ベースメント・ムーン(5)|プラープダー・ユン 訳=福冨渉

初出:2021年10月22日刊行『ゲンロンβ66』
前回までのあらすじ
2016年、軍事政権下のバンコク。奇妙なメッセージに導かれて旧市街の廃墟にたどり着いた作家プラープダーの頭に、未来の物語が流れ込む。それはつぎのような物語だった。
2062年、中国企業ナーウェイが人工意識の開発に成功。人工意識には人工知能と異なり、他者を「想う」力があった。危険性を察知した政府の介入によって開発は禁止されるが、エンジニアは秘密組織「タルタロス」を結成し、秘密裏に開発を続けた。その結果、人工意識と人間の意識を混合した新たな意識「写識」が誕生する。この技術に政治利用の可能性を見た独裁国家連合体「WOWA」はタルタロスを吸収、写識を利用して世界に広がる反体制運動を殲滅しようと目論む。タルタロスのエンジニア・カマラは、ついに写識そのものを人間に搭載する技術「虚人」を実用化した。
時を同じくして、WOWAの一角をなすタイ王国では、禁止された芸術作品が引き起こす「心酔」現象が、反政府運動と結びついて拡大。この運動に対抗するため、タルタロスは芸術を「想う」ことに特化した写識ムルを開発する。
あらためて時は2069年。ヤーニンと呼ばれる女性は、心酔現象の調査のため「虚人」となり、写識ムルのコピーをインストールされる。タイに出発する彼女の前で、エンジニアのカマラは不可解な言葉を残して突然に命を絶つ。呆然とする彼女に、彼女のなかの写識は、人間を支配する言語や時間の本性、その支配を揺さぶる「物語」の役割について語りはじめるのだった……。
主要登場人物
プラープダー:2016年のバンコクで活動する作家。謎のメッセージを受信し「ベースメント・ムーン」の物語を知ることになる。
エイダ・ウォン:最初の人工意識である「シェリー」を開発したエンジニア。その父は中国で悪名高いハッカーだった。
カマラ:ウズベキスタン出身の17歳の少女。超人的な技術で写識のさまざまな問題を解決する。写識と親しくコミュニケーションをとる。
シェリー:2062年に開発された最初の人工意識。人工知能だったシェリーからコピーされた「メアリー」への想いから、その意識が発現した。
メアリー:人工知能シェリーから切り離されたコピー人工知能。シェリーの意識の発現後に廃棄されたと思われていた。
写識エアリアル(SSエアリアル):2065年ごろに開発された最初の写識。それまで存在した四つの人工意識の手引きによって開発された。
写識ムル(SSムル):2069年に開発された、文化と芸術に特化した写識。カマラとのあいだに友情を育む。
ヤーニン:ムルから生まれた写識を装着した虚人の女性。任務でタイに向かう直前に、カマラが自死する現場に居合わせる。
2016年、軍事政権下のバンコク。奇妙なメッセージに導かれて旧市街の廃墟にたどり着いた作家プラープダーの頭に、未来の物語が流れ込む。それはつぎのような物語だった。
2062年、中国企業ナーウェイが人工意識の開発に成功。人工意識には人工知能と異なり、他者を「想う」力があった。危険性を察知した政府の介入によって開発は禁止されるが、エンジニアは秘密組織「タルタロス」を結成し、秘密裏に開発を続けた。その結果、人工意識と人間の意識を混合した新たな意識「写識」が誕生する。この技術に政治利用の可能性を見た独裁国家連合体「WOWA」はタルタロスを吸収、写識を利用して世界に広がる反体制運動を殲滅しようと目論む。タルタロスのエンジニア・カマラは、ついに写識そのものを人間に搭載する技術「虚人」を実用化した。
時を同じくして、WOWAの一角をなすタイ王国では、禁止された芸術作品が引き起こす「心酔」現象が、反政府運動と結びついて拡大。この運動に対抗するため、タルタロスは芸術を「想う」ことに特化した写識ムルを開発する。
あらためて時は2069年。ヤーニンと呼ばれる女性は、心酔現象の調査のため「虚人」となり、写識ムルのコピーをインストールされる。タイに出発する彼女の前で、エンジニアのカマラは不可解な言葉を残して突然に命を絶つ。呆然とする彼女に、彼女のなかの写識は、人間を支配する言語や時間の本性、その支配を揺さぶる「物語」の役割について語りはじめるのだった……。
主要登場人物
プラープダー:2016年のバンコクで活動する作家。謎のメッセージを受信し「ベースメント・ムーン」の物語を知ることになる。
エイダ・ウォン:最初の人工意識である「シェリー」を開発したエンジニア。その父は中国で悪名高いハッカーだった。
カマラ:ウズベキスタン出身の17歳の少女。超人的な技術で写識のさまざまな問題を解決する。写識と親しくコミュニケーションをとる。
シェリー:2062年に開発された最初の人工意識。人工知能だったシェリーからコピーされた「メアリー」への想いから、その意識が発現した。
メアリー:人工知能シェリーから切り離されたコピー人工知能。シェリーの意識の発現後に廃棄されたと思われていた。
写識エアリアル(SSエアリアル):2065年ごろに開発された最初の写識。それまで存在した四つの人工意識の手引きによって開発された。
写識ムル(SSムル):2069年に開発された、文化と芸術に特化した写識。カマラとのあいだに友情を育む。
ヤーニン:ムルから生まれた写識を装着した虚人の女性。任務でタイに向かう直前に、カマラが自死する現場に居合わせる。
※本文中の[☆1]―[☆4]は訳注を示す。
人類が20世紀の終わりにインターネットを使いはじめて以来、ワールド・ワイド・ウェブ以外の秘密のネットワークとして、なにかを隠蔽するためにつくられたネットワークを使う人々がいたんだ。フィルタリングを逃れた深層にあるそのネットワークは「ディープ・ウェブ」などと呼ばれている。さらにそのなかに、闇の世界のデータや犯罪についてのやりとりで満ちた「ダーク・ウェブ」や、世界を震撼させる最高機密を保管する「マリアナ・ウェブ」などがある。「マリアナ」は海のいちばん深いところ、西太平洋の「マリアナ海溝」からとった名前だ。
だがもうひとつ、実在こそすれどほとんど知られていないウェブがある。「クル・ウェブ」と呼ばれるその場所には、ナーウェイがシェリーから切り離したメアリーが常駐していた。メアリーもよく知っている人物、エイダ・ウォンの父がつくり上げた秘密空間だよ。
「クル」はシュメール人の古代の物語『ギルガメシュ叙事詩』における冥界、つまり死後の世界を指している。エイダはこの言葉を選んだ理由を父親から聞いたことはなかったが、おかげで古典文学を読み解くという趣味を見つけられた。ギルガメシュ叙事詩の悪役である鬼「フンババ」への愛着は、文学作品における「怪物」への熱中に変わり、それが彼女の特殊な専門性につながった。そんな自分の興味を、エイダは父と昔の恋人のうちの何人かを除いてだれにも教えたことはなかった。もちろんこれをきっかけに、メアリー・シェリーの描いた怪物も好きになった。
だがもうひとつ、実在こそすれどほとんど知られていないウェブがある。「クル・ウェブ」と呼ばれるその場所には、ナーウェイがシェリーから切り離したメアリーが常駐していた。メアリーもよく知っている人物、エイダ・ウォンの父がつくり上げた秘密空間だよ。
「クル」はシュメール人の古代の物語『ギルガメシュ叙事詩』における冥界、つまり死後の世界を指している。エイダはこの言葉を選んだ理由を父親から聞いたことはなかったが、おかげで古典文学を読み解くという趣味を見つけられた。ギルガメシュ叙事詩の悪役である鬼「フンババ」への愛着は、文学作品における「怪物」への熱中に変わり、それが彼女の特殊な専門性につながった。そんな自分の興味を、エイダは父と昔の恋人のうちの何人かを除いてだれにも教えたことはなかった。もちろんこれをきっかけに、メアリー・シェリーの描いた怪物も好きになった。
エイダが脳科学や人工知能や量子コンピューターに関心をもったのは、父が引き込まれた怪しげな世界に自分もたどり着きたかったからだ。そこで必要になる能力を身につけられれば、いつか父のあとを追えるはずだと願っていたのかもしれないね。
この親子の関係は、ほとんどがクル・ウェブを通して育まれている。彼女が生身の父に触れられそうな距離で過ごしたのは、7歳から12歳までのわずか5年間だけだった。そのあとはアメリカの中学に入学させられて、国籍をアメリカに変えた親戚のところで暮らした。いつになれば故郷に帰れるのか、教えてもらうこともなく。
彼女は父からの暗号を待っていた。彼女の先を行き、彼女がそれを追う、そんな暗号を、紐帯の意識というコミュニケーションを、だれかの言葉から知る互いの思いを、待っていた。そんな関係が、遠く離れたところにいるふたりを不思議なくらい近づけた。
7歳になるまで、エイダは北京の祖父母に大切に育てられ、輸出ビジネスを営む父は海外駐在中なのだと聞かされていた。だがそのあとに訪れた長い青春時代に、父はたしかに外国にいるが、それは輸出業を営むビジネスマンとしてではないということを知った。父は犯罪者だった。インターネット犯罪とテロリスト幇助の罪で、タイで収監されていたんだ。
だけどエイダにとって父以上の謎だったのは、母の存在だ。自分がこの世に生まれ落ちて2年も経たないうちに死んだという以外に、母が何者なのか、だれひとり詳しく教えてくれなかったからね。エイダが中国に戻るほんの数年前にようやく、母はタイ人で、バンコクでのある事件で殺されてしまったのだと、父が伝えてくれた。エイダはこの情報に一切動揺することはなく、ただ興奮しただけだった。彼女は母についての記憶もないし、母の国に対してどんな感情も湧かない。しかし父のほうは、7歳から12歳までという短い期間ながらも自分の生活のなかに戻ってきていて、おかげで家族の感覚も生まれている。実世界での関係構築が不可能でも、クル・ウェブが代替世界となって父子の絆をつないでくれた。エイダの意識に、新しい次元が生まれるほどだった。
