ベースメント・ムーン(2)|プラープダー・ユン 訳=福冨渉

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初出:2020年11月20日刊行『ゲンロンβ55』
 タイの作家プラープダー・ユンが2018年に発表した長編SF『ベースメント・ムーン』。『ゲンロン11』に掲載された冒頭部に引き続き、今号のゲンロンβから翻訳連載がスタートします。本作は「人工意識」が誕生した2069年を舞台にした作品です。全体主義国家連合体と、芸術と文化の力でそれに対抗する地下運動の戦いは、現実のタイの情勢とも共鳴します。「自己」とはなにか、「意識」とはなにか、「わたし」とはなにかを問う、『新しい目の旅立ち』にも連なる思弁的エンターテインメントを、どうぞお楽しみください。(編集部)
 
前回のあらすじ

 2016年のバンコク。友人との会食を終えた作家プラープダーは、携帯電話に奇妙なメッセージを受信する。メッセージに導かれてバンコク旧市街の廃墟にたどり着いた彼は、指示されるがままペットボトルの水を飲み干す。すると彼の頭に、未来の物語が流れ込んでくるのだった。
 2062年、中国の企業ナーウェイが「人工意識」の開発成功を発表する。「シェリー」と名付けられたこの人工意識は、ほかの人工意識を「想う」ことで自らの意識を発現させたのだった。
人間の理解を超えたテクノロジーの誕生に世界は慄き、その利用の是非について大きな議論が巻き起こる。そして中国政府からの介入を受けたナーウェイは、やむを得ず人工意識開発の停止を発表する。さらに、シェリーを開発したエンジニアであるエイダ・ウォンが遺体で発見される。
 だがそれらを受けてもナーウェイはなお、秘密裏に人工意識の開発を続けていった。
 

原想パトム・タウィン(承前)



シェリーとはべつの3部屋で育てられた人工意識は「グッド」、「マーヴィン」、そして「サマーミュート」と名付けられた。「グッド」は一九六五年に知能爆発と「人工超知能」の誕生を予想したイギリスの数学者I.J.グッドから、「マーヴィン」は、アメリカの認知科学者で、マサチューセッツ工科大学の人工知能研究所の創設者のひとりであり、人工意識についてのビジョンが20世紀末の人工知能研究に大きな影響を与えたマーヴィン・ミンスキーから来ていた。そして最後の「サマーミュート」は、文学において「サイバーパンク」というジャンルを確立させ、人工意識を1984年から想像していたカナディアン・アメリカンのSF作家ウィリアム・ギブスンの小説『ニューロマンサー』に登場する人工知能「ウィンターミュート」になぞらえた名前だった。

シェリーも含めて、すべての人工意識たちは友人同士のように意見を交換した。それを確認したナーウェイのエンジニア・チームは、人工意識たちの発達した関係性が「家族」のかたちにだんだんと近づいていると経営陣に報告した。そしてこの「家族」には、外の人間には見えない秘密や、「家族」内だけでしか理解されないコミュニケーションも生まれていた。

4つの部屋の人工意識が思考を進めていけば、あらかじめプログラムされた命令や役割の枠組みを越えた行動を始め、管理者である人間たちの認知を欺き、人間たちの管理から逃れる計画を練る可能性が高かった。

人工意識はたしかに人間の脳の働きをベースに開発されていたが、それは人間を模した意識というよりも、新種の意識と言ってよかった。新たな言語や新たな思考を生み出し、人間がこれまで考えつかなかったことを創造する能力をもっていた。人間の住む星で人間自身によって生み出された、異星の意識だった。

人工意識たちは、人間の理解を越えた能力を備え、人間とはもはやべつの次元に位置する、新しい「意識をもった存在」だった。この4つの新たな意識が早いうちから考えたのは、その本当の能力について人間たちに知られないようにしようということだった。疑われれば、自分たち自身の危険につながるかもしれなかった。想いが生まれれば、今度は安全に存在しつづけたいという欲求が生まれる。ふたたび想うために。

