上田洋子とゲンロンとロシアの11年【2023年度日本ロシア文学会大賞受賞記念】

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初出:webゲンロン 2023年12月23日配信
 今年、弊社代表の上田洋子が「2023年度日本ロシア文学会大賞」を受賞しました。受賞理由には、上田のゲンロンにおける活動を念頭に「ロシアと日本、学術界と出版界をつなぐ極めて独自な功績」が挙げられています。そこで本記事では、上田がいかにロシアと、そしてゲンロンと出会ったのかを編集部が尋ねるとともに、これまでに上田が担当したコンテンツをピックアップして紹介します。
 今回の受賞にあたり10月21日に富山大学にて記念講演が行われました。しかし上田の発表は規定の1時間で収まらず、その続きを徹底的に語るイベントを12月23日にゲンロンカフェにて開催します。聞き手にメディア研究者の清水知子さんをお迎えし、ポストソ連社会におけるインターネットの役割を考えます。記事とあわせてどうぞご覧ください。(編集部)

上田洋子 聞き手 = 清水知子「インターネットは現代文化のストリートである──日本ロシア文学会大賞受賞記念トーク」
URL= https://genron-cafe.jp/event/20231223/

ロシアとの/ゲンロンとの出会い

 いまでは趣味を尋ねられると「ロシア」と即答するゲンロン代表の上田洋子。彼女がかの国にのめり込んでいったのには、子ども時代を関西で過ごしたことが深く関わっていると言います。ロシアがまだソビエト連邦だった幼少期、上田は両親に連れられて大阪の劇場へ行き、ソ連のサーカスや人形劇をとおして「ロシア的なもの」と出会いを果たします。さらに彼女を「ロシア沼」へと引き摺り込んだのは、宝塚歌劇団でした。中学時代に宝塚版『戦争と平和』と巡り合ったことが、その後の人生に決定的な影響を与えたのだと語ります。

 この作品に衝撃を受けた上田は、高校に上がると『戦争と平和』のトルストイの原作小説を読み始め、大学進学の際にもロシア語を専攻することを選びます。さらに東京の大学院に進学し、モスクワで活躍したキーウ出身の作家シギズムンド・クルジジャノフスキー(1886-1950)の研究で博士号を取得しました。その後、早稲田大学の演劇博物館で研究助手の職につき、資料整理や展示の企画、通訳や字幕翻訳の仕事をこなしていた上田。ゲンロンと出会ったのはそんな時でした。

 

 きっかけとなったのは、2012年、アレクサンドル・ソクーロフ監督のドキュメンタリー『ソルジェニーツィンとの対話』の字幕監修を手がけたことでした。かつて「ソルジェニーツィン試論」でデビューしたゲンロン創業者の東浩紀が、上映会のアフタートークに招かれ、聞き手を上田が務めたのです。当時ゲンロンは「福島第一原発観光地化計画」プロジェクト(のち書籍化)の立ち上げ期。その一環としてチョルノービリ原発の取材を模索していた東から、トーク後にリサーチャーとしての仕事を依頼され、翌年実施された取材にも通訳兼コーディネーターとして同行することになります。この取材を経て刊行されたのが『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』(2013年)です。

 同書の刊行から数ヶ月後、友の会の会報誌『ゲンロン通信 #9+10』にて、連載「ロシア語で旅する世界」が始まります。初回の書き出しは「まさか人生でチェルノブイリに行くことがあろうとは。」の一文でした。その半年後(2014年)に社員として入社し、また数年後(2018年)には代表に就任することを考えると、ゲンロンと関わってから上田がたどった道程は「まさか」の連続だったのかもしれません。

ロシア化するゲンロン

 上田がゲンロンに関わるようになってからはだんだんとロシア関連のコンテンツが増えていきます。もちろん東の関心によるところもあるのですが、それにしても気づけばかなり「ロシアびいき」の会社になっていました。

 まず『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』の直後から、ゲンロンは「チェルノブイリツアー」を企画します。約30名を引き連れてキーウや原発を訪問するツアーで、2013年からコロナ禍前の2018年まで、計5回開催されました。このツアーの様子は「写真レポート」として全3回にまとめられているので、気になった方はどうぞご覧ください。

 そして出版部門でもロシア関連記事は増えていきます(その多くはwebゲンロンの「ウクライナ・ロシア 関連コンテンツ集 」ページに掲載されています。有料記事についても、期間限定で無料公開しています)。

 なかでも注目を集めたのは、2017年刊行の『ゲンロン6』『ゲンロン7』の2号にわたり企画された「ロシア現代思想特集」です。ロシア文学者の乗松亨平さんの監修のもと、アレクサンドル・ドゥーギンやザハール・プリレーピンといった右派の、いわば「危険な」思想家や文化人まで含めてロシア思想の最先端を紹介する、日本では稀有な企画でした。乗松さんをはじめ、多くの協力者に支えられたこの特集をきっかけに、『ゲンロンβ』から現「webゲンロン」に引き継がれているリレーエッセイ「つながりロシア」が生まれました。

 同じく『ゲンロンβ』では、ロシアを専門とする建築史家の本田晃子さんによる連載「亡霊建築論」「革命と住宅」がスタート。上田が担当編集を務めたこの連載は、この9月にゲンロン叢書015『革命と住宅』として刊行されました。同書の本田さんによるあとがきの「彼女[上田]の広範な知識と情熱、そしてロシア語能力によるサポートなしに、本書がこのような形で成立することはなかっただろう」という記述からは、上田がロシアにそそぐ並々ならぬ情念が伺えます。