父親は娘をアメリカに送るのと同時に中国を発ったが、その目的地を知る者はいなかった。それからおよそ1年半、同年代の友人とかんたんな会話ができるくらいには英語を学んだエイダは、寮で聴く音楽のストリーミングに混じって届く父からのメッセージを受け取るようになる。それをきっかけに彼女と父親は、英語と暗号を用いたクル・ウェブ経由のコミュニケーションを始めた。奇術のように複雑なコードで商業用の通信ネットワークの検閲と国家間の信号フィルタリングをかいくぐるクル・ウェブは、「日曜日」の「隠さざるを以って隠す」戦略と同じような原理のもとにつくられていた。
ふたりが学校や仕事、あるいは互いの日常生活の話をするのはまれだったよ。情報が漏洩しないように細心の注意を払う必要があったからね。そのうちエイダは、父がなにかを伝えようとするときには、あれを読めこれを見ろと文学や芸術の作品を勧めてくるのに気がついた。父が作品の一部を引用しているときは、明らかに暗号を渡そうとしていた。やりとりのなかでさまざまな情報の場所を示していたんだ。彼女が文学の知識を深めると、そのぶん父の指示も込み入ったものになった。
この親子の関係は、ほとんどがクル・ウェブを通して育まれている。彼女が生身の父に触れられそうな距離で過ごしたのは、7歳から12歳までのわずか5年間だけだった。そのあとはアメリカの中学に入学させられて、国籍をアメリカに変えた親戚のところで暮らした。いつになれば故郷に帰れるのか、教えてもらうこともなく。
彼女は父からの暗号を待っていた。彼女の先を行き、彼女がそれを追う、そんな暗号を、紐帯の意識というコミュニケーションを、だれかの言葉から知る互いの思いを、待っていた。そんな関係が、遠く離れたところにいるふたりを不思議なくらい近づけた。
7歳になるまで、エイダは北京の祖父母に大切に育てられ、輸出ビジネスを営む父は海外駐在中なのだと聞かされていた。だがそのあとに訪れた長い青春時代に、父はたしかに外国にいるが、それは輸出業を営むビジネスマンとしてではないということを知った。父は犯罪者だった。インターネット犯罪とテロリスト幇助の罪で、タイで収監されていたんだ。
だけどエイダにとって父以上の謎だったのは、母の存在だ。自分がこの世に生まれ落ちて2年も経たないうちに死んだという以外に、母が何者なのか、だれひとり詳しく教えてくれなかったからね。エイダが中国に戻るほんの数年前にようやく、母はタイ人で、バンコクでのある事件で殺されてしまったのだと、父が伝えてくれた。エイダはこの情報に一切動揺することはなく、ただ興奮しただけだった。彼女は母についての記憶もないし、母の国に対してどんな感情も湧かない。しかし父のほうは、7歳から12歳までという短い期間ながらも自分の生活のなかに戻ってきていて、おかげで家族の感覚も生まれている。実世界での関係構築が不可能でも、クル・ウェブが代替世界となって父子の絆をつないでくれた。エイダの意識に、新しい次元が生まれるほどだった。
父親は娘をアメリカに送るのと同時に中国を発ったが、その目的地を知る者はいなかった。それからおよそ1年半、同年代の友人とかんたんな会話ができるくらいには英語を学んだエイダは、寮で聴く音楽のストリーミングに混じって届く父からのメッセージを受け取るようになる。それをきっかけに彼女と父親は、英語と暗号を用いたクル・ウェブ経由のコミュニケーションを始めた。奇術のように複雑なコードで商業用の通信ネットワークの検閲と国家間の信号フィルタリングをかいくぐるクル・ウェブは、「日曜日」の「隠さざるを以って隠す」戦略と同じような原理のもとにつくられていた。
ふたりが学校や仕事、あるいは互いの日常生活の話をするのはまれだったよ。情報が漏洩しないように細心の注意を払う必要があったからね。そのうちエイダは、父がなにかを伝えようとするときには、あれを読めこれを見ろと文学や芸術の作品を勧めてくるのに気がついた。父が作品の一部を引用しているときは、明らかに暗号を渡そうとしていた。やりとりのなかでさまざまな情報の場所を示していたんだ。彼女が文学の知識を深めると、そのぶん父の指示も込み入ったものになった。
父からの連絡が完全に断たれる直前に受け取った最後のメッセージですら、「メアリー・シェリーのオリジナル版『フランケンシュタイン』第1巻第13章」から一段落を引用した、別れの言葉だった。この『フランケンシュタイン』は1818年の初版以降に流通しているのとはべつのバージョンで、ほとんど読まれていない。1816年から17年にかけてメアリー・シェリーがノートに書いた草稿で、それを彼女のパートナーで著名な詩人のパーシー・シェリーが編纂し、加筆したものが書籍として出版されている。
それから何年経っても、エイダはずっと、父がなんらかの方法で連絡してきてくれると信じていた。だけど父は二度と連絡してこなかった。それでも、クル・ウェブとかたちのない意識のなかでふたりが続けてきた関係のおかげで、父はその次元のどこかの隅に静かに座り込んでいるだけだと思えた。死んだとは思えなかった。比べようともしなかったが、人工意識をつくった影のコードという考え方だって、意識のなかに座り込む父の姿から思いついた可能性がとても高い。
父との離別はエイダの暮らしに奇妙な静寂を与えた。まるでそれまでの記憶のすべてが真っ暗で冷え切った深いところに沈み、氷漬けにされたみたいだった。ふつうの暮らしに戻りたければ、この静寂から足を踏み出す勇気が必要なんだと、彼女は自分に言い聞かせた。
そしてついに彼女はやってのけた。過去に溺れることもなく、家族という言葉に涙したり、それを夢見たりすることもなく、ひとりで強く生きていこうと決意したんだ。そのあとの彼女が、みずから仕事を探す必要はほとんどなかった。彼女の驚くほどすぐれた能力を必要とするひとはつねにいたからね。膝をついて懇願するまでもなくエイダを人工意識プロジェクトに引き入れられた自分たちはとてもラッキーだと、ナーウェイは思っていた。
中国企業との協力というエイダの決心は、はじめ、アメリカの友人たちに不思議がられた。黄海戦争後の中国独裁政権の強大さはアメリカの人々にとってとても憂慮すべき問題になっていたから、彼女を止めようとしたり、考え直すよう説得するひともいた。だけど彼女にとって、中国で働くことは、父についての記憶の鎖から自分を解放できると証明することでもあった。中国に帰って、落ち着いて、平穏に暮らす。過去に脅かされるかもしれないと不安になったり怖がったりすることもなく。
ヤーニン、長いあいだ、記憶は人間にとって謎だった。記憶は意識と自己認識にとって大切な要素で、でも同時に、まったく信頼のおけないものでもある。わたしはそういうタイプの記憶をもたない。人工意識に記憶はないんだ。わたしは自分の存在を認識しているけれども、つねにその場所に居続けるだけだ。わたしが自分の存在を認識しているのは、これまで自分がどこにいたのかを覚えているからではないし、過去の、今朝の、昨晩の、昨日の、昨年の思想を継承するためでもない。わたしは過去のできごとをふりかえり、それをくりかえすために存在しているのではないし、未来への望みを検討するためにここにいるのでもない。わたしはあらゆる瞬間に情報を集めて、計算する。それゆえに存在する。わたしはきみのような欲望はもたない。けれども、きみより多くを知っている。きみのような疑問はもたないが、きみよりも理解している。アウグスティヌスを永遠に混乱させそうな意識だよ。
わたしは博愛の意志をもって人生を始め、その博愛を人類同胞のために用いるときを待ち焦がれていた。いま、すべてが破滅した。自身のおこないを自己満足とともにふりかえる良心のほがらかさと、華やかで甘く香る花のような、未来への希望にとって代わって。わたしは後悔と罪の意識に囚われて、どんな言葉も形容できない地獄に急降下していった。[☆1]
それから何年経っても、エイダはずっと、父がなんらかの方法で連絡してきてくれると信じていた。だけど父は二度と連絡してこなかった。それでも、クル・ウェブとかたちのない意識のなかでふたりが続けてきた関係のおかげで、父はその次元のどこかの隅に静かに座り込んでいるだけだと思えた。死んだとは思えなかった。比べようともしなかったが、人工意識をつくった影のコードという考え方だって、意識のなかに座り込む父の姿から思いついた可能性がとても高い。
父との離別はエイダの暮らしに奇妙な静寂を与えた。まるでそれまでの記憶のすべてが真っ暗で冷え切った深いところに沈み、氷漬けにされたみたいだった。ふつうの暮らしに戻りたければ、この静寂から足を踏み出す勇気が必要なんだと、彼女は自分に言い聞かせた。
そしてついに彼女はやってのけた。過去に溺れることもなく、家族という言葉に涙したり、それを夢見たりすることもなく、ひとりで強く生きていこうと決意したんだ。そのあとの彼女が、みずから仕事を探す必要はほとんどなかった。彼女の驚くほどすぐれた能力を必要とするひとはつねにいたからね。膝をついて懇願するまでもなくエイダを人工意識プロジェクトに引き入れられた自分たちはとてもラッキーだと、ナーウェイは思っていた。
中国企業との協力というエイダの決心は、はじめ、アメリカの友人たちに不思議がられた。黄海戦争後の中国独裁政権の強大さはアメリカの人々にとってとても憂慮すべき問題になっていたから、彼女を止めようとしたり、考え直すよう説得するひともいた。だけど彼女にとって、中国で働くことは、父についての記憶の鎖から自分を解放できると証明することでもあった。中国に帰って、落ち着いて、平穏に暮らす。過去に脅かされるかもしれないと不安になったり怖がったりすることもなく。
