ロシア語で旅する世界(特別篇) 理解できない現実に寄せて|上田洋子
ゲンロンα 2022年3月24日配信
2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻した。
毎日、信じられないニュースが流れてくる。ロシア軍はベラルーシとの国境地帯にあるチェルノブイリ原発を占領した。キエフの住宅に爆弾が落とされ、ハリコフは中心部が焼き尽くされている。ロシア側はハリコフで化学兵器の実験がされていたと主張する。それどころか、チェルノブイリでは核兵器の実験が行われていたとも。
いまのチェルノブイリがいかに平和で、管理のされている場所であるか、なんどもかよったわたしはよく知っている。そもそも、チェルノブイリは大量の観光客を受け入れている。核実験などできる場所ではない。2018年の6月に訪れたとき、チェルノブイリの立入制限区域は次から次へとやってくる旅行会社の派手なロゴのついたバンに埋め尽くされていた。いまは、そのチェルノブイリにキエフから向かう一本道に、ロシア軍の戦車が長い長い列をなしている。
ヘルソンは占領下になった。マリウポリでは避難所となっていた劇場が爆弾の標的とされ、防空壕にいた1000人以上の安否がわからない。病院や学校、ショッピングモールにミサイルが撃ち込まれている。占領下の町では食料やインフラが断たれたのに、避難のための人道回廊では人びとが銃撃される。難民は300万人以上、けれども18歳から60歳の男性はウクライナから出ることができない。国を守るためだ。
他方、ロシアでは「戦争」という言葉を使うことが国家への反逆とみなされるようになった。わたしがいつも読んでいた独立系メディアは、戦争を戦争と呼び、侵略を侵略と呼んで報道していたため、ほとんどすべてが国家検閲機関によってブロックされた。リガに本拠地を置く「メドゥーザ」や、プッシー・ライオットが設立した「メディアゾーナ」など、いくつかのネットメディアはそれでも報道を継続し、ロシア国内からは VPN を経由してアクセスされている。メドゥーザからは制限を回避して接続する方法を詳細に説明したメールが届いた。
毎日、信じられないニュースが流れてくる。ロシア軍はベラルーシとの国境地帯にあるチェルノブイリ原発を占領した。キエフの住宅に爆弾が落とされ、ハリコフは中心部が焼き尽くされている。ロシア側はハリコフで化学兵器の実験がされていたと主張する。それどころか、チェルノブイリでは核兵器の実験が行われていたとも。
いまのチェルノブイリがいかに平和で、管理のされている場所であるか、なんどもかよったわたしはよく知っている。そもそも、チェルノブイリは大量の観光客を受け入れている。核実験などできる場所ではない。2018年の6月に訪れたとき、チェルノブイリの立入制限区域は次から次へとやってくる旅行会社の派手なロゴのついたバンに埋め尽くされていた。いまは、そのチェルノブイリにキエフから向かう一本道に、ロシア軍の戦車が長い長い列をなしている。
ヘルソンは占領下になった。マリウポリでは避難所となっていた劇場が爆弾の標的とされ、防空壕にいた1000人以上の安否がわからない。病院や学校、ショッピングモールにミサイルが撃ち込まれている。占領下の町では食料やインフラが断たれたのに、避難のための人道回廊では人びとが銃撃される。難民は300万人以上、けれども18歳から60歳の男性はウクライナから出ることができない。国を守るためだ。
他方、ロシアでは「戦争」という言葉を使うことが国家への反逆とみなされるようになった。わたしがいつも読んでいた独立系メディアは、戦争を戦争と呼び、侵略を侵略と呼んで報道していたため、ほとんどすべてが国家検閲機関によってブロックされた。リガに本拠地を置く「メドゥーザ」や、プッシー・ライオットが設立した「メディアゾーナ」など、いくつかのネットメディアはそれでも報道を継続し、ロシア国内からは VPN を経由してアクセスされている。メドゥーザからは制限を回避して接続する方法を詳細に説明したメールが届いた。
戦争を戦争と呼ぶのを諦めることで生き残ったメディアもある。最近ノーベル平和賞を受賞したドミトリー・ムラートフが編集長を務める「ノーヴァヤ・ガゼータ」がそうだ。彼らは戦争という言葉は用いずに、現在の状況を報道し続けるように工夫をしている。ロシア国内で戦争の現実に目を向けるひとにとって、これらのメディアは救いでもあるだろう。ロシア文学者であり、ロシアとウクライナの両方に親しい人びとがいるわたしにとってもそうだ。
国内の規制と検閲だけでなく、国外からの制裁も、戦争の現実についての情報を人びとが手に入れる上で障害となっている。SNS での友人とのやりとりにも困難が生じている。Facebook や Instagram を運営する Meta 社がロシアに対するアグレッシブな投稿を許容したため、ロシアは対抗措置として Meta を訴え、「過激派組織」として認定した。ロシアでは Facebook も Instagram も禁止されてしまった。これらのプラットフォームを利用したからといって即テロリストという扱いにはなっていないので、そこは不幸中の幸いとでも言えようか。
