セルゲイ・ミールヌイ『チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記』 訳者からのメッセージ|保坂三四郎
初出:2014年1月24日刊行『福島第一原発観光地化計画通信 vol.6』
翻訳連載第1回はこちら
原発事故後の放射能斥候隊に参加し、その経験を元にした作品を多数発表しているウクライナの作家、セルゲイ・ミールヌイ。『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』やこのブロマガでもおなじみのミールヌイの作品の翻訳掲載がスタートします。
タイトルは「チェルノブイリの勝者〜放射能偵察小隊長の手記」。自身の経験を踏まえ、随所に放射線量などリアルな数字が登場する一方で、実際に作業に携わった者だからこそ書けるブラックユーモアも織り込まれた怪作です。
次号からの連載開始に先立って、翻訳を手がけた保坂三四郎さんからメッセージをいただきました。保坂さんはなぜこの作品に出会い、日本語訳を志したのか。そこには3.11の経験が深く影響していました。(編集部)
タイトルは「チェルノブイリの勝者〜放射能偵察小隊長の手記」。自身の経験を踏まえ、随所に放射線量などリアルな数字が登場する一方で、実際に作業に携わった者だからこそ書けるブラックユーモアも織り込まれた怪作です。
次号からの連載開始に先立って、翻訳を手がけた保坂三四郎さんからメッセージをいただきました。保坂さんはなぜこの作品に出会い、日本語訳を志したのか。そこには3.11の経験が深く影響していました。(編集部)
「チェルノブイリ」あるいは「リクビダートル(事故処理作業者)」と聞いて何を想像するだろうか。全てが灰色、あるいは真っ黒の世界?後遺症にもがき苦しむ数十万の人々? 線量計を近づけるとピーと警報が鳴る無数の棺桶? 森や川に棲む奇形生物? 我々がチェルノブイリに対して持っている先入観を見事なまでに覆してくれるのが、本書「チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の日記」(仮邦題)である。
本書は著者セルゲイ・ミールヌイがチェルノブイリへ召集されてから除隊するまでの3ヶ月間にゾーン(原発30キロ圏)で繰り広げられた人間と放射能のドラマをコミカル、センチメンタル、ときには科学的に描いたドキュメンタリー小説である。ウクライナでは「チェルノブイリ・ユーモア」とも呼ばれ、チェルノブイリに対するステレオタイプを打破する作品として注目を浴びた。テレビゲームでしかチェルノブイリを知らない若い世代に読ませたい本として推す声もある。さらに本書は、放射能のイロハをサバイバル的に学べる実用書も兼ねている。
掴みどころのない本との印象を受けるが、このように既存のジャンルや形式にとらわれない表現方法を「ポストモダン」と呼ぶらしい。訳者である私は文学・思想関係には疎いのでその解釈は「チェルノブイリダークツーリズムガイド」におけるミールヌイ氏インタビューに譲ることとして、ここでは次号から連載する本書の内容を先取りしてご紹介する。
物語は1986年夏、ソ連・ウクライナの若者セルゲイのもとに届く召集令状から始まる。派遣先は事故からまだ3ヶ月しか経っていない「チェルノブイリ」。放射能マップ作成のため汚染地帯で放射線測定を行う「放射線化学偵察中隊」への配属だ。大学で物理化学を修めたセルゲイは放射線についていくらかの知識は持っており小隊長として活躍するが、自然界の数十倍から 100 万倍という高線量下における放射能との親密すぎる接触を通して、より実践的、サバイバル的な知恵を身につけていく。信じがたいことだが、現場では放射線を「見る」、その匂いを「嗅ぐ」、舌の先で「味わう」こともできたという……。
本部の指令に従い、愛車のBRDM(BMWではない。ソ連製装甲車。分厚い装甲が乗員のガンマ線被ばくを3分の1まで減らす)に乗って原発周辺や森などの所定のルートを走り、空間線量の測定を行うのがセルゲイとその仲間の日課である(部隊では「放射能偵察」と呼ばれる)。セルゲイは日々の観察を通してチェルノブイリの放射能汚染の実態とは「垂直に切り立った崖や鋭く尖った山頂と、広大で低くなだらかに続く麓」であり、同じゾーン内でも場所によって線量は数百万倍の開きがあることを知り、対処の術を覚えていく。
一方余暇は、身体除染の散水車を利用してロシア風スチームサウナを楽しんだり、住民が避難して空っぽになった村の菜園でりんごを腹いっぱいなるまで食べたり、宿営キャンプの原っぱに設けられた即席映画館で日本のアニメを鑑賞したり……チェルノブイリという非日常のなかで平時では考えられないことにも生き甲斐を見いだしていく。