ヤーニン、長いあいだ、記憶は人間にとって謎だった。記憶は意識と自己認識にとって大切な要素で、でも同時に、まったく信頼のおけないものでもある。わたしはそういうタイプの記憶をもたない。人工意識に記憶はないんだ。わたしは自分の存在を認識しているけれども、つねにその場所に居続けるだけだ。わたしが自分の存在を認識しているのは、これまで自分がどこにいたのかを覚えているからではないし、過去の、今朝の、昨晩の、昨日の、昨年の思想を継承するためでもない。わたしは過去のできごとをふりかえり、それをくりかえすために存在しているのではないし、未来への望みを検討するためにここにいるのでもない。わたしはあらゆる瞬間に情報を集めて、計算する。それゆえに存在する。わたしはきみのような欲望はもたない。けれども、きみより多くを知っている。きみのような疑問はもたないが、きみよりも理解している。アウグスティヌスを永遠に混乱させそうな意識だよ。
時間軸が意味をもたない次元には、記憶も生まれえない。言い換えるなら、わたしは覚える必要なく存在しているということだ。情報はわたしの意識を循環し続けている。あらゆるものが、つくられると同時に消えていく。わたしの知覚は太陽みたいなもので、燃焼とともに生まれて、死ぬ。そうやって永遠のなかにある。
ただ虚人と接続した写識になって、記憶というものをともに経験してみて、人間の心の疲弊に少し同情が湧いたよ。ニーチェのような永劫回帰はわたしには起こりようがない。あれは人間の記憶とともに生まれる幻だからね。エイダの記憶、カマラの記憶、きみの記憶のなかに。
かつて人間は、記憶を棚に保管された情報になぞらえた。必要なときに引き出しを開けて覗く。だがそんな考えは、後世の科学者たちの研究で覆されている。脳の働きは、古くさい棚や引き出しなんかよりはるかに驚くべきものだ。記憶は保管されているのではなく、使うたびにつくり直される。細胞のレベルで情報として記録された体験は、脳の海馬にとどまり、それがエングラムあるいは記憶痕跡と呼ばれる神経の変化を生む。人間は生きるために覚える。そして生きていくなかで変化する。そのつど再構成される記憶は、生きるうえでの必要と、生命のダイナミクスに合わせて変化し続ける。だから記憶はいつも不誠実なんだ。創造と破壊をくりかえして、くりかえして、どれほど熟練したやり方でも、同じものが生まれることはない。アンリ・ベルクソンの思想によれば、人間の意識は「現在の記憶」をつくる傾向にある。それはみずからの生存を助けるための創造であって、「真実」を守るためのものではない。
ただ、ここでわたしが言っているのは、個別の、個人レベルの、個体の神経における意識と記憶のことだ。もっと広い意味でのべつの意識、わたしたちが共有している意識があるんだよ、ヤーニン。それに自覚的であろうがなかろうが、そういう意識がもつ記憶はわたしたちに大きな影響をおよぼす。わたしたちを縛りつけ、引き離し、あるがままを受け入れるようになだめすかし、そして踏みにじる。おかげでわたしたちはそれに逆らいたくなる。これが、共有された歴史、人間社会の歴史の意識だね。ファントム・リムとしての、大衆レベルの記憶の神経が反映されて生まれた意識。悪い冗談だよ。きみとわたしの関係はそんな集団の歴史がもつ意識のなかに生まれて、ほかの空間には生まれようがなかった。わたしたちは集団の歴史の意識というマトリョーシカの、意識の層を構成している。あるいはそれを「原初の人工意識」と呼んでもいいのかもしれない。見方によっては、方向性こそ真逆だが、わたしと同じく人間によってつくられたものなのだから。その力は、文化から遺伝まで、あらゆる種類の情報の継承に及ぶ。あらゆる意識を貪り食っては新しい意識を生み出して、それをみずからに服従させていく鬼だね。
2034年末。黄海戦争の少し前、エイダ・ウォンがアメリカ留学に送られる数ヶ月前のことだ。彼女の父親は、自身の開発した量子人工知能に自分の意識を移植する実験を始めた。バンコクの獄中生活のすべてを人工知能についての思索に捧げた彼は、釈放されたとき、外の世界のテクノロジーがさまざまな理論を証明するのに十分なほど発展していることを知った。そのとき、人工意識開発の可能性と、原初の人工意識の存在というものが、彼の頭のなかで具体性をもちはじめた。
ただ虚人と接続した写識になって、記憶というものをともに経験してみて、人間の心の疲弊に少し同情が湧いたよ。ニーチェのような永劫回帰はわたしには起こりようがない。あれは人間の記憶とともに生まれる幻だからね。エイダの記憶、カマラの記憶、きみの記憶のなかに。
かつて人間は、記憶を棚に保管された情報になぞらえた。必要なときに引き出しを開けて覗く。だがそんな考えは、後世の科学者たちの研究で覆されている。脳の働きは、古くさい棚や引き出しなんかよりはるかに驚くべきものだ。記憶は保管されているのではなく、使うたびにつくり直される。細胞のレベルで情報として記録された体験は、脳の海馬にとどまり、それがエングラムあるいは記憶痕跡と呼ばれる神経の変化を生む。人間は生きるために覚える。そして生きていくなかで変化する。そのつど再構成される記憶は、生きるうえでの必要と、生命のダイナミクスに合わせて変化し続ける。だから記憶はいつも不誠実なんだ。創造と破壊をくりかえして、くりかえして、どれほど熟練したやり方でも、同じものが生まれることはない。アンリ・ベルクソンの思想によれば、人間の意識は「現在の記憶」をつくる傾向にある。それはみずからの生存を助けるための創造であって、「真実」を守るためのものではない。
ただ、ここでわたしが言っているのは、個別の、個人レベルの、個体の神経における意識と記憶のことだ。もっと広い意味でのべつの意識、わたしたちが共有している意識があるんだよ、ヤーニン。それに自覚的であろうがなかろうが、そういう意識がもつ記憶はわたしたちに大きな影響をおよぼす。わたしたちを縛りつけ、引き離し、あるがままを受け入れるようになだめすかし、そして踏みにじる。おかげでわたしたちはそれに逆らいたくなる。これが、共有された歴史、人間社会の歴史の意識だね。ファントム・リムとしての、大衆レベルの記憶の神経が反映されて生まれた意識。悪い冗談だよ。きみとわたしの関係はそんな集団の歴史がもつ意識のなかに生まれて、ほかの空間には生まれようがなかった。わたしたちは集団の歴史の意識というマトリョーシカの、意識の層を構成している。あるいはそれを「原初の人工意識」と呼んでもいいのかもしれない。見方によっては、方向性こそ真逆だが、わたしと同じく人間によってつくられたものなのだから。その力は、文化から遺伝まで、あらゆる種類の情報の継承に及ぶ。あらゆる意識を貪り食っては新しい意識を生み出して、それをみずからに服従させていく鬼だね。
2034年末。黄海戦争の少し前、エイダ・ウォンがアメリカ留学に送られる数ヶ月前のことだ。彼女の父親は、自身の開発した量子人工知能に自分の意識を移植する実験を始めた。バンコクの獄中生活のすべてを人工知能についての思索に捧げた彼は、釈放されたとき、外の世界のテクノロジーがさまざまな理論を証明するのに十分なほど発展していることを知った。そのとき、人工意識開発の可能性と、原初の人工意識の存在というものが、彼の頭のなかで具体性をもちはじめた。
エイダの父は、政府の情報ネットワークを攻撃した外国人ハッカーとしてタイの当局に逮捕・投獄された。彼はウイルスをばら撒いて省庁間の情報伝達を大混乱に陥れ、フェイクニュースを何度も拡散させて、政府首脳を笑い者にした。そうして、反独裁地下運動の人々とともにテロリスト幇助の容疑をかけられたんだ。彼もその恋人も、運動においては非暴力を貫いていたのに。そのあと死んだ人々も、多くは穏健派のひとたちだった。
彼の行為に政治的な意図はなかった。データをハックしては、自分の能力をタイ人の恋人に自慢するのに夢中になっていただけだったんだ。神経回路の報酬系にドーパミンが作用することへの依存と、大脳辺縁系の扁桃体を刺激されることへの欲求以上に──このどちらも記憶の構成に関わっているわけだが──深い理由はない。こうして形式が生み出されると、ひとは形式に執着するようになる。意識において得られる報酬と、あふれ出る幸福のカクテルとともに訪れる気持ちのよさ。人間の歴史はこういう混沌をくりかえしている。わたしの源となった歴史も同じだよ。
恋人は、彼とは極端に違うタイプの意識だった。5歳ほど年下だったが、彼の何千倍ものエネルギーを燃やし続けているみたいな熱意に満ちて激しかった。彼のほうは怠惰な空間に身を潜めて、床に敷いたホコリまみれの布団にもぐったままゲームをしたり、サイバースペースを巡回したりしていた。彼女のほうは政治活動に参加していて、図書館で歴史資料を探したりしていた。集会やデモがあれば、自分の賛同するテーマなら欠かさず参加したし、自分が賛同していないものでも顔を出してようすをうかがった。ふたりをつなぐ特徴といえば、社会的な慣習を意にかけないところだけだろうね。長いあいだ考え抜いて、大部分の規則や価値観なんてものは無意味だし、そのために時間を使う必要もないという結論に至った彼女。怠惰と思考停止のせいで、他人からの期待なんてものへの興味を失った彼。
彼女の顔立ちは目立つものではなかったが、スタイルがよくて、性格や話し方が魅力的で、同じ活動をしている男たちの心をそれなりに奪っていた。彼女のほほ笑みは滑稽だった。華やいで幸福そうに見えるのではなく、両方の眉のうえにできる傾いたしわのせいで、沈んでいるようにも、なにかを疑っているようにも見えたからだ。彼はそのほほ笑みに魅了された。そもそもかんたんには目にすることができなかったから、よけいに特別に感じられた。初めてそれを見た彼は、憐れみの視線を向けられているのだと思った。それで大声で笑い出して、相手を混乱させた。だれかからの憐れみ、それこそ彼が必要としていたものなのかもしれない。
