つながりロシア(14) コロナ・パニックと東方正教会(2)「われわれ」の中に潜む敵──「ウクライナ正教会」の断罪と救い|高橋沙奈美
初出:2020年09月23日刊行『ゲンロンβ53』
第2回
欧州で都市封鎖と外出制限が始まったこの春、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンは、続々と打ち出される防疫措置を受け入れる社会について「自分たちの生が純然たる生物学的な在り方へと縮減され、社会的・政治的な次元のみならず、人間的・情愛的な次元のすべてを失った、ということに彼らは気づいていない」と警告した。これは、彼の哲学を知るものにとっては、いかにもアガンベンらしい指摘であった[★1]。しかしこの時ばかりは、新型コロナウィルスを「通常のインフルエンザとそれほど違わない」と断定したこの老哲学者を、専門家や思想界は激しく非難した[★2]。
筆者は前号で、コロナ禍において自分たちの生が生物学的な次元に還元されてしまうことを拒否したロシアの正教徒たちについて紹介した。今回は隣国ウクライナの正教徒の状況を論じたい[★3]。
なお、本論では主に伝統的正教徒に言及する。伝統的正教徒とは、教会に定期的に通い、地域コミュニティでもある教区共同体を形成する人びとで、実際は正教徒を自認する信者の1割程度を占めるに過ぎない。しかし、教会が彼らによって支えられている以上、正教会について考える上で無視することのできない存在である。コロナ禍における伝統的正教徒の行動の中には、リスクを軽視したものがあり、また宗教的権威の維持や経済的利益の充足に動機付けられたものがあったことは否定しようもない。しかしその一方で、「距離を取ることが他者を守ることになる」というコロナ時代の命題を信じることができなかった人びとがいたこともまた確かである。
新型コロナウィルスがもたらしたものは、防疫措置による経済的なダメージだけではない。アガンベンの警告に従えば、われわれはあまりに無防備に「純然たる生物学的」な生を守ることを至上命題としてしまいがちである。防疫措置を無視・軽視していると見られる言動は、自他の生命を脅かすものとして、徹底的に攻撃されている。こうした状況下で、われわれが「生きる」ことの意味が再び問い直されている。緊急事態を突きつけられた社会がいかに容易に「敵」を作り出すか、そして、そのような状況下で意味ある生を生きるとはどういうことなのかを、ウクライナの事例から考えてみたい。
筆者は前号で、コロナ禍において自分たちの生が生物学的な次元に還元されてしまうことを拒否したロシアの正教徒たちについて紹介した。今回は隣国ウクライナの正教徒の状況を論じたい[★3]。
なお、本論では主に伝統的正教徒に言及する。伝統的正教徒とは、教会に定期的に通い、地域コミュニティでもある教区共同体を形成する人びとで、実際は正教徒を自認する信者の1割程度を占めるに過ぎない。しかし、教会が彼らによって支えられている以上、正教会について考える上で無視することのできない存在である。コロナ禍における伝統的正教徒の行動の中には、リスクを軽視したものがあり、また宗教的権威の維持や経済的利益の充足に動機付けられたものがあったことは否定しようもない。しかしその一方で、「距離を取ることが他者を守ることになる」というコロナ時代の命題を信じることができなかった人びとがいたこともまた確かである。
新型コロナウィルスがもたらしたものは、防疫措置による経済的なダメージだけではない。アガンベンの警告に従えば、われわれはあまりに無防備に「純然たる生物学的」な生を守ることを至上命題としてしまいがちである。防疫措置を無視・軽視していると見られる言動は、自他の生命を脅かすものとして、徹底的に攻撃されている。こうした状況下で、われわれが「生きる」ことの意味が再び問い直されている。緊急事態を突きつけられた社会がいかに容易に「敵」を作り出すか、そして、そのような状況下で意味ある生を生きるとはどういうことなのかを、ウクライナの事例から考えてみたい。
ウクライナのナショナリズムと正教会
ウクライナはロシアとポーランドに挟まれた多民族・多宗教国家である。首都キエフ[★4]は、東スラブ民族(ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人)揺籃の地であり、東方正教の信仰もここで東スラブ民族に受容された[★5]。こうして、正教はウクライナの最も伝統的で重要な宗教のひとつとなった。しかし、17世紀以降、政治の中心がモスクワに移ると、ウクライナの正教会はロシア正教会(モスクワ総主教庁)の管轄下に置かれることになる。 19世紀末になると、ウクライナでもナショナリズムが覚醒し始める。1917年のロシア革命によってウクライナが国家として独立すると、正教会のロシアからの独立も試みられるようになった(教会の独立とは、その教会の主座主教(最高位の聖職者)がそれ以上の上位者を持たない状態を指す。東方正教会は、同じ教義を共有するが、それぞれの管轄領域を有する独立教会によって構成されている)[★6]。教会独立問題はソ連時代には強力に抑圧されたが、1991年のソ連解体とウクライナ独立によって再浮上することとなった。
現在に至るまで、ウクライナにおける正教会の最大宗派は、モスクワ総主教庁の管轄下に置かれた「ウクライナ正教会」(Ukrainian Orthodox Church-Moscow Patriarchate、以下この宗教団体は括弧付きで、ウクライナにおける正教会全般を指す場合は括弧なしで記す)であり続けてきた[★7]。だが、2014年春にロシアとウクライナの間で紛争が勃発すると、ウクライナの正教会がロシアの下にあることはいよいよ見過ごせないと、ますます多くの人びとが考えるようになった。そして、当時の大統領ペトロ・ポロシェンコの強力なてこ入れの下、2019年1月に、「新ウクライナ正教会」(Orthodox Church in Ukraine、以下「新正教会」)が創設された。これは、それぞれロシア革命後とソ連解体後にロシア教会から離反して独立教会を自認していた二つの正教会が合同して結成されたものである。
ただし、教会組織は独立したり、合同したりということが自由にできるわけではない。教会独立のためには、宗教的権威による「祝福」(と呼ばれる承認)が不可欠であり、祝福がなければ教会で授けられる「機密」(神の恩寵のことで、洗礼や聖体拝領を通して受ける)は、形式だけのものとなると理解されている。本来であれば、ウクライナにおいて正教会が独立するためには、それを管轄する母教会・ロシア正教会の承認が必要である。「新正教会」を結成した2つの教会はこの承認を受けていなかった。それはつまり、これらの教会に通っても正教徒としての救いは約束されないことを意味し、伝統的正教徒を遠ざける要因となっていた。
ロシア正教会がウクライナ教会の独立を承認する可能性は限りなく低い。そこで、ポロシェンコ大統領はモスクワではなく、トルコのコンスタンティノープル総主教の承認を得ることにした。コンスタンティノープル総主教とは、世界各地の独立教会の主座主教の中でも特別の権威を認められた「世界総主教」と呼ばれる存在である。ただし、世界総主教はローマ教皇のような教会全体に対する決定権を持つわけではない。各独立正教会の主座主教がそれぞれの教会の最高位である以上、各独立教会が自らの管轄下の問題を決定する自治権を持っている。世界総主教がこれに介入することはできない。
