「二級市民」という立場 イスラエルの日常、ときどき非日常(9)|山森みか
前回の「第六次ネタニヤフ政権発足──揺れるイスラエルのユダヤ人社会」では、過激な宗教右派と連立を組み、2022年末に発足した第六次ネタニヤフ内閣が進めようとしている司法改革と、その賛否を巡ってイスラエル国内のユダヤ人の間で対立が激しくなっている状況を紹介した[★1]。今回は、この司法改革の推進にあたって政権側が張ったキャンペーンで用いられた、「私たちは二級市民」というキャッチフレーズについて考えてみたい。それに関連する事柄として、ユダヤ人の中にあるアシュケナジ(ヨーロッパ系)とセファルディ/ミズラヒ(北アフリカ/中東系)というカテゴリーについて、まず紹介しよう。
ユダヤ人の中に、宗教規定を厳格に守る超正統派、ある程度守る伝統派、さほど気にしない世俗派等、宗教への関与の度合いを軸としたグループがいくつかあることはこれまでに折に触れて述べてきた。それとは別に、出身地によるカテゴリーも存在する。その代表的なものが、アシュケナジ、セファルディ、ミズラヒである。
アシュケナジのユダヤ人と、セファルディ/ミズラヒのユダヤ人の間の対立、より端的に言えばアシュケナジによるセファルディ/ミズラヒに対する蔑視は、イスラエルが1948年の建国当初から抱える問題であった[★3]。アシュケナジのカテゴリーに入るユダヤ人は確かにホロコーストの最大の被害者だった。だが彼らは言語も文化も外見もヨーロッパを背景としているため、ヨーロッパが主導権を握っていた近代市民社会においては知的労働に従事し、指導的立場に立つのがふさわしい人々だと考えられたし、実際社会の上層部の地位を独占してきた。一般的に「世界で活躍するユダヤ人」として思い浮かべられる科学者、思想家、音楽家たちは、このカテゴリーに属する人々である。それに対してセファルディやミズラヒの人々の出身地は、ヨーロッパ文化とは距離がある。もちろん中東や北アフリカ出身でも、西欧の植民地だった場所のユダヤ人社会では英語やフランス語が日常語で、西欧式の教育を受けた人々もいる。だがイスラエルに移住するに当たって、彼らが概して不利なスタートを切ったことは疑い得ない。先述したようにセファルディという語にはミズラヒがその中に含まれる場合もあるわけだが、要はセファルディもミズラヒもアシュケナジとは異なる「非アシュケナジ」というカテゴリーに分類されるのである。
文化だけでなく宗教的にも、アシュケナジとセファルディ/ミズラヒではシナゴーグ(ユダヤ教会堂)も宗教的指導者たるラビも区別されている。イスラエルのユダヤ教超正統派政党が、トーラーユダヤ教連合(アシュケナジが支持基盤)とシャス(正式名称は「トーラーを遵奉するセファルディ同盟」、セファルディ/ミズラヒが支持基盤)の二つに分かれているのも、このためである。食文化も異なっており、たとえばアシュケナジが好んで食べるゲフィルテフィッシュ(魚のすり身料理)は、セファルディやミズラヒには苦手とする人が多い。セファルディやミズラヒは香辛料が効いた中東風の食物を好む傾向がある。
そもそも第六次ネタニヤフ政権が進める司法改革は、最高裁判断を国会(クネセット)の多数決で覆すことができるように変更することを主眼としていた。この改革案が出て来た背景には、最高裁の権限が強すぎるのではないかという批判があった。国会で通った法案であっても、最高裁が法律に照らして不適切と判断すれば成立が阻止できるからである。ところが最高裁判事の席はすべて、宗教的には世俗派、政治的には左派、出自はアシュケナジのユダヤ人で占められている。この状況は最高裁の政治的偏りを招いていると指摘されてきた。それ以外のカテゴリーに入るユダヤ人──宗教派、右派、セファルディ/ミズラヒ──は、自分たちの立場や意見が抑圧されていると感じてきたのである。