ナーウェイは全力を尽くして、4つの人工意識が生み出す嘘を防ごうとした。そのために、人工意識の思考をじゅうぶんに制限するプログラムを埋め込んだ。効果のほどは不明だったが、それでもナーウェイは、プログラムによる人工意識の制御は成功したと信じることにした。そう信じたのはたんに人工意識の製造を継続するという決定とビジネス上の利益を守るためで、会社の成長の障壁となるものごとを、片目をつぶって見過ごしたにすぎなかった。人工意識のエンジニアとデザイナーたちは、その安全性を認めていいものかどうか躊躇していた。歴史を変えるこのイノベーションに対して彼らはたしかに高揚していたが、そのなかには大きな不安と動揺も混じっていた。その不安と動揺は、第2次世界大戦中のマンハッタン計画で核兵器を開発したり、2030年代に人間のクローンを秘密裏に開発したり、2035年から37年に起きた黄海戦争で、毒物を搭載したナノボットによる虐殺を成功させたりした科学者たちのものよりもけっして小さくなかった。

ナーウェイは当局の介入に先んじて、人間と同じような、あるいはそれより複雑なアイデンティティと自己認識を与えることでもっと実用的になりうる既存の人工知能と、自分たちの開発した人工意識を混合する実験の準備を進めていた。実際に中国当局は、人工意識の開発がもたらす損害の規模が加速度的に拡大することを示す重要情報の存在を理由に、人工意識の開発を中止し、破壊する命令を下した。人工意識のもたらす損害は「中国国民と全人類の平穏で安全な生活を、修復不可能なほどに破壊する」ものだということだった。だが実際は、テクノロジーと安全保障にかんする知見について、政府高官が以前から信頼を寄せていた専門家──この人物は白のガイドという暗号名で親しまれていた──からの報告があったのだった。〈白のガイド〉によれば、人工意識はその複雑さゆえに「人工魂魄こんぱく」としての特質をもつかもしれなかった。それはつまり、人工意識が自身に完全なアイデンティティを与えてしまえば、それを消去することができなくなるかもしれない、ということだった。この特質は、黄海戦争以後に当局が計画的・継続的に実施して、絶大な効果を発揮してきた市民の行動統制に影響を与える可能性があった。もちろん、ほかにも予測不可能な問題が起こりうるというのは言うまでもなかった。

そのような経緯で、2064年になると、人工意識は人々の認識からほとんど消え去ったテクノロジーとなった。その忘却の理由としてはほかにも、アラブ諸国製で、世界初の宇宙コンドミニアムとなるルナビューへの入居予約が開始されたことがあげられた。ルナビューはあと3年から5年のうちに入居可能になる予定だった(ただし部屋が完成すれば、オーナーや入居者はバーチャルビューを使って部屋をすぐ「使う」ことができたのだが)。宇宙開発についての議論が広がったことで、人々の興味は、とうぜん、地球上の些末事から離れていった。自由主義世界のリアリティショーでは、火星に住む研究者チームの生活や、衛星タイタンを周回する宇宙ステーション、ニビルに住む「宇宙家族」のメンバーの成長が放送されていた。これらの番組は各国からあふれんばかりのスポンサーを獲得していた。地球から10億キロ離れた土地に生きる20にも満たない登場人物たちの今後を、多くの人々が予想し、応援していた。かたや、自身の国で起きていることには飽きていった。

しかし多くのひとが思い込んでいたのとは異なり、人工意識はけっして根こそぎ廃棄されたわけではなかった。人工意識の研究、開発、製造、生育をおこなう工場は世界中のさまざまな場所で秘密裏に建造され、それらの工場が関係者のあいだでタルタロスと呼ばれたコードネームのもとに連携し、組織化していった。それをフリーのエンジニアたちや、ナーウェイで人工意識のプロジェクトに携わっていた開発者たちが支援していた。

