「わからない」を自慢せよ 教授に聞く!(3)|山内志朗

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webゲンロン 2024年4月8日配信

 配信プラットフォーム「シラス」と連動した人気企画「教授に聞く!」。元大学教授の配信者による講義中心の教養チャンネルをピックアップし、先生方に講義内容や手応えについて尋ねる連続インタビューです。

 第3弾は、中世哲学がご専門の山内志朗さん。チャンネル「山内志朗のラテン語が一瞬で身につく夢の哲学チャンネル」のカリキュラムのねらいとラテン語や哲学を学ぶ際の心構えをお聞きしました。山内さんがラテン語や哲学をとおして視聴者に体験してもらいたいという「ご利益」とは──。

 また本企画では特別に、記事とあわせて1回分の講義動画を丸ごとYouTubeで無料公開中! あわせてぜひお楽しみください。(編集部)

 

【無料シラス】山内志朗のラテン語が一瞬で身につく夢の哲学チャンネル「第三クール第1回目」
URL= https://www.youtube.com/watch?v=J47CJgssoUw

シラスだからこそ可能なラテン語講座のかたち

──最初に、山内先生がシラスでチャンネルを開設するに至った経緯をあらためてお聞かせください。

 

山内志朗 2023年に大学を定年で辞めたのですが、まえから定年したらラテン語講座をオンラインでやろうかなと考えていました。最初はYouTubeを使おうかなと思っていたのですが、そのことをX(旧Twitter)で書いたら、シラス運営の方に「うちでやりませんか」と声をかけてもらい、チャンネルを開設させていただくことになりました。

 

──シラスのチャンネルを実際にやってみての手応えはどうですか?

 

山内 シラスにはコメント機能があるので、見ているひとの反応がもらえるのはありがたいですね。番組を続けているうちに、よく見に来てくれるひとも増えてきました。放送後にアーカイブで番組を見てもらえるのもうれしいです。

 

──シラスの配信と、大学やカルチャーセンターの講義とでちがいを感じるところはありますか?

 

山内 まず、カルチャーセンターでは月1回の講義をその回だけ聞いてわかるかたちにする必要があるので、文法の知識をすこしずつ積み上げていくのはどうしてもむずかしいです。かたや大学の授業の場合にはシラバスがありますから、一年を通してここからここまでの内容を14回の講義で教えます、といった授業計画を明示しなくてはいけません。シラスはそのどちらともちがって、文法をじっくり教えつつ、シラバスに縛られずトピックを柔軟に設定できるのが良い。たとえば、視聴者から「ここがわからなかったのでもう一度やってほしい」という反応があれば、では来週は特別放送で同じものをちがう角度から説明しましょう、といったこともできるわけです。

短くてもいいからラテン語の文章を読んでみる

──山内先生のチャンネルの名前は「山内志朗のラテン語が一瞬で身につく夢の哲学チャンネル」です。ほんとうに一瞬でラテン語が身につくのでしょうか?

 

山内 いやあ、もちろん一瞬で身につくわけではありません(笑)。それができたらいまごろは大富豪になっているでしょうね。ただ、「ラテン語が一瞬で身につく夢」を目指して、敷居が低くてだれでも入りやすい、そしてちゃんとラテン語の楽しさを知ることができる講座にしたいと思っています。

 

──山内先生の番組ではラテン語のテキストを講読されていますが、現在扱っているテキストはどのようなものですか。

 

山内 ラテン語の聖書にヴルガータ訳聖書というものがあります。もとはヘブライ語とギリシャ語で書かれた聖書をラテン語に翻訳したものなのですが、たとえばイギリスの哲学者ジョン・ロックは、「ラテン語を身につける一番いい方法は、ヴルガータ訳の聖書を読むことだ」と言っています。実際、このヴルガータ訳のラテン語文は比較的読みやすい。わたしの講義では、そのなかからマルコ福音書をすこしずつ読み進めています。マルコ福音書にはすぐ弱音を吐く人間的なイエス・キリストが出てくるので、わたしは福音書のなかでは一番好きなんです(笑)。

 ほかには、トマス・アクィナス『存在と本質について』を読んでいます。これは中世哲学の基本中の基本の書籍です。番組では毎回一段落ずつくらい取り上げて、ラテン語の読み方の長短とかアクセントに触れてもらってから、翻訳と突き合わせて、ラテン語と日本語の対応関係に慣れてもらうための説明をしています。ラテン語の構造は日本語よりも英語に近いですから、細かいところまでわからなくてもまずは「なんだか英語と似ているぞ」と感じてほしいですね。意味や具体的な用例、前置詞や格変化といったものはそのあとにすこしずつ覚えてもらうので構いません。

