ポスト・シネマ・クリティーク(12) アニメーションという「悲劇」──片渕須直監督『この世界の片隅に』|渡邉大輔

初出:2016年12月9日刊行『ゲンロンβ9』
「アニメの当たり年」を締めくくる傑作
今年1月にはじまり、現代の「ポストシネマ」の諸相について、新作評を題材にたどるこの連載も、ついに年内最後の回を迎えた。今年は邦画やアニメ映画の当たり年という声があちらこちらで聞こえた1年だったが、まさか、年の瀬も迫る季節に、これほどの傑作アニメ映画が巷を席巻するとは──前評判も高かったものの──、おそらくだれも予想だにしなかっただろう。
片渕須直の7年ぶりとなる長編アニメーション映画監督第3作『この世界の片隅に』(16年)のことである。本作の原作は、漫画家・こうの史代の代表作のひとつ。戦前昭和期から敗戦直後──アニメ映画版では1933年12月から46年1月までの12年間──の広島県広島市および呉市を舞台に、呉の北條家に嫁いだひとりの女性、浦野すず(のん)の半生を、空襲や原爆投下などの戦時下の出来事を織り交ぜながら、細部にわたる緻密な時代考証に基づいて描いている。片渕が2010年にアニメ化の構想を抱いて以来、6年の歳月をかけて完成させ、不足する制作資金調達のために15年にはクラウドファンディングで出資を募ったことも話題となった。
「メタアニメ的」な演出
ところで、来年(2017年)は、日本でアニメーションが誕生してから、ちょうど100年の節目の年にあたる。明治末年ころに海外の初期アニメーションが渡来したのち、下川凹天、幸内純一、北山清太郎の3人がほぼ同時期にアニメーション制作を開始、そのうち下川による最初の国産アニメーション作品『芋川椋三玄関番の巻』を筆頭に、3人がそれぞれ相次いで作品を発表したのが、1917年のことだったからである。
そんな「日本アニメ100年」を目前にしたいま、また、ディジタル化による「(実写)映画のアニメ化」がいわれるなかで、映画だけに限ってみても、今年のアニメは、ある種の「メタアニメ」の趣向を織りこんだ作品が目立ったように思える。たとえばマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督『レッドタートル ある島の物語 La Tortue rouge』(16年)や山田尚子監督『聲の形』(16年)などがそうであり、あるいはある意味で実写の『シン・ゴジラ』(16年)もまた、そうした作品だっただろう。そして、その傾向は、『この世界の片隅に』にもそのまま当てはまるものだ。
たとえば、すでに多くの指摘があるように、むろんそれは、まず主人公のすずが幼いころから絵を描くのが好きな少女/女性であり、しかもそうしたキャラクターの設定のみならず、その彼女の「絵」や「絵を描くこと」が、本作のメディウムである「アニメーション」──もしくは原作の「マンガ」──という表現自体と作中のいたるところで印象的に重ねあわせられる点に見いだせる。物語の冒頭、幼いすずが、海苔を届けに広島市街の中島本通りを歩いていると、獣のような容貌の人攫いが背負う籠に入れられるシークエンス。しかし、この場面はすぐあとで、じつはすずが自宅で妹のすみ(潘めぐみ)に見せるために描いていたマンガの絵だということが明かされる(この展開は原作マンガにはない)。つまり作中では、この場面は作品内の現実世界からごくなめらかに虚構のイメージ世界へと接続されるのだ。
あるいは、これも映画の前半で登場する、すずが同級生の水原哲(小野大輔)と、海の見える小高い丘ではじめて言葉を交わすシークエンス。高等小学校の課題で写生に来ていた水原とばったり出会ったすずは、海を見下ろす風景をかれのかわりに水彩絵の具で描いてやる。映画では、すずと水原の会話がオフボイスで聞こえるなか、画面いっぱいにすずのもつ筆先が眼の前の風景を描いてゆく様子がクロースアップで写される。そして、シーンの最後のショットでは、すずに描いてもらった絵をもって帰ってゆく水原の姿が周囲の背景も含めて、まさにすずが描いたとおりの、淡く朴訥とした水彩ふうのタッチの絵で表現される。この部分はこうのの原作でもまた、マンガのコマの枠がそのまますずのもつ画用紙の枠とぴったりと重ねられ、コマの外から彼女の腕が伸びてくるという、エッシャーの有名なだまし絵を思わせる趣向が凝らされている。
