つながりロシア(4) ふたつの極に引き裂かれる胃袋──ロシアの食文化について|沼野恭子

初出:2018年12月28日刊行『ゲンロンβ32』
ロシアの食文化事情とその歴史には、きわめてユニークな二元論的/二進法的現象が見られる。しかもその振れ幅はかぎりなく大きい。ロシアの大きな胃袋は、まるで対立するふたつの極に引き裂かれているかのようだ。
まずは1970年代後半の筆者自身の経験から始めよう。大学2年の夏、初めてソ連に行ったときのことだ。当時レニングラードと呼ばれていた町(現サンクト゠ペテルブルグ)で、元郵便局員というおばあさんに話しかけられ、自宅に招かれた。「共同住宅(コムナールカ)」について聞いてはいたものの、何世帯もの家族が台所・トイレ・洗面所を共有しながら狭い空間で肩を寄せあって生活しているさまを初めて目にし、そのみすぼらしさに愕然とした。トイレットペーパーの代わりに新聞紙をカットしたものが重ねて置いてある。慢性的な物資不足で、トイレットペーパーを含む日常品や食料品などを購入するのにも苦労したブレジネフの「停滞の時代」であった。でも、おばあさん一家は人懐こくて、私たちにアストラハン産の美味しいスイカをふるまってくれた。最大限のもてなしだったのだろう。
この旅行ではまた、恩師のロシア文学者、原卓也氏の紹介状を持って、作家セルゲイ・アントーノフの娘でレニングラード・コメディ劇場の看板女優(後に映画『無気力症候群』[★1]で主役を演じた)オリガ・アントーノワさんのご自宅も訪ねた。オリガさんは、見ず知らずの外国の学生たちに手料理をご馳走してくれた。センスよく選ばれた調度品や食器類、モノ不足なのにいったいどうやってこれほどの食材を手に入れたのだろうと不思議になるほどの豊かな食卓だった。日本では見かけないいろいろな種類のキノコが入ったクリームシチューのまろやかな味が忘れられない。
もちろん、党幹部ら「ノメンクラトゥーラ」(赤い貴族とも呼ばれる)はもっと派手な贅沢三昧をほしいままにしていたのだろうが、私は初めてのソ連滞在で、作家や俳優が「特権的な階級」であること、ソ連社会に圧倒的な格差があることを、身をもって知ることができた。それは、一元的な平等を建前とする社会における二元的な生活実態だった。
まずは1970年代後半の筆者自身の経験から始めよう。大学2年の夏、初めてソ連に行ったときのことだ。当時レニングラードと呼ばれていた町(現サンクト゠ペテルブルグ)で、元郵便局員というおばあさんに話しかけられ、自宅に招かれた。「共同住宅(コムナールカ)」について聞いてはいたものの、何世帯もの家族が台所・トイレ・洗面所を共有しながら狭い空間で肩を寄せあって生活しているさまを初めて目にし、そのみすぼらしさに愕然とした。トイレットペーパーの代わりに新聞紙をカットしたものが重ねて置いてある。慢性的な物資不足で、トイレットペーパーを含む日常品や食料品などを購入するのにも苦労したブレジネフの「停滞の時代」であった。でも、おばあさん一家は人懐こくて、私たちにアストラハン産の美味しいスイカをふるまってくれた。最大限のもてなしだったのだろう。
この旅行ではまた、恩師のロシア文学者、原卓也氏の紹介状を持って、作家セルゲイ・アントーノフの娘でレニングラード・コメディ劇場の看板女優(後に映画『無気力症候群』[★1]で主役を演じた)オリガ・アントーノワさんのご自宅も訪ねた。オリガさんは、見ず知らずの外国の学生たちに手料理をご馳走してくれた。センスよく選ばれた調度品や食器類、モノ不足なのにいったいどうやってこれほどの食材を手に入れたのだろうと不思議になるほどの豊かな食卓だった。日本では見かけないいろいろな種類のキノコが入ったクリームシチューのまろやかな味が忘れられない。
もちろん、党幹部ら「ノメンクラトゥーラ」(赤い貴族とも呼ばれる)はもっと派手な贅沢三昧をほしいままにしていたのだろうが、私は初めてのソ連滞在で、作家や俳優が「特権的な階級」であること、ソ連社会に圧倒的な格差があることを、身をもって知ることができた。それは、一元的な平等を建前とする社会における二元的な生活実態だった。