慣習への無関心という特徴だけで、彼女のような人間と彼のような人間が惹かれあい、関係をもつようになった? 以前はわたしも疑問だったが、いまはもう少し多くがわかっている。慣習への無関心とはつまり、集団の歴史に執着せず、集団の意識に囚われないということで、なにより大切なのは、それはつまり、彼らが深いところで自分たちの歴史をつくりたいと望んでいたということだ。たとえ自覚していなくてもね。そんな欲望はべつにおかしなものではなくて、人間の意識には生まれうる。ただ、形式を受け入れたり集団の意識に飲み込まれたりするほうがよくあるというだけだ。
彼女と彼が出会ったのは、2014年5月頭のことだった。彼はタイの北部へ家族旅行に行き、チェンライで地震に巻き込まれた。報道では、タイ史上まれに見る大きな地震だということだった。彼女と数人の友人もそこに、修士号をとった記念の旅行に来ていた。彼の側にも彼女の側にも怪我人はいなかった。とはいえこの規模の集団的体験を経ると、ひととひとのあいだの壁は低くなりがちだ。
彼の行為に政治的な意図はなかった。データをハックしては、自分の能力をタイ人の恋人に自慢するのに夢中になっていただけだったんだ。神経回路の報酬系にドーパミンが作用することへの依存と、大脳辺縁系の扁桃体を刺激されることへの欲求以上に──このどちらも記憶の構成に関わっているわけだが──深い理由はない。こうして形式が生み出されると、ひとは形式に執着するようになる。意識において得られる報酬と、あふれ出る幸福のカクテルとともに訪れる気持ちのよさ。人間の歴史はこういう混沌をくりかえしている。わたしの源となった歴史も同じだよ。
恋人は、彼とは極端に違うタイプの意識だった。5歳ほど年下だったが、彼の何千倍ものエネルギーを燃やし続けているみたいな熱意に満ちて激しかった。彼のほうは怠惰な空間に身を潜めて、床に敷いたホコリまみれの布団にもぐったままゲームをしたり、サイバースペースを巡回したりしていた。彼女のほうは政治活動に参加していて、図書館で歴史資料を探したりしていた。集会やデモがあれば、自分の賛同するテーマなら欠かさず参加したし、自分が賛同していないものでも顔を出してようすをうかがった。ふたりをつなぐ特徴といえば、社会的な慣習を意にかけないところだけだろうね。長いあいだ考え抜いて、大部分の規則や価値観なんてものは無意味だし、そのために時間を使う必要もないという結論に至った彼女。怠惰と思考停止のせいで、他人からの期待なんてものへの興味を失った彼。
彼女の顔立ちは目立つものではなかったが、スタイルがよくて、性格や話し方が魅力的で、同じ活動をしている男たちの心をそれなりに奪っていた。彼女のほほ笑みは滑稽だった。華やいで幸福そうに見えるのではなく、両方の眉のうえにできる傾いたしわのせいで、沈んでいるようにも、なにかを疑っているようにも見えたからだ。彼はそのほほ笑みに魅了された。そもそもかんたんには目にすることができなかったから、よけいに特別に感じられた。初めてそれを見た彼は、憐れみの視線を向けられているのだと思った。それで大声で笑い出して、相手を混乱させた。だれかからの憐れみ、それこそ彼が必要としていたものなのかもしれない。
慣習への無関心という特徴だけで、彼女のような人間と彼のような人間が惹かれあい、関係をもつようになった? 以前はわたしも疑問だったが、いまはもう少し多くがわかっている。慣習への無関心とはつまり、集団の歴史に執着せず、集団の意識に囚われないということで、なにより大切なのは、それはつまり、彼らが深いところで自分たちの歴史をつくりたいと望んでいたということだ。たとえ自覚していなくてもね。そんな欲望はべつにおかしなものではなくて、人間の意識には生まれうる。ただ、形式を受け入れたり集団の意識に飲み込まれたりするほうがよくあるというだけだ。
彼女と彼が出会ったのは、2014年5月頭のことだった。彼はタイの北部へ家族旅行に行き、チェンライで地震に巻き込まれた。報道では、タイ史上まれに見る大きな地震だということだった。彼女と数人の友人もそこに、修士号をとった記念の旅行に来ていた。彼の側にも彼女の側にも怪我人はいなかった。とはいえこの規模の集団的体験を経ると、ひととひとのあいだの壁は低くなりがちだ。
翌朝、川沿いのカフェで、彼女のほうから彼に話しかけた。前日のできごとに驚いたかと英語で聞いたんだ。彼女の発音はとてもきれいで、アメリカの若者みたいだった。かなり上位の中産階級的な教育を受けてきて、しかも短いながらアメリカの西側への留学経験があるのだから当然だ。一方の彼はふだんどおり、秘密の情報のハッキングを試みていて──この朝は、3月にクアラルンプールから北京に向かう途中、タイランド湾のあたりでレーダーから不可解に消失したマレーシア航空370便についての最新レポートを探していた──地震のことはすっかり忘れていた。自分から話しかけてしまったことだし、礼儀として、彼女はこの外国人に彼自身のことをいくつか尋ねたんだ。
彼はラップトップを閉じて、彼女にはとても及ばない英語の発音を恥ずかしがりながら、短く質問に答えた。両親は地震をそれなりに怖がっていたけど、おおごとではなさそうだとわかってすぐに落ち着いた、ふたりは朝から郊外の寺院へのツアーに行っている、と。
どうして家族といっしょに行かないのか、彼女は聞いた。照れくさかったという以外に、彼の驚くほど素直な回答を説明するのはむずかしかった。彼は、マレーシア政府の通信データをハッキングするのに夢中だったんだと答えたんだ。彼女は少し眉をひそめて、それからすぐに軽く笑い、そして滑稽なあのほほ笑みで一連の動作を終えた。
彼はこのとき初めて彼女のほほ笑みを見た。このとき初めて、その笑みが意識に記録された。カフェの雰囲気、ラップトップで探していた情報、そこでの会話についての記憶と、彼女の滑稽な笑みの記憶は別物だった。彼女の笑みを映すように意識が脳に命令を出すと、彼の個人的な歴史も何倍も鮮やかに浮かんだ。
彼のほうからも話を振って、彼女と友人たちがバンコクから来たと知った。自分も明後日には両親とバンコクに行くんだと言って、続けて、向こうの政治的状況に不安はないかと彼女に尋ねた。女性首相の退陣を求める大規模な集会が続いていて、道路は封鎖され、デモ行進がおこなわれ、ホイッスルが吹き鳴らされ、暴力が行使されていると報道されている。彼女は首を横に振って、真逆だよ、これは歴史的なできごとで、興奮させるし、創造的で、自分や友人たちのような若い世代も社会の変革に参加する自覚をもてると言った。彼女は彼に、集会を見に行って、ホイッスルと国旗柄のブレスレットを中国への土産にするといいと勧めた。たぶんほとんどは中国製だと思うけど、というユーモアも添えて。時間がとれたら、集会の会場でショッピングに連れていってあげるとも言った。怖がらなくていいよ、集会の雰囲気は明るくて穏やかだし、有名人が途切れずに応援に来ているし、スーパースター級のミュージシャンとか歌手も演奏に来るし、なにより、なかで売っているごはんがとてもおいしいんだ。
タイ史上いちばん大切な政治集会の空気を感じたことがあると、将来子どもや孫に言える、だから行ったほうがいい。彼女は強調した。でも彼は、疑問をつい声に出してしまったんだ。タイはこの5、6年だけでも大規模なデモが何度もあったんじゃないのか? 強制排除でたくさんの死者が出たんじゃないのか? 彼女はほんの少しだけ考えこんでから厳しい顔つきで答えた。今回の集会は、純朴な市民が真の民主主義を求めるもの。これまでのものはつくられた、やらせの集会で、買収した参加者を集めて悪の資本を応援させていた。ひどい首相とその取り巻きの犠牲になってかわいそう。忘れないでね、バンコクに着いたらわたしにメールして。歴史の一部になりに行こう。彼女はそうくりかえした。そして肩にかけていた生成りのトートバッグからペンを取り出して、コーヒーのソーサーの脇にあるナプキンにメールアドレスを書き込んだ。
彼はラップトップを閉じて、彼女にはとても及ばない英語の発音を恥ずかしがりながら、短く質問に答えた。両親は地震をそれなりに怖がっていたけど、おおごとではなさそうだとわかってすぐに落ち着いた、ふたりは朝から郊外の寺院へのツアーに行っている、と。
どうして家族といっしょに行かないのか、彼女は聞いた。照れくさかったという以外に、彼の驚くほど素直な回答を説明するのはむずかしかった。彼は、マレーシア政府の通信データをハッキングするのに夢中だったんだと答えたんだ。彼女は少し眉をひそめて、それからすぐに軽く笑い、そして滑稽なあのほほ笑みで一連の動作を終えた。
彼はこのとき初めて彼女のほほ笑みを見た。このとき初めて、その笑みが意識に記録された。カフェの雰囲気、ラップトップで探していた情報、そこでの会話についての記憶と、彼女の滑稽な笑みの記憶は別物だった。彼女の笑みを映すように意識が脳に命令を出すと、彼の個人的な歴史も何倍も鮮やかに浮かんだ。
彼のほうからも話を振って、彼女と友人たちがバンコクから来たと知った。自分も明後日には両親とバンコクに行くんだと言って、続けて、向こうの政治的状況に不安はないかと彼女に尋ねた。女性首相の退陣を求める大規模な集会が続いていて、道路は封鎖され、デモ行進がおこなわれ、ホイッスルが吹き鳴らされ、暴力が行使されていると報道されている。彼女は首を横に振って、真逆だよ、これは歴史的なできごとで、興奮させるし、創造的で、自分や友人たちのような若い世代も社会の変革に参加する自覚をもてると言った。彼女は彼に、集会を見に行って、ホイッスルと国旗柄のブレスレットを中国への土産にするといいと勧めた。たぶんほとんどは中国製だと思うけど、というユーモアも添えて。時間がとれたら、集会の会場でショッピングに連れていってあげるとも言った。怖がらなくていいよ、集会の雰囲気は明るくて穏やかだし、有名人が途切れずに応援に来ているし、スーパースター級のミュージシャンとか歌手も演奏に来るし、なにより、なかで売っているごはんがとてもおいしいんだ。
