イスラエルの日常、ときどき非日常(5) 兵役とジェンダー(1)|山森みか
初出:2022年9月12日刊行『ゲンロンβ76+77』
今私が住んでいるイスラエルという国は成立ちが複雑で、様々な顔を持っている。国を構成する人々の多様さ、世界最先端のハイテク産業と古代からの伝統文化、出口が見えない紛争の繰り返しと、それとは関係なく営まれる日常生活などがその例として挙げられる。このコラムでは、イスラエル生活における具体的な事象を取り上げることで、日本ではあまり馴染みがないこの国の諸側面、またそこに住む人々の考え方を紹介していきたい。
前回までは、現在のイスラエルには、所属する宗教や文化共同体を基盤とした様々な集団(宗教的ユダヤ人、世俗的ユダヤ人、アラブ人キリスト教徒、アラブ人イスラム教徒、ベドウィン、ドゥルーズ教徒、父親や祖父母がユダヤ人でも母親がユダヤ人でないため非ユダヤ人と見なされる人々)が存在することを紹介した。そして18歳から男女共に課される徴兵制(男性約3年、女性約2年)が、これらの異なるグループに属する人々をイスラエル国民として結びつける役割を果たしていることを述べてきた。
私の2人の子どもたちは、父親はユダヤ人だが母親の私が非ユダヤ人なので「非ユダヤ人」のカテゴリーに入るのだが、18歳から他の若者たち同様兵役に就いた。私たちは世俗的ユダヤ人が多く住む地域に住んでおり、子どもたちも世俗的ユダヤ人向け学校に通っていた。つまり私たちは、世俗的ユダヤ人の文化を共有しているのである。前回は息子の兵役の事例について記したが、今回は娘の場合を紹介し、今後兵役とジェンダーの関係について考えていく端緒としたい。
前回までは、現在のイスラエルには、所属する宗教や文化共同体を基盤とした様々な集団(宗教的ユダヤ人、世俗的ユダヤ人、アラブ人キリスト教徒、アラブ人イスラム教徒、ベドウィン、ドゥルーズ教徒、父親や祖父母がユダヤ人でも母親がユダヤ人でないため非ユダヤ人と見なされる人々)が存在することを紹介した。そして18歳から男女共に課される徴兵制(男性約3年、女性約2年)が、これらの異なるグループに属する人々をイスラエル国民として結びつける役割を果たしていることを述べてきた。
私の2人の子どもたちは、父親はユダヤ人だが母親の私が非ユダヤ人なので「非ユダヤ人」のカテゴリーに入るのだが、18歳から他の若者たち同様兵役に就いた。私たちは世俗的ユダヤ人が多く住む地域に住んでおり、子どもたちも世俗的ユダヤ人向け学校に通っていた。つまり私たちは、世俗的ユダヤ人の文化を共有しているのである。前回は息子の兵役の事例について記したが、今回は娘の場合を紹介し、今後兵役とジェンダーの関係について考えていく端緒としたい。
娘は1994年生まれで、1988年生まれの息子とは年齢差が6つある。娘が最初の出頭命令を受け取った16歳半ばの2011年には、息子は既に兵役の義務年限を終えていた。とはいえまだ所属部署との縁が完全に切れたわけではなく、年に1度はごく短期間の予備役に就いていた。前回述べたとおり息子の所属先は、詳細は不明ながら情報部のとある部署である。だから、予備役と言っても他の部署のように否応なく長期間召集されるわけではなく、現役兵が帰省しがちな祭日期間などにアルバイトのような感覚で数日行くだけであった。
子どもの頃から理工系に関心を持ち、高校での専攻もロボット工学だった息子とは異なり、娘はピアノ実技と芸術を専攻していた。もともと音楽や芸術に関心を持つような若者と兵役制度との相性は、それほどよくはない。とりわけ戦闘部隊を志望するような人は極めて少ないのが実情である。軍の中にも音楽が続けられる部署はあるのだが、そこに入るには実力はもとより強力なコネが必要だという噂があった。軍が運営するラジオ局(発足当初はともかく、今では軍内部での連絡やプロパガンダに特化しているというわけでもなく、報道メディアとしてのレベルはけっこう高い)や広報、写真撮影技術が必要とされる部署がそういう若者の受け皿になっているらしいが、狭き門だと言われている。よって音楽や芸術を専攻する若者は、自分の得意分野が生かせず誰でもできるような後方支援の事務仕事に2、3年を費やすのは時間の無駄だという考えから、様々な手法で兵役に就かない選択をすることが多い。
