浜通り通信(4) ブルーシートとは何だったのか|江尻浩二郎
初出:2014年06月15日刊行『ゲンロン観光地化メルマガ #15』
ゲンロン観光地化ブロマガ読者の皆さん、初めまして。いわき市小名浜在住の江尻浩二郎です。この「浜通り通信」では、小松理虔さんがこれまで3回にわたって「場づくり」に関する記事を掲載してきました。今回は趣向を変えまして、今年2月に第58回岸田國士戯曲賞を受賞した『ブルーシート』についての座談会を紹介したいと思います。
非常に特殊な背景を持つ演劇作品『ブルーシート』は、福島県立いわき総合高校総合学科・芸術表現系列(演劇)の10期生による、2年次のアトリエ公演として上演されました。作・演出は飴屋法水氏。震災後のいわきをめぐる「表現」に関して、もっとも大きなインパクトを与えた作品と言ってよいでしょう。
そこでは何が企図され、上演を経て何が残ったのか。当時の教科演劇主任であった石井路子先生とともに、チームとして『ブルーシート』の創作に関わり、現在も同校同コースで教鞭をとる齋藤夏菜子先生、そして谷代克明先生のお二人を招いてお話を伺うことができました[★1]。聞き手は、実際に本公演を観ているUDOK.主宰の小松理虔さん。
奇跡の周辺をゆっくりと巡るこの座談は、やがておそらく、いわきで創作することの或る重みを感じさせてくれるはずです。ぜひ御一読下さい。
非常に特殊な背景を持つ演劇作品『ブルーシート』は、福島県立いわき総合高校総合学科・芸術表現系列(演劇)の10期生による、2年次のアトリエ公演として上演されました。作・演出は飴屋法水氏。震災後のいわきをめぐる「表現」に関して、もっとも大きなインパクトを与えた作品と言ってよいでしょう。
そこでは何が企図され、上演を経て何が残ったのか。当時の教科演劇主任であった石井路子先生とともに、チームとして『ブルーシート』の創作に関わり、現在も同校同コースで教鞭をとる齋藤夏菜子先生、そして谷代克明先生のお二人を招いてお話を伺うことができました[★1]。聞き手は、実際に本公演を観ているUDOK.主宰の小松理虔さん。
奇跡の周辺をゆっくりと巡るこの座談は、やがておそらく、いわきで創作することの或る重みを感じさせてくれるはずです。ぜひ御一読下さい。
飴屋法水が築いた生徒との関係
小松 まず、飴屋さんと生徒たちの関わりについて訊きたいんですが、劇中、震災に触れざるを得ないという中で、どのように生徒たちと関係を築いてきたのかなと。
谷代 アトリエ公演というのは、学校の契約上だと、20日という決められた日数しかなくて、その中で作品を創るっていう、アーティストにとってはかなり厳しい日程なんですけど、飴屋さんはそれ以上の期間、もうずっと彼らと向き合い続けてくれました。
齋藤 そうそう。学校に、合宿所として使ってる一軒家があって。稽古期間中はずっとそこに寝泊りしてました。やっしー(谷代先生)も一緒に。創作中は24時間学校に籠ってました。私は、毎日ご飯を作って(笑)。もう、本当に家族みたいに生活していましたね。
小松 ええええ、そうだったんですか! そこまで……。
齋藤 飴屋さんは、とにかく生徒とずっと一緒にいて、稽古の半分は生徒と話すということに時間を使っていましたね。
谷代 とてもデリケートな作業だと思います。僕たち大人を含め、それぞれが実際に被災を経験している。その個々の色々を、舞台上でやるっていうことは生傷をえぐるようなことだから。だから、飴屋さんは、そのことが本当にお芝居を作るために必要なことなのかどうか、そして、その子がそれを本当に言いたいことなのかどうか、話をする。
小松 生徒の方から、こういうのはイヤだ、みたいな拒否反応は出なかったんですか?
