ウクライナでは戦争と日常が隣り合わせていた──東浩紀×上田洋子「ゲンロンが見たウクライナのいま」イベントレポート
なお上田と東の取材旅行については、帰国翌日の19日に「速報&お土産編」と題した報告イベントを配信のみで行なっている。今回のイベントとは異なる視点からの報告も、ぜひあわせてご覧いただきたい。
【速報&お土産編アーカイブ動画】URL=https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20231119
【本編アーカイブ動画】URL=https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20231129
イベントでは、最初に取材旅行の全体が紹介された後、東と上田それぞれの視点から取材報告のスライド発表が行われた。本レポートではイベントの流れに沿いながら、要点をかいつまんで紹介したい。
旅行は18日間に及んだ。成田を発ったふたりは、ポーランドの首都ワルシャワを経由し、空路でウクライナ国境近くの小都市ジェシュフに向かう。そしてバスに乗り換え、陸路で国境をこえ、ウクライナ西部の古都リヴィウに到着した。
これまでチェルノブイリ・ツアー[★1]などで何度かキーウには訪れた経験をもつ東と上田。しかし、リヴィウに足を運んだのは今回が初めてだった。歴史的・地理的にポーランドやオーストリア、ドイツなどの影響が強く、東いわく「日本のアニメに出てくるようなヨーロッパの町並み」が広がっているというリヴィウ。ふたりは「キーウだけでなくリヴィウも訪れなければウクライナは分からないと思った」とその初訪問を振り返った。
そんな美しい観光都市リヴィウにも、戦争はその影を落としていた。街角の銅像や教会のステンドグラスは防護壁に守られており、博物館の貴重な展示物は避難させられて空っぽになっていたという。
上田の旅程紹介スライドより
けれども、ふたりがリヴィウで印象的だったのは、戦時下の緊張感以上に、街にただようリラックスした雰囲気だったという。紅葉シーズンの街には散歩する人たちの姿も多く、夜には路上コンサートもさかんに行われていた。リヴィウにみられた戦争の非日常と市民生活の日常が隣り合っている社会の様子は、その後も話題になる。
イベントはいよいよ今回の核心に近づいていく。より前線に近い、ウクライナの首都キーウの取材報告である。「リヴィウにくらべて緊張感が強かった」というこの街で、東と上田は、戦争と日常、そしてプロパガンダや「記憶の政治」などをめぐって、さまざまな取材やインタビューを行なってきた。
東浩紀が見たキーウの日常と非日常
東による報告では、とくにキーウの取材を踏まえ、2つのポイントについて議論がなされた。ひとつは「プロパガンダと溶け合うポップカルチャー」、もうひとつは「歴史がむしろ消えていく?」という論点である。
まず、東がキーウの街で目撃したのは、日常と非日常が奇妙なかたちで混在している様子だった。
キーウには、独立広場(通称マイダン)という有名な広場がある。戦争以前には観光客の集まるスポットでもあり、2013-14年のユーロマイダンなど歴史的な出来事の舞台にもなってきた、キーウという都市の「中心」をなす広場。その芝生に、小さなウクライナ国旗が無数に突き立てられていた。
それらの国旗は、戦場で亡くなった兵士を追悼するために市民たちが立てた慰霊の旗だった。ふたりが独立広場を訪れた際には、旗のそばで泣き崩れる女性の姿があったという。それは非常につらい光景だった。
だが、ふたりが目にしたのはそのような慰霊のいとなみだけではなかった。なんと泣き崩れる女性のすぐそばを、ポップな着ぐるみたちが平然と行き交っていたのだ。戦争以前であれば観光客のチップを目当てに広場にたむろっていた着ぐるみは、いまは募金などを集めているらしい。だがどうして、楽しげなキャラクターの着ぐるみと兵士を追悼する旗が、同じ広場のなかに共存しているのか──。
東の発表スライドより
独立広場に広がっていた、戦争の非日常とポップな日常の奇妙な混在。それはここだけで見られた光景ではなかった。