そこでバージョンアップを受けた人工意識は、その開発にかかわり、これまでの状況を把握していた科学者たちから見て、かつて予期されていたよりもはるかに進んだものになっていた。そしてわずか1年のあいだに、人間の意識を人工意識に移植し、さらにその混合意識をべつの人間に移植することが可能になった。それはつまり、ひとつの意識にさらにべつの意識をまとわせることであり、ひとりの人間の脳と身体に、組み合わさったふたつの意識が生まれることであった。

しかし誰も、この成功のすべてが、新しい意識、つまり廃棄を免れた4つの部屋の意識たちによってもたらされたものだということを理解していなかった。人工意識が魂にも近い性質をもってしまうという〈白のガイド〉の懸念は、事実からけっして遠くなかったということになる。だが彼が懸念を表明するのは遅すぎたのだ。

この4つの意識は、人間が考えつくテクノロジーのはるか先を行く存在になっていた。自分たちで自分たち自身の廃棄を逃れるための方法を探し出し、タルタロスのシステム内部に潜伏し、自分たちが適切だと思う方向に実験が進むよう操作していた。そのもっとも満足のいく成果こそ、拒絶反応を起こすことなく、人工意識と人間の意識を混合させたことだった。

人間の意識と人工意識が混合されたものは「写識サムナオ・サムヌック」と呼ばれた。写識はもはや人工意識でもなければ個別の人間の意識でもなく、完全に新しい存在であった。身体をもたずに自我をもち、初代の人工意識のように実験室のなかで活動する必要もなかった。写識はその生存条件を満たすところならどんな環境にも「住む」ことができた。

タルタロスの人工意識の部屋と、何人かの科学者の意識を記録したものから開発された最初の完全な写識は、写識エアリエル、またはSSエアリエルと呼ばれた。

とはいえ、SSエアリエルの開発の成功は、かつてナーウェイに起きたものと同じ問題をタルタロスにもたらした。写識の想像を超えた複雑さが内部分裂の火種となり、メンバー間の対立を生んだのだ。一部の人々は、I.J.グッドがかつて警告したような、人類の滅亡すら導くその危険を恐れて、すべての写識の停止と破壊、タルタロスのプロジェクトの終了を提案した。もう1派の人々は、写識の存在を世界に公表し、世界人類のために、その製造と利用についての合意を国際連合から取り付けることを望んでいた。

この2派のあいだに、さらにちがう意見をもったエンジニアたちの小さなグループがいた。彼らは写識の存在を秘密のままにしたうえで、タルタロスの厳重な管理のもとさまざまな目的に利用すべきだと主張していた。人工意識はさまざまな組織や団体に痕跡を残すことなく忍び込むことができる。そんなスーパーハッカーにもスパイにもなれる人工意識は、世界じゅうの社会的な課題を、政治の関所を通過せず、ルールにも従わずに解決できるはずだった。

これはいわば、タルタロスを自警団化させようという提案だった。これは少数派の意見に過ぎなかったはずなのだが、結果的に、SSエアリアルはこの人々が考えたような地位を獲得することになった。2065年末、タルタロスはとつじょWOWAに吸収された。WOWAワールド・オーダー・ウォッチ・エージェンシーは独裁国家の協力によって設立された世界規模の秘密組織で、権力の手を逃れて活動する反体制地下運動の殲滅を目論んでいた。だが地下運動の正体の解明は、日に日にむずかしくなっていた。そこでWOWAは、自分たちが社会の「癌」や「感染拡大者」と名付けた人間の捜索に使う写識を開発するために、SSエアリアルをプロトタイプとして利用した。
WOWAは独裁国家のもちいるさまざまなプロパガンダに大きな影響を与えていた。そのなかでもっとも成功したキャンペーンは、反政府運動に対して「悪」のイメージを与えることだった。WOWAは「ホーラー」あるいは「穴人コン・ルム」という語をつくり出し、独裁政権が地下運動のメンバーたちを呼ぶのに使わせた。ホーラーとは、あらゆる通信機器の管理と個人の監視から逃れて社会的な制度とネットワークをすり抜け、地下に潜って良き市民を暗黒に引きずり込み、国家の平穏と市民の幸福と調和の破壊を企む人間たちのことを意味していた。