齋藤 飴屋さんが、1人ひとりにテキストを用意して、「これ君のパートね。もし嫌だったらやらなくてもいいよ。」って渡すんです。本当に生徒のことをすごく観察してました。誤解される言い方かもしれませんが、生徒のことをとても大事に扱ってくれた。そんな飴屋さんだから、生徒達も飴屋さんを本当に信頼していた。だからできた作品だな、って今改めて思います。最後、飴屋さん達と別れるとき、みんなもうボロボロ泣いてました。別れたくないって。
小松 いい関係が築けていたからこそ、本音のようなものが出てきたのかもしれませんね。それがやはり私たちの心を打った。
齋藤 震災でいろいろ考えてた「もやもや」を飴屋さんというフィルターを通して言葉にすることができた、というのが本当に大きいと思います。やっぱり震災から時間が経つにつれて心の傷とか温度差が浮かび上がってくる。いろんな立場の人が学校にはいますから。東電関係で働く親を持つ子どももいれば、富岡の方から避難してきた子どももいれば、津波関係の被害に遭っている子どももいれば、いろいろ。
小松 自分のことも、台詞として喋ることで客観視できるのかもしれませんね。なおかつ他の人たちも演じるということで、その人の立場を理解したりできる。誰かの人生を追体験するとかいうことがあると思うんです。お互いを知るというか。
齋藤 これは部活の話になっちゃうんですけど、作品を創る時に、まずエチュードというショートシーンをたくさん創って発表する作業があるんです。そこで、自分がした体験を改めて演じたときに、気持ちが新鮮にまた甦ってきて、その時は意地張っていたけど、改めて演じ直して、辛いと思ってわーって泣く子もいます。稽古の中で、やればやるほどグサグサきて、そのとき隠してたけど実は辛かったんだとか、そういうことが分かったりする。逆に、自分がやった側の人間だったとして、やられた側の立場を演じてみると、「こんなつらいことをやってたんだ」ってことを分かったりだとか。私は演劇を全然やったことのない人間でしたが、それがすごく衝撃で。それで、演劇を教育に取り入れる必要性を強く感じて、興味を持ったんです。そういえば稽古の初日、飴屋さんが「それぞれ得意なことを見せてって言って、みんな色々披露したよね。
谷代 そこで、歌った子もいれば、ギター弾いた子もいれば、踊った子もいました。特に『ブルーシート』の最後のシーンの男の子は、もともとヒップホップが好きだったんです。それが劇にも織り込まれている。
小松 最後のシーンはとても印象的でしたね。男の子が自分の部屋でダンスの練習をしていたと思ったら、「逃げて!」と絶叫しながら、その場で走るように踊り続ける。最後はもう絶叫に近くなってきて、もう「演じている」という状況を超えちゃっているように感じて、あのシーンで私もいつの間にか泣いてました。「逃げて!」という言葉がとても切実で……。
齋藤 実際、震災の時に家が崩れて、彼は逃げたんですよね。町の人たちに「逃げて!」って言って。だからあれは、本人がやりながらキツいのもあるけど、毎回その時の気分に立ち帰っているというか……。
小松 そうだったんですか……。それは……言葉になりません。生徒1人ひとりのリアルな実体験がもとになっているんですね。私が見たのは「本番」ですから、もちろん一生懸命やろうと生徒も思っていると思うんですが、「稽古」の中でもその台詞を言わなければならないわけですよね。
齋藤 飴屋さんとの信頼関係がなければできなかったシーンだったと思います。
小松 初めからきれいな台詞が決まっていて、それを演じるのが当たり前なのかと思っていました。でも『ブルーシート』は、実際にはむしろドキュメント的というか、かなり綿密な信頼関係の上に成り立つ「取材」のようなものがあって、その上で、生徒の本心や経験を引きだすものになっている。そこが本当に凄いですね。
谷代 そうですね……。でも諸刃の剣だと僕は考えています。自分自身のリアルな体験を素材として扱うことは、やはり良い面と悪い面、両方があります。飴屋さんは、生徒が震災のことを扱う、口にする、思い出す、掘り起こすという作業に、とてもストレスがかかることを知っています。その子が本当に何を求めているのか、何を言いたいのか、作品の素材として本当に震災のことを扱うべきなのか、学校に来て稽古をするまで分からなかったと言っていました。
小松 本当に繊細な仕事だったんですね。
谷代 確かに、震災があった土地だけど、別に全く違う作品をやることもできたと思うんです。でも、演じるのは結局生身の人間だし、観ている観客も震災をふまえて観てしまうから、やはり影響はある。だから、飴屋さんも生徒も、お互いよく話をしていました。稽古が終わっても稽古場に残って、みんなと一緒には話せないことを一対一で話したり。で、最後のシーンの彼は、あれに行き当たった。
