シラスと私(3) 新園芸論をめざして|川原伸晃
今年7月にご登壇いただいたゲンロンカフェでのイベント「猫と植物──ネコデウスからクサデウスへ」(アーカイブ動画公開中)も大好評だった川原さん。来年1月17日には、「クサデウス」イベント第2弾として、農業史研究者の藤原辰史さんと川原さんの対談イベント「我々の『内なる植物』とはなにか──ネコデウスからクサデウスへ2」(イベントURL=https://genron-cafe.jp/event/20230117/)も開催されます。そちらもぜひお楽しみに!(編集部)
2022年の1月にシラスで「RENプランツケアチャンネル」を開設した園芸家の川原伸晃です。RENは僕が代表をつとめる観葉植物専門店です。僕の家系は、東京都港区三田で100年前から花と植物を扱う商売を続けてきました。僕はその4代目にあたります。
幼少の頃から植物をオモチャ代わりにして育ち、いけばなの真似事をしながら朗らかな少年期を過ごしました。思春期には紆余曲折ありましたが、10代の頃から一直線に園芸道を邁進し、今では会社の社長となって植物のケアに日々勤しんでいます。そんな人文知とは無縁そうな一介の園芸人が、どうしてシラスのチャンネル開設に至ったのか? 本コラムではその経緯をお話しさせて頂きたいと思います。
僕は今41歳なのですが(2022年12月現在)、現時点で3人の師匠がいます。ここでいう師匠とは「人生を変える影響を与えてくれた人」のことをさし、一方的に師匠認定しているだけの心の師も含まれます。
1人目は、オランダ人マスターフローリストのLen Alkemadeさん。2人目は、グラフィックデザイナーの原研哉さん。3人目は、哲学者の東浩紀さんです。一見脈絡がないようにも思えるのですが、改めて振り返ってみると全てがつながっていて感慨深いです。ありていにいえば、Connecting the dotsというやつです。順を追って説明していきます。
師匠その1――「安西先生」との出会い
17歳になった僕は、このまま家業にすんなり入るのかを決めかねていました。そんな息子を見かねた父が引き合わせてくれたのがLenさんでした。ほどなくして僕は彼の指導する園芸のレッスンに出入りするようになります。
先生は世界一の平均身長を誇るオランダ人でした。恰幅の良い体格でメガネに髭をたくわえ、まるでスラムダンクの安西先生のようでした。Lenさんは日本にはじめてヨーロピアンスタイルの園芸を広めた「宣教師」のような人です。サッカーで例えるなら日本にブラジルサッカーを広めたジーコのような存在でしょうか(のちに僕は、Lenさんの母国オランダ最大の園芸アカデミーに国際認定資格を取得しに行くのですが、これについては改めていつかチャンネルでお話ししようと思います)。
Lenさんは芸術性溢れる創作力と高い技術力はさることながら、カタコトの日本語を「巧み」に操り観客の心を掴むパフォーマーとしても超一流でした。将来への不安を抱く少年に、園芸家への憧れを開花させるには十分すぎる魅力でした。「先生、園芸がしたいです……」。これが1番目のターニングポイントでした。
師匠その2──東洋と西洋との葛藤の末に
こうして、20歳の僕は当時の世界で最先端といわれたヨーロッパの園芸理論をスポンジのように吸収し、憧れの師匠の後を追うべく国際認定資格を無事修了します。果てはガーデンデザイナーかフラワーデザイナーかと漠然とした職業をイメージし始めた頃、ある違和感が僕の頭をもたげ始めていました。
それは、西洋的園芸観と東洋的園芸観の埋めがたい隔たりです。1919年に創業した当社は、祖業がいけばな花材専門店でした。いけばな各流派との関わりが当社の根幹にあり、「活ける」が社是でもあります。少年期に遊びながら学んだいけばなは、僕の自然観の礎になりました。
供花をルーツとするいけばなは、単なる装飾術ではありません。いけばなとは文字通り花を活かすこと、つまり植物を最適な姿へ導くことを目的としています。活け手は「素材のなりたい姿」を引き出すために苦心し、自己の個性や奇をてらった表現などはご法度です。この思想は、盆栽や日本庭園にも共通する東洋的園芸観です。料理で例えるなら、素材の魚の味をそのまま活かす、寿司のようなものです。
一方でヨーロピアンスタイルの園芸はどうでしょう。寿司と比較するなら、魚の切り身をシェフ自慢のドレッシングで飾り付けたカルパッチョです。あえて断言すれば、純粋な装飾術の域を出ません。しかし、それは劣位であることを意味しません。言い方を換えれば、純粋な装飾こそが目的なのです。
そこでは「素材のなりたい姿」は二の次になります。作者の意図がまずあって、素材をそれに当てはめます。フランスのヴェルサイユ宮殿の庭園を想像してください。左右対称で幾何学的に刈り込まれた整形式庭園と呼ばれる様式です。人為が自然を従えた象徴的な風景です。
