やんぐはうすと僕らの文学のこと、あるいはグニャグニャ SFつながり(8)|岸田大

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webゲンロン 2025年1月23日配信

 

 冒頭から私事で恐縮なのだが、ちょうど先週のこと、僕は今これを書いている吉祥寺の六畳一間の一室から、少し都心の方に引っ越すことが決まった。上京してから買い集めた無数の本や洋服ダンスなどの調度品、そして窓の外にみえるオレンジ色の中央線快速電車を眺めながら、今、僕はどんな気持ちなんだろうと自分に問いかけている。

 編集部の方から受けたメールの依頼を読み返すと、SF、もしくは小説執筆に関することをご自由に書いていただければとのことだった。

 それじゃあどうしてこの原稿を、僕が東京に出てから住み続けているこの木造アパート「やんぐはうす」のことから始めたのか。それはやんぐはうすが間違いなく僕の小説執筆の、そしてなによりも僕のSF創作講座生たちとの「つながり」の現場だからだ。

 

 

 少し遠回りすることになるかもしれないが僕が今こうして大人になるまでの人との「つながり」について書かせてほしい。

 子どものころから、人とのコミュニケーションが苦手だった。僕は小学校でも中学校でも、どこかのタイミングで虐めにあうというような経験は特にない。だが、自分は周りの人が当たり前みたいに素朴に振る舞うようには振る舞えていないのではないかという感覚が常にあった。

 その感覚が強かったのはスポーツの思い出だ。僕は小学生当時、地元の野球チームに所属していた。とはいえ、まあ持ち前の運動音痴もあるのだが、どうにもそういうスポーツ的な「集団」に馴染めずにいた。

 あるとき僕はレフトを守っていた。ぽーんとフライがライトへ飛ぶ。僕はあのときの不思議な感覚をずっと忘れられない。

 一つの白球がある場に放たれたとき、自分以外の何かが、ライトが、センターが、内野のファーストが、セカンドが、サードが、ショートが、そのプレイに応じて、個々具体的に動いていく。その全体がまるで大きな一つの生き物みたいに、グニグニ、グニャグニャとスライムのように動くのだ。たくさんの人が、自分と関係ない大きな塊として、ぐにゃりぐにゃりと奇妙に動く。

 一瞬遅れて僕もなんとかその生き物に混じろうと身体を動かすのだが、どうにも馴染めない。一所懸命走ってボールを投げる。だが、それも自分ではなくて、何か大きなグニャグニャに動かされている感じ。

 僕はずっとあのときの感じを抱きながら人とコミュニケーションをしている。誰か目の前の人と話していても、その人はまるでその「人」ではなく、自動で動く何か大きなグニャグニャとしてしゃべっている。それは他の人だけでなく自分に対しても同じで、誰かといっしょに教室で笑ったり、話しているようなときも、僕ではないグニャグニャの自分が、唇が、腕が、身体が、勝手に動いている感じがする。自分のなかでこの感覚はとても具体的な気持ち悪さとしてある。

 そんな感覚をずっとこっそり身体に隠しながら学校に通っていた。さっきも書いたけど、特段虐められたとかそういう思い出はない。けれど集団のなかで、中学や高校の教室の仲間たちのなかで、普通に笑い合いくだらないジョークを飛ばし合う関係のなかで、僕は一人だった。一生懸命周囲と合わせようとしている僕をみながら、「岸田はちょっと変わったやつだからなあ」と優しくこちらに微笑む級友たちに、僕は我儘にも孤独感を抱いていた。

 

 僕は孤独ではないけど、孤独だった。

 

 放課後、僕は部活の準備をしている友人たちのところに遊びに行った。級友たちは優しく相手をしてくれたが、本格的に練習が始まるとグラウンドに行ってしまった。僕は運動部の掛け声を聞きながら、ぶらぶらと一人で本を読みつつ校舎を歩いていろんな部活の友人たちを眺めた。授業が終わって空っぽになった渡り廊下で、非常階段で、誰もいない空き教室で、ぼんやりと吹奏楽部の楽器の音とそこに混じった運動部の喧騒を一人小説を読みながらずっと聴いていた。

 学校の誰ともそこそこ仲はいい。けれど、休みの日に遊びにいったり、放課後にみんなでジャスコに寄ったりもしない、ずっと楽しそうな人の集まりを外側から観察している、僕はそんなやつだった。

 

 

  結局、僕はそんなグニャグニャを抱きながら大学を出て、そして地元を離れて東京で就職した。やんぐはうすはもともとそこで勤務先になる会社の近くの住居として選んだアパートだった。

 上京して社会人になっても、なお周囲の人とうまく関係を築けないそのときの僕にとってやんぐはうすはまるで宇宙船だった。僕以外に誰もいない、どれだけ叫んでも無限の虚空に声が消えて吸い込まれていく、ただ広い真っ暗な宇宙の孤独の闇に放り出された六畳一間の宇宙船。

 慣れない一人暮らしや初めての社会人生活の忙しさのなかでたしかに一時そのグニャグニャが薄れるように思えた瞬間もあった。けれどグニャグニャはいつも底の方で潜んで、気づけばやはり僕に絡みついた。