イベントではふたりが現地で購入してきた、さまざまなTシャツやボードゲーム、マンガなども紹介された。そこには、いまウクライナで生じている戦争の光景が、さまざまにデフォルメされ、ポップなかたちで描かれている。またキーウの街なかには、まるで映画やゲームの主人公のように描かれた兵士のポスターが掲げられ、軍の活躍を伝えたり寄付を呼びかけたりしている。
東の発表スライドより
東は報告をつうじて、いまのウクライナでは、「国家主導のプロパガンダと草の根のポップカルチャーが区別なく溶け合っている」と指摘する。そのような日常と非日常が混在している状況では、「笑い」や「パロディ」はむしろ──ゲームっぽく描かれた兵士のポスターのように──戦意や愛国心を奮い立たせるばかりで、かつてのような反戦の役割は果たさない。「そのとき戦争に抵抗するとは何だろうか」と東は問いかける。その問いは、今回のイベントをつうじて繰り返しあらわれることになる。
もう一つの論点は、戦争や被害の過去をめぐる歴史表象や「記憶の政治」の問題とかかわっている。
東は、キーウの博物館で目にした、今回の戦争や第二次世界大戦中のユダヤ人虐殺にかんする展示を紹介しながら、そこで「被害」が強調されるあまり、細かな歴史的・地理的な差異が塗りつぶされてしまいがちであることを指摘する。議論はそこから、近年世界的に広がっている「記憶の政治」や「犠牲者意識ナショナリズム」が抱えている問題点へと広がっていく。
そこに見出されるのは、あまりに強く機能する「犠牲者性」が歴史を飲み込み、過去の出来事の差異を無視して、すべてを「いまの戦争」や「いまの正しさ」に結びつけて語ってしまうような「歴史のスーパーフラット化」ではないか、と東は問いかける。そのような「フラット化」は、歴史表象だけでなく、プロパガンダとポップカルチャーの融合としても生じているだろう。東の取材報告は、戦争や歴史をめぐる新たな表象文化論的な問題をわたしたちに鋭く提起している。
戦争下でのアートとは何か
続いて上田による取材報告が行われた。上田が取り上げるのは、「戦争下の状況で、人々がどのようにアートを行なっているか」という論点である。
報告では、ドイツ・ヴォルフスブルクでの「ハルキウ派写真展」をはじめとして、それぞれキーウ、リヴィウ、ベルリンの各地で開催されていた4つの展示が紹介された。
「ハルキウ派」とは、ウクライナ北東部の都市ハルキウで、ソ連下の1970年代頃に生まれた写真家グループのこと。その写真家たちが残した膨大な写真のアーカイブを、同派の写真家でキュレーターのセルヒー・レヴェディンスキーがドイツに避難させ、今回の展示につながったのだという。
ハルキウ派の特徴は、ソ連においてはタブー視されていた裸体や、ゴミ、廃墟、美しくない日常などをテーマに選び、独自の写真表現を追求したことだった。それは写真が報道に特化していたソ連においては存在しえなかった「アートとしての写真」をつくりだそうとする試みで、当時はまったく理解されなかったと上田は語る。
とはいえ、ソ連崩壊後、ハルキウ派の影響は広がっていく。現在は2000年代生まれの写真家たちも活躍しており、ウクライナで写真といえばまずハルキウの名前があがるようになっているという。
報告では、この展示から、戦争関係の写真がいくつか紹介された。たとえば2010年から活動しているグループ「Shilo」(千枚通し)の「戦争の記録」という作品は、戦争で破壊された風景とそこに生きる人たちの日常を組み合わせることで、たんに戦争の悲惨さを描きだすだけでなく、戦時下でも以前の習慣のまま不器用にしか振る舞うことのできない人間の滑稽さを重ね合わせて、複雑な現実を浮かび上がらせようとしている、と上田は分析する。
上田の発表スライドより
ハルキウ派の展示には、ロシア国境に近く、その影響を歴史的に強く受けてきた都市で暮らしてきた写真家たちが、ロシアによる攻撃をどのように受け止めているかということがあらわれていると上田は語る。詳しくは来春刊行予定の『ゲンロン16』で紹介されるとのこと。イベントとあわせてご覧いただきたい。
