それから地図と睨めっこしながら、それぞれの村への道順をひたすら暗記する……
 

セルゲイ・ミールヌイ

1959年生まれ。ハリコフ大学で物理化学を学ぶ。1986年夏、放射能斥候隊長として事故処理作業に参加した。その後、ブダペストの中央ヨーロッパ大学で環境学を学び、チェルノブイリの後遺症に関して学術的な研究を開始。さらに、自分の経験を広く伝えるため、創作を始めた。代表作にドキュメンタリー小説『事故処理作業員の日記 Живая сила: Дневник ликвидатора』、小説『チェルノブイリの喜劇 Чернобыльская комедия』、中篇『放射能はまだましだ Хуже радиации』など。Sergii Mirnyi名義で英語で出版しているものもある。チェルノブイリに関する啓蒙活動の一環として、旅行会社「チェルノブイリ・ツアー(Chernobyl-TOUR)」のツアープランニングを担当している。

保坂三四郎

1979年秋田県生まれ。ゲンロンのメルマガ『福島第一原発観光地化計画通信』『ゲンロン観光地化メルマガ』『ゲンロン観光通信』にてセルゲイ(セルヒイ)・ミールヌイ『チェルノブイリの勝者』の翻訳を連載。最近の関心は、プロパガンダの進化、歴史的記憶と政治態度、ハイブリッド・情報戦争、場末(辺境)のスナック等。
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