 ある日も僕は、いつかのように周囲の人の動きが、抽象的に、即物的に、動いていくのをぼんやりと眺めていた。僕とは無関係に人間はグニャグニャと景色ごと歪んでいき、僕とは無関係に太陽は世界のなかで昇って落ちていった。

 僕は一人寂しいやんぐはうすの部屋のなかで夕方に外が暗くなるのがいつしか怖くなり、毎晩、抑うつ症状で消えてしまいそうになっていた。

 

 SF創作講座の門を叩いたのはそんな精神状態のころだった。きっかけはあまり覚えていない。今振り返れば自分の生活の状況をなんとかすることとSF創作講座に行くことは上手くつながらないような気はする。それでも当時の僕はこのまま一人、消え入りそうな気持ちを抱えながら家で閉じこもって本を読み続けていくような状況を脱するために、藁にもすがる思いで申し込んだのだった。

 

 

 それからあとのSF創作講座でのことはどんなふうに書こうかな。少なくとも、どのエピソードを書くか迷ってしまうほどにはいろんなことがあった。

 SF創作講座では、僕はガンガン点を取ったり最終候補として残るようなタイプではなかったけど、こういう大阪人っぽい言い回しを許してもらうなら、講座で「元を取った」。

 僕はSF創作講座で苦手だった人との「つながり」のなかに入ることになった。それは講座のなかで人生で代え難い友人を何人も手に入れることだった。

 僕はなんだかんだで文学や思想が好きな、いかにもな文学青年のような人でもある。大学時代は同じようなやつらとそういう話を延々とし続けているようなところがあった。だから、僕は無意識に、自分と同じような文学や思想の話をできる文学青年のような仲間を求めて講座の門を叩いたのかもしれない。

 でも現実は違っていた。SF創作講座で集まった人たちは必ずしも文学や思想が好きな人たちばかりではない。というかむしろそういう人は結構珍しいかもしれない。SF創作講座はもっともっと混沌としていて、たくさんの「人」がいて楽しかった。そのことを楽しいとなによりも感じられた。僕は、20代の終わりに、創作講座の「集まり」のなかで成長したのかもしれない。

 やんぐはうすはいつしか宇宙船ではなく一つのコロニーになっていった。

 これは比喩ではない。創作講座に通うようになってしばらくすると、やんぐはうすは休日に集まって遊んだり、話したりする、たくさんの人が訪ねてくる場所になっていったのだ。

 

 やんぐはうすという言葉が、たんに僕のアパートを意味することを超えて機能し始めたのは、ちょうど5期が終わって、コロナの状況も落ち着きを見せはじめたくらいだったと思う。

 5期の最終講評会の前後くらいに、同じく受講生だった邸和歌さんと長谷川京さんを中心として、卒業同人誌を作ろうという話が進んでいた。僕はそのタイミングで長谷川さんから、やんぐはうすをサークル名に使っていい? と相談されたのだ。少し気恥ずかしいような気もしたけど、たぶんそう言ってくれて嬉しかったことを僕は隠せていなかったと思う。僕たちの同人サークルの名前はそんな経緯で”やんぐはうす”になった。

 実際、そのころ僕らはすでに5期の最終課題を出し終えてやんぐはうすによく集まっていた。もちろん小説やSFについて話すこともあったし、ときにはマーダーミステリーというオフラインゲームをみんなでやったりもした。

 その時期のエピソードでいちばん楽しかったのは、そのころやんぐはうすにあった50インチの大きな中国製テレビモニターにグーグルアースをリンクさせて、みんなの実家の周辺や思い出深い場所を仮想的に歩き、この場所ではこんな思い出があった、この小学校の登下校路にはこんな人がいたと話したことだ。

 受講生の田場狩さんが、自分の神奈川の実家をグーグルアースで歩きながら、この廃墟の屋上に小学校のみんなで集まって手を繋ぎエイリアンを呼ぼうとしたことがあると、真剣な表情で話していたのは今でも忘れられない。僕らはやんぐはうすで人生について話したのだ。あえて文学的に言えばそれは「実存」というやつだ。

 

 僕らはその後も頻繁に会って食事会をしたり、映画を観に行ったりしているけれど、彼ら彼女らとは年齢も職業も違っていて、きっと創作講座に行かなければ僕の人生とすれ違わないような人たちだったと思う。いや、きっと今までの僕の人生でも彼ら彼女のような人はいたのだ。僕はまだそのころは彼らに気づくことができていなかったのだろう。でも「SF」や「小説」を通じて彼らに気づくことができた。それは僕にとってかけがえのないことだ。

 

 6期になっても、「やんぐはうす」は集まりの場であり続けた。邸さんと、SF創作講座名物ラジオ「ダールグレンラジオ」に対抗して「やんぐはうすらじお」というラジオ番組を立ち上げた。邸さんと「やんぐはうすらじお」は受講生の作品について語ることに加えて、毎回必ずゲストを呼ぼうと決めていた。その「つながり」のコンセプトがやんぐはうすの名前を冠するラジオの「らしさ」だと僕らは考えたからだ。