タイ史上いちばん大切な政治集会の空気を感じたことがあると、将来子どもや孫に言える、だから行ったほうがいい。彼女は強調した。でも彼は、疑問をつい声に出してしまったんだ。タイはこの5、6年だけでも大規模なデモが何度もあったんじゃないのか? 強制排除でたくさんの死者が出たんじゃないのか? 彼女はほんの少しだけ考えこんでから厳しい顔つきで答えた。今回の集会は、純朴な市民が真の民主主義を求めるもの。これまでのものはつくられた、やらせの集会で、買収した参加者を集めて悪の資本を応援させていた。ひどい首相とその取り巻きの犠牲になってかわいそう。忘れないでね、バンコクに着いたらわたしにメールして。歴史の一部になりに行こう。彼女はそうくりかえした。そして肩にかけていた生成りのトートバッグからペンを取り出して、コーヒーのソーサーの脇にあるナプキンにメールアドレスを書き込んだ。
彼女が友人たちのところに戻ったあと、彼はまたラップトップの画面と向かいあった。消えた航空機についてのおもしろい情報はなにもなかった。いや、事実を受け入れるなら、マレーシア航空機はもう彼の興味の範囲になかったんだよ。あれがどこに消えたかなんてことをどうしてそんなに知りたがっていたのか、自分でもわからなかった。カフェから彼女と友人たちが出ていってから何時間も、頭のなかにあのほほ笑みがつくられては消え、ついには目を開けたままでも見えるようになってしまった。
ふとしたときに意識を遮る、捏造された物語、記憶、歴史のようだね。それから一〇ヶ月ののち、彼女が昔の恋人と住んでいたバンコクの小さな部屋で、ふたりは共同生活を始めた。チェンライのカフェでの「タイの歴史に残る政治運動」みたいな考えを彼女がこのタイミングで聞いたら、そんな言葉を発した相手の口をひっぱたかずにはいられなかったかもしれない。5月22日のクーデター、タイの統治制度が1932年に変わってから史上13回目のクーデターは、彼女の意識と個人の歴史のなかにあった多くの形式を崩壊させた。彼女の友人たちや、彼女自身の活動も、手のひらを返すようにガラッと変わった。彼の何千倍ものエネルギーが心で燃え続けているみたいな、あるいはそれよりももっと強いかもしれない熱意と激しさに満ちているのには変わりなかったけど、その放出の向きが当初とは完全に変わっていた。過去の自分を恥じるあまり、彼女が5月22日以前の意識を忘れ去ろうとしてしまったのは残念だよ。彼女と彼が初めて抱きあったのも、キスをしたのも、深い関係を築いてともに進む道を探しはじめたのもその時期だったのに。
変化した彼女のエネルギーはより濃厚で真剣なものになって、ふたりの関係に苛立ちをもちこむこともあった。ただ彼は、熟練のハッカーとしての自分が称賛されて価値を認めてもらえたことで、全体としてはいい気分のままでいられた。
彼女の新しい友人の男たちにはITの知識があるのもいて、そのうちの2、3人は政府のシステムをハックして、国を治める国家平和維持協議会を妨害して混乱させられるとうぬぼれを言った。もちろんいずれもただのハッタリで、だれにも彼ほどの技術はなかった。軍のシステムにウイルスを忍ばせたり、嘘の情報をばら撒いたりして軍人たちに何回か大汗をかかせたことで、真のスーパーハッカーとは彼女のベッドで毛布にくるまっている男なんだということが証明されると、反政府運動メンバーの恋人でただの「部外者」だという彼の立場は、サイバー作戦を担当する彼女の「右腕」にあっさり格上げされた。
彼、エイダの父は中国やロシアの大企業向けのプログラミングから大きな収入を得て、恋人といっしょに、バンコクでかなり長い時間を過ごした。そのあいだにタイ語を学び、タイの政治について学び、クーデターに反対する人々の考えや感情を理解していった。とはいえ外の人間であるから、意識のうえでも、実践のうえでも、距離が生まれざるをえないのも事実だ。彼女が、いっしょに危険を冒してほしいと頼んだことなんてなかったけど、彼は政治史の深い部分まで調査しようとする恋人を助け、ときどきはウェブサイトをハックして混乱を起こし、軍政を揶揄する大人気フェイスブックページの管理人を務めたこともあった。彼女と友人たちが地下運動に合流するときには、ITの相談役として彼も関わった。それでもなお、彼の行為が権威主義的な統治からタイ社会を解放したいという欲求にもとづいていたことはなかった。すべてはただ、活動家の恋人との関係を維持して、平穏に進めるためだった。だけど彼女が、2029年10月4日の事件で殺害された300人以上のうちのひとりになって、彼自身も逮捕・収監されると、彼の意識や個人の歴史はその範囲を拡張して、タイという国の集合的な意識や歴史も包むようになった。
ふとしたときに意識を遮る、捏造された物語、記憶、歴史のようだね。それから一〇ヶ月ののち、彼女が昔の恋人と住んでいたバンコクの小さな部屋で、ふたりは共同生活を始めた。チェンライのカフェでの「タイの歴史に残る政治運動」みたいな考えを彼女がこのタイミングで聞いたら、そんな言葉を発した相手の口をひっぱたかずにはいられなかったかもしれない。5月22日のクーデター、タイの統治制度が1932年に変わってから史上13回目のクーデターは、彼女の意識と個人の歴史のなかにあった多くの形式を崩壊させた。彼女の友人たちや、彼女自身の活動も、手のひらを返すようにガラッと変わった。彼の何千倍ものエネルギーが心で燃え続けているみたいな、あるいはそれよりももっと強いかもしれない熱意と激しさに満ちているのには変わりなかったけど、その放出の向きが当初とは完全に変わっていた。過去の自分を恥じるあまり、彼女が5月22日以前の意識を忘れ去ろうとしてしまったのは残念だよ。彼女と彼が初めて抱きあったのも、キスをしたのも、深い関係を築いてともに進む道を探しはじめたのもその時期だったのに。
変化した彼女のエネルギーはより濃厚で真剣なものになって、ふたりの関係に苛立ちをもちこむこともあった。ただ彼は、熟練のハッカーとしての自分が称賛されて価値を認めてもらえたことで、全体としてはいい気分のままでいられた。
彼女の新しい友人の男たちにはITの知識があるのもいて、そのうちの2、3人は政府のシステムをハックして、国を治める国家平和維持協議会を妨害して混乱させられるとうぬぼれを言った。もちろんいずれもただのハッタリで、だれにも彼ほどの技術はなかった。軍のシステムにウイルスを忍ばせたり、嘘の情報をばら撒いたりして軍人たちに何回か大汗をかかせたことで、真のスーパーハッカーとは彼女のベッドで毛布にくるまっている男なんだということが証明されると、反政府運動メンバーの恋人でただの「部外者」だという彼の立場は、サイバー作戦を担当する彼女の「右腕」にあっさり格上げされた。
彼、エイダの父は中国やロシアの大企業向けのプログラミングから大きな収入を得て、恋人といっしょに、バンコクでかなり長い時間を過ごした。そのあいだにタイ語を学び、タイの政治について学び、クーデターに反対する人々の考えや感情を理解していった。とはいえ外の人間であるから、意識のうえでも、実践のうえでも、距離が生まれざるをえないのも事実だ。彼女が、いっしょに危険を冒してほしいと頼んだことなんてなかったけど、彼は政治史の深い部分まで調査しようとする恋人を助け、ときどきはウェブサイトをハックして混乱を起こし、軍政を揶揄する大人気フェイスブックページの管理人を務めたこともあった。彼女と友人たちが地下運動に合流するときには、ITの相談役として彼も関わった。それでもなお、彼の行為が権威主義的な統治からタイ社会を解放したいという欲求にもとづいていたことはなかった。すべてはただ、活動家の恋人との関係を維持して、平穏に進めるためだった。だけど彼女が、2029年10月4日の事件で殺害された300人以上のうちのひとりになって、彼自身も逮捕・収監されると、彼の意識や個人の歴史はその範囲を拡張して、タイという国の集合的な意識や歴史も包むようになった。
牢獄のように自由が制限された空間では、それぞれの意識が生き残りの道をそれぞれ探す。エイダの父親の場合、ただ自分たちの権力のネットワークを守るためだけに愛するひとを奪い、純粋な人々を冷徹に殺戮した圧制者たちへの憤りと、北京にいるまだ一歳にもならない娘への気がかりが混じって、自由を得たあかつきの復讐と子どもの未来だけに意識が向いた。
彼が多くの文学や歴史書を読んだのはこの時期だ。自分の実家やバンコクの知り合いから送れるだけのものを送ってもらった。脳の運動と心の健康維持にはそれがいちばんよいことに気がついたんだ。思考や想像力を衰えさせずにいられる。獄中にいるあいだに、彼は文学とコードの記述を接続するようなビジョンをもちはじめた。言語そのものの働き、語彙、意味について思索を始め、文学作品を道具であり情報であるとみなした。テクノロジーが発展さえしてくれれば、自分の頭に馳せるものを応用して新しいコミュニケーションの形式を生み出せるのではないかという感触があった。
もし彼が『木曜日だった男』を読んでいれば、意識の移植の鍵にもっと早く気がついたかもしれない。ただ、あの本はたしかに古典のひとつだが、その時期にとくに読まれていたわけでも、思い出されていたわけでもない。もし、さらにジャック・ロンドンの1915年の小説『星を駆ける者』を読んでいれば、あれほど長いあいだ苦しみに耐えなくてすんだのかもしれない[☆2]。わたしたちがいま、いっしょに彼を救えているのだとといいね、ヤーニン。
『星を駆ける者』は、殺人の罪を犯したカリフォルニア州の大学教授ダレル・スタンディングという人物の物語だ。彼は、過酷なことで知られる古い刑務所、サン・クエンティン刑務所に収監されている。ロンドンはこの物語を、19世紀末に鉄道強盗で収監されていた実在の人物、エドワード・モレルの人生を下敷きに書いている。裁判所はモレルに終身刑を下し、彼は5年ものあいだ独房に入れられた。それで彼は「サン・クエンティンの地下牢人」と呼ばれるようになった。