 

──山内先生自身は、学生時代にどのようにしてラテン語を学ばれたのでしょうか。

 

山内 わたしの場合、大学でラテン語の文法の授業に参加しても一ヵ月ぐらいでくじける、という経験を4回ぐらいしました(笑)。この調子ではいくらやっても続かないと思い、独学でラテン語文法書をよみました。そして、まだ文法を最後まで学び終えてないのにライプニッツのテキストを買ったんです。それを読みはじめてみたら最初は一行もわからなかったのですが、この文章のかたちは授業で習ったあれかなと気づいたら、文法にすこし戻り、また読解すべき文章の読みに戻る。そういう試行錯誤を繰り返すなかで、徐々にラテン語の文章が読めるようになっていきました。ほとんど泳げない状態で海に飛び込んで、溺れながら覚えていったかんじです。

 シラスの講義も、とにかく短くてもいいからラテン語の文章を読んでみてもらい、そこからすこしずつ「あ、こんな文法があるんだ」とわかってもらうという狙いで進めています。そういう方針のほうが、結果として長く続く気がします。最初から詰め込み過ぎようとすると頭がすぐ破裂してしまう。シラスではそのあたりのコツもみなさんにお伝えできればと思っています。

ひとつの単語を覚えたら喜ぶくらいでいい

──その学び方のコツについて、せっかくなのでもうすこしお聞きしてもよろしいでしょうか。

 

山内 ラテン語をいきなりぜんぶ覚えるのはとてもたいへんです。同じ単語でも、古代ローマと中世では意味もニュアンスもちがう。けれど、じつは中世や近世の哲学書を読むために必要な文法の量はそんなに多くないんです。ですから文法をぜんぶ覚えなくても、とりあえず読めるようになるための文法だけ取り出して学べば、案外早く読めるようになる。もちろん一瞬では身につかないにしても、学ぶ時間を短縮してコスパよくやっていく方法はあるわけです。

 それと心構えとして大事なのは、「覚えたものは忘れてもいい」と思うことです。私も5、6回辞書で引いて、「あっ、また引いてしまった」という経験を繰り返すことで覚えてきました。忘れないことよりも、ひとつの単語や活用を新しく覚えるたびに「やったじゃん!」と自分をほめてあげる。そもそもラテン語は、中世ヨーロッパでも人口の1%くらいしか読めるひとのいないとても敷居の高い言語でした。中世でもそうだったわけですから、まして現代のひとにとってむずかしいのはあたりまえなんです。

 ことあるごとに自分をほめながら、忘れないことよりも続けていくことを大事にしてほしいです。ラテン語の秘訣は反復・繰り返しなんですね。

 

──とても勇気づけられるお話です。では山内先生のなかで、こういうひとに番組を見てほしいという視聴者のイメージはありますか?

 

山内 ラテン語に関心のある、全国の大学生や、お仕事をされていたり家庭で家事をされたりしている方たちに聞いていただけたらと思います。シラスは大学やカルチャーセンターと比べて安い価格設定にしているので、そんなにお金はないけどラテン語を学びたいという若いひとたちにも届いてほしい。ラテン語を学びたいひとは日本全国にめちゃくちゃたくさんはいないかもしれないけど、一定の需要はあるはずです。ですので、全国のどこからでも参加できる学びの場所をつくれたのには大きな意味があると思っています。

ラテン語というメディアがつなぐ世界

──ラテン語のテキストを読んでいく番組以外には、どんな番組を予定されているでしょうか?

 

山内 文章の講読とはすこしちがう方向として、ラテン語のメディアとしての機能を考えて取り上げる番組もこれからやっていきたいと思っています。

 ラテン語は中世ヨーロッパの共通語だったので、たとえば権威的な政治文書を書くのにも使われていました。その文書が遠くの国へと届くことで、大きな政治形態をもった共同体が成立していた。貿易をする場合にもラテン語は役立ちました。遠い土地で金銀や宝石を買い付けて持ち帰る際に、現金ではなく為替や小切手を使いますが、それらもラテン語で書かれているわけです。13世紀ごろにはそういう仕組みが出来上がっていて、経済活動が盛んになり、貿易で大きなお金が動くようになった。そして大学制度もつくられて、ラテン語が使える人材がヨーロッパ各地に派遣されていきました。ラテン語という共通のコミュニケーションツールがあったことで、政治でも経済でも宗教でも、離れた地域と地域を結ぶ統一的なシステムをつくることができたんです。