これらシークエンスに典型的なように、『この世界の片隅に』では、その手描きの素朴さを醸しだす作画タッチを逆手にとって、物語の現実世界のイメージと、作中ですずが描く絵のイメージが巧みにオーヴァーラップするような表現が随所に登場するのだ。ほかにも、45年3月の最初の呉の空襲シーンで、爆撃の煙が色とりどりの水彩絵の具の点綴で表現される演出や、のちに時限爆弾の破裂で亡くなるすずの姪の黒村晴美(稲葉菜月)が花畑で遊んでいる心象風景を水彩画ふうに描くシーンなども、それらのシーンにつけ加えることができるだろう。
あるいは、これも映画の前半で登場する、すずが同級生の水原哲(小野大輔)と、海の見える小高い丘ではじめて言葉を交わすシークエンス。高等小学校の課題で写生に来ていた水原とばったり出会ったすずは、海を見下ろす風景をかれのかわりに水彩絵の具で描いてやる。映画では、すずと水原の会話がオフボイスで聞こえるなか、画面いっぱいにすずのもつ筆先が眼の前の風景を描いてゆく様子がクロースアップで写される。そして、シーンの最後のショットでは、すずに描いてもらった絵をもって帰ってゆく水原の姿が周囲の背景も含めて、まさにすずが描いたとおりの、淡く朴訥とした水彩ふうのタッチの絵で表現される。この部分はこうのの原作でもまた、マンガのコマの枠がそのまますずのもつ画用紙の枠とぴったりと重ねられ、コマの外から彼女の腕が伸びてくるという、エッシャーの有名なだまし絵を思わせる趣向が凝らされている。
これらシークエンスに典型的なように、『この世界の片隅に』では、その手描きの素朴さを醸しだす作画タッチを逆手にとって、物語の現実世界のイメージと、作中ですずが描く絵のイメージが巧みにオーヴァーラップするような表現が随所に登場するのだ。ほかにも、45年3月の最初の呉の空襲シーンで、爆撃の煙が色とりどりの水彩絵の具の点綴で表現される演出や、のちに時限爆弾の破裂で亡くなるすずの姪の黒村晴美(稲葉菜月)が花畑で遊んでいる心象風景を水彩画ふうに描くシーンなども、それらのシーンにつけ加えることができるだろう。
アニメ史的想像力の召喚
さらに、『この世界の片隅に』のメタアニメ性は、メディウム的な特性ばかりではなく、アニメーションにまつわるいくつかの歴史的想像力をも呼び覚ます。
まず、これもすでに注目されている、ノーマン・マクラレンなどのアート・アニメーションに対するオマージュがあるだろう(思えば、今年は『レッドタートル』公開から年末のユーリー・ノルシュテイン特集上映まで、アート・アニメーションの当たり年でもあった)。すでに少し触れたが、45年6月、すずが幼い晴美を連れて空襲で負傷した義父の北條円太郎(牛山茂)の入院する病院に見舞いに行った帰り、空襲に遭遇して防空壕に隠れたあと、舗道の脇に落ちた時限爆弾が炸裂して晴美と自らの右手を失う重要なシークエンスがある。ここで、意識を喪失したすずの内的世界が抽象的な描画によって表現される映像は、マクラレンによるスクラッチ・アニメの名作『線と色の即興詩 Blinkity Blank』(55年)へのあからさまな目配せである[★1]。
あるいは、44年9月、海軍軍法会議に勤める夫・北條周作(細谷佳正)のもとにすずが帳面を届けに行った帰り、呉の繁華街でふたりがデートするシーン。ここで原作にはないが、街頭には複数の映画館の看板が立ち並んでいる。このうち画面にはっきりと写るのは、松田定次監督『河童大将』(44年)と斎藤寅次郎監督『敵は幾万ありとても』(44年)の2作品だ。いずれも実在する映画だが、後者の看板の左端に「文化ニュース」という文字が見える。この「文化ニュース」とはいわゆる現在のドキュメンタリーや報道番組にあたるプロパガンダ的・啓蒙的な短編映画「文化映画」および「ニュース映画」のことを指している。戦時中は、1939年に制定された「映画法」によって、これらのプロパガンダ的なドキュメンタリーやニュース映像が通常の劇場娯楽映画との併映を強制されていた(そもそも『敵は幾万ありとても』はそれ自体がプロパガンダ的な国策児童映画である)。
