異なるクイズ史を求めて──伊沢拓司×田村正資×徳久倫康「クイズ王は本当にいなくなるのか」イベントレポート
ゲンロンα 2020年9月11日配信
今回は、日本を代表するクイズプレイヤーの2人をお招きし、同特集を振り返るイベントを開催。ホストはゲンロン社員であり、競技クイズ界最強の男、徳久倫康。
3人はともに『ユリイカ 特集=クイズの世界』に深く関わっている。議論はさまざまな方向に展開し、8時間にも及んだ。大盛り上がりのイベントの様子をレポートしよう。(ゲンロン編集部)
クイズ史を紡ぐ
徳久は、『ユリイカ』特集はクイズ史にとって「エポックメイキング」だったと語る。そもそも書き手が網羅されていることに驚いたという。 同特集の巻頭対談には、イベントの登壇者である3人が出席している。伊沢はクイズを題材とするメディア「QuizKnock」の代表であり、テレビで引っ張りだこのプレイヤー。一方で徳久は、メディアでは取り上げられることが少ないアマチュアクイズの世界で精力的に活動を行っている。2人のポジションは対極的だ。その2人を田村の司会がつないでいる。 田村は対談の狙いとして、2012年に徳久が発表した論文「国民クイズ2.0」の更新があったと述べた。この論考は、テレビ番組からアマチュアクイズの隆盛にいたる日本のクイズ史をまとめたいまのところほぼ唯一の文章であり、クイズを考える上で重要な文献となっているという。しかし、その考察は2000年代までの歴史を対象としており、その後の変化は語られていない。その空白を埋め合わせてクイズ史を更新するという意図が、この対談にはある。
クイズ史の難しさ
クイズ史の間隙を埋める刺激的な内容を目指したにもかかわらず、業界内では反響が少なかったと徳久は漏らす。伊沢はその理由について、クイズプレイヤーの関心はプレイそのものを向いており、歴史には興味が薄いからではないかと述べた。徳久も同意し、クイズに関する先行文献が少なく、資料も散逸している状況だと語る。 クイズと一口にいっても、テレビのクイズショーから競技クイズまでその範囲は広い。とくにマイナーな「競技クイズ」の歴史をたどろうとすると、個人サイトやSNSの書き込みなど、散在する資料に頼らざるを得ない。時間の経過とともにアクセスも困難になる。結果として、クイズ史について語ろうとすると、どうしてもマスメディアでの観点が先行し、本来の多様性が歴史の記述から漏れてしまうのだ。
異なるクイズ史を求める
3人が合意したのは、さまざまなクイズの側面を包括的に語り、異なるクイズ史を構築する作業の重要性だ。『ユリイカ』には3人の論考も掲載されており、これらも各人の視点からクイズやクイズ史を眺めたものとなっている。とくに異彩を放つのは、早押しクイズを行うときの意識を現象学的に解明しようとした田村の論文「予感を飼いならす」だろう。田村は大学で哲学の道に進み、現在は東京大学東洋文化研究所特任研究員として、おもにメルロ゠ポンティの研究に取り組んでいる。 早押しクイズにおいて、すぐれたプレイヤーは問題をほとんど聞かずとも答えを導き出してしまう。これはなぜ可能なのか。田村はテレビ番組の1シーンを手がかりに、この疑問を解いていく。事実、伊沢や徳久は、調子がいいときは問題文の途中で答えが「見え」るという。一見神秘的に感じる話だが、田村はこの「予感」ともいえる現象を、ヒューバート・ドレイファスの議論を援用しつつ学問的に解明していく。しかもそのメカニズムは、ドレイファスの議論をも超克する可能性があるという。クイズから、思想や哲学について新しい知見が開ける可能性もあるのだ。
番組URL= https://genron-cafe.jp/event/20200907/