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    マンガを描くとは生きることだ──浦沢直樹×東浩紀×さやわか「ゲンロン ひらめき☆マンガ教室 第7期 特別授業」レポート

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    webゲンロン 2024年6月5日配信
     2024年5月12日。マンガ家の浦沢直樹先生をお呼びし、「ゲンロン ひらめき☆マンガ教室」第7期の特別授業が行われました。主任講師のさやわか先生とゲンロンの東浩紀が聞き手となり、マンガを学ぶことの難しさやマンガに対する向き合い方についてお伺いしました。浦沢先生直筆のメモやスケッチも披露された贅沢でアツい授業。その中から特に濃密な部分を取り出して、今回は特別にゲンロン編集部よりレポートします!

     授業の冒頭で問われたのは、マンガを描くことの意味だった。

     「マンガなんか描くな!」当時の親がみなそうであったように、浦沢もそう言われて育った。たとえ禁止されたとしても大人の目を盗んで描き続けた少年時代の浦沢を突き動かしていたのは、「マンガを描きたい!」という衝動だったと振り返る。そんな浦沢は、いま、マンガが「産業」として大きくなってしまったことで、なんとしてでも描きたいという衝動や反逆の精神が失われてきているのではないかと危惧しているという。

     その懸念に強い説得力を与えていたのが、浦沢のメモ帳だ。浦沢は日々思いついたことをマンガのようにしてメモ帳に描きとめているという。つまり、そこでは浦沢が考えた内容が、浦沢自身の言葉としてではなく、ある人物の絵と吹き出しをカット割りとともに示すかたちでメモされているのである。

     東はそのメモ帳を目にして、「浦沢さんにとってマンガとは作品をつくることではなく、生活や思考の仕方そのものになっている」と驚きをみせる。(メモ帳はYouTubeの冒頭無料放送で観ることができる。皆さんもぜひ、実際に目の当たりにしてほしい!)

     話題は、メモ帳から浦沢の制作術へと移っていく。浦沢が振り返るのは、映画版『20世紀少年』の脚本を担当したときのことだ。最初はふつうに原稿用紙に書き始めた浦沢。しかしどうにも書き進めることができなかった。そこでマンガのネームをつくる要領で、コマを割って、登場人物が対峙して会話する様子やその背後にある風景などを描き込んでいくと、原稿用紙ではうまく出てこなかったセリフがどんどん出てきたのだという。「顔と演技を描かないと登場人物が喋っているときの空気のリズムがつくれない」と浦沢は口にする。

     そこから、マンガの「リズム」へと話は展開する。アニメ版『PLUTO』を観て、じつはみなさんが想像できないほどの疲れを感じたという浦沢。その原因は自分が作ったセリフのタイミングと、アニメのタイミングが異なっているせいだと分析する。自分のリズムとの微妙な違いにストレスを感じたのではないか。たとえば、マンガでは複数人のセリフを同時に、重なったかたちで描き込むことができる。他方、アニメでは、一人ひとり順番を決めて声が重ならないように喋らせなければならない。このあたりが、マンガというメディアならではの軽妙さなのだ。

     そんなリズムをめぐる議論に、東はマンガと日本語という言語との結びつきの観点から応答する。視聴者の時間をコントロールできるアニメとは異なり、マンガは読者が好きなリズムで頁をめくり、自分なりの時間で読み進めることができる。そのようなマンガのリズム感は、話し言葉と書き言葉が乖離した日本語という環境があるからこそ生みだされたのではないか、と東はいう。たとえば欧米言語では文章が表音文字(アルファベット)のみでつづられ、朗読との相性も良いのに対し、日本語の文章は漢字とかなが混ざりあい、漢字だけを拾い読みするようなこともできる。書き言葉をより強く視覚的なものとして味わう文化が発達した日本だからこそ、読者が独自のリズムで読み進め、感動する、マンガというメディアが人気を集めたのではないか──。

     この東の指摘を受けて、浦沢は、最近マンガが外国語に翻訳されるときに擬音語が日本語のまま表記されることが増えていると語る。たとえばこれまでは爆発音を表す単語に翻訳されていた「ドーーン」という大きな文字は、実際には意味をとる必要のある文字というよりむしろ爆風を描いた絵のようなものだ。マンガの翻訳者たちもそのような日本語の特徴に気がつきはじめたのだろう、と浦沢はいう。