だが、このままネタニヤフ政権の司法改革が成立して国会がすべての決定権を握るとなると、憲法を持たないイスラエルにおいては、多数決で選ばれた国会議員のポピュリズムに流された政策に対抗する手段がなくなってしまう。イスラエルは今日に至るまで、建国直後の政治的混乱の中で憲法を制定する機会を逸したままであり、憲法制定は今後の大きな課題となっている。憲法の代わりに「基本法」という法律で国家の性格を規定しているのが現状である。現在ネタニヤフは自らの汚職裁判を抱えているため、この改革を強引に進める背景には、それを自分の個人的利益のために用いる意図があると考えられた。現時点では国内の大規模反対デモや、アメリカのバイデン大統領からの圧力等を受け、より穏やかな修正案になる可能性も僅かながら出てきてはいるが、どう帰結するかは予断を許さない。いずれにしてもこの改革案を巡って、ユダヤ人の間に長年燻っていた対立が表面化したのである。
イスラエル建国から75年以上が経過した現在では、様々な社会・教育制度の整備、それに個人の努力や通婚が進んだことによって、確かにアシュケナジとセファルディ/ミズラヒというユダヤ人のカテゴリー間の社会経済的格差は縮まりつつある。その一方で我々が生きている近代市民社会においては、出自にかかわらず、グローバルとは言いつつも、実質的には欧米的教養を身に着け、欧米的慣習に従ってビジネスやその他の活動を展開できる人が評価されるという事実は変わっていない。イスラエルは資源を持たない小国なので、ビジネスは最初から世界市場を意識せざるを得ないという事情もある。社会的に有利な立場を獲得するためには、出自が欧米ではない人々は、欧米的な振る舞いを努力して身に着ける必要がある。そして世の中には、生まれながらにしてそれが身に着いている人、努力して身に着けた人、努力したが身に着かなかった人、身に着ける必要を感じなかった人々が存在する。今現在 イスラエルにおいて社会経済的に低いと見なされる立場にある人々の中に、その理由を出自に由来する差別に求める人がいるのも故ないことではないだろう。ユダヤ人のうち、「自分たちはアシュケナジ(という言葉で象徴されるエリート層)に抑圧されてきた」と感じているセファルディ/ミズラヒなどの人々の声をまとめるに当たって、政権側は「二級市民 ‘אזרח סוג ב」(エズラハ・スーグ・ベート)というインパクトの強い語を用いたのだ。
ユダヤ国家を謳うイスラエルでは、人口比においてマイノリティである非ユダヤ人国民にとって、有形無形の不便があることは間違いない。たとえばユダヤ人であれば親族をイスラエルに呼び寄せることは比較的簡単だが(祖父母の1人がユダヤ人であればイスラエル国籍を付与するという帰還法の適用等)、非ユダヤ人の場合はそうではない。また中等教育までは地域の学校なのでイスラム教であれユダヤ教であれ、それぞれの宗教のカリキュラムや暦に即した教育が為されているが、私の勤務先のような国立大学になると暦はユダヤ暦、使用言語はヘブライ語である。学内設置の飲食店はユダヤ教のカシェル認定を受けたものに限られており、それ以外の業者は営業できない。さらに近年では、イスラエル国内のアラブ人居住地内での殺人事件が急増しているが、加害者と被害者がアラブ人であるかぎり、イスラエル警察はユダヤ人地区で起きた事件のようにきちんと捜査せず放置しているという問題がある。つまりネタニヤフ政権が使った「二級市民」という言葉は、非ユダヤ人にとっては自分たちを指すのであればある程度の裏付けがあるかもしれないが、イスラエルで民族としてマジョリティを占めるユダヤ人に対して用いられるのは、なかなか納得がいかないものであった。
なお、私のようなイスラエル国籍を持たないが永住権を持つ市民の場合は、また別のカテゴリーである。たとえば、地方選挙権はあるが国政選挙権はない。永住権を持つ市民の中にもユダヤ教に改宗した人と改宗していない人が存在し、今後イスラエルのユダヤ国家化が進行すると、非改宗者にはより不利益な政策が強化される懸念がある。
