日付のあるノート、もしくは日記のようなもの(14) 紛失したスーツケース、物質的変化、キッズスペース──7月16日から9月5日|田中功起
初出:2022年9月12日刊行『ゲンロンβ76+77』
2020年2月、ぼくはベルリンにいた。
ベルリン国際映画祭フォーラム・エクスパンデッド部門での『抽象・家族』のプレミア上映に参加するためだ。上映が終わり空港へ向かう車のなか、映画祭専属のドライバーにぼくはこう言った。いまはまだ局所的だけど、このコロナはパンデミックになるかもね。ドライバーは笑っていた。ベルリンのドラッグストアではまだマスクも売っていなかった。2年後の2022年7月、ぼくは再びベルリンに行くことになった。世界文化の家(HKW)という文化施設でのプロジェクトの打ち合わせのためだ。
この連載でも書いたけど(たぶん?)、この2年間、海外での展示はすべてリモートで行った。少し無理すれば現地に行くこともできただろう。でも子どもへの感染リスクはできるかぎり避けたかった。
ベルリン国際映画祭フォーラム・エクスパンデッド部門での『抽象・家族』のプレミア上映に参加するためだ。上映が終わり空港へ向かう車のなか、映画祭専属のドライバーにぼくはこう言った。いまはまだ局所的だけど、このコロナはパンデミックになるかもね。ドライバーは笑っていた。ベルリンのドラッグストアではまだマスクも売っていなかった。2年後の2022年7月、ぼくは再びベルリンに行くことになった。世界文化の家(HKW)という文化施設でのプロジェクトの打ち合わせのためだ。
この連載でも書いたけど(たぶん?)、この2年間、海外での展示はすべてリモートで行った。少し無理すれば現地に行くこともできただろう。でも子どもへの感染リスクはできるかぎり避けたかった。
久しぶりの関西国際空港は驚くほど閑散としていた。ビームスとかユニクロとか、ゲートを入る前にふらふら見ていたお店は「改装中」らしく、閉まっていた。土産店やドラッグ・ストア、サンマルク・カフェがかろうじて開いている。パスポート・コントロールを抜けると、グッチやシャネルなどのハイブランドの店はシャッターを下ろし、人通りもなく、通路は暗い。朝食を食べようと思って飲食店を探すけど、ホットドックを出すカフェしかやっていない。店員ひとりでオペレーション。客もぼく以外にいない。
人類の黄昏、その終焉の時代に世界を移動すると、こんな雰囲気なのかもしれない、と思う。
アムステルダム経由ベルリン行き。機内はほとんどひとがいなく、ダウンロードしてきた『ラヴクラフトカントリー』をのんびり一気見できるなと思っていた。そしてアナウンス。ソウル、インチョン国際空港まで一時間半で到着します。あれ、乗る飛行機を間違ったかな、と思っていると、インチョン空港で一度外に出て、同じ飛行機に再搭乗するらしい。
ここから、人類終焉の雰囲気は、真逆のポストコロナの活況へと変化する。
インチョンで韓国や中国からの旅客を集めた機内は満席だった。同じ飛行機とは思えないほど。到着したアムステルダムのスキポール空港は以前にも増して混み合っていて、多くがマスクをしていなかった。ドイツの各空港ではKN95のマスクが必須です、と関空職員に聞いたので購入していたが、ほんとうに必要だろうか。実際、ベルリンに到着すると、半々ぐらいしかそのマスクをしていなかった。ぜんぜん厳密じゃない。。
市内への電車移動の前にスパークリング・ウォーターが飲みたいと思い、スーパーマーケットを探す。スーパー、REWEの文字が見える。なんだか懐かしい。やっと戻ってきた、という感覚がある。
HKWからの招待は、キュレーターのアンセルム・フランケがヘッドを務める「ビジュアル・アーツとフィルム」部門からではなく、意外にも「文学と人文学」部門からのものだった。カトリン・クリンガンをヘッドに、過去10年間、人新世についてのプログラムを継続して行ってきたチームだ[★1]。ぼくが誘われたのはその最後のイベント「Where is the Planetary?」の企画に関わるというもの。居住性をめぐる五つの問いから世界把握のための実験的なモデルを制作するというプログラムで、その全体の構成、問いへのアプローチの仕方、実現に向けた方法論、イベント当日の空間デザインまで一緒に行ってほしいということだった。いわばアーティスティック・ディレクター的な立場である。方法論のベースとなるのは2017年にミュンスター彫刻プロジェクトで発表したワークショップを記録した映像作品。カトリン含めて、現地でそれを見たことが今回の依頼のきっかけだったようだ。
