権威主義なんかこわくない?「納得可能性」から考える中国──梶谷懐×與那覇潤×辻田真佐憲「日本と世界は『中国化』したのか」イベントレポート
webゲンロン 2023年6月13日配信
2023年2月22日、『ゲンロン13』の刊行記念として、あらためて「中国化」を考えるイベントが開催されました。巻頭座談会「情報時代の民主主義と権威主義」に参加した中国経済の専門家、梶谷懐さんに加え、『中国化する日本』を2011年に刊行した與那覇潤さん、そして近現代史研究者の辻田真佐憲さんがゲンロンカフェに集結。会場にも多くの観客が集まりました。
奇しくも昨年10月の『ゲンロン13』刊行からほどなくして、中国は12月にゼロコロナ政策を撤回。コロナ禍下に流行した一種の「中国化」論とはなんだったのか。「中国化」論ほんらいの射程について、議論が交わされました。
梶谷懐×與那覇潤×辻田真佐憲「日本と世界は「中国化」したのか──制度、資本、権威主義【『ゲンロン13』刊行記念】」
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20230222
奇しくも昨年10月の『ゲンロン13』刊行からほどなくして、中国は12月にゼロコロナ政策を撤回。コロナ禍下に流行した一種の「中国化」論とはなんだったのか。「中国化」論ほんらいの射程について、議論が交わされました。
梶谷懐×與那覇潤×辻田真佐憲「日本と世界は「中国化」したのか──制度、資本、権威主義【『ゲンロン13』刊行記念】」
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20230222
「ゼロコロナ」撤回とニヒリズム
2020年に新型コロナウイルス感染症が世界中に広がり、そのなかで中国が徹底したロックダウンで感染を抑えこんでいた頃、「これからは民主主義よりも権威主義の国家が繁栄する時代なのだ」とする浅薄な「中国化」論が流行した。しかし中国でも、国内の感染者数が増加するなかでゼロコロナ政策が撤回されたいま、こうした議論はたちまち説得力を失ってしまっている。
成功にしろ、失敗にしろ、短期的な視点で中国を語っていてもむなしい。いま振り返ると一瞬だったコロナ禍での「中国化」ブームから学ぶべきなのは、長い目で見るのが大事だというごくごく当たり前のことかもしれない。イベントの序盤から辻田は、いま中国的なるものをうまく捉えるにはどうすればいいのかと、核心に迫る論点を切り出した。それに対する與那覇の答えは「ニヒリズム」だ。與那覇の考えているニヒリズムとは、1000年以上にわたって、中国のひとびとのなかで熟成されてきた「社会を変えることなんてできない」という根強いあきらめのことだ。現代の中国でいえば、共産党の体制自体は「どうせ変わらない」と割り切って、政治には関わらずもっぱら経済面での成功を目指すといったトレンドをさす。
いっぽうで、中国におけるゼロコロナ政策の撤回は、デモが社会を変えた例のように見える。ここで、事の経緯をかんたんに振り返っておこう。習近平政権になってからの中国では異例ともいえる大規模な抗議デモが巻き起こったきっかけは、撤回発表を2週間ほど遡る11月24日、新疆ウイグル自治区で多数の死者を出した高層マンションの火災だ。公式発表では死者は10名とされているが、遺族らはさらに数十人の住民の消息がつかめないと訴えている。それだけの死者を出した原因が、感染拡大防止のための封鎖によって住民が逃げ遅れたり、消火活動が妨げられたりしたことにあるという声がSNSをつうじて広がると、11月末にかけてゼロコロナ政策の撤回を求める抗議デモが、北京や上海といった中国有数の大都市にまで広がっていった[★1]。それから1週間ほどたった12月7日、中国政府はゼロコロナ政策を撤回した。
ところが梶谷によれば、中国政府はあくまで「デモ以前から発表していたコロナ対策の緩和をさらに押し進めたに過ぎない」という立場をとっているそうだ。国民のほうでも、政府の責任や過去のメッセージとの一貫性について追及する動きは見られない。思うところはあっても、政府を追及したところで意味がなく、むしろ損をするだけだとわかっているからだ。ここにも結局、ニヒリズムが顔を出している。