このキャンペーンが始まるとすぐ、「誰がここの真の二級(市民)なのか」[★4]「930万人の二級市民──ただ1人の一級市民」[★5]といった新聞記事が出て、この言葉の用い方に対する批判が展開された。「二級市民」というインパクトのある語を用いて、不当に扱われていると感じている人々の感情をかき立てた政権側の人々は、現政権発足以来、国民の間にある社会経済的格差の解消に向けた努力は何もせず、ただ人々の感情を政争の具に使っているだけだと言うのである。それはそのとおりなのだが、ニュースに流れる映像を見ていると、実際にかなり多くのユダヤ人が、自分たちは二級市民としての扱いしか受けていないと本当に感じているという。その事実に、私は衝撃を受けた。
程度の差はあれ宗教的伝統を重んじ、政治的には右派の姿勢ということは、社会におけるダイバーシティの推進、男女平等、LGBTQの権利尊重には消極的な立場ということである。この考え方は、現在の西欧的市民社会の基準に照らすと分が悪い。彼らは、次のように考えているのだろう。同じユダヤ人であっても世俗派や左派の人々は、非ユダヤ人や女性、LGBTQといったマイノリティの権利擁護には熱心だが、同胞ユダヤ人の宗教派や右派とは真っ向から対立している。
さらには、パレスチナ人による「テロ攻撃」や、ガザやレバノン地域から撃ち込まれるロケット/ミサイル弾への対抗措置が生ぬるいのも、あちら側のカテゴリーの人々(つまり世俗派や左派に属する人々)が自分たちの信念を曲げない、あるいは国際世論に忖度しているからだ。社会的地位がある世俗派や左派やアシュケナジ(という語で指し示される人々)は、攻撃に直接晒されやすく地価が安い国境付近ではなく、テルアビブのような比較的安全な場所に住んでいるから強い対抗措置を採る必要を感じないのだろう。だからいくら選挙で過半数の議席を獲得しても、自分たちの考えを反映した法案は、最高裁判所の判事を独占している左派アシュケナジの判事たちによって、いろいろな理屈で拒否されてしまう。世俗派や左派やアシュケナジたちは最高裁だけでなく、ビジネス、ハイテク業界、軍の幹部、メディア、アカデミアの中枢を掌握しているので、社会の周辺に追いやられている自分たちの主張は、メディアの中でもかき消されている。なぜ世俗派や左派やアシュケナジたちは、ユダヤ国家イスラエルに住んでいながら同胞のユダヤ人よりも非ユダヤ人の方を大事にするのか。
世俗派や左派やアシュケナジと呼ばれる人々にも言い分はある。資源の少ないこの国において、研究や開発、ビジネスを展開し、国を支えてきたのは自分たちである。軍の方針は合理的な戦略に基づいて、外交方針は国際関係のバランスを鑑みて決定されるべきであり、まず理念ありきの政策では国として生き延びることはできない。何よりもまず我々が目指すべきは、宗教的戒律に囚われず、誰もが自由に行動できる平等な近代市民社会ではないか。少なくともそのような自由で平等な社会に生きたいと思っている人々の邪魔はしないでもらいたい。だいたい能力の限りを尽くしてこの国の経済状況を改善し、ひいては税収も増やしてきたのは誰なのか。僅かに数で勝っているからといって何でも主張が通ると考えられても困る。
このような対立を受けて、2023年3月31日に興味深い世論調査の結果が発表された[★6]。問われたのは、仮にイスラエルを世俗国家「イスラエル」とユダヤ教の伝統と宗教を守る国家「ユダ」の2つに分けたとしたら、あなたはどちらの国民になりたいか、という問題である。イスラエルとユダというのは、古代イスラエルにおいて、かつて実際に存在した2つの王国の名称である。古代イスラエル統一王国はソロモン王の死後北と南に分裂し、北イスラエル王国と南ユダ王国になった。この名称の選択は、古代イスラエルの歴史を踏まえて見ると、なかなか趣深い。
調査の結果は、以下のとおり。ユダヤ人の国を2つに分割すること自体への反対は63%。分割支持は16%弱。政権与党支持者(右派)に限ると分割反対は74%、賛成は8%。だが野党支持者(中道/左派)の場合は反対56%、不明18%、賛成25%となり、野党支持者の半数近くは分割に反対ではないという結果になっている。分割した場合に世俗国家「イスラエル」を選ぶのは46%で、宗教国家「ユダ」は30%。与党支持者に限ると世俗国家「イスラエル」は17%で宗教国家「ユダ」は55%。野党支持者は88.8%が世俗国家で、宗教国家を選ぶのは僅か3%であった。
