AIは創作においてなにができ、なにができないのか──手塚眞×栗原聡×佐渡島庸平「創作とは何か」イベントレポ―ト
2024年9月4日、ZEN大学とゲンロンの共同公開講座第8弾として、AIを活用して手塚治虫『ブラック・ジャック』の新作を描くプロジェクト「TEZUKA2023」を率いた慶応義塾大学理工学部教授で人工知能学会会長の栗原聡と、ヴィジュアリストの手塚眞を迎えたイベントがゲンロンカフェで開催された。聞き手には、ZEN大学に客員講師として就任予定のコルク代表・佐渡島庸平を迎え、AIと創作についての充実のトークが繰り広げられた。本稿ではその一部をレポートする。
手塚眞×栗原聡×佐渡島庸平 創作とは何か──TEZUKA2023にみるAI時代の物語づくり
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20240904
AIが描くマンガのキャラクター
イベントはまず、「TEZUKA2023」プロジェクトの前身として2019年に発足した「TEZUKA2020」についての話から。このプロジェクトは、ストーリーづくりとキャラクターデザインにAIを活用して「手塚治虫の新作マンガ」をつくるもので、そのプロセスはAIに手塚治虫のマンガやあらすじを読み込ませることから始まった。素人目線では、とくに昨今の生成AIの発展具合を見ていると、AIは簡単に「手塚治虫っぽさ」を再現できるのではないかと考えたくなる。しかし、栗原はそれは想像より難しいことだと語る。なぜだろうか。
この困難は、とくにキャラクター=絵の再現で発生する。基本的に、マンガは点と線だけで表現される芸術だ。色合いにしても、紙への印刷を前提とするほとんどの場合、白と黒の二値で表現される。つまり、カラーがないのはもちろんのこと、中間色のグレーさえも黒い点を一定間隔で並べるなどの方法で表現することが多い。たしかに人間は、その限られた情報のなかで、細かい線のニュアンスや「色使い」を通じて作家の個性を読み取ることができる。しかし、AIにとってはそれはただの点と線、そして白と黒というデータにすぎない。
栗原によれば、このような限られた情報から私たちが感じる「手塚治虫っぽさ」をAIに読み取らせ、再現することがまずプロジェクトにとっての高いハードルとしてあったそうだ。現在はそのころよりAIの性能が上がっているとはいえ、マンガの絵と通常の絵のちがいがAIの学習にも影響を及ぼすという点は、これから創作にAIを活用しようというクリエイターにもなにか示唆を与えるものかもしれない。
なぜAIと手塚治虫なのか
今回、「TEZUKA2023」で栗原と再度タッグを組んだ手塚眞(以下、手塚とのみ表記し、フルネーム表記の手塚治虫と区別する)の要望は、「今年誕生50周年をむかえる『ブラック・ジャック』の新作をつくる」というものだった。前回つくったのが「手塚治虫っぽい」オリジナルの新作だったのに比べ、だれでも知っている作品の新作ということでハードルはより高くなる。手塚は、「こんなのブラック・ジャックじゃない!」という批判は当然来ると想定していたという。ならば、なぜそうまでしてAIとの協働による新しい挑戦を続けたのか。
手塚は、これらのプロジェクトの目的は「手塚治虫の復活ではなく、AIにどこまでのチャレンジができるのかを試す実験だった」と語る。手塚治虫の素晴らしい作品がいつまでも読み続けられるためには、手塚治虫を過去のものにしてはいけない。そのためには時代の最先端を行く技術と対話し、さまざまなチャレンジをしていく必要がある、AIの利用もその一環だというのだ。佐渡島も、もしいま手塚治虫が生きていたとしたら、おそらくAIなどの新しいテクノロジーに手を出していただろうと指摘した。
さらに手塚は、マンガ業界全体としても、いつまでも手描きに頼っていると産業が先細りになってしまうかもしれないとも語る。たしかにプロによる手描きの技術は長年の訓練のたまものであり、AIがそれを完璧に真似するのは難しいだろう。しかしながら、AIにも手伝える部分はたくさんある。その可能性を探求したかったから今回のプロジェクトをやってみたのだと。イベントでは、「TEZUKA2020」から「TEZUKA2023」までの4年間に起こったAIの発展と、そこからくるプロジェクトの進行のちがいなども話題にあがった。
AIは創作においてなにができるのか