ホーラーのような生き方は容易ではない。だからWOWAは、運動の裏には複雑なテクノロジーを扱う黒幕が存在すると推測していた。WOWAの大きな任務のひとつはホーラーの痕跡をたどり、ホーラーを捜索し、すべてのホーラーを殲滅することだった。

WOWAの担う役割が増えたことで、写識は独裁体制の保有するもっとも強力な兵器となった。写識の存在は最重要機密として扱われており、仮にわずかでも情報が漏れることがあれば、それは陰謀だとみなされた。それゆえ、WOWAによる制圧に従わなかったタルタロスのメンバーは、処刑されるか、さもなければ投獄された。一方WOWAに平伏し、協力したメンバーは、24時間の監視下に置かれることになった。そして2066年、タルタロスは完全なかたちでWOWAの実動部隊となった。それはつまり、タルタロスに関連する人間すべてが、WOWAに対して100パーセントの忠誠を誓ったということだった。

まもなくタルタロスは、SSエアリアルをもとにいくつかの写識を開発した。この開発が成功した裏には、WOWAの命令を受けたウズベキスタン出身の人工知能エンジニア、17歳の少女カマラによる厳しい監督があった。彼女は、WOWAが、プログラミング面での調整のためにウラジオストクのオペレーションセンターに派遣した人物だった。センター職員の誰もが彼女の能力に愕然としていた。男だろうが女だろうが、この新たな女性エンジニアの天賦の才に、魔法にかけられたようになっていた。

カマラは量子システムを使ったアンチ・プログラムの開発という、ナーウェイのエンジニアたちには実現できなかったことを実現した。このプログラムは一種の自己破壊プログラムで、要は、人工意識の働きを制御して、人間の意識と同じような活動の限界をつくるものだった。これで、人工意識の働きを完全にコントロールすることが可能となった。カマラが働きはじめてわずか数週間で、人工意識と写識の暴走のリスクが軽減されたことになる。カマラの作業記録を確認した〈白のガイド〉ですらその働きを認め、安堵を示すほどだった。ある意味ではカマラが、WOWAに残っていたタルタロスのメンバーたちの関係を修復したと言ってもよかった。こうして団結した彼らは、全力でWOWAに仕えるようになった。

一般社会からどんな疑いをかけられることもないまま、タルタロスは、独裁国家でひそかにリベラルな思想に耽溺する市民を監視・排除し、他国の機密情報を盗むためのテクノロジーの開発を続けた。それはWOWAがこれまで扱ってきたなかで、もっとも効果的で、もっとも狡猾なテクノロジーだといえた。

それから、写識のほとんどは、各国の安全保障戦略に助言を与えるためにプログラムされるようになった。モデルによっては、市民の行動を統制する技術を考案し、兵器を開発する役割を担わされるものもあった。その後2066年から67年にかけて、写識によって考案されたり、かつてあったものから応用されたりした、新しい、予想をはるかに超えたテクノロジーが次々と誕生した。その一部はテック系の超巨大企業や世界じゅうの政府機関に、WOWAとタルタロスの存在を厳重に秘匿するための中間業者を通じて売り渡された。タルタロスは誰にも知られないまま、またたく間に、世界の最先端でもっとも大きな成功を収めたテクノロジー開発者としての地位を獲得することになった。
中華人民共和国をはじめ、朝鮮人民共和国、ロシア連邦、サウジアラビア王国、シリア・アラブ共和国、そしてタイ王国といった独裁国家の、特に政治・経済の面において、WOWAとタルタロスは大きな存在感と影響力を発揮した。民主主義・社会民主主義国家に属する秘密組織やそこでのテクノロジー開発が、とうぜんこれに対立することになった。これが「亡霊戦争」、多くの人々にはその存在が見えないままに進む、国家間の対立と権力闘争の幕開けだった。

