ロシア語で旅する世界(10) 循環する記憶──イリヤ・フルジャノフスキー監督『DAU』とバービン・ヤル博物館|上田洋子

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初出:2020年9月23日刊行『ゲンロン11』
 2月27日(土)から、イリヤ・フルジャノフスキー監督『DAU. ナターシャ』が日本で公開されます。ソ連全体主義の社会を再現するという壮大さが、世界的に大きな反響を呼んでいるプロジェクト「DAU」。そこで撮影された膨大なフッテージから創出されたのが今回公開される『DAU. ナターシャ』です。これに合わせて、「DAU」のプロジェクト全体を論じた上田洋子の論考を『ゲンロン11』より掲載します。期間限定無料公開ですので、映画の理解を深め、記憶を廻る旅に向かうべくぜひご覧ください。
 
【映画情報】
『DAU. ナターシャ』
公開:2021年2月27日(土)シアター・イメージフォーラム、アップリンク吉祥寺ほか
監督・脚本:イリヤ・フルジャノフスキー / エカテリーナ・エルテリ
出演:ナターリヤ・ベレジナヤ / オリガ・シカバルニャ / ウラジーミル・アジッポ
2020年/ドイツ、ウクライナ、イギリス、ロシア合作 / ロシア語 / 139分 / ビスタ / カラー / 5.1ch /
原題:DAU. Natasha / R-18+
日本語字幕:岩辺いずみ / 字幕監修:松下隆志 / 配給:トランスフォーマー
公式HP:www.transformer.co.jp/m/dau/ 
Twitter&Instagram:@DAU_movie
 
 コロナ禍で旅ができなくなってしまった。

 国境を越えて移動することができない、そんな状況に陥ったことはいままでなかった。想像以上に辛い。

 わたしは外国文学・文化の研究者である。定期的にその土地に身を置き、環境に身を浸し、生の言葉を聞いて、本を読むだけでは理解しきれないなにかを摑むことをずっと大切にしてきた。しかも、わたしの研究対象であるロシアは、1991年にソ連という国が崩壊して生まれた新しい国で、その社会はある時期までは混乱しながらも速いスピードで変化していた。だから、定期的に現地に行って、変化のダイナミズムを体感することには意味があった。

 そもそもソ連時代は、渡航それ自体が容易ではなかった。わたしはロシアになってから渡航を始めているが、少し上の世代にとっては、旅行にも留学にもバリアがあった。常に現地に通わなければならない、という強迫観念にも似た思いには、そうした背景もあった。

 だから、今回のCOVID-19の流行に際して、ロシア人がおとなしく隔離政策に従って家にこもっていることに、幾分の驚きを覚えた。ソ連時代の不自由を思い出し、移動の自由の制限に反対する人がたくさんいるだろうと思っていたのだ。しかし、そんなことはなかった。もしかしたら彼らは早いうちにダーチャ(郊外のセカンドハウス)に移るなどして、むしろ気楽に自己隔離を楽しんでいたのかもしれない。

 



 今回はソ連時代の記憶をめぐる旅へと導くふたつのプロジェクトについて書こうと思う。ひとつは2019年に公開され始めた映画プロジェクト『ダウ Дау』。ソ連のノーベル賞物理学者レフ・ランダウを描いた映画シリーズで、公開の際には現代美術のような方法も取られたユニークなものだ。もうひとつは同じく2019年に着手されたウクライナ、キエフのバービン・ヤルの記念公園整備と博物館設立のプロジェクトだ。バービン・ヤルについては、『ゲンロン10』に発表された東浩紀の論考「悪の愚かさについて、あるいは収容所と団地の問題」に、そこを訪れたことについての記述がある。なお、東の原稿で使われていた「バビ・ヤール」という表記は、ロシア語の Бабий яр からきているが、ウクライナ語ではバービン・ヤル Бабин яр である。本稿ではウクライナ語からの表記を用いることにする★1

『ダウ』とバービン・ヤル、ふたつのプロジェクトはどちらも空間だけでなく、時間の旅を経験させてくれる。『ダウ』は現在、その一部をオンラインでも廻ることができる。バービン・ヤルのほうも年内にオンラインミュージアムの開設が約束されている。現実の旅の不足を少しでも補うべく、歴史への旅を考えてみたい。

