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    亡霊建築論(2) エイゼンシテインの『全線』とソフホーズの亡霊|本田晃子

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    初出:2019年06月24日刊行『ゲンロンβ38』

    はじめに


     1920年代のソ連において興隆したロシア構成主義建築が、アヴァンギャルド演劇の舞台美術に起源のひとつをもっていたことは、前回述べたとおりである。注意すべきは、アヴァンギャルド演劇の舞台美術は、現実を舞台の上に再現しようとする自然主義演劇の舞台美術に対する批判から生まれたという点だ。ゆえにアヴァンギャルドの演出家たちや美術家たちは、見せかけの現実を排除するために、現実の都市の広場や街路を舞台として用いたり、演劇空間の虚構性(約束事)を意図的に暴露するような演出を用いたりした。

     このような前衛演劇の理念は、もちろんソ連映画にも継承された。演出家フセヴォロド・メイエルホリドの教え子であったセルゲイ・エイゼンシテインをはじめ、ジガ・ヴェルトフやレフ・クレショフといった当時のソ連を代表する映画監督たちも、再現的なイメージを退けようとした。代わりに彼らが取り組んだのが、「ファクト」(事実)からなる映画である。彼らはスタジオのセットで本物らしい虚構の空間を作り出すことよりも、社会主義の建設の現場に赴き、ロケすることを好んだ。たとえば、ヴェルトフの『キノ・プラウダ』や『カメラを持った男』は、現実の都市やそこでの人びとの生活を切り取ったショットから構成されている。エイゼンシテインの『十月』では、実際に十月革命の舞台となったサンクト・ペテルブルクの冬宮前広場で、蜂起の様子の撮影が行われた。

     では、これらソ連映画と構成主義建築は、どのような関係にあったのだろうか。もし実現されていれば、ヴェスニン兄弟の《労働宮殿》のような建築物が、ソ連映画にとって理想的な舞台となったであろうことは間違いない。作り物のセットではなく、現実の都市空間における「革命」を撮影したいと熱望する映画監督にとって、構成主義建築はまさに願ったりかなったりだったはずだ。

     しかし残念なことに、映画と建築は、わずか数年の時間差ですれ違ってしまう。構成主義建築が本格的に出現しはじめた1930年代前半には、すでにエイゼンシテインらの映像の実験は、「フォルマリズム」(形式主義)として批判にさらされていた。同時に映画の撮影の舞台も、スタジオの外の世界からスタジオ内のセットへと回帰しようとしていた。

     そのような状況にあって幸運な例外となったのが、1929年に公開されたエイゼンシテインの『全線(古きものと新しきもの)』である。この作品の中には、非常に奇妙で、忘れがたい建築物が登場する。主人公の農婦マルファの夢の中に現れる、純白のソフホーズ【図1】だ。装飾をはぎ取られた幾何学的な輪郭、ガラスのはめ込まれた巨大な窓、細い柱で支えられたピロティ──典型的なモダニズム建築が、ロシアの農村の泥濘の中にまるで蜃気楼のように、あるいは亡霊のように、忽然と出現するのである。実は、このソフホーズのデザインの背後にいた建築家こそ、モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエに他ならない。この純白のソフホーズにおいて、エイゼンシテインとル・コルビュジエというモダニズムを代表する2つの才能が、交錯していたのである。

     けれども、なぜル・コルビュジエの建築が、突如ソ連映画のスクリーンに現れることになったのだろうか。そしてこのソフホーズは、いかにして本連載のテーマである「亡霊建築」になったのだろうか。

    【図1】純白のソフホーズ

    夢のソフホーズ


     まずは簡単にこの映画の製作された背景と、あらすじを確認しておきたい。

     セルゲイ・エイゼンシテインと、その弟子であり盟友でもあるグリゴリー・アレクサンドロフが『全線 Генеральная линия』の脚本の執筆にとりかかったのは、1926年5月だった★1。その背景には、当時のソ連の農業政策、すなわち農業の集団化・工業化の実現の大幅な遅れがあった。革命後のロシアでは、各地に農業協同組合(アルテリ)などの共同体が組織され、そこからさらに農地・家畜・農機具の共同利用を行う集団農場(コルホーズ)、国家が直接農民を雇用し、農業政策に即して生産を行う国営農場(ソフホーズ)へと、段階的に農業の集団化・工業化が進められる予定だった。しかし1926年になっても、コルホーズやソフホーズに所属する農業従事者の割合は、10パーセント未満にすぎなかった★2。このような状況に対し、エイゼンシテインらは映画を通じて人びとの注意をソ連農業の問題に向けさせることを宣言する。