娘には、特に軍で何かをやりたいという希望はなかった。だが何となく兵役を避け、音楽や芸術分野でキャリアを積み続ける若者たちに対しては、批判的な感覚を持っていた。それは兵役を避けるという行為そのものというよりは、自らの才能や立場を一種の特権的なものと見なし、大多数の若者の人生とは一線を画すような、彼らの一部が持っている態度に対する反感だったのかもしれない。特権意識の有無にかかわらず、世の中には、どうやっても兵役制度や共同生活には適応が難しいタイプの人間がいる。だが私の見たところ、娘は少しがんばりさえすれば、短期間の兵役には何とか適応できそうであった。
最初の出頭命令時に部署振り分け適性検査のため行われた筆記試験の後、娘にも息子と同じく情報部から勧誘が来た。軍の特定の部署から勧誘が来た場合は、それを受け入れるか否かを早急に決めなければならない。勧誘を受けてもその部署にすんなり行けるわけではなく、その後何段階もの選抜課程が待っているのは、息子の時に経験済みである。前回書いたとおり、当時においては、パイロット養成コースと情報部が優先的に採りたい人を自分たちの部署にリクルートできることになっていた。情報部といってもいろいろな仕事があるだろうが、とにもかくにも、それなりに社会的に認められたコースであることは間違いない。「社会的に認められた」というのは、一口に兵役と言っても所属していた部署によってその後の人生に影響する場合があるからである。
子どもの頃から理工系に関心を持ち、高校での専攻もロボット工学だった息子とは異なり、娘はピアノ実技と芸術を専攻していた。もともと音楽や芸術に関心を持つような若者と兵役制度との相性は、それほどよくはない。とりわけ戦闘部隊を志望するような人は極めて少ないのが実情である。軍の中にも音楽が続けられる部署はあるのだが、そこに入るには実力はもとより強力なコネが必要だという噂があった。軍が運営するラジオ局(発足当初はともかく、今では軍内部での連絡やプロパガンダに特化しているというわけでもなく、報道メディアとしてのレベルはけっこう高い)や広報、写真撮影技術が必要とされる部署がそういう若者の受け皿になっているらしいが、狭き門だと言われている。よって音楽や芸術を専攻する若者は、自分の得意分野が生かせず誰でもできるような後方支援の事務仕事に2、3年を費やすのは時間の無駄だという考えから、様々な手法で兵役に就かない選択をすることが多い。
娘には、特に軍で何かをやりたいという希望はなかった。だが何となく兵役を避け、音楽や芸術分野でキャリアを積み続ける若者たちに対しては、批判的な感覚を持っていた。それは兵役を避けるという行為そのものというよりは、自らの才能や立場を一種の特権的なものと見なし、大多数の若者の人生とは一線を画すような、彼らの一部が持っている態度に対する反感だったのかもしれない。特権意識の有無にかかわらず、世の中には、どうやっても兵役制度や共同生活には適応が難しいタイプの人間がいる。だが私の見たところ、娘は少しがんばりさえすれば、短期間の兵役には何とか適応できそうであった。
最初の出頭命令時に部署振り分け適性検査のため行われた筆記試験の後、娘にも息子と同じく情報部から勧誘が来た。軍の特定の部署から勧誘が来た場合は、それを受け入れるか否かを早急に決めなければならない。勧誘を受けてもその部署にすんなり行けるわけではなく、その後何段階もの選抜課程が待っているのは、息子の時に経験済みである。前回書いたとおり、当時においては、パイロット養成コースと情報部が優先的に採りたい人を自分たちの部署にリクルートできることになっていた。情報部といってもいろいろな仕事があるだろうが、とにもかくにも、それなりに社会的に認められたコースであることは間違いない。「社会的に認められた」というのは、一口に兵役と言っても所属していた部署によってその後の人生に影響する場合があるからである。
山森みか
大阪府生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。著書『古代イスラエルにおけるレビびと像』、『「乳と蜜の流れる地」から――非日常の国イスラエルにおける日常生活』、『ヘブライ語のかたち』等。テルアビブ大学東アジア学科日本語主任。
イスラエルの日常、ときどき非日常
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