人新世と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろう。基本的な考え方はこうだ。人間の存在によってこの惑星が変化しており(例えば気候変動とか)、新しい地質年代に入っているという仮説だ。HKWのプロジェクトはその地質変化のマーカー探しを行っている世界中のグループを繋ぎ、さらに研究者や科学者、アーティストなどを含むカルチュラル・プラクティショナーをまとめあげ、人新世という想像力によって、いま起きている惑星規模での変化を探るということ。地質変化に始まって、グローバルなマテリアルの流通、人の移動、それらに伴う文化の変化も見据え、この世界とは何なのかを再考する。地質学者やアーティストだけでなく、食物の流通史と文化への影響についての研究者や、キュレーターでなおかつ政治学の専門家、あるいは心理カウンセラーなども含まれる。いわば人新世をめぐる領域横断的な知を生産し、広く共有しようという試みだ。
10月にそのイベントが行われるので、そのころに詳しい内容は改めて書くとして、今回は、HKWのチームが設定した5つの問いからひとつだけ触れてみたい。
「どんな惑星的なダメージなら修復が可能だろうか? What planetary damage can be repaired?」
人新世という考え方は環境問題を考える上で大きな視点を提供する。
つまりこうだ。人間社会が大量に放出する二酸化炭素や放射性物質、プラスチックなどによって惑星規模の変化が起きている。「惑星の変化」ととらえることで、公害や環境問題という、それまでいわば企業や国家(制度)という個別のローカルな問題であったものを、惑星規模での問題へと転換してグローバルな連帯へと拡張することができる。個別の環境問題を繋ぐ視点の転換。これは大きな、象徴的な意味を持つと言える。
でも他方、人新世は人間中心主義的でもある。
あくまで人類が住む惑星という基準に立ち、その惑星の気候がひとの住みにくいものに変化している、と警鐘を鳴らすならば、先の問いにあるように、この惑星のダメージを修復しなければならないという結論にいたるだろう(二酸化炭素排出を減らすために飛行機を使わない、と主張をするアーティストもいる)。しかし物質そのものの観点から見れば、惑星の変化は、ひとつのマテリアルの状態から別のマテリアルの状態への変化と、少し醒めたところからとらえることもできるだろう。マテリアルの生々流転。人間存在はその長い経過のなかでわずかな作用を及ぼす存在でしかない。居住性のあるなしにかかわらずこの惑星は存続する、と。いやでもぼくはポストヒューマン的な視点に立って、気候変動の問題を矮小化したいわけではない。
むしろ人間という位置からこそ考えてみたいと思っている。
人間であるということは、周囲の環境に影響を与え、同時に影響を受け取り、その相互作用によって何かを生み出し作り出す行為そのものであると思うからだ[★2]。
HKWのチームとやりとりをしていると自分がいままで置き去りにしてきたさまざまな問題に気づかされる。例えばこんな問いが投げかけられる。
映像製作とはどういう意味があるのか。
フィルムとは何か。
ひとの行動の構造をどうとらえているか。
ぼくの実践におけるいままでの映像製作は、ワークショップや対話を記録し、閉じられた親密な空間を公共空間へと開いていくことを目的にしていた。とはいえそれは単なる記録映像ではなく、編集を通して現実を新たに再配置するものだ。その再配置された現実/映像が観客へと手渡される。
今回のイベントも、いつもと同じく撮影クルーを入れて行うけれども(撮影を担当するのはフェミニスト・フィルム・コレクティブのTINTだ)、実は、映像をつくるのが第一目的ではない。イベントそのものに映像製作という状況がレイヤーとして追加されていると言えばいいだろうか。参加者たちを映像製作という非日常的な空間に招き入れ、カメラ・アイとブーム・マイクによって、語りのルーティーンを逃れるためのきっかけを提供しようとしている。とくに今回の参加者は専門家たちばかり。長年培われてきた語りのスタイルを少しでもずらせたらと思っている。
