ポスト・シネマ・クリティーク(3) イメージの過剰流動化と公共性のはざまで──想田和弘監督『牡蠣工場』|渡邉大輔

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初出:2016年3月18日刊行『ゲンロン観光通信 #10』

「港の映画史」につらなって


 想田和弘監督の『牡蠣工場』(15年)は、瀬戸内海沿岸に位置する港町・岡山県牛窓で営まれている小さな牡蠣工場の日常を記録した長編ドキュメンタリー映画である。

 古くはその景観が『万葉集』にも詠まれた山陽の名勝・牛窓は、全国でも有数の牡蠣の産地であり、また監督の妻で本作のプロデュースも務める柏木規与子の母の故郷でもある。プロダクション・ノートによれば、以前からたびたび休暇で訪れていたこの地で、当初は漁師を取材したドキュメンタリーを製作しようと計画していたものの、偶然のなりゆきから陸の牡蠣工場の暮らしを主題とすることになったという。

 映画の冒頭、はるかに霞む山並みを背に、緑におおわれたいくつもの岬が入り組む牛窓の静かな海がロングショットで写される。波ひとつない白く光る秋の海には、細長い板のようなものが点々と、いくつも広がっている。牡蠣を養殖する筏である。シーンが変わり、その牡蠣筏の横に漁船が停められる。船の操縦室のなかからひとりの壮年の漁師が現れ、そなえつけられた巨大なクレーンをレバーでたくみに操りながら海面下深くに吊るされている牡蠣のついた縄(垂下連/すいかれん)を水揚げする。観客の眼の前には、機械と、滴る海水の混じった大きな音と同時に、数えきれないほどの牡蠣が張りついた垂下連が吊り下げられ、その下の金網の箱に何度もクレーンで振り落とされる。しばらくすると、漁師は垂下連に残った牡蠣を棒のようなもので箱に掻き落とす。かれはキャメラに向かって腕を払い、「飛びますよ」とぶっきらぼうに声をかける。

 そうやって水揚げされた牡蠣は、その後、陸の作業場へ運ばれる。作業場の内部で、さきほどの漁師を含む男女が横一列に座り、手にもったナイフを馴れた手つきで動かして、黙々と牡蠣を剥いてゆく。周囲には、複数のナイフと殻が立てる細かい音だけが響いている。

 音楽もナレーションもいっさいない、この冒頭の数分間だけで、観客は想田のキャメラが切り取る、濃密でふくよかな牡蠣工場の時間にたちまちのうちに入りこんでゆく。『牡蠣工場』の2時間半は、まさにこのようなひとびとの生活が生みだす無数の身振りと声、音だけでこのうえなくゆたかに構成されている。

 ところで、以上の『牡蠣工場』の冒頭の養殖牡蠣の水揚げや牡蠣剥きのシークエンスは、監督の敬愛するドキュメンタリー映画の世界的巨匠、フレデリック・ワイズマンの『メイン州ベルファスト』Belfast, Maine(99年)冒頭のロブスター漁や、作中の鰯の缶詰め工場のシークエンスをすぐに想起させる。やはりニューイングランドの美しい港町を舞台にし、『牡蠣工場』同様、町の高齢化や過疎化など同時代の社会問題をも作中に織りこんだこのワイズマンの代表作を想田が意識していたとしても、別段不思議はないだろう。また、小さな港町から同時代の普遍的な社会問題を照射するというモティーフでは、本作は土本典昭の一連の「水俣シリーズ」(71~04年)にもつらなるといえる。

 もとより「ドキュメンタリー documentary」という用語を生んだジョン・グリアソンの『流網船』Drifters(29年)から、近年のルーシァン・キャステーヌ=テイラー&ヴェレナ・パラヴェルの話題作『リヴァイアサン』Leviathan(12年)にいたるまで、ドキュメンタリー映画は、つねに「港」を重要な創造的拠点としてきた。その意味で、『牡蠣工場』もまた、国内外のドキュメンタリー映画史の重要な系譜の延長に位置づけられる作品であり、また今日におけるドキュメンタリーの問題を考えるうえで示唆に富む。