多くのひとが VPN を使っており、Facebook にもそれなりの人数の友人が残ったが、気軽な投稿はほとんどなくなった。そもそも投稿数が圧倒的に減った。戦争の現実を語ったり、戦争反対を呼びかけたりすることはいまのロシアでは犯罪である。戦争に関する投稿は危険だ。「いいね」だけでも犯罪とみなされうる。密告や嫌がらせも横行している。今後なにが悪とされるかわからないので、こちらも友人たちの安全を考えて、発言を控えざるを得ない。
Facebook はわたしにとってロシアやウクライナの友人との交流の場で、東京にいながら、彼らがいまどうしているのかとりあえず知ることができる安心で便利なインフラだった。とくに、どこにも行けないコロナ禍においては、Facebook はわたしがつながっていたい世界を垣間見せてくれる支えだった。
それが、戦争が始まってから、Facebook は安否確認の場になった。投稿を追う、ログイン状況を確認する、直接連絡するなど、いくつかのやり方で友人たちの活動の跡を辿る。彼らはいまのところ無事だ。だが、知り合いの知り合いには、亡くなったひと、またロシア軍の占領下にあって困難を強いられているひとがいる。生前の笑顔の写真が流れてくる。カムフラージュ柄の軍服を着ていたり、着ていなかったり。つい最近まで、こんな日々がやってくることなど疑いもせず、平和に暮らしていた人びとだ。
国内の規制と検閲だけでなく、国外からの制裁も、戦争の現実についての情報を人びとが手に入れる上で障害となっている。SNS での友人とのやりとりにも困難が生じている。Facebook や Instagram を運営する Meta 社がロシアに対するアグレッシブな投稿を許容したため、ロシアは対抗措置として Meta を訴え、「過激派組織」として認定した。ロシアでは Facebook も Instagram も禁止されてしまった。これらのプラットフォームを利用したからといって即テロリストという扱いにはなっていないので、そこは不幸中の幸いとでも言えようか。
多くのひとが VPN を使っており、Facebook にもそれなりの人数の友人が残ったが、気軽な投稿はほとんどなくなった。そもそも投稿数が圧倒的に減った。戦争の現実を語ったり、戦争反対を呼びかけたりすることはいまのロシアでは犯罪である。戦争に関する投稿は危険だ。「いいね」だけでも犯罪とみなされうる。密告や嫌がらせも横行している。今後なにが悪とされるかわからないので、こちらも友人たちの安全を考えて、発言を控えざるを得ない。
Facebook はわたしにとってロシアやウクライナの友人との交流の場で、東京にいながら、彼らがいまどうしているのかとりあえず知ることができる安心で便利なインフラだった。とくに、どこにも行けないコロナ禍においては、Facebook はわたしがつながっていたい世界を垣間見せてくれる支えだった。
それが、戦争が始まってから、Facebook は安否確認の場になった。投稿を追う、ログイン状況を確認する、直接連絡するなど、いくつかのやり方で友人たちの活動の跡を辿る。彼らはいまのところ無事だ。だが、知り合いの知り合いには、亡くなったひと、またロシア軍の占領下にあって困難を強いられているひとがいる。生前の笑顔の写真が流れてくる。カムフラージュ柄の軍服を着ていたり、着ていなかったり。つい最近まで、こんな日々がやってくることなど疑いもせず、平和に暮らしていた人びとだ。
ロシアの独立 TV 局「ドーシチ」のナタリヤ・シンデーエワが、個人的な知り合いであるらしい外務省情報局長のマリヤ・ザハロワや「ロシア・トゥデイ」のマルガリータ・シモニャンら、政権のプロパガンダに関わる女性たちに宛てた公開書簡が、やはり Facebook で流れてきた。自分はひとりの母親として、子どもたちが爆撃で死んでいるのが耐え難い、あなたたちも母親でしょう、あなたの子どもたちだって戦場に送りたくないでしょう、ウクライナの子どもたちの死に思いを馳せて、と呼びかけるものだ。手紙は、「なぜこんな手紙を書いているのかまったくわからないし、わたしが呼びかけている相手が、わたしの言葉に耳を傾けるとも思っていない、けれども書かずにはいられない。絶望のなかで善を信じている、それ以外にわたしたちにできることはない、だから書きます」と始まっている。絶望のなかで書かれたストレートな訴えに、読んでいて涙が流れた。理不尽な現実を突きつけてくる言葉だった[★1]。
