現実と抽象のはざまで、喘息になりながら(その1) 8月27日から11月30日 日付のあるノート、もしくは日記のようなもの(20)|田中功起

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webゲンロン 2025年12月10日配信

 娘がインフルエンザに罹り、どうも妻も罹患しているらしい。ということは、つまり、ぼくもインフルエンザかもしれない。そう考えると喉が痛い気もする。いや、そもそも喘息になってしまったから咳はよく出るし。いずれにしても、家族間でウイルスを閉め出すのはなかなか難しい。仮にぼくも罹患すれば、三人とも身体がしんどい中、病院につれていったり、食事を用意したり、洗濯をしたり、お互いをお互いでケアすることになる。なんだかコロナのころを思い出す。

 もっとも、5才の娘にどんなケアができるだろう、とあなたは思うかもしれない。いやいやどうして、言葉を巧みに使うようになった娘は、娘なりに把握したこの世界の中で、娘なりの方法でぼくらをケアしてくれる。

 最近は子どもたちの間で手紙を書くのが流行っているから、喘息になってしまったぼくを気遣って、「ぱぱへせきでたいへんなのにえほんおよんでくれてありがとう」といつの間にか覚えてしまったひらがなで書いてくれたりするのだ。

 

 ぼくが喘息になってしまった理由はこの夏の強行スケジュールだった。ノルウェーのベルゲン、中国の北京、そして、タイのバンコクと、数ヶ月の間にめまぐるしく移動をしながら展覧会をしてきたのだった。

 

 当初はベルゲンにも娘を連れていくつもりだった。ディズニー映画「アナと雪の女王」に出てくるアレンデールという架空の街は、ノルウェーのベルゲンや近辺のフィヨルドを参考にしてデザインされているとなにかで読んだからだ。きっと娘も喜ぶはず、と思っていたけど、乗り換えも含めて20時間ぐらいになる空路はさすがに5才にはきついだろうと断念した。

 

 ベルゲンはノルウェー第二の都市で、コンパクトな街と大自然が融合した観光都市だ。ヨーロッパの街のなかでもっとも雨が多いと言われているけど、確かにぼくが滞在している最中も雨が降ったりやんだりを繰り返していていた。オープニング・ウィークの間、行動を共にしていたのはサウンドを中心的な素材に扱うアーティストのスーザン・フィリップスだったけど、彼女はベルゲンが本拠地のノルウェージャンレインのコートをさっそく買っていた。

 

 ぼくが今回参加したベルゲン・アセンブリ(Bergen Assembly)の特徴のひとつは、通常の国際展のようにビエンナーレやトリエンナーレと呼ばれていないことだ。それはかつての博覧会をベースにして発展した「展覧会」ではなく、人々が集まる「アセンブリ」である。だからこそ、その企画者もキュレーターとは呼ばれない。代わりにコンビーナー(convener)と呼ばれる。コンビーナーは最近、よく聞くようになった名称で、集会や会議の開催者、その呼びかけ人といった意味だ。キュレーターやキュレーションと言うと、そこには連綿とつづく美術史的・展覧会史的な重みがくっついてくる。キュレーションをアカデミックに学ぶキュレトリアル・プラクティスという美術大学のコースがあるぐらい、「キュレーター」という名称には高等教育もプロフェッショナルな気負いも含まれるのだ。コンビーナーはその点、そうした重圧から解き放されて、まだまだ気楽な役回りとして機能しているように思う。ぼくも以前、e-fluxというオンライン・プラットフォームでコンビーナーをやったことがある。そこではプロフェッショナルなキュレーターの手つきよりも、荒削りでもより即効性のあるアイデアが重視されるように感じる。

 

 五回目となるベルゲン・アセンブリは「across, with, nearby(向こう側へ、共に、近くで)」をタイトルに掲げ、共に学び、お互いをケアすることをテーマに企画された★1。ポエトリー・リーディングや船を使った小旅行、そしてレクチャーやワークショップという通常ならば副次的に思われがちなサイド企画が、展覧会と同じか、むしろより重要なものとして位置づけられていた。ぼくはここで示された方法論の中に、この不安定な時代の中での、新しい企画のあり方、アートの提示の仕方を見たように思う。今回はそれを書いてみたい。

