浅野いにお「マンガの外から刺激を受けてるマンガのほうがおもしろい 」【ひらめき☆講座特別インタビュー#1(後篇)】

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webゲンロン 2024年11月11日配信
11月18日タイトル変更
後篇
 ゲンロン ひらめき☆マンガ教室の新企画「ひらめき☆講座特別インタビュー」がスタートします! 第一線で活躍するプロマンガ家に、当教室の元受講生である運営スタッフとらじろうと聴講コース(マンガや創作について知見を深めるためのコース)に通う現役受講生たちが、ゲンロン編集部とともにマンガ家の先生にお話をうかがいます。
 記念すべき第1回、浅野いにお先生インタビューの後篇では、目指すべきマンガ家像やマンガ業界の未来も話題に。受講生との一問一答も。最後までお楽しみください!(編集部)

マンガ家に憧れる

──浅野先生が目指しているマンガ家像とはどういうものでしょうか。

 

浅野 ぼくにとっては、だれにも邪魔されずに自分がいいと思ったものを作っている時間がとても大切です。なので、そのための自由な時間が確保できるようなマンガ家でありつづけたいと思って仕事をしています。

 最近あらためて実感するのは、ぼくはもともとマンガよりも「マンガ家」という存在自体に憧れがあったということです。マンガ家って、なんか自由そうでかっこいいじゃないですか(笑)。ずっと家で絵を描くだけで生活しているひとたちなわけですから。

 

──わかります(笑)。

 

浅野 よかったです(笑)。とはいえ、それはたんにのびのび気楽に暮らしているというのとはすこしちがう。たとえばぼくは桜玉吉さんの作品が大好きなのですが、彼がエッセイマンガのなかで描くマンガ家としての自分の生活は、楽しいだけのものではまったくない。むしろ玉吉さんはうつ病にもなってしまったひとで、自分をどんどん追い詰めていく姿がもう何年も作品に描かれている。でも、ぼくは「苦悩する作家」像も含めて、その生き方に憧れを持っています。時代をさかのぼれば、つげ義春さんもそうですね。

 ミュージシャンに憧れるひとも、もちろん楽器を演奏するのが好きなのかもしれないけど、ミュージシャンという存在自体が好きな場合もありますよね。ロッキング・オン社が昔出していた『コミックH』のようなマンガ雑誌では、マンガ家がミュージシャンのように扱われていましたが、あれに近い雰囲気です(笑)。

 

──ある種のアーティストとして扱われているマンガ家がかっこよく見えたと。

 

浅野 ぼくはバンドマンもかっこいいなと思っていたし、それとまったく同列でマンガ家も輝いて見えていた。だから、そういう生活がしたかった。それをいまでも続けられているのはいいことだと思うし、これ以外の生活は今となってはイメージすることすらできない。マンガは描きたくないけど、マンガ家ではいたい(笑)。

 

──いま、かつてご自身が憧れていたようなマンガ家になっている。

 

浅野 その実感はありますね。実際にそうなれているし、憧れのマンガ家像に引っ張られてしまうんですよ。自分から玉吉さんにあわせていっているわけではないですけど、「玉吉さんは離婚してたよな」と思うと自分も離婚しちゃうし。中年になって、自分の孤独をちょっと客観的に見ながら、「こういう哀愁みたいなのが好きだったよな」とうらぶれたマンガ家像を演じている自分、というのは絶対にいます(笑)。

 

──そういうアーティスト的なマンガ家像は、最近ではあまり見かけなくなっているような気もします。

 

浅野 私生活を見せませんからね。わかりやすいところで言えば、いまはマンガ家が顔を出さないのが当たり前になっているでしょう。あれはあまりいい慣習ではないと思っています。ぼくはマンガを通してその作品を描いているマンガ家を見る読者だったので、マンガ家の顔も見せてくれという気持ちになる。顔を出すことで作品の評価が悪くなることもあるのかもしれないけれど、それも含めてすべてが作品ではないでしょうか。

