「浜通り通信」補遺――エラーが生む子どもたち|小松理虔

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初出:2018年09月21日刊行『ゲンロンβ29』

 何かの間違いだろう。ぼくが本を書いている。そしてその本が、地元の本屋にも遠く離れたどこかの土地の本屋にも同じように並んでいる。アマゾンで注文することができ、出版を祝うトークイベントに100人もの方が来場してくれる。そんな大それたことを、かつてのぼくは想像すらできなかっただろうし、そもそも、ぼくのような人間の身には起きるはずのない出来事だと今でもどこかで思っている。自分の名前を冠した本が売られていることに、まだ強い実感は持てていない。

 思えば、ほとんど何一つ好みの合わない妻と結婚したのも、住宅ローンを抱えているのに会社を辞めてフリーランスになったのも間違いといえば間違いだ。震災以降は「こんなはずじゃなかったのに、気づいたらこうなっていた」ということばかり続いている。もっとも、震災そのものが「こんなはずではなかった」の最たるものかもしれない。あの災害は、社会にさまざまな「エラー」を生み出した。会うはずのない人が出会い、起きるはずのない出来事が起き、生まれるはずのないものが生まれた。ぼくたちの日常のなかには、震災によるさまざまなエラーが生まれているように見える。

家族というエラー


 ぼくにとって最大のエラーはやはり結婚だろうか。震災当時、ぼくには付き合っている彼女がいた。しかも、震災のひと月前から付き合い始めたばかり。付き合ってちょうど1カ月が経過した日に震災が起きた。新潟にいた彼女の心労はいかばかりだったか。無事だったぼくはツイッターに張り付きっぱなし。ロクに連絡もせず彼女の心配を膨らませているような有様だった。この文章を書きながら、あの頃のぼくの対応はさすがにまずかったなと今さらのように思い直しているところだ。

 3月17日、ぼくはその彼女のいる新潟の内陸部へと一時的に避難した。彼女を安心させたいという思いと、混乱の続く地元をいったん離れたいという思いと半々くらいだっただろうか。津波で破壊された地元、降り注ぐ放射能、溢れる情報、足りない物資やガソリン、避難するしないで揉める家族……。混乱の材料は枚挙にいとまがない。それらをすべて引きずりながら、ぼくは新潟を目指した。
 彼女がいるのは実家である。当然家族がいる。お父さんもお母さんも。震災や原発事故についてひとしきり説明したら、「私は何者であるか」をゼロから説明しなければならない。自分は当時31歳。結婚を意識しないはずがない。当然、そういう話の流れになる。「結婚を前提にお付き合いさせて頂いております」。そう言わざるを得ない状況。もちろん結婚は考えていた。しかし付き合い始めて1カ月である。そもそも、まだ数えるくらいしか会っていない。しかも、地元が大変なことになっている。自分の心を支えることだけで精一杯の状況で、人生最大の決心をしなければならない。なんてことだ。

 3月21日、いわきへと戻る。親友と、計画のあったオルタナティブスペースの構想を復活させた。オルタナティブスペース「UDOK.」は、もともと小名浜港近くの物件を借りることで話が進んでいた。なんと、3月12日に契約書にサインするはずだったのだ。何度も何度も構想を語り、図面を描いてはあれこれ夢想し、自分たちの旗を立てようとしていたその矢先の震災だった。小名浜港から100メートルほどしか離れていないその物件は、津波の直撃を喰らい、震災の2日後に見にいってみると、高級外車が建物に豪快にめり込んでいた。

 だがそこでは、なぜか無力感を感じることはなかった。まだ契約していなかったし、他の物件を探そうと気持ちを切り替えることができた。折しも、小名浜をはじめ、いわき市全体がゴーストタウン化していた頃である。空き物件の1つや2つすぐに見つかるだろうと思っていたのだ。案の定、商店街のかなりいい場所に1つの空き物件を見つけた。ゴーストタウン化した町には、新しい商売がはじめられるような雰囲気などほとんどない。家賃の値下げを交渉し、提示額より1万円安く物件を借りられることになった。UDOK.は、なんだかんだありながらも、今年、運営7年目に入っている。