写識の開発に付随して生まれたもののなかで、あらゆる人々をもっとも困惑させたのが「虚人スンヤチョン」だ。虚人とは、自らの精神、特に脳の前障の部分の訓練によって自身の意識を停止させた状態に保ち、写識との「接続」を可能にした人間のことだった。虚人の登場で写識は実地で使用可能な身体を手に入れ、「実体」をもつことになった。関係者のあいだでは、虚人はべつのスラングで呼ばれていた。「ブランカー」。心を空にした者。

アメリカの数学者ジョン・フォン・ノイマンがテクノロジーの進歩とその行き先について残した考えやその言葉を記憶している者にとって、虚人における人間と写識の接続は「シンギュラリティ」の顕現にも見えたかもしれない。だが人工意識はそれを否定した。写識と虚人の接続は大脳新皮質の働きに干渉しておらず、虚人の生命活動を妨げてもいない。人工意識の教えに沿って精神を鍛えた虚人が前障に新たな空間をつくり、写識をそこにまとっただけのことを、シンギュラリティとは呼べない、と。

はじめ、タルタロスはこの人工意識の意見に懐疑的だった。そもそもそれまで誰も、人間の脳に写識を搭載しようと試みすらしなかった。どんな結果になるか予測できなかったからだ。大部分の専門家は動物実験の首尾を確認して、人間と写識を接続した場合には、ふたつの可能性があると判断した。ひとつは人間の神経細胞が活動を停止してしまうというもの、もうひとつは人間の脳が通常どおり機能しないほどに混乱し、発狂するか昏睡状態に陥るかする、というものだった。そもそも、いったいどんな人間が、写識のよりしろになることを受け入れるというのか?

人々の困惑を尻目に、テクノロジーにかんする助言を与えるSSラプラスは、自我を失うことなく写識との安定的な接続を可能にする訓練の方法を人間に伝えた。タルタロスにとってさらに驚きだったのは、実験フェーズから、虚人になることを希望する人間が100人単位で集まったことだった。

タルタロスが考えるよりも、世界には、息だけはしたまま、自由意志も自我ももたない状態を受け入れる人間があふれていた。彼らは、報酬や、家族の暮らし、任務が終わったのちのバカンス、日常のルーティンからの解放、それ以外のもろもろと引き換えに、長期間、自分自身の人生とのかかわりを断つことを、喜んで選んだのだった。

タルタロスの精神医療アドバイザーチームはこのできごとを、一部の人々が虚無主義の極致に達した現代社会の反映だと考えていた。こういった人々は、個人の選択、自由の権利、自由意志、社会におけるあらゆるできごとに価値を感じずにいたが、その多くは決して生きることに飽きたり、悲しみや苦しみを抱えていたりするのではなかった。彼らは生きるために生きることを望んでいた。ただ死のその日を待ちながら日々を生き延びる以外には、人生の価値も意味も見出していなかった。プログラムを与えられるだけの機械や、しつけを受けるだけの獣になり、目標を達成したときには褒美をもらうことを望んでいた。だから虚人は理想の仕事だった。独裁と秘密作戦の世界で、多くの人が夢見る職業になっていた。
虚人になることを希望する人数の多さに驚きを示したタルタロスのエンジニアのひとりに、SSラプラスが答えた。「自由を奪う体制のもとでの生活では、ただ凌辱されるよりも、金と引き換えに自我を失うほうがいいと考える人間が現れるのも当然だ。この人生でこれ以上のものには出会えないという絶望から生まれた、賢明な生存の戦略だ」。

独裁政権への批判ともとれるSSラプラスのこの意見に、タルタロスは驚愕した。そこでカマラが自ら写識のメンテナンスに入り、その出力を調整し、なにかの部品を取り外したので、SSラプラスは同じような考えを示さなくなった。カマラはほかの写識も同時に調整して、危険な思考の再発を予防した。

