天才演出家の鋭くも血の通ったまなざし 上田久美子(聞き手=上田洋子)「上田久美子の The 舞台の哲学」イベントレポート
2024年8月21日、脚本演出家の上田久美子がゲンロンカフェに登壇した。上田は宝塚歌劇団で舞台芸術の道に入る。大劇場デビュー作の『星逢一夜』(2015年)をはじめ、多くの作品がファンの心を掴み、話題作となった。その叙情的な台詞で綴られる深淵な物語には、宝塚ファンでなくとも魅了されるはずだ。2022年の退団後、フランス留学を経て、現在は各地のアートセンターを拠点に実験的な創作活動に取り組んでいる。
聞き手を務めたゲンロンの上田洋子は、小学生から高校生時代まで阪急沿線に暮らし、ひたすら宝塚に通っていたという。入団試験時のエピソードから宝塚歌劇団と経営元である阪急電鉄の改革案、そして現在進行中の実験的プロジェクト『呼吸にまつわるトレーニングプール』の制作過程まで、充実のトークが繰り広げられた。
このイベントは、シラスチャンネル「上田久美子の演劇理想ロン」の開設を記念して企画された。今までインターネットを積極的に利用することを避けていたと話す彼女が、X(旧Twitter)、note、そしてシラスを一挙に始めるに至った経緯は、本放送の無料公開部分および「演劇理想ロン」の初回放送を参照されたい。創作活動を続けるには、資金と理解者・支援者が必要だ。こうした話はゲンロンカフェのイベントでも語られている。
ウエクミ作品の核ともいえる鋭い観察眼と天才的な言語能力に満ち満ちたトークショーの模様をレポートでお届けする。
なお、登壇者はふたりとも上田である。上田久美子は宝塚ファンからは「ウエクミ」と呼ばれることが多いが、本人は今、「くーみん」と呼んでもらう活動を行なっているとのこと。本レポートでは上田(く)、上田(よ)と記すことにする。
上田久美子 聞き手=上田洋子 上田久美子の The 舞台の哲学──すべては宝塚からはじまった?
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20240821
最初に、上田(く)が製薬会社の人事部から宝塚の演出助手に転身した経緯が語られた。彼女は会社員が性に合わず、劇場関係の業種へと転職に踏み切ったことは、ファンのあいだでは以前から知られている。今回のイベントではそこからさらに踏み込んで、宝塚入団に漕ぎ着けるまでのエピソードが細かに明かされた。劇場を転職先に選んだのは、金銭的な利益のみを追求する会社とは全く異なる価値観で成り立っている場だと感じたから。宝塚は、劇場関連の求人に一括で応募したエントリー先の一つに過ぎなかったそうだ。
当時、演劇の作り手としての経験が全くなかった上田(く)は、不利な条件のなかで少しでも面接官の興味を引くために、なんと志望動機を明治の文豪のような美文調(!)で書いたらしい。もともと他人の文体を真似ることが特技なのだという。これが彼女のつくる歌詞や台詞に活かされていることは言うまでもない。
そして、思惑通りに面接に進んだ彼女を待ち受けていたのは、驚愕のテストだった。なんとその場で握力測定(!)が行われたというのである。ちなみに、上田(く)の握力は担当者がおもわず声を上げるほど強かったとのこと。「握力が強かったから受かったのかもしれない」というくだりは、序盤にして今回のハイライトのひとつだ。
話題は、宝塚時代の作品に移る。聞き手の上田(よ)は、このトークのためにウエクミ作・演出(ここは宝塚時代の呼称を用いる)全9作品中8作品の映像を観て、自身が劇場に通い詰めていた80-90年代の作品とは何もかも変化していることに大きな衝撃を受けたという。けれども一瞬にしてその虜になってしまったそうで、それはそれは熱のこもった作品紹介がなされた。そして、宝塚に馴染みのない人に向けての劇団紹介も含め、作品をめぐるトークが繰り広げられた。
聞き手がウエクミ作品に最も驚かされたのは、主役の人物像だという。彼らは従来の宝塚作品にありがちな理想や夢を体現したような存在ではない。たしかに主人公らしく、故郷の人々のため、愛する人のため、国家や主人のために行動するが、決して思い描いていた未来にはたどり着けない。「夢を売る」宝塚歌劇において、どんなに力を尽くそうとも乗り越えられないものが存在するという現実を突きつける作品を上田(く)は提示したのだ。