何にせよ、ここで興味深いのは、非ディズニー的なアート・アニメーションにせよ、戦時中の文化映画にせよ、それらがかつての日本のアニメーション史ときわめて深く結びついていたという事実である。たとえば、近年も木村智哉などが注目しているように、マクラレンをはじめとした非ディズニー系のアート・アニメーションやインディペンデント・アニメーションが1960年前後に相次いで日本公開され、当時の国内のアニメーション表現や批評言説に大きな衝撃を与えていた[★2]。また、戦前の(東映動画以前の)国産アニメーションは、おもに非商業的かつ啓蒙的な内容をもつ短編作品として制作されており、とりわけ戦時中は、ほかならぬ文化映画などと同様、劇場用長編の添え物的上映などのマイナーな場で受容されていたことで知られている。こうした国策プロパガンダ映画の周辺で戦後の「まんが・アニメ的リアリズム」が育まれたという、「戦時下起源説」をかねてから大塚英志が提唱していることは知られるとおりだ。
いうなれば、『この世界の片隅に』には、表現としてのメタアニメ性だけでなく、こうした日本アニメーション史をめぐる多様な記憶──メディア考古学的なまなざしが陰に陽に召喚されていると見ることができるのだ[★3]。
以上のように、『この世界の片隅に』の映像には、いたるところに「アニメの自意識」が見え隠れしている。このことは、さらに今日のアニメーション研究やアニメ評論でしばしば話題になる、「アニメーション・ドキュメンタリー Animated Documentary」と呼ばれる潮流と、本作とのかかわりについても、考えさせることになるだろう[★4]。
アニメーション・ドキュメンタリーとは何か。これは昨今の映像のディジタル化の浸透とともに世界的に隆盛を見せている、アニメーション技法を用いたドキュメンタリー作品のことだ。とはいえ、いうまでもなく通常、アニメーションとはこの現実世界からは乖離した仮想的な図像=絵による映像表現であり、かたやドキュメンタリーとは実写(アナログ写真)の光学的な記録性に依拠した「この現実世界の創造的処理」(ジョン・グリアソン)だと解釈される。したがって、この場合、「アニメーションによるドキュメンタリー」とは語義矛盾もはなはだしいと思われるだろう。
ただ、近年のディジタル・ロトスコーピングやモーション・キャプチャといった撮影技術の進展は、この現実世界を容易にディジタル=仮想的映像に転写することを可能にした。それに伴い、しばしば当事者のインタビュー音声(ナレーション)などの処理によってドキュメンタリー的な事実性・記録性を担保しつつ、かたやアニメーション表現を用いてある特定の歴史的事実や社会的事件を叙述する作品が、90年代以降、活発に作られつつある。伝説的なアート・アニメーション作家ライアン・ラーキンのドキュメンタリーであるクリス・ランドレス監督『ライアン Ryan』(04年)や、レバノン内戦を題材にしたアリ・フォルマン監督『戦場でワルツを』(08年)などがその代表的作品だ。
いずれにせよ重要なのは、こうしたアニメーション・ドキュメンタリーが、客観的で単一な現実世界の叙述=記録ではなく、むしろある個人の記憶や内面などの自閉的・主観的なイメージや、現実には記録不可能だったミニマムな事象について、アニメートによる再構築を試みることを大きな特徴としている点だ(この点で、アニメーション・ドキュメンタリーは、同時期に隆盛していったセルフ・ドキュメンタリーともいくらか並行的に見られるジャンルでもある)。だからこそ、以前、土居伸彰が指摘したように[★5]、「ドキュメンタリー」という同じ言葉を用いてはいても、その内実は、客観的で単一の現実世界を構築しようとする高畑勲の作品群が示す志向とは真逆である。むしろ、実在した零戦設計者を描きながら、現実世界とかれの妄想的世界をシームレスにつなぎあわせ、「小さく特異な現実」を観客に追体験させる宮崎駿の『風立ちぬ』(13年)こそ、図らずもアニメーション・ドキュメンタリーの最新の動向と共振する作品だったといいうるだろう。
