チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(9)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎

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初出:2014年6月15日刊行『ゲンロン観光地化メルマガ vol.15』
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第27話 酒盛り


第二次世界大戦火器偵察小隊長
ニコライ・ペトローヴィチ・ミルヌイに捧ぐ
 
事故後最初にチェルノブイリ原発に駆けつけた者たちは
ゾーンへの入り口で立ち止まり、ウォッカ一瓶を体に流し込んだ…★1
『赤い原子』、ニューヨーク:フリーマン社、2000年、257頁



落下傘部隊は飛行機から飛び降りた瞬間から着陸するまで酒は口にしない。
深い考察から



 予備役将校としてそれなりの経験を積んだ身にとっては、チェルノブイリで毎日のようにみんなに酒が振舞われていたという噂は信じがたかった。

 私が来る前の状況は知るよしもないが、自分の頃には酒を注ぐ者も注がれる者ももういなかった。

 それどころか30キロの〈放射能〉ゾーンの周囲には約60マイルの〈ドライ〉ゾーンがあった。禁酒ゾーンだ。

 だから酒を買えるところはなかった。

 まったく。

 もちろん近くの村のサマゴン(自家製酒)を手に入れてくる輩もなかにはいたが、周到な用意が必要で、偵察員にはとうていそんなことに現を抜かしている暇などなかった。

 私は予備役将校の経験からそんな状況が予め想像できたので、化学関連の職場から700ミリリットルの混じり気のない純粋なスピリッツ(水を持っていってもしょうがないよね?)をチェコ産アセトンが入っていた空のガラス瓶に入れて持ち出した。瓶はちょうどいい大きさで、こちらの都合よいことにプラスチック製のネットで包まれていた(手で持っても滑らないし移動中割れる心配もない)。これからチェルノブイリで出会う、未来の友人にご馳走する、それが目的だ……

 



 私の人生27度目の誕生会は将校テントの極秘の状況下で行われた。出席したのは…… テントの住人はいわずもがなだが、それに加えて私のチームの隊員、中隊で仲良くなった者数名だ。

 電気はない。蝋燭の灯りだけ。テントの入り口はしっかり閉め切る。みんなから幾分抑えた歓声がわき上がる中、アセトンの入っていた黒いガラス瓶の金色の蓋が開けられる。

 最高級の純度の蒸留アルコールの匂いが、政府のチェルノブイリ原発事故対応の課題を遂行する放射線化学生物偵察大隊の軍人の嗅覚器官に達する……

「おい、もったいぶらないで早く注げ」

「声がでかいぞ。キャンプ中に聞こえちまう!」

「みんな共犯だからな……!」

「しーっ……」

「ここだけの秘密だ……」

「ひと息でいくぞ……」

「飲んだら何でもいいからすぐに腹に入れろ!☆1

「し、しずかに!」

「いい加減にしろ!」

 ひそひそ話に変わる。

 用心に用心を重ねた共同謀議……

 



──このとき外は、テントの壁がスクリーン状になって、キャンプの表通り全体に向けて影絵が見えていた。

──光輪を中心にした、まぶしい灯り(これはローソク)……

──巨大な影Aはコップを口元に運び、一気に傾ける。服の袖を鼻に近づけ、目いっぱい臭いを吸い込む。そして酒の肴に手を伸ばす……

──影Bはコップを傾け、頭をぶるっと震わせるとぶっきらぼうに横に手を差し出す。影Cはその手に小さな瓶(炭酸ファンタ)を握らせる。影Bはすぐにそれをグィッと飲む……

──影Bは息を整えると、げっぷを混ぜながら抑えた声で酒を褒めちぎる……

──影たちが飲んでは食べ、話し声のボリュームも次第に上がる……

──がはは、という大きな笑い声……

──もう一度注ぎ足して回る……

──そして、キャンプ中に響き渡る爆笑!

──ここだけの秘密、のはずが……

「ひと息で飲む……」

 このように思い出に残る形で、しかも運よく何のお咎めも受けずに(上級将校たちもこの時期は同じことをしていたようだ)、満27歳の誕生日を祝った。

 



 ただし今の感覚から考えられないのは、健康な男が7、8人かかってこの0.7リットルのスピリッツを最後まで飲み切らなかったことだ。ちょっといい気分になるとすぐにねぐらに戻った。睡眠をとるため……

 残りの200ミリグラムはテントに置いておけなかった。ほとんど毎日のように新しいテントに引越しさせられるので、毎晩自分の持ち物や寝床がどこかにあるのか見当もつかない。そんな訳で残りは装甲車に隠した。ボロきれで瓶を包み、コーリャが装甲車のこまごました備品をしまう金属製引き出しの中の雑巾の下に忍ばせた…

 そして勤務中もまる一ヶ月この瓶は車に積みっぱなし。

 そのまま口をつけることはなかった。

 忘れてしまったのだ。

 