もちろん読者にとって新鮮なのはエンタメだけではない。ゾーンでの生活や放射能を通してしか見えない人間の社会的側面についても切り込む。壊れた線量計を使って作業員の「エア」汚染検査をするインチキ検査員、チェルノブイリに来ても敵国(当時は米ソ冷戦の真っ只中)のスパイ探しを怠らない秘密警察部員、隊員の一日当たりの被ばく線量を千分の一も間違えて記録する「チェルノブイリのデスクワーカー」、高汚染地帯に足を踏み入れた偵察隊員をまるで伝染病患者のように扱う本部の上司……。日本の状況も似ているが、目に見えない放射能は普段は見えない人間の本性まで丸裸にしてくれるようだ。
エピローグでは20年後の自分の活動や仲間の消息にも触れている。最も関心をひくのは、何台もの放射線測定器が振り切れて使い物にならなくなった「超」高線量下(毎時1500レントゲン≒毎時15シーベルト)で被ばくし、「緑色」になって偵察から戻ってきた仲間セムの「その後」であろう。この結末は是非本書で確認して頂きたい。
ミールヌイ氏の思想や活動については『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』に詳しい解説があるので屋上屋を架す必要はないかと思うが、初めての読者のため若干補足する。
同氏はチェルノブイリからの帰還後、自らのなかで消化しきれなかったチェルノブイリの体験や印象を学術的に整理するため、ブタペストの大学で「環境分野における科学と政治」を専攻し、原発事故等が環境や社会心理に与える影響を研究した。そしてチェルノブイリ経験者の心身の健康状態に関する研究を発表し、リクビダートルのPTSD(事後後の心理的トラウマ)を克服する手段としてゾーン(立入禁止区域)へのツアーをいち早く提唱している(部分的に英訳された著作もあるのでそれらも参照いただければ本書への理解も一層深まる。http://www.mirnyi.arwis.com/ )。
ミールヌイ氏は、リクビダートルが事故後の「情報汚染」による心理的トラウマを克服するには、「チェルノブイリ」の社会的受容を従来の「敗北」の象徴から「勝利」の象徴へと大胆に思考転換することが不可欠であるという。他方、「チェルノブイリ」の負の記憶と分かちがたく結びついたゾーンが立入禁止の閉ざされた空間であり続ける限り、「チェルノブイリ」もまた敗北の象徴として人々の記憶に残り続け心理的トラウマを助長する源となってしまう。このためゾーンの象徴的意義や社会的機能を見直すことに問題解決の糸口を見出す(この点は福島第一原発観光地化計画とも共通するのではないだろうか)。また、同氏のようにチェルノブイリ体験以後も(大方の予想に反して生存しているどころか)人並みに健康であり各分野で活躍する「勝ち組」が実は多く存在するということを世に知らしめるのも思考転換の一助となると考えている(本書はそのような試みの一環である)。
本書のタイトルについて若干。原題は"Живая сила"。無理矢理英語に置き換えれば"Living Force"とでもいったところか 。素直に「生きる力」とも読めるが、本書では、1)戦闘に駆り出される兵士や馬などの兵力・畜力を表す軍事用語としての意味(本作品では事故処理に駆り出された作業員のこと)と、2)人間や植物などの生命体が本来的に持つ生への力を意味している。ダークな、後ろ向きなタイトルが多いチェルノブイリ関連本のなかでこのように「力」、「生きる」、「生命」などポジティブな響きを前面に出した作品は異質と言ってよいだろう。このタイトルに込められた二つの意味を日本語に置き換えようといろいろ頭ひねったがどうしてもしっくりくる言葉が見つからないので、拙訳では本書に含まれるエピソードのひとつ「チェルノブイリの勝者」を以て本作品全体のタイトルとしたところ断っておく。
本作品を訳すに至った個人的動機についても若干触れておく。2011年4月、キエフに出張したとき空き時間に市内のチェルノブイリ博物館に立ち寄った。アーティスティックな技巧を凝らした展示は特段これといった印象を持たなかったが、帰りに小さなお土産コーナー(マグネット等)に一冊だけ置かれている本書、特にその表紙の文句「放射能の危険に直面したときは★のエピソードから読むこと」に目が釘付けになった。