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もっとも、革命前、帝政ロシア時代の貴族の飽食・過食と農民の粗食の格差は、はるかにすさまじかった。ロシア文学の表象に極限の飽食を探るなら、アレクセイ・K・トルストイの歴史小説『セレブリャヌィ公』が恰好の例である。16世紀の宮廷劇を描いたこの作品には、イワン雷帝の催す宴会の場面がある。主人公の正義漢セレブリャヌィ公は、何時間にも及ぶその宴に列席するが、それは単なる懇親の場ではなく、イワン雷帝の絶対的な権力を世に見せつけるための儀式であり、贅のかぎりを尽くした、というより常軌を逸した見世物であった。何人もの給仕たちが金の皿に載ったハクチョウの丸焼き200羽あまりを運んでくる。その次は、尻尾を扇のように開いたクジャクの丸焼き300皿。続いてさまざまな中身と形のパイ、ありとあらゆる種類のクレープ、肉各種、さまざまなスープ、ハチミツ酒にワインなどが次々に供される。
そうこうするうちに、雷帝の怒りを買っていた貴族が雷帝からワインを賜り、作法どおり飲み干すといきなりその場に倒れてこと切れる。毒殺されたのである。しかし、ツァーリが「その酔っ払いを運び出せ!」と命ずると、宴会は何事もなかったかのように続けられる。こうして食べものや飲みものは、恩賜であると同時に懲罰として人の命を奪う役割もときに担った。食は死をはらんでおり、まさに生殺与奪の権そのものなのである[★2]。
こうした生と死に彩られた過剰な食に対して、大部分の農民たちの食卓はシンプルで貧弱だった。料理の種類がきわめてかぎられていた。「シチーとカーシャが私たちの食べもの」[★3]という「シ」の音が韻を踏み音遊びになった言いまわしがあるが、これはシチー(キャベツ汁)とカーシャ(穀類を煮たもの)がロシアの人々の「基本的な」食べものだというより、ロシアの農民には文字どおりシチーとカーシャしか食べるものがない、と解することができる。極貧の農民になると肉もめったに手に入れることができず、シチーに肉を入れられるのはせいぜい祝日だけ(それもままならないことがあったろう)。量の観点からしても、貧しい農民たちはいつも満腹を感じたことなく暮らしていた。天候のせいで飢饉になると、餓死を免れないこともあり、ここでも食は死に隣接していたといえる。
この二層構造は、17世紀のピョートル大帝の近代化=西欧化政策により、質的に劇的な変化を被ることになる。都市に住む裕福な貴族がフランスやドイツのシェフを雇い入れて食卓を西洋化したため、ヨーロッパ、中でもフランス風の料理を好む都市貴族と、昔ながらのロシア料理を食す地方貴族・農民といった具合に食の構造が改編されたのである。「死んだ農奴」を戸籍上もらい受けるために(ロシアでは農奴の所有数で貴族の裕福の度合いを測ったため)あちこちの屋敷をめぐってはご馳走にありつくペテン師を主人公にしたゴーゴリの長編『死せる魂』を読めば、19世紀の地方豪族がどのようなロシア料理を食卓に載せていたか鮮やかなイメージを得ることができる。

***
こうして、革命が起きるまでロシアの食は、階層によってヨーロッパ風料理と伝統的なロシア料理に二分されていたわけだが、じつは階層を問わずロシア正教徒なら守らなければならない食事制限があり、何を食べてもいい「祝祭日」と肉や卵や乳製品などを食べてはいけない「斎戒(精進)日」が交代でやってきた。教会歴によれば、1年に200日前後もの斎戒日がある(細々したひじょうに複雑な規則があり、魚や植物油も摂ってはいけないという厳しい精進日もある)。長く続く斎戒期としては、復活祭前の「大斎」、五旬祭後のペテロ斎、ウスペンスキー斎、クリスマス斎と1年に4回めぐってくるが、それぞれの斎戒と斎戒の間も、毎週水曜と金曜は精進の日とされている。
当然のことながら、斎戒の食事制限が厳しければ厳しいほど、祝祭日の食卓は反比例して豊穣なものになった。ロシアでは古来、長い冬に備えて保存食が多く作られてきたが、祝祭日になると何種類もの保存食(塩漬け肉や酢漬け野菜各種)が惜しみなくテーブルに出され、ブリヌィ(ロシア風クレープ)やパイが焼かれ、気前よく酒がふるまわれた。持てる家は贅沢に、貧しい家でもいつもより気張って料理を作る。こうして生活は「祝祭の飽食」と「斎戒の粗食」との激しい二進法的交代のうちに進んだ。あたかも胃袋が、最大限に大きくなったり極小にまで縮んだりと収縮を繰り返したようなものである。