「ポストシネマ」=「ドキュメンタリーの時代」


 「ポストシネマ」の時代とは、一面で「ドキュメンタリー」の時代である。

 すでに『ハッピーアワー』を取りあげた連載第1回でも記したように、今日の映像メディア環境においては、わたしたちの日常の巨細な断片を常時記録する「映像によるライフログ=ドキュメンタリー化」が加速度的に進行しつつある。ツイッターとスマートフォン片手に、ひとはだれでも即席の「ドキュメンタリー作家」となれるし、日常空間に張り巡らされたアーキテクチャは、この世界そのものを一編のドキュメンタリー映画に仕立てあげるともいえるだろう。いうなれば、「観客のいない巨大なドキュメンタリーの出演者としての現代人」(『ミニマ・モラリア』)という50年代のテオドール・アドルノの文化産業批判のヴィジョンを、GoProとVineの時代の映像はベタに実装してしまっているわけだ。実際に、ジャンルとしてのドキュメンタリーにしても、いまや日本のみならず、各国で未曽有の活況を呈している。

 図らずも、そうした事態の片鱗は、『牡蠣工場』にも唐突に顔を見せる。たとえば、年若い漁師が外に出払っているあいだ、かれの妻が工場の広い台所で食事を用意している。その様子を、そばでキャメラをもった想田が彼女に語りかけながら撮影するのだが、被写体となった彼女はあからさまにそわそわしていて落ち着かない。想田の質問に対する答えや彼女からの質問もどこか「いかにもドキュメンタリー」というような紋切り型のものとなり、想田に向かって何度も「こんな感じ?」と訊きかえす。
 このたあいのないシークエンスは観客の笑いを誘うが、他方でドキュメンタリーの被写体であるかれら自身が、わたしたちの社会に遍在する「ドキュメンタリー映画のクリシェ」を無意識のうちに深く内面化=主体化している姿も浮かびあがらせている。たとえば、かれらとまったく同じような身振り──「映像によるライフログ化」への自意識を、わたしたちは近年の「フェイクドキュメンタリー」と呼ばれるフィクション作品群の多くの登場人物たちにも認めることができる(たとえば、白石晃士作品など)。その意味で、この世界それ自体が絶えず映像に転生しうる可能性をはらみもった「メタ映画」=「ポストシネマ的」な感性や状況は、『牡蠣工場』の描く牛窓の日常にもすっかり浸透してきていることがうかがえるのだ。

 さらに重要なのは、その意味で、ドキュメンタリーが、「イメージの例外状態」と化した今日の映像環境において、いわば「イメージの公共性」(現実/映像の境界画定)の不/可能性を実践的に体現する特権的ジャンルになっている事実をも示していることだろう。そしてそれは必然的に、わたしたちの社会それ自体のありうべき公共性のかたちの模索にも重なってゆく。

「観察映画」というスタイル


 そもそも、『選挙』(07年)からはじまる想田の一連の長編ドキュメンタリー作品は、近年の日本のドキュメンタリーのなかでも、その方法論や主題においてひときわ異彩を放っている。すでに知られるように、かれは自らのドキュメンタリーの演出や撮影手法にいくつかの制約を課しており、その独特のスタイルを「観察映画」と呼んでいる[★1]

 たとえば、冒頭に記したシークエンスの描写でも少し触れたように、想田の映画では、ナレーション、説明字幕、音楽など「説明的」「効果的」な付随表現は原則としていっさい用いられない。また、被写体や題材にかんするいっさいの事前リサーチ、打ち合わせ、台本執筆も行わず、キャメラもつねに監督の想田ひとりで回される。さらに、(テーマをあらかじめ設定しないとはいえ)市議会選挙(『選挙』)、精神科外来(『精神』)、社会福祉や訪問介護(『Peace』)など、総じて社会的・公共的なテーマが織りこまれるのも特徴だろう。