『ダウ』──記憶を消さないために、リアリズムを極める


 ふたつのプロジェクトは、いずれもロシアの映画監督、イリヤ・フルジャノフスキーが主導している。

 フルジャノフスキーは1975年モスクワ生まれ。わたしと同世代だ。2004年に長編映画『4』(ウラジーミル・ソローキン脚本)でデビューし、この作品でロッテルダム映画祭の金賞を受賞した。『4』は、当時まだソ連崩壊後の混乱から抜けていなかったロシアの都会と村を舞台に、現実と想像力の世界が交わる不思議な作品だ。女ばかりが暮らす村で、老婆たちが酒宴の中で豊満な乳房をむき出しにするさまがグロテスクに映し出されるシーンがあり、特にロシア国内で賛否両論を巻き起こした。

『ダウ』は『4』に続くフルジャノフスキーの第2作である。なぜデビュー作が2004年で、第2作が2019年なのか。それはこの作品が長大な製作期間を要したからだった。

『ダウ』の企画が始動したのは2005年、撮影が開始されたのは2007年だった。撮影は基本的には2011年に終了している★2。だが、そこから作品が公開されるまでに8年の年月を経ている。その間、編集作業が続いているといわれていた。わたしは撮影が開始された頃にニュースでこの企画を知り、ずっと楽しみにしていた。日本で見られるようになったのは今年なので、公開まで13年も待ったことになる。

 この作品はかなり変わっている。とにかくすべてにおいて規模がおかしい。

 製作にかかった年月もさることながら、映画のボリュームが凄い。「素材」と呼ばれる映像が700時間あり、今後、公式サイト dau.com にすべてアーカイブされるらしい。同サイトによると、現在はこれらの素材から、1時間半から6時間程度のフィルムが14本、そしてさらに長時間の「シリーズ」が6本ほど作られているようだ。そのうちのいくつかはこの4月から dau.com で1本3ドルでレンタル視聴ができるようになった。作品内の時間設定も長く、ランダウがモスクワにやってきた翌年の1938年から、死を迎える68年までの30年間を扱っている。
 

スチルはすべて2月27日より公開の『DAU. ナターシャ』より。主人公のナターシャ(ナターリヤ・ベレジナヤ)はプロの俳優ではなかったが、素晴らしい演技で2020年ヨーロッパ映画賞女優賞にノミネートされた。彼女の演技を見るためだけでもこの作品を見る価値がある ©PHENOMEN FILMS
 
 撮影方法も特殊である。もともとは『4』と同じソローキンの脚本による一般的なフォーマットの映画になるはずだった。だから、当初ニュースの目玉だったのは、テーマ以外には、主人公を演じるのが新進気鋭の指揮者テオドール・クルレンツィスだということだったように思う。「ダウ」はランダウの愛称なので、クルレンツィスの役はタイトルロールである。クルレンツィスは俳優でないだけでなく、ロシアに帰化したギリシア人で、ロシア語は流暢だが少し訛りがある。当時すでにカリスマ的な人気を得始めていたクルレンツィスのこの映画への起用は驚きと話題を呼んだ。

 撮影が始まってしばらく経った2009年、東ウクライナの工業都市ハリコフに、6000平米を超える研究所の巨大なセットが建てられた。映画セットとして旧ソ連圏で最大級の広さらしい。ランダウが所属していたモスクワの物理学諸問題研究所 Институт физических проблем をモデルとしたこのセットの中には、大学のキャンパスのように、研究棟、寮、住宅、運動場、食堂、管理人室などがつくられた★3。それだけではなく、このセット内ではソ連時代の生活が完全に再現されていた。建物の外観・内観から、食事、衣服、トイレの臭いまで、入念な歴史考証に基づき再現されたのだ。食事は見た目だけでなく、味もソ連時代のままだったという。おまけにそこでは独自の通貨が流通し、研究所の機関紙まで発行されていたらしい★4

 研究所の中に入るひとは、キャストもスタッフも、訪問客も、インタビューにきたジャーナリストも、誰もが下着まですっかりソ連時代の服に着替え、スマホを入り口で預けることを義務づけられた。そして、ソ連時代の臭いの中で用を足し、ソ連時代の味の食べ物を食べた。食事があまりにまずいので泊まり込みのキャストやスタッフは酒量が増えた、という証言もある。