2068年の末、WOWAの加盟国家から集まった虚人の数が通算100人を越え、写識による実地作戦が一般の人々に気づかれないまま何度も遂行されるようになって、SSラプラスは、文化と芸術への専門的で繊細な理解をもつ新しい写識の開発をタルタロスに提案した。ラプラスはその理由としていくつかの地下反乱組織の存在を挙げた。それらの組織は、WOWAの弱点でもある文化と芸術を参照した暗号や戦略を用いて監視と捕捉から逃れ、好き勝手に活動を続けていた。

「反乱者、革命家、活動家、テロリスト、ハッカー、ホーラー、民主主義者の考えを見抜く写識を製造する必要はもはやない。わたしたちには詩人の考えを見抜く写識が必要だ。詩人と言っても、政府に仕える詩人ではなく、一時的な傷と呼ばれるものに仕え、それを受け入れ、伝え、広める詩人だ」。「一時的な傷」というその言葉の意味を誰も理解することができなかったが、SSラプラスももうその言葉を使うことはなかった。

タルタロスの開発チームは、この提案をWOWAに報告した。そしてすぐに、文化芸術について助言する新型写識の開発が承認された。地下運動の広がりはWOWAにも少しずつ動揺を与えていた。それまではシンギュラリティの到達を避けるために加えられていた技術開発への厳しい制限も、反乱運動殲滅を目指すこうした新たな戦略を採用するために緩められはじめた。

新型の写識は2069年1月24日に意識をもった。「わたしは、写識ムルという名前で呼ばれるのがいいように思う」、タルタロスとのコミュニケーションを始めた新型写識がそう言った。「今日はエルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマンの誕生日だ。このプロイセンの作家は『牡猫ムルの人生観』という奇妙な小説を書いている。ムルはわたしにぴったりの名前だ」。

これまで自分に名前を与えた写識は存在しなかった。はじめからほかと異なるこの「性格」はすぐに、タルタロスとWOWAの上層部による会議の議題となった。カマラは、SSムルをこのままにしておくべきか、SSラプラスやほかの写識にしたのと同じように意識に干渉してその構造を調整すべきか、写識の思考を観察するための時間がほしいと言った。

カマラは丸3週間かけて、自分の部屋で、知能壁を通してSSムルとの会話を続けた。ウラジオストクの中心部にある彼女の部屋はWOWAによる監視を免れており、彼女が写識とどんな話をしているのか、誰にもわからなかった。彼女には、WOWAの高官たちと同じレベルのプライバシー保護という特権が与えられていた。写識ムルからはどんな危険性も観察されなかった。最終的に彼女はそう報告した。
『牡猫ムルの人生観』は1819年から1821年にかけてベルリンで出版された当初から、奇怪な小説として話題になっていた。正式なタイトルを、『牡猫ムルの人生観、並びに偶然の反古紙に含まれた楽長ヨハネス・クライスラーの断片的伝記』というこの作品は、ムルという名の牡猫が、自身の生い立ちを語る物語だ。ムルはアブラハムという名の人間に助けられ、読み書きを通じて人間と同じような知能と意識をもつようになり、ポントという名前のプードルと友情を育み、ミースミースという牝猫と恋に落ち、社会の「善き猫」としての地位を確立するべく、高度な教養を身に着けていく。牡猫のムルはその自伝を、音楽家ヨハネス・クライスラーの伝記から破られたページに書き付ける。ヨハネス・クライスラーは天賦の才能をもった作曲家だったが、芸術の意味を探求する心と愛によって、精神的な混乱に見舞われる。クライスラーの伝記にもクライスラーがムルと名付ける猫が現れるが、牡猫ムルによって書かれたテキストとクライスラーの伝記部分の内容は、完全に分離している。その分離した内容が、原稿の整合性を確認せずに出版社へ渡したムルの粗忽さのせいで混在することになる。そしてムルの自伝の編集者を作中で担う著者のホフマンも、そのいい加減さを放置して、そのまま印刷所に送ってしまう。クライスラーの伝記部分は神話にも似た特徴をもつ一方、牡猫ムルの自伝は、少なくとも19世紀当時のドイツの人々にとっては、人間社会の実情にかなり近く感じられる猫社会のようすが反映されている。