そういえば、建築史研究家ウラジーミル・パペルヌィは著書『文化Ⅱ』で、ロシア文化を「文化Ⅰ」と「文化Ⅱ」のふたつの型に分け、いくつもの対立軸をあげて両者が正反対の価値観を有し、文化史に交代に現れると力説しているが[★4] 、振り子のように文化が動いていくというこの文化理論は、ロシアの食の二項対立と親和性が高いように思う。食文化は、かならずしもパペルヌィの説く文化Ⅰ・文化Ⅱにきれいに対応しているわけではないが、彼の理論がどの程度食に応用できるかは今後の興味深い課題である。
これまで描いてきたとおり、ロシアの食の光景は、20世紀初頭まで長らく、社会階層による二分化と、時間軸による二進法的振幅が組み合わさっていたわけだが、食のこの二極構造をあたかも攪乱し壊そうとしたかに見えるのがレフ・トルストイである。例えば、『アンナ・カレーニナ』では、貴族でありながら農民に寄り添う作者の分身のようなレーヴィンという登場人物が、モスクワの高級レストランで、自分の好みはシチーとカーシャだと言ってのけ、階層的二分法を解体しようとしている(先ほど見たとおりシチーとカーシャは農民の主食で、高級な欧風レストランのメニューには入っていないのだ)[★5]。さらに、トルストイ自身が1885年以降、狩猟も肉食も断ち、いわゆるベジタリアンになっていることは特筆に値する。トルストイの一生が、前半と後半でかなり様相を異にしており、前半は派手な放蕩生活だったのに、後半はいっさいの権力を否認し、教会から破門され、死刑制度に反対し、自分自身の芸術すら否定して、独自の平和主義を貫いたことは知られているだろう。しかし、このとき食に対する姿勢も大転換していたのである。前半では、他のロシアの貴族同様、狩猟を趣味にし、斎戒期でなければ肉を口にしていたトルストイが、後半になるとどんな小さなものでも生き物を殺すことはなくなり、肉欲も肉食も断った。たかが食生活といえども、ベジタリアンとは究極の斎戒主義であり、人生観も思想も関わっている。ふつうの正教徒にとっては、1年を通して日によって交代する斎戒と祝祭だが、トルストイは、前半の祝祭的生活から後半の絶対的な斎戒へと一生に一度の大転換をさせることによって、めまぐるしい交代のサイクルを脱構築したといえるかもしれない。放蕩という一方の極から菜食主義というもう一方の極へ──これまた激しい振幅であるにはちがいないのだけれど。

ロシア貴族の食卓の再現。レストラン「オブローモフ」にて 撮影=沼野恭子
これまで描いてきたとおり、ロシアの食の光景は、20世紀初頭まで長らく、社会階層による二分化と、時間軸による二進法的振幅が組み合わさっていたわけだが、食のこの二極構造をあたかも攪乱し壊そうとしたかに見えるのがレフ・トルストイである。例えば、『アンナ・カレーニナ』では、貴族でありながら農民に寄り添う作者の分身のようなレーヴィンという登場人物が、モスクワの高級レストランで、自分の好みはシチーとカーシャだと言ってのけ、階層的二分法を解体しようとしている(先ほど見たとおりシチーとカーシャは農民の主食で、高級な欧風レストランのメニューには入っていないのだ)[★5]。さらに、トルストイ自身が1885年以降、狩猟も肉食も断ち、いわゆるベジタリアンになっていることは特筆に値する。トルストイの一生が、前半と後半でかなり様相を異にしており、前半は派手な放蕩生活だったのに、後半はいっさいの権力を否認し、教会から破門され、死刑制度に反対し、自分自身の芸術すら否定して、独自の平和主義を貫いたことは知られているだろう。しかし、このとき食に対する姿勢も大転換していたのである。前半では、他のロシアの貴族同様、狩猟を趣味にし、斎戒期でなければ肉を口にしていたトルストイが、後半になるとどんな小さなものでも生き物を殺すことはなくなり、肉欲も肉食も断った。たかが食生活といえども、ベジタリアンとは究極の斎戒主義であり、人生観も思想も関わっている。ふつうの正教徒にとっては、1年を通して日によって交代する斎戒と祝祭だが、トルストイは、前半の祝祭的生活から後半の絶対的な斎戒へと一生に一度の大転換をさせることによって、めまぐるしい交代のサイクルを脱構築したといえるかもしれない。放蕩という一方の極から菜食主義というもう一方の極へ──これまた激しい振幅であるにはちがいないのだけれど。