 父の兄のニコライおじさんは、1941年から1945年までの戦時中ずっと火器偵察小隊長だった。ある日こんな話をしてくれた。

「前線では一人一日100グラムのウォッカが配給されることになっていた。数日に一度ウォッカが塹壕に届くと、生き残っている者一人に瓶一本は行き渡ったんだ…… 意外に思うかもしれんが、前線に酒は浴びるほどにあったんだよ。戦利品のスピリッツのタンクや、どこから入手したか分からぬワインなど…… 我が小隊にもいつも何かしらの酒があったものだ。でもちっとも飲みたいとは思わなかったんだ。せいぜい隣の隊長が会いに来るときくらいだろう。塹壕から顔を出して仲間に声をかけるんだ。『おい、おまえら。お客さんが来たから一杯やるぞ』って…… おもしろいのは、みんな半リットルずつ飲んだときでも、酔うのはぴったり5分間だけ。それっきり。5分過ぎたらしらふに戻る。まるで一滴も口にしなかったように」

 戦場の最前線。

 緊張が解けることはない。

第28話 Ambre


 移動販売車がよくやってきた。

 見た目は貨物トラックと大して変わらない。部隊に到着すると荷台の大きな後扉を開け放って商売を始める。針や糸、ピロシキ、レモネード、襟カラー、石鹸、甘菓子、靴磨きクリーム、安全カミソリ、歯ブラシ、封筒、ペン、オーデコロン……

 翌朝、曹長が激怒している。

「オーデコロンを全部飲んじまいやがった! 移動販売車が来た次の朝の便所は、床屋並みにAmbreの匂いがぷんぷんしてやがる」

第29話 便所


 軍隊がシャバと違うのはどこかと聞かれればこう答えるだろう。

「なによりも、プライバシーの欠如」

 ひとりになれる時が一瞬もない。

 ひとりでいるのが自然なところ、、、でもだ。

 仲間と一緒に広場向こうの樫の木(チェルノブイリでは松の木)の下まで散歩ついでに立ち小便程度は当たり前である。ほっと一息つく瞬間は、なんと表現したらいいか分からないが、まあ例えていうならば、パリのオープンカフェで知人とコーヒーをすすりながら目の前を行き交うカラフルな通行人を眺めるようなもの。人間と人間、あるいは人間と自然の最高のコミュニケーションと呼んでもよいだろう……

 朝、起床後、テントの前で小隊ごとに隊列を作ってトイレに行進。着くと「休め! 解散!」の号令のもと各隊員は一晩の間に溜まった用を足す…… これも軍隊では当たり前の光景(しかしチェルノブイリでは行われなかった。実はソ連軍の内規違反だ)。

 脱線するが、決して侮ってはいけない。いわば集団小便は部隊の士気の向上(軍隊用語)につながる。自分と似たような人間から成る集団と一緒に丸い穴の上でじっと踏ん張れば、性格も鍛えられ、心理的にも打たれ強くなる(冗談ではない。身をもって体験したのだから)。集団との一体感も増す。詩人のマヤコフスキーもそんな意味の詩を詠んでいるじゃないか。

 ただ、部下の目の前でクソをする隊長の姿を想像できるだろうか?(もちろんそれを見ている部下自身も同じようにクソをしているのだが。)あるいは、隊長が穴の上で踏ん張っている前を通り過ぎる部下を……

 我々の大隊長が穴の上にかがみこむ場面がまるで昨日のことのように生き生きと甦ってくる。部下たちと同じように雑誌〈ソビエト兵〉にちょっと目を通してから、丸めてしわくちゃにしてから、ケツを拭く。ちょっとやそっとじゃ動じない、正真正銘の軍人だった。
 私は毎朝空いている穴を探しながら(入り口から離れるほど静かで落ち着く)、どうやって上官へ挨拶したらよいか頭を悩ませた。規則どおりに「大隊長殿、お達者で!」と発しようか。それにしても間抜けだ。でも何も言わないのも不自然だ…… 結局、ありふれた「おはようございます」と言ったら、隊長は読みかけの新聞〈ソビエト戦士〉の社説から一瞬だけ目を反らし、父親のようにうなずき、それでよいのだと目で合図を送った。

 物分りのよい理想の隊長だった。

 しかしこの隊長の後釜が、端にも棒にもかからない奴。締りのない体つきに加え、後から分かったのだが、性格も愚劣。隊長としてまったく信頼の置けない人間。所属部隊の便所でも一度たりとも見かけることはなかった。つまり、本部まで行って同じような肩書きのお偉方と一緒にアレをしていたのだろう…

 



 まあしかし、そんなことはどうでもよい。この話を持ち出したのはそんな恨みからではない。自分の導き出した結論に統計的データを示したかったからだ。

 どういうことか。

 キャンプの便所は、砂地の土地に建てられた、タール紙が貼られた縦長の掘っ立て小屋だった。切妻式の屋根もタール紙だ。入り口(ドアはなし!)はひとつだが門のように広い。小屋の真ん中には明るい色の松でできた柱が真ん中に一列に並んでいた(各柱にはきれいな新聞紙が釘で打ちつけられている)。柱を中心として両側の床板には、それぞれ穴が並んでいる… シンプルな作りである。さらに、便所にしては驚くほど採光がよい。