中国のゼロコロナ政策の劇的な転換についての議論を終えると、イベントは、與那覇と梶谷のプレゼンに移っていった。このレポートでは、充実したスライドのなかから一部を取り上げる。まずは、最初に行われた與那覇の発表のもうひとつのキーワード、「納得可能性」について紹介したい。
納得可能性としてのアカウンタビリティ
與那覇のプレゼンは、一般読者に向けた本としてはデビュー作であり、当時おおいに話題を呼んだ『中国化する日本』の刊行にいたるまでの裏話から始まり、同書の発想の背景にあった「平成」という時代、ポスト冷戦期の歴史学の潮流などを振り返っていく。
與那覇が明かすところによれば、『中国化する日本』は出版社への持ち込みで企画を通すのに4度も失敗している。最終的には文藝春秋社から単行本として出版されることになったのだが、構想からはずいぶんと時間が経ち、刊行は2011年になった。前年のGDPで中国が日本を追い抜いたことが判明し、大ニュースになった年である。おかげで、『中国化する日本』も雑多な中国論であふれかえった書店の棚に置かれることになってしまった。
いっぽうで世界に目を広げれば、当時は刺激的な中国論が登場していた時期でもあった。イベントでは與那覇によって様々な論者のユニークな分析が紹介されたが、ここではその中から政治学者、フランシス・フクヤマの『政治の起源』の論点を取り上げたい。
同書でフクヤマは、政治体制が安定するための条件として、「国家」「法の支配」「アカウンタビリティ」の3つを挙げている。重要なのは、3つの条件すべてが必須というわけではなく、2つでも十分な場合があることだ。だから、たとえば「法の支配」が伝統的に強くないといわれる中国でも、政治体制は安定してきた。
たほうで與那覇は、3つの条件のなかでも「アカウンタビリティ」に注目して議論を展開する。一般的には「説明責任」と訳されがちなこの語を、「納得可能性」として捉えたほうが中国の分析に役立つのではないかというのである。その政治体制が外からはどんな理不尽なものに見えようとも、中国のひとびとは「政治とはこういうものだ。しょうがないよね」と納得して(しまって)おり、それが統治の安定性をもたらしているという視点だ。これもやはり、ニヒリズムの問題と深く関係しているだろう。
辻田も、與那覇の「納得可能性」の議論に可能性を見いだす。ゼロコロナ政策の撤回にみられるように、中国政府は、その専制的な政治体制にもかかわらず、民意を過剰に気にかけているように見えることがある。「法の支配」に欠けた中国が、かわりに「納得可能性」頼りで統治を安定させているとすれば、これも腑に落ちると辻田は述べた。
権威主義の多様性
コロナ対策にせよ、梶谷が『幸福な監視国家・中国』(高口康太との共著)で取りあげた監視や信用スコアといったテクノロジーの導入にせよ、「納得可能性」は大きく関わっているはずだ。中国は権威主義の国だから、で済ますわけにはいかない。
與那覇もプレゼンのなかで、戦前の東洋史学者、内藤湖南の考察を下敷きにしながら、権威主義と一括りにされがちな中国とロシア(ソ連)の違いを指摘した。ソ連が結局、ソ連民族という一体性をつくることができなかったのに対して、中国では王朝の交替や分裂にもかかわらず支配領域はほぼ一定で、そこから生まれた帝国意識が中華民族というアイデンティティに転化した。巨大な国土をもちながら、ひとつの「納得可能性」のみで国家が構成されていることが、中国の唯一無二の強みなのである。裏返せば、だからこそ中国は、「納得可能性」を多様にする恐れのあるものは、欧米の自由民主主義であれ、中央アジア経由のイスラーム主義であれ熾烈に排除する。
