少女を描いてきた美術作家がシラスでお茶会を開くまで シラスと私(7)|大槻香奈
2024年3月末にシラスチャンネル「大槻香奈の芸術お茶会」を開設した美術作家の大槻香奈です。普段は、日本的な空虚性を孕んだ感受性を「うつわ」として捉え、そのテーマを主に少女を描くことで表現しています。今年で作家活動を開始して17年になります。これから、「うつわ」とはなんなのか、なぜ「お茶会」なのか、そしてなぜ私がシラスにチャンネルを開設することになったのか。そうしたことをお話しします。
創作の始まり
まず、私の創作活動は大学でイラストレーションを専攻していたことから始まります。いわば授業の一環としてイラストレーションを学んでいたのですが、そのかたわらで独学で絵画を制作するようになりました。そのため自分の絵画は、イラストレーション的ロジックを入れ込むスタイルを基本としています。
卒業後は、イラストレーションの仕事をする一方で、自身の芸術活動(絵画制作)にも取り組んでいました。当時の目標のひとつは、仕事としてのイラストレーションと、芸術活動(絵画)を繋げていくことでした。なぜなら芸術という領域では、作者の存在そのものが重要であると考えていたからです。たとえ異なる表現を横断していたとしても、作者の思想や意図がきちんとあればそこに一貫性が生まれるはず。それは同時に、観客にも伝わるものでなければならない。それが私にとっての作家性だったのです。
そのような考えから、20~30代はとにかく絵に関するお仕事なら可能な限り挑戦し、作家として一貫した歴史をはやく作りたいと思っていました。
「うつわ」とはなにか
アート界というと、西洋の文脈に回収されるのが常だと思います。そのなかで「日本に暮らしてきた私達が、真に求める芸術とは何か」、私はこの問いを最も大切にしてきました。これは私にとっては、村上隆氏が「スーパーフラット」で叶えきれなかった領域を考えることでもあります。日本の消費文化特有の空虚感、浅はかさ。それを乗り越えるにはどうすればいいのか。そこで思い至ったのが「うつわ」というキーワードでした。
うつわとは不思議なものです。空虚さをただ心の虚しさやコンプレックスとみなすことは簡単です。ただ、うつわとして捉えてみるとどうでしょう。空虚だったものに輪郭が与えられ、その形について考えることができるようになります。このように、ただ空っぽだったものの「実感」の在り方を変える。これが私が考えたことでした。私達がそれぞれに異なるうつわでもって自身や他者と向き合い、多様な形で自立の道に開かれることを夢想したのです。
言い換えれば、空虚が存在するためには、まず「ガワ」が存在するということで、それがつまり「うつわ」です。私達に必要なのは、その輪郭について存分に語ることです。そうすれば結果として、捉えどころのない中心性の形を何となく掴むことができる。逆説的にいえば、ガワの話をすることこそが、中身について触れることなのだと考えました。
近年では同人出版チーム「ゆめしか出版」を作り、私の発案で『日本現代うつわ論』という芸術研究本を年に1冊ずつ刊行しています。「うつわ」という概念は私自身の絵画だけではなく、日本の現代作家(ジャンル問わず)が潜在的に抱えているものと考え、それを拾い上げようという意図があります。
ひとは誰しも、「この現象に名前を付けたい」とか「言葉にしがたい感覚」というものをたくさん持っています。そこに「うつわ」という言葉を当てはめることで、驚くほどすらすらと言葉が出てくることがあります。『日本現代うつわ論』の作家インタビューの中では何度もその瞬間に立ち会いました。うつわという概念によって、それまで作家や作品に隠れていた本質が浮かび上がってくるのです。本の制作を通して、これまで語られる事の無かった貴重な言葉を沢山拾い上げている実感があります。
東浩紀さんとの出会い
東浩紀さんを知ったのは2010年頃、私が26歳ぐらいのときだったと思います。もともと私は文章を読んだり解釈したりするのが苦手なタイプで、記憶力もないので一度読んだ本のことを簡単に忘れてしまう事も多かったのですが……。そんな自分がなぜ東さんの本を手に取って前向きに理解しようと努めていたのか、今でもうまく説明できなかったりします。
私は絵を描いていることもあって、日頃から具体的な形をとらないままに、色んな物事に勝手に腑に落ちたりすることが多いです。東さんの活動を追っていたのも、きっとそのようなぼんやりとした信頼感によるものだと思います。ただあえて言語化するなら、人間の弱さについて考えるとき、あるいは現実を知りながらも夢や理想に向かおうとするとき、東さんのいろんな活動から自分が勝手に学び、励まされてきた実感があります。
たった今これを書いていて気付いたのですが、おそらく東さんの哲学が「うつわ」として解釈可能だと、無意識に感じていたのかもしれません。最近では『訂正する力』(朝日新書)の冒頭部分を読むだけでも「うつわだ!」と勝手に思ったり。少し遡って『弱いつながり』(幻冬舎)も、私にとってはうつわ的な感受性を揺さぶられるものでした。とにかく東さんの著書はすんなり入ってくる部分が多いのです。