いうなれば、『この世界の片隅に』には、表現としてのメタアニメ性だけでなく、こうした日本アニメーション史をめぐる多様な記憶──メディア考古学的なまなざしが陰に陽に召喚されていると見ることができるのだ[★3]。
アニメーション・ドキュメンタリーとの距離
以上のように、『この世界の片隅に』の映像には、いたるところに「アニメの自意識」が見え隠れしている。このことは、さらに今日のアニメーション研究やアニメ評論でしばしば話題になる、「アニメーション・ドキュメンタリー Animated Documentary」と呼ばれる潮流と、本作とのかかわりについても、考えさせることになるだろう[★4]。
アニメーション・ドキュメンタリーとは何か。これは昨今の映像のディジタル化の浸透とともに世界的に隆盛を見せている、アニメーション技法を用いたドキュメンタリー作品のことだ。とはいえ、いうまでもなく通常、アニメーションとはこの現実世界からは乖離した仮想的な図像=絵による映像表現であり、かたやドキュメンタリーとは実写(アナログ写真)の光学的な記録性に依拠した「この現実世界の創造的処理」(ジョン・グリアソン)だと解釈される。したがって、この場合、「アニメーションによるドキュメンタリー」とは語義矛盾もはなはだしいと思われるだろう。
ただ、近年のディジタル・ロトスコーピングやモーション・キャプチャといった撮影技術の進展は、この現実世界を容易にディジタル=仮想的映像に転写することを可能にした。それに伴い、しばしば当事者のインタビュー音声(ナレーション)などの処理によってドキュメンタリー的な事実性・記録性を担保しつつ、かたやアニメーション表現を用いてある特定の歴史的事実や社会的事件を叙述する作品が、90年代以降、活発に作られつつある。伝説的なアート・アニメーション作家ライアン・ラーキンのドキュメンタリーであるクリス・ランドレス監督『ライアン Ryan』(04年)や、レバノン内戦を題材にしたアリ・フォルマン監督『戦場でワルツを』(08年)などがその代表的作品だ。
いずれにせよ重要なのは、こうしたアニメーション・ドキュメンタリーが、客観的で単一な現実世界の叙述=記録ではなく、むしろある個人の記憶や内面などの自閉的・主観的なイメージや、現実には記録不可能だったミニマムな事象について、アニメートによる再構築を試みることを大きな特徴としている点だ(この点で、アニメーション・ドキュメンタリーは、同時期に隆盛していったセルフ・ドキュメンタリーともいくらか並行的に見られるジャンルでもある)。だからこそ、以前、土居伸彰が指摘したように[★5]、「ドキュメンタリー」という同じ言葉を用いてはいても、その内実は、客観的で単一の現実世界を構築しようとする高畑勲の作品群が示す志向とは真逆である。むしろ、実在した零戦設計者を描きながら、現実世界とかれの妄想的世界をシームレスにつなぎあわせ、「小さく特異な現実」を観客に追体験させる宮崎駿の『風立ちぬ』(13年)こそ、図らずもアニメーション・ドキュメンタリーの最新の動向と共振する作品だったといいうるだろう。
片渕作品の「拡張現実性」
では、まさにその『風立ちぬ』とも並べて語られることも多い『この世界の片隅に』はどうだろうか。
最近、アニメーション・ドキュメンタリーの定義自体が拡散しているとはいえ、マンガのフィクション作品を原作としている本作を、単純にアニメーション・ドキュメンタリーと一緒くたにして評価することはできないだろう。とはいえ、他方でこうのの原作マンガ、片渕のアニメともども、文献考証からロケハンにいたる、徹底的な調査で当時の広島の状況を再現したことが話題となり、また、すでに触れたように、そうした詳密な現実の風景と、すずの私的な心象風景を伝える水彩画ふうのイメージが多層的に重なりあう本作の作品世界は、やはりどこかアニメーション・ドキュメンタリーの表現世界との距離感において考えたくなるのも事実である。