 研究所に泊まり込んでいたのは、本物の科学者やアーティストである。被験者、管理人や掃除夫、食堂スタッフ、秘密警察らの「役」はオーディションを経て決まった。そして、2011年までの3年弱のあいだ、住み込みの「研究生活」が行われた。そこでは実際に実験が行われていただけでなく、学術シンポジウムも開催されている。物理学者のアンドレイ・ローセフ、数学者のドミトリー・カレディン、物理学者で弦理論(ストリング理論)研究のニキータ・ネクラーソフ、それにメディア・アーティストのアンドレイ・ブリノフも本名で科学者の役を演じている。ランダウの師、カピーツァ(映画の役名はクルピーツァ)を演じたのは演出家のアナトリー・ワシーリエフだ★5。また、ネオナチの活動家マクシム・マルツィンケヴィチ(現在収監中)や、元収容所職員のウラジーミル・アジッポらがそれぞれ経験を生かし、体制側として秩序を維持し、人々を管理する役で参加しているのも注目に値する。

 セットの中ではソ連という別の時代、別の国の別の時間が流れていた。そして、そこでは自分が24時間いつでも撮影される可能性があることを人々は承知していた。カメラから逃れられない状況は、ソ連の監視社会下におけるのとどこか通じるような振る舞いの制約を彼らに課したはずだ。ゲストとして撮影現場を訪れた演出家のロメオ・カステルッチやピーター・セラーズ、アーティストのマリーナ・アブラモヴィッチ、写真家のボリス・ミハイロフ夫妻ら名だたる文化人も、時代にふさわしい服装に身を包み、本名あるいはそれに近い名前で作品のどこかに登場している。虚構のソ連時代に迷い込み、ソ連時代の振る舞いをなぞらざるを得なくなった人々である。
 セットの中での擬似ソ連生活が進むにつれて、この研究所の生態系それ自体が撮影対象となっていき、ソローキンの脚本は消滅した。ランダウ=クルレンツィスは複数の主人公のうちのひとりになった。脚本はいちおうあるようだが、一種のリアリティ・ショーのような、半ドキュメンタリーのような方法で撮影が続けられた。再現されたソ連の中で、ソ連のルールに従って生きる人々の振る舞いや感情、恐れなどがフィルムに記録される。撮影された素材の断片は、科学者やその妻、被験者、食堂職員、弾圧者ら、さまざまな立場の人物に焦点を当てて再編される。こうして、近い過去であるソ連時代を記録し、記憶する新たなアーカイブが作られた。
 

右は演出家のアナトリー・ワシーリエフが演じる研究所所長クルピーツァ。DAUシリーズでは、「The Empire」(映像はサイトで未公開)という作品がクルピーツァとダウ(テオドール・クルレンツィス)の対話を描いたものであるという。なお、ワシーリエフは80年代から活躍するロシアを代表する演出家で、鈴木忠志の招聘で利賀村や静岡芸術劇場でも公演している ©PHENOMEN FILMS
 

実験をする研究員たち。右手前はフランス人の客員研究員役の化学者リュック・ビジェ。彼はナターシャと親しい仲になる。そして…… ©PHENOMEN FILMS
 
『ダウ』は当初、2018年にベルリンでプレミアを迎える予定だった。ベルリン芸術週間(Berliner Festspiele)の一企画として、同年秋、10月から11月にかけての約1ヶ月間、ベルリンの街に、東西ドイツ時代の「ベルリンの壁」を模した壁を建て、壁の内部で『ダウ』の上映を行い、さらにそこではソ連・東ドイツ時代を体験できるようにするという計画があったのだ。参加者はチケットの代わりに「パスポート」を手に入れる。入り口でスマホを預け、特殊なナビゲーション装置と交換する。そしてこの装置の案内で壁の中の空間を移動するはずだった。

 この壁の建設は、10月12日、実際のベルリンの壁と同じく一夜で成し遂げられる予定だった(ベルリンの壁が出現したのは1963年8月13日)。そして、ベルリンの壁崩壊の記念日である11月9日に合わせて、壁が壊されるパフォーマンスが予定されていた。壁の位置はウンター・デン・リンデンのベルリン国立劇場から運河のあたりとのことで、歴史上のベルリンの壁からは少しずれていたようだ★6

 しかし、ベルリン市から許可が下りず、プロジェクトは直前に中止された。ベルリン市はその理由を、書類上の不備があり、審査ができないためとした。短期間で安全上の問題をクリアすることができなかったとも報じられている。加えて、市民からの反対もあった。壁は悲劇の記憶と結びついており、アートのためであれ再建されるのは望ましくない、というのだ。プロジェクトは「ソ連のディズニーランド」と揶揄され、広く理解を得られることはなかったようだ。

