アフリカ哲学への招待──「他者の哲学」から「関係の思想」へ(後篇)|中村隆之

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webゲンロン 2024年5月27日配信
後篇

「関係の思想」としてのアフリカ哲学(1990年代―現在)

 1960年代に「他者の哲学」として見出されたアフリカ哲学が、1970年代以降、より若い世代の哲学者によって問い直されはじめ、ヨーロッパから見たアフリカのイメージにとらわれない、新しいアフリカ哲学のかたちが模索されていった。──このような発展段階的なストーリーでお話しできるのは、前篇で紹介した、1980年代のムディンベまでです。

 というのも、1990年代以降の「アフリカ哲学」をめぐる言説の動向は、非常に複雑化・多様化していくからです★1。私はそんなアフリカ哲学の動向を、〈関係〉という視点で捉えるのがよいと思っています。

 

 〈関係〉とは、アフリカ大陸から多くの奴隷たちが連れて行かれた場所であるカリブ海の詩人で思想家のエドゥアール・グリッサン(1928-2011)が練り上げた概念です。簡単に言うと、私たち一人ひとりが、世界中の人々(さらには動植物や非生物)との交流によって、絶えず変容を遂げる状態にあることを指します。

 アフリカ哲学を捉えようとする場合に〈関係〉に注目することが有益であるのは、何よりも、グリッサンがその概念をアフリカから連行されたアフリカ人の子孫の歴史的経験から着想しているからです。この概念は道徳的価値判断とは無縁であることから、植民地化や奴隷制という数世紀におよぶ負の経験もまた、グリッサンの詩学のなかでは、〈関係〉だと捉えられます★2

 

 最初に述べたように、「アフリカ哲学」には、定義次第で、ブラック・ディアスポラの知的営為が当然入っていきます。これまでアフリカ大陸のことを中心に話してきましたが、その文化的シンボルであるプレザンス・アフリケーヌを支えた思想的基盤は、1930年代に「黒人」であることを肯定する価値観を生み出した、ネグリチュードでした。

 この言葉を作り出したエメ・セゼールは、アフリカ大陸ではなく、カリブ海フランス領の島マルティニック出身です。アフリカ大陸での対フランス独立戦争であるアルジェリア戦争の大義のために闘ったフランツ・ファノン(1925-1961)も、セゼールと同じ島の出身です。ウントゥンジもムディンベも、カリブ海を出身とするセゼールとファノンを「アフリカ哲学」の文脈で肯定的に言及します。それは現在活躍する思想家たちも同じです。つまり、こうした引用・参照のネットワークに注目すれば、「アフリカ哲学」の根底にあるのは「関係の思想」であると言えます。

 そのように捉えるならば、植民地図書館の問題系もまた別様に捉えられるかもしれません。というのも、アフリカをめぐる哲学的言説にはあきらかな逆説があるからです。それは、アフリカの哲学的言説は最初から混交を余儀なくされてきたということです。アフリカ人にとっての他者にして植民地支配者側のテンペルスの著作が「アフリカ哲学」の「出発点」と捉えられることもそうですし、そもそも植民地化の道具となったはずのキリスト教がアフリカの哲学的言説の素地ともなりました(お気づきかもしれませんが、アフリカの哲学者にはキリスト教徒が多いのです)。さらに根本的なことを指摘すれば、アフリカ哲学は、原則的にはフランス語や英語といった植民者の言語で書かれています★3

 たしかに、この混交は強いられたものです。しかし、それを〈関係〉として受け入れることにより、新たなパースペクティブが開けます。そのような〈関係〉の視点をもつとき、テンペルスらによる民族哲学の遺産を批判的に引き継ぐ展望もまた、切り開かれます。

 

 たしかに、アフリカ人を「未開人」とするような19世紀後半から20世紀前半の植民地主義的言説は、アフリカ哲学の形成には貢献しないでしょう。とはいえ、たとえ認識の限界があったとしても、文化相対主義的な視点でもって記述された民族誌のテクストから、なんらかの肯定的な意義を引き出すことはできるはずです。

 ムディンベがよく引くクロード・レヴィ゠ストロース『野生の思考』(原著1962年、邦訳1976年)がはっきりと示したように、民族誌は、他者化の刻印だけでなく、在来文化の叡智を西洋的フィルターを介しながら理解する手がかりも与えるのです。