 そうこうしていると、彼女がいわきへと移住してくることになった。結婚を前提としているし、それをご両親にも伝えてあるのだから、当然と言えば当然だろう。しかし彼女とは多分、まだ5回くらいしか会っていなかったはずだ。信じられないと思うが、片手の指で数えられるほどしか会ったことのない男女が遠距離恋愛中に震災を経験し、まだ放射線の影響が未知数だったあの時期に、女性のほうが被災地に移住してくるのである。これを「エラー」と言わずになんと言おう。
 4月末ごろだったろうか、彼女を港に連れていき、変わり果ててしまった様を見てもらった時だ。彼女はぼくにこんなことを言った。「あなたにとっては壊されてしまった町かもしれないけれど、私にとってはこの状態がスタートライン。ここから楽しい思い出を作っていけばいいんじゃない?」と。それを聞いた時、「打ちひしがれている被災者に言う言葉かよ」と思った。「外の人間だからおれの辛さはわかるまい」とも思った。しかし、些細な怒りの先に光が見えた気もした。ここがスタートライン。彼女は、この被災地をむしろ新しいスタートの希望の土地として見ているのだから。それはどこか痛快でもあった。

 ぼくはその時、被災者たる自分の強い当事者性のようなものを、少しだけ脱ぐことができたのだと思う。この辛い気持ちは誰にもわかるまいと彼女に言ってしまったら、おそらく彼女は悲しむだろう。そして「あなたの本当の悲しみは私にはわからない」と、当然言い返されるだろう。それなのに彼女は、ぼくの怒りや無力感とは別に、自分の人生をここから切り開こうとしている。ここに暮らしてきたぼくよりも、大きな決断だろう。

 自分の悲しみや怒り、感情を、「あなたにはわからないだろう」と切り捨てるのではなく、「いつかわかってくれるかもしれない、わからないかもしれないけれど」と判断を一度保留してしまう。そのほうが圧倒的に心が健康になるのだった。そして、希望は温存される。

 結果として振り返れば、被災者であるぼくは、最も苛烈な時期に、そして最も身近なところに、外部を受け入れたということになるのだろう。偶然としか言いようがない。これはぼくの人生における大きなエラーだ。

 しかし、そんなエラーが、ぼくの人生を面白おかしく、そして豊かなものにしてくれていると日々感じる自分もいる。妻とは食の好みも、音楽の好みもほとんど何も合わない。同棲し始めた頃は価値観の不一致で毎日のように喧嘩をしていたし、結婚後だって何度も離婚を考えた。絶望である。しかし、離婚を考えるたびに、妻がもたらしてくれた、そしてこれからももたらしてくれるだろうエラーの希望にも思い至った。合わないからこそ、2人の気持ちが合致した時の高揚感は大きいし、合わないからこそ、人の心を変えることの難しさ、自分が変わることの大事さも知った。なお離婚しないでいるということは、妻もまた、このエラーを心のどこかで楽しんでいるのではないか。そんな気さえする。すると、やはり別れるのは勿体ないという気持ちが湧いてくる。ひょっとして、これが「愛」?
 2015年には、めでたく娘も生まれた。娘については『新復興論』の「おわりに」に書いた。圧倒的な身内なのに、他人としか言いようがない娘。半分はぼくの遺伝子でできているはずなのに、震災も原発事故も経験していない他人なのだ。ぼくは、そのような人間にこそ震災の記憶を伝えなければいけないし、そのような人間の存在こそ希望なのだと考えるようになった。そして、そんな趣旨の言葉で本を結んだ。妻と娘、2人の家族を通じて、ぼくは身体のなかに「外部性」のようなものを受け入れることができたのである。