そこで世界総主教は、ウクライナに対する世界総主教座の管轄権を宣言した上で、ウクライナ教会の独立を認めたのである[★8]。このことはロシア正教会の強い反発を招いたばかりでなく、他の地方教会からも疑問を持たれるものとなった。
それでも、念願の独立を果たした「新正教会」は、多くのウクライナ人の愛国心に強く訴えかけた。また、40歳にして「新正教会」のトップに立ったエピファニー府主教の新しい教会運営は、「脱ソ入欧」を切望するリベラルな知識層の支持を得ることにも成功した。
一方、ロシア正教会の管轄下に留まったモスクワ総主教庁管轄下の「ウクライナ正教会」は、ウクライナにおける正教会の最大宗派ではあり続けたものの、親露的、復古主義的なイメージが強く、ナショナリズムによる激しく執拗な攻撃を受けることになったのである。
現在に至るまで、ウクライナにおける正教会の最大宗派は、モスクワ総主教庁の管轄下に置かれた「ウクライナ正教会」(Ukrainian Orthodox Church-Moscow Patriarchate、以下この宗教団体は括弧付きで、ウクライナにおける正教会全般を指す場合は括弧なしで記す)であり続けてきた[★7]。だが、2014年春にロシアとウクライナの間で紛争が勃発すると、ウクライナの正教会がロシアの下にあることはいよいよ見過ごせないと、ますます多くの人びとが考えるようになった。そして、当時の大統領ペトロ・ポロシェンコの強力なてこ入れの下、2019年1月に、「新ウクライナ正教会」(Orthodox Church in Ukraine、以下「新正教会」)が創設された。これは、それぞれロシア革命後とソ連解体後にロシア教会から離反して独立教会を自認していた二つの正教会が合同して結成されたものである。
ただし、教会組織は独立したり、合同したりということが自由にできるわけではない。教会独立のためには、宗教的権威による「祝福」(と呼ばれる承認)が不可欠であり、祝福がなければ教会で授けられる「機密」(神の恩寵のことで、洗礼や聖体拝領を通して受ける)は、形式だけのものとなると理解されている。本来であれば、ウクライナにおいて正教会が独立するためには、それを管轄する母教会・ロシア正教会の承認が必要である。「新正教会」を結成した2つの教会はこの承認を受けていなかった。それはつまり、これらの教会に通っても正教徒としての救いは約束されないことを意味し、伝統的正教徒を遠ざける要因となっていた。
ロシア正教会がウクライナ教会の独立を承認する可能性は限りなく低い。そこで、ポロシェンコ大統領はモスクワではなく、トルコのコンスタンティノープル総主教の承認を得ることにした。コンスタンティノープル総主教とは、世界各地の独立教会の主座主教の中でも特別の権威を認められた「世界総主教」と呼ばれる存在である。ただし、世界総主教はローマ教皇のような教会全体に対する決定権を持つわけではない。各独立正教会の主座主教がそれぞれの教会の最高位である以上、各独立教会が自らの管轄下の問題を決定する自治権を持っている。世界総主教がこれに介入することはできない。
そこで世界総主教は、ウクライナに対する世界総主教座の管轄権を宣言した上で、ウクライナ教会の独立を認めたのである[★8]。このことはロシア正教会の強い反発を招いたばかりでなく、他の地方教会からも疑問を持たれるものとなった。
それでも、念願の独立を果たした「新正教会」は、多くのウクライナ人の愛国心に強く訴えかけた。また、40歳にして「新正教会」のトップに立ったエピファニー府主教の新しい教会運営は、「脱ソ入欧」を切望するリベラルな知識層の支持を得ることにも成功した。
一方、ロシア正教会の管轄下に留まったモスクワ総主教庁管轄下の「ウクライナ正教会」は、ウクライナにおける正教会の最大宗派ではあり続けたものの、親露的、復古主義的なイメージが強く、ナショナリズムによる激しく執拗な攻撃を受けることになったのである。
正教会の持つ宗教的/世俗的意味の断絶
実際、「ウクライナ正教会」の指導的立場にある高位聖職者のうちには、親露的な態度を隠さない者もいたし、政界・財界の権力との癒着や腐敗が疑われる者もいた。それでも、伝統的な信者と聖職者の多くは、「ウクライナ正教会」への忠誠を捨てなかった。教会独立問題があまりに深くウクライナ・ナショナリズムと結びついてしまったために忘れられがちであるが、信者や聖職者の教会に対する忠誠心はそもそも、政治的である以前に、宗教的な問題であったはずだ。伝統的信者にとって、ウクライナの愛国者であることと、「ウクライナ正教会」の信者であることは本来矛盾しない。一方、世俗的なナショナリズムの論理に則れば、ウクライナ愛国者たるものロシアから独立した「新正教会」を支持するべきで、「ウクライナ正教会」はロシアの傀儡に過ぎないということになる。現在のウクライナ社会において、教会に定期的に通う伝統的信者の割合は多くはない。伝統的信者の宗教的な動機に基づく「ウクライナ正教会」支持は、世俗的ナショナリズムにおいてはまったくといっていいほど理解されないのである。農村部に多い伝統的正教徒は、自分たちが定期的に通う教区の司祭(教区における聖職者の指導者)と深い関係を築いている。子供の洗礼、結婚、埋葬といった人生儀礼を行うのも、日々の健康や安寧の祈願や死者のための追悼を行うのも教区司祭であることを想起すれば、そのことは容易に理解できる。教区信者の心が司祭から離れるか、司祭自らが「新正教会」に移管しない限り、教区信者が「新正教会」を支持する可能性は低い[★9]。
一方の聖職者は、聖職者になるための機密を受ける際に教会に対する忠誠を誓っている。彼らは、聖職者社会のネットワークの中で生きており、誓いを破ることは、宗教的な問題のみならず、自分を育み、また自らも慈しんできたコミュニティを完全に断ち切ることを意味する。
こうした事情から、聖職者や伝統的正教徒が自発的に「ウクライナ正教会」を捨てて「新正教会」へと移り、新しい宗教共同体を形成することは、ポロシェンコ政府が期待したほど起こらなかった。そこで政府は、農村部のナショナリストや公務員を動員して「新正教会」への支持を表明させ、「ウクライナ正教会」の聖堂を、時に強制力を伴って、「新正教会」へと移管した。また、病院や消防署・警察署・学校等の公的機関に付随する聖堂はすべて「新正教会」に移管した。
このような強制的な移管のせいで、「ウクライナ正教会」の聖職者たちの中には、慣れ親しんだ聖堂から追放される者も現れた(こうした事例は、ナショナリズムの強力な西部で多く見られた)。「ウクライナ正教会」を支持してきた伝統的正教徒や聖職者は、自らの宗教的信条と「モスクワの傀儡」というナショナリストからの非難の狭間で苦悩した。
「ウクライナ正教会」のリスク対応と感染拡大
