「ほどほど」に生きられる世界をつくるには――飯田泰之×井上智洋「経済学は格差をどのように捉えてきたか」イベントレポート
ゲンロンα 2020年12月9日配信
ゲンロンカフェでもおなじみの飯田泰之&井上智洋コンビ。気鋭の経済学者2人が今回語ったのは「格差」。経済学の歴史をひもときながら、現代社会における格差の特徴が明らかにされていきました。11月24日のイベントをレポートします。(ゲンロン編集部)
格差はどこまで経済学の問題か
経済学はその歴史上、どこかのタイミングで「格差を問題にしない」と決めたのかもしれない――。イベントの冒頭、飯田はこう語った。
井上は経済学で格差を論じることがむずかしい理由として、再分配がパレート改善な方法ではないからだと指摘した。パレート改善とは、資源の分配を変更するにあたって、誰も損をせず、かつ、誰かの利益が増えることを指す(資源が最大限に活用されている状態は「パレート最適」という)。
再分配を行うと、必ず誰かが損をする。誰にどの程度の損を受け入れさせるべきなのか。それは政治の問題だ。そのため格差については、経済学という学問が最終的な答えを導くことができない。
では、格差を考えるうえで経済学にできることはなにか。飯田は、格差の改善に伴い、経済の効率性がどう変わるかを分析することだと述べた。格差を是正するのにコストがかかるのであれば、それを明らかにしたうえで、議論を深めるのが望ましい。最終的な決断は政治の領域の問題だとしても、経済学には前提条件をクリアにすることができる。
「ほどほど」の中間層を考える
格差を改善する最高の方法として考え出されたのが社会主義革命だったと飯田はいう。社会主義は19世紀マルクス主義として展開され、1917年にソ連が成立して以降、多くの国で採用された。しかし格差の低減には限界があり、冷戦が崩壊すると勢いを失い、資本主義全盛の時代が到来する。歴史的に見れば、格差をゼロにするという試み自体に無理があった。だとすればある程度の格差を認めたうえで、中間層を分厚くした「ほどほど」の状態について考えるべきではないか。
アメリカでトランプ大統領が予想外の支持を集めた理由のひとつは、中間層の所得を増やしたことだという。井上はアメリカのGDPと所得の中央値の推移をグラフで示し(次の画像を参照)、これまでのアメリカでは、GDPが上がっても中間層の所得は連動して上がってこなかったと指摘した。飯田は、トランプ政権の経済政策は強い支持を集め、中間層の所得を過去最高水準にまで押し上げたと振り返る。トランプ落選は新型コロナが原因であり、これがなければ再選された可能性がきわめて高いという。
いま「ほどほど」の仕事は得られるか
さて、このところ以前にもまして格差が問題視されるようになった背景には、「ほどほど」に稼げる仕事の減少がある。井上は、IT化によって事務労働が削減されていることを取り上げた。その一方で、高賃金の専門的な頭脳労働と、低賃金の肉体労働は、変わらず必要とされ続けている。「ほどほど」の事務労働からあぶれた労働者たちの多くは、肉体労働に流れていくという。
また、工業が産業の中心だった時代は、農村から出てきたひとびとが工場で働き、仕事の中でスキルを身につけていくことができた。労働とスキルアップがうまく結びついていたのだ。しかしIT産業では、そもそもスキルがないと働き始めることが難しい。「ほどほど」の仕事を得るには、まず仕事につくまえに、スキルを身につけておかなければならない時代になってしまった。
こうまとめると現代は過酷なスキル獲得競争のようにも思えるが、一方で、誰もがスキルを身につけてまで給料の高い仕事につきたいと思っているわけではない。飯田は、給料が多少低くなっても、簡単で決まりきった仕事を求めるひとは多いのではないかという。その例として、飯田は先日利用したホテルのエピソードを挙げた。
いまホテル業界では、スタッフ不足に悩まされているという。コロナ禍で宿泊客が激減したタイミングで、多くのスタッフを解雇してしまったからだ。その後、「Go To トラベル」が始まるとなって、ホテルは高い給料でスタッフを募集したが、人材はうまく戻ってきていないそうだ。ホテルのスタッフには、様々なところに気を配るホスピタリティが求められる。コロナの先行きが見えず、観光業全体が不安定な状況で、高いスキルを身につけてまで、新たにホテルに勤めようという者は少ないのではないか。
「ほどほど」に生きるための豊かな文化
高いスキルを身につけて稼ぎたいひとたちと、「ほどほど」に稼ぎたいひとたちを、適切な格差で共存させることは共存できるのか。飯田の問いかけに対して、井上はここでこそ、ベーシック・インカムが有効なのではないかと答えた。ベーシック・インカムでは最低限度の所得が保障される。稼ぎたい人はスキルアップを目指せばいいし、そうでない人は「ほどほど」の労働にとどめればいい。もしこれが実現したら、次に問題になるのは生活の質だという。
「お金なんてなくても充実した生活は送れる」というひとは多い。しかしこういう意見の持ち主は、文化資本に恵まれている場合が多いという。たとえば図書館や美術館など、それほどお金をかけずに一日充実した時間を過ごせる施設は整備されている。ただ、それを楽しむには文化資本が必要なのだ。お金は再分配できても、文化資本は再分配できない。人々がどう文化資本を積み上げていけるのかが、今後課題として前景化してくるかもしれない。
「格差」というと、どうしても固い話題になりがちだ。しかしその実態を捉えるには、社会構造やお金の動きだけではなく、人々の生活や気持ちにまで思いを巡らせなければならない。経済学の視点にとらわれない2人の言葉は、格差を的確に捉え、しなやかに生き抜くためのヒントになりそうだ。(國安孝具)
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