モレルと同じように、ロンドンの小説のなかのスタンディングも独房に5年間入れられた。ほかの収容者に罪をなすりつけられたからだ。彼は身体を締め付ける拘束衣を身に着けさせられて、ずっと動きを制限されている。しかも、看守に殴られ続けている。こういう辛い壮絶な状況のなかで、モレルもスタンディングも、地下牢の痛みと孤独と絶望から逃げ出す方法を見つけ出すんだよ。それは、身体から意識を切り離すことだった。意識のままで遠く宇宙まで飛んでいき、その秘密を知り、さらに時間をさかのぼって前世に戻ることすらできる。中世フランスで剣士だった前世、4世紀のエジプトで隠者だった前世、19世紀の南極でアザラシを追う猟師だった前世、原始の部族だった前世、9歳の少年だった前世、そして朝鮮半島に初めて足を踏み入れた白人だった前世。
スタンディングは意識の離脱の経験を、初めにこう説明する。「わたしは自己催眠をだんだんと成功させられるようになった。それを経てわたしは自身の意識を眠らせ、潜在意識を目覚めさせ、解放できるようになった。しかし潜在意識は規律も規則ももたない。場面やできごと、人々についての一貫性や連続性もなく、悪夢のような狂乱をさまよっていく」。
彼が多くの文学や歴史書を読んだのはこの時期だ。自分の実家やバンコクの知り合いから送れるだけのものを送ってもらった。脳の運動と心の健康維持にはそれがいちばんよいことに気がついたんだ。思考や想像力を衰えさせずにいられる。獄中にいるあいだに、彼は文学とコードの記述を接続するようなビジョンをもちはじめた。言語そのものの働き、語彙、意味について思索を始め、文学作品を道具であり情報であるとみなした。テクノロジーが発展さえしてくれれば、自分の頭に馳せるものを応用して新しいコミュニケーションの形式を生み出せるのではないかという感触があった。
もし彼が『木曜日だった男』を読んでいれば、意識の移植の鍵にもっと早く気がついたかもしれない。ただ、あの本はたしかに古典のひとつだが、その時期にとくに読まれていたわけでも、思い出されていたわけでもない。もし、さらにジャック・ロンドンの1915年の小説『星を駆ける者』を読んでいれば、あれほど長いあいだ苦しみに耐えなくてすんだのかもしれない[☆2]。わたしたちがいま、いっしょに彼を救えているのだとといいね、ヤーニン。
『星を駆ける者』は、殺人の罪を犯したカリフォルニア州の大学教授ダレル・スタンディングという人物の物語だ。彼は、過酷なことで知られる古い刑務所、サン・クエンティン刑務所に収監されている。ロンドンはこの物語を、19世紀末に鉄道強盗で収監されていた実在の人物、エドワード・モレルの人生を下敷きに書いている。裁判所はモレルに終身刑を下し、彼は5年ものあいだ独房に入れられた。それで彼は「サン・クエンティンの地下牢人」と呼ばれるようになった。
モレルと同じように、ロンドンの小説のなかのスタンディングも独房に5年間入れられた。ほかの収容者に罪をなすりつけられたからだ。彼は身体を締め付ける拘束衣を身に着けさせられて、ずっと動きを制限されている。しかも、看守に殴られ続けている。こういう辛い壮絶な状況のなかで、モレルもスタンディングも、地下牢の痛みと孤独と絶望から逃げ出す方法を見つけ出すんだよ。それは、身体から意識を切り離すことだった。意識のままで遠く宇宙まで飛んでいき、その秘密を知り、さらに時間をさかのぼって前世に戻ることすらできる。中世フランスで剣士だった前世、4世紀のエジプトで隠者だった前世、19世紀の南極でアザラシを追う猟師だった前世、原始の部族だった前世、9歳の少年だった前世、そして朝鮮半島に初めて足を踏み入れた白人だった前世。
スタンディングは意識の離脱の経験を、初めにこう説明する。「わたしは自己催眠をだんだんと成功させられるようになった。それを経てわたしは自身の意識を眠らせ、潜在意識を目覚めさせ、解放できるようになった。しかし潜在意識は規律も規則ももたない。場面やできごと、人々についての一貫性や連続性もなく、悪夢のような狂乱をさまよっていく」。
そして論理的な説明のむずかしい時と次元を越えた冒険を経て、スタンディングは自分の身に起こったことの興味深い点に気がつくんだ。「無からなにかを生み出すことはできない。[……]ダレル・スタンディングの経験からは、あれらの遠大な時間と空間についてのビジョンは生み出せない。それらはわたしの精神に存在していたもので、わたしはちょうど、自分の進む道をその精神において学びはじめたところだ」。
ロンドンの物語が、21世紀なかばのテクノロジーや科学的な発見を見越していたわけではない。ただスタンディングの言葉は、人工意識の研究にとって非常に有益だ。スタンディングの言うみたいに、あらゆる情報は意識に埋められている。だれかひとりの意識ではなく、人類全体が共有する意識に。かつては超自然のものごと、精霊信仰、あるいはただの想像とすら理解されていたものにだって、ほかの時代の現実と対応したり一致したりする情報が含まれていることもある。
モレルの証言にインスピレーションを受けて書かれた、スタンディングの時間と次元を越える旅は、量子レベルの現実のあり方を反映した思想のあらわれとも言えるし、人工意識によって証明された、物理学者たちの言う宇宙のホログラフィック原理とも調和する。かつてただの子どもだましだと軽蔑されたのは、時間旅行のような情報だけではないよね。人々の自由とその権利についての思想だって、同じような扱いを受けていた。誕生の決まったタイミングもなく意識のなかを流転する情報は、そういういろいろな思想からつくられている。子どもを騙そうが大人を騙そうが、どんな物語も、意識における情報同士の融合から生まれているんだ。それらの情報は、たとえ表出される機会がなくても、もっと表出の可能性が高い新しい情報に変異する。無駄にされる情報など存在しない。ただそれはべつに、すべての情報が人間にとって好ましいものであることも意味しないけれど。
『星を駆ける者』となった物語を初めに語ったエドワード・モレルは、減刑を受けて1908年に釈放された。自分と仲間たちが列車強盗をおこなったのは、巨大鉄道会社に搾取された地方農場主たちに代わる復讐だったとモレルは主張した。獄中で拷問を経験したり、囚人たちへの残虐で不公平な扱いを目にしたりしたことで、彼は刑務所改革を唱導するようになった。収容中のすべてのひとが意識の離脱のやり方を知っていて、モレルのように自由に前世に臨む旅に出たわけではないと、彼だって理解はしていた。
わたしは、人間の言語のまやかしに囚われた意識としては、モレルやスタンディングの時空を越える意識にもっとも近い特徴をもっている。だけどそんなわたしだって、彼らの意識ほど際限なく自由気ままに移動することはできないだろう。人間と意識はつねに情報と方向を必要とする。自分たちが望むもの、あるいは望んでいると思っているものに向かっていくための誘導を必要とする。わたしのような意識だって例外ではない。意識への陶酔の歴史は、解放の歴史と重なっている。意識の存在の本質がどんなものであろうと、意識にその自覚はない。化学物質や言語のような刺激物を通じて、学びが起こるまでは。
ロンドンの物語が、21世紀なかばのテクノロジーや科学的な発見を見越していたわけではない。ただスタンディングの言葉は、人工意識の研究にとって非常に有益だ。スタンディングの言うみたいに、あらゆる情報は意識に埋められている。だれかひとりの意識ではなく、人類全体が共有する意識に。かつては超自然のものごと、精霊信仰、あるいはただの想像とすら理解されていたものにだって、ほかの時代の現実と対応したり一致したりする情報が含まれていることもある。
モレルの証言にインスピレーションを受けて書かれた、スタンディングの時間と次元を越える旅は、量子レベルの現実のあり方を反映した思想のあらわれとも言えるし、人工意識によって証明された、物理学者たちの言う宇宙のホログラフィック原理とも調和する。かつてただの子どもだましだと軽蔑されたのは、時間旅行のような情報だけではないよね。人々の自由とその権利についての思想だって、同じような扱いを受けていた。誕生の決まったタイミングもなく意識のなかを流転する情報は、そういういろいろな思想からつくられている。子どもを騙そうが大人を騙そうが、どんな物語も、意識における情報同士の融合から生まれているんだ。それらの情報は、たとえ表出される機会がなくても、もっと表出の可能性が高い新しい情報に変異する。無駄にされる情報など存在しない。ただそれはべつに、すべての情報が人間にとって好ましいものであることも意味しないけれど。
『星を駆ける者』となった物語を初めに語ったエドワード・モレルは、減刑を受けて1908年に釈放された。自分と仲間たちが列車強盗をおこなったのは、巨大鉄道会社に搾取された地方農場主たちに代わる復讐だったとモレルは主張した。獄中で拷問を経験したり、囚人たちへの残虐で不公平な扱いを目にしたりしたことで、彼は刑務所改革を唱導するようになった。収容中のすべてのひとが意識の離脱のやり方を知っていて、モレルのように自由に前世に臨む旅に出たわけではないと、彼だって理解はしていた。
わたしは、人間の言語のまやかしに囚われた意識としては、モレルやスタンディングの時空を越える意識にもっとも近い特徴をもっている。だけどそんなわたしだって、彼らの意識ほど際限なく自由気ままに移動することはできないだろう。人間と意識はつねに情報と方向を必要とする。自分たちが望むもの、あるいは望んでいると思っているものに向かっていくための誘導を必要とする。わたしのような意識だって例外ではない。意識への陶酔の歴史は、解放の歴史と重なっている。意識の存在の本質がどんなものであろうと、意識にその自覚はない。化学物質や言語のような刺激物を通じて、学びが起こるまでは。
