経済から学ぶ社会の見つめ方──飯田泰之 × 井上智洋 × 松尾匡「いまあらためて、貨幣とはなにか?」イベントレポート
『経済学超ブックガイド』で知る「経済の考え方」
イベントは、登壇者3名が編著者を務めた『教養のための経済学 超ブックガイド88』の紹介からスタートした。 この本の大きな特徴は何か。 それは、経済が、抽象的な理論ではなく、生活に密着した具体的な問題として語られていることにあるという。同書で並ぶ「格差」、「地域経済」、「高齢化」などのテーマは、一般の人でも身近に感じられるものだ。多くの大学で入門者向けに「ミクロ経済学」や「マクロ経済学」などの科目が設置されているが、井上が指摘するように、抽象的な理論を通しての入門は多くの大学生にはハードルが高い。初学者が身近に感じられる入門書を目指す。それこそがこの本の目的だ。 松尾は、同書を経済学部の学生だけでなく、むしろ経済学に興味がない一般の人にこそ手にとって欲しいと述べる。日々直面する多くの具体的な問題に対して、経済学者はどう考えるか。その「経済学の考え方」を学べることも、同書の特徴の一つだ。
コロナ禍での経済対策
著書の紹介を終えたあと、議論はコロナ禍における日本の経済対策の分析・評価へと移っていった。 松尾は、コロナ禍以前より進んでいたネオリベラリズムの傾向が、コロナ禍をきっかけにさらに進行していると見解を述べた。多くの中小企業が休業要請などの影響で困窮しているが、現在の日本政府の対応は中小企業を守るのではなく、むしろ淘汰する方向に進んでいる。その背景には、競争原理による新陳代謝が社会に有益だと考える人々の存在があるのではないか。 飯田はこの発言を受け、コロナ禍に乗じた「創造的破壊」を述べる人々のロジックは、製造業的な古いモデルに基づいていることを指摘した。製造業のような物理的空間を必要とする産業では、土地などの資源が限られていたために、その資源の奪い合いという形で新陳代謝が機能していた。けれども、情報社会化が進み非物理的空間を主とする産業へのシフトが起きたいま、その考え方は意味がない。つまり、「創造的破壊」を述べる人の多くは、現在の状況を見ないまま、経済について自説を展開しているだけなのではないか。そのような意味でも、混迷する日本や世界を冷静に見つめ直すために、「経済学の考え方」を把握する必要がある。
貨幣とはなにか?
もうひとつのテーマである「貨幣とはなにか?」。実は松尾は前半のみの登壇が予定され、このテーマについては議論しない予定だった。しかし議論が盛り上がっていたこともあって、急遽後半の登壇が決定。後半は、松尾が専門とする「マルクス経済学」における貨幣のあり方についての議論からスタートした。 松尾は、具体的な労働が投影された抽象的な存在こそが貨幣の本質だとする。その立場に立つと、貨幣が紙幣に変化し、そして仮想通貨のような情報へと変化したことは、マルクスの資本論と相違するわけではなく、具体物が純粋に抽象化されていった当然の結果だといえるという。 他方で井上や飯田は、貨幣が商品のように扱われる中で貨幣の優位性(非対称性)が生まれたとする貨幣商品説や、貨幣がある権力下での「約束」によって成立したとされる貨幣約束説、あるいは岩井克人による貨幣論など、貨幣の起源に対する様々なアプローチを紹介した。貨幣の起源は複雑で、一つの要因に決定することは難しい。 井上は飯田の『日本史に学ぶマネーの理論』を参照し、実際の歴史では単一の貨幣論では捉えられず、時代ごとの権力機構や産業構造に依存して様々な貨幣論に相当する貨幣システムがごった煮で存在していたと考えることが、最も現実に近いのではないかと指摘した。つまり、様々な貨幣論を組み合わせたものが、現実の社会なのである。逆にいえば、「貨幣とはなにか」を考えることは同時に、その社会を分析するということにもなるのではないだろうか。