イスラームななめ読み(7) 田舎者のサイバー・ジハード|松山洋平
初出:2022年5月30日刊行『ゲンロンβ73』
シリア・アラブ共和国で内戦が発生してから11年が経過した。事態はまだ収束していない。在英の非政府組織シリア人権監視団(Syrian Observatory for Human Rights)の統計に基づけば、内戦が始まった2011年3月から2022年3月までの間の死者数は61万人に上る[★1]。
2022年2月にウクライナに軍事侵攻し国際的な批判を浴びたロシアは、2015年以来、シリアの内戦にも軍事介入しており、アサド政権の維持に大きく寄与している。ロシアはシリアに数万人を派兵し、数百種類の兵器を使用したと見られているが、シリアでの経験と「成功」が、ウクライナ侵攻に弾みをつけたという見方もある[★2]。
日本でも戦場のイメージが定着したシリアだが、かつては、日本からもモスクワ経由で気軽に渡航することができる土地だった。筆者も学生時代、語学留学を含め、幾度も渡航している。
なぜシリアに? と思うかもしれないが、内戦前のシリアは、世界中のアラビア語学習者にとって有力な留学候補地だった。比較的治安がよく、物価も安い。筆者が留学中に通ったダマスカスの語学学校には、ロシア人・イギリス人・イタリア人・アゼルバイジャン人・トルコ人など、アラビア語を学ぶ様々な国籍のクラスメートがいた。
2022年2月にウクライナに軍事侵攻し国際的な批判を浴びたロシアは、2015年以来、シリアの内戦にも軍事介入しており、アサド政権の維持に大きく寄与している。ロシアはシリアに数万人を派兵し、数百種類の兵器を使用したと見られているが、シリアでの経験と「成功」が、ウクライナ侵攻に弾みをつけたという見方もある[★2]。
日本でも戦場のイメージが定着したシリアだが、かつては、日本からもモスクワ経由で気軽に渡航することができる土地だった。筆者も学生時代、語学留学を含め、幾度も渡航している。
なぜシリアに? と思うかもしれないが、内戦前のシリアは、世界中のアラビア語学習者にとって有力な留学候補地だった。比較的治安がよく、物価も安い。筆者が留学中に通ったダマスカスの語学学校には、ロシア人・イギリス人・イタリア人・アゼルバイジャン人・トルコ人など、アラビア語を学ぶ様々な国籍のクラスメートがいた。
シリアの首都ダマスカスは、歴史的建造物が残存する旧市街と、その外に広がる新市街に分かれている。旧市街には遺跡が多い。そもそも、街自体が「古代都市ダマスカス」として世界遺産に登録されている。その中心部には、現存する世界最古のモスクと言われるウマイヤド・モスクがある。礼拝堂には、洗礼者ヨハネの頭部を収めたとされる廟があり、モスクのすぐ横の建物にはアイユーブ朝のサラディンが眠っている。モスク正面にはローマ時代の凱旋門が形をとどめていて、この門をくぐると旧市街最大のスーク、ハミーディーエ・スークに入る。パウロに洗礼を授けたアナニアの家とされる聖アナニア教会や「まっすぐな道」のように、キリスト教にまつわる遺跡もあれば、アゼム宮殿のようなオスマン朝時代の遺跡も多い。筆者は留学中に、この旧市街のウマイヤド・モスクのすぐそばで暮らしていた。
ある日、旧市街の町はずれで日用品の買い足しをしていたときに、1人のシリア人青年に話しかけられた。聞くと、働き口が見つかったか何かで、田舎から出てきたばかりだという。ダマスカスのことはまだよくわからないそうだ。
「立ち話も何だし」と言って、なかば強引に、近くにある彼の部屋に案内された。ボロアパートで、家具もほとんどない。
「どうぞ」と差し出されたのは、1杯の水道水だった。
手に取ったグラスの中には、何かゴミのようなものが浮いていた。糸……というよりも、毛玉だ。大小の赤い毛玉がいくつか水に浮いている。わざと入れたわけではないだろう。グラスに入っていたゴミが目に入らなかったのだ。しかし、直径2センチはありそうな毛玉を見逃すとは、たいそう大様である。