 それに、いまのAIの進歩を考えると、そのうち「顔を出さないマンガ家はAI作家の可能性がある」ということになってくると思うんですよ。だから、時代がもっと進めば人間の生身それ自体に価値が出てくるはずです。そういう意味でもマンガ家は顔を出していった方がいい。

浅野いにお先生

AIはマンガを進化させるか

──AIの話が出ました。現在はテクノロジーの発展によって作家のクリエイティビティのあり方が問われている時代でもあります。AIの発展がマンガの制作それ自体に与える影響についてはどう思われますか。

 

浅野 20代のアシスタントがいろいろアンテナを張って、最新のAIを自然と制作に取り入れている姿を見るとすごいと思いますし、AIを使ってマンガを作っていく流れも広がっていくでしょう。他方で、いまは、多くのひとがせっかくAIを使っても、ただ既存の「マンガ用の絵」を再現する方向に向かっている。それはちがうだろうと思います。

 

──マンガ用の絵、ですか。

 

浅野 言ってみれば、マンガを描くうえでひとつの最適解として定着している絵柄のことですね。そういったものはたしかに存在していて、便利でもあります。ただ、ぼくは昔から「マンガを描くのに必ずしも「マンガ用の絵」を使う必要はない」というスタンスでいます。

 たとえば、江口寿史さんはポップアートのセンスをマンガに持ち込んで新しい絵柄を開発した。大友克洋さんはバンド・デシネの技法をマンガに持ち込んだ。ぼくが活動初期から写真やBlenderを使って絵を描こうとしたのも、それに近いことです。ツールを使って、マンガの絵とリアルな絵という解像度の異なる二種類のキャラクターを共存させるコラージュ的なやり方ですね。そこには90年代のサンプリング音楽の影響もあったと思います。新しいものが生まれるときには外部からの刺激が必要なんです。

 

──そういう意味では、たしかにいまはAIでマンガのかたちを真似ているだけです。新しいものは生まれそうにない。

 

浅野 そもそも大事なのは、AIを使ってなにを作りたいのかです。AIは本来はいろいろなものを作れるはずなのに、それをマンガ用の絵を作るためだけに使うというのは作業の効率化以上のものではない。これが進歩だとは思えません。

 いままでのマンガらしさから外れたものを作るためにAIを使うのであれば面白そうだし、ぼくにもいろいろアイディアがあります。若いひとにはそういう思索を率先してしてほしい。読者たちにもそれを受け入れる好奇心を持ってほしいです。

 

──いまのマンガ業界はマンガ家も読者も内向き志向になっているということでしょうか。

 

浅野 その側面は確実にあるでしょう。そういう意味で、ぼくにとってはいまのマンガはつまらない。ストーリーや設定が斬新なものはまだ出ているかもしれないけれど、表現的な進歩はほんとうにこの10年ぐらい全然ないと思っていて、最近は特に物足りなさを感じます。

 ぼくの場合で言えば、それを打破するためにやっているのが3DCGの使用だ、ということになります。現状の業界でも、3DCGの制作を外注したり素材を買ってきたりして使うことはよくあると思うのですが、作家本人がモデリングからはじめるにはある程度の経験が必要です。ハードルが高い分、挑戦としてやりがいもある。

 ただ、『MUJINA』を連載するなかで3DCGに対する限界も感じて来てはいるんですけどね。あまりにも複雑すぎて、これ以上を求めると専門職でないと十分に扱うことができない領域になってしまい、感覚的にもう無理だとわかってしまった。いまのレベルまでならなんとかなるのですが、この路線でこれ以上進歩することはたぶん厳しい。そんななかで、新しいものを生み出すのならつぎはなにかと考えたときに思い浮かぶのがAIだなと。

『MUJINA INTO THE DEEP』EPISODE_5-1より

日本のマンガの未来はどうなる

──AIの話題が広まる前には、スマホやタブレットで縦スクロールして読むマンガ、いわゆる「ウェブトゥーン」が台頭して、日本のマンガは変わるのではないかという話もありました。

 

浅野 ウェブトゥーンはフォーマットが独特すぎて、向いているジャンルが極めて狭いと思います。基本的にひとはウェブトゥーンを読むときセリフしか読んでいないので、会話ベースの作品でなければ成立せず、「絵で見せる」ということができない。これから先も主流になるとはぼくには思えないので、あまり興味はありません。