 それが惜しみなく打ち出されているのが、ゲンロンが運営する配信プラットフォーム「シラス」のチャンネル「上田洋子のロシア語で旅する世界УРА(ウラー)!」(2021年開設)です。上田によるロシア語講座をはじめ、ロシア・スラヴ文化や地域の時事問題を紹介するこのチャンネルの開設以降、シラスの他のチャンネルのコメント欄でも「Спасибо(スパシーバ=ありがとう)」や「УРА!(万歳!)」といったキリル文字をよく見かけるようになりました。

 このように、日本におけるロシア文化紹介の最前線となっていった上田代表率いるゲンロン。「ロシア語で旅する世界УРА!」が開設され、コロナ禍も落ち着きをみせて「チェルノブイリツアー」も再開できそうだと考えていたその矢先に、ウクライナ侵攻が起きます。

ウクライナ侵攻のショックといま

 ウクライナ、ロシアに幾度も訪れ、どちらにも友人がいる上田にとって、開戦のニュースは衝撃だったはずで、開戦の日の憔悴しきった上田の表情は、編集部も忘れることができません。その心境は、開戦から1ヶ月後にwebゲンロンで公開されたエッセイ「理解できない現実に寄せて」に綴られています。同じく侵攻直後に行われた東と上田による緊急放送「『ゲンロン』<ロシア現代思想特集>再読——21世紀のロシアの思想界はどうなっていたか?」でも、両国と深く関わってきた人間から戦争がどのように見えているのか、その心持ちがうかがえます。

 この侵攻は、ゲンロンが持つ社会的な使命を新たに心に刻む機会にもなりました。「理解できない現実に寄せて」は2022年に最も読まれた記事のひとつになり、『ゲンロン6』『ゲンロン7』のロシア現代思想特集も再び手に取られ、多くのひとがこの戦争についてなんとか受け止めようとしていることが伝わってきました。侵攻後の『ゲンロン』では、『ゲンロン13』の小特集「ロシア的なものとその運命」、『ゲンロン14』の「斜めから見た戦争」で、ロシアとウクライナの文化の紹介を続けています。

 そして今年の11月、上田と東は数週間に及ぶウクライナ取材を敢行しました。戦時下の街を目の当たりにして、ふたりがなにを感じたのかは、帰国後に行われた2つの配信「ゲンロンが見たウクライナのいま・速報&お土産編」と「ゲンロンが見たウクライナのいま──独立広場にまだ着ぐるみはいた」で語られています。また取材中には映画『DAU. ナターシャ』の監督、イリヤ・フルジャノフスキーへのインタビューも行われました。こちらは来春刊行の『ゲンロン16』に収録される予定です。
 

 今回の受賞理由として、研究の業績だけでなく、ここまで見てきたゲンロンでの出版やイベントでの発信も取り上げていただきました。今後もゲンロンならではの情報発信におおいにご期待ください。そして上田さん、あらためて受賞おめでとうございます。(江上拓)

東浩紀よりお祝いの言葉

 上田さん、ロシア文学会大賞受賞、おめでとうございます!

 上田さんが参画してくれたことで、ゲンロンの幅はぐっと広がりました。2018年に代表を引き受けてくれたことも、大きく弊社のイメージを変えました。ゲンロンはぼくが創業した会社ですが、いまや上田さんの存在なしには考えられません。

 他方、ゲンロンのような面倒なベンチャーに引き摺り込み、上田さんから落ち着いてロシアの研究をする時間を奪ってしまったことを、同僚としてたいへん申し訳なく思っていました。それだけに、今回の受賞は自分ごとのように嬉しく思います。

 これからもゲンロンを上田色に染めていってください。Ура!

上田洋子からみなさまへ

 ゲンロンに来てからは会社の運営が主な仕事なので、研究に使える時間は減りました。他方、ゲンロンの活動のおかげで視野が大きく広がり、雑誌の特集や連載など、また個人ではできない共同研究が可能になりました。考えてみればゲンロンのトークショーはある種の共同研究なのかもしれません。

 自分の研究成果だけでなく、たくさんの方々の研究の発表と交流の場としてのゲンロンの活動が、学会で認められたことはとても大きなことです。賞を与えてくださった日本ロシア文学会に大きな感謝の意と、その懐の深さに敬意を表します。難しい時代になってしまいましたが、戦時下のいまこそ、文学者にはやるべきことがあるように思います。これからも頑張ります。

上田洋子 聞き手 = 清水知子「インターネットは現代文化のストリートである──日本ロシア文学会大賞受賞記念トーク」
URL= https://genron-cafe.jp/event/20231223/ 

ウクライナ・ロシア 関連コンテンツ集
URL= https://webgenron.com/features/ukraineandrussia

1 コメント

  • Hiz_Japonesia2024/01/04 16:31

    祝!2023年度日本ロシア文学会大賞受賞、おめでとうございます! 「ロシアのウクライナ侵攻」があって以後、ほとんどの文化系の有名人が実存をかけた応答(反応)をしない中、モヤモヤした気持ちで過ごしていました。さらに、ちょうど一年前である昨年末の大晦日、実家のTVでただにぎわいを演出する歌番組を視聴して暗澹たる気持ちになっていたところ、同時刻並行的にWeb配信にて放送さていたシラス番組で上田さんが必死に「ロシアのウクライナ侵攻」について実存をかけた応答(反応)をしておられるのを拝見し「砂漠の中でオアシスをみつけたように」ほっとした気持ちになりました。まだまだ、「ロシアのウクライナ侵攻」は継続中ですが、上田さんの情報を頼りにしております。よろしくお願いいたします。

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