撮影された素材を使って、イベントのあとに1本の映画にしたいと提案した。カトリンからはこのような問いが投げかけられた。映像製作の状況がイベントでの語りの慣習を越えるために使われているのだとすれば、そこで役割を終えている。なぜその素材をあとから映画にする必要があるのか。
この問いが生じた理由のひとつは、HKWのチームはこのイベントを最後にして役割を終え、解散するからだ。だからこの映像素材を、例えば1本の映画としてまとめるかどうかは、ぼくに任されている。
ぼくはこのように説明した。
人間は他の生き物と違って文化を持つ。つまり何かを作り出す。人間であることはそうした作ることの実践そのものである(とここまでは先に書いたようにHKWのチームから教えてもらった人新世に関わる考え方だ)。身の回りにあるものは人間の行為の痕跡として理解される。一方、映像は行為のプロセスを記録するのに適したメディアだ。少し引いた視点に立てば、映像は人間の活動を記録している、と言うことができる。ならば、いま存在するあらゆる映像を(YouTubeも映画もスマホの映像もすべて)、未来の考古学者によって検証される可能性のあるアーカイヴとしてとらえることはできないだろうか。すべての映像記録を人類の記録として。つまり人類絶滅後の未来、大量の映像記録はひとを理解するための資料になるはずだ。今回のイベント、そこで語られることも、行われる行為も、そうした人間の活動アーカイヴのひとつになるだろうと。その意味で、人間存在の(まさに人新世の)マーカーのひとつとしてこの映画は制作される、と。
朝10時から午後5時、ときには午後7時ぐらいまで複数のミーティングを行い、くたくたになってホテルに戻る、という1週間を過ごした。
帰国日、ベルリンからアムステルダムに飛び、そこで乗り換えて関空のはずが、関空行きの帰国便がキャンセルになってしまった。フライトが15時間後のルフトハンザに振り替えられたと、KLMのアプリが教えてくれる。さすがに空港で過ごせないので、付近のホテルで1泊することにした。航空会社職員から、荷物は受け取らなくていいと言われ、ホテルで過ごした翌朝、フランクフルト経由で羽田までの移動。問題ないフライトだった。
羽田で荷物を受け取ろうとすると、どうやらどこかでロストしたようだった。ヨーロッパの空港はいまとくに混乱しているから荷物がなくなりやすいよ、と友人から聞いていたけど、ほんとうにそうなってしまった。
荷物がロストするのは何年ぶりだろう。以前、ローマ着便で荷物がなくなったとき、航空会社に問い合わせるとローマには別便で到着している。しかし見つからないと言われ、納得できず、直接空港へ確かめに行ったことがある。ロストしたたくさんのスーツケースの山が倉庫にあって、そこからなんとか自分の荷物を見つけ出した。でも今回はついになくなってしまうのかもしれない。いま思えばアライアンスが違う航空会社へと振り替えになったのだから(バッグのタグ番号が引き継がれないらしい)、交渉してアムステルダムの空港で荷物を受け取ればよかったのだ、15時間もあったのだから。危機管理能力が落ちている。
日本ではANAが対応してくれた。
自宅に帰って翌日、ぼくの荷物はなぜかJAL便でパリ経由で日本に向かっているという。よかったと思う間もなく、また連絡が入る。今度はそのパリの空港で再度、荷物がロストしたらしい。
ところで、帰国前に時間があったので、1泊して、カッセルで行われているドクメンタ15を見に行った。
ドクメンタ15については、書くべきことが多いから(炎上している反ユダヤ主義問題はなかなか複雑)、ロストした荷物が戻ってきたら改めて書こうと思っている。そのなかにドクメンタのガイドブックやマップも入っているからだ。
でもひとつだけ先に書いておきたい。
ドクメンタのメイン会場であるフリデリチアヌムは、そこがどのように使われるかで、キュレーション全体の方向性が見えてくる場所である。
2012年のドクメンタ13ではライアン・ガンダーの風だけが吹き抜けていく何もない空間のなかに、カイ・アルソフ(Kai Althoff)からキュレーターのキャロライン・クリストフ゠バカルギエフに宛てたお断りの手紙が展示されていた。仕事が忙しすぎて生活がままならない、いまは生活が大事だから残念だけど参加できない、というのが大意である。この風と不参加による不在の展示によって、回り道や撤退など、ある意味では弱さに関係する複数のキーワードを全体にちりばめるバカルギエフの方向性が見えてくる。その5年後のドクメンタ14ではギリシャ国立現代美術館のコレクション展が開催されていた。「アテネから学ぶ」というテーマをまさに反映している。