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こうしたロシアの二元的な食の状況は、革命後、貴族階層が一掃され宗教が実質的に禁止されるや、強制的に一元化されることになった。建前としての一元的なソ連社会において、特権的な人々の豊かな食と一般市民の質素な食の二元的な現象が見られたことは冒頭で述べたとおりだ。
ソ連時代のモノ不足は本当に深刻だった。私自身、スーパーマーケットに行ってもどの棚にも商品が見当たらず、めぼしいものといえば魚のトマト煮の缶詰めだけという悲惨な実情に驚いた経験もある。スターリン時代に出版された『美味しくて健康によい食べものの本』は[★6]、1939年から加筆・修正されつつ何度も版を重ねた百科事典のような料理書で(発行元はソ連食品産業省)、総計800万部以上の売りあげがあったといわれるが、そこには絢爛豪華な料理の並んだ食卓の写真や無数のレシピが掲載されていた。しかし、肝心の食材が手に入らなかったのだから、まさしく絵に描いた餅だった。食の実態がなく、レシピが載っていても作れない、つまり虚像のみが料理書というコピーとして出まわっていたという意味で、この豊かな食卓の図は典型的なシミュラークルだったといえよう。
ソ連が崩壊してからは、一元的強制力が急速に減退し、多元的な食環境へと飛躍的な変化を遂げた。大型スーパーが次々にオープンして商品が豊富に出まわるようになるとともに、食材も以前とは比べようもないほど多種多様になった。さまざまな料理書やテレビの料理番組があふれ、虚像ではなく「実際に」いろいろな料理を家庭で作ることができるようになった。カフェやレストラン、ファストフードなど近年の外食産業ブームで気づいたことをあげれば、ソ連時代には望むべくもなかった「サービス」という概念が定着してきたこと、宗教の復活に絡んで「斎戒メニュー」つまり肉や乳製品を用いないメニューを用意しているレストランがあること、本格的な伝統的ロシア料理を出す店がある一方で、ソ連時代へのノスタルジーを掻きたてるような店もでき、いくつもの店舗を有するチェーン店とセレクトショップのような個性的な店が共存していること、大都市ではたくさんのスシバーが活況を呈し、日本料理だけでなくさまざまなエスニック料理店が出現していることなどだ。
モスクワのユニークなレストランをいくつか紹介しよう。
2000年にオープンしたレストラン「オブローモフ」[★7]は、作家イワン・ゴンチャロフの小説『オブローモフ』の主人公の名前を冠するロシア料理店で、内装もレシピも19世紀の貴族文化を踏まえている。この小説を原作として作られた映画『オブローモフの生涯の数日』[★8]で使われた調度品やサウナのセットがそのままレストランに持ちこまれたというだけあって、食いしん坊で怠け者の貴族オブローモフ(映画では名優オレグ・タバコフが演じた)がスープをすすっていてもおかしくないような豪奢な雰囲気を醸しだしている。例えば、冷たい前菜にカモのムネ肉のサラダ、温かい前菜に鶏肉とヤマドリタケのジュリエン、スープに仔牛肉入り「小ロシア(ウクライナのこと)」風ボルシチ、メインに燻しオヒョウとジャガイモの付けあわせ、デザートにイチゴのケーキというコースなどいかがだろうか。
クラブ=レストラン「ペトローヴィチ」[★9]は、1997年、有名な画家で精神科医でもあるアンドレイ・ビリジョの発案により、元コニャック工場の地下倉庫だったという場所で創業。ビリジョの人気風刺漫画の主人公ペトローヴィチが暮らした「古き良きソヴィエト時代」をアイロニカルに想起させる内装で、足踏みミシン、蓄音機、白黒テレビ、古いタイプライター、受話器のある電話などといったレトロな雑貨が「客から贈られたプレゼント」として飾られている。だから、店に足を踏みいれたとたん、1960-70年代のモスクワにワープしたかのような錯覚に陥る。レストランであると同時に、まるで美術館あるいはインスタレーションであるかのようだ。メニューに書かれた料理の名前がふるっている。「ソヴィエト大使」はピクルスや塩漬けキャベツの前菜、「共同住宅12号室」はタコ、イカ、エビ、サーモンの盛り合わせ、「春の17の瞬間」は1970年にユリアン・セミョーノフが書いたスパイ小説のタイトルだが、トマトとキュウリのサラダ、「ペトローヴィチ出張から帰る」は自家製カツレツにソバの実のカーシャ添え、「チムール少年隊」は1940年にエゴール・ガイダールが書いた少年少女向け小説のタイトルで、肉入りペリメニ(ロシア風水餃子)である。いずれも飄々としたユーモアとさりげないアイロニーの効いたネーミングだが、中身はロシア料理を中心にした創作料理風でなかなか美味しい。