ワークショップが行われていたパレスチナのコミュニスト・ミュージアム

 コンビーナーはパレスチナ人の小説家のアダニヤ・シブリと環境アクティヴィストでキュレーターのラビ・アグラワル(Ravi Agarwal)、そしてベルゲン建築学校(BAS)の三者が担った。アダニヤさんとラビさんは、以前ベルリンの世界文化の家でのプロジェクトのときに会っている。特にアダニヤさんとのベルリンでの出会いはこの連載でも触れたことがある★2

 展覧会はクンストハーレとベルゲン建築学校を中心に、ホテルのバーや図書館、教会やテキスタイル美術館、そして船を含む、街中の多種多様な13のスペースで行われた。ラビさんが彼の専門である気候変動の問題をインドの土着的な神話と人新世をつなぐように扱っていたのに対して、アダニヤさんは詩的で抽象的な共生をめぐる物語とパレスチナの状況をつなぐラインを示していた。BASは、展覧会そのもの(すくなくともひとりのアーティストはBASによって呼ばれていた)やオープニングのイベント(BASの活動についてのレクチャーがあった)にも関わっていたが、むしろ会期より前から始められ会期後もつづく学校での特別プログラムをずっと走らせていた。

 

 余談になるが、一見したところ不法占拠されているかのような外観のBASは実際かなりアナーキーな建築学校で、教員にはアーティストも含まれ、学生たちと協働で学校の建物をリノベーションしつづけ、海に面した屋外スペースには自作のサウナまで設置していた。学生たちはサウナを利用するときに海を水風呂代わりに使っているそうだ(会期中には一般にもサウナが開放されていたが、咳が止まらないぼくはひとまず海に飛び込むのはやめておいた)。校舎は元々はセメントの貯蔵庫(サイロという筒状の空間)を譲り受けていて、自由にいじっていいようだった。

 

 ぼくはアダニヤさんのセクションに参加した。

 公式サイトを見ても、だれがだれに呼ばれて参加していたのかは明確に示されてはいない。しかし、彼女が声をかけたアーティストたちやその展示も、オープニング・ウィークのイベントの数々も、彼女は一つながりのものとして位置づけていたのは明らかだったと思う。そしてぼくがとても興味を持ったのもアダニヤさんの部分だった。それはぼくがこれまで見てきたビエンナーレ式の展覧会とは明らかに違うものだった。先取りして言ってみれば、それはどちらかというと文学者を集めたイベントやフェスティバル、カンファレンスに近い形式を採用していた。それによって展覧会とイベントのヒエラルキーはなくなり、より相補的な関係になっていたと思う。そしてぼくも参加している展覧会パートは、あとで詳しく述べるが、抽象度が高く、イベントには現実の政治状況が具体的に反映されていた。抽象的なものと具体的なもののバランスは、ぼくがアダニヤさんの小説『とるに足りない細部』★3を読んだときに受けた感覚にとても似ていた。小説は現実のパレスチナの状況を扱っているにもかかわらず、現実との距離があることで抽象度が高く、それでいてパレスチナが失ったものに対する感情を呼び起こし、それを読者にも共有するものだった。

 

 ベルゲン・アセンブリや『とるに足りない細部』について詳しく書く前にひとつだけ確認しておきたいことがある。

 それは、そもそものところ、現在のヨーロッパでパレスチナ人をキュレーターに据えたビエンナーレはめったにできない、ということだ。なぜだろうか。単純化して書けば、パレスチナを支援するということが結果的にイスラエル批判につながり、そのイスラエル批判が「反ユダヤ主義」であると糾弾される可能性があるからだ。例えばドイツにおいては「反ユダヤ主義」はヘイトクライムとして処罰される。

 