さて今回はどうだろうか。
かつてライアン・ガンダーの風が流れていた大きな空間は(1階の展示会場の左側のすべて)キッズ・スペースになっていた。仮設の滑り台や壁に落書きができる場所、ワークショップ・ルーム、その奥には0歳から3歳児のための育児スペースがあり(裏口から入ることもできる)、育児関連図書や、日用品を組み合わせたおもちゃ、発達段階に合わせて子どもがどのような行動を取るのかを記録した写真(ハンガリーの写真家、マリアン・リースマン Marian Reismannによるもの)や映像が展示されている。親にとっても学びのある空間だ。手前のキッズ・スペースはドクメンタ側と地元アーティストなどによるグループRURUKIDSが運営し、奥の育児スペース「パブリック・デイケア」をブラジルのアーティスト、グラジエラ・クンチ(Graziela Kunsch)が企画している。手前のキッズ・スペースがカオスなのに反して、奥の育児スペースは整然としている。この「パブリック・デイケア」は展示空間というレイヤーと育児空間というレイヤーが同じ場所に密接に重なりあっているように感じられた。調べてみると、育児スペースはハンガリーの小児科医エミ・ピクラー(Emmi Pikler)による教育学的アプローチをベースに構想されており、空間構成は地元の土木技師とクンチの共同で作られている。ピッカーの教育学的アプローチを記録するリースマンの写真があちこちに展示され、クンチ自身による子どもの発達段階についての映像もある。それは、いわゆる通常の展示のフォーマットに則って小さなブラックボックスにプロジェクションされていた。10時から17時までは親と子どもだけで過ごすための場所として運営され、18時以降は一般の観客も自由になかを見て回れる。展示と育児が空間内に同居しているさまはなかなか新鮮だった。ドクメンタの歴史を見渡しても、今回ほど子どものための空間と通常の展覧会の空間が混在しているものはないかもしれない。ところどころに設けられた休憩スペースやカフェ、子ども目線で低めに展示されている空間も多くあり、そのシームレスな空間構成が全体を覆っている。ドクメンタ13での不参加の手紙と風だけが流れていた不在の展示空間は、ある意味では現代美術というゲーム内での、ちょっと変わったアプローチでしかなかった。アルソフによるアートよりも生活を取るという手紙も、結局はぼくの人生と関係がなかった。でも今回の、育児行為と芸術実践が融合したかたちで満たされたメイン会場は、生活と実践が地続きだ。生活と同時にアートがある。そう書いているうちに、なんとロストした荷物が戻ってきた。
ロストした自分の荷物について書きながら、荷物をロストした友人の話を思い出していた。
たまたまベルリンに着いたよ、とWeChatに連絡が入り、ぼくが所属するビタミン・クリエイティブ・スペースを運営するザン・ウェイとフー・ファンの2人に久しぶりに再会した。2人とも広州からヨーロッパに2年ぶりに来ていて、入国制限が緩まるまで旅程を延ばしてヨーロッパをめぐっていると言っていた(中国では少し前まで3週間の隔離期間だったけど、いまは1週間らしい)。コロナを生き延びたね、って具合でハグをする。
2人は鉄道で移動していたけど、ヨーロッパの鉄道網も飛行機と同じくいまかなり混乱している。キャンセルや遅延が多く、乗り換え時間が短い場合は乗り過ごしてしまう。ぼくもカッセルからベルリンへの復路電車がキャンセルになった。
2人はパリから電車のさまざまなキャンセルや遅延をへて、疲労困憊して深夜のベルリン中央駅に到着した。1日休んだあとで、ぼくがベルリンにいることを知っていたので連絡をくれた。
ザン・ウェイはこんなエピソードを話してくれた。
深夜のベルリン中央駅はタクシーに乗ろうとするひとたちで混雑していて、疲れていたけどなかなかタクシーに乗ることはできなかった。やっとタクシー獲得に奔走する人びとの波が収まり、タクシーをつかまえホテルに向かうことができた。しかしホテルに到着するとひとつだけスーツケースがないことに気づく。疲れすぎていて、うっかり駅に忘れてきたらしい。急いでタクシーで引き返したけど、スーツケースはなくなっていたという。