レストラン「黒猫」[★10]もまたコンセプチュアルアートのようだ。人気俳優で吟遊詩人としても名高かったウラジーミル・ヴィソツキーを探偵役に、第二次世界大戦直後のモスクワを舞台に繰り広げられたテレビドラマ『待ち合わせ場所は変えられない』[★11]のセットを再現した内装である。このドラマに関係していると思しき小物(ギター、各種時計、ロシア式湯沸かし器サモワール、大きな鍵、古い写真機、新聞など)があちこちに並べられ、壁という壁にセリフが書かれ、ブロマイドが貼られている。「黒猫」というのは作中に出てくる犯罪グループの名前。メニューにあるのは、当時特権階級だけが口にできたソヴィエト料理が主だという。面白いのは、先に言及したソ連時代の料理書『美味しくて健康によい食べものの本』に載っているレシピにもとづく「カワカマスのカツレツ、マッシュポテト添え」という料理がメニューにあることだ。ソ連時代には特権階級しか食べられなかった料理が、ポスト・ソ連時代になって初めてだれにでも食べられるものになったというのは、パラドクスというべきか、虚像が実態を取り戻したというべきか。

レストラン「黒猫」。軍服や写真やドラマのセリフが壁を飾っている 撮影=沼野恭子
最後に、現代ロシアの食をめぐるもうひとつの大きな二極化現象について触れておきたい。それは、グローバリゼーションに対する反動という形で現れた。
ロシア社会がアメリカ資本主導のグローバリゼーションに巻きこまれることになる最初の象徴的な「事件」といえば、ソ連崩壊の前年(1990年)にマクドナルド一号店がモスクワにオープンしたことだった。以後、さまざまなファストフードが怒涛のようになだれこみ、ロシア市場を席捲した。人々は、ハンバーガーやコーラに飛びつき、かつて経験したことのない大量消費型資本主義の蜜の味を楽しんだ。しかし、振り子はゆっくりと反対側に振れることになる。外国とくに欧米を中心とする大衆文化の、目もくらむような魅力と影響にさらされ、最初のうちは嬉々として享受した人々がやがてそれらに飽き、自国の文化でとってかわるものの出現を望むようになったからだ。そしてそのニーズに応えるかのようにロシア産の大衆文化が誕生したり蘇ったりする。こうした現象は、ひとり食文化にかぎったことではなく、文学もしかり(ペレストロイカ直後は外国の推理小説や大衆恋愛小説が競うように読まれたが、やがて国産推理小説の一大ブームにとってかわられた)、映画もしかりだった(当初ハリウッド映画ばかりが上映されていたが、そのうちロシアの優れた映画監督が輩出してきた)。
食の分野では、新しいものを生みだすというより伝統的なロシア料理を再評価するという形をとった。コーラに対抗する飲みものとして白羽の矢が立ったのは、ロシアで昔から愛飲されてきたクワス(ライ麦をベースにした微炭酸発酵飲料)である。

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最後に、現代ロシアの食をめぐるもうひとつの大きな二極化現象について触れておきたい。それは、グローバリゼーションに対する反動という形で現れた。
ロシア社会がアメリカ資本主導のグローバリゼーションに巻きこまれることになる最初の象徴的な「事件」といえば、ソ連崩壊の前年(1990年)にマクドナルド一号店がモスクワにオープンしたことだった。以後、さまざまなファストフードが怒涛のようになだれこみ、ロシア市場を席捲した。人々は、ハンバーガーやコーラに飛びつき、かつて経験したことのない大量消費型資本主義の蜜の味を楽しんだ。しかし、振り子はゆっくりと反対側に振れることになる。外国とくに欧米を中心とする大衆文化の、目もくらむような魅力と影響にさらされ、最初のうちは嬉々として享受した人々がやがてそれらに飽き、自国の文化でとってかわるものの出現を望むようになったからだ。そしてそのニーズに応えるかのようにロシア産の大衆文化が誕生したり蘇ったりする。こうした現象は、ひとり食文化にかぎったことではなく、文学もしかり(ペレストロイカ直後は外国の推理小説や大衆恋愛小説が競うように読まれたが、やがて国産推理小説の一大ブームにとってかわられた)、映画もしかりだった(当初ハリウッド映画ばかりが上映されていたが、そのうちロシアの優れた映画監督が輩出してきた)。