軽妙な筆致、というよりも、しゃべる言葉そのまま(お行儀のよくない言葉も含め)で書かれているため分かりやすく、原発事故に直面していた日本の状況にも重ねて、あっという間に読み切った。当時は放射能パニックで海外に出国する外国人が跡を絶たなかったが、私の妻(ロシア出身)も例に漏れず子ども達を祖国に一旦帰国させ、東京での日々の生活も緊張感で張り詰めていた。そんなとき妻に本書を読ませたところ、冷静さを取り戻して子ども達を日本に引き揚げる決心をしてくれた。放射能に怯えて西日本への引っ越しを考えていた日本人の友人家族にも是非読ませたいと強く思い、出版社を通して著者ミールヌイ氏に英語等の外国語訳の有無を照会した。しばらくしてミールヌイ氏本人から回答があった。外国語版はハンガリー語(!)のみだが、自らの経験が役立つことを確信して本書を日本大使館に寄贈して日本語への翻訳を提案したが実現の目途はないとのこと。ミールヌイ氏は日本ではまったくの無名であったので、本への恩義からとりあえず紹介用に一部翻訳を行うことを引き受けた(結局、最後まで訳す羽目になってしまうのだが……)。
翻訳を進めながら出版社数社とかけあったが、「本書独特のマッチョな独白調が馴染みにくい」、「ソ連の軍隊生活、文化、言語等に関する背景知識が必要」(第1話をお読みいただければご理解いただけるだろう)等の理由で反応は芳しくなかった。某SFミステリ文庫に原稿持ち込んでみたら、とも言われた。そのままこの翻訳は陽の目を見ることなくお蔵入りするはずであった。が、そんなとき、ゲンロンさんから『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』でミールヌイ氏にインタビューするので参考までに訳を読ませてほしいとの話があり、かくしてようやくミールヌイ氏のチェルノブイリ論に真剣に学ぼうという人々、あるいは作品の所々に散りばめた文学的「くすぐり」を理解する方々のもとへ届けられることとなった。
ミールヌイ氏は本書の中で、自らのことを「チェルノブイリ」を実体験した「希少人種」(エスキモー)と表現している。放射能を理科の言葉で解説した本はあまたあるが、放射能の社会的受容を描いた本はほとんどない。ましてやそれを「ドキュメンタリー小説」の形で具現化できるのは筆者をおいて他にいないだろう。放射能に対する人間らしい、いわば「俗な」視点は、原発事故以後の日本人が放射能中心ではなく、人間中心に生きていくための多くの示唆、心の支えを与えてくれるように思われる。
本書は著者セルゲイ・ミールヌイがチェルノブイリへ召集されてから除隊するまでの3ヶ月間にゾーン(原発30キロ圏)で繰り広げられた人間と放射能のドラマをコミカル、センチメンタル、ときには科学的に描いたドキュメンタリー小説である。ウクライナでは「チェルノブイリ・ユーモア」とも呼ばれ、チェルノブイリに対するステレオタイプを打破する作品として注目を浴びた。テレビゲームでしかチェルノブイリを知らない若い世代に読ませたい本として推す声もある。さらに本書は、放射能のイロハをサバイバル的に学べる実用書も兼ねている。
掴みどころのない本との印象を受けるが、このように既存のジャンルや形式にとらわれない表現方法を「ポストモダン」と呼ぶらしい。訳者である私は文学・思想関係には疎いのでその解釈は「チェルノブイリダークツーリズムガイド」におけるミールヌイ氏インタビューに譲ることとして、ここでは次号から連載する本書の内容を先取りしてご紹介する。
物語は1986年夏、ソ連・ウクライナの若者セルゲイのもとに届く召集令状から始まる。派遣先は事故からまだ3ヶ月しか経っていない「チェルノブイリ」。放射能マップ作成のため汚染地帯で放射線測定を行う「放射線化学偵察中隊」への配属だ。大学で物理化学を修めたセルゲイは放射線についていくらかの知識は持っており小隊長として活躍するが、自然界の数十倍から 100 万倍という高線量下における放射能との親密すぎる接触を通して、より実践的、サバイバル的な知恵を身につけていく。信じがたいことだが、現場では放射線を「見る」、その匂いを「嗅ぐ」、舌の先で「味わう」こともできたという……。
本部の指令に従い、愛車のBRDM(BMWではない。ソ連製装甲車。分厚い装甲が乗員のガンマ線被ばくを3分の1まで減らす)に乗って原発周辺や森などの所定のルートを走り、空間線量の測定を行うのがセルゲイとその仲間の日課である(部隊では「放射能偵察」と呼ばれる)。セルゲイは日々の観察を通してチェルノブイリの放射能汚染の実態とは「垂直に切り立った崖や鋭く尖った山頂と、広大で低くなだらかに続く麓」であり、同じゾーン内でも場所によって線量は数百万倍の開きがあることを知り、対処の術を覚えていく。
一方余暇は、身体除染の散水車を利用してロシア風スチームサウナを楽しんだり、住民が避難して空っぽになった村の菜園でりんごを腹いっぱいなるまで食べたり、宿営キャンプの原っぱに設けられた即席映画館で日本のアニメを鑑賞したり……チェルノブイリという非日常のなかで平時では考えられないことにも生き甲斐を見いだしていく。