 

──浅野先生としては、これからもまだまだ日本式のマンガ、つまりコマが割られていて絵で見せつつページ単位でめくらせていく形式のマンガが続いていくだろうという立場なんですね。

 

浅野 じつはそれはすこしむずかしいところです。マンガ教室のインタビューでする話ではないかもしれませんが、ぼくはマンガの未来には悲観的で、日本のマンガはいまがピークなのではないかと思っています。具体的には、これからマンガを読むことができないひとがどんどん増えていくだろうなと思っています。

 

──なるほど……。それはどういうことでしょうか。

 

浅野 簡単に言うと、これからの消費は動画がメインになっていくだろうということです。ぼくはまわりにあまり子どもがいないので、実感とまではいかず又聞きレベルですが、もういまの子どもはマンガの読み方がわからないという話も聞きます。マンガには独特な文法や読み方があって、読むのにはある種の能動性が必要です。スマホで受動的に見られる動画コンテンツがこんなにも溢れる時代になったのだから、当然、子どもはわざわざ能動的にマンガを読まないだろうと思います。

 

──マンガ教室の一員としては、素直に「そうですよね」とうなずきたくないようなお話です……。

 

浅野 いちおう楽観的な補足を入れておくと、ぼくはかつて「これからは電子書籍の時代だ」と聞いたときには、あと10年も経てば紙のマンガ雑誌はなくなっているだろうと考えていたようなタイプです。でも蓋を開けてみれば、それから10年以上経ったいまも雑誌は残っている。ぼくの予想は全然当たらないので、気にしなくてもいいのかもしれない(笑)。

 ただやはり、いまマンガを好きで読んでいるひとも描いているひとも、今後を見越してある程度の意識は持っておくべきです。電子書籍にしても、なんだかんだで読まれる頻度は増えているし、この変化にあわせて表現として変わったこともある。これからはそこを積極的に取り入れて作画のモチベーションにすればいいのではないでしょうか。

 

──最初にお尋ねした、マンガが描きたいという初期衝動がなくなったあとにどうするかというお話にもつながってきたように思います。

 

浅野 そうかもしれません。ぼくはなんだかんだ言って、技術的な目新しさを追いつづけることでマンガ家業を続けてきた。たとえば昔のぼくはあくまでもマンガの最終アウトプットは紙だと思っていたので、もとはグレーで塗っていた中間色も白黒二値の印刷できれいに見えるようにスクリーントーンに変える処理をしていました。でもいまは電子書籍で読むひとも多いわけで、スマホのモニターで見るのに適した原稿の作り方をすればよく、わざわざトーン処理をする必要はない。それによって、雑誌の印刷には適さなかった、にじみやぼかし、ブラー表現をはじめとしたいろんな新しい表現ができるようになっているはずです。

 AIの話でも同じですが、これからマンガを描いていくひとたちには、ぜひ技術の発展がマンガの進歩につながるような部分にチャレンジしていってほしいです。「初期衝動」はすぐになくなってしまうとしても(笑)、新しいマンガの作り方への好奇心さえ失わずにいれば、マンガ家をやりつづけることができるのではないでしょうか。

 

──本日は浅野先生の具体的な創作術から理想とするマンガ家像、さらには日本のマンガの未来やこれからのマンガ家へのメッセージまで、多岐にわたるお話をうかがうことができました。マンガ家を目指している受講生にとって、勇気と覚悟をもらえるお話ばかりだったと思います。あらためて長時間お付き合いいただきありがとうございました。

 

☆受講生と浅野先生の一問一答☆

Q:スズキハルカさん 取材をするときに気をつけていることがあれば教えてください。

 

