わかりやすさの罠から逃れるために――望月衣塑子×辻田真佐憲×西田亮介「メディアはプロパガンダとどう戦うのか――『新プロパガンダ論』刊行記念第5弾」
立場の違いから生まれる熱い議論
辻田氏、西田氏はともに望月氏とは初顔合わせとのことで、まずは互いの自己紹介や立場の表明からイベントは始まった。
望月氏が持参した『新プロパガンダ論』には付箋がびっしりと貼られていて、読み込んでいる様子がうかがえる。望月氏は同書について、辻田氏の戦前から現在までの歴史的俯瞰や、西田氏の野党に対する冷徹な分析、与党の経済支援策に対する一定の評価など、勉強になるところが多かったと評した。
野党やリベラル勢力との距離感や、彼らに対する評価について問われた望月氏は、自分はあくまで「現場」にいる社会部の記者だと語りつつ、「リベラルの味方」とくくられることについては違和感もにじませた。民主主義の発展のためには多様な議論が不可欠で、そのためには強い野党が必要であり、自身の記者活動もその観点に基づいていると説明する。パワーバランスから政治を見る冷静な視点を感じさせた。
3人はともに慶應大学の出身者で、各キャンバスやゼミの雰囲気など共通の体験をもとに話が弾む局面もあった。心地よい緊張感を背負いつつ、議論は核心へと進んでいく。
わかりやすさがもたらす功罪
『新プロパガンダ論』というタイトルだが、著者二人の「プロパガンダ」という言葉への距離は微妙に異なっている。辻田氏は現在の状況を説明するために「プロパガンダ」という言葉を積極的に使うべきだというが、西田氏は慎重であるべきという立場であり、イベント中もそのちがいを強調していた。
辻田氏は、現在進行形の行為を歴史の中でとらえようとする。いま起きていることが近現代史における「プロパガンダ」の延長線上にあれば、同じく「プロパガンダ」と呼ぶべきだという。他方で西田氏は世間の誤解を危ぶむ。「プロパガンダ」という言葉には戦前・戦中のイメージが強い。歴史を気にしない人、あるいはすべてを軍国主義につなげてしまう人に誤ったメッセージを与える可能性があるのではないか。
そのうえでイベントの場では、「プロパガンダ」といった強い言葉を使うことによって、本来届くはずの人に届かなくなってしまうこともあるのではないかという点が中心に議論された。前述のように、望月氏は反政権の記者として名前が挙がることが多いものの、本来は市井の出来事を掬いあげる社会部で仕事をしている。世間のイメージと実際の仕事にギャップがあるのは、「リベラル」や「反政権」といった、わかりやすいパッケージとともにイメージが流布されたことが原因といえる。
西田氏が例として取りあげたのは、望月氏を有名にした定例会見の1年前、2016年に氏が上梓した『武器輸出と日本企業』だ。日本の武器輸出三原則が事実上撤廃されてしまった顛末を取材しているのだが、この三原則の見直しと軍学共同の推進は、民主党政権の政策である。自公政権批判のために書き上げた本ではない。
大学在籍中は国際政治に興味を持ち、安全保障分野のゼミ生でもあった望月氏。そのようなバックグラウンドが同書に結実している。取材当初は子育ての時期と重なっていた。「自分の息子が大きくなったときに日本はどうなるのだろう」という下部からの問題設定は、社会部の記者らしい視点とも言える。表層で目立つのが「政権批判」のイメージだとしても、それがすべてではなく、取材の経緯ひとつを見ても複数の要因があるのだ。西田氏は、『武器輸出と日本企業』の主眼が社会制度への批判にあったにもかかわらず、「政権批判」のパッケージで届けられることで、本質的な問題が覆い隠されてしまったのではないかと述べた。
一方で辻田氏は、事実を細かく見ていくことは重要だという理解を示しつつ、人々をまず動かすためには、わかりやすいフレームがある程度は必要であるとも反論した。どちらが良いと簡単に判断するのは難しいが、肝心なのは、どのようなフレームで届けられたものでも自分で考えてみることなのかもしれない。
マスメディアが向かう未来行く末
議論はこれからのマスメディアの在り方にも及んだ。
望月氏を一躍「時の人」にした菅官房長官(当時)の定例会見も、基本的に参加できるのは記者クラブに属する大手メディアだけだ。記者クラブは本来、閣僚や官僚への取材を容易にするなど、権力の透明性を確保するための役割を負っている。ところがいまでは日本独自の慣例・制度として悪の権化のように語られることが多い。
政治家の日々の動きを追い、政局と隣り合わせの取材は、与野党の別なく政治という権力と常に相対することになる。つかず離れず、絶妙な距離感が必要だが、権力に絡めとられないでいられるかどうかは記者個人の良心に委ねられている。望月氏によれば、いわゆる「タレコミ」も、新聞やテレビではなく、週刊誌や政党の機関紙に流れることが増えているという。
西田氏は権力批判や権力監視はメディアの役割であると明確にしたうえで、記者クラブ制度の廃止ではなく、その外側で課題を解決する方向性を示した。例としてあげたのは、海外で先行して定着しつつある、膨大なデータを集約してアウトプットするデータジャーナリズムの手法。社説のようなオピニオンに頼るのではなく、一次情報を出し続けることで、政権反政権双方の緊張感を高めつつ読者に訴求できるはずだという。とはいえ、メディアの環境が変容した今、遅きに逸している感があるかもしれないとも付け加えた。
辻田氏が指摘したのは、マスメディアにおいて、次世代を担う若手社員が離職するケースが少なくないこと。全国に支社のある新聞社の場合、地方勤務からのスタートが多い。特に県警や甲子園などの密着取材では、右も左もわからないまま激務が続く。彼らの多くが新天地として選ぶのが、東京に拠点を置くネットメディア。ほとんどが東京勤務で、ワークライフバランスも保ちやすい。これらを好条件だとして、転職するケースが増えているという。
とはいえそれらネットメディアは、自前で記者を育てない。西田氏は、一次ニュースを出せないネットメディアを、「メディア」と呼んで良いのかとも述べた。現実としてはマスコミが育成された若い人材が一方的に流出しているだけであり、やがて供給源も枯渇し、一次情報の担い手はいなくなるだろう。早急に答えを出す必要がありそうだ。
流れくる情報との向き合い方
このイベントでは「プロパガンダ」に与しないでいるための策が、さまざまな方向から示された。万能の特効薬があるわけではない。しかし、明確に示された処方箋もある。それはメディアの受け手が、まずは「わかりやすさの快楽」を手放して自分で考えることが大事だということだ。
『新プロパガンダ論』でも、わかりやすさの弊害はなんども強調されること。なるべく多角的に物事を見ること。自分とは異なる考えの人の話にも、耳を傾けること。それは当たり前すぎるコミュニケーションの基本かもしれない。けれども当たり前のことは、ともすると多くの人が忘れがちなことでもある。その当たり前を再確認するために。(香野わたる)
シラスでは、2021年11月30日までアーカイブを公開中。ニコニコ生放送では、再放送の機会をお待ちください。
(番組URL=https://genron-cafe.jp/event/20210602/)
香野わたる