エリートの戯言から遠く離れて──先崎彰容×與那覇潤「2011の震災から2020の疫病へ」イベントレポート
ゲンロンα 2020年10月18日配信
認めよう、これはまぎれもない硬派イベントだ。もしかすると取り上げられる名前の並びを見ただけで「なんかこわい」と尻込みしてしまうひともいるかもしれない。
しかし他方で、ここで挙げられている著述家たちは、「エリートの戯言」としての言論からはあくまで距離をとった人びとでもある。
今回のイベントに登壇した先崎彰容と與那覇潤も、思想史と政治社会史というそれぞれの立場から日本の近代について考え、それを積極的に発信する活動を行なってきた言論人だ。
いまの世のなかで、思想や歴史について考えることにいったいなんの意味があるのか。そんなふうに思ったことがあるひとにこそ、このイベントに耳をかたむけてみてほしい。(ゲンロン編集部)
「危機」における学問
先崎と與那覇が共通して批判するのは、震災や今回のコロナ禍といった「危機」の際にある種の知識人のあいだで見られがちな、浮足立った言説の欺瞞だ。
たとえば昨今メディアを賑わせている、現政権による日本学術会議の任命拒否問題とそれに対する大学人の反応。
與那覇は、大学人たちの「自由」をめぐる問題についての一貫性のなさに疑義を呈する。コロナ禍下における緊急事態宣言でさまざまな憲法上の自由が脅かされたことには唯々諾々と従っておきながら、ここにきて「学問の自由」の旗のもとに一色に染まるというそのありさまはなんなのだというわけだ。
先崎は、大学人たちの権力批判における緊張感のなさや甘さを批判する。学問の自由をめぐるほんとうの覚悟ある闘争とは、たとえば戦前における反政府の言論活動のことだ。そこには政府からの弾圧や死の危険が伴っていた。それに対し、今回は政府による研究内容の強制があったわけではない。大学人たちの反応は、世間から見ると「甘えた」ものに見えているのではないかと先崎は言う。
では、いま学者がすべきことはなにか。
先崎は、「危機」によって人びとの常識が揺らぎ、そこを突いて単一の見方の大合唱(たとえばいまや死語となった「災後」や今回の「新しい生活様式」)が幅を利かせるという状況そのものに抗うこと、そしてそのなかで思想的に骨のあるものを書き残すことこそが学問の仕事だと言う。
吉本隆明を「危機」の文脈で読む
「危機」において骨のあることばを書き残すため、先崎が注目するのは戦後を生きた数人の批評家や文学者だ。彼らが残したのは、1950~60年代の戦後民主主義と高度経済成長の時代において、敗戦という極限的な秩序解体の体験にあくまでも不器用に立ち止まり続けた、その思考の軌跡である。
まず挙げられたのは、吉本隆明の主著『共同幻想論』(1968年)。先崎が今年7月にNHKで放送された「100分de名著」で取り上げた著作でもある。
『共同幻想論』は西欧の国家論を批判して新たな国家論をたちあげる書。けれどもその記述は難解をもって知られる。先崎は、吉本の敗戦体験と結びつけて読み解く。
戦時中を軍国少年として過ごした吉本は、敗戦によってそれまで信じていたものが否定される経験をする。しかし周りを見渡すと、多くの復員兵は、過去や信念を顧みることなく戦後の生活への切り替えを易々と行なっている。
このとき受けたショックから思想を練り上げた吉本は、国家や共同体とは人びとの共有する幻想(「共同幻想」)にすぎないという考えに達する。その歴史的な文脈を提示することで、難著を現代の「危機」にこそ読まれるべきものとしてよみがえらせるというのが先崎の狙いだ。
與那覇は、先崎による「100分de名著」テキストの第2章を読んで、『共同幻想論』についての理解が格段に進んだという。吉本流の『古事記』『遠野物語』読解という難所を扱った箇所だ。上述の背景を通過することで、吉本が「肉感的な幻想が生み出す共同体」として国家を描き出そうとしたことの意義が、むしろ国家のロマン化を排し「権利と義務を規定する契約の束」へと相対化しようとした、丸山眞男的な視点への挑戦として腑に落ちたと言う。また與那覇は、テキストにおいて「共同幻想」が現代のネット大衆社会と重ね合わせて理解されていることにも共感を示した。
