イスラームななめ読み(2)「イスラム」VS.「イスラム教」|松山洋平
初出:2020年9月15日刊行『ゲンロン11』
イスラーム教について文章を書くときに、悩むことがある。それは、この宗教をどのように呼ぶかということだ。
「イスラムはイスラムだろう」と思われるかもしれない。しかし、現代の日本語では、キリスト教や仏教とは異なり、イスラーム教を呼ぶときに用いる言葉は統一されていない。
「イスラムはイスラムだろう」と思われるかもしれない。しかし、現代の日本語では、キリスト教や仏教とは異なり、イスラーム教を呼ぶときに用いる言葉は統一されていない。
① イスラム
② イスラーム
③ イスラム教
④ イスラーム教
大きくわけてこの四つの選択肢が存在する。
ただし、呼称の選択を困難にする要因は、選択肢が多いということそれ自体にあるわけではない。今日、多くの論者が、イスラーム教を名指すときにどの呼称を用いるべきかという議論に与している。つまり、特定の呼称を採用することを正当化する議論がなされたり、特定の呼称を選択することに批判がなげかけられたりすることがある。特に、「イスラム」(あるいは「イスラーム」)に、「教」という文字を付けるか否かという点について、そのような議論が目立つ。
いったい、「教」を付けないこと、あるいは付けることの何が問題となるのだろうか。
② イスラーム
③ イスラム教
④ イスラーム教
そもそも、日本語では元来、イスラーム教を指すときには「イスラム」ではない別の言葉が使われていた。この歴史的前提から確認しよう。 イスラーム教を最初に日本語で紹介したと目される人物は新井白石(1657‐1725年)である。彼はその著作中で、イスラーム教を「回回(の教)」、および「マアゴメタン」という言葉を使って呼んでいる[★1]。「回回」は、主に明代以降の中国において、イスラーム教を指して用いられるようになった言葉である。「回」という文字は、一説にはウイグル(回鶻・回紇)に由来すると言われる[★2]。「マアゴメタン」は、白石が尋問したイタリア人のキリスト教宣教師シドッティ(Giovanni Battista Sidotti:1668‐1714年)が発した言葉をそのまま書き取ったもので、「マホメット(ムハンマド)の信者」程度の意である。 中国で用いられた「回回」は日本でも定着し、明治以降、実に昭和後期に至るまで、日本ではイスラーム教を「回回教」、「回回宗」、「回教」、あるいは「マホメット教」などの呼称で呼ぶのが一般的であった。 これらの時代にも、カタカナの「イスラム」や「イスラーム」という言葉を使うことはあったが、その場合には、「教」の文字を付さずに書くことも実は少なくなかった。イスラーム教は、なぜ「教」の文字無しに表記されたのだろうか。
これは私説であるが、その理由の一つは、「イスラム」や「イスラーム」が、あくまで外国語の単語をカタカナ転写した文字列として認識されていたためである。
例証は多い。
政府関連機関発行のイスラーム教概説書、日本人イスラーム教徒の著述、イスラーム教圏に関する新聞記事など、種々の媒体に書かれた多くの文章の中に、本論では一貫して「回教」表記を用いつつも、アラビア語の「إسلام(イスラーム)」や英語の「Islam」という単語を転写するときにのみ、「イスラム」・「イスラーム」というカタカナの文字列を登場させる例を確認することができる[★3]。
一例だけとりあげてみよう。初期日本人イスラーム教徒として有名な田中逸平(1882‐1934年)は、「回教」という日本語の単語に対して「イスレアム」(ママ)というカタカナのルビを振っている[★4]。田中は、イスラーム教について記述するとき、日本語の単語に対して、その単語に対応するアラビア語のカタカナ転写をルビで振る表現を好んでいた──たとえば、「礼拝の方向」、「真主」、「白衣」、「教長」、「念珠」(すべてママ)といった具合である[★5]。「回教」という言葉に付された「イスレアム」とのルビも、アラビア語のカタカナ転写と考えてまず間違いない。
外国語として認識していたのであれば、「教」の文字を付さずに裸で「イスラム」と書く例が多かったのもまったく不自然なことではない。新井白石が、イタリア人のシドッティから耳にした「マアゴメタン」という言葉をあくまで外国語として捉え、「マアゴメタン(の)教」などとは記さなかったことと同じ理屈である。