このような「新正教会」の立ち上げに伴う暴力と混乱は、2019年春のウクライナを席巻した。しかし、同年4月にヴォロディミル・ゼレンスキーが大統領となると、「ウクライナ正教会」の宗教共同体を「新正教会」へ移管する圧力は下火になった。ただし、ナショナリストによる「ウクライナ正教会」への敵視も、「ウクライナ正教会」自体が内部に抱える旧態依然とした体質の問題も、なくなったわけではなかった。そして、新型コロナウィルスをめぐる混乱が、この問題に再び火をつけることになる。 2020年3月中旬、欧州各国が続々と都市封鎖や外出制限などの緊急措置を講じ始めた。それに呼応して、ウクライナ政府は3月11日に全土における防疫措置を宣言する。そして、教育機関の閉鎖や200名以上の大規模集会の禁止、入国制限が打ち出された[★10]。3月18日以降は州を跨いだ航空、鉄道、バスの運行が停止し、キエフやハリコフ、ドニプロでは地下鉄が閉鎖された。その前後数日のうちに主要都市で非常事態宣言が出され、市民の外出は著しく制限されることになった[★11]。
ちなみに、19日の時点で、ウクライナにおける感染者は21名、死者3名であった[★12]。前回紹介したロシアと同様、かなり早期の対応が行われたわけだが、公共交通機関の運行停止など、ロシア以上に徹底した政策が取られていた印象を受ける。ウクライナでは、医療体制の脆弱さもさることながら、多くの人びとが隣国ポーランドをはじめとするEU圏での出稼ぎ労働に従事している。迅速な対応が必要となったのはそのためと言われる。しかし同時に、非常時に国家権力が躊躇なく市民の権利を制限することが可能な政治体制、あるいは国家権力によって混乱を抑え込むことを欲する社会がその素地となっていることも指摘されるべきであろう。
ウクライナ政府による矢継ぎ早の緊急措置については、行き過ぎと考える人も少なくなかった。「ウクライナ正教会」の指導者たちの多くが、そうした声を代弁した。3月19日には、キエフ・ペチェルシク大修道院の院長パーヴェルが、新型コロナウィルスによる死者はごくわずかであり、病気や何らかの中毒、自殺などで亡くなる人びとが毎日たくさんいる中で、恐れるに足るべきものではない、と述べた[★13]。同時に、真に恐れるべきは人間の罪深さであり、隣人と抱き合い、領聖を受けるよう呼びかけた。同修道院は、ロシアおよびウクライナにおいて最も格式の高い五つの大修道院のうちのひとつであり、その広大な敷地内にはウクライナ正教会の本部が置かれている。院長の声明は「ウクライナ正教会」を代表するものと取られた。
さらに、「ウクライナ正教会」の主座主教であるオヌーフリー府主教も、3月27日、テレビを通じて以下のように発言した。ソーシャル・ディスタンスやロックダウンは感染拡大を防止するものであって、ウィルスを破壊するものではない。ウィルスを滅ぼすのは神の力であり、正教会はすべての聖堂で祈りを捧げ、鐘を鳴らしてウィルスを撃退する。だから、教会は人びとに対する支援を惜しまず、慰めの場である聖堂を閉ざすことはしない、と[★14]。
ちなみに、隣国ロシアの主座主教であるキリル総主教は、3月末に国の隔離政策に従って、教会での参祷を控えるよう信者たちに対してメッセージを発していた。前号で紹介したように、ロシア正教会の高位聖職者の間でも、聖堂を閉鎖するか否かについては合意がなかった。地域によって感染状況が大きく異なったこともあり、聖堂の開放については、地域を管轄する府主教に任せられていた。高位聖職者に個別の対応を委ねる一方で、一般信者に対しては参祷自粛を要請したのは、ロシア正教会の政治的老獪さの表れと言えるかもしれない。この時期、正教会は最大の祝日「復活大祭」を迎えようとしており、多くの人びとが教会に集まることが予想されたからだ。
復活大祭の日程は年によって移動する。2020年の東方正教の復活大祭は4月19日と定められていたが、それに先立つ一週間から「受難週」が始まる。復活大祭とは、辱めを受け、磔刑に処されたキリストが、死に勝利し天へと凱旋するまでを記憶する祝日である。東方正教において復活大祭は、クリスマスよりもはるかに重視される。東方正教の信仰の基盤には、キリスト復活の喜びがあるといっても過言ではない。宗教的な重要性に加えて、復活大祭は春の訪れを喜び、特別な食べ物を楽しむ伝統的な祝祭でもある。普段の日曜の祈祷などには出ない信者たちも、この時ばかりは聖堂に足を運ぶのである。
ちなみに、19日の時点で、ウクライナにおける感染者は21名、死者3名であった[★12]。前回紹介したロシアと同様、かなり早期の対応が行われたわけだが、公共交通機関の運行停止など、ロシア以上に徹底した政策が取られていた印象を受ける。ウクライナでは、医療体制の脆弱さもさることながら、多くの人びとが隣国ポーランドをはじめとするEU圏での出稼ぎ労働に従事している。迅速な対応が必要となったのはそのためと言われる。しかし同時に、非常時に国家権力が躊躇なく市民の権利を制限することが可能な政治体制、あるいは国家権力によって混乱を抑え込むことを欲する社会がその素地となっていることも指摘されるべきであろう。
ウクライナ政府による矢継ぎ早の緊急措置については、行き過ぎと考える人も少なくなかった。「ウクライナ正教会」の指導者たちの多くが、そうした声を代弁した。3月19日には、キエフ・ペチェルシク大修道院の院長パーヴェルが、新型コロナウィルスによる死者はごくわずかであり、病気や何らかの中毒、自殺などで亡くなる人びとが毎日たくさんいる中で、恐れるに足るべきものではない、と述べた[★13]。同時に、真に恐れるべきは人間の罪深さであり、隣人と抱き合い、領聖を受けるよう呼びかけた。同修道院は、ロシアおよびウクライナにおいて最も格式の高い五つの大修道院のうちのひとつであり、その広大な敷地内にはウクライナ正教会の本部が置かれている。院長の声明は「ウクライナ正教会」を代表するものと取られた。
さらに、「ウクライナ正教会」の主座主教であるオヌーフリー府主教も、3月27日、テレビを通じて以下のように発言した。ソーシャル・ディスタンスやロックダウンは感染拡大を防止するものであって、ウィルスを破壊するものではない。ウィルスを滅ぼすのは神の力であり、正教会はすべての聖堂で祈りを捧げ、鐘を鳴らしてウィルスを撃退する。だから、教会は人びとに対する支援を惜しまず、慰めの場である聖堂を閉ざすことはしない、と[★14]。
ちなみに、隣国ロシアの主座主教であるキリル総主教は、3月末に国の隔離政策に従って、教会での参祷を控えるよう信者たちに対してメッセージを発していた。前号で紹介したように、ロシア正教会の高位聖職者の間でも、聖堂を閉鎖するか否かについては合意がなかった。地域によって感染状況が大きく異なったこともあり、聖堂の開放については、地域を管轄する府主教に任せられていた。高位聖職者に個別の対応を委ねる一方で、一般信者に対しては参祷自粛を要請したのは、ロシア正教会の政治的老獪さの表れと言えるかもしれない。この時期、正教会は最大の祝日「復活大祭」を迎えようとしており、多くの人びとが教会に集まることが予想されたからだ。
復活大祭の日程は年によって移動する。2020年の東方正教の復活大祭は4月19日と定められていたが、それに先立つ一週間から「受難週」が始まる。復活大祭とは、辱めを受け、磔刑に処されたキリストが、死に勝利し天へと凱旋するまでを記憶する祝日である。東方正教において復活大祭は、クリスマスよりもはるかに重視される。東方正教の信仰の基盤には、キリスト復活の喜びがあるといっても過言ではない。宗教的な重要性に加えて、復活大祭は春の訪れを喜び、特別な食べ物を楽しむ伝統的な祝祭でもある。普段の日曜の祈祷などには出ない信者たちも、この時ばかりは聖堂に足を運ぶのである。