 つまり、中世においてラテン語は、言語であると同時に広い世界とのつながりをつくる普遍性を表象するメディアでもあった。すこし話は飛びますが、わたしはそうした意味において、中世における普遍性の思想には現代のセカイ系アニメで表象される普遍性とも対応関係があるのではないかと考えたりしています★1。個人的な関心が先行してちょっと無理やり読んでいる部分もあるかもしれませんが。

 いずれにせよ、わたしが言いたいのは「ラテン語は一粒で二度三度おいしい学問なんだよ」ということです(笑)。いまはだいたい月2回のラテン語購読が中心ですが、そのうち月に1回くらい思想編をやって、あわせて2本柱にできるといいなと思っています。

日常を一枚の絵として直観する「ご利益」

──山内先生のチャンネルページの説明には「ラテン語のご利益」というユニークな言葉が書かれています。ここでの「ご利益」とはどういったものなのでしょうか。

 

山内 自分が哲学だけでなくアニメにもこだわっていることと通じるのですが、哲学の概念というものは理屈を頭で追うだけではダメで、それを一枚の絵で描けるくらいに直観することが大事です。つまり、具体的な日常の風景、たとえば友達と楽しくごはんを食べたりしているなかで、「ああ、あの概念で言われていたのはこれのことか」とすっとわかる体験ですね。日常の風景以外でも、そういった瞬間はアニメやコンサートを鑑賞しているときにも訪れますし、ラテン語で書かれた哲学のテキストを読むなかでも訪れる。自分の心を惹きつける現実を一枚の絵として直観的に感覚することこそが哲学の楽しさで、その直観がやってくることをわたしは「ご利益」と呼んでいるのです。

 もちろん哲学の原書を一字一句正確に読解したりすることも大事なのですが、視聴者のみなさんには「じつは哲学がやっていることって日常でよくあることなんだ」と感じてほしいし、ラテン語を通じてそうしたご利益を体験してもらえるようにしたいと思っています。

 

──哲学を学ぶうえでとても大事なことを教えていただけた気がします。

わからないことを恐れずに勉強する

──最後に、山内先生のチャンネルからラテン語や哲学を学びはじめたいと思っているひとへ向けてメッセージをお願いします。

 

山内 ラテン語をわからないことは偉いことなんです。なにしろラテン語と対面しているからこそ、わからないと自信を持って言えるのですからね。わからないことを恐れずに勉強を継続してみてください。ラテン語の講義を聞いていると、専門用語も多くてむずかしいと感じるひとも多いでしょう。でも哲学やラテン語において、わからないことはぜんぜん恥ずかしいことではない。わたしもこれまで勉強を続けるなかで、ずいぶん多くのわからないことに直面してきました。そしてじつは、勉強の楽しさや「わかった」という直観は、そこを経由することからしか生まれてきませんでした。

 みなさんにもわからなさを大事にしてほしいし、まずわからないことに気づけた自分を自慢してほしいと思います。

2024年2月20日
聞き手・構成=遠野よあけ+編集部
 


★1 山内志朗「〈セカイ系〉に捧げられた花束 中世ラテン哲学のすすめ」、『ゲンロン15』、ゲンロン、2023年。

 

【無料シラス】山内志朗のラテン語が一瞬で身につく夢の哲学チャンネル「第三クール第1回目」

山内志朗のラテン語が一瞬で身につく夢の哲学チャンネル 
URL= https://shirasu.io/c/latingoro

山内志朗

1957年山形県生まれ。江戸時代に修験道の盛んな場所に生まれ育つ。上京し、東京大学文学部哲学専修を卒業し、その後大学院に進み、近代の哲学者ライプニッツを研究する。その後、中世哲学の方に関心を持つようなり、中世哲学を学ぶにはイスラーム哲学にも参入の必要を感じ、哲学史を遡ることを始める。新潟大学人文学部で教鞭をとったのちに、2007年から慶應義塾大学文学部で倫理学を教える。現在の関心はスコラ哲学の伝道師に徹しようと思いつつ、湯殿山のことやアニメのセカイ系が気になり、未だに迷走中である。 著書としては中世哲学にはまり込み抜け出られなくなった因縁の本『普遍論争』(哲学書房、1992年)、『ドゥルーズ:内在性の形而上学』(講談社、2011年)、『新版 天使の記号学:小さな中世哲学入門』(岩波現代文庫、2019年)、『中世哲学入門:存在の海をめぐる思想史』(ちくま新書、2023年)などがある。
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