 今回の『牡蠣工場』でも、牡蠣工場の日常を取材する過程で、地域の空洞化やグローバリゼーションに伴う外国人労働者問題や震災避難民問題が不意に顔を覗かせる。冒頭で牡蠣の水揚げをしていた漁師は、じつはかつて宮城で牡蠣養殖業を営んでおり、東日本大震災の影響により一家で牛窓に移住してきていたことが明らかになる。また、過疎化と少子高齢化による労働力不足により、牡蠣工場では近年、住民たちが「ちゃいな」と呼ぶ中国人の出稼ぎ労働者を受けいれている実状が捉えられる。

 何にせよ、こうした想田の「観察映画」の方法論は、作家自身も公言するように、おもに1960年代以降の現代ドキュメンタリー──たとえば、メイスルズ兄弟やD.A.ペネベイカー、そしてとりわけフレデリック・ワイズマンに代表されるアメリカの「ダイレクト・シネマ」運動に明らかな影響を受けている。周知のように、ワイズマンの作品群もまた、病院、社会福祉局、法廷といった現代アメリカ社会の無数の公共機関(とそこでの社会的マイノリティ)の日常を題材に、それらをいっさいの説明的要素なく、できる限り「客観的」「中立的」(に見えるよう)なまなざしで一貫して描き続けてきた。

「セルフドキュメンタリー」との距離


 一般的に、こうしたワイズマンにつうじる想田のドキュメンタリーの方法は、現代日本のドキュメンタリーのオーソドックスな流れとは、いっけんして対照的である。

 およそ90年代あたりから、日本のドキュメンタリー映画では、いわゆる「セルフドキュメンタリー」と呼ばれる趣向が若手作家の作品を中心に台頭した。セルフドキュメンタリーとは、撮影/作家主体(「わたし」)の親密な日常、出自、経験の諸相を主題にしたドキュメンタリー作品を指す。それ以前の戦中期には亀井文夫、あるいは60年代の土本典昭や小川紳介らが大文字の国家権力(制度)に対抗すべく強固な「作家主体」を打ちだす広義の「社会派」の潮流を形成したのだとすれば、70年代の原一男の登場に象徴される以降の作家たちは、こぞって大文字の社会性や公共性とはいったん切れたミニマムな私性をさかんに主題にしはじめた。

 とりわけ90年代からゼロ年代にかけては、海外の国際映画祭で評価をえた河瀨直美を筆頭に、平野勝之、ヤン・ヨンヒ、砂田麻美、松江哲明、真利子哲也などなど、作家個人やその家族、知人などを主人公に、過去のトラウマ的記憶やエスニシティ、セクシュアリティなどの自己のアイデンティティを内省的に問う作品が目立ってきた。わたしの見立てでは、「3・11」以降は、メディア・アクティヴィズムなどとの連動により、ふたたび「社会派的」なドキュメンタリーの流行が見られつつある。

 ともあれ、こうしたドキュメンタリー表現の変容は、すでに多くの論者が指摘するように、モル的集団による「政治の季節」から分子的個による「タコツボ的消費」へ、階級闘争からアイデンティティ・ポリティクスへ、うんぬんといった20世紀後半の広い社会的・文化的変化と明確に連動しているのはまぎれもない。たとえば、セルフドキュメンタリーの流行した時期は、他方、サブカルチャー評論でいう「セカイ系」(ポスト『エヴァ』的作品)の台頭の時期とほぼ重なっている[★2]

猫のまなざし


 いずれにせよ、想田の手掛けてきた一連の観察映画はこれら同時代のセルフドキュメンタリー作品とはさしあたり一線を画している。ニューヨークで映像制作を学んだという経歴も影響しているだろうが、社会の過剰流動化にさらされる地方の現状をごく客観的に観察した『牡蠣工場』にも示されるとおり、想田の観察映画には内閉的な私性には還元されない、明快な社会意識が基底にある。