ウクライナ各地での非常事態宣言にも関わらず、新型コロナウィルスの感染は拡大し始めた。ロシア正教会と比較してみると、感染症のリスクを十分に考慮しないまま、復活大祭を盛大に祝いたいという関心を最大限に優先させた「ウクライナ正教会」の対応は、相当に甘いものだった。「ウクライナ正教会」の総本山キエフ・ペチェルシク大修道院では先述のパーヴェル院長の発言から間もなくして、大規模クラスターが発生した。4月4日には修道院が閉鎖され[★15]、翌日には感染者確認のため、修道院全体で検査が行われた。4月中旬には修道院内の感染者が90名を超え、2名の死者を出した[★16]。例年であれば復活大祭を前に賑わう大修道院が、厳重な警備の下に閉鎖された。その光景が、人びとの不安を煽ったことは想像に難くない。ウィルスの脅威を軽視して感染を拡大した上、反省の様子も見せない修道院長パーヴェル(「天使ではないのだから病気にもなる」と言い放った)には、宗教学者などの専門家からも厳しい批判が寄せられた[★17]。
4月2日、ウクライナ閣僚会議は、3月以上に厳しい防疫措置を敷くことを決定した。従来の都市間移動の禁止などに加えて、店舗の閉鎖や公共交通機関の制限、10人以上の集会の禁止が発表され、違反者には厳しい罰則が科されることになった[★18]。日常生活が徹底的に制限される中、教会に集って復活大祭を祝うことも、当然禁じられた。
緊急事態下で復活大祭をどう祝うのかという方針について、「ウクライナ正教会」の指導者たちは十分な準備をしていなかったのではないかと思われる。復活大祭前日の18日には、「ウクライナ正教会」の主座主教、オヌーフリー府主教が新型コロナウィルスに感染し、入院しているらしいという情報がリークされた。「ウクライナ正教会」はこれを否定したが、復活大祭当日、府主教が奉事する様子は生中継されなかった。信者の密集を避けるためという理由で、「ウクライナ正教会」のメインの復活大祭は、セラフィム大主教が執り行う形でキエフ郊外の聖パンテレイモン聖堂で行われ、テレビ中継された。オヌーフリー府主教の説教は、生中継後のビデオメッセージのみであったため、府主教感染の情報を裏付ける形となった。
このように「ウクライナ正教会」では、新型コロナウィルスの危険性を軽視したために、教会内部で集団感染が発生した。また、感染症対策を怠ったまま、従来の信仰生活を貫こうという教会指導部のメッセージは、教会の責任感を疑わせた。こうした事態を引き起こすことになった原因は、大きく以下の3点に整理されよう。
4月2日、ウクライナ閣僚会議は、3月以上に厳しい防疫措置を敷くことを決定した。従来の都市間移動の禁止などに加えて、店舗の閉鎖や公共交通機関の制限、10人以上の集会の禁止が発表され、違反者には厳しい罰則が科されることになった[★18]。日常生活が徹底的に制限される中、教会に集って復活大祭を祝うことも、当然禁じられた。
緊急事態下で復活大祭をどう祝うのかという方針について、「ウクライナ正教会」の指導者たちは十分な準備をしていなかったのではないかと思われる。復活大祭前日の18日には、「ウクライナ正教会」の主座主教、オヌーフリー府主教が新型コロナウィルスに感染し、入院しているらしいという情報がリークされた。「ウクライナ正教会」はこれを否定したが、復活大祭当日、府主教が奉事する様子は生中継されなかった。信者の密集を避けるためという理由で、「ウクライナ正教会」のメインの復活大祭は、セラフィム大主教が執り行う形でキエフ郊外の聖パンテレイモン聖堂で行われ、テレビ中継された。オヌーフリー府主教の説教は、生中継後のビデオメッセージのみであったため、府主教感染の情報を裏付ける形となった。
このように「ウクライナ正教会」では、新型コロナウィルスの危険性を軽視したために、教会内部で集団感染が発生した。また、感染症対策を怠ったまま、従来の信仰生活を貫こうという教会指導部のメッセージは、教会の責任感を疑わせた。こうした事態を引き起こすことになった原因は、大きく以下の3点に整理されよう。
(1)新型コロナウィルスに対する隔離政策を「信仰の薄さ」と結びつける見方が「ウクライナ正教会」の指導部に存在したこと。またそうした傾向により、教会内で感染症対策を行うことが困難になる「空気」が醸成されたこと[★19]。
(2)ウクライナ政府や西欧諸国など「外部」に対する不信。これはロシアの事例でも確認された問題であるが、パンデミックは「われわれ」を迫害しようとする「他者」による陰謀でないかという疑いが持たれた。「ウクライナ正教会」の指導部が表立って陰謀論を唱えることはなかったが、彼らが政府の隔離政策に従おうと思えなかったことは、これまでの国家権力の立場からの「ウクライナ正教会」に対する抑圧や暴力を考えれば首肯できる。
(3)情報発信の遅さ、不正確さ。「ウクライナ正教会」から、感染症対策に関しての指針が明示されたとはいいがたい。また、教会内で感染が拡大した際にも、教会側から積極的に具体的な情報を開示することはなかった。
このように「ウクライナ正教会」の指導層に大きな問題があったことは否定しようがない。しかしながら筆者は、ウクライナの権力やメディアによって「ウクライナ正教会」に対する過度な批判が醸成されたのではないかという疑いを持っている。この点については後述するが、コロナ・パニックの中で、社会の不安や不満は「誰が感染を広げているのか」、「外出制限を守っていないのは誰か」という問いに容易く形を変えた。そこで「ウクライナ正教会」は格好の批判の対象であった。メディアでは、宗教学者などの専門家が、「ウクライナ正教会」の対応が、ウクライナの他の宗教組織と「きわめて異な」るものであったと競い合うように批判した。「ウクライナ正教会」は、ウクライナの国家と社会に対する敬意を欠き、自らの宗教的・経済的関心のために、信者の命を危険にさらしたと、断罪されたのである。
3月19日、「新正教会」は国の隔離政策に対応して、12の行動指針を発表し、信者が個人的に教会を訪問することは可能であるが、奉神礼に集うことは不可とした。また、22日には、「新正教会」の主座主教であるエピファニー府主教が教会はナロード(国民・民衆)と共に耐えると宣言し、信者個々人が責任ある行動を取ることを呼びかけた。また、多くの人びとが楽しみにしている復活大祭用の菓子(干しブドウなどが入った甘い大型の菓子パン)については、聖職者が工場で聖別(「お清め」)する様子を報道した。そして、これを小売店で購入すれば、例年のように自分で教会に持ち込んで聖別してもらう必要はないと訴えたのだ。
復活大祭に至るまでの「新正教会」による重要な宗教行事は、テレビやインターネットで繰り返し放映された。復活大祭当日、エピファニー府主教が奉事する「新正教会」の壮麗な典礼は、私がYouTubeで確認した限りにおいて、4チャンネルで生中継されていた。聖職者たちの表情がアップで映し出されたり、聖堂内の様子が広角で撮影されたり、映像的にもとても華やかで美しいもので、復活大祭の頂点である深夜12時過ぎの時点で合計約12000名が視聴していることが確認された。
「新正教会」の取った対応は模範的であった。教会の指導部が政府の緊急措置を遵守する態度を取っていれば、教会内で感染が確認されても、それは不幸な偶然の事態であって、非難されるべきものではない。「新正教会」は、多くの人びとの理解と賛同を得やすいように自らの立場をアピールすることに長けていた。