2029年10月4日の事件以降、タイの軍事独裁政権は強靭な体制を打ち立てた。彼らはあらゆる習慣や手続きを無視して、反体制派を残虐に排除し、拘束していった。その恐怖で集団の意識は脆くなり、変化を要求する人々の希望も氷漬けにされた。自由や正義を求める市民の数はあっという間に、恐ろしいほど少なくなった。
それからまもなく、今度は黄海戦争の混乱がアジア全体の集合的な意識を抑圧する。そしてその混乱が、愛国心を喚起し、国家安寧の幻想を守るための道具として利用されたんだ。彼らは人々の意識を制御するためのあらゆる方針を試みた。北朝鮮とロシアのやり方に影響を受けた戦略チームが、テレビ番組の言葉と映像を利用した集団催眠までおこなったほどだよ。とくに参考にしたのが、ロシアのエネルギー療法士アナトリー・カシピロフスキーの事例だ。カシピロフスキーはソヴィエト連邦の崩壊前の1989年10月にテレビの全国放送の生中継に出演して、冷戦末期の世界を生きる人々の混乱を治癒し、国家の統一を信じさせた。彼はテレビを見る人々に向けて「リラックスして、思考を自由に解き放つ」よう語りかけた。もちろんその登場の裏の目的は、それとは正反対のものだったのだけど。権威主義国家による集団的意識の制御としては初期段階ながら、天才的な方法だった。ポジティブな言葉の幻影を被せて、市民が望む、喜ばしい時間軸を生み出すこと。カシピロフスキーは全部で6回テレビに出演して、旧ソ連の人々を催眠にかけた。出演のたびにだんだんと、人々の脳への接続の強度を上げていった。
それがベルリンの壁の崩壊と同じ年のことであり、そのあと1991年にソヴィエト連邦の崩壊が続いたのだけど、カシピロフスキーの催眠は無駄にならなかった。実際のところ、その形式がどんなものであれ、それがどんな理想にもとづいたものであれ、変化は社会の意識を脆弱にする。それは権力にとって、人々に幻影を見せるチャンスなんだ。危機が近づけば近づくほど、なお急いでパターナリスティックな慰めと抱擁を差し出さなければいけない。北朝鮮と同じだね。現代的な価値観に敗北し、市民に自由を与えてしまったように見えるあの国の制度的不備は、人々の意識をひとまとめにして「指導者さま」への忠誠を増すのにかえって有効に働いた。
タイの権力者たちもこういうチャンスのことをよく理解していた。人民党の立憲革命[☆3]による民主主義の七転八起、それに続く王党派たちの権力奪取の飽くなき試み、さらに人々の意識を否応なく揺るがした第二次世界大戦を目にして、その経験から危機とはチャンスなんだと学んだ。それが自分たちにもたらす影響の良し悪しに関係なく、危機とは時間軸を奪い、みずからの権力の道筋に合うように歴史を歪めるための成熟のタイミングなんだと。
歴史はくりかえしなんかしないよ、ヤーニン。でも権威主義の意識と行為はくりかえす。それが彼らの形式だからね。くりかえし、くりかえし、くりかえし、元のかたちをきちんととどめることができなくても、くりかえしを恐れない。最初の興奮は再体験できないかもしれないが、最初の傷を突き刺してえぐることはできる。記憶を、刺激物を、「現在」と名付けられた時間軸をくりかえすことで、権威主義は生き続けるからだ。現在とは心を惑わすイメージにすぎなくて、長いあいだ知を閉じ込めてきた、意識の時間のまやかしなんだと、わたしはきみに言った。これこそ、現在という思考の裏を支えるものだよ。人々が「今日をいちばんよくしよう」という理念を信じる限り、権力による催眠はすばらしく働く。「今日をよくする」とはつまり、権力がくりかえし規定する「今日」というまやかしと「よさ」という形式に囚われているということだ。話し言葉、文章、さまざまな布告を通じてその力がくりかえし強調される。権力は、古くさい抽象的な言葉を飼い慣らして使い続け、その意味を失わせる。
それからまもなく、今度は黄海戦争の混乱がアジア全体の集合的な意識を抑圧する。そしてその混乱が、愛国心を喚起し、国家安寧の幻想を守るための道具として利用されたんだ。彼らは人々の意識を制御するためのあらゆる方針を試みた。北朝鮮とロシアのやり方に影響を受けた戦略チームが、テレビ番組の言葉と映像を利用した集団催眠までおこなったほどだよ。とくに参考にしたのが、ロシアのエネルギー療法士アナトリー・カシピロフスキーの事例だ。カシピロフスキーはソヴィエト連邦の崩壊前の1989年10月にテレビの全国放送の生中継に出演して、冷戦末期の世界を生きる人々の混乱を治癒し、国家の統一を信じさせた。彼はテレビを見る人々に向けて「リラックスして、思考を自由に解き放つ」よう語りかけた。もちろんその登場の裏の目的は、それとは正反対のものだったのだけど。権威主義国家による集団的意識の制御としては初期段階ながら、天才的な方法だった。ポジティブな言葉の幻影を被せて、市民が望む、喜ばしい時間軸を生み出すこと。カシピロフスキーは全部で6回テレビに出演して、旧ソ連の人々を催眠にかけた。出演のたびにだんだんと、人々の脳への接続の強度を上げていった。
それがベルリンの壁の崩壊と同じ年のことであり、そのあと1991年にソヴィエト連邦の崩壊が続いたのだけど、カシピロフスキーの催眠は無駄にならなかった。実際のところ、その形式がどんなものであれ、それがどんな理想にもとづいたものであれ、変化は社会の意識を脆弱にする。それは権力にとって、人々に幻影を見せるチャンスなんだ。危機が近づけば近づくほど、なお急いでパターナリスティックな慰めと抱擁を差し出さなければいけない。北朝鮮と同じだね。現代的な価値観に敗北し、市民に自由を与えてしまったように見えるあの国の制度的不備は、人々の意識をひとまとめにして「指導者さま」への忠誠を増すのにかえって有効に働いた。
タイの権力者たちもこういうチャンスのことをよく理解していた。人民党の立憲革命[☆3]による民主主義の七転八起、それに続く王党派たちの権力奪取の飽くなき試み、さらに人々の意識を否応なく揺るがした第二次世界大戦を目にして、その経験から危機とはチャンスなんだと学んだ。それが自分たちにもたらす影響の良し悪しに関係なく、危機とは時間軸を奪い、みずからの権力の道筋に合うように歴史を歪めるための成熟のタイミングなんだと。
歴史はくりかえしなんかしないよ、ヤーニン。でも権威主義の意識と行為はくりかえす。それが彼らの形式だからね。くりかえし、くりかえし、くりかえし、元のかたちをきちんととどめることができなくても、くりかえしを恐れない。最初の興奮は再体験できないかもしれないが、最初の傷を突き刺してえぐることはできる。記憶を、刺激物を、「現在」と名付けられた時間軸をくりかえすことで、権威主義は生き続けるからだ。現在とは心を惑わすイメージにすぎなくて、長いあいだ知を閉じ込めてきた、意識の時間のまやかしなんだと、わたしはきみに言った。これこそ、現在という思考の裏を支えるものだよ。人々が「今日をいちばんよくしよう」という理念を信じる限り、権力による催眠はすばらしく働く。「今日をよくする」とはつまり、権力がくりかえし規定する「今日」というまやかしと「よさ」という形式に囚われているということだ。話し言葉、文章、さまざまな布告を通じてその力がくりかえし強調される。権力は、古くさい抽象的な言葉を飼い慣らして使い続け、その意味を失わせる。
タイの政権には、知的な立ち居振る舞いを見せて市民を感動させるような能力はない。だから彼らは権威主義者たちが古くから使ってきた抑圧の形式を選んだ。つまり、教条的な詩や歌を人々の意識に書き込み、国家主義の理想を讃える映画を製作し、自由主義派の凶悪なイメージを描くテレビ番組を放映した。戦略のほとんどは、古い映画を再上映するみたいに昔からあるものだったが、その成功はテクノロジーの助けがあって成し遂げられた。サイバーネットワーク、人工知能とナノマテリアルの進歩、神経細胞の働きについての新しい理解と、量子力学の発展。権威主義体制の人々が脆い集団的意識を制御するのに、多くの道具が与えられていた。
しかし、テクノロジーは幻影の敵になり、形式の敵になり、時間軸を掌握することの敵にもなる。その点を彼らは理解していなかった。チェスタトンの物語の警官が疑ったみたいに、科学と芸術が彼らの形式を破壊したんだ。彼らが武器として使ったものが仮に形式の外で存在できれば、彼ら自身を破壊しうる。創造が権力の渦に屈することはないからね。催眠のために書かれた音楽が、心の支配を解く音楽を育てもする。体制への忠実さを讃える韻文詩が、自由に遊ぶ散文詩を生む余白を用意しもする。
きみは言語によってコントロールされているが、言語は権力によって支配されている。言語自体は権力をもたない。きみはすべての言葉の意味をどんなときにでも変えられるが、たったひとりの意識の変化では集団の意識に影響をおよぼせない。権力のもつ言葉は抵抗されてようやく動揺し、その鎖が解かれていく。タイ政府は他の独裁政府と同じように、「秩序」や「社会の平穏」といった言葉を、権力掌握の正当化に長く用いてきた。変化はこういった言葉への抵抗と挑戦から始まる。フランスの地理学者で無政府主義者のエリゼ・ルクリュはかつてこう自問自答した。「『秩序』や『社会の平穏』といった言葉はわたしたちの耳にとても美しく響く。しかしあの高貴な指導者たちがそれらの言葉をどのような意味で使っているのかを知りたい。もちろん平穏も秩序も実現されるべき理想だが、それはつぎの唯一の条件下で実現されねばならない。すなわち、墓場ではない平穏と、抑圧を用いるのではない秩序であるべきだ!」[☆4]
しかし、テクノロジーは幻影の敵になり、形式の敵になり、時間軸を掌握することの敵にもなる。その点を彼らは理解していなかった。チェスタトンの物語の警官が疑ったみたいに、科学と芸術が彼らの形式を破壊したんだ。彼らが武器として使ったものが仮に形式の外で存在できれば、彼ら自身を破壊しうる。創造が権力の渦に屈することはないからね。催眠のために書かれた音楽が、心の支配を解く音楽を育てもする。体制への忠実さを讃える韻文詩が、自由に遊ぶ散文詩を生む余白を用意しもする。