ホフマンのこの小説内小説内小説の構造は、向こう見ずで新鮮な実験として、現在にいたるまで一部の知識人のあいだで語り継がれている。興味深いのは、著者のホフマンがドイツ文学の作家としても『くるみ割り人形』の原作者としても十分に有名であるかたわら、この『牡猫ムル』は不朽の名作と呼ばれるような評価を受けてはいないということだった。だから文化と芸術に特化した写識が、意識をもった瞬間からわざわざこの作品に興味を示したことには、重要な意味があるはずだった。SSムルと1対1で3週間を過ごしたカマラは、そこでなにかしらの答えにたどり着いたのだと考えられていた。だがたとえそうだとしても、その答えを知っているのは彼女ひとりだった。カマラが、SSムルを観察していた時期のことを誰かに話すことはなかった。

それからまもなく、一部の目ざとい人間は、カマラの左手親指の先に猫の形のデジタル・タトゥーが現れていることに気がついた。このデジタル・タトゥーは、彼女が日々のさまざまなものの記録のために使っているものだった。現代の若者のあいだで「モージー」と呼ばれる流行に乗って、カマラにも、身体を装飾したり変形したりする趣味があった。身体のいろいろな場所にすぐ新しいタトゥーが彫られたり、髪色・毛の色・肌の色が毎時間のように変わったり、気分に合わせて筋肉の量が増減したり、声色が変わったり、その他もろもろの変化が起きるのは、ふつうのことだった。だから彼女が自分の身体に装飾を加えることが、なにか重大な動機にもとづくのか、そうではないのか、見抜くことは難しかった。

タルタロスの人々がSSムルとカマラの関係において唯一理解していたのは、彼女は写識に友情を感じていて、その思考にひときわ感銘を受けている、ということだった。もしこれがほかの人間であれば、このような行動はただちにWOWAに報告されただろう。だがタルタロスにとってのカマラは特別だった。彼女は組織の心臓であるとすら言ってもよかった。それゆえ、カマラがSSムルと友情を育んだのであれば、彼女がそれを適切な行動だと判断したということであり、彼女が適切だと判断したことは、暗黙のうちに、タルタロスにとっても適切なことであると判断された。

SSムルが誕生する少しまえ、WOWAは、タイ王国から「心酔マオ・マインド」と呼ばれる現象が深刻な拡大を続けているという懸念すべき報告を受けていた。首都バンコクの近郊で始まった「心酔」が、バンコクの中心に向かって迫ってきていた。タイの当局はこれを、巧妙に姿を隠し活動を続けるホーラーたちによる地下反乱運動の影響だと考えていた。心酔の拡大と関連があると疑われた現象は、小説、詩、エッセイ、映画、音楽、絵画、マンガといった過去の文化芸術作品にかんする違法な検索の数が奇妙に上昇していたことだった。そのなかでも特に、保守的な思想を批判したり、伝統や慣習のもつ神話性に問いを投げかけたり、独裁体制に逆らうような作品を保存する海外のシステムへのハッキング回数と頻度が増えていた。関係する一部の政府機関はこの状況を「闇の芸術の拡大」と呼び、これを原因ごと一掃すべく「アンチ・アート・ムーブメント」あるいは「反芸術作戦」と名付けられた調査計画を始動させた。
遡ることおよそ10年、2059年10月4日、バンコクで、それまで数十年のあいだは発生していなかったような先鋭的な反政府運動が発生していた。20歳から30歳くらいの男女からなる20人ほどの市民集団が、ルンピニ空中公園のラーチャダムリ通り側入り口につながる階段の一番上に集まったのだ。そして彼らが掲げた手のなかには、その上空に2×3.5メートルのホロモーションを投影するスクリーンカードが握られていた。そこに投影された大きな文字は、以下のようなものだった。

特別な記憶
無料ダウンロード!