しかし、これほどの対応にもかかわらず、「新正教会」の復活大祭に対する信者たちの関心は、「ウクライナ正教会」を超えるものとはならなかった。集団感染を起こして閉鎖された「ウクライナ正教会」のキエフ・ペチェルシク大修道院では、復活大祭の生中継は、定点カメラで撮影された演出効果に乏しいものであった(聖堂内部の様子が、時折、人のいない修道院の遠景に切り替わるのみ)。復活大祭の当日、YouTubeではペチェルシク大修道院での典礼が、2つのチャンネルで生中継されていた。しかしこの視聴者数は、深夜12時過ぎの時点で合計約12000人を数えた。これは、エピファニー府主教が執り行う「新正教会」の視聴者数とほとんど変わらない数字である。
「新正教会」のコロナ対応と静かな復活大祭
では、ウクライナにおける他の宗教団体は、コロナ・パニックにどう対応したのか。ここでは、「ウクライナ正教会」とは正反対の立場にある、「新正教会」がウクライナの社会隔離政策にどう対応したのかについて見ておきたい。3月19日、「新正教会」は国の隔離政策に対応して、12の行動指針を発表し、信者が個人的に教会を訪問することは可能であるが、奉神礼に集うことは不可とした。また、22日には、「新正教会」の主座主教であるエピファニー府主教が教会はナロード(国民・民衆)と共に耐えると宣言し、信者個々人が責任ある行動を取ることを呼びかけた。また、多くの人びとが楽しみにしている復活大祭用の菓子(干しブドウなどが入った甘い大型の菓子パン)については、聖職者が工場で聖別(「お清め」)する様子を報道した。そして、これを小売店で購入すれば、例年のように自分で教会に持ち込んで聖別してもらう必要はないと訴えたのだ。
復活大祭に至るまでの「新正教会」による重要な宗教行事は、テレビやインターネットで繰り返し放映された。復活大祭当日、エピファニー府主教が奉事する「新正教会」の壮麗な典礼は、私がYouTubeで確認した限りにおいて、4チャンネルで生中継されていた。聖職者たちの表情がアップで映し出されたり、聖堂内の様子が広角で撮影されたり、映像的にもとても華やかで美しいもので、復活大祭の頂点である深夜12時過ぎの時点で合計約12000名が視聴していることが確認された。
「新正教会」の取った対応は模範的であった。教会の指導部が政府の緊急措置を遵守する態度を取っていれば、教会内で感染が確認されても、それは不幸な偶然の事態であって、非難されるべきものではない。「新正教会」は、多くの人びとの理解と賛同を得やすいように自らの立場をアピールすることに長けていた。
しかし、これほどの対応にもかかわらず、「新正教会」の復活大祭に対する信者たちの関心は、「ウクライナ正教会」を超えるものとはならなかった。集団感染を起こして閉鎖された「ウクライナ正教会」のキエフ・ペチェルシク大修道院では、復活大祭の生中継は、定点カメラで撮影された演出効果に乏しいものであった(聖堂内部の様子が、時折、人のいない修道院の遠景に切り替わるのみ)。復活大祭の当日、YouTubeではペチェルシク大修道院での典礼が、2つのチャンネルで生中継されていた。しかしこの視聴者数は、深夜12時過ぎの時点で合計約12000人を数えた。これは、エピファニー府主教が執り行う「新正教会」の視聴者数とほとんど変わらない数字である。
復活大祭の夜、「ウクライナ正教会」に属する2つの大修道院も、それぞれのYouTube公式チャンネルで典礼の様子を生中継していた。西部テルノピリ州に位置するポチャーイフ大修道院の生中継には、深夜12時半ごろの時点で、4000人近い視聴者がいた。また、東部ドネツィク州のスヴャトヒルシク大修道院では、高齢者や小さな子供を含む大勢の信者が、マスクや手袋もなしにひしめき合って復活大祭を祝う様子が頻繁に映し出されていた。これには深夜12時半ごろで8000人を超える視聴者が確認された。
これらの視聴者数はすべて、YouTubeのみに限定されており、テレビ視聴者数が含まれない。また、ここに挙げた以外にも復活大祭を生中継していた聖堂は存在する。したがって、どのくらいの人びとが、「ウクライナ正教会」あるいは「新正教会」の復活大祭を見ていたのかを考える上で、これらの数字はあくまで参考になる程度である。加えて、「ウクライナ正教会」に属する3事例を見ているのに対し、「新正教会」に関しては1事例しか見ていないのは不公平だという批判がありうるだろう。
実は、復活大祭の生中継の視聴者数の比較は、筆者自身が視聴する中での「思いつき」で、あらかじめ準備されたものではない。後日確認した情報[★20]によれば、「ウクライナ正教会」が4つ、「新正教会」が3つの聖堂で復活大祭をオンライン生中継していた(「新正教会」による生中継は筆者の力不足で他の事例を見つけられなかったのだが、裏を返せば一般の信者にとっても見つけにくいものだったはずだ)。チャンネル登録者数も含めて比較した表が次である[表1]。
これらの視聴者数はすべて、YouTubeのみに限定されており、テレビ視聴者数が含まれない。また、ここに挙げた以外にも復活大祭を生中継していた聖堂は存在する。したがって、どのくらいの人びとが、「ウクライナ正教会」あるいは「新正教会」の復活大祭を見ていたのかを考える上で、これらの数字はあくまで参考になる程度である。加えて、「ウクライナ正教会」に属する3事例を見ているのに対し、「新正教会」に関しては1事例しか見ていないのは不公平だという批判がありうるだろう。
実は、復活大祭の生中継の視聴者数の比較は、筆者自身が視聴する中での「思いつき」で、あらかじめ準備されたものではない。後日確認した情報[★20]によれば、「ウクライナ正教会」が4つ、「新正教会」が3つの聖堂で復活大祭をオンライン生中継していた(「新正教会」による生中継は筆者の力不足で他の事例を見つけられなかったのだが、裏を返せば一般の信者にとっても見つけにくいものだったはずだ)。チャンネル登録者数も含めて比較した表が次である[表1]。
「ウクライナ正教会」の行う復活大祭の視聴者の方が、「新正教会」のそれよりもずいぶん多かったことは間違いない。この数字は、世俗的ナショナリズムによる支持のみでは、宗教組織としての教会は立ち行かないという事実を示している。オンラインであっても復活大祭を見たいと考える程度の信者の多くは「ウクライナ正教会」を選んだのであって、その背景にはナショナリズムよりも、歴史の中で積み上げられてきた大修道院の格式や知名度が影響していたと考えて間違いない。
以前から、ウクライナ・メディアの多くは、「ウクライナ正教会」を「親露派」とみなして強い嫌悪感を示していた。コロナ・パニックでは「ウクライナ正教会」を批判するために、情報操作したりねつ造したりする事件さえ見受けられる。たとえば、感染拡大初期の段階で、「ウクライナ正教会」に属するのではない聖職者が新型コロナウィルスによって死亡した。その際、ウクライナ内務省副大臣の発表に基づいた報道は、宗派についての明言を避け、この聖職者に同情する姿勢を見せた[★22]。また、復活大祭前のペチェルシク大修道院を取材していたウクライナ大手メディアの「1プラス1」の記者は、同じく取材中だった別の通信社の記者に対し、「イコンにキスをしてくれないか、お金は払うから」と持ち掛けたという。この取材時に修道院に集まっていたのは聖職者の他には報道陣ばかりだったようで、ニュースに相応しいネタを取り損ねた「1プラス1」記者が、苦肉の策に出たものだという[★23]。