話が逸れました。そんなわけで私は28歳のとき、とあるアート関係の飲み会で「今の自分では無理かもしれないけど、10年後ぐらいに東さんの本の装画を担当したい!」と友人作家らに話していました。当時の自分は作家としての力不足を痛感していたところで、もっと成長した自分でお仕事を叶えたいと、まずはその覚悟を口にしてみたのでした……。
それから事件は起こります。その飲み会の約一週間後、河出書房新社から東さんの長編小説『クリュセの魚』の装画依頼の連絡があったのです。
「えええええ!」という感じでした。見間違いなのか……?と何度もメールを読み直しました。編集者からの依頼文には「内容的にもぜひ大槻様に」と書いてあって、作家人生でこんなに光栄なことがあるんだろうか、としばらくのあいだ固まっていました。ただ次の瞬間には「絶対に良い仕事をして、最高の装画にする!!」と決心しました。
その結果、気合が入りすぎて装画のイラストレーションの依頼にも関わらず、絵画30号ほどのサイズに絵を描き下ろしてしまいました(通常はあり得ないことです) 。
装画で描いたのはヒロインの大島麻理沙という16歳の少女です。私がずっと描き続けてきたのも16歳の少女で、日頃から表現してきた少女の「うつわ」を、麻理沙という「うつわ」に移植する形で仕上げました。
その後、私はゲンロンカフェにて行われた『クリュセの魚』刊行記念イベントに参加し、そこで初めて東さんにご挨拶しました。イベントでは畏れ多くも最初の何分かのあいだ登壇したのですが、いまとなっては、緊張のあまり何を話したのか覚えていません。しかし当時のイベント参加者のツイートを読み返すと、私は「自分の描く少女は世界そのものなんですよ」的なことを言っていたらしいです。この時から少女を世界のうつわとして描いていたんですね。
今年3月に行われたゲンロン総会では、有難いことに『クリュセの魚』の原画を会場入口に飾って頂きました。とにかく東さんの小説の装画に関わらせて頂いたことは、イラストレーションの仕事でありながら、自分の芸術を昇華するひとつの方法であり、大きな転機だったのです。
シラスとの出会い
シラスチャンネル開設のキッカケは、2023年にゲンロンさんからご提案を頂いたことでした。私自身、芸術家としてどう自立していくかを試行錯誤していた時期でもあり、生放送での発信は、いつかは自分のやるべき仕事のひとつだと考えてきました。しかし絵画制作と発表があまりにも休みなく続いていたため、なかなか行動できずにいました。そんな中で背中を押していただけたおかげで、ようやく一歩踏み出すことができました。本当に有難く、とても嬉しかったです。
「大槻香奈の芸術お茶会」の開設から約6か月間、現在は毎月約5本ほど番組を立ち上げています。私のチャンネルでは芸術を入り口に、ゲストや視聴者の皆さんと、普段の生活から生まれる素朴な興味を存分に語り合うことを趣旨としています。「うつわ」について語るために、「お茶会」はうってつけです。そうした場をオンラインで作ることで、一期一会的な、ただ一緒にお茶をするだけのような関係性から、「本来芸術は何を目指すものなのか?」や「私たちにとってなぜなくてはならないものなのか?」といった問いを考えています。
現在、番組は大きく4つのカテゴリに分けています。
【個人回】
大槻香奈ひとりが中心となって発信している番組です。たまに聞き手として友人作家を呼んだりもしますが、基本的には私の制作配信や作品解説、自分が今考えていることなどを話します。大槻香奈をより知りたい方向けの番組です。
【ゲスト回】
私が気になる人をお呼びしてインタビューをする回です。ゲストはアーティストの方が多いですが、「お茶会」というコンセプトにあわせて、お互い堅苦しくなりすぎず自由に話すことを許しています。ゲストさんや私の、より人間的な部分が見れる回になっています。
【勉強会】
テーマを決めて視聴者さんと一緒にお勉強をする回です。こちらもやはり「お茶会」ですので、講義のような形をとりながらも、ゲストや視聴者さんと楽しくお話ししながら進行していきます。最近は「うつわ」とも深く関連する、陶芸を扱った内容がメインになっています。
【特別回】
大槻の展覧会や書籍の発売などに合わせて、日頃の活動を取り上げる回です。現状、お世話になっているギャラリーの方や本の編集者など、一緒にお仕事をさせて頂いた方とお話しすることも多いです。あまりルールに縛られず、その時々で面白いと思った番組を立てています。
以上のような4タイプの番組を行うことで、私にとって意外なゲストをお呼びすることになったり、思いもよらない話題が出てきたりして、チャンネルという「うつわ」の境界も常に揺らいでいます。思考や価値観が柔軟に変化し、拡張していく理想に向かっています。それは「茶ノ湯」における、「茶室」に感じられる空間拡張性のイメージとも繋がっているものです。
