「アイドルのようなもの」 SFつながり(番外編)|進藤尚典
「SFつながり」は、2016年から続く「ゲンロン 大森望 SF創作講座」がこれまで輩出してきた数々の卒業生や関係者にリレー形式でエッセイを書いていただくコーナーです。
久々の今回は、地下アイドル好きが高じてアイドルSF『推しの三原則』で第3回ゲンロンSF新人賞大森望賞を受賞し、同作が2020年6月にゲンロンSF文庫にて電子書籍化もされている進藤尚典さん。編集部からの依頼は、「コロナ禍もあってアイドル現場にもいろいろ紆余曲折や変化があったかと思います。そのあたりのことをエッセイで書いてもらえれば、コロナ以前に原型ができていた『推しの三原則』のテーマともつながって後日譚のようにもなる気がするのですがいかがでしょう? とはいえもしピンとこなかったらお題は自由で」というもの。進藤さんは「じつはけっこう前から現場に足を運べてないのでテーマは変えるかもですが、ご依頼いただき嬉しいです」とご快諾。
ところが後日、送られてきた原稿を開いてみるとエッセイを頼んだつもりがそこにあったのはエッセイ風フィクション。というか、これはもはやたんなる小説……? リレーエッセイの趣旨にあってなくない? ということで編集部でもどうするか悩みましたが、「やっぱり著者の良さが出てるからそのまま出そう」と思い直して特別に番外編としてお送りすることにしました。『推しの三原則』ともあわせてぜひお楽しみください!(編集部)
※「ゲンロン 大森望 SF創作講座」では、9月下旬からはじまる来期の受講生(作家コース、聴講コース、オンライン聴講コース)を8月9日(金)の19時まで募集中! 作家コースのお申し込みはこちらから!
「今の【推し】はこのコなんだよ」
「はぁ」
休日のファミレスにて、私は、よく【推し変】する友人にスマホの画面を見せられていた。
画面には、ニットのセーターを着た可愛い女の子の自撮りの画像があった。
高校生よりはもう少し大人びているので大学生くらいか。いずれにしても、ものすごい美少女だった。
「何? これアイドル?」
「いや、アイドルのようなもの」
「ようなもの?」
私の表情は曇った?
「え? 声優? モデル? アナウンサー? コンカフェ嬢? もしかしてセクシーな女優の方?」
「いや、そうじゃないんだよねえ」
友人はニヤニヤしている。
「あれかあ、インフルエンサーとかいうやつ?」
「違うんだよなあ。実は俺もよくわかってないんだよ」
友人の返答に、私は「はあ?」と怪訝な表情を浮かべていた。
思い返してみると、今、SNSは美少女の顔で溢れている。
日々、Xやインスタグラムの「おすすめ」を眺めていると、無数の美少女たちの画像が流れてくる。
彼女たちの美しい顔を見て、日々癒される中で、あまりにかわるがわる現れる美少女たちに圧倒され、この世界にはこんなにもたくさんの美少女がいたのかと驚かされる。
さらに思う。「あなたたちは、いったい全体どこのどなたなの?」と。
アイドルの凄まじい増殖っぷりは、SNS上で、知らないアイドルがグループを卒業する報告文や、知らないアイドルが何やら業務違反をして処分されたらしい報告文をほぼ毎日見かけることからもわかる。
さらにSNS上では、アイドルではない様々な背景を持った世間のあらゆる人々が、アイドルのように自撮り画像をあげることが多くなっている。
増えるアイドルに混ざる、増える「アイドルのようなものたち」。ゆえに、彼女たちの正体をすぐに理解することは大変困難になっている。
「何されてる方?」
思わず問いたくなるときは多々ある。
とは言え、実はちゃんと調べてみると、彼女たちの素性はわかるようになっている。
彼女たちのプロフィール文なり、他の投稿なりを見てみると、彼女が芸能人ならば事務所のURLが見つかるし、彼女がお金を稼ぎたい人ならば、チェキや生写真を販売するサイトのURLや、もっときな臭い何かを販売するサイトのURLが見つかる。それ以外の、彼女が何かしらの目標を目指してファンを獲得したい人ならば、その意気込みが書いてある。
その美しい顔をSNSに晒すのには、「知名度を増やしたい」「自分のグッズを売りたい」「承認欲求を満たしたい」など、どこかわかりやすい理由が必ず存在するはずなのだ。
私は友人の新しい【推し】の目的を見破るため、友人に聞いた。
「結局何者なの、このコ?」
「いや、それがプロフィールには何も書いてないんだ」
私はスマホを開いて彼女のXのアカウントを確認する。確かに、そのコのプロフィールには名前(ここではフルネームが書かれているが仮名で『Fさん』とする)以外、何も情報は書いていない。
正確には「よろしくお願いします」とだけ書いてあるが、本当にそれだけである。