 イスラエル批判はなぜ「反ユダヤ主義」だと言われるのだろうか。

 政府間組織である国際ホロコースト記憶連盟(IHRA)の「反ユダヤ主義」の暫定的な定義(Working Definition)を見てみよう★4。そこでの「反ユダヤ主義」とは、例えば「イスラエル国家の存在を人種差別主義者の企てと主張することで、ユダヤの人々の自決権を否定すること」(Denying the Jewish people their right to self-determination, e.g., by claiming that the existence of a State of Israel is a racist endeavor.)」。あるいはこうしたものもある。「現在のイスラエルの政策をナチスの政策と比較すること(Drawing comparisons of contemporary Israeli policy to that of the Nazis.)」。そう、平たく言えば、イスラエル批判は反ユダヤ主義である、ということがここでは暫定的にせよ、定義づけられている。そしてヨーロッパの主要な国々(フランス、ドイツ、イギリス、イタリア、オランダ、スペイン、スイスなど)、そしてアメリカやカナダなどを含む45の国々がこの定義を採用している。

 

 イスラエルによるガザの虐殺の前で、ヨーロッパが主導し啓蒙してきた普遍主義(人道主義)は崩れ去っている。その意味では、アダニヤさんがコンビーナーであるというだけで、ベルゲン・アセンブリは政治的な意味を持っている。それ自体が大きなステートメントになっていると思う。ただ、ここで誤解しないでほしいのは、ベルゲン・アセンブリは決してそれを強調しない(示さずともそれは明らかなのかもしれないけど)。

 

 先に触れたように、アダニヤさんの展示セクションは、共に学び合うことや相互にケアするというテーマに関してのとても抽象的なものだった。スーザン・フィリップスは建築学校のコンクリートの貯蔵庫だった筒状のサイロ空間を利用し、17世紀の詩を使った7つの歌声を聴く作品を出していたし、ぼくが展示をしたのは「一台のピアノを五人のピアニストが弾く(最初の試み)」(2012年)を含む、ピアニスト同士、陶芸家同士や美容師同士がコラボレーションのプロセスを記録する映像だ。共生や協働をテーマにすえる作品たちは、ベルゲン・アセンブリ全体のテーマに呼応する形で編まれていたし、クンストハーレに展示されたGruppe 66という1960年代に活動したノルウェーのアーティスト・コレクティブのミニ回顧展も、同じようなものとして理解されるだろう。

 そうした展覧会のパートはどのように観客に見えていただろう。パレスチナ人による展覧会と聞いて訪ねてきた観客たちには肩透かしだったかもしれない。ではなぜ、この展覧会は抽象的である必要があったのだろう。

筆者の展示風景

 その問いに答える前にもう少しアダニヤさんの企画を見ていこう。

 会期中の継続的なワークショップの場として展開していた「パレスチナのコミュニスト・ミュージアム」とオープニング・ウィークのアダニヤさんによるいくつかのイベントは、展覧会の抽象性とはまったく異なっていた。

 パレスチナ生まれのアイリーン・アナスタス(Ayreen Anastas)やイランのルネ・ガブリ(Rene Gabri)らによって2018年から始められた「パレスチナのコミュニスト・ミュージアム」は、パレスチナの生活、それぞれの家の中にすでにさまざまな文化のアーカイブがあるという視点にたって、公的な美術館という制度そのものを脱構築するために提案されたものだった★5。1948年のイスラエル建国によって、パレスチナで起きたナクバ(大災厄)。ナクバとは内戦と第一次中東戦争によってさまざまな社会インフラが破壊され、多くのパレスチナ人が難民化した出来事だ。ナクバ以後、どのようにしてコミュニティは再建されるのか、どのようにして自分たちの文化を受け継ぐことができるのかが課題となった。だから、パレスチナにとって美術館制度を脱構築することは切実な問いだ。もちろんそれは「提案」という形のプロジェクトだから、実際に物理的な美術館があるわけではないし、名称も変更可能なものとして示される。フェミニスト・ミュージアムとか、脱植民地ミュージアムとか、土地本来のミュージアムといった具合に。ベルゲンでは、オスロを拠点に活動するTenthausというアーティスト・コレクティブがホストになり、Tenthausがプロジェクトで使っているコンテナがベルゲンに移設され、「パレスチナのコミュニスト・ミュージアム」として使われた。