そのような作品が受け入れられたのは、ウエクミ作品がエンタテインメントとしても傑出していたからに他ならない。宝塚の本公演は基本的に95分の芝居と55分のショーで構成され、上田(く)は1作を除いて前半の芝居を担当していた。普段の公演では、幕間になると観客は急いで客席から立ち上がり、食事やデザートを食べたり、応援しているタカラジェンヌの写真やグッズを買ったりするためにロビーに行く。しかし、彼女の作品では、幕間休憩に入っても涙が止まらず、すぐ席を立つことができない観客が散見された。これは、ギリシアから続く、悲劇を見ることによって心に溜まった辛い気持ちが解放される「カタルシス」(浄化)の効果でもあるだろう。
こうした、人の心に訴えかけるためのテクニックは、主に演出助手として関わった過去作品から学んだそうだ。特に参考にしていたのは大先輩にあたる柴田侑宏作品だったという。柴田の作品では、劇中の時間を飛躍させる際に、登場人物の状況が予想できる近い未来ではなく、その少し先に時間を飛ばす。それを取り入れると、たとえば「あのふたりは結局結婚しなかったということかな……?」といったふうに観客はおのずと作中で描かれなかった登場人物たちの人生を想像するようになり、両者の感情的な距離が近づくのだ。
脚本術の詳細については、「上田久美子の演劇理想ロン」でも紹介されているのでぜひ合わせて視聴してほしい[★1]。ウエクミ作品が宝塚ファンのあいだで伝説として語られている所以は脚本だけではない。劇場に集まった2000名以上の観客を一気に作品世界へと引き込み、劇場を出た後もふとした瞬間に口ずさんでしまう劇中歌、盆(廻舞台)やセリ(昇降装置)などの機構を存分に活かした役者の動きやフォーメーション、迫力ある舞台装置もその魅力である。
ほかにも、大劇場デビュー作『星逢一夜』制作過程での知られざるエピソードや、歌の名手として名高いトップスターの退団公演にもかかわらず、コロナ禍により生のオーケストラなしで上演することになった『fff(フォルティッシッシモ)』(2021年)での、オーケストラピットを利用した印象的な冒頭場面の誕生秘話など、宝塚に慣れ親しんだ者にとっても一見の価値がある作品紹介コーナーとなった。宝塚ファンもそうでない人も必見だ。そもそも、宝塚歌劇は専属オーケストラを持つ日本でも稀有な劇団でもあるのだ。
休憩を挟んだのち、話題は劇団の体質改善へと移った。昨年9月に起きてしまった、劇団員の自死と関わる問題である。イベント当日に上田(く)がXに投稿した「宝塚について、初めて大切な話をさせていただく、重要な時間になるかもしれません」という一節は、すでに宝塚ファンの間でも話題になっていた。退団後の2年間、「古巣」の宝塚とは意識的に一定以上の距離をとっていた彼女だが、昨年の事件に関しては自身が思っていた以上に強いショックを受けたという告白とともに、亡くなられた団員と家族に対して哀悼の意を示した。その口調はそれまでの話題とは一変して重々しく、迷いも感じられるものだった。
今回、彼女が事件を受けて個人的に書いた手記の内容が語られた。宝塚歌劇が建設的により良いものとして存続していくためには、過去の過ちを責めるよりこの先どう行動するかが重要であると最初に断った上で、現在の宝塚が抱えるいくつかの問題を指摘したのである。上田(く)の分析によると、問題のひとつは、世の中全体の女性の生き方が変化したにもかかわらず、タカラジェンヌ(劇団員のこと)の雇用形態が変わっていないことだ。ふたつめは、経営元である阪急グループの利益至上主義が劇団に対して強い影響力に持つようになった結果、関西における文化振興や啓蒙といった収益に繋がらない理念が消失しまったこと。みっつめは、そうしたなかで団員ひとりひとりが感情を持った個人であることが忘れられてしまったことだ。