小松 飴屋さんと先生方の役割分担みたいなものも、とても細かそうですね。
谷代 例えば、僕ら教員の中でも、稽古場に常にいる人、外側から新しい空気を運んでくれる人というように、それぞれ役割がある。そこのハンドリングが一番難しいんです。飴屋さんのようなアーティストと生徒の間に立って、例えば上手くいかなくて凹んでいる子をどうフォローするのか、どういう言葉をかければ明日も稽古へ来てくれるだろうかとか。生徒の考え方をどう転換すれば、その子が前に進めるだろうか、みたいなことをケアするわけです。それはもう、飴屋さんだけでなく、アーティストとの創作活動に関しては常に神経を使いますし、今回も、そうでした。
小松 そうだったんですか……。それは……言葉になりません。生徒1人ひとりのリアルな実体験がもとになっているんですね。私が見たのは「本番」ですから、もちろん一生懸命やろうと生徒も思っていると思うんですが、「稽古」の中でもその台詞を言わなければならないわけですよね。
齋藤 飴屋さんとの信頼関係がなければできなかったシーンだったと思います。
小松 初めからきれいな台詞が決まっていて、それを演じるのが当たり前なのかと思っていました。でも『ブルーシート』は、実際にはむしろドキュメント的というか、かなり綿密な信頼関係の上に成り立つ「取材」のようなものがあって、その上で、生徒の本心や経験を引きだすものになっている。そこが本当に凄いですね。
谷代 そうですね……。でも諸刃の剣だと僕は考えています。自分自身のリアルな体験を素材として扱うことは、やはり良い面と悪い面、両方があります。飴屋さんは、生徒が震災のことを扱う、口にする、思い出す、掘り起こすという作業に、とてもストレスがかかることを知っています。その子が本当に何を求めているのか、何を言いたいのか、作品の素材として本当に震災のことを扱うべきなのか、学校に来て稽古をするまで分からなかったと言っていました。
小松 本当に繊細な仕事だったんですね。
谷代 確かに、震災があった土地だけど、別に全く違う作品をやることもできたと思うんです。でも、演じるのは結局生身の人間だし、観ている観客も震災をふまえて観てしまうから、やはり影響はある。だから、飴屋さんも生徒も、お互いよく話をしていました。稽古が終わっても稽古場に残って、みんなと一緒には話せないことを一対一で話したり。で、最後のシーンの彼は、あれに行き当たった。
小松 飴屋さんと先生方の役割分担みたいなものも、とても細かそうですね。
谷代 例えば、僕ら教員の中でも、稽古場に常にいる人、外側から新しい空気を運んでくれる人というように、それぞれ役割がある。そこのハンドリングが一番難しいんです。飴屋さんのようなアーティストと生徒の間に立って、例えば上手くいかなくて凹んでいる子をどうフォローするのか、どういう言葉をかければ明日も稽古へ来てくれるだろうかとか。生徒の考え方をどう転換すれば、その子が前に進めるだろうか、みたいなことをケアするわけです。それはもう、飴屋さんだけでなく、アーティストとの創作活動に関しては常に神経を使いますし、今回も、そうでした。
生徒たちの「下地」はどう作られたのか
小松 『ブルーシート』の生徒たちは、部活動ではなくて授業として演劇を「専攻」してるわけですが、飴屋さんが来ない、普段の授業ではどんなことをしていたんですか? 厳しい演技指導のような授業がありそうな感じがするんですが。
齋藤 演技指導というのはないです。演劇を通しての人間教育というか、「コミュニケーション教育」みたいな授業ですね。演劇の手法を通して、自分や相手のことを知ったり、コミュニケーション能力を育てるような。その他に、ジャズやモダンといった舞踊の授業があって、心だけじゃなく身体も解放する。心と身体の両方を鍛える、みたいなイメージ。決して俳優養成のための授業ではないです。
小松 ああ、確かにそうですね。教育の一環としてやるわけですしね。しかも、彼らは別に将来演劇の世界に行くわけではなくて、普通に進学して大学や専門学校に行ったり、就職したりするわけですよね。
谷代 この子たちは、授業で演劇を選択している子どもたちであって、演劇部というのはまた全然違うんです。『ブルーシート』の中で演劇部にも所属している子は、2人だけで、あとは全部違う。