 民族学・人類学的な知をこのような両義性において捉える哲学者として、セネガル出身のスレイマン・バシル・ジャーニュ(ディアーニュ)(1955年生まれ)がいます★4。現在はアメリカのコロンビア大学で教えるジャーニュは、現代アフリカ哲学を代表する思想家のひとりです。その貢献は、「アフリカ」をめぐる哲学言語がいまだに西洋のスタンダードな知のなかでは不在とされるなかで、アフリカ哲学の語彙や思想の幅を一挙に広げ、アフリカ哲学の存在を知らしめたことにあると私は考えています。

 アフリカで哲学するという構えのもと、ジャーニュは西洋哲学に傾きがちだったアフリカ思想のなかにイスラーム思想を導入しました。イスラームが深く浸透しているセネガル出身のジャーニュは、ムスリムの学者ムハンマド・イクバール(1877-1938)の思想に通暁しており、そのイスラーム思想を手がかりにしてアフリカ哲学の新しい可能性を切り開こうと試みています。

 さらにジャーニュは、アフリカ哲学の言説のなかで、これまで批判され、否定されてきたものを再評価する仕事をしたことでも重要です。ジャーニュにとってイクバールと並んで重要な思想家は、詩人でセネガル元大統領のレオポル・セダール・サンゴール(1906-2001)です。サンゴールの思想とかれの提唱するネグリチュードは★5、その政治的立場もあいまって、アフリカ知識人から1960年代以降、強く批判されるようになりました。ジャーニュも若い頃はそのように捉えていましたが、サンゴールのテクストを読み直し、考えを改めます。そして、サンゴールとイクバールのうちにフランスの哲学者アンリ・ベルクソン(1859-1941)の「生の跳躍」概念を認めるという斬新な著作『ポストコロニアル・ベルクソン』(2011年)を著すなど、サンゴール思想の再評価に貢献します★6。またジャーニュは、かつて強力な民族哲学を批判したエブシ゠ブラガが後年になってテンペルスの仕事を肯定的に読み直したのと同様に★7、『バントゥー哲学』の再評価にも取り組んでいます★8

 

 もうひとりの重要な思想家は、カメルーン出身で、現在は南アフリカの大学で教えているアシル・ンベンベ(1957年生まれ)です。すでに何本かの論文が日本語に訳されており、また今後、単行本も翻訳される見込みのンベンベについては、その名をご存じの読者もおられるでしょう★9

 ンベンベは、アフリカの現代史と政治を対象としながら、同時代の社会情勢とのかかわりのなかで、その思考を展開してきたところに大きな特徴があります。代表作『ポスト植民地論』(2000年)以降、ンベンベが取り組んできたのは、「他者」や「差異」として扱われてきたアフリカ像からの脱却であり、伝統といまいちど関係を編み直し、アフリカ人が「判断の主体」となることです★10。この意味でンベンベの知的構えは、ウントゥンジ、エブシ゠ブラガ、ムディンベに連なります。

 そのうえでンベンベの斬新さとは、「知の脱植民地化」を目指しつつも、ジャーニュと同様に、ナショナリズムやアイデンティティ・ポリティクスのような、現代社会に広がる敵対性の政治からの脱却を目指しており、複雑な〈関係〉のなかに自己があるということを認識するところから思想を編み上げているところです★11。さらに最新作の『地球共同体』(2023年)では、その思想的探求は、アフリカにとどまらず、グリッサンの〈全-世界〉という概念にならって、地球それ自体におよんでいます★12。ンベンベは、アフリカ哲学のみならず、世界的な思想家としていまや注目されています。

 

最新作『地球共同体』についてのインタビューに答えるアシル・ンベンベ。ンベンベの講演や対談はYouTubeなどで多く公開されている。

 

おわりに──アフリカ哲学の多様性

 以上、簡単ながら、フランス語における議論の蓄積を中心に「アフリカ哲学」の流れを見てきました。

 

 お気づきのように、今回のストーリーのなかには、女性の哲学者がまったくといっていいほど出てきません。アフリカ哲学にかかわる現代の思想家たちは、この問題にもちろん気づいており、その不均衡を是正する必要を感じています★13