ウクライナのさまざまな宗教団体が国の政策に従って困難を耐える中、「ウクライナ正教会」ばかりが科学的根拠のない「信仰の力」を振りかざし、コロナウィルスを広める脅威となった、というメディアや専門家の指摘は、まさにメディア自身が作り出した言説でもあるのだ。
こうした言説は、現実の暴力として「ウクライナ正教会」を襲った。4月14日、ウクライナ東部のドニプロ市および中部のスームィ州のコノトプ市の市長が、それぞれ個別に、「ウクライナ正教会」の司祭に対し、もし緊急措置に従わずに復活大祭を教会で祝うようなら、聖堂の電気・水道を止め、教会の前の道を掘り返す、土地の利用も停止する用意があると脅迫めいた言動を行った[★24]。これによって、ドニプロ市では政府筋の人間によって、実際に聖堂前の道路が重機で掘り返され、通行不能になる事件が発生した。このほかにも、聖職者に宗教儀礼を行うことを禁じたり、市民の移動を制限したりした地域があるといわれる。政府の隔離政策は、10名以上の集会を禁ずるものであって、宗教儀礼を全面的に禁ずるものではない。地方権力のこうした動きは、明らかに信教の自由を侵犯する行為であった。
偏った報道、煽られる憎悪
「ウクライナ正教会」の指導層が、コロナウィルスへの対策を怠ったとして批判されたことはすでに見た通りである。批判は個々の指導者のみならず、「ウクライナ正教会」全体に向けられた。さらにそれはコロナ問題を越えて、この教会をロシアの傀儡であるとみなす論調へといとも簡単につながっていった。「ウクライナ正教会」が、政府の隔離政策を積極的に受け入れようとしなかったのは、ウクライナの国家と社会を尊重しないからである、もし「彼らの大好きな」プーチンが感染の危機にさらされるとなったら、このような対応は取らなかっただろう、といった非難さえあった[★21]。以前から、ウクライナ・メディアの多くは、「ウクライナ正教会」を「親露派」とみなして強い嫌悪感を示していた。コロナ・パニックでは「ウクライナ正教会」を批判するために、情報操作したりねつ造したりする事件さえ見受けられる。たとえば、感染拡大初期の段階で、「ウクライナ正教会」に属するのではない聖職者が新型コロナウィルスによって死亡した。その際、ウクライナ内務省副大臣の発表に基づいた報道は、宗派についての明言を避け、この聖職者に同情する姿勢を見せた[★22]。また、復活大祭前のペチェルシク大修道院を取材していたウクライナ大手メディアの「1プラス1」の記者は、同じく取材中だった別の通信社の記者に対し、「イコンにキスをしてくれないか、お金は払うから」と持ち掛けたという。この取材時に修道院に集まっていたのは聖職者の他には報道陣ばかりだったようで、ニュースに相応しいネタを取り損ねた「1プラス1」記者が、苦肉の策に出たものだという[★23]。
ウクライナのさまざまな宗教団体が国の政策に従って困難を耐える中、「ウクライナ正教会」ばかりが科学的根拠のない「信仰の力」を振りかざし、コロナウィルスを広める脅威となった、というメディアや専門家の指摘は、まさにメディア自身が作り出した言説でもあるのだ。
こうした言説は、現実の暴力として「ウクライナ正教会」を襲った。4月14日、ウクライナ東部のドニプロ市および中部のスームィ州のコノトプ市の市長が、それぞれ個別に、「ウクライナ正教会」の司祭に対し、もし緊急措置に従わずに復活大祭を教会で祝うようなら、聖堂の電気・水道を止め、教会の前の道を掘り返す、土地の利用も停止する用意があると脅迫めいた言動を行った[★24]。これによって、ドニプロ市では政府筋の人間によって、実際に聖堂前の道路が重機で掘り返され、通行不能になる事件が発生した。このほかにも、聖職者に宗教儀礼を行うことを禁じたり、市民の移動を制限したりした地域があるといわれる。政府の隔離政策は、10名以上の集会を禁ずるものであって、宗教儀礼を全面的に禁ずるものではない。地方権力のこうした動きは、明らかに信教の自由を侵犯する行為であった。
さらに、4月だけで、西部ロブノ州の修道院(12日)、西部ブコヴィナ州の教会(15日)、中部スームィ州の修道院(21日)、南部の大都市オデッサの神学校に隣接する修道院(27日)が放火され、建物が全焼あるいは甚大な被害を受ける事件が起こった(いずれも「ウクライナ正教会」に所属する)。幸いなことに犠牲者は出なかったが、いずれの事件も犯人は不明である。「ウクライナ正教会」のアントニー府主教は、一連の事件や脅迫を指して、人間の生命を脅かす「テロに他ならない」と訴えている[★25]。
コロナ禍において、セラフィマ院長は早くも3月12日に、彼女の修道院が感染防止のための消毒液とマスクを揃え、感染対策に余念がないことを公表した[★26]。聖堂を開放し続ける院長に対し、4月12日、テレビ番組が討論会を設けた。ここでセラフィマ院長は次のように訴えた。医療従事者は肉体を治療することができるが、コロナ・パニックによって人びとが抱く不安や抑うつ状態を取り除くことはできない。教会に足を運ぶことを習いとした老人たちに、インターネットを通じて祈ることは難しい。教会はある種の人びとにとって心を癒すかけがえのない病院であること、教会を頼ってくる人びとがいる限り、教会が扉を閉ざすことはない、と[★27]。
筆者には、彼女の念頭に教会の支援なくして生き延びることのできない人びとの具体的な姿があったのだろうと思われる。セラフィマ院長が聖堂を開放することで、誰かがウィルスに感染し、死亡する危険は免れない。しかし、そのことによって、他者に直接つながることでしか生き延びることのできない人びとが救われていることもまた間違いない。
あえて記しておくが、筆者は「ウクライナ正教会」を擁護したいわけではない。そうではなくて、コロナ・パニックの中で人びとに受け入れられやすい情報が提供され、社会を危険にさらす「敵」の存在がメディアの中で容易く形成されてしまうことに恐怖を覚えるのである。ウクライナの場合であれば、敵は「ウクライナ正教会」であり、ロシアの場合であれば前回論じた通り、「セルギー神父」とその取り巻きということになろう。
「敵」は規範を守らない、危険極まりない存在として表象され、彼らに対する暴力は許容される。このような状況下で、いかに意義ある生を生きるかという問いや試みは、「敵」の考え方であると無造作に括られてしまってはいないだろうか。防疫措置に反して、誰かと直接会うことやどこかへ移動することが、「敵」として批判され得る、後ろめたい行為となってはいないだろうか。翻ってみれば、同じような事態は日本でも起こっている。人間らしい生を生きる試みを、緊急事態という名の下に自ら放棄してはならない。われわれは多かれ少なかれ、他者と直接つながることでしか生きていけないのだから。
コロナ禍を生き抜く