 じつは、わたしは東浩紀とこのプロジェクトを取材しに行く予定だった。飛行機のチケットも購入していたのだが、中止するしかなかった。

 ベルリンのプロジェクトは『自由』と名づけられ、このあとにパリとロンドンで『平等』『友愛』が続き、いずれも大規模インスタレーションと24時間体制での映画上映が行われる予定だった。ベルリンがなくなったので、『ダウ』のプレミアはパリになり、2019年1月から2月にかけて開催された。シャトレ劇場、パリ市立劇場、ポンピドゥー・センターの3ヶ所を会場とし、ポンピドゥー・センターには研究所内部のセットが再現された(再現の再現だ)。さらに、この期間中にクルレンツィスのオーケストラであるムジカ・エテルナや、ブライアン・イーノのコンサートなどが予告なしに行われるなど、かなり大規模なものだったようだ。
 パリでの反応は賛否両論で、特に、拷問などの暴力的シーンが問題視され、映画撮影における倫理をめぐる議論が起こった。ル・モンド紙では大きな批判記事が出た。オーディションを受けたという匿名の女性たちの証言などを用いてプロジェクトをスキャンダラスに見せようとする意図が透けて見える記事で、フルジャノフスキーはこの記事で自分の発言を捏造されたと抗議している★7

 さらに今年の4月になって、ウクライナ人女性から、『ダウ』の撮影の際に赤ん坊に対する暴力があったとSNSで告発があった。告発後すぐに、ハリコフで検察が捜査を開始した。しかし、これは濡れ衣だったようで、その後、これを報道したイギリスのテレグラフ紙が記事を撤回して謝罪文を出すというようなことも起こっている★8

 キャストの選び方や撮影方法はもちろん、ベルリンの壁を再現して東西ドイツが分裂していた時代の記憶を呼び覚まそうとするやり方にも、映画の暴力的な場面を見て観客が恐怖と嫌悪感を感じている様子にも、『ダウ』におけるリアリズムへの強い志向が見て取れる。

『ダウ』は、歴史からソ連時代の比較的近い記憶を呼び起こし、徹底したリアリズムの手法で、それを演者や観客の身体にきざみつける。観客は映像の中のリアルな感情や感覚に襲われて、痛みや不条理、人間性の軽視を追体験して、ときに苦しむのだ。

 そうした、芸術を介した歴史の暴力の二次体験が、心の傷になってしまうことはあるだろう。かといって、ひとが痛みを伴う体験をしないまま、悪を忌避すべきものとして記憶することができるのかはわからない。『ダウ』はいわば究極のリアリズムを通して、芸術と現実、芸術と記憶、そして人間社会にとっての芸術の役割についての問題を鋭く問いかけている。
 

研究所のセットの一部。ソ連がデフォルメされている ©PHENOMEN FILMS
 

バービン・ヤル・メモリアルセンター


 今年4月末のこと、フェイスブックを見ていて、たまたまウクライナ人写真家のヴィクトル・マルシチェンコがバービン・ヤルについて投稿しているのを見つけた★9。バービン・ヤルはキエフにあるユダヤ人虐殺の跡地である。第二次世界大戦中の1941年9月、ドイツ占領下のキエフで、街に暮らすすべてのユダヤ人に召集がかかった。集まった人々は順番にバービン・ヤルの谷に連行され、次々に銃殺されて、そのまま埋められた。

 最初に書いた通り、バービン・ヤルについては、東浩紀「悪の愚かさについて」に言及がある。そのときの取材にはわたしも同行している。東も書いているが、いまのバービン・ヤルには谷の面影はほとんどなく、また、跡地の公園には詳しい地図も案内もない。だから、現地に行っても虐殺がどこで起こったのかよくわからない。地下鉄を降りると、公園が道路を挟んでふたつに分かれている。南側にはソ連時代につくられた印象的な記念碑が、谷を少しだけ彷彿させる地形に立っている。北側は埋め立てられて平坦であり、ベンチが置かれてきれいに整備され、子連れの市民たちが憩っている。公園のかなり奥の方にユダヤのメノーラー型の記念碑があるが、その裏手は、緑が鬱蒼と茂った谷になっていた。マルシチェンコの投稿にあったのは、この谷の写真だった。それは、東とわたしが、写真で見た虐殺の現場はここではないかと推察していた場所と一致していた。

 マルシチェンコの投稿には、大きな歴史的事件があった場所だとはとても思えない打ち捨てられた谷の写真に添えて、「バービン・ヤル・センター」に期待する、専門家とともに「問題」を解決してほしい、そして6月には人々にプロジェクトをしっかり提案してほしい、といったことが書かれていた。事件後80年のあいだ、われわれキエフ人はなにもしてこなかった、ともあった。こうして、わたしはバービン・ヤルに博物館を建てる計画があることを知った。計画にはなんらかの問題があることも。