また、もとより似たような傾向は、これまでの片渕作品にも固有のモティーフのひとつであった。たとえば、かれの前作『マイマイ新子と千年の魔法』(09年)。『この世界の片隅に』と文字通り「姉妹編」とも呼べるこのアニメーション映画は、昭和の日本の地方都市(昭和30年の山口県防府市)を舞台に、少女を主人公に据えた作品というところも共通するが、何よりも、やはり主人公の青木新子(福田麻由子)が空想好きの少女であり、作中では昭和の防府の町に、新子が妄想する千年前の街並みや清少納言(!)をはじめとする人物たちが「拡張現実」のように立ち現れる。こうした片渕作品に通底する一種の「拡張現実的」な演出が、アニメーション・ドキュメンタリーの圏域と少なからず呼応することはたしかだろう。
あるいは、ここに『この世界の片隅に』でことのほか多用されるキャラクターのPOV(視点)ショットを付け加えてもよいかもしれない。映画の冒頭で人攫いに攫われた幼いすずが望遠鏡で覗くショットから、草津のおばあちゃんの家に兄妹で遊びに行ったときに昼寝しながら天井の木目を指でなぞるショット。あるいは、嫁いだ初夜に夫の周作と見つめあうショット、姪の晴美とはるかかなたの軍港に浮かぶ戦艦大和を眺めるショット、そして、8月6日のキノコ雲が立ちのぼる広島の上空を見上げるショット……と、『この世界の片隅に』は、主人公すずのPOVショットが随所に、効果的に挿入される。いうまでもなく、イメージを個人の主観に収束させるこのPOVショットもまた、本作のアニメーション・ドキュメンタリー的なリアリティとの近さを多分に助長しているといえるだろう。
右手の悲劇、下降の悲劇
ところで、ここまでで述べてきた本作における種々のメタアニメ性や「アニメの自意識」という論点は、『聲の形』でも検討したディジタル映像=「ポストシネマ」の問題とからめたとき、どのように敷衍できるだろうか。
それを問うさいにさしあたり注意しておいてよいのは、やはり主人公すずの「右手の消失」という「悲劇」だろう。すでに触れたように、作中ですずは、投下されたのち地面に埋もれていた時限爆弾が炸裂して、姪の晴美の生命とともに、自らの右手をも失ってしまう。このできごとによって彼女は、幼いころからずっと自分の最大の楽しみであり、またアイデンティティを保証してきただろう「絵を描くこと」を永遠に奪われてしまうのだ。いうまでもなく、このことはすずの「絵を描くこと」=右手が、本作における「アニメの自意識」を象徴するものだったとすれば、まさにかつての「手描きアニメ」からの離反(アナログ表現からディジタル表現へ?)を髣髴とさせる重要な細部になっているだろう。
あるいは、この「右手の消失」という(隠喩的な意味での)「ディジタルな悲劇」は、他方で、さきのPOVショットと並んで、『この世界の片隅に』を彩っている無数の俯瞰ショットと仰角ショット、あるいはそれらのショットがもたらす一連の「下降」の運動性のもつ意味とも併せて考えるべき要素かもしれない。
たとえば、映画の冒頭から、川が流れる広島市街を上空から捉えるロングショットが登場するように、『この世界の片隅に』には、縦方向=上下のアングルが全編にわたって頻出する。それはむろん、作中でたびたび登場する空襲シーンや、その爆撃を避けるためにひとびとが地下の防空壕に潜るシーンが、作品世界全体に、キャメラや登場人物たちが何かを見下ろす/見上げるアングルの構図をなかば必然的に数多く招き寄せることになるからだ。そして、作品内のその特異な重力に引っ張られるかのようにして、すずと水原がはじめて出会う場所も海を見渡せる小高い丘であり、また、すずが嫁ぐ北條家も急な斜面の土手に階段が作られた丘の上に設定されることになる。
