第65回岸田國士戯曲賞に寄せて|柳美里
初出:2021年9月21日刊行『ゲンロンβ65』
柳美里さんから編集部に連絡があったのは6月下旬のこと。岸田國士戯曲賞の選評が掲載されず選考委員を辞することになった、ついては選評と経緯を説明する文章を発表できないかとの相談でした。原稿を拝見し、編集部で議論のすえ、掲載を決定しました。ゲンロンもスクールや新人賞を主催しています。他社である白水社さん主催の選考について、第三者であるゲンロンが批判を掲載することにはリスクがあります。非難もあるかもしれません。けれども、岸田國士戯曲賞は有名な賞で歴史も長く、柳さんも影響力のある作家であり、内容的にも必ずしも戯曲賞および白水社さんを一方的に批判するものではないことから、公表には公共性があると判断しました。掲載にあたっては、柳さんと相談し、個人名を割愛するなど最低限の編集を施しています。本原稿の公表が、演劇界での議論の活性化につながることを期待します。(東浩紀+上田洋子)
岸田國士戯曲賞の選考委員を辞することになった。その経緯を然るべき時期に明らかにするとツイートしたのは、7月5日のことである。2ヶ月以上が過ぎた。気は重いが、そろそろケジメをつけなければならない。
まず、7月1日に白水社の公式サイトに掲載された「お知らせ」(https://www.hakusuisha.co.jp/smp/news/n40255.html)を読んでほしい。
岸田國士戯曲賞を主宰する白水社編集部(岸田國士戯曲賞選定委員会)のAさんから柳美里への提案とは、以下の通りである。
このメールに、わたしが書いた選評の7割を削除して3割のみで構成したゲラが添付されていたのである。
わたしは解せなかった。
まず、7月1日に白水社の公式サイトに掲載された「お知らせ」(https://www.hakusuisha.co.jp/smp/news/n40255.html)を読んでほしい。
【柳美里氏の選評は公開を見送ることといたしました。柳氏から頂戴した原稿のうち、全体の7割は今回の作品選考には直接関わらない内容でしたので、選評に相当する3割部分のみの公開を柳氏に提案いたしましたが、残念ながらご同意いただけませんでした。】
岸田國士戯曲賞を主宰する白水社編集部(岸田國士戯曲賞選定委員会)のAさんから柳美里への提案とは、以下の通りである。
「WEB公開にあたって『紙幅』はないわけですが、PDFとして冊子データをまとめるにあたり16ページに収めたいということ。(25字×12行ほどでしたら加筆していただくこと可能です)
また内容的に、他の選考委員(とりわけ野田秀樹さん)に影響を及ぼすということが第一ですが、岸田賞の運営や発表媒体などの懸案事項についてはすでにいくつか『動き』もありますため。
柳さんからの白水社へのご提言、確と受けとめました。小社社長はじめ岸田賞の選定委員会メンバーで共有いたしましたしちょうど明日の役員会でも検討議題にさせていただくこととなりました。
まことにおそれいりますが、上記、ご理解賜われればと存じます。
校正のお戻しは、メールでもFAXでもOKです。なにとぞよろしくお願いいたします。」
このメールに、わたしが書いた選評の7割を削除して3割のみで構成したゲラが添付されていたのである。
わたしは解せなかった。
Aさんは、信頼のおける編集者である。
わたしがAさんの何を信じているのかというと、作品の優劣のみならず、その作品の性格や指紋のようなものまで読み取ることが出来る読解力と、作り手の作意に追随することのない批評眼に他ならないのだが──、わたしの選評をどう読んでも、野田秀樹さんに悪影響を及ぼす内容が含まれているとは思えないし、「全体の7割は今回の作品選考には直接関わらない内容」だとも思えないのである。
Aさんが頁数を持ち出して削除の理由の一つにしていることから、事情を知らない人は、わたしが編集部からオーダーされた文字数を無視して長く書き、削除依頼にブチ切れて選考委員を降りた、という単純な図式で理解するだろう。
わたしは、20代前半から週刊誌や新聞でエッセイを連載しているので、行数調整には慣れている。掲載媒体の紙幅はもちろん気にするし、オーバーした行数を初校ゲラで削り、再校ゲラで(削除によって崩れた)文章のリズムを整える。その行程は、実は頭の中に浮かんだイメージを言葉にする書くという作業よりも、好きなくらいだ。言葉で建てた新しい家に住み込んで、その家を手入れしているような心持ちになるからだ。