 オープニング・ウィークでは、「コミュニスト・ミュージアム」の教育部門である「de-school」(ベルゲンではd-schoolと表記されている)が数々のイベントを行った。どのようにしてコミュニスト的な倫理を再利用し、相互ケアと学びの機会を作り出し、新しいコミュニティを想像することができるか。そこでは学ぶ方法そのものも大きな意味を持つ。ナクバによってパレスチナの教育インフラが破壊されたのち、第一次インティファーダという抵抗運動の最中に立ち上がった「ムジャワラ(Mujawarah)」★6という相互ラーニング・プログラムが、イベントのひとつとして行われた。

 ムジャワラを始めた数学者のMunir Fashehが招待され、自身の活動を紹介するレクチャーもあった。ムジャワラとは(ぼくの理解によれば)、言葉に内包される、権威主義的な、そして植民地主義的な意味を疑い、自分たちの言語として取り返すために、語り合いながらお互いに学んでいく方法だ。例えば「コミュニスト」、例えば「美術館」、例えば「パレスチナ」。ひとつひとつの言葉を語らいの中で解きほぐしていく。ぼくも少しの時間だけど、カフェで行われたムジャワラに参加してみた。参加者がいくつかの言葉を提案し、それにまつわるエピソードを話していく、という方法でその会のムジャワラは進行した。「Gathering(集まり)」の単語が選ばれ、参加者は、イランではたき火の周りに集まり、物語を語り合うことで暗闇の恐怖を克服するというエピソードを共有した。あるいは「ケア」についての話になり、ケアは女性がになっているものだと思われがちだが、私たちみなが乳幼児のときに親からのケアを経験したことがある、だからケアすることはだれでもできるはずだ、というような解釈が話されたりした。ムジャワラでは、話されたことの善し悪しを判断しない。だから語りの歩みはたどたどしいし、だれもそれがどこに向かっていくのかを知らない。お茶を飲み、時間をかけて話をし、話を聞く。言葉は連想ゲームのように展開し、エピソードがつけくわえられ、どこかに語りが落ち着く前にセッションは終わりになる。参加者は、おそらく帰り道で思考をつづけ、あるいは家に帰ってシャワーを浴びている中で思い出し、もしくは思いも寄らない日常生活の出会いの中でつながりを見つけ出す。ぼくがここでこうして遅れて書いているこれでさえもその一連のフローの中にある。

 ナクバ以後に紡がれてきた共同体をつなぎ止める語りの方法は、パレスチナを考えるために他者にも開かれている。そんなふうに感じた。

ムジャワラの様子

 同じくオープニング・ウィークには、「文学ボートEpos」と名付けられた船によるフィヨルド・ボート・ツアーが数回行われた。サーミ人のTrine Samuelsen Hansenらによるサウンド・パフォーマンスやパレスチナ人アーティストのIzz Al jabariのトーク、ネイティブ・アメリカン(ラコタ)の詩人 Layli Long Soldierによるポエトリー・リーディングなど、それぞれが置かれている現実の政治状況が反映されたさまざまな芸術実践が行われ、別の日には、停泊している船の中で、グアンタナモ刑務所に不当に収監されたMohamedou Ould Slahiによる日記文学の朗読も行われた。

 

 アダニヤさんのセクションは、言ってみれば、相互ケア、双方向的な学びのあり方の協働性が抽象化された展示パートと、現実に向き合うための芸術実践がさまざまな文学的手法によって展開するイベントの合わせ技だった。展覧会は抽象性に任せ、イベントは現実の政治に向き合う。「政治は現実の中にある。だから芸術では別のものが見たい」とアダニヤさんはぼくと会場を歩いている最中にそう言った、そのことがまさに体現された企画だった。これは昨今の現代アートの企画の真逆をいく方法論だとぼくは思う。

 現代アートと政治の関係で言えば、展覧会の中でさまざまなアーティストが政治的テーマを扱った作品たちを展示するというのがよく見られる方向性の一つだ。作品の政治的文脈が複雑なものは、展示キャプションを読むことで始めて理解される。そういう展覧会をぼくもたくさん見てきた。学びも多いけど、ときに展覧会そのものが教条主義的な、上から目線になりがちだという問題も指摘されてきた。イベントはおまけ程度にアーティスト・トークがついていたりするだけだ。でも、アダニヤさんの企画では、むしろイベントの方に政治性が託され、展覧会は抽象的だった。ポエトリー・リーディングや書籍の一部を朗読するなどの文学イベントのフォーマットで行われることで、観客にも親しみやすく、展覧会も抽象性があるため観客自身の生活や政治状況に接続しやすかったと思う。