また梶谷も、台湾を取り上げることで、民主主義と権威主義は根本的に違うものだという前提を再検討していった。民主主義の側の台湾もゼロコロナを目指し、中国より先にウィズコロナに転換した。そして台湾のひとびとも、厳しいコロナ対策に「納得」していた。それは、高齢者の健康を重視する点など、台湾のひとびとの価値観はじつは中国と共通したところが多いことを示している。つまり、政府のコロナ対策とそれに対する市民の反応という点では、民主主義か権威主義かといった政治体制のちがいは重要ではなかったのだ。辻田は、権威主義という概念にとらわれすぎず、歴史や文化を丹念に追っていくことでこそ「納得可能性」のかたちが見えてくると議論をまとめた。
家族と所有をハックする
ここからは、梶谷のプレゼンに話を移したい。テーマとなったのは「専制・所有・家族」。まさにニヒリズムの原因である専制のなかで、家族のつながりは原始的だが頼りになるセキュリティネットとなる。たとえば、親族のなかから科挙に合格する人材を一人でも輩出すれば、高級官僚となったその人物から多くの便宜を期待できる。家族のつながりこそ、中国の人びとが社会構造にあわせて生み出した「ライフハック」だと言い換えられるかもしれない。
そして、家族とも密接に結びついた土地の所有をたどっていくと、中国独特の「所有」のありかたが見えてくる。農家の土地といえば、先祖代々受け継いできたものというのが日本人のイメージだが、明清期の中国では農地が10年ほどで売買されるのが当たり前だった。では、そんな状況で農家はどのように生計を立てていたのか。じつは中国では、土地に関する「所有権」とは別に、その土地を耕作して生計を立てる「管業権(生業を営む権利)」が認められてきたのである。つまり、土地の持ち主が次々と変わってもそれは「所有権」が移っただけだから、農家は変わらずその土地で生活を営むことができたのだ。
さらに、この「管業権」は、地主に断ることなく売買できるものだった。イベントで梶谷は、このような状況を、店子が大家に無断で借家を又貸ししたり、民泊を始めるようなものだと説明していたのだが、土地所有の制度が異なる日本からみると、これも驚きの「ライフハック」に見える。いっぽう、「所有権」をもつ地主は農家から小作料をとるわけだが、彼らのほうも、農家の能力が低く、十分な小作料が得られないことがわかれば、さっさと他のひとに土地の所有権を売ろうとするのだという。そして、こうした1つの土地に2つの権利が共存するシステムは、現代の中国にも生き続けている。その解説は、ぜひ梶谷のプレゼンを視聴してほしい。
また、梶谷が解説した找価という土地売買をめぐる倫理については、壇上でも議論が盛り上がった。梶谷によれば、前近代の中国では、土地を売った相手がその土地をつかって大きな利益をあげたとき、分け前を要求する権利が認められていた。辻田は、そこで認められている要求はふつうに考えればイチャモンにしか見えないと驚く。たほうで與那覇は、これを商業にまつわる倫理として捉える可能性を考える。たとえば、いわゆる転売問題の当否をめぐる論争に応用できるのではないだろうかというのである。つまり、「転売ヤー」がPS5の転売でぼろ儲けをしたとしても、その利益を転売ヤーが独占するのではなく、メーカーあるいは小売店に一部を還元するような仕組みがあれば、問題は改善されるかもしれない。中国における找価の考え方は、そのような仕組みに転用しうるのではないかというわけだ。
日本の家族は「中国化」できるか
最後に、もう一度テーマを「所有」から「家族」に戻すと、イベントではさきほどの「ライフハック」とは別の観点からもこの概念について議論がなされた。梶谷によれば、日本の「家=イエ」では、先祖代々の土地を受け継ぐことや家業の存続が重視されるのに対して、中国の「家=チア」は生きぬくための個人の寄り集まりにすぎない。つまり、イエでは家族が目的で個々のメンバーは手段だが、チアは家族のほうが手段で、あくまで個々のメンバーが生きていくことが目的なのだ。そのため中国では、いわゆる大家族でも、カネや権力を持つ父親が亡くなると家族はすぐにバラバラになるし、そのときには土地や家から家具、さらに細かい物品までが、家族のメンバーのあいだで均等になるように分けられる。