 



 この「問題」の種はなんと『ダウ』のイリヤ・フルジャノフスキーだった。バービン・ヤルの博物館化計画の芸術監督もまた彼だったのだ。つい最近、2019年の冬に任命されたらしい。どうやらキエフ市民たちは、過激でスキャンダラスな芸術家のフルジャノフスキーがバービン・ヤル博物館を手がけることに懐疑的なようだった。

 2020年4月27日、マルシチェンコの投稿の前日だが、フルジャノフスキーによるバービン・ヤル博物館のプロジェクト資料が流出し、その一部が「バービン・ヤル フルジャノフスキー監督の恐怖の博物館」という悪意あるタイトルとともにネット公開された★10。そこにはドラフトらしいやや「適当」に選んだように見えるイメージ写真とともに、VRやホログラム、顔認証の利用、ゲーム方式や体験型・没入型の展示で感情を喚起、といったような、現代的な展示方法が提案されていた。それだけでなく、体験型展示のための資料として、被験者に監獄の看守と囚人を演じさせ、社会的役割における人間の振る舞いを明らかにしようとしたスタンフォード監獄実験や、ひとは権威から指示を受けた場合に他者に痛みを与えることを躊躇するのかを調べたミルグラム実験など、ホロコーストの問題と関係のありそうな社会心理実験が列挙されていた。また、コンサートなどの娯楽プログラムについても書かれており、招聘が望まれるミュージシャンの名前が列挙されていたが、なぜかそこにはマイケル・ジャクソンの写真が掲載されていた。

 この資料が流出した結果、フルジャノフスキーに対して、悲劇の記憶や死者を冒瀆している、バービン・ヤルをディズニーランド化しようとしている、不真面目だという批判が起こった。不幸なことに、これはちょうど、『ダウ』の撮影現場における子どもに対する暴力の調査が始まった時期とも重なっていた。さらに少し前に、フルジャノフスキーはバービン・ヤルのある駅の名前を現在の「ドロゴジチ」から「バービン・ヤル」に変えることを提案し、キエフ市民の反感を買っていた。こうして、フルジャノフスキーがバービン・ヤル博物館計画に携わっていることに反対する公開書簡が出され、文化人のあいだで署名運動すら起こった。ただし、あとで述べるように、6月にプロジェクトを固めて発表してからは、反フルジャノフスキー運動は下火になったように見える。

 



 バービン・ヤルの博物館計画は、フルジャノフスキーの芸術監督就任以前から存在していた。記念公園の設立と整備が正式に決定されたのは2016年、バービン・ヤルの虐殺から75年の節目である。ポロシェンコ・ウクライナ大統領(当時)、クリチコ・キエフ市長、キエフのユダヤ教聖職者、社会活動家、スポンサーとなるビジネスマンらが共同で声明を出し、設立を表明した。このときに歴史家を集めて研究所がつくられ、2018年にはバービン・ヤルの歴史についての公式見解が『歴史的ナラティヴの基礎』という本にまとめられている★11。その後、2019年になって、プロジェクトを芸術面から支える人物が不可欠であることが判明し、監査委員会の協議のもと、フルジャノフスキーが招かれた。

 じつは、フルジャノフスキーが参加する前から、計画は幾度となく攻撃や非難に晒されてきた。まず、この場所にホロコーストに特化した博物館を建てるのは、この場所で起きたユダヤ人虐殺以外の歴史を軽んじているという批判があった。この意見は反ユダヤ的な人からも、また、ドイツだけでなくソ連の暴力も告発したいというひとからも出てきたようだ。さらに、スポンサーにロシア人が含まれているのが許せないという露骨に反露的な批判もなされた。他方、フルジャノフスキーは母が1940年生まれのウクライナ出身のユダヤ人で、ギリギリのタイミングでホロコーストを逃れている。だからバービン・ヤルの歴史は自分にとって近いものである、この問題に携わる資格があると主張している。

 それにもかかわらず、フルジャノフスキーが芸術監督になると、かつてのスタッフや歴史家はみな組織を離れてしまった。フルジャノフスキーのスキャンダラスなイメージに対する反感、そして歴史を扱う際の考え方の違いが理由とされているが、フルジャノフスキーと彼が招いた新しいディレクターが導入しようとする新しい技術への忌避、さらには仕事の効率化が嫌がられたという側面もあったようだ。スタッフは旧体制から完全に入れ替わり、そして若返った。それまで動きの緩慢だった博物館のプロジェクトは急速に進み始めた。フルジャノフスキーはあるインタビューで、このプロジェクトが自分にとっていかに重要かを語りつつ、バービン・ヤルを単なる記念碑ではなく、生きた記憶の場所にしたい、何百万人ものひとに訪れてもらいたい、そのためには最先端の方法が必要だと述べている★12