もはや明らかなように、さきほどのすずの「右手の悲劇」は、この上下のセノグラフィや運動性とも相俟って、「下降の悲劇」とでも呼べるもうひとつのモティーフにも転化する。というのも、「絵を描くこと」を保証してきた彼女の右手を永遠に奪い去る悲劇は、他方でまさに「上空から投下された爆弾」という縦方向の運動性からもたらされたのだから。そして、おそらくその悲劇の伏線になっていたのが、その半年前の44年12月、かつてやはり上下の位置関係を形作る小高い丘のうえで出会った水原が、長じて巡洋艦「青葉」の海軍兵となり、入湯上陸のためにすずのいる北條家を訪ねてくるシーンである。全体的に濃密な「死」の雰囲気が漂うこのシーンのなかで、水原は、まさに沖合で乗船中に上空を飛ぶ鳥から落ちたのを拾ったのだという一本の白い羽をすずに手渡す。彼女はそれを、インクをつけた羽ペンにして、いつものように手帳に絵を描いてみるのだが、うまくいかないとつぶやくのだ。実際、そのときの彼女のデッサンも明らかに歪である。
つまり、ここでもすずから本来の「絵を描く力」を奪っているのは、時限爆弾と同様、縦方向=下降によってもたらされた不吉な運動性なのである。したがって、すずを愛する周作が彼女と水原を納屋の「2階」へと「上昇」させるのは、そんな妻の「絵を描く力」を暗に回復させようという抵抗の身振りなのだといってよい。
「下降の不可能性」と「手の消失」
いずれにせよ、こうした「右手の悲劇」と「下降の悲劇」──縦方向=下降の運動性がもたらす「絵を描く力能」の喪失という主題は、わたしにとっては、ポストシネマとアニメーションをめぐるメディア論的な見立てへと思考をうながす。すなわち、繰りかえすようにそれはいわゆる人間(アニメーターやキャメラマン)の手描きやキャメラ撮影によって象徴されるアナログ工程から、いくつかの側面でコンピュータの介在するディジタル表現に移行しつつある今日の映像やアニメーション表象の宿命に対する何らかの応答とも読めてしまうのだ。ちなみに、『この世界の片隅に』では、いまの日本のほとんどの商業アニメと同様、作画作業はなおアナログ工程だが、コンポジットはディジタルである。
それでは、なぜ「下降の悲劇」が「右手の悲劇」を招き寄せるのか。この連載の読者は、すでに今年2月にロバート・ゼメキスの『ザ・ウォーク The Walk』(15年)を取りあげたさいに、映画における「落下の主題」のメディウム的意義について論じたのを覚えているはずだ。
簡単に振りかえっておけば、かつて蓮實重彦は、フィルム時代の映画の物質的/存在論的条件(指標性)の視覚的な表象を、「落下」(落ちること)の主題に見いだしていた(「映画と落ちること」)。それは、アナログフィルムの時代においては、人間の生身の身体と映像のメディウムの限界(指標性)とが、ほどよく一致していたからである。しかしながら、『ザ・ウォーク』におけるツインタワーのディジタル映像はもはやそうした指標性を帯びていない。その変化を、昨今の映像文化論では「(実写)映画のアニメ化」と呼んでいるのである。同様に、もともと「アニメーション映画」である『この世界の片隅に』で執拗に描かれる下降=落下の運動性もまた、現実世界との物理的つながりを伴わない、たんなる「記号」にすぎない。つまり、映像における「落下の表象」は、かつてのアナログ表象(フィルム)から今日のディジタル(アニメーション的)表象を隔てさせる特権的なイメージとして機能する。それは、映画がフィルムで撮られていた時代には、映画的な想像力や倫理の代表的表象と位置づけうるものであったが、であるがゆえに、今日においてはその機能不全がもっとも明瞭に露呈される要素なのだ。
とりもなおさず、ポストシネマ時代の落下の表象は対象の「下降」を描いてはいるが、ディジタル映像/アニメーションというメディウムの本性上、絶対に対象は「下降」していない(「下降」しえない)。それは同時に、「人間」を描こうと志向しながら、ノンヒューマン・エージェンシーとしての「記号」(モノ)でしかありえないという、大塚英志が一貫してこだわり続けるマンガやアニメの倫理的逆説(「アトムの命題」)にもつうじるだろう。前作『マイマイ新子と千年の魔法』では描かれなかった「戦争」という主題は、本作においてこのディジタル映像/アニメーションの存在論的条件そのものに関わる問いを、より先鋭化して提示したもののように思われる。