人間とテクノロジーの現在地──暦本純一×清水亮×落合陽一「拡張する人間」イベントレポート

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webゲンロン 2024年11月15日配信

 2024年6月7日、ZEN大学とゲンロンが共同で運営する公開講座の第7弾が開催された。情報工学者の暦本純一、ZEN大学の客員講師への就任が決定しているハッカーの清水亮、そしてメディアアーティストの落合陽一が登壇した。落合はゲンロンカフェ初登壇である。
 暦本と落合は大学時代の師弟であり、今年5月には共著『2035年の人間の条件』(マガジンハウス新書)を出版している。イベントでは「拡張する人間」をテーマに、学会や芸術祭、2025年大阪・関西万博など、さまざまな議論が繰り広げられた。また、普段から交流の深い三者による、いっけんテーマとは関係のない雑談も魅力的なイベントだった。本レポートではその一部をお届けする。
 
 暦本純一×清水亮×落合陽一 拡張する人間──AIが可能にする新たな融合の世界
 URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20240607

学会と芸術祭のいま

 イベントは暦本と落合の近況についての話題から始まった。暦本は先日、ハワイで開催されたCHIという情報システム系の国際学会に参加した。コロナの影響もあり、久しぶりの対面の国際学会だったとのこと。そして、そこでの発表の半数近くがLLM(大規模言語モデル)についてだったことに驚いたという。暦本によれば、以前はVRの話題などが多かったところに、突然LLMが増え始めた。ひとつの学会で、一年のあいだにここまで発表内容が一変することは前例がない。LLMの隆盛をものがたる変化である。

 一方の落合は、近年さまざまな芸術祭に足を運んでいるという。昨年にはシャルジャ・ビエンナーレ、今年はヴェネチア・ビエンナーレ、そしてつい先日は横浜トリエンナーレに行ったそうだ。落合はその中で、シャルジャ、ヴェネツィアの両方で展示されていた、ニル・ヤルターによる《Exile is a hard job》という作品に関心を持った。

 作品名は直訳すると「亡命は大変な仕事だぜ」となる。これは祖国から亡命した人びとの写真を壁一面に並べたインスタレーションで、シャルジャでのメイン展示だった。さらにヴェネチアでも国際パビリオンの真ん中に展示されていたそうだ。

 落合は「植民地であったことはひじょうに悲しいことだ」という趣旨のこのような作品を宗主国側のギャラリーが扱うことを「ギルティ多毛作」と名付け、違和感を隠さない。じっさい、落合によればそのような作品は儲かるのだという。ただ、この「ギルティ多毛作」を許せないとしつつも、アートのあり方としてはあるていどそれを許容してしまっている自分がいることに、落合は複雑な気持ちを抱いているそうだ。ポップなフレーズとともに鋭い美術批評を繰り広げる落合の姿が印象的な一場面だった。

2025年大阪万博の現在地

 イベントでは、落合がテーマ事業プロデューサーをつとめる2025年大阪・関西万博の話題も展開された。万博事業の最初期からかかわってきた落合から、マスコットキャラクター・ミャクミャクの知られざる誕生の裏事情も明かされた。意外にも、ミャクミャクのデザインの背後には1970年の大阪万博とのリンクがあるらしい。

 ほかにも、落合のテーマ館「null2」のコンセプトビデオや企画書が公開され、本人による貴重な解説を聞くことができた。「null2」は伸びたり縮んだりするパビリオンである。パビリオンそのものが伸びたり縮んだりするわけがない、と思われるかもしれない。しかし落合は、フレームや膜などの素材を企業と協力して開発し、それをロボットアームで押したり引いたりすることで、じっさいにパビリオンの伸縮を可能にした。万博については、閉幕後の跡地の再利用が問題になっているが、落合によれば、これらのフレームやロボットはいずれもリサイクル可能だという。

 落合館全体のテーマは「デジタルの鏡とフィジカルの鏡の融和」である。伸び縮みする膜に反射する来場者と、LEDディスプレイに映し出されるデジタルヒューマン。この二つの鏡がどのように融和するのかが落合館の注目点だそうだ。

 落合のコンセプトビデオをはじめて観た清水は、「おもしろそうじゃん」と興奮気味に語った。シラスの視聴者からも「万博に行きたくなった」というコメントが寄せられるなど、落合館のコンセプトビデオは、キャッチーでインパクト十分なものだった。その詳細はぜひアーカイブ動画で確認していただきたい。

テレアブセンスの可能性

 芸術祭や万博など、さまざまな話題が繰り広げられるなか、イベントのテーマ「拡張する人間」に応じて、後半は人間の死の克服としての「テレアブセンス」の議論に移っていった。

 テレアブセンスとは工学者の石井裕が提唱する技術構想の一種で、死者とのコミュニケーションを可能にするテクノロジーを指す。清水によればそれは、死んだあとも自分が忘れられないようにいかに抵抗できるか、という議論でもある。じつは清水は、子どものころからずっとテレアブセンス的なものごとについて考えてきたという。自分が死んだあと、自分のことをみんながどれだけ覚えていてくれるか、そのために本を書いているのだと清水は語った。

 一方で暦本はテレアブセンスについてはじめて耳にしたとき、スティーヴン・キングの小説『ペット・セメタリー』の「死んだ我が子を魔術で蘇らせようとするも、ゾンビになってしまった」光景を思い浮かべたそうだ。暦本は自身の父親の葬式での経験を例に挙げながら、人間にとって、死者の記憶をいったん畳んで整理する重要性を述べた。それがないと、人間はいつまでも身近な人の死を引きずってしまう。

 テレアブセンスのようなテクノロジーは、そうして畳まれた記憶を再び展開することを可能にする。さまざまな形で、死んでしまった大切な人の寿命を「拡張」することができる。だが、そうなると人間はいつまでも記憶を整理することができなくなってしまうのではないか。暦本はテレアブセンスが可能にする寿命の拡張について、そうした懸念を抱いている。

 いっぽう落合は、自分は死んだ人の動画が残っていればそれを見るだけで十分であり、わざわざ大切な人を蘇らせて会話する必要はない、と語る。このように、テレアブセンスについての考えは三者三様で、そこから三人それぞれの死生観が垣間みえるかたちになった。そこから議論はさらに発展し、残すべきはジーン(=遺伝子)なのかミーム(=文化的遺伝子)なのか、質量をもたないメディアアートはどのように残していくことができるのかなど、刺激的な話題がつぎつぎに展開されていった。

 本レポートでは芸術祭や万博の現在、テレアブセンスの可能性など「マジメ」な議論をお伝えしてきたが、イベントではAIやテクノロジーのカテゴリーにおさまらない、魅力的な雑談がさまざまに繰り広げられた。しばしばはさまれる落合のこぼれ話では、普段から交流のある暦本や清水も仰天するような、衝撃的な事実がいくつも明かされている。また、落合の退席中(イベントで落合は別件のオンラインミーティングに出席するため、何回か出入りを繰り返している)に清水と暦本によって明かされた「落合」像も必聴である。ぜひアーカイブ動画を視聴することで、その全容をたしかめていただきたい。(田村海斗)

 暦本純一×清水亮×落合陽一 拡張する人間──AIが可能にする新たな融合の世界
 URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20240607

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