そこには事務所のURLも、チェキや生写真を販売するサイトのURLも、「もっとお金を稼ぎたい人は↓」の文字も、「キー局のアナウンサーを目指している大学生です」の文字もない。
他の投稿を見ても、可愛い顔と何気ない日常の言葉だけで、まるで正体が見えてこない。
「可愛い」以外の何ものも透けてこない彼女は、もはや不気味ですらあった。
友人は元々はアニメオタクだった。
「三次元は糞であり二次元こそ至高」
かつての友人は、そういう古き良きストロングスタイルのアニメオタクだった。
日々在宅で、よほどのことがなければ家から出なかった友人は、いつからか声優のイベントに通うようになっていた。
二次元世界を媒介にして、あれほど忌み嫌っていた三次元世界に身を乗り出したといえる。
そして、さらに友人は声優とは全く関係のないアイドルを追い始めていた。
友人は、あっという間に二次元世界から三次元世界への脱出に成功していたのだ。
それから友人はコンカフェにハマっていた。
コンカフェとは、コンセプトカフェの略称で、メイドカフェをはじめとする特定のテーマ性を持ったカフェのことである。友人がコンカフェに行く理由は、もちろんそのお店で【推し】の可愛い女の子と触れあうためだ。
友人はメディアを介したコミュニケーションではなく、直接の血の通った対面のコミュニケーションにたどり着いていた。
かわるがわる現れる友人の【推し】は、さらに変なところに行く。
次に友人が推したのは野球場のビールの売り子さんだった。
友人を通して知ったことだが、世の中には、試合そっちのけでビールの売り子さん目当てに野球場に通う者がかなりいる。
売り子さんたちはトレードマークの花飾りを帽子につけ、自分を推してくれる者を笑顔で出迎えてくれる。
「C(友人が贔屓にしている野球チーム)のT監督の顔は見たくないが、Aちゃん見たさに俺は交流戦のBドーム(所沢にある某プロ野球の球場。ドームと言っているが、誰もあれをドームだとは思っていない)に行かなければいけない。その苦しみがわかるか?」とその時の友人はとても悩んでいた。
その後、彼は【推し変】し、将棋の女流棋士を推した。
その女流棋士見たさに、NHKの将棋中継を録画し、ABEMAでも将棋チャンネルをよく見ていた。
友人の次の【推し】は、ライバー(配信者)だった。
友人はよくPという配信アプリを見ていた。
Pには、配信者を行う者の他に、視聴者のひとりがアシスタントになれる制度がある。アシスタントは他の視聴者とちがい、コメントの削除ができるなど配信の保安を担う権力が与えられる。
友人は、歌が上手い一般会社員女性のライバーのアシスタントとなっていた。
それからしばらくして、友人は別のライバーに【推し変】していた。
「いや、もう彼女ランクが上がってB帯(そのアプリのライバーは視聴者からの課金アイテムの額に応じてS~E帯までのランクにふり分けられるらしい)まで行っちゃったんだよ。そこまで行くと、投げ銭のコメント読むだけで配信終わって面白くないんだよね。E帯で別の面白そうな子を見つけてさあ。今は彼女を押し上げるのが目標かなあ」
と、友人は名伯楽ぶりを垣間見せていた。
その後、友人が【推し】としたのはVtuberだった。Vtuberは二次元の見た目を持ち、配信を行うYouTuberのことである。そう。とうとう友人は二次元世界への帰還を果たしたのだ。
そんな、次元を超えた【推し変】を続ける友人は、いまどこにたどり着いたのだろうか。
友人の最新の【推し】は、いくら掘っても、可愛い自撮りと日常を書いた文以外の余計なものも何も出てこない。あまりに目的が見えなさすぎて私は頭を抱えた。
「あのさあ。これ、AIとかじゃないか? もしくは男が自分の顔を加工してるとか」
そう。今の世の中は、男の顔を完全な美少女に置き換えるアプリも存在するし、画像生成AIを使えばゼロからでも美少女の顔が作れる。現に、明らかなAI美少女画像を使い、SNSでフォロワーを増やしているアカウントもある。これはもうそういう愉快犯的なことでなくちゃ説明がつかない。
が、友人は反論する。
「よく見ろ。ちゃんとリアルな顔だよ。加工の跡も見えないし、ましてやAIでは絶対ない」
顔を綺麗に見せる写真の加工技術やAI技術は発達している。しかしながら、顔の加工がされたものや、AI画像であるかどうかの見分けはなんとなくつく。まあ、技術の革新でこれからはそんな見分けなどつかなくなっていくのかもしれないが。それはさておき、確かにこのコの可愛さには加工の跡が見えない。
「結局このコはなんなんだよ」
私は天を仰いだ。アイドルでもインフルエンサーでもAIでもないとしたら、この美少女すぎる美少女はなんだというのだ。
友人は、その結論にたどり着いたらしい。自信満々に私にその答えを発表した。
「「可愛い」の求道者だよ」
「は?」
友人は語りはじめた。