また梶谷によれば、戦前の華北などで実施された中国農村の社会調査では、そこでの家族が平均5人程度なのにもかかわらず、祖父母や既婚の娘など、核家族とも日本のような直系家族とも異なる多様なメンバーで構成された、「寄せ集め」的なものだったことが報告されているのだという。梶谷のプレゼンを受けて、與那覇は、日本の家族ももっとアドホックで柔軟なかたちになれるといいのではないかと反応した。「このおじいちゃん、話し相手になってもらうと自分が落ち着くから、一緒に暮らしてみるのもいいかもな」──そうしたゆるい関係のみで、血縁や婚姻に基づかない家族があってもいいのではないかと。辻田も、戦後の都市化によって「イエ」は解体され、日本人はその抑圧から解き放たれたけれども、同時に、ひとのつながりのほうもすっかり解体されてバラバラになってしまったと語った。たんに昔のようなつながりを取り戻すのではなく、つながりの新しいかたちがいま求められている。
もうひとつ重要なのが、梶谷が言及した調査を行なったのが戦前の満鉄調査部だという事実である。かえって戦前の日本人のほうが、理解のむずかしい中国という他者を自分の頭と足で理解しようとしていたのではないか。そう梶谷は指摘した。
この指摘を受けて、辻田は、中国をとおして自分たち日本を理解することの重要性を強調した。ニヒリズムも納得可能性も、中国とはすこしちがったかたちではあるが、日本の問題でもある。辻田は、たんに「中国コワイ」でもなく、「中国スゴイ」でもない議論が必要なのではないかとも述べている。今回のイベントはまさにそんな議論が行われた場だったが、まだまだ興味深い論点は尽きない。決闘と切腹から西洋と東洋の契約のちがいを考えたり、中国南部と北部の価値観の違いを水との関係から読み解いたり、はたまた中国での上野千鶴子の人気など、様々な観点で中国と日本が浮かび上がってくる。そして、與那覇が見ようによっては「究極の中国化」になるものとしてふるさと納税をあげたときのように、じつは会場からの笑いが耐えないイベントであったことも付け加えておきたい。ぜひ配信アーカイブを視聴して、中国から日本、そして世界を考えてみてほしい。(國安孝具)
★1 イザベル・ファン・ブリューゲン「中国反政府デモの発火点となった高層住宅火災で起こったゼロコロナの悲劇とは」、『ニューズウィーク日本版』、2022年11月29日 URL= https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/11/post-100220.php 「北京と上海でも異例の抗議行動 ゼロコロナに反発、習氏辞任の要求も」、『BBCニュース』、2022年11月28日 URL= https://www.bbc.com/japanese/63771287
梶谷懐 × 與那覇潤 × 辻田真佐憲「日本と世界は「中国化」したのか──制度、資本、権威主義」【『ゲンロン13』刊行記念】
URL= https://genron-cafe.jp/event/20230222/
URL= https://genron-cafe.jp/event/20230222/
シリーズ史上もっともアクチュアルなラインナップ。2022年2月のウクライナ侵攻に応じて、「ポストソ連思想史関連年表2」を収録。
『ゲンロン13』
梶谷懐/山本龍彦/大山顕/鴻池朋子/柿沼陽平/星泉/辻田真佐憲/三浦瑠麗/乗松亨平/平松潤奈/松下隆志/アレクサンドラ・アルヒポワ/鴻野わか菜/本田晃子/やなぎみわ/菅浩江/イ・アレックス・テックァン/大脇幸志郎/溝井裕一/大森望/田場狩/河野咲子/山森みか/松山洋平/東浩紀/上田洋子/伊勢康平
東浩紀 編
東浩紀 編
¥3,080(税込)|A5|500頁|2022/10/31刊行
國安孝具
1990年、茨城県生まれ。2024年、東京工業大学環境・社会理工学院建築学系の博士後期課程を単位取得満期退学し、株式会社ゲンロンに入社。担当業務はイベント企画、編集補助など。