初出:ゲンロンα 2020年6月14日配信
ゲンロンカフェの人気登壇者であるさやわかと辻田真佐憲。実はこの2人、ゲンロンのイベントで共演したことはなく、他の場面でも話したことがないという。そんな彼らがゲンロンカフェで初共演を果たした。テーマは「コロナウイルス」。 ひらめき☆マンガ教室の主任講師であり、ポップカルチャーをテーマとした登壇が多いさやわかは、コロナ禍が始まってから世界のコロナ関連ニュースを精力的に収集、それを自身のYou TubeチャンネルやTwitterで発表している。一方、辻田はコロナ禍における日本の様々な「事案」を収集し続けている。 世界のコロナ事情に精通するさやわかと日本のコロナ事案を知り尽くした辻田。今回はそんな2人による、計8時間以上に及んだイベントの一部をお伝えする。(ゲンロン編集部) ※このイベントの動画はVimeoにて全篇をご覧いただけます。本記事の内容に関心を持たれた方は、ぜひそちらで議論の全容をお楽しみください。 第1部=
https://vimeo.com/ondemand/genron20200611no1 第2部=
https://vimeo.com/ondemand/genron20200611no2欧州人は手のひら返しがすごい
イベントは双方が用意したパワーポイントの発表を軸に進んだ。最初はさやわかのプレゼンから。さやわかはイベントのために80枚ものスライドを作ってきたという。このスライドを見るだけでも価値がある。 スライドはまず「欧州人は手のひら返しがすごい」という言葉から始まる。4月から6月までの世界のコロナ事情を振り返りながら、欧米圏の人びとがいかにコロナウイルスに対する認識を大きく変化させたかを語る。
まずは4月の出来事から。 最初の例はイギリスだ。イギリスは首相のボリス・ジョンソンがコロナウイルスに罹患したこともあり、その時期にイギリスの国営医療サービスであるNHSへの信頼が異常に高まっていた。自由を希求するリベラルでさえ、「自分たちの命を守るためには仕方がない」と専門家の言葉をただ聞く状態が生まれていた。 この傾向はイギリス以外にも広がっていた。それを表す顕著な例が、思想家のアガンベンによるロックダウン批判がSNSで炎上したことだ。4月のヨーロッパ諸国は、命を守るためにロックダウンは行うべきという考えが根強かったのだ。 しかし5月になると状況は一変。コロナウイルスに対する過度な対応についての反省意識が生まれ始める。その変わり身の早さは、アガンベンのロックダウン批判が1ヶ月立たないうちに再評価されたことが雄弁に語っている。まさに「手のひら返し」のスピーディーな思想変更だ。 また、アメリカでは警察官が業務中に黒人を殺害したことで大規模なデモが全世界的に発生。いままではロックダウンを提唱していた感染症の専門家も、この「BLM」(ブラック・ライヴズ・マター)を支持し、4月とは異なる対応が見られるようになった。「命を守ること」が何よりも優先される状況が消えたのだ。それまでは生命を盾に強力な命令が発動できた各国だが、それが不可能になったいま、個々の信条や状況によってコロナをめぐる社会の分断と対立が進むのではないか。そう、さやわかは述べた。 日本のリベラル陣営は、コロナ禍における政府批判の材料として欧米を参照するが、実はその欧米の国々でもこのように対応は揺れ動いている。その点において、コロナウイルスをめぐって対応が揺れ動くのは日本も欧米も変わらないのではないか。
コロナ禍における日本
次は辻田のプレゼンへ進む。辻田のプレゼンでは、コロナ禍での重要事案を5つのポイントに分けて俯瞰的に眺め、ここで起こった出来事について、過去に日本で起こった出来事との類似で語れる可能性も言及された。 日本では自粛警察の暴走により「中傷」や「投石」、「密告」、「落書き」などが発生した。辻田によれば、こうした事件はまるで戦争中のようであり、実際に太平洋戦争中の記録には住民同士の密告によって戦争に非協力的な市民があぶりだされていた。日本と欧米でコロナに対する反応が大きくは変わらないように、時代を超えても非常時に対する人びとの姿は変わらないのではないか。
辻田のプレゼンでは、コロナ禍における日本の特殊性も明かされた。そこで言及されたのが、安倍政権の政治運営能力の低さである。欧米諸国が強い権限で政治を主導し、ロックダウンの決定や解除を行ったことに比べ、日本政府はほとんど何も対応を行わなかった。これによって逆に私権の制限に歯止めがかかった部分もあるものの、政府への信頼度は下がり、政権に属さない政治家たちの間でポピュリズムが暴走していると辻田は指摘した。 その代表例が東京都知事の小池百合子や防衛大臣の河野太郎、そして大阪府知事の吉村洋文などである。彼らは芸能人との感染防止コラボ動画やTwitterなどを用い、きわめて効果的な手法で人びとにプロパガンダを行う。辻田が警戒するのは、彼らが安倍政権の弱体化を機に、その存在感を強めることだ。
変わらず愚かな人間
辻田のプレゼンののち、さやわかのスライドの後半部分がプレゼンされた。ここでは、コロナ禍をめぐる各国の対応を解説。扱われた国はハンガリーからフランス、南アフリカまで幅広い。広範なデータからさやわかは「各国の文化的背景がコロナへの対応の差に現れている」と述べた。例えばハンガリーは旧ソ連に属する国で現在も閉鎖的な風土を持っているが、そこではコロナをめぐって何が起きたのか。あるいはオランダと南アフリカが感染者の増加を抑え込めた文化的な背景とは何か……などなど、私たちが知らなかったコロナ禍に関する驚きの情報の連続であった。この部分については、ぜひ動画で見て欲しい。
後半の最後に行われた質問コーナーは、東浩紀も議論に参加した。質問への返答を皮切りに、それまでとは異なる視点からコロナウイルスに関する話題が話され、議論は活発に膨らんでいった。 最終的に3人が同意したのは「人間は愚かである」ということだ。人類が感染症と向き合うのは今回が初めてではない。それにもかかわらず、人間は過去の事件や災害の経験をすぐに忘れてしまう。その点において、人類は昔から変わらず愚かであり、それは日本でも西洋でも変わらない。話は多岐にわたり、イベントを一つの言葉でまとめるのは難しいが、あえて筆者がまとめるなら、そのような人間の愚かさの歴史を忘却することなく語り続け、その愚かさを自省し続けることが必要なのではないだろうか。 本稿で触れた話題以外にも「欧米人とマスク」、「コロナ復興五輪としての東京オリンピック」や「ハッシュタグ戦争と右派・左派」、「コロナ禍と陰謀論」など議論は広範にわたった。どれも刺激的な内容なので、ぜひ動画を見て自分の目で確認して欲しい。 イベントが行われた6月11日は、なんとさやわかの誕生日だった。イベント開始前には、マンガ教室の生徒やゲンロンスタッフ一同から日本酒がプレゼントされ、イベントではそれを飲みながら議論が繰り広げられた。そのような和やかな雰囲気もあり、イベントではコロナ禍で明らかになった人間の愚かな行動について笑いも交えながら、しかし真摯な議論が交わされた。 愚かさは笑いと紙一重だ。これからもゲンロンカフェには、ゆるやかに、しかし真摯に人間の愚かさと向き合う空間が生まれていくのだろうか。(谷頭和希)