料理と宇宙技芸(5) 賽螃蟹、あるいは菜食と煉丹術について|伊勢康平

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ゲンロンα 2021年9月14日 配信
2023年4月21日タイトル更新
 本記事は有料会員限定の記事ですが、冒頭部分およびレシピ部分は無料で公開しております。どうぞご覧ください。(編集部)

 野菜から蟹をつくる──それが今回の料理だ。そんなばかな、と思ったひともいるだろう。だがこれもれっきとした中華料理である。 

賽螃蟹サイパンシエ」と呼ばれるその料理は、19世紀ごろに清の西太后の要望によって生みだされたという。蟹が手に入らないときに蟹料理を所望した彼女を満足させるべく、宮廷料理人たちが発明したらしい。これは「がんもどき」のような「もどき料理」の一種で、いわば野菜をもとにカニカマをつくろうというものだ。 

 日本では、こうした動物性の食材を避けた菜食の料理は「精進料理」と呼ばれるが、それはもともと中国から伝来したものだった。したがって、中国にも豊かな菜食の文化があることは容易に想像できるだろう。とはいえ、中国の菜食文化をすこしでもひもとけば、そこには日本でいう精進料理とはまったく異質の文化や思想があることに気づく。今回は「賽螃蟹」という聞き慣れない料理をつうじて、その一端をのぞいてみよう。 

 

1 乾海老の大きいのを120個


 第2回でも取りあげた、清の袁枚えんばいの『隨園食単』というレシピ本には、「精進料理の部」という章がある。そこには豆腐やきのこ、山菜などをつかった料理が載っているのだが、なかには「精進料理」らしからぬレシピもちらほら収められている。たとえば、この章の最初の料理である「蒋侍郎しょうじろうの豆腐」をみてみよう(「侍郎」は官職の名前)。 

 


豆腐[……]を一丁あたり一六片ずつに切り、日陰で乾かしてから豚脂る。油から青い煙が立ったら豆腐を入れ、塩をひとつまみ、ぱらっと振りかける。豆腐を裏返したあと、湯飲み一杯の良質なあまい酒と、乾海老の大きいものを一二〇個加える──大きいものがなければ小さいものを三〇〇個でもよい。まず乾海老を煮て二時間ほどふやかしたのち、小鉢に一杯の醤油を入れて、再び煮る。砂糖をひとつまみ加えてもう一度煮る。細い葱を半寸ばかりに切ったものを一二〇個加えて、ゆるゆると鍋をおろす。★1 
 



 水気を取り、豚脂ラードのうま味をぎっしり吸い込んだ豆腐が、甘辛い海老のスープとからみつつ、ねぎの香りでピリッと締められる。じつにおいしそうな一品だ──いや待て、いまは感心している場合ではなかった。問題は、この料理が「精進料理の部」の筆頭にあるということだ。ほんらい動物性の食材や五葷(にんにく、にら、ねぎなどの香味野菜)を避けるべきである精進料理に、なぜ豚脂や乾海老、ねぎがつかわれているのだろうか。 

 じつのところ、「精進料理の部」とは中国文学者の青木正児まさるによる邦訳であり、袁枚自身は「雑素菜単」という言葉を用いている。「雑」はいろいろなもの、「素」は食材としての野菜、「菜単」は料理のリストのこと。なので、ほんとうは「野菜料理の部」とでも訳しておくべきだったのかもしれない。 

 とはいえ、これを単なる「誤訳」として片づけるのはあまり生産的ではない。ぼくたちはむしろ、日本と中国のあいだにある、菜食の流儀を示す言葉やカテゴリーのちがいが、この食いちがいをもたらしていると考えるべきではないか。つまり中国には、いわゆる「精進料理」の枠には収まらないような、異なる菜食の伝統があるのではないか。

7 賽螃蟹のつくりかた



○食材 
・じゃがいも 1つ 
・人参 1本 
・しいたけの粉末 大さじ1 
・しょうが(スライス) 1〜2枚 
・鹹鴨蛋黄 2つ 

○調味料 
・白酢 小さじ1 
・料理酒 小さじ2 
・塩 小さじ2 
・こしょう 小さじ1 
・味の素 ひとつまみ 
・片栗粉ひとつまみ(水 50cc ほどで溶いておく) 

  

おもな材料

  

下準備 

・じゃがいもと人参を薄切りにして蒸す 
※環境や道具によるが、水を足しつつ80〜90分ほど蒸すとよい。目安は箸でかるく挟んでつぶせるくらい。 
・しょうがと鹹鴨蛋黄をみじん切りにしておく。鹹鴨蛋黄はなるべく細切りにして、しょうがはあまり細かくしすぎないようにする 
・すり鉢などに野菜を移してつぶす。このとき、すべての材料をくわえてまぜる 

  
蟹を「錬成」する著者
  

食材をまぜた状態

  

炒め 
・滑鍋を行なう(連載第1回参照) 
・鹹鴨蛋黄を鍋のなかでくずしつつ、中火で炒める 
・鹹鴨蛋黄が白く泡立ってきたら、野菜をいれて炒める 
※加熱しすぎるとパサパサになるので、手短に炒める。一般家庭用のガスコンロなら、鹹鴨蛋黄をいれてから1分以内に仕上げられる。 

  
炒める著者
  

完成!
 

 レシピ自体は単純だが、単純であるがゆえのむずかしさもある。ぼく自身もまだ習得しきれたとはいえないけれど、成功すると意外に蟹の味がしてくるのでおどろきだ。そのうえ、野菜ならではのさっぱりした仕上がり──もとい〈鮮〉の風味も相まって、なかなかおいしい料理になる。読者のみなさんにもぜひ挑戦してみてもらいたい。 

 なお、今回は気鋭のライターでゲンロンの編集スタッフでもある谷頭和希氏に試食していただいた。谷頭氏は甲殻類アレルギーがあり蟹をあまり口にできないそうだが、試食後、以下のようなよろこびの声を寄せてくれた。 

  

  

 

しょうがの風味が思った以上に蟹感を醸しだしていて、めちゃくちゃ蟹を食べた気になりました。普段は食べることのできない蟹を好きなだけ摂取できる(ような気がする)背徳感に浸れるので、甲殻類アレルギーの人にはおすすめです!



 ほんらい、しょうがと蟹の味わいはそれほど似ていないはずだが、「賽螃蟹」にしょうがを加えると、なぜか妙に蟹らしい後味が生じる。つくるときの参考にしてみてほしい。 

 

 

伊勢康平

1995年生。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程在籍。専門は中国近現代の思想など。著作に「ユク・ホイと地域性の問題——ホー・ツーニェンの『虎』から考える」(『ゲンロン13』)ほか、翻訳にユク・ホイ『中国における技術への問い』(ゲンロン)、王暁明「ふたつの『改革』とその文化的含意」(『現代中国』2019年号所収)ほか。
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