 もちろん、かつてのワイズマンらのダイレクト・シネマがもろもろの公共機関や社会組織を題材にしたある種の「室内劇」「会話劇」の体裁を借りて、近代的な「政治的公共圏」の諸相をみごとに「ドキュメンタリー化」してみせたのに対し、21世紀の想田は、しばしば公共的なテーマを扱ってはいても、自身の家族や友人関係から撮影の糸口を掴むなど私的なつながりにも立脚しており、被写体との距離感もかなり柔軟に変動するところに重要な違いが見られる。『牡蠣工場』においても、ともに牛窓に滞在している妻の柏木との日常的なやりとりがたびたび登場し、それが本作の社会派的な演出を適度に中和してもいる。

 わたしが興味深いのは、この想田の、多くの現代ドキュメンタリーの描くような私性にも、かといってかつてのような社会性にも単純に収束しない、その両者が絶えず循環するような、かれ固有のたたずまいやアプローチによって映画の内部に生みだされる、「社会性のようなもの」の諸相である。たとえば、『牡蠣工場』においては、牛窓という舞台と想田自身との関係性が、一方で家族(義母)の故郷でありつつ、他方でコミュニティの部外者(映画製作者)でもあるという宙ぶらりんの両義的なものであることが、そうしたありようを下支えしている。そして、想田が切り取り、また体現するそうした多層的な社会性と呼ぶべきものは、いうまでもなく、現代社会の内実を鮮やかにかたどってもいるだろう。

 それはじつは、本作のファーストショットから登場する、1匹の猫のまなざしとのかかわりにおいてもすでに象徴的に暗示されていたといえる。そもそもこの映画は、のどかな陽光が照りつけるコンクリートの浜に、寝転がってキャメラを見つめる猫の顔をローアングルの接写で覗きこむショットからはじまっていた。この猫は住民たちから「シロ」と呼ばれており、いつも浜辺をうろついているが、じつは野良ではなく、どこかの民家の飼い猫で「ミルク」という本名もあるらしいことがあとで判明する。ところがシロは、その後も浜をうろつき、餌を目当てに想田夫妻の住む敷地内にもたびたび出没して、我が物顔で部屋にあがりこみ、そのたびに想田の妻によって追いかえされる。

 この作中に繰りかえし登場し、想田ら人間たちをまなざすシロは、生活圏の外部/内部を往還するその「半・野良猫」と呼ぶべきあいまいなたたずまいにおいても、いみじくも撮影者である想田自身の映画のなかでの両義的な立ち位置とどこか似通っている。──そしてひいては、本来は同質的に包摂されるべき近代社会の「公共性/公共空間」の基盤が絶えず不明瞭化し続ける、今日のグローバル化に曝される牛窓の地元漁師や震災避難民、中国人労働者たちの姿とも隠喩的に重なりあう。

 ちなみに、本作における猫の存在を、こうして公共性との関係において捉えることは、想田作品の文脈的にも不自然ではないはずだ。たとえば、『牡蠣工場』の猫は、かつての『Peace』(10年)で中心的に登場していた猫たちとほぼ直接的に重ねて見ることができる。岡山市に住む想田の義父が従事する福祉車両業務を取材した『Peace』では、主人公の義父が高齢者や障害者たちをケアするシーンとほぼ並行して、かれが自宅に群がる大量の野良猫たちをまるで自分の子どものように世話するシーンが印象的に挿入される。想田の想像力において、猫は、おそらく現代社会の公共圏や共生のあり方や輪郭を模索するさいの、重要な指標になっているように思える。