放火事件のあったオデッサ市は、ウクライナ南部の大きな港湾都市で、宗教的には「ウクライナ正教会」が圧倒的に優勢な地域である。ここを管轄するオデッサ府主教区は、「ウクライナ正教会」の中でも最も社会貢献活動に力を入れている。筆者は、ウクライナにおける正教会の社会貢献活動を調査する目的で、2019年10月にこの都市を訪れた。ホームレスのための炊き出しや食堂、孤児や老人の保護といった基本的な支援事業から、大規模ホスピスの建設や、若年層を対象とした野外フェスティバル、一般信徒が府主教に直接支援を要請することのできる一種の「目安箱」の設置など、創意工夫に富むものも目立っていた。この調査に際して、オデッサ府主教区の社会貢献事業の牽引者の一人として名が挙がっていたのが、大天使ミハイル女子修道院の院長セラフィマであった。コロナ禍において、セラフィマ院長は早くも3月12日に、彼女の修道院が感染防止のための消毒液とマスクを揃え、感染対策に余念がないことを公表した[★26]。聖堂を開放し続ける院長に対し、4月12日、テレビ番組が討論会を設けた。ここでセラフィマ院長は次のように訴えた。医療従事者は肉体を治療することができるが、コロナ・パニックによって人びとが抱く不安や抑うつ状態を取り除くことはできない。教会に足を運ぶことを習いとした老人たちに、インターネットを通じて祈ることは難しい。教会はある種の人びとにとって心を癒すかけがえのない病院であること、教会を頼ってくる人びとがいる限り、教会が扉を閉ざすことはない、と[★27]。
筆者には、彼女の念頭に教会の支援なくして生き延びることのできない人びとの具体的な姿があったのだろうと思われる。セラフィマ院長が聖堂を開放することで、誰かがウィルスに感染し、死亡する危険は免れない。しかし、そのことによって、他者に直接つながることでしか生き延びることのできない人びとが救われていることもまた間違いない。
あえて記しておくが、筆者は「ウクライナ正教会」を擁護したいわけではない。そうではなくて、コロナ・パニックの中で人びとに受け入れられやすい情報が提供され、社会を危険にさらす「敵」の存在がメディアの中で容易く形成されてしまうことに恐怖を覚えるのである。ウクライナの場合であれば、敵は「ウクライナ正教会」であり、ロシアの場合であれば前回論じた通り、「セルギー神父」とその取り巻きということになろう。
「敵」は規範を守らない、危険極まりない存在として表象され、彼らに対する暴力は許容される。このような状況下で、いかに意義ある生を生きるかという問いや試みは、「敵」の考え方であると無造作に括られてしまってはいないだろうか。防疫措置に反して、誰かと直接会うことやどこかへ移動することが、「敵」として批判され得る、後ろめたい行為となってはいないだろうか。翻ってみれば、同じような事態は日本でも起こっている。人間らしい生を生きる試みを、緊急事態という名の下に自ら放棄してはならない。われわれは多かれ少なかれ、他者と直接つながることでしか生きていけないのだから。
★1 ジョルジョ・アガンベン「エピデミックの発明」、高桑和巳訳、『現代思想』2020年5月号、青土社。
★2 アガンベン批判について、岡田温司「アガンベンは間違っているのか?」、『REPRE 39』 (URL=https://www.repre.org/repre/vol39/greeting/)を参照。
★3 高橋沙奈美「コロナ・パニックと東方正教会(1) この世の終わりとよみがえったラスプーチン」、『ゲンロンβ52』、2020年8月。
★4 本文中のウクライナの地名については、原則としてウクライナ語の発音に従うよう努めた。ただし、「キエフ」(ウクライナ語に忠実な表記では「クィイヴ」となる)や「オデッサ」など、日本語である程度慣用的に用いられているものについては、そちらに従った。ウクライナ語に基づいた日本語表記については、たとえば在日ウクライナ大使館の以下のページを参照(URL=https://japan.mfa.gov.ua/ja/news/73898-official-guidance-on-the-correct-spelling-and-usage-of-ukrainian-place-names)。
★5 998年、キエフ・ルーシ大公ウラジーミルが、ビザンツ帝国から東方正教の洗礼を受けたことが、東スラブ民族の正教化の始まりとされる。
★6 東方正教における独立教会(地方教会)制度については、前号を参照。
★7 これは、国に登録された宗教団体(教区共同体、修道院、神学校など)数を比較した場合についてのことである。信者数に関して、具体的な数字を出すことは難しいが、ラズムコフセンターの2019年の世論調査によれば、ウクライナで正教徒を自認する人びとのうち、「ウクライナ正教会」の信者が10.6%、「新正教会」の信者が13.2%となっている(ただの正教徒と名乗る人が最大で30.3%)。URL=http://razumkov.org.ua/uploads/article/2019_Religiya.pdf
★8 世界総主教座は、17世紀にモスクワ総主教庁がウクライナを管轄下に収めることを認めた決議を無効化することで、自らの管轄権を確立した。ウクライナ正教会の独立問題については、拙稿「ウクライナ正教会独立が招いた更なる分断」、『ゲンロンβ36』、2019年4月、および水野宏「ウクライナ正教会の独立問題について」、『ユーラシア研究』62号、ユーラシア研究所/群像社、2020年、2−7頁参照。
★9 ただし、教会が乱立する都市部においては、伝統的信者であっても「新正教会」と「ウクライナ正教会」の両方に通うことはありうる。聖職者と異なり、一般信者がどちらの教会に属するのかは、個人の判断に委ねられている。
★10 この措置は4月3日までと定められた。ウクライナ閣僚会議の決定は以下(URL=https://www.kmu.gov.ua/npas/pro-zapobigannya-poshim110320rennyu-na-teritoriyi-ukrayini-koronavirusu-covid-19)。
★11 ウクライナにおける緊急措置については、ウクライナ語版ウィキペディアの「ウクライナにおけるCOVID-19」(URL=https://uk.wikipedia.org/wiki/%D0%9A%D0%BE%D1%80%D0%BE%D0%BD%D0%B0%D0%B2%D1%96%D1%80%D1%83%D1%81%D0%BD%D0%B0_%D1%85%D0%B2%D0%BE%D1%80%D0%BE%D0%B1%D0%B0_2019_%D0%B2_%D0%A3%D0%BA%D1%80%D0%B0%D1%97%D0%BD%D1%96)を参照した。日本語で読めるものとしてはJETROのビジネス短信の情報がある(URL=https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/03/4e6a4302687e6f3b.html)。
★12 ウクライナの感染者の推移については、ウクライナ閣僚会議の公式ページにまとめられている(URL=https://covid19.gov.ua/analitichni-paneli-dashbordy)。ただし、3月24日以前の統計はないため、19日の感染状況については、以下の情報に依拠した(URL=https://delo.ua/econonomyandpoliticsinukraine/v-ukraine-obnaruzhili-21-sluchaj-zarazhenija-kor-366362/)。