この結果から分かるのは、次のことだろう。与党側すなわち右派や宗教派やセファルディ/ミズラヒといった言葉で表されるグループは、内部に考えが異なる人々がいても、ユダヤ人国家は分裂せず1つであるべきだと考える傾向にある。それに対して野党側すなわち中道・左派や世俗派やアシュケナジという語で表されるグループは、自分たちの自由が脅かされるぐらいなら分裂してもやむなしと考える傾向にある。国家分割というのは非現実的な空想だが、確かに「世俗派ユダヤ人」というのはユダヤ教の歴史においてはかなり新しいカテゴリーであり、その目指すところの自由で平等な民主的市民社会と、ユダヤ教の伝統の折り合いを具体的にどうつけていくのかは、なかなか難問であろう。
今のところ、司法改革の是非を巡って改革賛成派(与党)は反対派(野党)に対して「テロリスト」(イスラエルに攻撃する者の味方という意味)「アナーキスト」(デモによって秩序を乱すという意味)「裏切者」、反対派は賛成派に対して「独裁者」「ビビ主義者」(ビビはネタニヤフの愛称)という非難を投げつけ合っている。必要以上に強い言葉を用いる政治運動は、思いも寄らない結果をもたらすことがある。イスラエル人はぎりぎりのところで絶妙なバランス感覚を発揮する国民性なので、この対立の行きつく先について、私自身はそれほど悲観していないのだが、今後の流れを注視していきたい。
※「webゲンロン」での追記
記事バナーに使用した写真は、テルアビブ大学入口に掲げられたスローガン「次は私たちの番、デモクラシーなしにアカデミアはない」。
「二級市民」側から見ると、アカデミアは敵対すべき「一級市民」側である。一方で国立大学学長たちも反政権の立場を明確に打ち出している。だが大学関係者の全員が反政権というわけではなく、与党寄りの政治的見解を持つ教職員は、自分たちの思想の自由が職場では侵害されていると表明している。
次回は2023年10月刊行の『ゲンロン15』に掲載予定です。
★1 「イスラエルの日常、ときどき非日常(8)第六次ネタニヤフ政権発足──揺れるイスラエルのユダヤ人社会」URL= https://webgenron.com/articles/gb080081_03/
★2 臼杵陽『見えざるユダヤ人──イスラエルの〈東洋〉』、平凡社、1998年、17-18頁。
★3 この事情については、臼杵陽の上掲書が詳しい。
★4 חדר גיל-עד, מי כאן באמת אזרח סוג ב' URL= https://www.ynet.co.il/news/article/s1ktu1o11n
★5 פיני אסקל, 9.3 מיליון אזרחים סוג ב' - ורק אזרח אחד סוג א' URL= https://news.walla.co.il/item/3570621 Walla!(2023年4月5日)
★6 ,מואב ורדי ?ישראל או יהודה: האם הפתרון למשבר הוא שתי מדינות לשני עמים יהודים URL= https://www.kan.org.il/content/kan-news/politic/219408/ Kan (2023年4月1日)
山森みか
イスラエルの日常、ときどき非日常
- 「二級市民」という立場 イスラエルの日常、ときどき非日常(9)|山森みか
- イスラエルの日常、ときどき非日常(8) 第六次ネタニヤフ政権発足──揺れるイスラエルのユダヤ人社会|山森みか
- 兵役とジェンダー(2)
- ホロコーストへの言及をめぐって(初出:2022年10月25日刊行『ゲンロン13』)
- イスラエルの日常、ときどき非日常(5) 兵役とジェンダー(1)|山森みか
- イスラエルの日常、ときどき非日常(4) 共通体験としての兵役(3)|山森みか
- イスラエルの日常、ときどき非日常(3) 共通体験としての兵役(2)|山森みか
- イスラエルの日常、ときどき非日常(2) 共通体験としての兵役(1)|山森みか
- 現代イスラエル人とは誰か(初出:2021年9月15日刊行『ゲンロン12』)