もちろん読者にとって新鮮なのはエンタメだけではない。ゾーンでの生活や放射能を通してしか見えない人間の社会的側面についても切り込む。壊れた線量計を使って作業員の「エア」汚染検査をするインチキ検査員、チェルノブイリに来ても敵国(当時は米ソ冷戦の真っ只中)のスパイ探しを怠らない秘密警察部員、隊員の一日当たりの被ばく線量を千分の一も間違えて記録する「チェルノブイリのデスクワーカー」、高汚染地帯に足を踏み入れた偵察隊員をまるで伝染病患者のように扱う本部の上司……。日本の状況も似ているが、目に見えない放射能は普段は見えない人間の本性まで丸裸にしてくれるようだ。
エピローグでは20年後の自分の活動や仲間の消息にも触れている。最も関心をひくのは、何台もの放射線測定器が振り切れて使い物にならなくなった「超」高線量下(毎時1500レントゲン≒毎時15シーベルト)で被ばくし、「緑色」になって偵察から戻ってきた仲間セムの「その後」であろう。この結末は是非本書で確認して頂きたい。
ミールヌイ氏の思想や活動については『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』に詳しい解説があるので屋上屋を架す必要はないかと思うが、初めての読者のため若干補足する。
同氏はチェルノブイリからの帰還後、自らのなかで消化しきれなかったチェルノブイリの体験や印象を学術的に整理するため、ブタペストの大学で「環境分野における科学と政治」を専攻し、原発事故等が環境や社会心理に与える影響を研究した。そしてチェルノブイリ経験者の心身の健康状態に関する研究を発表し、リクビダートルのPTSD(事後後の心理的トラウマ)を克服する手段としてゾーン(立入禁止区域)へのツアーをいち早く提唱している(部分的に英訳された著作もあるのでそれらも参照いただければ本書への理解も一層深まる。http://www.mirnyi.arwis.com/ )。
ミールヌイ氏は、リクビダートルが事故後の「情報汚染」による心理的トラウマを克服するには、「チェルノブイリ」の社会的受容を従来の「敗北」の象徴から「勝利」の象徴へと大胆に思考転換することが不可欠であるという。他方、「チェルノブイリ」の負の記憶と分かちがたく結びついたゾーンが立入禁止の閉ざされた空間であり続ける限り、「チェルノブイリ」もまた敗北の象徴として人々の記憶に残り続け心理的トラウマを助長する源となってしまう。このためゾーンの象徴的意義や社会的機能を見直すことに問題解決の糸口を見出す(この点は福島第一原発観光地化計画とも共通するのではないだろうか)。また、同氏のようにチェルノブイリ体験以後も(大方の予想に反して生存しているどころか)人並みに健康であり各分野で活躍する「勝ち組」が実は多く存在するということを世に知らしめるのも思考転換の一助となると考えている(本書はそのような試みの一環である)。
本書のタイトルについて若干。原題は"Живая сила"。無理矢理英語に置き換えれば"Living Force"とでもいったところか 。素直に「生きる力」とも読めるが、本書では、1)戦闘に駆り出される兵士や馬などの兵力・畜力を表す軍事用語としての意味(本作品では事故処理に駆り出された作業員のこと)と、2)人間や植物などの生命体が本来的に持つ生への力を意味している。ダークな、後ろ向きなタイトルが多いチェルノブイリ関連本のなかでこのように「力」、「生きる」、「生命」などポジティブな響きを前面に出した作品は異質と言ってよいだろう。このタイトルに込められた二つの意味を日本語に置き換えようといろいろ頭ひねったがどうしてもしっくりくる言葉が見つからないので、拙訳では本書に含まれるエピソードのひとつ「チェルノブイリの勝者」を以て本作品全体のタイトルとしたところ断っておく。
本作品を訳すに至った個人的動機についても若干触れておく。2011年4月、キエフに出張したとき空き時間に市内のチェルノブイリ博物館に立ち寄った。アーティスティックな技巧を凝らした展示は特段これといった印象を持たなかったが、帰りに小さなお土産コーナー(マグネット等)に一冊だけ置かれている本書、特にその表紙の文句「放射能の危険に直面したときは★のエピソードから読むこと」に目が釘付けになった。