 「やんぐはうすらじお」は第六期終了後の今でも、それを引き継ぐかたちで同じく受講生の本所あさひさん、八代七歩さん、それから、ゲストとして声をかけたやはり受講生の新川帆立さん、藍銅ツバメさんによって「うさざうるすらじお」という名前で継続している。今までの僕の人生だったら考えられないような組み合わせだ。「うさざうるすらじお」ではひらめき☆マンガ教室の受講生をゲストに呼んだりしていて、その「つながり」はさらに広がろうとしている。

 つながっているのは創作講座生同士だけではない。もはや創作講座を超えて、「SFつながり」ということでつながった、第8回ハヤカワSFコンテストを受賞した作家の十三不塔さんともしょっちゅうプライベートで話している。十三不塔さんには、僕が始めたヴァース・ノベル同人誌『改行』にも参加してくれている。

 この同人誌『改行』は、他にも映画美学校が主催する「ことばの学校」という場で仲良くなった第5回ことばと新人賞佳作を受賞された作家の藤野ふじのさんや第5回円錐新鋭作品賞白桃賞を受賞された気鋭の俳人の原麻里子さん、それからやはりSF創作講座を受講していた猿場つかささんや田場狩さん、渡邉清文さん、牧野大寧さんが同人メンバーとして参加してくれている。この『改行』という同人誌は昨今話題のヴァース・ノベルという新しい文芸ジャンルの研究の成果誌と僕らは位置付けているがその研究会の会合はやんぐはうすで行っているのだ。

 最近ではやんぐはうすのある吉祥寺の隣町の西荻窪から、どういうわけか詩人たちが大挙して押しよせていたこともあった(僕は詩人としても活動しているときがある)。だんだんと取り止めがなくなってきたのでこの辺にするけど、やんぐはうすの「つながり」はもはや創作講座も超えようとしているし、なんならSFすらも超えようとしている気配すらある。やんぐはうすはいつの間にか人と人との「つながり」を象徴する場所になっていた。

 

 

 そのつながりを経由して、僕はもう一度考えてみる。

 「人の集まり」ってなんなんだろう。

 僕はそれを、今でもグニャグニャだと感じている。僕にとっていつも僕以外のみんなだったあのグニャグニャとした何か。でも少なくともSF創作講座のみんなといる今はそんなグニャグニャも悪くないかなと思う。思春期の頃のあの感じが完全になくなったとは思わないけど、今の僕は同じグニャグニャのなかで揉まれながら、少しは笑えている気がする。

 僕自身もやっぱりそのグニャグニャの一人として、その喧騒のなかで「声」を聞くようになったのかもしれない。

 創作講座には僕みたいにずっと本を読み続けて、何かの創作を続けてきた人ももちろんいるけど、当然のようにそれだけでなくさまざまな「声」を持つ人がいた。僕はその人たちと生きることが今たまらなく楽しい。

 人の集まりのなかで僕が過去にネガティブに感じていたグニャグニャ。そして、ポジテイブに感じられるもう一つのやんぐはうすのグニャグニャ。このエッセイを書きながら、その違いというか、その二つをつなぐ何かを探したけど、結局答えはハッキリと言葉にはならなかった。一つ言えるのは、ミッシングリンクのキーワードは「文学」だったということだ。

 僕はいつも創作講座のことを思い浮かべながら「文学」について考える。しかも僕は決まってその言葉を「人の集まり」といっしょに考えることになる。最近の僕はやんぐはうすという名前を将来文学史に残すんだと、半ば冗談半ば本気でみんなに言い続けている。それは僕が「文学」というものが「つながり」というものと関係していると直感しているからなのだと思う。

 僕は間違いなくそれを「ゲンロンSF創作講座」という場所で学んだ。

 それはもしかして小説を書くことよりももっと小説的で、「文学的」な何かなのではないだろうか。

 

  オレンジの車両が六畳一間の窓からみえる中央線の高架沿いを走っていく。

 この引き払うことになったやんぐはうすという建物を去っても、また新しい「やんぐはうす」をみんなと未来に続けていけたらいいな、そのためにはどうしたらいいかな、そんなことを考えながら、僕は今この文章を書き終えようとしている。

岸田大

ゲンロンSF創作講座5期・6期生。小説やエッセイなどの文筆のほか、詩誌への投稿や朗読イベントに出演など詩人として活動も行っている。その他に文芸ラジオ『やんぐはうすらじお-シーズン2「うさざうるすらじお」』のパーソナリティ、詩と小説のハイブリットジャンルであるヴァース・ノベル誌『改行』の編集長なども務めている。

1 コメント

  • Kaorumii2025/02/03 14:59

    読んでいる間私自身がぐにゃぐにゃになっていくような奇妙な気持ちになりました。 この感覚に覚えがあると思って、昔自分が書いた「孤独の座標」という文章を思い出しました。 https://ezdog.press/post-30797.html 居場所、コミュニティというものに対して請い求める気持ちと、お尻がムズムズするような変な居心地悪さがあります。 自分は何を求めているのか考えてみたいです。

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