20代前半の僕は、この「最適化」と「装飾」の間で悶々としながら、まあとりあえずはよく分からないけど一人前のデザイナーになってやろうと奮闘します。そうして優れた園芸デザイナーになるべく、日本中のさまざまな修行先で園芸全般の技術を更に深めました。同時にこの頃から、建築やグラフィックやプロダクトなど、さまざまなジャンルのデザインにも興味が湧きだし、独学で学び始めました。
しかし、当然ながらデザインも一筋縄にはいきません。美大受験では2浪3浪が珍しくないように、独学でのデザイン理解には高い高いハードルがありました。そんなとき、たまたま入った書店でとある本の帯に目がとまります。
その帯文は、日本を代表するプロダクトデザイナーで日本民藝館館長の深澤直人さんによるものでした。「デザインをわかりたい人達へ。[……]そんな人達はこの本を読めばいい」。光の速さでその本を購入したことを今でもよく覚えています。
その本のタイトルはずばり、『デザインのデザイン』です。著者はグラフィックデザイナーで日本デザインセンター代表の原研哉さん、その人です。詳しい人にとってはいうまでもありませんが、無印良品や長野五輪の仕事などで世界的にも評価の高い、日本を代表するグラフィックデザイナーの巨人です。
詳細は本書に譲りますが、誤解を恐れずに大胆に要約すると、「デザインとは問題解決である」というのが原さんの主張です。とかくデザインは外側を装うものと捉えられがちですが、それは違います。装飾は装飾が目的ですが、デザインの目的はその場の問題を解決し最適な姿を導き出す「最適化」にあります。もちろん、最適化を追求した結果、デザインが装飾に至る場合もあるかもしれません。しかしそれはあくまでも結果であって目的ではないのです。
この本に出会うまで「デザインとは装飾である」と信じて疑わなかった僕は驚愕しました。と同時に、東洋的園芸観の普遍性に感嘆します。僕は「活ける」と「デザイン」に通底する「最適化」に魅力を感じていたのです。「あの違和感は正しかったんだ……」。2番目のターニングポイントでした。
師匠その3──思索の先にあった「誤配」
園芸業界では、「デザイン=装飾」の方程式は絶対的不文律です。ガーデンデザインは庭の装飾だし、フラワーデザインは切花の装飾です。そこに「≠」を突き付けられたのはまさかの青天の霹靂でした。
原さんはデザイナーの中でもとりわけ著作の多い方で、言論による表現を重視するクリエイターです。当時すでに10冊以上あった原さんの著作を全て購入し、デザイン哲学を徹底的にインストールしました(のちに僕は、原さんが選考委員をつとめた経済産業省主催のデザイナー国外派遣事業で園芸日本代表として選出されるのですが、これについてもいつかチャンネルでお話ししようと思います)。
かつて20世紀に活躍したオーストリアの建築家、アドルフ・ロースは「装飾は罪悪である」と喝破しました。デザインとは、物事の最適解を探し問題解決を図ろうとする姿勢そのものである。一流のデザインの現場では、それはもはや疑う余地の無い大前提となっていました。それを自身のキャリアの中でも割と早い駆け出しの時期に理解できたことは、とてもラッキーでした。更にラッキーだったのは、正しいデザインのフィルターを通して植物を見ている人が園芸業界にはまだほとんどいなかったということでした(後に僕は園芸業界のデザイナーとして初めてグッドデザイン賞を受賞することになります)。
問題そのものを発見すること。つまり、「問題提起」です。今風にはスペキュラティブデザインとも呼ばれます。スペキュラティブとは日本語で「思索する」という意味です。優れた問いを生み出し、思索するきっかけを社会に提示するデザインの重要性が、徐々に認識され始めたのです。
このあたりから、僕の興味も自分の専門領域と社会との接点の方に徐々に変化していました。そしてあるとき、原さんが寄稿していた『デザイン言語──感覚と論理を結ぶ思考法』(慶應義塾大学出版会、2002年)という本を読んでいた際、「ポストモダンと動物化するオタク」という謎めいた論考に出会います。
僕にとって東浩紀さんとの出会いは、まさに「誤配」でした。当時の僕にその論考の意味はよく分からなかったけれど、Twitterで東さんをフォローし発信を追いかけているうちに明晰な思考に心を奪われていきました。
そうこうしているうちに2011年になり、3/11がやってきます。イベント自粛などの影響で当社は危機的状況に追い込まれました。大きく傾いた会社経営は何とか立て直したものの、自分はこれから何を目標にすればいいのかと、仕事の意義を見失うようになっていました。
そんな自分の無力さに打ちひしがれる日々のさなか、『福島第一原発観光地化計画』を手に取り衝撃をうけました。「こんな鮮やかな問題提起が可能なのか……」。これが3番目のターニングポイントでした。
いてもたってもいられずにAmazonで「東浩紀」と検索し、ヒットした本を全て購入しました。しかし、哲学の門前にすら立っていなかった当時の僕にはそのほとんどが読解できず、愕然としました。悲鳴をあげる脳を尻目に更に哲学入門書を積み上げて、泣きながら読書した日々が思い起こされます。