     セリフと顔の関係。マンガならではのリズム感。そして日本語の文字感覚からこそ生まれたマンガの表現……。授業の隅々で、私たちが描こうとしているマンガというメディアのもつ意味が問い直されていた。

     

     授業は有料部分に切り替わる。まず話題となったのは、マンガを描くモチベーションの種類だ。

     マンガ講座に参加するひとは2種類に分かれる、と浦沢はいう。ひとつはプロのマンガ家になりたい人たち。もうひとつはマンガを描きたくて仕方がない人たち。浦沢は──あくまで自分の経験談であると断りながらも──描きたいという衝動なしにマンガ家を続けることは難しいだろうと指摘する。

     浦沢にマンガを描きたいという衝動を与えたのは、少年時代にみたジャック・ベッケルの映画『穴』や、手塚治虫のマンガ、そして『巨人の星』のアニメーションだった。そのときの衝撃がなかったら、いまもマンガを描きつづけていることはなかっただろうと語る。

     授業の途中には、浦沢がペンと紙を取り出して『巨人の星』のアニメーションをじっさいに数枚の絵を描いて再現しながら、そのすごさを事細かに解説していくという一コマもあった。浦沢少年は、ビデオのなかった時代、テレビで一度だけ目にしたそのワンシーンを脳裏に焼き付けて、新聞広告の裏の白紙に、そのシーンを描いて描いて描きまくったのだ。

     浦沢を突き動かしてきた「マンガを描きたい!」というアツい衝動を目の当たりにして、東もさやわかも受講生もいささかタジタジになりながら、話題はやがて、浦沢マンガの社会性へと移っていく。

     さやわかによれば、ひらめき☆マンガ教室の受講生たちは、しばしば「こんなこと描いて怒られませんか?」と不安を口にするという。マンガで社会性のある話題を取り上げると、誰かの顰蹙を買ったりSNSで炎上したりするかもしれない。そのようなクレームがつく可能性に、浦沢はどう向き合っているのだろうか。

     答えは、「みんなSNSを気にしすぎ」だった。マンガにはスポンサーは存在しない。アシスタントの給料も、スタジオ代も、材料費も、すべてマンガ家自身が支払っている。編集部が判断するのは掲載するかどうかだけであって、何を描くかはマンガ家が決めることだ。実質上、マンガ家はインディペンデントなのである。思ったことを描く自由がマンガ家にはあるはず。「なぜ人々がこんなにもなにかに怯える世界になってしまったのだろう」と浦沢は問いかけていた。

     

     授業の後半では、質疑応答にくわえて、受講生の提出作を見ながらのアツい指導も行われた。その詳細を事細かに紹介することは叶わないが、たとえば質疑応答では、「生まれ変わってもマンガ家になるか?」や「どのように作品のストーリーを組み立てているのか?」といった率直な質問が受講生から飛び出していた。また受講生の作品にたいするコメントでは、個性の出しかたや線の引きかた、キャラクターの描き分けかたなどについて、具体的なアドバイスが浦沢から相次いだ。

     YouTubeの無料部分で話題になったマンガと言語をめぐる記号論からマンガ家の持つべき技術と発想まで、今回の授業はさまざまな学びに満ち充ちていた。そしてそれ以上に、授業の濃密さをつくりだしていたのは、トークの随所にほとばしっていた浦沢のマンガにたいする情熱だった。

     

     授業の途中には、そのアツさを象徴するひとことが浦沢の口から飛び出した。それが今回の授業のすべてをいいあらわしている。浦沢直樹は言った。「マンガを描けずにこの世界にいるのは空虚である」。(植田将暉)

    (編集部追記:ここでの表記は「マンガ」を使用しているが、浦沢は通常「漫画」と表記している)

     以上、特別授業のレポートでした。浦沢直樹さんによる濃密なマンガ講義は、受講生にとって忘れられない経験となりました。
     ゲンロン ひらめき☆マンガ教室では、今回のように、マンガ業界の第一線で活躍する方をゲスト講師をお呼びした授業を行っております。通常授業の様子はひらめき☆マンガ+にてレポートが公開されていますのでぜひご確認ください!
     
    【ひらめき☆マンガ+】
    URL= https://hirameki.genron.co.jp/

     また、特別授業の冒頭はYouTubeにて無料でご覧いただけます。
     

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