手塚と栗原のタッグによる挑戦の全貌が垣間見えたところで、イベントはしだいに、「創作においてそもそもAIにはなにができるのか」という抽象度の高い話題に移っていった。今回のプロジェクトを通じて、栗原や手塚はなにを感じ、なにを考え、なにを理解したのだろうか。聞き手の佐渡島の問いかけに、栗原はきっぱりと「AIには創作はできない」と答える。一体どういうことだろうか。
栗原いわく、創作の源泉は偶発性にある。言い換えれば、マニュアル化できないひらめきや直観にこそ、創作の素晴らしさがある。人間には、そのような偶発性がある。けれどもAIにはそれがない。少なくとも現在はない。そもそも、そのような偶発性をAI向けにマニュアル化してしまったら、はたしてそれは偶発性と言えるのだろうか。栗原は、だからこそAI単体での創作に期待するのではなく、人間とAIの「あいだ」にどのような偶発性を生じさせるかが問題であると語る。
創作における偶発性とマニュアルのバランス、言い換えれば、アイディアとスキルの関係性についての議論は、イベント後半でも大いに盛り上がった。手塚によれば、このバランスを見事に両立させたのがまさに手塚治虫だった。「マンガの神様」の創作術についてのトークは、マンガのみならずクリエイティブな仕事に携わるすべての方々にとって必見の内容となっている。ぜひイベントのアーカイブ動画を視聴することで、その全容を確かめてほしい。
AIと抽象的思考、あるいは空気を読むこと
AIと創作の関係について、栗原が「偶発性」の観点から答えたのに対し、手塚は「AIには抽象的思考ができない」という問題を提起した。一般的なイメージでは、AIは現実と身体的な接点をもたず、だからこそものごとを抽象的に理解するのが得意なのでは、と考えてしまいそうだ。しかしながら、事態はまったく逆なのだという。たとえば手塚は、次の時代のブラック・ジャックとして「地球を治す医者」の物語を作ってほしいとAIに要求した。どんな答えが返ってくるのかわくわくするようなお題だ。しかしAIはそれに対し、「環境運動をやっている人を助ける話」という肩透かしのような回答をしてきたのだという。AIは「地球を治す」ということの意味を抽象的に捉えてクリエイティブな回答をすることができなかったのだ。
栗原はこの「抽象的思考」の問題を、AIが「空気を読めない」ことの問題だと言い換える。たしかにAIは大量の知識は持っているかもしれない。しかし、そのうえで与えられたプロンプトだけに反応するのがAIの特徴でもある。つまり、「地球を治す医者の物語をつくれ」というとき、こちらが期待していることを伝えるためには「いま地球では温暖化が問題だとされており、その原因はCO2の増加だとされている。それを解決するように地球を治療する医者の物語をつくれ」といったこともあわせてプロンプトに入れなければならない。つまり、いまのAIには与えられたお題に付随しているコンテキストを理解する力=「空気を読む」力がない。だからこそ、いかにして「空気を読める」AIを作っていくかがこれからの課題なのだと栗原は言う。
AIと創作のこれから
このように現在のAIの限界にも触れる議論を展開しつつ、手塚は他方で、AIの面白さは、AIになにができるのかまだわからないことそのものにあるとも述べた。今後AIは人間とのインタラクションのなかで偶発性をもたらしてくれるかもしれないし、人間のように空気を読めるようになるのかもしれない。もちろん、事務的な作業の補佐にとどまる可能性もある。むしろその可能性が未知だからこそ、今回の「TEZUKA2023」のようなチャレンジを通じて、AIの可能性を不断に探求していく必要があるのだ。手塚は力強く、そのように語った。
本稿では詳しく触れられなかったが、イベントではAIと創作の関係やその可能性についてだけでなく、『ブラック・ジャック』や『火の鳥』など具体的な手塚治虫作品やその制作の現場についてなど、手塚ファンにとってはひじょうに貴重な話題も展開された。クリエイティブ関連の仕事に携わる方々はもちろん、手塚ファンも十分に楽しめる内容になっているため、ぜひアーカイブ動画を購入・視聴して楽しんでいただきたい。(田村海斗)
手塚眞×栗原聡×佐渡島庸平 創作とは何か──TEZUKA2023にみるAI時代の物語づくり
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20240904