「イメージの公共性」の不/可能性


 最後に、以上のような事態が意図せずより濃密なものに変わる瞬間が、『牡蠣工場』の後半、ある老年の漁師の牡蠣工場に、ふたりの中国からの若い出稼ぎ労働者が到着する、その当日にふたたび訪れる。その日までキャメラを回す想田と和気あいあいとつきあっていたその漁師が、撮影するかれに背中を向けて牡蠣剥きをしたまま、突如、低い声でもう撮影をやめてくれ、とつぶやく。「ちゃいながうちに来て、いきなり写真(映画)を撮られたら、恐がるかもしれない。広島ではそれで殺人事件も起きた。ちゃいなには言葉もつうじないし、何か起こったら迷惑だから、もう写真は撮るな」。想田は狼狽しつつ、背中を向けたかれに「中国のかたがいらっしゃったら、事前に撮影の許可を取りますから」と懇願する。その直後、若いふたりの中国人男性が工場に現れ、女性通訳を介して想田がドキュメンタリー映画の撮影許可を申しでると、すぐに快く了承する。ふたりの面倒は、震災で避難してきたあの漁師が見ることになり、3人はそれぞれ片言の中国語と日本語を交わして、仕事にかかりはじめる。しかし映画は、翌日の早朝、牡蠣の水揚げから戻ってきた漁師と中国人の若者の姿を追い、なかば唐突に終わる。

 この、映画のリズムを息をのむほどに転調させてしまう終盤の一連のシークエンスは、いうなれば、それまではごく自然に映画=公共空間のなかに漁師たち(日本人)とともに現れていた「中国人労働者」の姿が不意に登場人物のひとりによって「写すべきでない対象」、すなわち一種の脱社会的存在として名指される瞬間を図らずも捉えている(むろん、その後すぐにかれらの姿はまたもとどおり写されることになるのだが)。ここには、1本のドキュメンタリーのなかで、個々の対象が被写体(映像化可能性)として許容される「排除と包摂」の領域=イメージの公共空間がふとしたきっかけで、一挙に流動化しうる不透明な緊張感が露呈されている。そして図らずも、その緊張感に仮託して、映像の過剰流動化のなかで「イメージの公共性」を擬態するドキュメンタリーというジャンルのはらむ今日的なよるべなさと、同時に、まさにこの映画が捉えるグローバル資本主義に裏打ちされたわたしたちの社会の公共性そのものの内在的な不/可能性の双方を、あらためて二重にあぶりだしてもいるのである。そしてその双方を、想田自身もキャメラもまた、あのシロのまなざしのように、眼の前の被写体に対して内部でも外部でもないポジションから、ただ寡黙に記録し続ける。

 現代において、なおも「映像の公共性」なるものを考えるのだとすれば、ひとつにはこのキャメラのまなざしから出発するほかない、と思わせるに足るものを、本作は秘めている。

★1 想田の観察映画の定義は、以下の近著も参照。想田和弘『観察する男──映画を一本撮るときに、監督が考えること』ミシマ社、2016年、126頁以下。
★2 また、日本のセルフドキュメンタリーにかんしては、ドキュメンタリー作家の佐藤真の批判に端を発した2000年代前半の「セルフドキュメンタリー論争」がよく知られる。そこでの佐藤のセルフドキュメンタリー批判の要旨は、作品が「素材先行主義」──映画としての社会的視点がオミットされ、被写体(素材)となる人物の「キャラ立ちの濃さ」にばかり依存している、というものだった。佐藤が論考でいみじくも「オタク文化」を例に挙げていたように、これは90年代以降のドキュメンタリー表象が、「キャラクター消費化」していたといいかえることもできる。佐藤真「私的ドキュメンタリー私論」『ドキュメンタリーの修辞学』みすず書房、2006年、14~44頁。

渡邉大輔

1982年生まれ。映画史研究者・批評家。跡見学園女子大学文学部准教授。専門は日本映画史・映像文化論・メディア論。映画評論、映像メディア論を中心に、文芸評論、ミステリ評論などの分野で活動を展開。著書に『イメージの進行形』(2012年)、『明るい映画、暗い映画』(2021年)。共著に『リメイク映画の創造力』(2017年)、『スクリーン・スタディーズ』(2019年)など多数。
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