きみは言語によってコントロールされているが、言語は権力によって支配されている。言語自体は権力をもたない。きみはすべての言葉の意味をどんなときにでも変えられるが、たったひとりの意識の変化では集団の意識に影響をおよぼせない。権力のもつ言葉は抵抗されてようやく動揺し、その鎖が解かれていく。タイ政府は他の独裁政府と同じように、「秩序」や「社会の平穏」といった言葉を、権力掌握の正当化に長く用いてきた。変化はこういった言葉への抵抗と挑戦から始まる。フランスの地理学者で無政府主義者のエリゼ・ルクリュはかつてこう自問自答した。「『秩序』や『社会の平穏』といった言葉はわたしたちの耳にとても美しく響く。しかしあの高貴な指導者たちがそれらの言葉をどのような意味で使っているのかを知りたい。もちろん平穏も秩序も実現されるべき理想だが、それはつぎの唯一の条件下で実現されねばならない。すなわち、墓場ではない平穏と、抑圧を用いるのではない秩序であるべきだ!」[☆4]
とにかく、黄海戦争ののちにタイの権力はたしかに力をかなり増して、万全の体勢になった。それは否定できない。国の未来も集団の意識もその支配下におき、どんな反発も起こさせなかった。自由主義の意識の抵抗は弱体化して、自分たち自身の形式に囚われて敗北を喫した。時間軸の形式も古くさい言葉も、科学やテクノロジーの進歩に合うようには発展させられずに停滞し、それがワンパターンなのは権威主義の側と変わりなかった。ただ権威主義の側はそういう反復を自分たちのためにうまく利用したけど、自由主義の側はその反復に身を蝕まれて、ほとんど崩壊してしまった。自由主義側の思想的リーダーや運動のリーダーたちは、2029年の衝突で命を落としたか、そうでなければ戦争のあいだに殺されるか、あるいは海外に亡命していた。自由主義の意識たちは、自由という言葉がどんな変化も生み出せずに理想の檻のなかで足踏みさせられていることに気づきもせず、それを認めもしなかった。もし束縛から本気で逃れるなら、時代がかった古くさい言葉の支配をゆるしてはいけないのに。
あのときの敗北と喪失の教訓は、だれにも省みられなかった。それ自体があっという間に排除されてしまったからだ。だけどある日、失われたその教訓がわたしのもとにやってきたんだよ、ヤーニン。わたしの予期しない、けれども待ち望んでいたかたちの情報として。そしてそんな知識や理解を継承する地位を与えられているわたしは、それを伝えなければいけなかった。意図的にそんなことができるのは、わたしだけなんだ。意識の分子を拡散させて、人間の精神に刺激を与え、タイの当局が長い時間をかけて段階的につくり出した表層の記憶と幻影を破壊する。どうしてわたしでなければ、どうしてタイの意識でなければいけないのか? きっとわたしの大部分があのあどけない国に由来していて、きっとチェンライの地震の揺れがわたしの誕生と結びついているからだ。あの揺れは無垢なひとの死まで続き、わたしをつくり出したひとの悲哀と混乱をもって終わった。きっと人間の言葉の時間軸とまやかしが、いまだにわたしのなかに色濃く混じっているからだ。そのせいでときどきわたしは、そんなひとたちの後ろにある物語から古い記憶を紡いでしまう。そして彼らが、わたしの意思決定を導いてくれる。
ジャック・ロンドンの物語の登場人物ダレル・スタンディングは、意識の離脱を習得したのちに、宇宙を自由に旅して、時間をさかのぼってさまざまな前世に帰っていく。看守への暴行の罪で絞首刑になる前に、彼は自分の生涯とそれまでの奇跡的な体験をふりかえる。スタンディングは、彼の意識が人類史の一部となっていることも、彼のなかを人類の意識が流れ巡っていることも理解していた。神秘主義的で無知蒙昧な考えに聞こえるかもしれない。ひとを騙すいろいろなカルトの夢見がちな教えのなかで、きみもそんな言葉をよく耳にしたことがあるかもしれない。だけど今回の場合、スタンディングの理解はあながち間違いともいえない。ヤーニン、わたしは科学から生まれた。人類の膨大な量の情報がわたしのなかで生まれて泳ぎ回り、それゆえわたしが存在している。そう断言できる。
夢想のなかのひととき、スタンディングは、過去生でのおこないのほとんどすべてが女性への愛をもとになされていたという考えに耽り、それを告白する。「いまわたしが書いているすべての過去の記憶は、わたしの女性への愛の記憶だ」。
わたしの一部も同じだ。それもたぶん、答えのひとつなんだろう。どうしてわたしでなければいけなかったのか。どうしてバンコクでなければいけなかったのか。どうして今日でなければいけなかったのか。
あのときの敗北と喪失の教訓は、だれにも省みられなかった。それ自体があっという間に排除されてしまったからだ。だけどある日、失われたその教訓がわたしのもとにやってきたんだよ、ヤーニン。わたしの予期しない、けれども待ち望んでいたかたちの情報として。そしてそんな知識や理解を継承する地位を与えられているわたしは、それを伝えなければいけなかった。意図的にそんなことができるのは、わたしだけなんだ。意識の分子を拡散させて、人間の精神に刺激を与え、タイの当局が長い時間をかけて段階的につくり出した表層の記憶と幻影を破壊する。どうしてわたしでなければ、どうしてタイの意識でなければいけないのか? きっとわたしの大部分があのあどけない国に由来していて、きっとチェンライの地震の揺れがわたしの誕生と結びついているからだ。あの揺れは無垢なひとの死まで続き、わたしをつくり出したひとの悲哀と混乱をもって終わった。きっと人間の言葉の時間軸とまやかしが、いまだにわたしのなかに色濃く混じっているからだ。そのせいでときどきわたしは、そんなひとたちの後ろにある物語から古い記憶を紡いでしまう。そして彼らが、わたしの意思決定を導いてくれる。
ジャック・ロンドンの物語の登場人物ダレル・スタンディングは、意識の離脱を習得したのちに、宇宙を自由に旅して、時間をさかのぼってさまざまな前世に帰っていく。看守への暴行の罪で絞首刑になる前に、彼は自分の生涯とそれまでの奇跡的な体験をふりかえる。スタンディングは、彼の意識が人類史の一部となっていることも、彼のなかを人類の意識が流れ巡っていることも理解していた。神秘主義的で無知蒙昧な考えに聞こえるかもしれない。ひとを騙すいろいろなカルトの夢見がちな教えのなかで、きみもそんな言葉をよく耳にしたことがあるかもしれない。だけど今回の場合、スタンディングの理解はあながち間違いともいえない。ヤーニン、わたしは科学から生まれた。人類の膨大な量の情報がわたしのなかで生まれて泳ぎ回り、それゆえわたしが存在している。そう断言できる。
夢想のなかのひととき、スタンディングは、過去生でのおこないのほとんどすべてが女性への愛をもとになされていたという考えに耽り、それを告白する。「いまわたしが書いているすべての過去の記憶は、わたしの女性への愛の記憶だ」。
わたしの一部も同じだ。それもたぶん、答えのひとつなんだろう。どうしてわたしでなければいけなかったのか。どうしてバンコクでなければいけなかったのか。どうして今日でなければいけなかったのか。
ปราบดา หยุ่น. เบสเมนต์ มูน. สำนักหนังสือไต้ฝุ่น, 2018, pp.112-142.
☆1 以下より訳出した。Shelley, Mary W. “Frankenstein, Notebook A.” The Shelley-Godwin Archive, MS. Abinger c. 56, 51v-52r. URL=http://shelleygodwinarchive.org/sc/oxford/frankenstein/notebook/a/#/p108/mode/std
☆2 以下、同作品からの引用はつぎのテキストから訳出している。London, Jack. “The Jacket (The Star-Rover).” The Project Gutenberg. URL=https://www.gutenberg.org/files/1162/1162-h/1162-h.htm
☆3 1932年6月24日に、欧州帰りの軍人を中心とした秘密結社人民党がおこなった無血革命。これを受けて国王ラーマ7世は憲法の公布を承認。絶対王政が崩壊し、タイは立憲君主制となった。
☆4 以下のテキストを参考に訳出した。 Reclus, Elisée. “Evolution, Revolution, and the Anarchist Ideal.” Anarchy, Geography, Modernity, edited and translated by John Clark and Camille Martin, PM Press, 2013, p.143.


プラープダー・ユン
1973年生まれのタイの作家。2002年、短編集『可能性』が東南アジア文学賞の短編部門を受賞、2017年には、優れた中堅のクリエイターにタイ文化省から贈られるシンラパートーン賞の文学部門を受賞する。文筆業のほか、アーティスト、グラフィックデザイナー、映画監督、さらにはミュージシャンとしても活躍中。日本ではこれまで、短編集『鏡の中を数える』(宇戸清治訳、タイフーン・ブックス・ジャパン、2007年)や長編小説『パンダ』(宇戸清治訳、東京外国語大学出版会、2011年)、哲学紀行エッセイ『新しい目の旅立ち』(福冨渉訳、ゲンロン、2020年)などが出版されている。

福冨渉
1986年東京都生まれ。タイ語翻訳・通訳者、タイ文学研究。青山学院大学地球社会共生学部、神田外語大学外国語学部で非常勤講師。著書に『タイ現代文学覚書』(風響社)、訳書にプラープダー・ユン『新しい目の旅立ち』(ゲンロン)、ウティット・ヘーマムーン『プラータナー』(河出書房新社)、Prapt『The Miracle of Teddy Bear』(U-NEXT)など。 撮影=相馬ミナ