親密さについて──9月5日から4月2日 日付のあるノート、もしくは日記のようなもの(19)|田中功起

保育園の運動会があった。
子どもの運動会って、あたり前だけれども、知らない子たちが走っているのを見てもとくに面白くないだろう。スポーツにそもそも興味がないぼくは、マラソンや駅伝やオリンピックを見ても同様に反応してしまう。知らないひとたちがひたすら体を動かしている姿の、どこが面白いのだろうと。
いやいや、でも自分の娘が出ている運動会は違った。
障害物競走を見ながら、あんな高いところにも登れるようになった。ジャンプもできた。鉄棒で足抜き回りができる。走るのが速い。そうやって娘の成長する姿を目の当たりにする。そうか、保育園の運動会は、競技(?)を見るのではなく、子どもの成長を見るための場所だったんだ。運動会をそのように見るなんて、親にならないとわからないよなあ。ぼくの親もそうやってぼくの走りを見ていたのか。
今年の年長さんには見知った顔の子たちが多い。娘とよく遊んでくれる子たちがたくさんいる。運動会の最後は年長クラスのリレーがあって、子どもたちが次々にグラウンドを走る。懸命に走る子どもたちを見て、親たちはとにかく盛り上がる。「○○ちゃん、がんばれーがんばれー」。ふとまわりを見ると、妻やママ友、パパ友たちがみな号泣している。年長クラスは保育園での最後の運動会なので、自分の子どもが走っているのを見る親たちは、感極まって涙が込み上げるのも当然だろう。これまでの保育園生活が走馬灯のように想起されているのかもしれない。でも、そうじゃない年中、年小クラスの親たちも泣いている。ぼくもつられて涙が出る。なんなんだこの感覚は。誰かの子どもが颯爽と走る姿に、とにかく心を動かされている。
子どもたちの過去を知っているからこそ、ぼくらは成長に涙している。あるいは、こう分析できるかもしれない。他人の子どもの成長に自分の子どもの未来を見出して、成長を先取りし、その予見のなかで感動している、と。いわば、ほかの親の立場に自分を重ね合わせ、誰かの感動を自分の感動として演じ直している、なんていえるかもしれない。
相手の立場に立って考えなさい、って小学生でもよくいわれそうなことだ。でも、なかなか実際は難しい。実は運動会は、それを素直に実行できる場なのかもしれない。他人の立場になって感動する。
他人の立場を演じる。立場を交換する。そんな演劇作品を見た。
会話劇『リリース』(作・出演:FUFUNI)はラッパーのFUNIさんと劇作家の浜辺ふうさんによる、お互いの立場を演じながら語り、ラップする、レクチャー・パフォーマンスのような演劇である[★1]。川崎という在日コリアンの集住地域で育ったFUNIさんと、京都の東九条という在日コリアンの集住地域で育った浜辺さんが、それぞれに抱える自分の心情を言葉にし、それをラップのリリックとしてやりとりする往復書簡ならぬ、往復ラップ。例えば浜辺さんが日本人として在日コリアンの文化のなかで育ったときの葛藤をFUNIさんがラップとして演じ直す。日本と朝鮮の文化、それぞれに同等に接してきたからこその文化的引き裂かれ。そのもやもや感のリリック。あるいはFUNIさんが韓国を訪ねたときの違和感エピソードを浜辺さんがFUNIさんとして演じる。親はコリアンの文化を大切にというけれど、韓国では在日コリアンは日本人として見られるという、こちらももやもや感。そして在日コリアンも個々人でばらばらで多様だというあたり前の事実についてもラップが展開する。
基本的に自分のことを語るのがラップで、演劇は誰かを演じるもの。ラップと演劇の手法的違いも『リリース』では重要な要素だ。この会話劇では、ラップと演劇の交換と、主人公たちのお互いの立場の交換がパラレルになっている。相手の立場に立つ。それを実際に舞台でやってみることで、見えてくるものは大いにあると思った。単に誰かを理解するのとは違う。誰かの葛藤を、もやもやをそのひとになりきって演じ、言葉にする。代わりに発露させる。自分が相手になりかわることで、相手の言葉と感情を解放する。それは理解するという神妙さとは別の、なんだかとても親密なやりとりに思えた。立場の交換と親密さの共有、そんな演劇の体験。
ぼくはこの2人のやりとりを見ながら、本編とはまったく関係ないところで感情が動いた。それは、浜辺さんの文化的な葛藤に、ぼくの娘の未来の葛藤を見てしまったからだ。実は娘が通う保育園は浜辺さんがかつて通っていた保育園と同じ。だからぼくは、浜辺さんの現在と娘の未来を勝手に交差させ、なぞの親目線でこの会話劇を見ていた。