 社会の政治状況とアートの抽象性をどう展覧会企画の中で扱うのかを考える上でとても示唆的な身振りだったと思う。いや、作品制作やプロジェクトをアーティストが行うにあたっても、とても参考になるバランスだった。

 

 ところで、実は、アダニヤさんには一度、ぼくのプロジェクトへの参加を断られたことがある。内容を読んでいつもならば、ぜひとも参加したいと伝えるところだけど、このプロジェクトは、私の友人に不当な行為をしたある施設と関係があるため参加できないと連絡があった。ぼくはそこで、厚かましくも、ならばあなたの不参加をこのプロジェクトの中で明示してもいいだろうかと聞いてみた。彼女からは、私はそうした施設/組織(institution)との議論をしたくないのです。私が、一番気にしているのは実際にパレスチナで起きている非人道的な行為によって傷ついている人々です、と返信があった。彼女にとって重要なのは現実であり、いわば制度的な議論(institutional debate)ではない、そうした空論には巻き込まれたくないとぼくに伝えてきたのだと思う。

 ベルゲン・アセンブリを通してぼくが経験した、現実(イベント)と抽象(展覧会)の関係がこのやりとりにもこだまする。

 

 最後に、小説『とるに足りない細部』についても。

 翻訳者の田浪亜央江の解説がわかりやすい★7。この小説は、「イスラエル建国によるパレスチナのナクバ[大災厄]のなかで起きた1949年8月のレイプ殺人事件を淡々と描く前半部と、その痕跡を辿ろうとする現代のパレスチナ人が一人称で語る後半部からなる中編小説だ」。余談にはなるが、この小説は、2023年、アフリカ、アジア、ラテンアメリカ、そしてアラブ諸国の女性作家を対象とするドイツのリベラトゥール賞を受賞した。しかし、2023年10月7日のハマスによるイスラエルへの攻撃が発端となって始まったイスラエル軍による報復が激化する中、主催団体であるリトプロム(ドイツ出版協会)がイスラエル支持を表明し、フランクフルト・ブックフェアで行なわれる予定だった授賞式を延期した。授賞式延期に対して、多くの文学関係者が抗議をした★8

 小説の前半は、三人称で、ひとりのイスラエル兵士の視点から宿営地であるネゲブ砂漠での日常のディティールが事細かに描かれる。主人公の将校は夜中に左太ももをヘビか何かに噛まれ、意識がもうろうとしつつも偵察も含むルーティーンをこなしていく。近隣で出会った遊牧民族であるベドウィンの少女を捕虜にし、宿営地の他の兵士たちの様子が変わっていくなかで、集団レイプを察したその将校は当初、状況を改善しようとするが結果として少女を殺害してしまう。ひとりの人物の感覚、その細部が顕微鏡のように拡大して描かれていく。むごい現実はある意味ではひどく茫漠とした砂漠のように抽象化される。

 小説の後半では、一人称で、この事件に興味を持った「私」が同僚の身分証(パレスチナ人は西岸地区内で移動できる範囲が限定されている)を使ってまでA地区からC地区へと越境する様子が、サスペンスとして描かれる。イスラエルの入植後は環境が一変しているためかつてのパレスチナの町も村もことごとくなくなってしまっているさまが道中に描写され、それらしい事件現場の宿営地も見つかるが、最後は悲劇的な結末を迎える。後半は抽象性を排して書かれていくから、読者は、「私」にとってもまったく経験したことのない、新しい土地としてのかつてのパレスチナの地を、「私」と共に移動することになる。

 この小説はまさにベルゲン・アセンブリのタイトルのように、後半の主人公と共に(with)向こう側へと越境すること(across)を近しい距離(nearby)で読者に経験させようとする。前半の将校のパートもそうかもしれない。読者はその将校と近しい距離(nearby)にいるからこそ、それは抽象的な感覚として描かれ、善悪の越境(across)はいつの間には起きてしまう。読者は共に(with)その目撃者となる。