しかし、不思議なことに、あるときからふと気づくとその積読の山は低くなっていきました。ニコ生のゲンロンカフェ動画配信が強力な補助線となったからです。
こうして、気がついた頃には僕の可処分時間の大半を「ゲンロン完全中継チャンネル」が占めるようになっていました。その後は舞台をニコ生からシラスへ移し、すっかりROM専ヘビーシラシーとなった僕は、2021年10月19日のシラス1周年イベントをリアルタイムで視聴していました。
そこで山下Topo洋平さんの生ケーナ演奏を聞いていたとき、自分自身のチャンネル開設に強い興味を抱きました。「このプラットフォームなら、僕なりの問題提起ができるかもしれない!」そうして応募フォームの門を叩き、現在に至ります。
人間は植物に生かされている
僕はいわゆる言論人ではありません。一介の園芸人に過ぎません。シラスにはそんな分不相応な僕の発言にも耳を傾けてくださる皆さんがいることが嬉しくてなりません。改めて御礼申し上げます。
ながらく園芸は人文知の未踏領域でした。西洋哲学でも植物に言及されることは少なく、世界史でも植物が関心の中心なることは稀です。
しかし、実は人間の気がつかないところで植物は文化を担い続けていました。僕たちが「呼吸」に日々感謝しながら生きることはないように、あまりに根源的すぎることは見逃してしまうのが人間の性なのかもしれません。
そもそも、culture(文化)の語源はラテン語のcultura(栽培)だといわれます。遥か以前、農耕の起源とされる一万年前の人間にとっては、土地を耕し植物を栽培することこそが「文化」だったのでしょう。いうまでもなく、食は植物が支えています。衣服や住居だって植物に大きく依存しています。原始宗教の多くで、植物は神の依代とされます。戦争の歴史は農地獲得と分かちがたく結びついています。死者を悼むとき、いつも側にいてくれたのも植物です。
そして更に深く植物を知れば知るほど、その超越的な生には驚きを禁じ得ません。植物生理学を素直に読めば、多くの植物は不老不死かつ無限に増殖可能です。動物以上の認知機能をもち「記憶」もすれば「移動」もすることが、近年の研究で明らかにされています。
そればかりか、植物には自律的に問題解決を行う「知性」が備わっていることを指摘する科学者もいます。植物間の「協働」はおろか、虫や微生物とも相互に利用し合い、豊かな「社会」すら築いています。ユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』(柴田裕之訳、河出書房新書、2016年)の中で、「人類が植物を栽培化したのではなく、人類が植物に家畜化されたのだ」という主旨の発言をしています。植物店4代目として生まれ育ち20年間の職歴を重ねた僕にとっても、「人間が植物に生かされている」と考える方が妥当に思えてなりません。
ある日突然すべての人間が消滅しても、植物には何の影響もありません。しかし、すべての植物が突然消滅したら、人間はただちに滅びます。
これほどまでに人間の営みを規定している植物を、僕たちはそれに足りうる存在として正しく理解できていたでしょうか。僕たちは、植物のことを知らなすぎたのかもしれません。ますます混迷を極めるこの世界で、人間がより良く生きるためには植物の生から学ぶべきことだらけのように思います。植物の生を理解することは人間の生を理解することに直結する、そういっても過言ではありません。
今こそ、人間と植物の関係を問い直す「新園芸論」が待望されているのではないでしょうか。僕のチャンネルでは、その一端を担うべく、無い知恵を絞って僕なりの人類への「問題提起」を編み出そうと日夜奮闘しています。僕の発信が、皆さんが植物を理解するためのヒントになれば幸いです。
川原伸晃
2 コメント
- youronian22023/01/13 08:45
素晴らしい論考でした。 最新の事柄に全く追い付いていない人間ですが、それでも『都市』の植木に携わる者として、川原さんの問題提起を聞いてみたいし、僭越ながらお力添えが出来ることを見付けたい。 私自身にとっても。
- tomonokai80432023/02/25 09:19
藤原辰史×川原伸晃「歴史学者と園芸家が語るシン・植物考──我々の『内なる植物』とはなにか」【ネコデウスからクサデウスへ2】 https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20230117 を視聴してから、こちらの記事にジャンプして来ました。 イベントで、川原さんが藤原さんからの問いに、丁寧に言葉を探してお話されているところが印象的でした。 「僕はいわゆる言論人ではありません。一介の園芸人に過ぎません。」と記事に書かれていましたが、イベントでの川原さんの言葉は、いわゆる言論人にはない、「まっすぐさ」と「しなやかさ」の両方を感じました。とても魅力的です。 こちらの記事で川原さんの紆余曲折あって今に至ることが知れて、とても良かったです。