 人々の批判や反感を払拭すべく、2020年6月には監査委員会に対する計画の進捗報告が公開で行われた。いまもこの動画を見ることができるが★13、そこでは新しいロゴが発表され、オーラル・ヒストリーやアーカイブ資料の収集、リサーチの成果をまとめた書籍の刊行をはじめ、非常に興味深いプロジェクトが紹介されていて好感を持った。今後は市民にも支持されるのではないだろうか。特に期待されるコンテンツを紹介しておこう。

 ひとつめは位置情報に関するプロジェクトだ。バービン・ヤルはソ連時代に埋め立てられたため、昔の谷の面影をほとんど残していない。だから、残された虐殺時の写真がどの場所で撮影されたものかを判断するのはたいへん難しい。その解明のため、複数の時代の地図、地形図、航空写真や風景写真などをコンピュータを用いて重ね合わせ、3D化する作業が進められている。そして、特徴的な谷の稜線のかたちをトレースして、虐殺現場の写真に写り込んだ稜線と重ね合わせて、正確に場所を特定するのだ。これによって、虐殺がどこで行われていたかが正確にわかるようになってきている。
 ふたつめは記録映像の再現である。ドキュメンタリー映画監督のセルゲイ・ロズニッツァが、複数のアーカイブから、バービン・ヤルが映った映像を可能な限り集め、編集し、音声をつけるなどして現代によみがえらせたものを展示するという。監査委員会への報告動画では、1961年のダム決壊後の洪水の映像と、工場建設の映像の2本が紹介されていた。わたしもそれを視聴したが、戦後、バービン・ヤルがどのような場所だったのか、また、情報としては知っていたダムの決壊についても、断片的ながら少し理解することができた。

 3つめは「名」というプロジェクトだ。やはり各地のアーカイブ資料を駆使して、バービン・ヤルで銃殺されたすべての人々の名前を明らかにしようとしている。そもそもこれまでそうした試みが行われていなかったことそれ自体が、バービン・ヤルの記憶の風化を物語っている。多くの戦争記念公園には戦没者の名前を記す記念碑がある。沖縄の摩文仁の丘の戦跡国定公園が典型的だろう。後世から碑を見るものにとっては、それは知らない名前の羅列であるかもしれない。しかし、犠牲者に名前がなければ、そのひとが存在していたという記憶そのものが消えてしまう。名前の回復はたいへん重要な作業なのだ。

 もうひとつ、ロシア人の作家でジャーナリストのミハイル・ズィガリによる、「インタラクティヴ日記」と呼ばれるプロジェクトも興味深い。虐殺当時に起こったできごとを、個人の写真や日記、世界情勢などと組み合わせ、ネット上で再現するものだ。ズィガリは2017年、ロシア革命100年の折に「1917プロジェクト」というサイトを運営しており、わたしも愛読していた★14。これは1917年の毎日のできごとが、当時の作家の日記や作品の断片、写真などが歴史的事実に沿って投稿されるかたちでタイムラインに浮かんでくるサイトで、革命に向かう社会の動きが、あたかもリアルタイムであるかのように感じられた。こんどもこれと似たものが作られるのだろうと思われるが、過去の日々についてのジャーナリズムと個人の体験が、現代のインターネットの形式に則ってリアルに更新されるのは非常に面白い体験だった。

 動画によると、今年中には博物館の方向性が決定し、来年には建設が始まるようだ。公式サイトでは、2023年に「バービン・ヤル・ホロコーストメモリアルセンター」がオープンするとされている。他方、フルジャノフスキーはロシア版BBCのインタビューで、2025年頃を完成の目処としている。もちろん、『ダウ』の完成までに15年近くかかっていることや、現在提案されているプロジェクトの規模を考えると、予定どおり進むのかいささか心配にはなる。しかし、バービン・ヤル公式サイトに登録すると週2回ほど送られてくる活動報告を見ると、アーカイブ調査やオーラルヒストリーの収集は順調に行われているようだ。いまから完成が楽しみである。その頃ゲンロンでチェルノブイリ・ツアーを開催することができていたら、ぜひプログラムに組み込みたい。