 パレスチナの問題は複雑すぎてどこからどう理解していくのかが難しいと思うひとが多いだろう。ぼくもそう感じる。でもこの小説はひとつのきっかけになると思う。アダニヤさんの小説が持つ抽象性によってぼくたちはいつの間にか現実のパレスチナを考えはじめている。

 

 抽象性と現実感のバランス。普遍と個別具体性でもいいけど、そもそもアートはその双方をどう扱うのかの技術だったと思う。そして抽象的であることが政治的である契機もあると思う。ここでの考察は、ベルゲンのあと、咳込みながら向かった北京での展覧会と、そして結局、咳が治らずそのまま強行したバンコクでの展示での気づきへとつながっていく。抽象が政治であるという事態がまさにぼくにも訪れたのだ。それも、まったく予想もしなかったかたちで。(つづく)

 


★1 「Bergen Assembly 2025 – across, with, nearby」の公式サイト。
URL= https://2025.bergenassembly.no/en
★2 『ゲンロン14』、本連載第11回。 
★3 ちなみに河出書房新社ではAdania Shibliを「アダニーヤ・シブリー」と表記する。ただ、ぼくが彼女と話すときに名前を呼ぶ発音と表記がずれていると感じて、本人にも聞いてみた。そうすると彼女は「アダニヤ・シブリ」と音を延ばさずに発音した。もしかするとそれは彼女のアラビア語表記そのままの発音とは違って英語読みなのかもしれない。いずれにしても、この原稿では、今後、カタカナでの公式表記になっていくだろう「アダニーヤ・シブリー」ではなく、ぼくの友人に対する親密な表現として「アダニヤ・シブリ」と表記することにする。 
★4 政府間組織である国際ホロコースト記憶連盟(IHRA)によって2016年に採択された「Working definition of antisemitism」(暫定的な反ユダヤ主義の定義)。
URL= https://holocaustremembrance.com/resources/working-definition-antisemitism 
★5 パレスチナのコミュニスト・ミュージアム。
URL= https://communistmuseum.org/ 
★6 ムジャワラ内での語らいそのものが、できるかぎり権威的な定義づけを回避しようとして進むため、「ムジャワラ」そのものを定義づけることは難しい。でも以下のムニールさんによる説明が一番わかりやすい。権威を持たないこと、上下関係を作らないこと、共に学ぶこと、そのあり方そのものが「ムジャワラ」だと思う。
「Simply put, a mujaawarah is a group of people who want and decide to be together, with no authority within the group and no authority from outside.(簡単に言えば、ムジャワラとは共にいようと決めた人々の、上下関係のないグループのことだ)」
Munir Fasheh, “Mujaawarah (neighboring… sort of) as manifested in my life”, August 23, 2021.
URL= https://newalphabetschool.hkw.de/mujaawarah-neighboring-sort-of-as-manifested-in-my-life/index.html 
★7 「現代パレスチナ文学の旗手、アダニーヤ・シブリーの小説刊行記念 エッセー「かつて怪物はとても親切だった」(田浪亜央江訳)特別公開」、「Web河出」、2024年8月26日。
URL= https://web.kawade.co.jp/column/99516/ 
★8 「Palestinian voices ‘shut down’ at Frankfurt Book Fair, say authors」、The Guardian、2023年10月15日。
URL= https://www.theguardian.com/world/2023/oct/15/palestinian-voices-shut-down-at-frankfurt-book-fair-say-authors また、ベルゲン・アセンブリについての以下のレビューも参考になった。
URL= https://www.sitezones.net/reviews/a-grammatic-escape-learning-to-speak-again#_ftn6

田中功起

1975年生まれ。アーティスト。主に参加した展覧会にあいちトリエンナーレ(2019)、ミュンスター彫刻プロジェクト(2017)、ヴェネチア・ビエンナーレ(2017)など。2015年にドイツ銀行によるアーティスト・オブ・ザ・イヤー、2013年に参加したヴェネチア・ビエンナーレでは日本館が特別表彰を受ける。主な著作、作品集に『Vulnerable Histories (An Archive)』(JRP | Ringier、2018年)、『Precarious Practice』(Hatje Cantz、2015年)、『必然的にばらばらなものが生まれてくる』(武蔵野美術大学出版局、2014年)など。 写真=題府基之
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