しかし、岸田國士戯曲賞には(選評にも、受賞作の戯曲にも)掲載媒体が無いのである。掲載媒体を無くした1993年からしばらくは掲載誌があった時代の慣習で皆1000字前後で書いていたが、「受賞作なし」となった第46回(2002年)に野田秀樹さんが3028字の選評を発表してから、第52回(2008年)に井上ひさしさんが2390字、第56回(2012年)に岡田利規さんが2541字、宮沢章夫さんが4344字、第59回(2015年)に宮沢章夫さんが6271字という具合に選評文字数は増えていった(長く書いたからといって、その分の稿料がもらえるわけではない)。評価が割れた回は、選評の中で賞の在り方や選考の仕方を含めて問題提起をする委員もいたが、Aさんはむしろ、馴染みの形式を持ったサロン的な選考よりも、選考委員それぞれの演劇観が動揺するような受賞作と選考会での議論と選評を心待ちにしていると思っていた。
だから、解せない。
わたしがAさんの何を信じているのかというと、作品の優劣のみならず、その作品の性格や指紋のようなものまで読み取ることが出来る読解力と、作り手の作意に追随することのない批評眼に他ならないのだが──、わたしの選評をどう読んでも、野田秀樹さんに悪影響を及ぼす内容が含まれているとは思えないし、「全体の7割は今回の作品選考には直接関わらない内容」だとも思えないのである。
Aさんが頁数を持ち出して削除の理由の一つにしていることから、事情を知らない人は、わたしが編集部からオーダーされた文字数を無視して長く書き、削除依頼にブチ切れて選考委員を降りた、という単純な図式で理解するだろう。
わたしは、20代前半から週刊誌や新聞でエッセイを連載しているので、行数調整には慣れている。掲載媒体の紙幅はもちろん気にするし、オーバーした行数を初校ゲラで削り、再校ゲラで(削除によって崩れた)文章のリズムを整える。その行程は、実は頭の中に浮かんだイメージを言葉にする書くという作業よりも、好きなくらいだ。言葉で建てた新しい家に住み込んで、その家を手入れしているような心持ちになるからだ。
しかし、岸田國士戯曲賞には(選評にも、受賞作の戯曲にも)掲載媒体が無いのである。掲載媒体を無くした1993年からしばらくは掲載誌があった時代の慣習で皆1000字前後で書いていたが、「受賞作なし」となった第46回(2002年)に野田秀樹さんが3028字の選評を発表してから、第52回(2008年)に井上ひさしさんが2390字、第56回(2012年)に岡田利規さんが2541字、宮沢章夫さんが4344字、第59回(2015年)に宮沢章夫さんが6271字という具合に選評文字数は増えていった(長く書いたからといって、その分の稿料がもらえるわけではない)。評価が割れた回は、選評の中で賞の在り方や選考の仕方を含めて問題提起をする委員もいたが、Aさんはむしろ、馴染みの形式を持ったサロン的な選考よりも、選考委員それぞれの演劇観が動揺するような受賞作と選考会での議論と選評を心待ちにしていると思っていた。
だから、解せない。
Aさんが7割を削除して構成したゲラに手を入れて戻すことは出来ないので、わたしは以下のメールをAさんに送った。
このAさんの返信をもってわたしは岸田國士戯曲賞の選考委員を辞することになり、その後、Aさんとは連絡を取り合っていない。
岸田國士戯曲賞の選考委員の仕事を受けたのは、全くの無名だった24歳のわたしを、最年少受賞という形で岸田賞に強く推してくださった選考委員の井上ひさしさんと別役実さんのお顔が浮かんだからである。
お二人とも既にこの世にはいないが、選考委員を辞する時も、やはり、お二人のお顔が浮かんだ。
今回、第65回岸田國士戯曲賞の選評を公開するのは、選考委員の仕事を辞めなければならなくなった状況への応答を有耶無耶に済ましたくはなかったからである。
わたしは、岸田賞の在り方に転換の萌芽が生じる可能性に賭ける。
「原稿を大幅に削除した上での掲載を承認することは出来ません。白水社からの原稿削除要請を受けて、柳美里は、今回で選考委員を辞任する決断をいたしました。」