トークでは、ともに戦後を代表する文学者である江藤淳と三島由紀夫の他者観のちがいも大きなトピックとして論じられた。三島がディズニーランド好きという一面を持っていたという、大塚英志の批評に基づく與那覇の指摘から、先崎が『ゲンロン9』掲載の座談会(「日本思想の一五〇年」)における東浩紀とのやり取りを振り返るシーンなども印象的だったが、残念ながら紙幅の都合上そこでの論点を取り上げることはできない。詳しくは動画で確認してほしい。
そもそも歴史を学ぶことは必要か
番組の終わり近くでは、歴史を学ぶ意義について議論が繰り広げられた。
與那覇は最近、多くの場所で「いまや歴史について学ぶことに意義などないのかもしれない」という懐疑を語っている。たとえば、「同じ過ちを繰り返さないように敗戦の歴史を学ぼう」といったスローガンがある。いまを生きることで必死の若い世代にとって、このような言葉は、効率の悪い作業を押しつけてくる空虚なお説教にすぎないのではないか。
それは、與那覇が『群像』2020年4月号に寄せた加藤典洋論(「歴史がこれ以上続くのではないとしたら――加藤典洋の「震災後論」」)のなかで扱った論点でもある。加藤は一般には、『敗戦後論』(1997年)で「自国の死者の追悼」や「憲法の選び直し論」を唱え、「戦後」の歴史の問題を引き受け直した批評家だとみなされている。しかし與那覇によると、加藤はむしろ「歴史の重さ」をあえて捨てる倫理を示した批評家でもある。
それを示すのが、2007年に発表された「戦後から遠く離れて」という文章だ。加藤はそこで、戦争の死者とのつながりから思考をたちあげることは、加藤個人にとってのマクシム(格率)ではあり続けるとしても、現在の若い人びとにも同様に訴えることのできるモラル(倫理)ではなくなったと述べている。與那覇は刊行当初のこの文章に触れた時から、歴史を教える意義について考え続けてきたという。そして、それに対するはっきりとした回答はまだ得られていない。
先崎はこの問いかけに対し、歴史の喪失は政治的無関心とパラレルな現象として捉えることができると応えた。先崎によると、それは現代に限った問題ではない。先崎は石川啄木を例に挙げた。啄木がおもに活動したのは、明治時代の日露戦争後の時期だ。日露戦争に勝利した日本は、「富国強兵」の「国」(=公に尽くす)と「強兵」を達成してしまった。若者に残された関心事は目の前の「富」だけとなり、そのなかで富めるものとそうでないものの格差が進行した。富の浮上は政治への無関心を明治末期の青年たちの心にも植えつけた。起業やグローバル経済の回路を通してしか社会との接点を感じられない、いまの若者の原型がそこにはあるのではないかと先崎は言う。
我々には、しみったれた歴史など打ち捨てて、目の前の富をめぐるゲームの勝利にむかって邁進するしか道がないのだろうか。
ここで、最後に與那覇が自らのうつ状態の経験と類比して語った歴史感覚の話が参考になるかもしれない。
與那覇は入院した際、医者に「いま景色がふつうに見えているか」と何度も尋ねられたそうだ。精神の病を抱えた患者は、しばしば目の前のものを奥行のある意味を持った存在として見ることができなくなる。離人症と言われる症状だ。近くにある机を見て「ここから手を伸ばしてコップが置けそうだな」と感じる、そういう自己との関係においてものを捉える距離感が失われてしまうのだ。同じように、いまは、多くのひとが自身の生活と歴史的な出来事(年号)との距離感や意味的なつながりを失ってしまった時代として捉えることができると、與那覇は言う。同じことは、ファクトファインディングのみで「意味」を問わない実証研究に陥りがちな、一部の歴史学者たちにもあてはまるだろう。
いまの與那覇は、その感覚の是非を判断できないという。しかし他方で、過去の思想家たちの個別具体的な格闘の歴史は、現在と重ね合わせて見るならば、目の前で日々起こっている出来事の意味をより立体的に把握させてくれるレンズのようなものとして機能する。たとえ、生きるためにそのことをどの程度必要とするかは人それぞれであるとしても。
いつものことながら、ここで挙げた論点はイベントのほんの一部にすぎない。イベントではこのほかにも、丸山眞男、和辻哲郎、山本七平、山崎正和、柄谷行人、本居宣長、平賀源内などが議論の対象となった。全容はぜひ動画で確認してほしい。(住本賢一)
こちらの番組はVimeoにて公開中。レンタル(7日間)600円、購入(無期限)1200円でご視聴いただけます。
URL=https://vimeo.com/ondemand/genron20201013