「外」を招き入れる場所


 UDOK.という場所を作ったことの最大の効果もまた、小名浜に数々の「外部」が流入してくれるようになったことにある。UDOK.はギャラリーや会議室としての利用から、DJイベント、アーティストのレジデンスまで、何でもできる自由なスペースだ。表現者、学生、観光客などなど。福島の当事者性から少し離れたところにいるように見える人たちが、震災直後はたくさんやってきてくれた。一般的にこうした地域のスペースは、コミュニティを強化するもののように思われている。その効果はもちろんあるだろう。しかし、外からやって来てくれる人がいればこそコミュニティは豊かになる。内側にこもるのではなく、外部に、そして公共圏にはみ出していくような場所を、ぼくたちは志すようになっていった。

 UDOK.を通じた、表現者や学生たちとの出会い、つまり外部との出会い。そこでもたらされるエラー。そして、そのエラーによって変容し、さまざまに揺れ動くぼくの状況。『新復興論』では、それを書き連ねた。震災後に出会った人たちから影響を受け、ぼくはすっかり人が変わってしまった。もともと本を書くような人間ではなかったし、地元の食について関心があったわけでもない。魚なんてさほど詳しくもなかったし、地域の歴史や文化なんて震災後に誰かに聞かされて知ったものがほとんどだ。すべてはエラーの賜物である。

 自分の外側にいるような人たちとの出会い。それが結果的に今のぼくを作り出し、本を書かせた。だから『新復興論』には、誰々がこんな話をしていた。そしてぼくはこう考えを改めるようになった。そんな記述があちこちに散りばめられている。そして、そこで紹介している人たちは皆、それぞれに「現場」を持っている。学者でも批評家でも思想家でもない現場の人たちの、しかし批評性のある言葉によって本書は書かれている。

 表現に関わる人たちだけではない。本書の終盤で重要な論点を示してくれた障害福祉に関わる人たちとの出会いも、自分に大きな変化をもたらしてくれた。もともとぼくが障害福祉に興味があって出会った人たちではない。フリーライターとして仕事を受けたら、たまたま発注者が障害福祉に関わるNPOだったのだ。これも偶然の産物である。しかし、その偶然が、結果として、ぼくに大きな変化をもたらすことになる。その変化の痕跡を、本書では示したつもりだ。
 障害福祉に関わる人と、アートや表現に関わる人に共通することがある。「この人には社会がこう見えているのか」という単純な驚きをもたらしてくれることだ。彼らの存在は、社会にとっての「外部」そのもの。だからこそ、彼らと出会ったり、話したり、作品を鑑賞することで、新しい世の中の捉え方を感じることができる。その捉え方を受け入れると、社会を見る目がすっかり変わってしまう。それを体験した後と前では、人間が変わったようになってしまうのだ。そんな体験を、彼らはもたらしてくれる。

 震災後、たまたま出会ってしまった人、たまたま取材してしまった人、彼らとの出会いは、ぼくの社会を見る目を変えてしまった。だから、ぼくは彼らの存在を、その価値を、より多くの人に伝えたいと思った。本書が「現場の声」を多く収録したのも、それを伝えんがためである。本書は、ぼくの出会いと変化の軌跡を書いた「自分史」的な本でもあるのだ。

内にこもるコミュニティに、外をもたらす


 そして、翻って地域を見てみる。ぼくたちが暮らす地域は、そのようなエラーや偶然性を、どのように受け止めてきただろうか。復興の名の下、直接的に地域復興に資するもの以外を排除してこなかっただろうか。「当事者」という言葉を盾に、外部からの接触を拒むようなことはなかっただろうか。想像力のようなゆらぎのあるものを避け、データやエビデンスのみで語ることを善しとしてこなかっただろうか。もちろん、その批判は、ぼく本人にも向けられるわけだが。

 データやエビデンスで語ることのできる原発事故は、確かにぼくたちの健康被害や経済被害をかなりの部分解明してきた。今出ている科学的な結論に、ぼくは異論はほとんど持っていない。しかし、もちろんそれですべてが片付いたわけではない。ここに暮らす人たちの喪失感や怒り、無力感は当然データ化できない。希望や夢もまたそうかもしれない。