ちなみに京都は2010年前後に顕著になった、右派系市民団体による在日コリアンを含む在日外国人への排斥運動のはじまりに位置づけられる場所でもある。東九条の隣接地域にあった朝鮮学校や、地域の保育園の隣の公園でヘイトスピーチがくり広げられた。他方、川崎の南部エリアも、同様に多くのヘイトデモがくり広げられた場所だ。FUNIさんと浜辺さんの、2人の言葉はそれぞれに軽やかだけれども、その背景はなかなか重い。でも2人の軽妙なやりとりは、その重さに、生活している個人の言葉という別のレイヤーを与えていたと思う。
しばらく経って、ぼくは中国の広州にあるギャラリー、ビタミン・クリエイティブ・スペースが運営するミラード・ガーデンズという場所にいる。久しぶりの広州は、以前きたときとは違ったように見えた。LEDがビルの壁面に配置され、近未来感が増した街並みもすごかったけど、それより何より今回は家族との、いやむしろ、娘との旅だったからだ。
建築家の藤本壮介が設計した、周辺の集落を模した複数の建物の集合体のような複合施設がミラード・ガーデンズである。ギャラリー・スペースだけでなく、キッチンがあり、中央には池と庭があり、少し離れた場所には少人数向けのオーガニック・レストランや、アーティストのヤン・ボーが構造物を介入させた、半ば朽ちた建物と庭もある。ぼくも数年前にここで個展をした。今回は別の理由でここにきている。妻でアーティストの、津田久美恵の個展のためだ[★2]。
一緒にきた娘にとっては数カ月前のソウルに引き続き2回目の海外旅行となる。
ソウルのときよりも、少しだけ飛行機に乗る時間が長くなった。それでもダウンロードしてきた映画をおとなしく見ているうちに、難なく広州白雲国際空港に到着する。これならばもう少し足を延ばして、ヨーロッパにも連れて行けるかもしれない。
ミラード・ガーデンズの広いギャラリー空間に入るやいなや娘は大声を出し、空間に反響する声を楽しんでいる。妻の、セラミックでできた小ぶりの彫刻作品群や写真や絵画は、広い余白を残して、空間をたっぷり使って贅沢に展示されている。別々の場所で撮影された写真が集合している様は、どこで撮影したのか個人的によく知っているからか、懐かしく、壮観だ。モグラが掘った土が土手から流れ落ちてたまたま三角形になっている光景や、降り積もった雪の上をひとが歩くことで土が被さり、そのあとまた雪が降り積もりサンドイッチのように固まった雪の立体物など、自然と人為的なものの間(モグラは人間ではないけど)を撮影したそれらの写真たちを、ビタミンの展示では彫刻と同等のものとして扱っている。これまで彼女が仕事をしてきたギャラリーたちは、あまり彼女の写真の仕事を理解していなかった。苦労もあった。やっと写真と彫刻が同一線上の営みとして扱われていることに感動を覚えた。よかったなあ……、そうやって感傷的に鑑賞している間もなく、娘の雄叫びが聞こえてくる。
そう、今回はアーティストとしてではなく、家族のサポート役としてここにきたのだ。もちろんぼくが仕事をしているギャラリーでもあるから、ミーティングも少しは予定していた(結果、娘の世話のたいへんさにスタッフが気づき、ほとんどのミーティングは後日に延期になった)。
こうして家族のサポートで海外にくるのははじめての経験だ。
短いミーティングを娘の昼寝時間に済ますと、それ以外の数日間、ぼくは娘とホテルや近くのショッピングモールや公園で遊んで過ごした。アートから遠く離れて、ただ娘と散歩していると、風景が新鮮に見えてくる。仕事では決して訪れないだろう、マクドナルドやショッピングモールを歩いていると、ほかの家族連れが気になってくる。何はともあれ、まずはトイレの位置を確認し、フードコートにどんな食べ物があるかを確認する。娘はだいたいうどんかそうめんしか食べない。保育園の給食ではいろいろ食べているようだけれども、なぜか家では偏っている。そのほかにも茹でにんじんかミートソースかフライドポテトは食べる。あと果物も食べる。数カ月前のソウルでも広州でもこれは変わらず、かなり苦労した。ソウルでは結局、トンカツ定食などを出す日本食のファストフード店を見つけ、そこのうどんでしのいだ。広州ではうどんを見つけるのが難しかったけど、もっていっていた「ゆかり」のふりかけで、なんとかご飯を食べてくれた。それと、広東料理には甘辛い味のお肉と野菜がのっているどんぶりがあって、これは一度食べてくれたから気に入ったのかもしれない。食事問題はなかなかたいへんだ。
家族のサポートという役で旅行することは、ぼくにとってどんな意味があるだろう。