「お返事を受けて、様々な視点から再度検討いたしましたが、そのまま公開することはできないという結論に至りました。極めて貴重な内容の原稿をお寄せいただいたにも拘わらず、まことに申し訳ありません。
辞任の件、承諾いたします。1期3年の任期をつとめてくださり、ありがとうございました。」
このAさんの返信をもってわたしは岸田國士戯曲賞の選考委員を辞することになり、その後、Aさんとは連絡を取り合っていない。
岸田國士戯曲賞の選考委員の仕事を受けたのは、全くの無名だった24歳のわたしを、最年少受賞という形で岸田賞に強く推してくださった選考委員の井上ひさしさんと別役実さんのお顔が浮かんだからである。
お二人とも既にこの世にはいないが、選考委員を辞する時も、やはり、お二人のお顔が浮かんだ。
今回、第65回岸田國士戯曲賞の選評を公開するのは、選考委員の仕事を辞めなければならなくなった状況への応答を有耶無耶に済ましたくはなかったからである。
わたしは、岸田賞の在り方に転換の萌芽が生じる可能性に賭ける。
3月12日、第65回岸田國士戯曲賞の選考会が東京神田錦町・學士會館で行われた。
岩松了さん、岡田利規さん、ケラリーノ・サンドロヴィッチさん、野田秀樹さん、平田オリザさん、矢内原美邦さん、柳美里、選考委員全員一致で、今回は受賞に相応しい作品が無い、という結論に達した。毎回、これは何時間議論しても受賞作を絞ることが出来ないのではないかと不安になるほど意見がバラつく(委員によって、推す作品も、その根拠も異なる場合が多い)のだが、今回は最初から最後までほぼ一致していた。
岸田國士戯曲賞における「受賞作なし」は今回で12回目、全65回の歴史の中で18%(約2割)で、実は第1回からして「受賞作なし」なのである。前回の「受賞作なし」は14年前の2007年(第51回)で、最終候補8作品の中には前田司郎さんの『さようなら僕の小さな名声』と本谷有希子さんの『遭難、』が含まれていた。両作とも、今在る現実世界の嘘臭さの中から、虚構のリアリティへと菌糸のような言葉を伸長させている優れた文学作品だとわたしは思うが、当時の選考委員は「受賞作なし」の結論を出した。
それから13年間、岸田國士戯曲賞は受賞作を出し続けてきた。
わたしは2019年から選考に加わり、今回で3度目の選考になるが、第63回では松原俊太郎さんの『山山』、第64回では市原佐都子さんの『バッコスの信女──ホルスタインの雌』、谷賢一さんの『福島三部作』(「1961年:夜に昇る太陽」「1986年:メビウスの輪」「2011年:語られたがる言葉たち」)という現代社会の限界線に触れる問題と格闘しながら、一つの事件のように普遍性に到達した文学作品を選ぶことが出来た。
岸田國士戯曲賞は、文学作品としての戯曲を評価する賞である。舞台化された作品の良し悪しは加味されない。それが評価項目に加えられているとしたら、そもそも首都圏から遠く離れた福島県南相馬市でブックカフェを営みながら暮らしているわたしは選考委員を務めることは出来ない。仮に関東圏に居住していたとしても、選考委員の劇作家が「岸田賞の候補になりそうな舞台」を網羅的に観劇することは困難だろう。
主催・運営の白水社は、出来ないから、困難だから、という理由で、候補作の舞台の良し悪しを評価から外しているわけではない。
もう一度、繰り返す。
岸田國士戯曲賞は、戯曲という文学作品に与えられる賞である。
従って、選考委員は劇作家が書いた作品を読むだけで評価する。
今回の最終候補作は、文学作品としてのレベルに達していなかった、と判断せざるを得なかった。
わたしたちは文学作品を読むことによって、自分の身に起きているのではないかと薄々気づいていることをより一層はっきりとした形で探究することが出来る。文学作品を読むことによってしか呼び覚まされない問題や感覚も存在する。意味や価値などに目をくれてたまるものか、という態度でも一向に構わない。無駄話の羅列であっても、その戯曲の言葉が聞いたことのない新しいリズムを持ち、見たことのない色彩を帯びていれば、それは文学作品として成立する。
最終候補作の中で、惜しいな、と思った2作品について書く。
一つは、金山寿甲さんの『A-② 活動の継続・再開のための公演』(上演台本)である。
まず、タイトルで一目瞭然な標的に期待をさせられた。
しかし、ラップである。
ラップは、言うまでもなく、声の芸術である。