食の分野では、新しいものを生みだすというより伝統的なロシア料理を再評価するという形をとった。コーラに対抗する飲みものとして白羽の矢が立ったのは、ロシアで昔から愛飲されてきたクワス(ライ麦をベースにした微炭酸発酵飲料)である。
面白いのは、ロシアの大手飲料メーカー「デカ」が2005年に「ニコーラ」という銘柄のクワスを売りだすにあたり、「クワスはコーラじゃない、ニコーラを飲もう!」[★12]という宣伝文句をキャッチコピーにしたことだ。「コーラじゃない」というところはロシア語で「ニ・コーラ」といい、クワスの名前「ニコーラ」とまったく同じ発音になるため、愉快な音遊びを成している。しかし、それよりずっと重要なのは、「コーラは化学的な素材が使われていて健康によくないが、クワスはロシアの農村で用いられてきた昔ながらの製法で作られているから健康によい」という対比を販売戦略に据えたことだ。要するに、アメリカ的な大量消費ファストフードを人工的・非健康的とし、ロシアの食を自然的・健康的なスローフードであるとして二極構造をきわだたせ、後者を選択するよう大衆に働きかけているのである。
同様の傾向は、最近の遺伝子組換え食品(GMO)へのロシア政府の対応にも見出せる。2016年、遺伝子組換え作物をロシア国内で育成したり栽培したりすることを禁じる法律ができた(ただし検査や学術研究を除く)。多国籍化学メーカー、モンサント社の遺伝子組換え作物を念頭に置いての計らいであることは間違いないが、食糧安全保障とロシア国民の健康保持が目的だとうたっている。つまり、アメリカ主導のグローバル企業がロシアに進出しすぎることを警戒しつつ、遺伝子組換え作物は人工的で人間に害をもたらす「悪」であるのに対し、ロシアの農法は自然でオーガニックな「善」であるとの二項対立的図式を描いてみせたのだから、コーラ対クワスの対立関係とぴたりパラレルである。
こうしてロシアの胃袋は、グローバリゼーションの飽食を経験した現在、健康志向に傾いている(あるいはそう誘導されている)のではないかと思われるが、ロシア人のメンタリティとも深く関わりがあるにちがいない二極構造、あるいは一方の極から他方の極へと大きな振幅を見せるダイナミズムこそが、歴史的に見てロシアの食文化の特徴であったことを思えば、今度は、徹底的に化学物質を排除して自然農法や健康食品を偏愛するようになるかもしれない。はたしてロシアは本当に遺伝子組換えや有害な化学肥料を取り入れることなく、未来に向けてエコロジーの観点から望ましい食糧需給をしていくことができるのか。これはもはやロシアだけの問題にとどまらないだろう。今後、食の領域で世界が二分されることになった場合、日本はどのような選択をしていくのか、真剣に考えるべきときが来ている。
同様の傾向は、最近の遺伝子組換え食品(GMO)へのロシア政府の対応にも見出せる。2016年、遺伝子組換え作物をロシア国内で育成したり栽培したりすることを禁じる法律ができた(ただし検査や学術研究を除く)。多国籍化学メーカー、モンサント社の遺伝子組換え作物を念頭に置いての計らいであることは間違いないが、食糧安全保障とロシア国民の健康保持が目的だとうたっている。つまり、アメリカ主導のグローバル企業がロシアに進出しすぎることを警戒しつつ、遺伝子組換え作物は人工的で人間に害をもたらす「悪」であるのに対し、ロシアの農法は自然でオーガニックな「善」であるとの二項対立的図式を描いてみせたのだから、コーラ対クワスの対立関係とぴたりパラレルである。
こうしてロシアの胃袋は、グローバリゼーションの飽食を経験した現在、健康志向に傾いている(あるいはそう誘導されている)のではないかと思われるが、ロシア人のメンタリティとも深く関わりがあるにちがいない二極構造、あるいは一方の極から他方の極へと大きな振幅を見せるダイナミズムこそが、歴史的に見てロシアの食文化の特徴であったことを思えば、今度は、徹底的に化学物質を排除して自然農法や健康食品を偏愛するようになるかもしれない。はたしてロシアは本当に遺伝子組換えや有害な化学肥料を取り入れることなく、未来に向けてエコロジーの観点から望ましい食糧需給をしていくことができるのか。これはもはやロシアだけの問題にとどまらないだろう。今後、食の領域で世界が二分されることになった場合、日本はどのような選択をしていくのか、真剣に考えるべきときが来ている。