それって、これまでのアートの「語り口」を考え直すことにもつながっている気がする。育児生活をしている視点でものごとを捉え、そこからアートを語り直す。この連載のなかで試みてきたことだ。ただこれまでは、育児の視点とはいえ、あくまでも「アーティストとして語る」ことは変わらなかった。育児をしているアーティストとして語ることから、家族のサポート+育児をしているひとの視点で語ることへのシフトは大きい。というよりだいぶ違う。今回の広州では、アーティストとしての仕事目線が後退し、生活者目線で旅することができた。違った目で景色を見ていたというわけだ。
別の語り口を探すという問題意識は、昨今の現代アートに対するぼくなりの反省でもある。
とくに政治的な現代アートは現在、難しい立場にあると思う。
社会問題や政治的課題は、本来ならば多くのひとに開かれた上で、共に考えられるべきものだ。だから「政治的なアート」はジャンル化されてはいけない。特定の観客に届くだけの形式に陥ってはいけない。それでは本末転倒だ。常に形を変えながら開かれていかなければならないと思う。だから必要なのは語り方の工夫なんだ。観客に開いていくためには、開かれた観客に向けた語り口を模索すべきだろう。
広州に行く少し前に、沖縄の米軍基地の問題に対して、とにかくポップで親しみやすいアプローチをする映画を見ていた。
映画『オキナワより愛を込めて』[★3]は、ぼくの友人であるアーティストで映画監督の砂入博史さんが写真家の石川真生さんを撮影したドキュメンタリーである。
映画のなかで石川さんは印象的なエピソードを語る。
沖縄が本土復帰と復帰運動で沸騰していた70年代初頭、デモ隊と機動隊の衝突のなかでひとりの警官が亡くなった。そこに居合わせた石川さんは、運動家ではなく、写真家になることを決意する。そして、1975年、沖縄の米兵を撮影するため/知るためにコザの「黒人バー」で働き始める。沖縄米軍基地の米兵たちも、アメリカ本土の黒人差別の影響下にあり、「白人街」と「黒人街」というようにそれぞれの米兵が行く歓楽街は分けられていた。結果として彼女は、バーで働く女性たちや出入りする「黒人」米兵たちとの日常を写真に収めていくことになる。砂入さんは、そうした20代の頃の石川さんの写真や当時の沖縄の様子を、60代後半という年齢に達した現在の石川さんと共にふり返っていく。60年代後半のサイケデリック・ムーブメントに呼応するようなポップなグラフィックを駆使した映画は、石川さんの独特の語り口とユーモアもあってか、笑いと悲しみが交差しながら進んでいく。深刻になりがちな沖縄の基地問題も、ドキュメンタリーという手法がもつ深刻さも、砂入さんの編集の手つきによって誰にでも受け入れやすいように配慮されている。重すぎず軽すぎず。
何よりここで重要なのは砂入さんと撮影対象である石川さんとの信頼関係というか、親子関係とも呼べそうな近さである。石川さんの記憶違いをやさしく訂正するフレームの外からの砂入さんの声も、駐車場に砂入さんが斜めに車を停めてしまったときの石川さんとのやりとりも、いや、そもそも、冒頭でカメラをすでに回していることをそれとなく伝える砂入さんとそれを受け流す石川さんの会話も、どれもこれも愛おしい。そんな愛おしい瞬間がつづく。
だからこれは、他人の生活のなかに不用意に侵入するようなタイプの映像制作ではなく、どこまでもお互いの、こういってよければ表現者同士の信頼によって進んでいく協働作業のような創作スタイルだ。
その信頼のはてに、石川さんは砂入さんに自身の身体を曝す。手術跡を含む自分の年老いた裸体をカメラの前に見せながら、石川さんはシャワーを浴びる。石川さんは、これまでさんざん人々のプライベートを撮影してきたから、こういうときは自分もそのプライベートを見せるのだという。それでも砂入さんのカメラワークは極力控えめだ。無駄に身体を撮影しない。
映画の最後、キングタコスの店で、砂入さんはカメラをテーブルの横に置き、石川さんとタコスを共に食べる。久しぶりに訪れた繁華街で、石川さんがかつて働いていたバーが廃墟になっていたことを知ったあとの場面である。2人は、隣にカメラがあることを忘れ、話しつづける。会話の音はフェードアウトしていく。
信頼は、親密さへと変化していく。共に時間を過ごし、共に食べ、共に語る。映画に採用された素材のほかにも膨大な会話があったことを、このシーンは静かに伝えてくる。
『リリース』も、『オキナワより愛を込めて』も、在日コリアンや沖縄というヘビーな社会問題を題材にしている。でもそこでフォーカスされているのは個人の営みだ。FUNIさんや浜辺さんがこれまでの人生をどう感じてきたのか、石川さんがこれまでの写真制作と人生をどう歩んできたのか、そして砂入さんはそれをどう記録してきたのか。