金山寿甲さんのラップの言葉に、わたしは、声を発せざるを得ない状況性と、その声に呼びつけられる(巻き添えにされる)自分の感情の現前性を感じることが出来なかった。
わたしは、ラップの言葉を愛している。同じ母音を持つ言葉を並べて韻を踏み、韻と韻を繋げて意味を合わせたり、意味の異なる言葉をぶつけて、意味を与えられた瞬間、意味をはねのけてスピードを増し、虐げられたものの抵抗、異議申し立て、連帯を扇動する──。
金山寿甲さんが、80年代を感じさせる死語や固有名詞を多用しているのは、おそらくわざとだ。つまり、岸田國士戯曲賞の選考(下読みも含めて)に携わっているのは、どうせ一時代も二時代も前の演劇関係者だろう。彼らの時代の言葉を羅列してやれ、揶揄してやれ、と。その嫌味ともとれる試みは買ってもいいが、演劇として刺激的なビジョンだとは感じられなかった。腐りかけた(腐った)言葉を並べるのならば、もっと、これでもかというほどてんこ盛りにして、腐臭を嗅がせてほしかった。
「岸田の最終 ノミネートへのネゴシエート/アフタートーク 重鎮にお越しいただく/打ち上げで胡麻する 女優はホステス」というようなラップの言葉よりも、「文化庁から支援金降りたとこは、何でもいいから公演やんなくちゃいけないですから。/お金使わないと返せって言われちゃいますから。/年度末になるとあっちこっちで道路工事が始まるのと一緒なんです」という単純かつ投げやりな台詞の方が、わたしには数段面白く感じられた。
幕引き直前の「来年のことを言えば鬼が笑う なら笑わす 来年も必ず/A-② 活動の継続 再開のための公演のために/来てくれた皆さんのために」という正しさの側からのラップの言葉にはがっかりさせられた。
金山寿甲さんには、もう一歩下がったら落ちる、というギリギリの場所で開き直り、現在の新型コロナウイルスがもたらした、まるで嘘みたいな現実の理不尽さを演劇の言葉で撹乱してほしかった。
最終候補作の中で、惜しいな、と思った2作品について書く。
一つは、金山寿甲さんの『A-② 活動の継続・再開のための公演』(上演台本)である。
まず、タイトルで一目瞭然な標的に期待をさせられた。
しかし、ラップである。
ラップは、言うまでもなく、声の芸術である。
金山寿甲さんのラップの言葉に、わたしは、声を発せざるを得ない状況性と、その声に呼びつけられる(巻き添えにされる)自分の感情の現前性を感じることが出来なかった。
わたしは、ラップの言葉を愛している。同じ母音を持つ言葉を並べて韻を踏み、韻と韻を繋げて意味を合わせたり、意味の異なる言葉をぶつけて、意味を与えられた瞬間、意味をはねのけてスピードを増し、虐げられたものの抵抗、異議申し立て、連帯を扇動する──。
金山寿甲さんが、80年代を感じさせる死語や固有名詞を多用しているのは、おそらくわざとだ。つまり、岸田國士戯曲賞の選考(下読みも含めて)に携わっているのは、どうせ一時代も二時代も前の演劇関係者だろう。彼らの時代の言葉を羅列してやれ、揶揄してやれ、と。その嫌味ともとれる試みは買ってもいいが、演劇として刺激的なビジョンだとは感じられなかった。腐りかけた(腐った)言葉を並べるのならば、もっと、これでもかというほどてんこ盛りにして、腐臭を嗅がせてほしかった。
「岸田の最終 ノミネートへのネゴシエート/アフタートーク 重鎮にお越しいただく/打ち上げで胡麻する 女優はホステス」というようなラップの言葉よりも、「文化庁から支援金降りたとこは、何でもいいから公演やんなくちゃいけないですから。/お金使わないと返せって言われちゃいますから。/年度末になるとあっちこっちで道路工事が始まるのと一緒なんです」という単純かつ投げやりな台詞の方が、わたしには数段面白く感じられた。
幕引き直前の「来年のことを言えば鬼が笑う なら笑わす 来年も必ず/A-② 活動の継続 再開のための公演のために/来てくれた皆さんのために」という正しさの側からのラップの言葉にはがっかりさせられた。
金山寿甲さんには、もう一歩下がったら落ちる、というギリギリの場所で開き直り、現在の新型コロナウイルスがもたらした、まるで嘘みたいな現実の理不尽さを演劇の言葉で撹乱してほしかった。
もう一つは、『もっとも大いなる愛へ』(上演台本)である。根本宗子さんの意味を抜いた会話に巧みさと魅力を感じた。
男 けど、
女 けど?