★13 この発言は、キエフ・ペチェルシク大修道院のYouTubeチャンネルで視聴可能(URL=https://www.youtube.com/watch?v=gm95n_yvRvk)。
★14 テレビ局インテルでの放送については以下から視聴可能。(URL=https://www.youtube.com/watch?v=UcPLJcXTP3U)。メッセージの概要については以下を参照(URL=https://pravlife.org/ru/content/obrashchenie-blazhenneyshego-mitropolita-onufriya-v-svyazi-s-pandemiey-koronavirusa)。
★15 修道院の公式サイトより(URL=https://lavra.ua/na-period-karantina-bogosluzheniya-v-lavre-budut-sovershat-v-zakrytom-rezhime/)。
★16 Religious Information Service of Ukraine(RISU)の情報による(URL=https://risu.org.ua/ru/index/monitoring/society_digest/79718/)。修道院の公式サイトでは、感染者数は公表されず、死者2名の死因についても「病死」とされている。2名の死者の情報や、修道院からの入院者数などの詳細については、『ウクライナ・プラウダ』誌が公表している(URL=https://www.pravda.com.ua/rus/news/2020/04/13/7247674/)。
★17 ロシア正教会の聖職者で著名なジャーナリストでもあるアンドレイ・クラーエフによる批判(URL=https://risu.org.ua/ru/index/all_news/community/religion_and_society/79605/)。
★18 ウクライナ政府のウェブ・ポータル参照(URL=https://www.kmu.gov.ua/npas/pro-vnesennya-zmin-do-postanovi-kabinetu-ministriv-ukrm020420ayini-vid-11-bereznya-2020-r-211)。
★19 このことを裏付ける資料として、「ウクライナ正教会」が作成した「パンデミック下で教会は何をなすか」という動画では、具体的な感染症対策ではなく、各地の府主教たちがヘリコプターや車にイコンや聖水を持ち込んで祈る様子が強調された(URL=https://www.youtube.com/watch?v=Di1NqyXXpwE)。
★20 以下のニュースサイトを参考(URL=https://ukraine.segodnya.ua/ukraine/pasha-2020-gde-smotret-bogosluzheniya-raspisanie-translyaciy-1432160.html)。
★21 「新正教会」の信者でもある宗教学者ユーリー・チョルノモーレツによる批判(URL=https://www.liga.net/politics/articles/fanatizm-dengi-i-teorii-zagovora-pochemu-lavra-stala-epitsentrom-covid-19)。
★22 4月6日、西部テルノピリ州で最初の犠牲者となったのは、ウクライナ・ギリシア・カトリック教会(カトリック教会であるが、正教の典礼を行う)の聖職者であった。さらに、感染したことを知らないまま、宗教儀礼を行い、信者と濃厚接触したこの聖職者に罪はないと報道された。
★23 APニュースの報道による(URL=https://apnews.com.ua/ua/news/zhurnalist-1-1-zaproponuvav-groshi-korespondentu-apnews-za-potcilunok-ikoni-v-kievo-pecherskii-lavri/?fbclid=IwAR31bVjOk-Kv6xdGUtJtC2U3BamFQ3ZS-SPvcQDziZv_pRwv0pt4Cqwh0OU)。
★24 「ウクライナ正教会」の公式サイトより(URL=http://pravoslavye.org.ua/2020/04/%d0%ba%d0%b8%d0%b5%d0%b2-%d0%b2-%d1%83%d0%bf%d1%86-%d0%bf%d1%80%d0%b8%d0%b7%d1%8b%d0%b2%d0%b0%d1%8e%d1%82-%d0%bf%d1%80%d0%b8%d0%b2%d0%bb%d0%b5%d1%87%d1%8c-%d0%ba-%d0%be%d1%82%d0%b2%d0%b5%d1%82%d1%81/)。ドニプロでは市長が自身のフェースブックに脅迫文を掲載した。コノトプでは、市長が口頭で指示を与える様子を捉えた映像が、ジャーナリストのフェースブックに掲載された。
★25 「ウクライナ正教会」の公式サイトより(URL=http://pravoslavye.org.ua/2020/04/%d1%83%d0%bf%d1%80%d0%b0%d0%b2%d0%bb%d1%8f%d1%8e%d1%89%d0%b8%d0%b9-%d0%b4%d0%b5%d0%bb%d0%b0%d0%bc%d0%b8-%d1%83%d0%bf%d1%86-%d0%bc%d0%b8%d1%82%d1%80%d0%be%d0%bf%d0%be%d0%bb%d0%b8%d1%82-%d0%b1%d0%be/#more-96296)。
★26 URL=https://od-news.com/2020/03/12/v-odesskom-monastyre-odeli-maski-zakryli-na-karantin-dom-miloserdiya/
★27 オデッサはロシア語話者が多い都市でもある。司会者に合わせてウクライナ語で応答するセラフィマ院長は、興に入るとロシア語に切り替わる。ここでもウクライナ語よりロシア語を選ぶ「ウクライナ正教会」の聖職者と、ウクライナ語を話すジャーナリストと専門家の二項対立の構造が形成されている。URL=https://spzh.news/ru/news/70502-igumenija-serafima-my-ne-mozhem-zakryty-khramy-my-nerazryvny-s-nashej-pastvoj?fbclid=IwAR2KROjZt2qyXKh5mAi0sRFGiViRKusSa7WxVrdH_J8VePjxE_yJ6L7IMJo
高橋沙奈美
九州大学人間環境学研究院。主な専門は、第二次世界大戦後のロシア・ウクライナの正教。宗教的景観の保護、宗教文化財と博物館、聖人崇敬、正教会の国際関係、最近ではウクライナの教会独立問題など、正教会に関わる文化的事象に広く関心を持つ。著書に『ソヴィエト・ロシアの聖なる景観 社会主義体制下の宗教文化財、ツーリズム、ナショナリズム』(北海道出版会)、共著に『ロシア正教古儀式派の歴史と文化』(明石書店)、『ユーラシア地域大国の文化表象』(ミネルヴァ書房)など。
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