これに対して、シモニャンはそんな感情的になっている暇は自分にはない、と答えた。そして、「この8年の間、ドンバスで亡きものにされてきた命については、なぜあなたは気にかけなかったの? あなたのメディアも、あなたも黙っていたじゃない」と。自分はドンバスでの惨状について、具体的にプーチン大統領にも繰り返し働きかけてきた。「ゴルロフカの聖母」や「ズグレスの浜」を知っているか、と[★2]。これらはいずれも2014年の東部戦線でのできごとで、銃撃や爆撃で子どもたちを含む一般市民の命が失われたケースである。わたしはこのときまでそれらの事件を知らなかった。これらの件については、ロシアはウクライナの罪を非難し、ウクライナはロシアの罪を非難している。
戦争が始まる前、ロシア軍が続々とウクライナ国境に集結する様子が連日報道されていた。しかし、ロシアがウクライナに侵攻するとは、どうしても思えなかった。ウクライナには多数のロシア人が住んでいる。ロシアにも多数のウクライナ人が住んでいる。ウクライナ人とロシア人のカップルは多い。そもそも30年前まではひとつの国だったのだ。進学や就職も両国をまたいで行われてきた。たとえばチェルノブイリ原発の職員はソ連各地から集まってきていた。だから原発では主にロシア語が使われていたと聞いた。このあいだ見たロシアの新作映画にだって、ウクライナ人俳優が参加していた。
ロシアの政府関係者にも軍関係者にも、ウクライナと近いひとたちがいないはずがない。これだけ近い国に攻め込んで、国民の理解を得られるわけがないだろうと、わたしは考えていた。
しかし、思い起こしてみると、たしかに分断は進んでいた。2014年、ロシアによるクリミア併合が起こったあと、ウクライナとロシアを結ぶ飛行機の便はなくなった。ロシア国内ではクリミア併合賛成派と反対派に社会が割れた。賛成派が意外と多かったことを覚えている。男性の場合は相手の国への入国を拒まれるケースも起こるようになり、両国間の往来には障害が生じた。ウクライナではロシア語を母語とする住民も少なくないが、キエフでは次第にウクライナ語を見聞きすることが増え、ロシア語での情報収集が少しずつ難しくなっていった。だから、わたしもここ2年ほど少しずつウクライナ語を勉強している。
どこかで必ず重ならざるを得ない複数の現実が、「ウクライナ」「ロシア」という大きな概念でざっくり括られ、切り分けられている。そもそもあるひとにとっての現実は、別のひとにとっての現実とは異なるものであるだろう。現実は状況の組み合わせでできているのだ。
そのうえ、わたしは「善を信じ」すぎていたのかもしれない。だから、ロシアの現実やウクライナの現実を見ていても、そこに放たれている悪意や憎悪を過小評価していたのだろう。いま、双方から憎悪の叫びが飛び交うのを見て、茫然自失状態なのだから。悪夢のなかにいるようだ。しかし、いかに理解し難かろうと、この憎悪にまみれた現実を理解するしかないのだ。
戦争のなかで、憎悪はますます強まっている。早く平和が戻って欲しい。だが、戦争が終わっても憎悪はすぐには止まらない。ウクライナでは、ロシアのすべてが憎いという気分が蔓延している。仕方のないことだ。だが、隣国という地理的条件は消去できない。戦争が終わったら、隣国として共生しなければならない。
いつか少しでも関係が修復されるときのためにも、いまは憎悪を受け止め、それぞれの言い分を理解し、人びとの考えていることを解きほぐしていくことが必要なのだろう。当事者ではないけれども近い位置にいるわたしにできる数少ないことかもしれない。
***
※ 本稿ではウクライナの地名はあえてロシア語表記を用いた。筆者が最後にウクライナを訪問した2019年の時点で用いていた呼び名で書くことにしたからである。ウクライナ語からの表記では、キエフはキーウ Київ、チェルノブイリはチョルノブイリ Чорнобиль、ハリコフはハルキウ Харків、ゴルロフカはホルリフカ Горлівка となる。マリウポリ Маріуполь、ズグレス Зугресについては、どちらの言語からでも日本語表記は同じになる。原稿内にも書いた通り、ゴルロフカ、ズグレスについては今回の戦争中に知った地名であるが、発話者のシモニャンが愛国的な文脈で取り上げていることを考慮してロシア語からの表記にした。
ウクライナには一定数のロシア語話者がいる。ウクライナにおいては総人口の22%がロシア人である。東京外国語大学のデータベースによると、そのほかに民族的ウクライナ人の12.2%がロシア語を母語としているという(http://www.tufs.ac.jp/common/fs/ilr/archive/ukr/ukr1.html)。戦後はこのバランスは変わってしまうのだろう。
しかし、思い起こしてみると、たしかに分断は進んでいた。2014年、ロシアによるクリミア併合が起こったあと、ウクライナとロシアを結ぶ飛行機の便はなくなった。ロシア国内ではクリミア併合賛成派と反対派に社会が割れた。賛成派が意外と多かったことを覚えている。男性の場合は相手の国への入国を拒まれるケースも起こるようになり、両国間の往来には障害が生じた。ウクライナではロシア語を母語とする住民も少なくないが、キエフでは次第にウクライナ語を見聞きすることが増え、ロシア語での情報収集が少しずつ難しくなっていった。だから、わたしもここ2年ほど少しずつウクライナ語を勉強している。