ある日、旧市街の町はずれで日用品の買い足しをしていたときに、1人のシリア人青年に話しかけられた。聞くと、働き口が見つかったか何かで、田舎から出てきたばかりだという。ダマスカスのことはまだよくわからないそうだ。
「立ち話も何だし」と言って、なかば強引に、近くにある彼の部屋に案内された。ボロアパートで、家具もほとんどない。
「どうぞ」と差し出されたのは、1杯の水道水だった。
手に取ったグラスの中には、何かゴミのようなものが浮いていた。糸……というよりも、毛玉だ。大小の赤い毛玉がいくつか水に浮いている。わざと入れたわけではないだろう。グラスに入っていたゴミが目に入らなかったのだ。しかし、直径2センチはありそうな毛玉を見逃すとは、たいそう大様である。
以前シリアで、「物事の機微を理解する力を養い、心身の健康を保つためには、都会で暮らすべきである。田舎で暮らしているとぼーっとしてしまう」という言説を聞いたことがあった。初めて耳にしたときはそんな馬鹿な話があるかと笑ったが、毛玉の浮いた水を見ながら少し納得してしまった。
毛玉が口に入らないように唇を濡らしながら彼と世間話をした。彼は、ダマスカスという都会に「よそ」からやって来た者同士の会話を楽しんでいるようだった。
どういう文脈だったか、「いつか、ジハードに行って、戦いたいんだ」と彼が切り出した。「今度きみが日本に帰った時に、お願いしたいことがある」と私に言う。
そのお願いというのは、「動画」のデータを日本から持ってきてほしい、というものだった。
シリアでは、政府批判につながる可能性のある本は販売が禁止され、ブロックされて閲覧できないウェブサイトも多い。何か情報が欲しいのだろうか。
彼の話を聞くと、どうも、「ジハード」に行く具体的な計画をたてているわけではないようだった。そもそも、どのような武装グループが存在し、どこでどういう活動をしているのか、まったく知らないと言う。当時世界的な話題になっていたアルカイダのこともよく知らないらしい。
ジハードについての説教動画でも見たいのかと思ったが、そうではないという。ジハーディストが発信している、短い「PR動画」、特に、「かっこいい音楽が付いてるやつ」が欲しいらしい。戦意をアゲたいのだと言う。
かっこいい音楽が重要だ、と念を押された。
毛玉が口に入らないように唇を濡らしながら彼と世間話をした。彼は、ダマスカスという都会に「よそ」からやって来た者同士の会話を楽しんでいるようだった。
どういう文脈だったか、「いつか、ジハードに行って、戦いたいんだ」と彼が切り出した。「今度きみが日本に帰った時に、お願いしたいことがある」と私に言う。
そのお願いというのは、「動画」のデータを日本から持ってきてほしい、というものだった。
シリアでは、政府批判につながる可能性のある本は販売が禁止され、ブロックされて閲覧できないウェブサイトも多い。何か情報が欲しいのだろうか。
彼の話を聞くと、どうも、「ジハード」に行く具体的な計画をたてているわけではないようだった。そもそも、どのような武装グループが存在し、どこでどういう活動をしているのか、まったく知らないと言う。当時世界的な話題になっていたアルカイダのこともよく知らないらしい。
ジハードについての説教動画でも見たいのかと思ったが、そうではないという。ジハーディストが発信している、短い「PR動画」、特に、「かっこいい音楽が付いてるやつ」が欲しいらしい。戦意をアゲたいのだと言う。
かっこいい音楽が重要だ、と念を押された。
松山洋平
1984年静岡県生まれ。名古屋外国語大学世界教養学部准教授。専門はイスラーム教思想史、イスラーム教神学。東京外国語大学外国語学部(アラビア語専攻)卒業、同大学大学院総合国際学研究科博士後期課程修了。博士(学術)。著書に『イスラーム神学』(作品社)、『イスラーム思想を読みとく』(ちくま新書)など、編著に『クルアーン入門』(作品社)がある。
イスラームななめ読み
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