 ぼくたちは、震災と原発事故が何を奪い、一方で何を生み出したのかを考え続けるためにこそ、ゆらぎのようなものや、理屈では説明できない何かや、個の奥底に秘められたものを表出できる場を、地域のなかに実装しなければならないのではないか。そしてそれは、特段福島に限ったことでもなく普遍的なものなのではないか。そんなことをぼんやりと考え、つらつらと書き続けてきた。それが『新復興論』の正体だ。悩み、実践し、壁に当たり、エラーに身を晒し、変化し、そしてまた考える。そんな「思考の旅」の記録である。

 ほんの3年前まで地元のかまぼこメーカーに勤めていたぼくが本を書くということ、そしてその本が現代思想や批評を主戦場とする「ゲンロン」から出版されるということも、まさにエラーだろう。しかし、そのエラーを価値だと思うからこそ、ゲンロンという会社は、叢書シリーズの「001」にぼくの本を据えたのだと思う。東浩紀という人は、ぼくという存在を通じて、誤配という希望の種を撒こうとしたのではないか。それが「場違い」だとわかっていても。

 場違いや間違い、エラーがあるからこそ、ぼくたちは希望を持てる。そうでなければ社会は何一つ変わらない。持ち続ける人が持ち、持てない人はずっと持てない。賛成と反対が苛烈に議論しあう外で猛烈な風化が進む。現実のリアリティに縛られ、思想を失ってしまう。そんな「わかり切った社会」ほど、つまらないものはないし、それ以前に、人間はそもそも間違ってしまう生き物だと思う。ぼくが彼女と結婚してしまったようにだ。
 本が出る直前、かなり悩んだ。震災を「作品化」することの暴力性、その暴力性を自分が振るってしまうということが頭から離れなかったからだ。しかし、やはり場違いなところにこそエラーは生まれると思い直す。ぼくたちは、ありそうもなかった景色が見たいからこそエラーに身を晒すのだ。わかり切った閉塞感を突破するには、誰かがエラーに身を晒すほかない。偶然性の海に思い切って飛び込んでみるほかないのだ。会って数回の妻と結婚したような意味不明な「飛躍」を、ぼくは本書を書くということを通じて、再現したかったのかもしれない。


 本書は産み落とされた。娘と同じだ。自分の遺伝子でできているものなのに、自分ではない。『新復興論』という我が子は、ぼくの意思とは関係なく、新しい人格や役割を与えられていくのだろう。それが楽しみでもある。そして、本書にどのような意味があったのか、結果としてどのようなエラーがもたらされたのかを知るためにも、どうぞ、読後の感想なども、教えて頂ければ幸いだ。どうか、あなたにとって必要な書に育っていきますように。


第18回大佛次郎論壇賞受賞! 紀伊國屋じんぶん大賞2019第4位!

ゲンロン叢書001 小松理虔『新復興論』 2018年9月発行 四六判上製 本体396頁 ISBN:978-4-907188-26-9 ゲンロンショップ:物理書籍版電子書籍(ePub)版 Amazon:物理書籍版電子書籍(Kindle)版
「本書は、この増補によってようやく完結する」。

ゲンロン叢書|009
『新復興論 増補版』
小松理虔 著

¥2,750(税込)|四六判・並製|本体448頁+グラビア8頁|2021/3/11刊行

小松理虔

1979年いわき市小名浜生まれ。ローカルアクティビスト。いわき市小名浜でオルタナティブスペース「UDOK.」を主宰しつつ、フリーランスの立場で地域の食や医療、福祉など、さまざまな分野の企画や情報発信に携わる。2018年、『新復興論』(ゲンロン)で大佛次郎論壇賞を受賞。著書に『地方を生きる』(ちくまプリマー新書)、共著に『ただ、そこにいる人たち』(現代書館)、『常磐線中心主義 ジョーバンセントリズム』(河出書房新社)、『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社)など。2021年3月に『新復興論 増補版』をゲンロンより刊行。 撮影:鈴木禎司
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