どこかで必ず重ならざるを得ない複数の現実が、「ウクライナ」「ロシア」という大きな概念でざっくり括られ、切り分けられている。そもそもあるひとにとっての現実は、別のひとにとっての現実とは異なるものであるだろう。現実は状況の組み合わせでできているのだ。
そのうえ、わたしは「善を信じ」すぎていたのかもしれない。だから、ロシアの現実やウクライナの現実を見ていても、そこに放たれている悪意や憎悪を過小評価していたのだろう。いま、双方から憎悪の叫びが飛び交うのを見て、茫然自失状態なのだから。悪夢のなかにいるようだ。しかし、いかに理解し難かろうと、この憎悪にまみれた現実を理解するしかないのだ。
戦争のなかで、憎悪はますます強まっている。早く平和が戻って欲しい。だが、戦争が終わっても憎悪はすぐには止まらない。ウクライナでは、ロシアのすべてが憎いという気分が蔓延している。仕方のないことだ。だが、隣国という地理的条件は消去できない。戦争が終わったら、隣国として共生しなければならない。
いつか少しでも関係が修復されるときのためにも、いまは憎悪を受け止め、それぞれの言い分を理解し、人びとの考えていることを解きほぐしていくことが必要なのだろう。当事者ではないけれども近い位置にいるわたしにできる数少ないことかもしれない。
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※ 本稿ではウクライナの地名はあえてロシア語表記を用いた。筆者が最後にウクライナを訪問した2019年の時点で用いていた呼び名で書くことにしたからである。ウクライナ語からの表記では、キエフはキーウ Київ、チェルノブイリはチョルノブイリ Чорнобиль、ハリコフはハルキウ Харків、ゴルロフカはホルリフカ Горлівка となる。マリウポリ Маріуполь、ズグレス Зугресについては、どちらの言語からでも日本語表記は同じになる。原稿内にも書いた通り、ゴルロフカ、ズグレスについては今回の戦争中に知った地名であるが、発話者のシモニャンが愛国的な文脈で取り上げていることを考慮してロシア語からの表記にした。
ウクライナには一定数のロシア語話者がいる。ウクライナにおいては総人口の22%がロシア人である。東京外国語大学のデータベースによると、そのほかに民族的ウクライナ人の12.2%がロシア語を母語としているという(http://www.tufs.ac.jp/common/fs/ilr/archive/ukr/ukr1.html)。戦後はこのバランスは変わってしまうのだろう。
★1 最初に目にしたのはこちらの投稿だった。 ОТКРЫТОЕ ПИСЬМО НАТАЛЬИ СИНДЕЕВОЙ. URL= https://www.facebook.com/sergey.fokin.526/posts/4954692924647294 のち、ノーヴァヤ・ガゼータのブログに同じ文章が公開されているのを確認した。 Обращение Натальи Синдеевой // Блог «Новой газеты». 20 март 2022. URL= https://novayagazeta.livejournal.com/16467270.html
★2 Ответ Маргариты Симоньян на открытое письмо Натальи Синдеевой // MPSG.RU. 21 март 2022. https://mpsh.ru/7578-otvet-margarity-simonjan-na-otkrytoe-pismo-natali-sindeevoj.html
上田洋子
1974年生まれ。ロシア文学者、ロシア語通訳・翻訳者。博士(文学)。ゲンロン代表。早稲田大学非常勤講師。2023年度日本ロシア文学会大賞受賞。著書に『ロシア宇宙主義』(共訳、河出書房新社、2024)、『プッシー・ライオットの革命』(監修、DU BOOKS、2018)、『歌舞伎と革命ロシア』(編著、森話社、2017)、『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』(調査・監修、ゲンロン、2013)、『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』(共訳、松籟社、2012)など。展示企画に「メイエルホリドの演劇と生涯:没後70年・復権55年」展(早稲田大学演劇博物館、2010)など。
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