すなわち、このディジタル映像とアニメーションをめぐる過酷なメディウム的ダブルバインド──「落下の表象不可能性」(ないし「まんが・アニメ的リアリズム」)の露呈こそが、わたしたちの時代のイメージに架せられた「悲劇」なのである。したがって、すずの「右手の悲劇」──つまり、映像における人間の身体性=「手」の介在の消失と、それに代わる人間のいないディジタル記号の氾濫は、落下=下降の表象が蒙る「悲劇」に「感染」した結果にほかならない[★6]。下降=落下によるすずの「右手の消失」は、その意味で、ディジタル/アニメーションの氾濫の趨勢に対する、アニメーション自体の側からの、いかにもシニカルな自己言及とも受けとれるのだ。
いわばすずの悲劇は、アニメーションそのものが抱える「悲劇」をもあぶりだしている。
★1 パイオニアから発売されている『ノーマン・マクラレン作品コレクション』第1巻のリーフレットに寄せたコメント(「はるかなる出発点」)で、片渕は日本大学芸術学部映画学科の最初の講義で見せられたマクラレンの『隣人 Neighbours』(52年)に「映画表現そのものの根幹」を感じるほどの大きなインパクトを受けたと記している。ちなみに、『この世界の片隅に』の制作には片渕(とわたし)の母校であるこの日芸映画学科がかかわっており、マクラレンふうのシーンの作画を実質的に手掛けたのは、現在同学科で助教を務める若手実験映像作家、野村建太氏である。なお、制作工程については、野村氏からも教示をえた。
★2 木村智哉「一九六〇年前後の日本におけるアニメーション表現の変革」、『美学』第237号、美学会、2010年、49-60頁。
★3 むろん、ここには監督の片渕がそのアニメ演出家としての出発点から深くかかわっている宮崎駿、高畑勲らスタジオジブリ系の系譜も深く刻まれているだろう。たとえば、『この世界の片隅に』にも見られる「少女の成長と自立」という主題は、まさに片渕が当初、監督を務める予定で、実際に演出補を担当した宮崎監督の『魔女の宅急便』(89年)と共有するものだし、『風の谷のナウシカ』(84年)で主人公を導く大ババさま役を演じた京田尚子は、本作でやはりすずを導く祖母、森田イト役に抜擢されている。
★4 『この世界の片隅に』のドキュメンタリー的側面については、藤津亮太も触れているが、ここでの「ドキュメンタリー」という言葉の内実もアニメーション・ドキュメンタリーとは対照的である。藤津亮太「アニメ史の中の『この世界の片隅に』」、『ユリイカ』11月号、青土社、2016年、108-109頁を参照。また、アニメーション・ドキュメンタリーおよびその本作との関係、また後述する今日のアニメの制作工程などについては、高瀬司氏から貴重な教示を受けた。
★5 土居伸彰「夢見ること、それだけを教える――高畑勲の『漫画映画の志』、その着地点」、『ユリイカ』12月号、青土社、2013年、190-199頁。この点は高畑勲を論じた近刊の拙論でも問題にしている。拙稿「教育者・高畑勲」、同人誌『ビンダー』第4号、ククラス、2016年、6-13頁。
★6 『この世界の片隅に』におけるいわば「ノンヒューマン的主題」にかんしては、また別に論じる用意がある。一点だけ印象的な場面を挙げておけば、すずの兄の浦野要一(大森夏向)が戦死して遺骨が帰ってきたとき、骨壺のなかには石ころがひとつ入っているのみである。ここで兄は、いわば文字通りの「ノンヒューマン・エージェンシー」(モノ)に変化してしまったといえるだろう。


渡邉大輔
1982年生まれ。映画史研究者・批評家。跡見学園女子大学文学部准教授。専門は日本映画史・映像文化論・メディア論。映画評論、映像メディア論を中心に、文芸評論、ミステリ評論などの分野で活動を展開。著書に『イメージの進行形』(2012年)、『明るい映画、暗い映画』(2021年)。共著に『リメイク映画の創造力』(2017年)、『スクリーン・スタディーズ』(2019年)など多数。
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