軽妙な筆致、というよりも、しゃべる言葉そのまま(お行儀のよくない言葉も含め)で書かれているため分かりやすく、原発事故に直面していた日本の状況にも重ねて、あっという間に読み切った。当時は放射能パニックで海外に出国する外国人が跡を絶たなかったが、私の妻(ロシア出身)も例に漏れず子ども達を祖国に一旦帰国させ、東京での日々の生活も緊張感で張り詰めていた。そんなとき妻に本書を読ませたところ、冷静さを取り戻して子ども達を日本に引き揚げる決心をしてくれた。放射能に怯えて西日本への引っ越しを考えていた日本人の友人家族にも是非読ませたいと強く思い、出版社を通して著者ミールヌイ氏に英語等の外国語訳の有無を照会した。しばらくしてミールヌイ氏本人から回答があった。外国語版はハンガリー語(!)のみだが、自らの経験が役立つことを確信して本書を日本大使館に寄贈して日本語への翻訳を提案したが実現の目途はないとのこと。ミールヌイ氏は日本ではまったくの無名であったので、本への恩義からとりあえず紹介用に一部翻訳を行うことを引き受けた(結局、最後まで訳す羽目になってしまうのだが……)。
翻訳を進めながら出版社数社とかけあったが、「本書独特のマッチョな独白調が馴染みにくい」、「ソ連の軍隊生活、文化、言語等に関する背景知識が必要」(第1話をお読みいただければご理解いただけるだろう)等の理由で反応は芳しくなかった。某SFミステリ文庫に原稿持ち込んでみたら、とも言われた。そのままこの翻訳は陽の目を見ることなくお蔵入りするはずであった。が、そんなとき、ゲンロンさんから『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』でミールヌイ氏にインタビューするので参考までに訳を読ませてほしいとの話があり、かくしてようやくミールヌイ氏のチェルノブイリ論に真剣に学ぼうという人々、あるいは作品の所々に散りばめた文学的「くすぐり」を理解する方々のもとへ届けられることとなった。
ミールヌイ氏は本書の中で、自らのことを「チェルノブイリ」を実体験した「希少人種」(エスキモー)と表現している。放射能を理科の言葉で解説した本はあまたあるが、放射能の社会的受容を描いた本はほとんどない。ましてやそれを「ドキュメンタリー小説」の形で具現化できるのは筆者をおいて他にいないだろう。放射能に対する人間らしい、いわば「俗な」視点は、原発事故以後の日本人が放射能中心ではなく、人間中心に生きていくための多くの示唆、心の支えを与えてくれるように思われる。
保坂三四郎
1979年秋田県生まれ。ゲンロンのメルマガ『福島第一原発観光地化計画通信』『ゲンロン観光地化メルマガ』『ゲンロン観光通信』にてセルゲイ(セルヒイ)・ミールヌイ『チェルノブイリの勝者』の翻訳を連載。最近の関心は、プロパガンダの進化、歴史的記憶と政治態度、ハイブリッド・情報戦争、場末(辺境)のスナック等。
チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(15)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(14)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(13)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(12)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(11)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(10)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(9)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(8)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(7)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(6)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(5)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(4)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(3)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(2)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(1)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎
- セルゲイ・ミールヌイ『チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記』 訳者からのメッセージ|保坂三四郎