齋藤 演劇部に入る子も、俳優になりたいって子は少なくて。最近は声優志望って言う子が多いです。最初は演技力をつけたいとか表現力をつけたいって言って来るんですけど、彼らの思う表現力って「声を作る」とかそういうことなので、演劇に関しては、そこを取ってあげる。「普段そんな喋り方しないでしょ?」っていうところから入っていく。本当の自分を隠して、そうやって声作ったりして演じてても全然つまんない。それが取れて、本来の自分の姿で話すっていうようになって初めて魅力的に映るっていう。
谷代 冒頭で「コミュニケーション教育」という言葉がかなつん(齋藤先生)の口から出ましたが、俗に言うところの「ワークショップ」ですね。
齋藤 例えば「脱力」というのがあって、誰かが床に寝て、ペアになった人が、本当に力が抜けてるかどうか、揺らしたり、引っ張ったりするんですけど、最後には両手を持って上半身を起こしてあげるところまでやるんです。そのとき、やっぱり相手のことをちゃんと信頼できないと、脱力できずに力んでしまう。すると、「私は人に対してオープンになるのが苦手だな」とか、「私は人に対して割と全力で飛び込んでいけるな」とか分かったりする。ゲームを通して、本当の自分というのを見つめる作業というか。
谷代 「フルーツ語」っていうのもあって、例えば「いちご」っていう言葉だけで気持ちを伝える伝言ゲームのようなものがあるんです。「悲しい」とか、「大丈夫?」とか、それを「いちご」で表現する。本当に相手の気持ちを汲むのがうまい子は、「いちご」って言っただけで「今、 "お腹すいた" って言ったでしょ?」とかって当たるんですよ。でも何回やってもできない子もいる。そこで、「あれ、自分は全然人の気持ちが分かんない」ってことに気づいたりする。で、普段の人との関わりを振り返って、自分はどうだろうって考える。単なるゲームなんですけど、ものすごく深いんですよね。
小松 へええ、それは興味深いですね。その「ワークショップ」があるおかげで、演劇の素地もでき、なおかつ生徒同士の円滑なコミュニケーションも生むことに繋がると。
齋藤 震災直後だと、「転校してきました」という言葉で、「ああ、この子も震災で引っ越してきたのか」ってことをすぐに感じることができた。でも今は、みんな同じタイミングで高校に上がってくるから、背景がよくわからないんです。でも、どこ出身とか、震災でどうだったとか、なかなか訊けないじゃないですか。だからお互い探り合いで、なんとなく平和な感じで生きてるんだけど、その中で、ちょっとした言葉で傷つけちゃったりしてて……。
小松 そういう中で、自分の内面をさらけ出すわけですから、信頼関係が大事なのはほんとうによくわかります。そしてそれは、飴屋さんの稽古の時間だけではなく、学校の普段の授業のなかでも育まれてきたんですね。だから、『ブルーシート』は「台詞」というより、彼ら自身の「自分の言葉」だった。
齋藤 限りなく、そのままの彼らでしたね。
谷代 うちにアーティストお呼びして作品を作って頂くときには、そのまま「いわき弁」で創作されることが多いんですが、決してそれを求めているわけじゃないんです。アーティストの側で、そのままの身体から出る、今の未発達な状態の彼らから出る音みたいなものを聞きたい、それを作品にしたい、という方が多いです。
小松 未発達であるがゆえの危うさであり純粋さって、ちょっと変な方向に行ったら取り返しがつかなくなる恐れがありますよね。だからこその下地。お二人の話を聞いて納得しました。
いわきに求められるメソッド
小松 今日伺った話は、ワークショップであれ信頼関係の構築であれ、たとえば、利害関係が一致しない人たちの対話の場でこそ生きてくるような気がしました。結局みんな、震災から時間が経つにつれ、本音が見えなくなったり、話せなくなったりしてきている。齋藤先生もさきほどおっしゃいましたが、一見平和に見えるけど……というのはあると思います。そこで、演劇のメソッドが役立ちそうだなと。
齋藤 例えば「自画像」っていう公演があるんですけど。1人ひとりが自分について語るモノローグみたいな。1カ月くらい、自分についてとことん掘り下げて見つめる作業で、授業で教師と一対一でセッションしていくんです。授業じゃないと絶対あんなことやらないなと思うんです。日常生活で、自分の性格について、「あなたはこういう所があるかもね」とか、「なんでこうなのかな?」とか言われたら、「うるさい!」って思うじゃないですか。授業だからできるんだなと。
谷代 なんというか、高校生たちは打たれ慣れてないから、打たれるってどういうことかっていうのを、高校生のうちから一緒に考えていくっていう。1人でその方法を見つけなさいっていうことじゃなくて、共に考える。そこから徐々に入っていくっていうのがいわき総合高校のやり方ですね。
