ポスト・シネマ・クリティーク(12) アニメーションという「悲劇」──片渕須直監督『この世界の片隅に』|渡邉大輔

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初出:2016年12月9日刊行『ゲンロンβ9』

「アニメの当たり年」を締めくくる傑作


 今年1月にはじまり、現代の「ポストシネマ」の諸相について、新作評を題材にたどるこの連載も、ついに年内最後の回を迎えた。今年は邦画やアニメ映画の当たり年という声があちらこちらで聞こえた1年だったが、まさか、年の瀬も迫る季節に、これほどの傑作アニメ映画が巷を席巻するとは──前評判も高かったものの──、おそらくだれも予想だにしなかっただろう。

 片渕須直の7年ぶりとなる長編アニメーション映画監督第3作『この世界の片隅に』(16年)のことである。本作の原作は、漫画家・こうの史代の代表作のひとつ。戦前昭和期から敗戦直後──アニメ映画版では1933年12月から46年1月までの12年間──の広島県広島市および呉市を舞台に、呉の北條家に嫁いだひとりの女性、浦野すず(のん)の半生を、空襲や原爆投下などの戦時下の出来事を織り交ぜながら、細部にわたる緻密な時代考証に基づいて描いている。片渕が2010年にアニメ化の構想を抱いて以来、6年の歳月をかけて完成させ、不足する制作資金調達のために15年にはクラウドファンディングで出資を募ったことも話題となった。

「メタアニメ的」な演出


 ところで、来年(2017年)は、日本でアニメーションが誕生してから、ちょうど100年の節目の年にあたる。明治末年ころに海外の初期アニメーションが渡来したのち、下川凹天、幸内純一、北山清太郎の3人がほぼ同時期にアニメーション制作を開始、そのうち下川による最初の国産アニメーション作品『芋川椋三玄関番の巻』を筆頭に、3人がそれぞれ相次いで作品を発表したのが、1917年のことだったからである。

 そんな「日本アニメ100年」を目前にしたいま、また、ディジタル化による「(実写)映画のアニメ化」がいわれるなかで、映画だけに限ってみても、今年のアニメは、ある種の「メタアニメ」の趣向を織りこんだ作品が目立ったように思える。たとえばマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督『レッドタートル ある島の物語 La Tortue rouge』(16年)や山田尚子監督『聲の形』(16年)などがそうであり、あるいはある意味で実写の『シン・ゴジラ』(16年)もまた、そうした作品だっただろう。そして、その傾向は、『この世界の片隅に』にもそのまま当てはまるものだ。
 たとえば、すでに多くの指摘があるように、むろんそれは、まず主人公のすずが幼いころから絵を描くのが好きな少女/女性であり、しかもそうしたキャラクターの設定のみならず、その彼女の「絵」や「絵を描くこと」が、本作のメディウムである「アニメーション」──もしくは原作の「マンガ」──という表現自体と作中のいたるところで印象的に重ねあわせられる点に見いだせる。物語の冒頭、幼いすずが、海苔を届けに広島市街の中島本通りを歩いていると、獣のような容貌の人攫いが背負う籠に入れられるシークエンス。しかし、この場面はすぐあとで、じつはすずが自宅で妹のすみ(潘めぐみ)に見せるために描いていたマンガの絵だということが明かされる(この展開は原作マンガにはない)。つまり作中では、この場面は作品内の現実世界からごくなめらかに虚構のイメージ世界へと接続されるのだ。

 あるいは、これも映画の前半で登場する、すずが同級生の水原哲(小野大輔)と、海の見える小高い丘ではじめて言葉を交わすシークエンス。高等小学校の課題で写生に来ていた水原とばったり出会ったすずは、海を見下ろす風景をかれのかわりに水彩絵の具で描いてやる。映画では、すずと水原の会話がオフボイスで聞こえるなか、画面いっぱいにすずのもつ筆先が眼の前の風景を描いてゆく様子がクロースアップで写される。そして、シーンの最後のショットでは、すずに描いてもらった絵をもって帰ってゆく水原の姿が周囲の背景も含めて、まさにすずが描いたとおりの、淡く朴訥とした水彩ふうのタッチの絵で表現される。この部分はこうのの原作でもまた、マンガのコマの枠がそのまますずのもつ画用紙の枠とぴったりと重ねられ、コマの外から彼女の腕が伸びてくるという、エッシャーの有名なだまし絵を思わせる趣向が凝らされている。

 これらシークエンスに典型的なように、『この世界の片隅に』では、その手描きの素朴さを醸しだす作画タッチを逆手にとって、物語の現実世界のイメージと、作中ですずが描く絵のイメージが巧みにオーヴァーラップするような表現が随所に登場するのだ。ほかにも、45年3月の最初の呉の空襲シーンで、爆撃の煙が色とりどりの水彩絵の具の点綴で表現される演出や、のちに時限爆弾の破裂で亡くなるすずの姪の黒村晴美(稲葉菜月)が花畑で遊んでいる心象風景を水彩画ふうに描くシーンなども、それらのシーンにつけ加えることができるだろう。

アニメ史的想像力の召喚


 さらに、『この世界の片隅に』のメタアニメ性は、メディウム的な特性ばかりではなく、アニメーションにまつわるいくつかの歴史的想像力をも呼び覚ます。

 まず、これもすでに注目されている、ノーマン・マクラレンなどのアート・アニメーションに対するオマージュがあるだろう(思えば、今年は『レッドタートル』公開から年末のユーリー・ノルシュテイン特集上映まで、アート・アニメーションの当たり年でもあった)。すでに少し触れたが、45年6月、すずが幼い晴美を連れて空襲で負傷した義父の北條円太郎(牛山茂)の入院する病院に見舞いに行った帰り、空襲に遭遇して防空壕に隠れたあと、舗道の脇に落ちた時限爆弾が炸裂して晴美と自らの右手を失う重要なシークエンスがある。ここで、意識を喪失したすずの内的世界が抽象的な描画によって表現される映像は、マクラレンによるスクラッチ・アニメの名作『線と色の即興詩 Blinkity Blank』(55年)へのあからさまな目配せである★1

 あるいは、44年9月、海軍軍法会議に勤める夫・北條周作(細谷佳正)のもとにすずが帳面を届けに行った帰り、呉の繁華街でふたりがデートするシーン。ここで原作にはないが、街頭には複数の映画館の看板が立ち並んでいる。このうち画面にはっきりと写るのは、松田定次監督『河童大将』(44年)と斎藤寅次郎監督『敵は幾万ありとても』(44年)の2作品だ。いずれも実在する映画だが、後者の看板の左端に「文化ニュース」という文字が見える。この「文化ニュース」とはいわゆる現在のドキュメンタリーや報道番組にあたるプロパガンダ的・啓蒙的な短編映画「文化映画」および「ニュース映画」のことを指している。戦時中は、1939年に制定された「映画法」によって、これらのプロパガンダ的なドキュメンタリーやニュース映像が通常の劇場娯楽映画との併映を強制されていた(そもそも『敵は幾万ありとても』はそれ自体がプロパガンダ的な国策児童映画である)。

渡邉大輔

1982年生まれ。映画史研究者・批評家。跡見学園女子大学文学部准教授。専門は日本映画史・映像文化論・メディア論。映画評論、映像メディア論を中心に、文芸評論、ミステリ評論などの分野で活動を展開。著書に『イメージの進行形』(2012年)、『明るい映画、暗い映画』(2021年)。共著に『リメイク映画の創造力』(2017年)、『スクリーン・スタディーズ』(2019年)など多数。
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