ひとつめの問題に対する改善策として彼女が提案したのは、宝塚音楽学校の受験年齢の引き上げだった。現在、受験資格があるのは中学校3年生から高校3年生だが、これは終戦直後に学制改革を反映させて規定されたものだ。大多数の女性が20代のうちに家庭に入る時代であれば、この年齢規定は特に女性の人生の幅を狭めるものではなかった。しかし、女性が30代以降も職に就き、自分自身の力で収入を得るという選択肢が特別なものではなくなった現代ではそうはいかない。専門の芸能の道を続けられればいいが、そうでない場合、芸能以外の技能もないままセカンドキャリアを探すのは難しい。
理想的な受験可能年齢として上田(く)が提示したのは18歳から23歳である。現行の15歳から18歳という年齢層は、自分自身の価値観や思考を築き上げる重要な時期であり、広く社会と関わることが必要というのが彼女の意見だ。現状では団員たちはその時期に音楽学校という少女だけの集団での生活を強いられる。それによって社会経験の偏りが生じてしまい、それが退団後に他の仕事をする際にも障害になっていると指摘する。
宝塚に入団できたということは、努力肌でかつ複雑な段取りをこなす知力を持っていることの証でもある。多くの団員は社会に出ても活躍できるポテンシャルを持っていると言っても過言ではない。だからこそ、宝塚が一生働き続けられる場所ではない以上、一般社会で働ける土台があったうえでタカラジェンヌの道を歩み始めるのが、一人一人の人生のためにとって重要なことではないか、と上田(く)は述べた。
入団年齢の引き上げのほかに、セカンドキャリアに関するサポートの拡充や、大学における休学のような、私的な都合による休演の仕組みなどについての提言もなされた。いくつかはすでに様々な媒体で他の論者からも提示されていた内容ではある。もっとも、それらは多くの場合、宝塚歌劇団という組織の問題をコンプライアンスの観点から指摘するに留まっていたのに対し、上田(く)による提言は、ともに舞台を作り、宝塚の劇団文化を育ててきたものとして、タカラジェンヌと専属スタッフのみならず、宝塚の観客に対してまでも眼差しが向けられており、他とは一線を画したものだったと筆者は感じた。昨年の事件から1年間、宝塚とどう向き合っていくべきか結論を出せずにいる多くの方にこの放送が届くことを願ってやまない。
また、聞き手の上田(よ)が指摘したように、宝塚に限らず、広く文化・芸術の領域において現代の価値観との不整合が生じているシステムをどのように変えていくべきかという問題は、文化を守るうえで絶対に避けられないことである。宝塚への興味がなくとも、文化・芸術に関心がある人は一度耳を傾けてほしい。
イベント終盤では、上田(く)の現在の活動が紹介された。本イベントの一週間前に城崎国際アートセンターで行われたのが、『呼吸にまつわるトレーニングプールvol.1 オフィーリアの川』だ。シェイクスピアの『ハムレット』でヒロインが川で溺死する場面は、ジョン・エヴァレット・ミレーの絵画《オフィーリア》をはじめとして、悲劇的でありながらも美しいものとして描かれてきた。上田(く)が行なったのは、イヤホンやフェイスシールドを用いて人間が本来持つ五感を制限することで、オフィーリアの周囲に存在しているはずのバクテリアや植物の視点からこの場面を体験してみようという「実験」である。イベントでは、この試みのきっかけとなったコロナ禍下でのとある経験についても語られた。
最後に、自発的に足を運ぶ層が限られている現代演劇・アートの世界で、普段そういったものを観ない人にもなんとか作品を届けたいという彼女の思いが語られた。現在重ねているという試行錯誤については、今回のイベントだけでなく、彼女のシラスチャンネルやnoteでも明らかにされているので、ぜひ追ってみてほしい。今、現状を打破する手段として考えているのは「美」だという。どんな意味合いであろうとも万人に伝わるものとして、視覚的・聴覚的な美しさにはこだわりつつ、同時にそれとはちがう実験も行なっていきたいと上田(く)は言う。現代演劇の世界でも、彼女が観客の固定観念を覆すような作品を上演する日が待ち遠しい。
上田久美子 聞き手=上田洋子 上田久美子の The 舞台の哲学──すべては宝塚からはじまった?
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20240821
横山綾香