続いて、キーウ最大の現代美術ギャラリーのひとつであるピンチュク・アートセンターで開催されている、ジャンナ・カディロワの個展「飛行の軌道」が紹介された。カディロワは1981年生まれのアーティストで、キーウを拠点に活動している。2022年には越後妻有の「大地の芸術祭」にも参加した。
カディロワの作品は社会をテーマとするものが多いという。たとえばロシアによるクリミア併合があった2014年には、ウクライナの地図をモチーフにしたものや、「境界」を扱うものなど、この歴史的問題を多面的に考察する作品を発表していたそうだ。しかし、戦争を経て、この作家の作品は複雑なニュアンスをもつものから、シンプルなメッセージを伝える内容になってきていると上田は分析する。
日本でも展示された「パリャヌィツャ」という、ウクライナ語でパンを意味する作品がある。文字通り石でパンを模ったものだが、これはロシア人が発音できないとされる、戦時のウクライナ社会に紛れたロシアの工作員を見つけ出すために用いられた言葉がベースになっている。「飛行の軌道」展では、この作品は、作品の販売金額と寄付先・用途を記録したリストとともに展示されていたという。解説によると、戦争が始まって、アーティストとして生きている自分に自信を失ったカディロワは、この作品で資金を集めてウクライナ軍に巨額の寄付をし、それによって自信を回復したのだそうだ。上田は、戦争下において──とくに侵略を受けた側の国民として──アーティストが心に抱いてしまう「国のために」という使命感や、あるいは無力感・喪失感を読み取りつつも、アートがやるべきことはこのように直接的なかたちで戦争に参加することなのかと問うた。
上田の発表スライドより
対照的に、リヴィウとベルリンの展示は、より複雑なコンテクストのなかで戦争というものを描き出していたという。
リヴィウ・アートセンターで開催されていた、アーティストのニキータ・カダンがキュレーションをした展示「失われたものについて」は、戦時下で生まれている作品と20世紀ウクライナ美術の歴史的な作品を組み合わせ、現代の戦争と歴史が響き合うように展示していた。上述のカディロワと同じく2024年の「大地の芸術祭」に参加予定だというカダンの展示では、現代の戦争における生や喪失の意味を歴史的なコンテクストのなかで俯瞰して考えようとしており、そのコンセプトがとても良かったと上田は振り返った。
戦時下のアートをめぐる上田の報告が明らかにするのは、戦争という非日常においてアーティストがそれまでのように制作を続けることの難しさと、他方で、そのような状況でも、戦争のなかに、ともすれば目の前の出来事にかき消されて見えなくなるような複雑なコンテクストを見出し、それを描き出そうと奮闘しているアーティストが存在するということだった。
今回のイベントをつうじて何度も繰り返されたのは、戦争のなかで「日常」を保ち続けることの難しさである。それは「平和」や「歴史」と言い換えてもよいだろう。たしかにリヴィウの街にみられたように、表面的には戦時下のウクライナにも市民たちの日常生活は存在していた。しかし空襲警報や街のポスターや土産物にあらわれていたのは、ポップカルチャーやSNSといった現代社会の日常が、いつのまにか戦争と結びつき、非日常のなかに取り込まれてしまうという現実でもあった。
戦争の傷はあまりにも深い。この報告では語りきれなかったが、今回の取材旅行で、ふたりはウクライナが受けた被害の甚大さと根深さもまた体感したという。彼らは完全な勝利を望んでいる。そこにある怒りを受け止めながら、それでも平和や停戦を語るとしたらどのような言葉を選べばよいだろうか──。イベントの全体を通して感じられた、いつにない会場の空気の重さは、ふたりの取材報告が投げかける、われわれへの問いの重さであったようにも感じられた。(植田将暉)
URL=https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20231129