 今回描いたようなアフリカ哲学の知の系譜において、今後その仕事が注目されていくのは、現コンゴ民主共和国に一方の出自をもつフランスの女性哲学者ナディア・ヤラ・キスキディ(1978年生まれ)であると私は捉えています。また、視点を広くとって、ブラック・スタディーズの蓄積までをふくめれば、ブラック・フェミニズムをはじめとする女性による多くの思想的営みを接続して語ることができますし、ジェンダー/セクシャリティの問いは、キスキディの世代の哲学者にとっては、性別を問わず、スタンダードなものとなっています。そのあたりのことは、ブラジル出身の女性哲学者ジャミラ・リベイロ(1980年生まれ)との共著『環大西洋ダイアローグ』(2021年)を読むと、よくわかります★14

 また、今回は指摘するだけしかできませんが、ジャーニュもンベンベも、アフリカ人による非言語的営為のなかに哲学や思想を認めることに、非常に積極的です。ムディンベのいうアフリカ的グノーシスは、読み直される民族哲学の功績のみならず、語り継がれる口承文化や、さまざまに変容を遂げているアフリカ音楽文化のなかにもあるでしょうし、なによりも、絵画や彫刻や映像などの表現をつうじて探求するアフリカ現代アートのなかにも見出すことができるのです。

 

 最後にあらためて冒頭の問い(アフリカ哲学とはなにか)に答えるならば、「アフリカ哲学」とはアフリカ人やブラック・ディアスポラの哲学的・思想的営為とそれにかかわるすべての人々の語ったことや書いたことからなる参照と引用のネットワークであると言うことができます。これが、私がアフリカ哲学を「関係の思想」として捉えていることの理由です。そこには、これまでに名前をあげてきた人々のほかに、たくさんの女性の書き手や思想家の名前をあげることができます。

 たとえば英語圏では、アメリカ出身の人類学者で作家のゾラ・ニール・ハーストン(1891-1960)が、黒人の生活や奴隷制時代から伝わる民話を研究し、女性としての自立の意識をいち早く打ち出しました。公民権運動や黒人解放のために闘い、ブラック・フェミニズムの思想を担ったアンジェラ・デイヴィス(1944年生まれ)やベル・フックス(1952-2021)は、英語圏を越えて広がり、いまや「知の脱植民地化」のための欠かせない参照項となっています。

 フランス語圏では、カリブ海のマルティニック出身のポーレット・ナルダル(1896-1985)が、ネグリチュード運動を準備する批評活動をおこない、重要な雑誌を創刊し、黒人知識人のネットワークを構築しました。カリブ海のグアドループ出身の小説家マリーズ・コンデ(1934-2024)の作品は、西アフリカやカリブ海の歴史と文化を知るためのいまや古典です。

 アフリカ哲学にかかわる参照項は、アフリカ系の書き手だけにかぎりません。イギリス出身で、フランスを拠点に活躍したナンシー・キュナード(1896-1965)は、反植民地主義と反人種主義の社会活動をおこない、「黒人問題」を主題にした歴史的な本を編みました。ロシア帝国時代のキエフ(現ウクライナの首都キーウ)出身で、アメリカを拠点に活躍した前衛的映像作家マヤ・デレン(1917-1961)は、ハイチのヴードゥー教をめぐる重要な著述と映像記録を残しています。このように、アフリカ哲学の知の系譜のなかには、非アフリカ系である女性の書き手たちの仕事もまた存在するのです。

 

 これまで見てきたように、テンペルスの『バントゥー哲学』に始まったアフリカ哲学は、ウントゥンジらの民族哲学批判やムディンベの『アフリカの発明』などを経て、みずからと西洋との関係を鋭く問い直してきました。さらに、サイードが『文化と帝国主義』(原著1993年、邦訳2001年)のなかで語っていた言葉をもちいるならば、アフリカ哲学は、「ヨーロッパ文化のなかで何世代にもわたって継承されてきた姿勢と言及の構造」を作り変えていくただなかであり★15、その傾向は今後よりいっそう強まっていくことでしょう。

 アフリカ哲学が作り変えていくものは、もはやヨーロッパやアメリカの文化にかぎられません。こうして、一部であるとはいえ、アフリカ哲学の概略が日本語で紹介され、翻訳される作品が今後増えていくにつれて、私たちは、私たちの未来に必要な言葉と思想をアフリカ哲学のなかにも見出し、既成の知とは異なる知を、新たに編み上げられるように思います。ここで紹介した思想家たちや本の名前を入り口に、多様なアフリカ哲学の世界に足を踏み入れるとき、その未知の風景から、私たち一人ひとりが、その汲みつくせないほど豊かな「関係の思想」を紡いでいけるはずです。