     撮影は1926年に開始されたが、途中『十月』の製作のために一時中断され、その後脚本の修正を経て、1928年11月にクランクアップをむかえる。けれども翌29年より、ソ連では映画に対する検閲の強化がはじまった★3。『全線』も、一度は検閲をパスしたものの、その後不適切な表現が指摘され、追加撮影を余儀なくされる。さらにはタイトル『全線』にも物言いがつき★4、より抽象的で無難な『古きものと新しきもの Старое и новое』へと変更を余儀なくされた。こうして1929年10月7日、ようやく一般公開が開始された。

     最終的に採録された脚本では、物語は次のように進んでいく。

     主人公の貧しい農婦マルファ・ラプキナ(本物の農婦が本名で演じている)は、春になっても馬がいないために土地を耕すことができない。そこで彼女は、皆で団結して農作業を行うことを村人たちに訴える。だが彼女を待ち受けていたのは嘲笑だけだった。そんなとき、マルファの村にも共産党の農業委員がやってくる。農業委員の男(どことなくレーニンに似ている)は村人たちの前でコルホーズの開設を宣言し、手始めに村に牛乳分離機を導入する。分離機の奇跡のような威力を目の当たりにして、頑迷な農民たちも徐々に態度を軟化させ、コルホーズへ加入しはじめる。彼らは種牛となる子牛や農機具を共同で購入し、コルホーズを拡充していく。そして収穫の時期、コルホーズについに念願のトラクターが導入される。無数のトラクターが、整然と列を組んで畑を進み続ける場面で、物語は幕を下ろす。もちろん最後に登場するトラクターの隊列は、孤立し無力だった農民たちが集団へと組織され、科学技術の恩恵の下に社会主義へと邁進していく姿を象徴しているのである。

     問題となるソフホーズは、中盤の物語の転換点、本格的にコルホーズの発展がはじまる前の場面に登場する。農業委員の男の助けを借りて種牛を買うための資金を集め終えたマルファは、安心して金庫の上でうたた寝をはじめる。そして、ある夢を見る。

     彼女の夢の中には、まず雨雲に覆われた広大な草原と、牝牛たちの群れが現れる。ここではマルファの寝顔と牛たちの映像がクロスカットされることによって、後者はマルファの見ている夢の光景であることが示される。次に、牝牛たちの群れの上に、巨大な牡牛のイメージが二重投影される【図2】。これによって、牡牛(種牛)と牝牛たちの交わりが表現される。続く2種類のクロスカット──雨雲【図3】とシャワーのように降り注ぐ牛乳【図4】のイメージ、そして川と流れる牛乳のイメージ──は、孕んだ牝牛たちから雨のように流れ出た乳が、巨大な牛乳の川を作り出したことを表している。もちろんこれらのイメージから、ギリシャ神話のゼウスとダナエ(ゼウスは黄金の雨となってダナエと交わった)、あるいはゼウスとエウロパ(ゼウスは牡牛に化けてエウロパを攫った)の逸話や、聖書における乳の流れる「約束の地」などを連想することは可能だろう。しかしそのようなヨーロッパ文化のイメージの伝統は、次のオートメーション化された工場内で加工される牛乳のショット【図5】により、打ち砕かれる。

    本田晃子

    1979年岡山県岡山市生まれ。1998年、早稲田大学教育学部へ入学。2002年、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学表象文化論分野へ進学。2011年、同博士課程において博士号取得。日本学術振興会特別研究員、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター非常勤研究員、日露青年交流センター若手研究者等フェローシップなどを経て、現在は岡山大学社会文化科学研究科准教授。著書に『天体建築論 レオニドフとソ連邦の紙上建築時代』、『都市を上映せよ ソ連映画が築いたスターリニズムの建築空間』(いずれも東京大学出版会)など。
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