小松 一緒に考えるってことは、やはり信頼が必要ですよね。
谷代 だから授業中や稽古中にセッションしていたことは、部屋を出たら他言無用。それはもう絶対守る。それを一緒に背負うっていう覚悟が要ります。中途半端に関わると大変なことになりますから。
小松 先生たちも、擦り減っていくというですね。
谷代 もちろん。でもそれは子どもたちも同時に擦り減っているということですから、僕らがそのことを背負えないんだとしたら最初からやるべきではないんです。あの子たちの人生に少なからず影響があるわけですから。
小松 そう考えると、あの劇の一言一言の重みが、今になって全然違ってきますね。ああ、あんな気持ちだったのかと。でも、だからこそ、初めて見る人たちにもやはり届くんじゃないかと思います。
谷代 それが演劇のマジックなんですよ。演劇っていうのはリアルで起こる事柄の再構築です。他の人と一緒に掘り下げていく作業の中で、なんで僕は今この台詞を言わなきゃいけないのかを考えるわけですよ。その作業が、彼らにフィードバックをもたらすんですよね。無意識でやっていたことを意識的に行わなければいけないっていうその行動が、今取り組んでいることを見直すことに繋がる。その連続です。それが、教育的な効果にも繋がっているのかもしれません。
小松 それって大人にこそ必要ですね。それなりに社会人やってると、すごくイヤな人と一緒になっても「どうもー」みたいな感じで流せる。でもそれって平和に見えて平和じゃないというか、誰かを理解したことにはならない。
齋藤 実は、うちの学校では1年生は全員、クラスごとに東京から演出家や俳優さんを講師にお呼びして、演劇ワークショップを行っているんですけど、去年から、それを教職員に対してもやるようになったんです。本当にやって良かったなーって思っていて。中には、普段大人しい先生だけど、すごく活き活き楽しそうにやってて、「あ、コミュニケーションとりたかったんだ」っていうのが分かったりとか、いろいろな収穫があります。
小松 どういう状況でその言葉が出てきたんだろうか、みたいなものを察することがますます必要になってきてるように思います。例えば、「海ってきれいだな」っていう言葉で、傷つく人もいるかも知れない。今までだったら「海ってきれいだね」、「そうだね」で済んだのに、それが成立しない時代に生きているわけですよね。まあ変に考え過ぎてもよくないんだけども、相手の置かれている状況が見えにくくなる中で、コミュニケーション能力を育てる作業ってのはほんとに大事ですよね。
齋藤 今まさにクラスの中がそういう感じなんですよ。不用意な言葉で傷つけて、それにすら気づかないという。だからワークショップは必要だと思っています。演劇の授業は2年生から始まるんですが、3年生になって、これまでの自分を振り返ったときに、自分のしてしまったことの大きさに気づいて「うわーっ」てなる子もいっぱいいる。でも取り返しがつかない。
小松 オレもネットで不用意な発言してるので、思い当たるフシが……。
齋藤 演劇の授業をやっていた生徒で、そういった経験を通して、芸術系だけじゃなく、福祉系の仕事がしたいとか、学校の先生になりたいとか、心理カウンセラーとか、人と関わる仕事に進路を変える子が多いですね。それはやっぱり演劇の教育の効果だなって思います。
小松 いやあ、今日は本当に勉強になりました。演劇のメソッド、これからもぜひ学ばせてください。ありがとうございました!
いかがでしたでしょうか。
私自身が最も印象的だったのは、県立高校の現役教師2名から語られた、学校という場での、生徒の中にある、静かな、そして穏やかな、心の地獄でした。教室はもちろん、現在のいわきの縮図でしょう。この町に、いわき総合高校がある偶然。「いわき」と「演劇」。「演劇」は「いわき」を変えられるか。否、「演劇」は「いわき」を創れるか。
★1 石井教諭、齋藤教諭、谷代教諭の3名とも現在は同校から離れ、それぞれの環境で活躍されている。(編集部)
「本書は、この増補によってようやく完結する」。
江尻浩二郎
1970年小名浜の醤油醸造元に生まれる。居所を定めず、日本国内外で、演劇および異文化理解に関わる活動を行っていた。震災後1年で中央アジア・キルギス共和国より帰郷。現在は某ラジオ局に勤務し、いわき市内中山間地域および久之浜地区を担当。UDOK.メンバー。自宅(実家)からUDOK.まで徒歩3分。 撮影:橋本栄子
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