 

アフリカ哲学についてさらに学びたい人には、RFI(フランス語のラジオ局)のポッドキャストをおすすめしたい。

 


★1 こうした教科書的な記述(因果関係を設定し、ひとつの大きなストーリーを単線的に構築する記述)をおこなう場合、現在活躍している思想家たちの仕事は主に1990年代から始まったものであるため、歴史化することがむずかしいという事情もある。なお、今回の1990年代までのストーリーの理論的構成は、ムディンベの『アフリカの発明』の叙述に多くを負っている。
★2 拙著『エドゥアール・グリッサン──〈全-世界〉のヴィジョン』、岩波書店、2016年。
★3 英語で書くことに抵抗し、自分たちの言葉で書くことの重要性を訴え、これを実践したケニア出身のグギ・ワ・ジオンゴは、以下の文献にあるとおり、根底的な「知の脱植民地化」のプロジェクトを推進した作家である。グギ・ワ・ジオンゴ『精神の非植民地化──アフリカ文学における言語の政治学』増補新版、宮本正興、楠瀬佳子訳、第三書館、2010年。
★4 Soulaymane Bachir Diagne, « L’universel au risque de la philosophie », Luste Boulbina, Dix penseurs africains par eux-mêmes, op.cit., pp.27-37. 民族学にかんする言及はp. 34にある。
★5 一般にネグリチュードは、セゼールとサンゴールの交流から生まれたと言われており、サンゴールはネグリチュードを、セネガル独立後、アフリカ人の思想として喧伝した。サンゴールの生物学的なネグリチュードの捉え方は、ウントゥンジをはじめとする当時のアフリカ知識人によって批判された。
★6 Bachir Diagne, Bergson postcolonial : l'élan vital dans la pensée de Léopold Sédar Senghor et de Mohamed Iqbal, CNRS, 2011.
★7 Eboussi-Boulaga, « Poursuivre le dialogue des lieux », Luste Boulbina, Dix penseurs africains par eux-mêmes, op.cit., p.78.
★8 スレイマン・バシル・ジャーニュは『バントゥー哲学』の第4版(2013年)に序文を寄せている。Bachir Diagne, « Préface », Placide Tempels, La Philosophie bantoue, Présence Africaine, 2013, pp.I-IV.
★9 最近のアシル・ンベンベの翻訳には以下のものがある。「西アフリカのクーデターは約一世紀続くフランス支配の終わりを告げている」、拙訳、『世界』2024年5月号、145-153頁。
★10 Achille Mbembe, De la postcolonie : essai sur l'imagination politique dans l'Afrique contemporaine, La Découverte, 2020[2000]. 引用は以下のインタヴュー記事のp.133から。Mbembe, « Penser par éclairs et par la foudre », Luste Boulbina, Dix penseurs africains par eux-mêmes, op.cit. , pp.129-149.
★11 ジャーニュはこの〈関係〉の思想を翻訳論として展開している。Soulaymane Bachir Diagne, De langue à langue : l’hospitalité de la traduction, Albin Michel, 2023.
★12 Mbembe, La Communauté terrestre, La Découverte, 2023.
★13 一例として、アフリカ哲学におけるジェンダー・バランスの不均衡をめぐって、セルア・リュスト゠ブルビナが発した問いについて、スレイマン・バシル・ジャーニュは、かれの2人の姉妹が哲学者であるという私的挿話を語りながらも、アカデミズムのなかでの女性の少なさを指摘し、アフリカの未来にとって女性の知的活躍が必要である旨を述べている。Soulaymane Bachir Diagne, « L’universel au risque de la philosophie », Luste Boulbina, Dix penseurs africains par eux-mêmes, op.cit., p.37.
★14 Djamila Ribeiro et Nadia Yala Kisukidi, Dialogue transatlantique : perspectives de la pensée féministe noire et des diasporas africaines, Anacaona Éditions, 2021.
★15 エドワード・サイード『文化と帝国主義 2』、大橋洋一訳、みすず書房、2001年、90頁。

 

中村隆之

早稲田大学法学学術院教員。フランス語を中心にした環大西洋文化研究。今回の記事に関連する著書に『環大西洋政治詩学』(人文書院、2022年)、『第二世界のカルトグラフィ』(共和国、2022年)、『エドゥアール・グリッサン』(岩波書店、2016)などがある。
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