近頃、可愛い顔の女の子を見つけて推しはじめたら、その子たちは皆その顔の可愛さを利用して目的達成のために邁進してしまう。それは決して悪いことではない。悪いことではないが、自分はただそこにある可愛さだけを愛でていたい。野に咲く花を愛でるように美少女の可愛さを愛でていたいのだ。
できればその顔の可愛さを、武道館に行きたいとか、立派な女優になりたいとか、タワマンに住みたいとか、なんかそういう「上」に向かうことに使わないでほしい。
俺が見たいのは可愛さだけなんだ。
「そして人並み外れた可愛い顔を持ったこのコは、ただ可愛さだけを求めて何もしないでいる。それを自己実現のための道具にしていないんだ。これはすごいことだよ。彼女はただ己の美を純粋に突き詰めているんだよ。「可愛い道」だよこれは」
「はあ」
「彼女はつまり、宮本武蔵なんだよ。そして彼女の投稿はすべてが『五輪書』なんだよ」
「……」
「大山倍達ともいえるかもしれない」
私は友人の言葉を、最後はただただあんぐりと口を開けながら聴いていた。
当然、納得などしていなかった。
正直、Fさんのことは私もずっと気になってフォローを続けた。
あるときFさんはこう発信した。
「一度、みんなと会ってみたいので【お渡し会】を企画しました。◯月◯日に◯◯で待ってます」とあった。
私は正直がっかりしていた。結局、Fさんも自らの可愛さをマネタイズに用いる「アイドルのようなもの」だったのだなあと。
友人はどういう気持ちなのか確かめるためにラインしたら、「行くつもり。楽しみ」と返ってきた。どうやら友人は、あれだけ語っておきながら、私と同じように彼女のことを見損なうことにはならなかったらしい。
そのことになんかイライラした私は友人に電話をかけた。そして言った。
「あのさあ、なんかそろそろ卒業しないか、そういう可愛さばっか追い求めるの」
「え?」
「なんかそうやって可愛いコの行動に人生を右往左往させられてバカらしいと思わないか? それで結果、特に得るものなんて何もないだろう。すんごい悪くいうと、ルッキズムに踊らされすぎだって」
友人はそんな私からの説教じみた暴言に対して、静かな口調でこう返した。
「可愛さはルッキズムとは違うんだよ。Vtuberなんか見た目はいくらでも作れる。それでも可愛さに優劣はつく。可愛さとはつまり人間性そのものなんだ。俺はずっとそれに触れて生きていたいんだよ」
そして通話は切れた。
私は冷静になり、変なことを言ったなと恥じて「なんかごめん。イベントの報告楽しみにしてる」とラインを送った。
寝そべりながらスマホを触る。改めてSNSのおすすめ欄に現れる無数の可愛い女の子たちの画像を見る。やがて気がついた。可愛さを強調して生きているのは、女性だけではない。男性も、若い男性だけでなく、むしろおっさんと呼ばれる中年以降の男性の方が、自らを可愛く見せて写真を撮っている。
無邪気にスイーツを口に含んでみたり、テーマパークで飛び跳ねてみたり、むしろおっさんこそ可愛く振る舞っている。
現代社会は、性別年齢関係なく可愛くないものに対する風当たりは強い。可愛いものと可愛くないものが争ったとき、世間は必ず可愛い方につき、可愛くないものは滅ぼされる。
世は可愛いだけが支配する可愛い世紀末。可愛くなければ生き残れない。
なんて時代だ。ゆえに、人類みんなが少なからずアイドルのように振る舞わなければいけない。
可愛く生きることは、強く生きることよりも厳しく難解な道のりなのかもしれない。
「可愛い道」、あるかもしれんなあ。
私は、ここらへんでこのくだらない思索を打ち切った。
私はことの顛末を聞くために、友人をファミレスに呼びつけた。
季節限定のメロンパフェを前に、友人はへらへらと話しはじめた。
結局友人はFさんには会えなかったらしい。そこにいたのは、黒服の男だったという。
「黒服の男に「次は君だ」って指名されてね」
「え?」
私は思わずジュースを飲んでいたストローから口を離してしまった。
「俺が彼女の可愛さの一部となる権利を【お渡し】されたんだ」
エアコンの冷たい風をうなじで感じながら、遠くから家族連れのお客さんのにぎやかな声が聞こえている。
「今、大量の彼女の画像が定期的に送られることになっててさあ、彼女の画像を貰うかわりに今は俺が彼女の代わりをやってるんだ」
友人はニコニコと言う。そう言えば、友人はさっきからずっと手元でスマホをいじっている。
私の手元のスマホの画面に、彼女のポストを告げる通知が流れた。
「デニーズで、友達と一緒に季節限定のパフェ食べてるよー」
可愛い彼女の自撮りの投稿に、瞬く間に「リポスト」「リプライ」がついていく。
友人は季節限定のメロンのパフェを頬張っている。
私は、「アイドルのようなもの」を見つめた。
※このエッセイには一部フィクションが含まれています。
進藤尚典