メイエルホリドからフルジャノフスキーへ


 ところで、フルジャノフスキーの父アンドレイ(1939年生まれ)はアニメーション映画の監督である。日本でもよく知られているユーリー・ノルシュテイン(1941年生まれ)とは同世代で、同志でもある。2020年には新作『鼻、あるいは「はぐれもの」たちの陰謀』がアヌシー国際アニメーション映画祭の審査員賞を受賞した。ショスタコーヴィチのオペラ『鼻』を中心に据え、同時代を描いた作品だが、完成に10年近くを費やしている。父フルジャノフスキーもやはり、作品を1本撮るのに長大な時間をかけるタイプだ。

 この作品には演出家のフセヴォロド・メイエルホリドが登場する。彼については詳しくは本連載の第7回(『ゲンロン5』所収)を読んでいただきたいが、ここでは身体表現を通して演劇のリアルを探ったひとだったことだけ述べておこう。メイエルホリドはユダヤ人で、1940年に粛清された。弟子にあたる映画監督のエイゼンシュテインが、メイエルホリドのアーカイブを守った。

 父フルジャノフスキーは、子どもの頃から元メイエルホリド劇場の看板俳優エラスト・ガーリン、そして同劇場の演出助手だった彼の妻のヘニヤ・ロクシナと家族ぐるみの親しい付き合いがあった。父フルジャノフスキーのさらに父、イリヤの祖父にあたるユーリー・フルジャノフスキーは、若い頃はアヴァンギャルドの画家で、俳優でもあり、メイエルホリドと近いところにいた。

 わたしはかつて早稲田大学の演劇博物館に勤めていたとき、この博物館にたくさんのメイエルホリド関連資料が所蔵されていることを知り、メイエルホリド展を企画したことがある。展示を実施する際にはモスクワの「メイエルホリドの家博物館」の展示がとても参考になったのだが、その後も博物館に通ううちに館長と親しくなった。「家博物館」とはロシアにはよくある博物館の形態で、著名人が住んでいた家がそのまま博物館になっているものだ。メイエルホリドの家では、妻で女優のジナイーダ・ライヒが虐殺されたりもしている。だからそこには穏やかな生活と、生々しい死の両方の空気がある。

 あるとき突然、アンドレイ・フルジャノフスキーとマリヤ・ネイマンの夫妻から、来日するからよろしくとのメールがあった。それまでに彼らと面識はなかったのだが、メイエルホリドの家博物館館長の紹介で連絡がきたのだった。東京のサントリーホールで、彼の初期作品『グラス・ハーモニカ』(1968年)がオーケストラつきで上映されるという。チケットをいただいて、作品を見た。2011年の8月のことだった。

『グラス・ハーモニカ』は拝金主義と暴力が横行する中、音楽が世界を救い、人々は美と自由を取り戻すというテーマの、30分ほどのアニメーション作品である。ボッティチェッリからピカソ、デ・キリコまで、世界の名画のイメージがコラージュされて用いられ、シュルレアリスティックな映像がおどろおどろしくも美しい。この作品がソ連時代にいちども上演されなかった理由は理解できた。「拝金主義」と、西側を批判しているようなふりをしているが、じつはソ連の官僚主義を批判しているようにも読み取れるからだ。

 音楽を担当したのはアルフレッド・シュニトケだ。しかし、彼がこの作品のために書いたスコアは失われたと、ソ連・ロシアでは思われていた。それを日本人が発掘して(確かドイツからだったはずだ)、生演奏つきで上映した。感動的で奇跡的な夜だった。

 わたしがこの作品を見たのはこのときが初めてだった。そして、なぜかわからないのだが、いや、作品があまりにも素晴らしかったからだが、上映中ずっと涙が止まらなかった。終了後、フルジャノフスキー夫妻にお目にかかって、翌日、一緒に鎌倉に行った。

 フルジャノフスキー夫妻とはそのときからのお付き合いで、なんどかモスクワのお宅にもお邪魔したことがある。そして、たまたま実家にいたイリヤにも偶然会ったことがあった。

 



 メイエルホリドは大掛かりなスペクタクルを好み、最新の技術を舞台に取り入れ、独自の方法論を確立した妥協を知らない芸術家だった。しかし、ソ連政府から危険視され、弾圧を受けて、バービン・ヤルの大量虐殺の前年に、拷問ののち銃殺された。メイエルホリドの不屈の精神が、やはり妥協を知らない芸術家の父を介して、こちらも妥協を知らない芸術家イリヤ・フルジャノフスキーの、ソ連の暴力やホロコーストの記憶を残すための活動にまで受け継がれているような気がしている。記憶を媒介するのは結局「ひと」なのだなあと思う。そして、その記憶を形にする博物館や芸術作品も、ひとによって成されている。
 