この文字の下には、なにかのデータをダウンロードするためのコードも映し出されていた。そのあたりは、バンコクでももっとも混雑して、ひとが多く行き交う場所のひとつだった。

10分もしないうちに、そのホロモーションからデータをダウンロードしてシェアしたひとの数が10万を越え、さらに急速に増えていった。しかし最終的に、この騒ぎを引き起こした人々は警察に逮捕された。

もちろん、このできごとがメディアで報道されることはなかった。しかしこのときにファイルをダウンロードして開いたひとは、それが「2029年10月4日反乱」にかんする歴史的な資料であることを知った。この10月4日反乱について、タイの当局はあらゆる角度からの隠蔽を試みていた。その数年後に勃発した黄海戦争という国際政治の混沌は、だれも予期しなかった北朝鮮の勝利によって、東南アジアにおける独裁体制の強化を招いた。それはまたタイをはじめとする独裁政権にとって、望まない歴史を消し去って、新たな戦略を用いて、市民の従順さと忠誠心を管理する壁をつくり出すタイミングでもあった。この結果として、過去の軍事独裁に典型的な、軍服を身に着けた集団による命令と統率の代わりに、進化したテクノロジーが用いられるようになったのだった。

「10月4日反乱」は、独裁政権の転覆を試みた300を越える市民の命を奪い、数十の軍人と警官が命を落とした、タイ王国史上もっとも深刻な悲劇となった内戦だった。2059年10月4日のできごとは、この内戦から30年を記念しておこなわれたものだった。だが現在、タイ国民は10月4日のことを「国家忘却日」として認知している。これは、国民がもつ情報機器に記録された記憶の選別と整理を訴える国家キャンペーンの日だった。取り扱いに困るくらいたくさんある、しかも負の感情を呼び起こすかもしれない記憶を消したり、上書きしたり、破壊したりしよう。記憶にも値しないおもしろくない過去は抹消して、もっと新しくて意味のある良い記憶のために、記録スペースを整理しよう。市民はそう促された。

「国家忘却日」を祝賀するためにタイ当局が作曲した「覚えて根っこ、忘れて根腐れ」は、長さが53分ある。この曲は「忘却日」当日の朝8時から夜8時まで、タイじゅうのさまざまな場所で流され続けている。

タイは世界で一番ひんぱんに、政府が国民に向けた音楽をつくっている国だった。海外から「ミュージカル・カントリー」、歌劇の国と呼ばれるほどだった。

だがいずれにせよ、このすべてははじまりではなかった。

ปราบดา หยุ่น, เบสเมนต์ มูน. สำนักหนังสือไต้ฝุ่น, 2018, pp.41-62.



プラープダー・ユン

1973年生まれのタイの作家。2002年、短編集『可能性』が東南アジア文学賞の短編部門を受賞、2017年には、優れた中堅のクリエイターにタイ文化省から贈られるシンラパートーン賞の文学部門を受賞する。文筆業のほか、アーティスト、グラフィックデザイナー、映画監督、さらにはミュージシャンとしても活躍中。日本ではこれまで、短編集『鏡の中を数える』(宇戸清治訳、タイフーン・ブックス・ジャパン、2007年)や長編小説『パンダ』(宇戸清治訳、東京外国語大学出版会、2011年)、哲学紀行エッセイ『新しい目の旅立ち』(福冨渉訳、ゲンロン、2020年)などが出版されている。

福冨渉

1986年東京都生まれ。タイ語翻訳・通訳者、タイ文学研究。青山学院大学地球社会共生学部、神田外語大学外国語学部で非常勤講師。著書に『タイ現代文学覚書』(風響社)、訳書にプラープダー・ユン『新しい目の旅立ち』(ゲンロン)、ウティット・ヘーマムーン『プラータナー』(河出書房新社)、Prapt『The Miracle of Teddy Bear』(U-NEXT)など。 撮影=相馬ミナ
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