A:浅野先生 ぼくはネットで調べごとぐらいはするんですけど、だれかに会いに行って話を聞くといった形式の取材はほとんどしたことがないんです。あったとしてもこれまでに数回のはず。そのうちの1回は、外国の傭兵部隊に勤めていた経験があるひとからミリタリー関連の知識を伝授してもらうというものだったのですが、結局マンガにはまったく生かされませんでした(笑)。ぼくの場合、取材をするとこちらが聞きたい話を聞くだけの誘導尋問みたいになってしまう。それが苦手なんです。その代わり、ふだんの生活でひとと会うときにはなるべく相手の話を聞くようにはしています。そういう偶発的な出会いから、人間観察というか、いろんなひとのタイプを分析して覚えておくようにしているという感じですね。

 

Q:ずんだもちさん マンガを描くモチベーションを維持するためにいろいろなコンセプトや技法に挑戦しつづけるというお話がありましたが、それでも描くことに飽きてしまうということはないのでしょうか。

 

A:浅野先生 もともと飽きっぽいので、やっぱり実際飽きてますよ(笑)。ぼくの場合は、絵が描きたくて描きたくてしょうがないなんてことも絶対にないですし。ここはマンガ家のなかでふたつに分かれる部分だと思うのですが、仕事でなくても絵を描くマンガ家さんっているじゃないですか。それとはちがって、ぼくは仕事以外では絶対に絵を描きません。とはいえ、たとえばまだ締め切りが先にあって、今日は作画を1日に数ページやればいいというときはけっこうのんびり描けるので、そういうときは描くのが楽だな、楽しいなと思っています。

 

Q:オカピさん これから浅野先生が作家活動を続けていくうえでの理想像があれば教えてください。

 

A:浅野先生 上の世代にも下の世代にも自分とまったく同じようなタイプのひとはなかなか見当たらないので、参考にすべきひとを見つけるのもむずかしいんですよね。自己認識としては、ぼくは「90年代サブカルマンガに対する憧れを抱えてゼロ年代から活動を始めたら、いつのまにかその系譜のアンカーになってしまっていた作家」で、このラインはほんとうに途切れてしまったのだと考えています。いまの世代の「pixivやコミティアから出てきました」みたいなひとたちともやっぱりちょっと出自がちがいますし。

 それでも名前を挙げるなら、たとえば松本大洋さんや望月峯太郎さんは、いまもコンスタントに描いているし、自分の作家性も崩さず、絵に関してもテンションが下がらず、なんだったら年々良くなっている。あれだけのキャリアがあっていまなお最高傑作が描ける可能性があるひとたちというのは、やっぱりかっこいいなと思います。それに彼らは商売っ気でやっている感じもまったくしないじゃないですか。ああいうひとたちには憧れます。

 

 

2024年10月1日
東京、小学館ビル
聞き手=とらじろう+ひらめき☆マンガ教室第7期聴講生+ゲンロン編集部
構成=とらじろう+ゲンロン編集部
撮影=ゲンロン編集部
 

後篇

 浅野先生へのインタビュー、お楽しみいただけたでしょうか? ひらめき☆マンガ教室では、これからも受講生たちと第一線で活躍するプロマンガ家のお話をうかがいにいく予定です。
 
 浅野先生への取材に同行した受講生のレポート(マンガ、エッセイ)も「ひらめき☆マンガ+」で公開しています。
【浅野いにお先生】インタビュー同行レポ at 小学館(スズキハルカ)
・【体験レポート】浅野いにお先生へのインタビューに同行したら、漫画業界の未来について考えさせられた(オカピ)
・浅野先生のインタビューに同席して考えたこと:飽き、職業像、演技(ずんだもち)
 
 ひらめき☆マンガ教室は、2024年11月17日(日)に開催された「COMITIA150」に参加し、3チームに分かれた受講生たちによる同人誌売上レースを実施しました! 同日夜に生配信した講評会&結果発表をYouTubeで無料公開しています。ぜひご覧ください。
 

ひらめき☆マンガ教室

ゲンロンが設立し、評論家・マンガ原作者のさやわか氏が主任講師を務めるマンガ家育成スクール。第一線のプロであるマンガ家を多数ゲス卜講師に招きながら、幅広くマンガ界で活躍する人材を育成・輩出している。2023年からは「マンガが描かれ、マンガについて語り、マンガについて考え、マンガについて対話される」マンガのコミュニティを再生するウェブサイト「ひらめき☆マンガ+」もオープン!
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