米軍基地の問題は日本とアメリカ、両政府の問題だけど、米兵はひとりひとり名前のある個人、だからそれはまた別の話と石川さんは語る。石川さん自身も写真に撮ってきたひとりひとりを個人として見ている。具体的な個人の生を、大きな問題と切り離して受け入れる。ひとの生を理解する。
運動会で泣いてしまったこともそうだけど、たまに絵本の読み聞かせで泣いてしまうことがある。
年齢を重ねると涙もろくなる。
年齢を重ねることは、過去の記憶を多くもつということだ。現在を見るときに同じ過ちや違う可能性を過去の経験に照らし合わせて見出すことでもある。いまのあなたの行為はきっとこういう結果を導くだろうと、経験者は未経験者にアドバイスする。ぼくの親も、あなたの親も、きっとそうやって、子どもにいつもアドバイスをしている/してきたんだろう。
過去の記憶と未来への予想が、この現在にいろんな意味をもたらす。いま目の前で起きていることに過去と未来がつなぎ合わされている感覚。その感覚のなかで、ぼくらは何かしら心を動かされ泣いてしまうんだと思う。走り回る年長クラスの子どもにその子の過去の記憶が重なり、あるいは未来の自分の子どもの姿が重なる。浜辺さんの語りに未来の娘の語りが先取りされる。そうした過去や未来が重ね合わされた現在のなかで、ぼくらは勝手に泣いてしまう。
映画『シュレック』の原作者であるウィリアム・スタイグによる『ロバのシルベスターとまほうの小石』という絵本を読んだことはあるだろうか。
ぼくは内容を知らずに子どもに読み聞かせていたけれども、途中で絶望し、最後の救いに号泣してしまった。
変わった石を集めるのが好きなロバのシルベスターは、ある日、願いが叶う魔法の小石を拾う。これで家族みんなの願いが叶うぞと家に帰ろうとするが、途中、腹を空かせたライオンに出くわす。つい、シルベスターは「岩になりたい」と願ってしまう。そして、魔法の小石も落としてしまう。もちろん岩になってしまったのでふたたび小石を拾うことはできない。お父さんもお母さんも、シルベスターが岩になっているとは思いもよらず、あちこち探し回るなか、時は流れていく。シルベスターはずっと岩のまま。魔法の小石もその近くに落ちたまま。
シルベスターがロバに戻るためには、誰かがその魔法の小石を拾い、岩になったシルベスターが元のロバに戻るように願わなければならない。そんな都合のいいこと、ありえない。
ぼくはここで、これ、いったいどうなるのかと心底、絶望した気持ちになる。
秋になり、冬になり、雪が降っても、岩はずっとそこにたたずんでいて、シルベスターはだんだんと自分がロバであったことを忘れていく。ところが、ここでまさかの奇跡が。無情に時がすぎていくなか、両親はシルベスターを探すことを諦めかけ、気分転換のためにピクニックに出かける……。
奇跡はそのときに起きるんだけど、この奇跡にもまた親密さが関係する。シルベスターが変わった小石が好きだったことを一番覚えているのはまさに親。お父さんもお母さんもピクニックに出かけた先で、たまたま見つけた赤色の小石を拾い上げ……。詳細はここでは書かない方がいいかも。なので、あとはご自分で。
さて、親密さはぼくたちに何をもたらすのだろう。
立場を交換し親密さを共有すること、信頼から親密さが導かれること。親密さが奇跡を呼びよせること。
妻のサポートのために広州に行くことによって、ぼくはそこに広がる別の風景を見つけることができた。アーティスト目線の旅と育児をする生活者目線の旅。妻とぼくとで役割を交換する経験が、この広州の旅だった。
立場を交換すること。それは実際に語り方を変えるための手がかりになったと思う。
運動会で号泣するパパ友ママ友の気持ちもいまはよくわかる。親たちの共同体は親密さを共有し、お互いをねぎらっているんだと思う。いままでいろいろあったけど、なんとかやってこれたよね。無事になんとか育てられた。これからもお互い支えあっていこう。そして、もし絶望の淵に立たされたとしても、ぼくらもきっと赤色の小石を見つけ出すことができるはず。
★1 会話劇『リリース』。URL=https://gallery.kcua.ac.jp/events/ 2024/11342/
★2 「Kumie Tsuda: Plan in My Head Like Planet」(ミラード・ガーデンズ、2024年)。URL=https://vitamincreativespace.com/en/?work=kumie-tsuda- plan-in-my-head-like-planet
★3 映画『オキナワより愛を込めて』公式サイト。URL=https://okinawa yoriaiwokomete.com/


田中功起