ゲンロン、次の10年へ

『ゲンロン11』
安藤礼二/イ・アレックス・テックァン/石田英敬/伊藤剛/海猫沢めろん/大井昌和/大森望/山顕/小川哲/琴柱遥/さやわか/武富健治/辻田真佐憲/中島隆博/速水健朗/ユク・ホイ/本田晃子/巻上公一/松山洋平/安彦良和/山本直樹/柳美里/プラープダー・ユン/東浩紀/上田洋子/福冨渉 著
東浩紀 編

¥2,750(税込)|A5判・並製|本体424頁|2020/9/23刊行

 

★1 ロシア語からの表記は「バービイ・ヤール /ヤル」が普通である。よく用いられる「バビ・ヤール」表記は、おそらく英語(Babi Yar)から取られたのだろう。ショスタコーヴィチの交響曲13番がしばしばこう表記されるので、広く用いられるようになったのではないかと推測する。なお、この地名は「女の谷」を意味する。
★2 URL=http://os.colta.ru/news/details/31711/
★3 ハリコフという場所の選択には、ランダウがモスクワに移る前の1932−37年のあいだ、ハリコフのウクライナの物理工学研究所にいたことも関係しているだろう。東浩紀の言う「現実のすこしよこで」の虚構の撮影が、ここでも行われている。
★4 URL=https://www.bbc.com/ukrainian/features-russian-47271741
★5 クルレンツィスもワシーリエフも、いわば「天才肌」の指揮者・演出家である。ときに奇抜とも思われるアイデアに溢れ、芸術のことばかりを考え、やや現実離れをしているようにも見える。わたしはいちどワシーリエフの劇団で通訳をしたことがあるが、彼らの作品への没頭ぶりにはたいへん感動し、感銘を受けた。なお、ワシーリエフの劇団に対しては、富山県利賀村の世界演劇フェスティバルに同じ年に出演したという演出家の宮城聰氏が、あるインタビューでまったく同じ感想を語っていた。
★6 URL=http://www.theartnewspaper.ru/posts/5999/ なお、ベルリン芸術週間における『ダウ』のイベント告知記事はすでに削除されている。
★7 URL=https://www.lemonde.fr/culture/article/2019/01/19/dau-le-projet-artistique-fou-qui-seme-le-trouble-et-les-roubles-a-paris_5411699_3246.html?fbclid=IwAR1JR0W4M2fHMymkKREdg07Ve7aptCCIAFklGMMIgFs0IWOy-62raePHGvA&_ga=2.112913991.278992870.1597593540-1089569939.1597593540
★8 ハリコフの捜査については以下を参照。URL=https://www.gp.gov.ua/ua/news?_m=publications&_c=view&_t=rec&id=271436 テレグラフの謝罪記事は以下。URL=https://www.telegraph.co.uk/news/2020/07/10/ilya-khrzhanovsky-apology/
★9 URL=https://www.facebook.com/viktor.marushchenko/posts/3172903936077504
★10 URL=istpravda.com.ua/articles/2020/04/27/157398/ 約半月後に同じ記事の英語版も同サイトで公開されている。URL=istpravda.com.ua/eng/articles/2020/05/14/157507/
★11 この本は公式サイトからダウンロードできる。URL=http://babynyar.org/ru/narrative/
★12 URL=https://meduza.io/feature/2020/05/18/sovetskiy-zapah-esche-ne-vyvetrilsya-my-po-prezhnemu-ego-istochaem
★13 URL=https://youtu.be/5ogeIHRN2mc
★14 URL= https://project1917.ru/
 

上田洋子

1974年生まれ。ロシア文学者、ロシア語通訳・翻訳者。博士(文学)。ゲンロン代表。早稲田大学非常勤講師。2023年度日本ロシア文学会大賞受賞。著書に『ロシア宇宙主義』(共訳、河出書房新社、2024)、『プッシー・ライオットの革命』(監修、DU BOOKS、2018)、『歌舞伎と革命ロシア』(編著、森話社、2017)、『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』(調査・監修、ゲンロン、2013)、『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』(共訳、松籟社、2012)など。展示企画に「メイエルホリドの演劇と生涯:没後70年・復権55年」展(早稲田大学演劇博物館、2010)など。
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