 そんなわけで毎日、空きの穴にたどりつく間に、その日の放射能偵察部隊のお腹の調子が嫌でも目に入ってくる。床板の下の大便も。

 便が液体に近い。

 放射能偵察部隊の便が液体に近い。

 通常召集の部隊よりもはるかに水っぽい。部隊が赤痢菌にやられてしてしまったときのことを言っているのではない。むしろ前に話したとおり、普通の軍隊生活では毎日繰り返される粥のせいで固くなることのほうが多いのだが。──しかし、このチェルノブイリときたら……

第30話 新聞


 まず最初に言っておこう。

 軍隊では新聞は便所の読み物と決まっている。

 トイレにまで思想教育を持ち込もうというのではない。新聞が紙を媒体としているのに対し、軍隊では紙(トイレットペーパーは言わずもがな、あらゆる紙)が不足しているというだけである。

 新聞のチェルノブイリについての情報は?

 はっきりいってほとんど興味を引かなかった。

 その情報とやらはいつも我々の目の前に現実としてあったから。

 せいぜい新聞が書いていることを笑い飛ばすくらい。

 むしろチェルノブイリの外の世界で起きていることの方に関心があった……

 最初の頃は

〈チェルノブイリについて書かれていること〉と

〈チェルノブイリにいること〉

 を比較するのがひどく愉快だった。現場にいるから自分の目ですべてを見比べることができる。多少大げさな言い方をすれば、新聞に書かれていることから本当の現実を推定する方法を身につけた……

 それはどんな比較だったのか?

 いや、そんなたいしたことではない。例えば、

 ここに、パレードさながらの軍服を身にまとったヒーロー軍人がいるとしよう。清潔感とと輝きを放ち、起立の姿勢は、鷹のように凛々しい!

──でも、すぐそばにいる私からは、このヒーローは丸裸のケツにしか見えない(しかも失敬、たぶん糞まみれの)……

 



 チェルノブイリにいながらにして〈チェルノブイリに関して〉新聞で読むということは、おおよそこんな比較を行うことだった。

 この技能がとても有益だと気づくのはしばらく経ってからのことだ。

第31話 本


 軍隊で本がほとんど読まれないということは、チェルノブイリの起こるずっと前からの常識で、なにも私だけが知っていることではない。何かを待っていて手持ち無沙汰なとき、そこに本があったとしても、手にとろうと思わない…… いくら本の世界、別の現実に逃げようとしたところで周囲のカーキ色の現実に呼び戻されてしまうからだ…

 ここにガルシン★2の著作がある。

 チェルノブイリで、つまりチェルノブイリ市のデパートで買ったものだ。

 いわゆる〈短編集〉。

 表紙は柔らかい。

 本好きがそうするように紙で本をくるんだ。

 新聞を使って。(印刷インキが滲んでしまうので)本を包むのには向いてないが、ほかに紙らしい紙もなかった。

 そうやって、読んだのだろう。

 というのも除隊後に、カバー背表紙の手がよく触れる部分に汚れ(早い話が〈バックグラウンドよりも数倍高い放射線〉)を発見したからだ。本だけ手元に残してカバーは捨てた。

──でも、チェルノブイリでは読書をする余裕などなかったはず! だから、この本を手に取って読んだというのは、今でも自分の思い違いのような気がしている。ガルシンを何度も貪るようにして読んだのはチェルノブイリから帰ってからのことだ……

 


☆1 (訳注)空きっ腹へのウォッカは体に悪い。  
★1 完全な作り話。
★2 フセーヴォロド・ガルシン(1855~1888年)。ハリコフ出身の作家・人文主義者。露土戦争に参加し、負傷する。「4日間」(4日間戦場に倒れたままの負傷兵の話)が有名。他には「出来事」「臆病者」「画家たち」「兵卒イワーノフの回想」、「赤い花」、「信号」がある。

セルゲイ・ミールヌイ

1959年生まれ。ハリコフ大学で物理化学を学ぶ。1986年夏、放射能斥候隊長として事故処理作業に参加した。その後、ブダペストの中央ヨーロッパ大学で環境学を学び、チェルノブイリの後遺症に関して学術的な研究を開始。さらに、自分の経験を広く伝えるため、創作を始めた。代表作にドキュメンタリー小説『事故処理作業員の日記 Живая сила: Дневник ликвидатора』、小説『チェルノブイリの喜劇 Чернобыльская комедия』、中篇『放射能はまだましだ Хуже радиации』など。Sergii Mirnyi名義で英語で出版しているものもある。チェルノブイリに関する啓蒙活動の一環として、旅行会社「チェルノブイリ・ツアー(Chernobyl-TOUR)」のツアープランニングを担当している。

保坂三四郎

1979年秋田県生まれ。ゲンロンのメルマガ『福島第一原発観光地化計画通信』『ゲンロン観光地化メルマガ』『ゲンロン観光通信』にてセルゲイ(セルヒイ)・ミールヌイ『チェルノブイリの勝者』の翻訳を連載。最近の関心は、プロパガンダの進化、歴史的記憶と政治態度、ハイブリッド・情報戦争、場末(辺境)のスナック等。
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