★1 1989年のソ連映画。キラ・ムラートワ監督。原題は Astenicheskii sindrom。
★2 沼野恭子『ロシア文学の食卓』日本放送出版協会、2009年、86-96頁参照。
★3 Shchi da kasha-pishcha nasha.(シチー・ダ・カーシャ、ピーシチャ・ナーシャ)
★4 Paperny V. Kultura Dva. 3-e izdanie. M., Novoe literaturnoe obozrenie, 2011.
★5 沼野、前掲書、41-50頁参照。
★6 Kniga o vkusnoi i zdorovoi pishche. Pishchepromizdat, 1939.
★7 Restaurant «Oblomov». 住所は5, 1-st Monetchikovskii lane 5。英語サイトはhttp://restoblomov.ru/en/。
★8 1979年のソ連映画。ニキータ・ミハルコフ監督。原題は Neskolko dnei iz zhizni I. I. Oblomova。
★9 Restaurant «Petrovich». 住所は24, bldg. 3, Myasnitskaya st.。英語サイトはhttp://www.club-petrovich.ru/eng/。サイトではビリジョのイラストも見ることができる。
★10 Restaurant «Chernaya koshka». 住所は6, Vorontsovskaya st.。サイトはhttps://blackcatrest.ru/(ロシア語のみ)。
★11 1979年のテレビドラマ。スタニスラフ・ゴヴォルーヒン監督。原題はMesto vstrechi izmenit nelzia。
★12 «Kvas ne Kola-pei Nikolu!(クワス・ニ・コーラ、ペイ・ニコール)»。「デカ」社の公式サイトにこれまでのコマーシャル動画が掲載されている。2010年の動画でこのキャッチフレーズが使われている。 URL=http://www.deka.com.ru/ru/production/kvass/nikola/(CMを見るには reklama のタブをクリックする必要がある)。


沼野恭子
東京に生まれる
東京外国語大学 外国語学部 ロシア語科卒業
東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程 満期単位取得退学
現在、東京外国語大学大学院 総合文化研究科 教授
専門:ロシア文学、比較文学
主な著書:『アヴァンギャルドな女たち――ロシアの女性文化』(五柳書院、2003)、『夢のありか――「未来の後」のロシア文学』(作品社、2007)、『ロシア文学の食卓』(日本放送出版協会、2009)、『ロシア万華鏡──社会・文学・芸術』(五柳書院、2020)、NHK「100分de名著」テキスト『アレクシエーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」』(NHK出版、2021)。
主な訳書:リュドミラ・ウリツカヤ『ソーネチカ』(新潮社、2002)、アンドレイ・クルコフ『ペンギンの憂鬱』(新潮社、2004)、イワン・トゥルゲーネフ『初恋』(光文社、2006)、ボリス・アクーニン『リヴァイアサン号殺人事件』(岩波書店、2007)、レオニード・ツィプキン『バーデン・バーデンの夏』(新潮社、2008)、リュドミラ・ウリツカヤ『女が嘘をつくとき』(新潮社、2012)、リュドミラ・ペトルシェフスカヤ『私のいた場所』(河出書房新社、2013)。『ヌマヌマ──はまったら抜けだせない現代ロシア小説傑作選』(沼野充義と共編訳、河出書房新書、2021)
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