その後、「回教」という表記の使用頻度が下がり、「イスラム(教)」という表記が日本語の呼称として広く一般に用いられるようになるのは昭和後期になってからのことであった[★6]。
ところで、「回教」表記が支配的だった時代にも、また、「イスラム」表記が日本語として定着していった時期にも、多くの論者は、カタカナの「イスラム」という文字列に「教」の文字を付けるか否かという問題には関心を向けていなかった。
例証は多い。
政府関連機関発行のイスラーム教概説書、日本人イスラーム教徒の著述、イスラーム教圏に関する新聞記事など、種々の媒体に書かれた多くの文章の中に、本論では一貫して「回教」表記を用いつつも、アラビア語の「إسلام(イスラーム)」や英語の「Islam」という単語を転写するときにのみ、「イスラム」・「イスラーム」というカタカナの文字列を登場させる例を確認することができる[★3]。
一例だけとりあげてみよう。初期日本人イスラーム教徒として有名な田中逸平(1882‐1934年)は、「回教」という日本語の単語に対して「イスレアム」(ママ)というカタカナのルビを振っている[★4]。田中は、イスラーム教について記述するとき、日本語の単語に対して、その単語に対応するアラビア語のカタカナ転写をルビで振る表現を好んでいた──たとえば、「礼拝の方向」、「真主」、「白衣」、「教長」、「念珠」(すべてママ)といった具合である[★5]。「回教」という言葉に付された「イスレアム」とのルビも、アラビア語のカタカナ転写と考えてまず間違いない。
外国語として認識していたのであれば、「教」の文字を付さずに裸で「イスラム」と書く例が多かったのもまったく不自然なことではない。新井白石が、イタリア人のシドッティから耳にした「マアゴメタン」という言葉をあくまで外国語として捉え、「マアゴメタン(の)教」などとは記さなかったことと同じ理屈である。
その後、「回教」という表記の使用頻度が下がり、「イスラム(教)」という表記が日本語の呼称として広く一般に用いられるようになるのは昭和後期になってからのことであった[★6]。
ところで、「回教」表記が支配的だった時代にも、また、「イスラム」表記が日本語として定着していった時期にも、多くの論者は、カタカナの「イスラム」という文字列に「教」の文字を付けるか否かという問題には関心を向けていなかった。
ゲンロン、次の10年へ
『ゲンロン11』
安藤礼二/イ・アレックス・テックァン/石田英敬/伊藤剛/海猫沢めろん/大井昌和/大森望/山顕/小川哲/琴柱遥/さやわか/武富健治/辻田真佐憲/中島隆博/速水健朗/ユク・ホイ/本田晃子/巻上公一/松山洋平/安彦良和/山本直樹/柳美里/プラープダー・ユン/東浩紀/上田洋子/福冨渉 著
東浩紀 編
東浩紀 編
¥2,750(税込)|A5判・並製|本体424頁|2020/9/23刊行
松山洋平
1984年静岡県生まれ。名古屋外国語大学世界教養学部准教授。専門はイスラーム教思想史、イスラーム教神学。東京外国語大学外国語学部(アラビア語専攻)卒業、同大学大学院総合国際学研究科博士後期課程修了。博士(学術)。著書に『イスラーム神学』(作品社)、『イスラーム思想を読みとく』(ちくま新書)など、編著に『クルアーン入門』(作品社)がある。
イスラームななめ読み
- 『ゲンロン14』特設ページ
- イスラームななめ読み(10) これからのクルアーン翻訳、あるいはアダプテーション|松山洋平
- イスラーム教と現代日本の宗教観
- イスラームななめ読み(8) ニッポンのムスリムが自爆するとき|松山洋平
- イスラームななめ読み(7) 田舎者のサイバー・ジハード|松山洋平
- イスラームななめ読み(6) 日本・イスラーム・文学──中田考『俺の妹がカリフなわけがない!』について|松山洋平
- ノックの作法と秘する文化
- イスラームななめ読み(4) アッラーのほか、仏なし|松山洋平
- イスラームななめ読み(3) 大日本帝国の汎イスラム主義者|松山洋平
- イスラームななめ読み(2)「イスラム」VS.「イスラム教」|松山洋平
- イスラームななめ読み(1) イスラミック・ポップとヨーロッパ |松山洋平