「お茶会」の根本には、仮に私とゲスト、視聴者が思想的に相容れなくとも、「お互い楽しくお茶してれば大丈夫!」という考えがあります。また、私は普段ひとりでもお茶をするのが好きなこともあって、そのままチャンネルのコンセプトになりました。シラスのうつわ、チャンネルのうつわ、そして配信者と視聴者それぞれのうつわと向き合いながら番組を作っています。
シラスでは、ゲストだけでなくコメントをくださる視聴者のみなさんとも一緒にお茶しているような感覚になります。言葉を交わしながらも、その中心には「お茶を楽しむ」という非言語のコミュニケーションがあり、それが番組に関わる人達の心地の良い関係性を生んでいるように思います。
私はこの「お茶会」で得られるようなコミュニケーションを、長年自分の絵画を通して叶えようとしてきました。絵画を「うつわ」的に作ることで、鑑賞者同士が通じ合えないままでも、絵を媒介として対話できる形を探りたかったのです。それを日本的な形で作るために参照したのが、「茶ノ湯」の精神でした。お茶することを通じてお互いを敬い合う、ただそこにいることを許し合う関係性や在り方を作ること。それが日本的な芸術活動の根幹だと考えています。
番組では『日本現代うつわ論』に関わってくださった方々にもゲスト出演して頂き、「うつわ」という概念を中心に据えながらお話をしています。ゲストには本に収録されたインタビューから更に発展した話を伺うことができるので、私自身にとっても毎回刺激的です。
シラスの理念について
私は東さんのシラス運営理念にとても共感しています。
友と敵に分かれ、「論破」しなくてよい場所。
自分の一部を切り売りし、閲覧数を稼がなくてよい場所。
人間が人間でいられるための場所。
そんな空間を泡のようにたくさん作ることでしか、社会はよくならないと思ったからです。[★1]
東さんの言葉はまさに、私の理想とするお茶的なものだと思いました。
実際にシラスという場はどのプラットフォームとも違う安心感があります。それはおそらく、配信者と視聴者が互いを尊重し合っているからだと思います。茶ノ湯でいうところの亭主と客の距離感に近いかもしれません。視聴者はコメント欄で何かを話してもいいし、別に話さなくてもいい。そして配信者は良い番組を作ることだけを考えればよい。ただその一方で、見えない隣人(他者)の存在を感じながら話すことになる。
シラスでは、普段であれば誤解されかねない話も恐れず話すことが出来ます。番組を重ねる中で長年の胸のつっかえ(主にネットを通じた疲れ)がとれて、私は自分のやりたい芸術のために、より純粋に発信が出来るようになりました。
シラスによる活動の変化
そんな私も今年で40歳になり、これまでの活動をようやく俯瞰して見れるようになってきました。新作絵画はもちろん作り続けますが、描き残してきた作品をどう扱っていくかを考える時期に入りつつあります。そんな中でのチャンネル開設は、過去作品について語りながら整理し、未来を考えることができるまたとない機会でした。
シラスをきっかけとして自分の展覧会に足を運んでくださる方も増えましたし、それ以前から私の活動を長く支えてくださっている方もいます。今はそういった信頼関係のあるみなさんと、オフラインで集えるスペースを作りたい想いが出てきました。リアルな場で、イベントを通じて新たな絵画の在り方やコミュニケーションの可能性と向き合えたらいいなあ、と。
スペースを持つことのアイデアは、ゲンロン総会に「大槻香奈の芸術お茶会」としてブース出展させて頂いたことがひとつのキッカケになっています。シラスで作り出す一期一会的なお茶会という「うつわ」をどこまで自分が拡張できるのか。また「人と人が孤独なままでも対話できる」ということを絵画によってどこまで叶えられるものなのか。そういった問いを抱えて活動していくためには、自分もなにか開けた場所を持たなければならないと考えたのです。とにかくそういった感じで、自分の芸術活動のフェーズが良い方向に変化しつつあります。
シラスと芸術を通じての願い
色々書いてしまいました。最後にまとめると、私は自分の作る絵画によって、この現実の何気ない日々がもっと面白くならないかと考えています。もっというと、誰でもいつでもどの地点からでも、人生やこの世界がより素敵にならないかな、と考えています。何かを閉じ込めるための「うつわ」ではなく、積極的に人生の輪郭をバグらせながら、歪な「うつわ」で前に進みたいのです。
シラスはいっけん閉じた空間でありながら、常に配信者と視聴者を自由にし、じわじわと予想しなかった方向に開けていきます。それはネットにありがちなバズりとか、いいね!の数とか、そういった一過性の盛り上がりとは違うものです。
この自分の芸術活動における不思議な予感を、多くのみなさんと共有したいと思っています。「うつわ」を通じて日本に住む私達の感受性を揺るがせつつ、みなさんそれぞれの日常が尊いものでありますように。これからもシラスを通じて芸術の道を進んでいくことができたら嬉しいです。みなさんぜひ、一緒にお茶してください!
URL= https://shirasu.io/c/yumeshika
大槻香奈