当初ザン・ウェイはなくなった荷物を悔やみ、なぜ気をつけてくれなかったかとフー・ファンを責めたらしい。でもしばらくホテルで落ち着いたあと、見方を変えてみたという。
深夜の駅に残されたスーツケースはきっと誰かが持っていってしまっただろう。そうだろうと思う。そしてここからはあくまでも可能性、でしかないけど、持っていった誰かはそのなかに入っていた私の洋服やその他もろもろの日用品を使うかもしれない。あるいは別の誰か、それを必要としている誰かに分け与えるかもしれない。おそらく多くの場合、それはその駅周辺にいたホームレスの人びとだろう。何か使えるものは入っていたはずだ。そうやって紛失したものは誰かの生活のなかへと溶け込んでいく。そう想像すると少しだけ気持ちが安らぐ。
それでもひとつだけ気がかりなのは、友人からもらった陶器。その友人に言えばまた何か作ってくれるかもしれない。でもそれはたったひとつのもの。私はとても気に入っていた。でもね、功起、それも、きっと同じく誰かが使うかもしれない。そのひとの生活のなかへと溶け込んでいくかもしれない。そして、ここからは可能性ということでしかないけど……。例えば私たちはミュージアムで何気ない器を見ることがあるよね。古い年代のもので作者の名前は忘れられてしまっている。それでもその器は展示されていたりする。誰かが使っていた日用品がその時代を象徴するものとして展示されていることがある。使われることでその器は生き延びるかもしれない。そう想像することもできる。
そう、遠い未来、人間の活動を記録保存するミュージアムに、ここでなくなったあの器が行き着くかもしれない。
もちろん状況は何も変わっていない。でも視点の転換によって状況を見る目が変わる。感情が変わる。紛失から誰かの使用の可能性へ、そうやって大切に使われることでそれがどこかに残っていく可能性へ。そして、それは人間の活動を保存する未来のミュージアムのなかへ。
ドクメンタだってそうだ。生活空間を展覧会に持ち込むことは、美術史上、多くのアーティストによって行われてきたけど、それは結局表層的なやり方でしかなかった。生活もアートでしょって言われても、ぼくらには関係なかった。むしろ育児とアートがレイヤーとして重なりあって等価にあることの方がよほど難しい。双方の視点を持つことで、2つのレイヤーの重なりを同時に経験する。
ぼくたちは想像力によって状況への視点を転換し、視点の獲得によって複数の層を制作できるかもしれない。この世界が酷いものだとしても、人間はそうやってなんとかやっていくことができる。
次回は2022年12月配信の『ゲンロンβ79』に掲載予定です。
★1 “Where is the planetary?” Haus der Kulturen der Welt. URL= https://www.hkw.de/en/programm/projekte/2022/where_is_the_planetary/start.php
★2 Sylvia Wynter and Katherine McKittrick. “Unparalleled Catastrophe for Our Species?.” Sylvia Wynter: On Being Human as Praxis, edited by Katherine McKittrick, Duke University Press, 2015, pp. 9-89.
田中功起
1975年生まれ。アーティスト。主に参加した展覧会にあいちトリエンナーレ(2019)、ミュンスター彫刻プロジェクト(2017)、ヴェネチア・ビエンナーレ(2017)など。2015年にドイツ銀行によるアーティスト・オブ・ザ・イヤー、2013年に参加したヴェネチア・ビエンナーレでは日本館が特別表彰を受ける。主な著作、作品集に『Vulnerable Histories (An Archive)』(JRP | Ringier、2018年)、『Precarious Practice』(Hatje Cantz、2015年)、『必然的にばらばらなものが生まれてくる』(武蔵野美術大学出版局、2014年)など。 写真=題府基之
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