日付のあるノート、もしくは日記のようなもの(13) 手放すこと──5月10日から6月23日|田中功起
初出:2022年6月24日刊行『ゲンロンβ74』
生きることは、自分にできないことを手放し「まあ仕方ないか」と受け入れていくプロセスなんだと思う。
滑り台が好きでそれを何度も滑りたいとしても、家に帰る時間はいずれやってくる。ぼくは自分が子どものころのことをあまり覚えていないけど、無性にだだをこねて地面を転がっていたことは覚えている。もちろんそうしても何も解決しないことは分かっていた。それでも、できないということを受け入れるために少し時間が必要だったんだと思う。
娘も延々と滑り台をくり返す。帰る時間になっても、もう1回と指を立て、結局、何度も滑る。それでもぼくが時間をかけて説得すると、最後には仕方ないと状況を受け入れる。状況を受け入れたあとは自分から電動アシスト自転車の方に走っていき「いぶんで(自分で)」と言いながら、後ろ側に取り付けてあるチャイルド・シートによじ登ろうとする。状況の受け入れは一見受け身に思えるかもしれない。でも彼女は「受け入れ」として消極的に対応するのではなく、できないことを「手放す」という積極的な行動へと変換している。消極性と積極性が入り交じる不思議な行為がそこにはある。
滑り台が好きでそれを何度も滑りたいとしても、家に帰る時間はいずれやってくる。ぼくは自分が子どものころのことをあまり覚えていないけど、無性にだだをこねて地面を転がっていたことは覚えている。もちろんそうしても何も解決しないことは分かっていた。それでも、できないということを受け入れるために少し時間が必要だったんだと思う。
娘も延々と滑り台をくり返す。帰る時間になっても、もう1回と指を立て、結局、何度も滑る。それでもぼくが時間をかけて説得すると、最後には仕方ないと状況を受け入れる。状況を受け入れたあとは自分から電動アシスト自転車の方に走っていき「いぶんで(自分で)」と言いながら、後ろ側に取り付けてあるチャイルド・シートによじ登ろうとする。状況の受け入れは一見受け身に思えるかもしれない。でも彼女は「受け入れ」として消極的に対応するのではなく、できないことを「手放す」という積極的な行動へと変換している。消極性と積極性が入り交じる不思議な行為がそこにはある。
実は今回は、ウクライナ侵攻についてグローバリズムとナショナリズムの関係からまとめるつもりだった。参考になるのは東浩紀さんの議論、『ゲンロン0 観光客の哲学』[★1]で描かれている両者の関係だ。グローバリズムが世界を開いていくとすれば、ナショナリズムは世界を閉ざしていく。どうしてこの対立する2つの考え方が同時に世界を覆うのか。東さんは二層構造にしてとらえる。グローバリズムを論理的な帰結、つまり理性、そしてナショナリズムを感情的な帰結、つまり欲望にわけ、頭で分かっていても欲望が暴走する「人間」のアナロジーとして「世界」をとらえる。
ロシアは、近代主義の帰結であるグローバリズムを「西側」による価値観の押しつけととらえ、虚構としての帝国主義的価値観を自らのナショナリズムとして召喚する。ウクライナは、ポリティカル・コレクトネスというグローバルな価値観に訴えることで世界的な支持を獲得し、ユーロマイダンなどによって養われたナショナル・アイデンティティを推し進める。世界の二層構造はこのウクライナ情勢にもそのように適応できると思った。
でも、もっと気になることがある。
戦争から遠く離れたこの日本では、もはや緊急性を失って、そのニュースが日常のなかに埋没しているように見える。戦争のショッキングなイメージやニュースを追いつづけることは精神的にきつい。そう感じるひとも多かったと思う。非日常の連続から身を引かなければ「いまここ」での生活をつづけることはできない。ものごとへの関心はそうやって遠のいていくものだ。
先日、「ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術」[★2]という展覧会を見た。久しぶりに見る展覧会にこれを選んだのには理由がある。社会的なもの、あるいは政治的なものから距離のある作品たちは、疫病(コロナ禍)と戦争(ウクライナ情勢)下でどう見えるのかと気になっていたからだ。
いわゆるコンセプチュアル・アートというのは論理的な展開だけで成り立つ、言ってみればその論理さえ整っていれば誰であっても原理的にはつくることができるアートを指す。例えば、指示書があればどこであっても再現可能な幾何学的なドローイングであったり、工業製品の組み合わせ(例えば鉄板とか)の立体物であったり、その日の日付を描く絵画であったり。通例の解釈でいけば、そこにはアーティストの出自や感情とは無関係に作品の論理だけがある。
ところが、あたり前だけれども、60年前のアート作品の制作はその60年前の環境に依拠していた。例えばインターネット以前にはどうやって展覧会の依頼は行われていたのか。ドイツにあるギャラリーでの展覧会をアメリカにいるアーティストに依頼する場合、当然それは手紙と電話のやりとりになる。この「ミニマル/コンセプチュアル」展には多くの手紙のやりとりが作品とともに展示されている。それも手書きである。手書きの文字にはそのひとの個性が表れる。あなたが手書きで手紙を書いたのはいつだろうか。
当時、画期的だったのは、費用節約のために、作品を輸送する代わりにアーティスト本人を現地に呼んで制作を頼んだ点だ。コンセプチュアル・アートは素材に縛られないからこそ、それが可能である。脱スキル化し、思考を中心に据えることで、アトリエでの制作からアーティストを解放したとも言える。もしくは別の経済の仕組みを開発したとも言える。多額の輸送費用はアーティストの旅費と地産地消の素材調達費へと変わった。
この展覧会には手紙だけでなく、作品設置、あるいは作品制作のための厳密な指示書も展示されていた。厳密といっても、定規を使って描かれたものや手書きの文字が並ぶもの。作品がひとの手を離れた工業製品のような見えを目指すのに、指示書には意外にも人間的な味がある。いまのPC環境で整えられた仕様書と比べるとむしろ暖かみすら感じる。
田中功起
1975年生まれ。アーティスト。主に参加した展覧会にあいちトリエンナーレ(2019)、ミュンスター彫刻プロジェクト(2017)、ヴェネチア・ビエンナーレ(2017)など。2015年にドイツ銀行によるアーティスト・オブ・ザ・イヤー、2013年に参加したヴェネチア・ビエンナーレでは日本館が特別表彰を受ける。主な著作、作品集に『Vulnerable Histories (An Archive)』(JRP | Ringier、2018年)、『Precarious Practice』(Hatje Cantz、2015年)、『必然的にばらばらなものが生まれてくる』(武蔵野美術大学出版局、2014年)など。 写真=題府基之
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