男 けどほら、君は不思議なところが多いから、「え、何で笑ったんだろう」って全く僕が理解できない可能性があるよ
女 不思議か?私
男 不思議だよ
女 君だって私からしたら不思議多しですよ?
女 そうそう、ケーキ頼む?
男 僕はいいや
女 私は頼もーっと
男 うん
女 ちょっとケーキを見てくる
意味めいたものの奥行きを失くして、敢えて残響の起こらないダイアローグのやりとりを重ねることによって、男と女二人の間の空気のみを観客に呼吸させるような独特の台詞運びがある。
しかし、終盤「愛」という言葉が出てきた途端に、その空気は台無しになる。ラストシーンは、聖書の「コリントの信徒への手紙一」13章の「愛」についての聖句が引用された後、「曲が始まる。女と妹の二人が一人になった存在のように踊り子が踊り出す。この芝居の鬱屈としていた部分が彼女の踊りで解き放たれていく」という赤字のト書きがあり、「stolen worID」(作詞 大森靖子・根本宗子)と歌詞が続いて、13章13節の「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」というテロップで締め括られる。
教派を問わずクリスチャンならば誰でも心に留めている聖句である。わたしも14歳の時にこの聖句と出遭い、心を占領された。耳なし芳一の(耳以外の)全身に写された般若心経よろしく、わたしはセーラー服から出た腕に油性マジックで「コリントの信徒への手紙一」第13章4節-13節を書き写していた。「愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない」とつぶやくだけで、愛という言葉に呑み込まれて息が出来なくなりそうだった。
他の選考委員から、根本さんの出身校はミッションスクールだと聞いた。
この聖句を引用したくなる気持ちは解るが、タイトルだけに留めておいてほしかった。この聖句が錨となり、戯曲全体の動きが止まってしまっている。硬直していると言い換えてもいい。
劇作家根本宗子の特質は、考えや思いをうまく言葉として伝えられない男女が二人で向き合った時に、大元の考えや思いが二人の頭や心の中でどんどん膨らんで、まるで無関係のような言葉が口から飛び出して、おはじきみたいにぶつかり合う瞬間を生み出せるところだと、わたしは思う。
ラストシーンの聖句の引用によって、瞬間のきらめきが失われたことが残念でならない。
この戯曲の見逃せない瑕疵は他にもある。たとえば、「シーン0」の冒頭からなのだが、「このシーンの狙いは、配信だと劇場にいる時のようなお客さんとの一体感を生みづらく、導入がいきなり芝居だと、妙に覚めてしまうので、なんでもない我々の日常を導入にしようという狙いです」という文章は、文学というレベルを云々する以前に、あまりにも雑である。
「どうやら2つの場所を表しているらしい」の17行後に「どうやらこの2人のシーンになると点灯する決まりがあるようだ」とあり、次の行に「そしてセットの壁際に小さな1人掛けのソファがあり、そこには姉が丸くなって座っている。周りには少しだけ服が散らかっている。そして印象的なスタンドライトが置かれている」と、「どうやら」「そして」という言葉を頻出させている。このような雑な文章を残したままでは、文芸誌には掲載することは出来ないし、単行本として出版することも出来ないだろう。
白水社のホームページの岸田國士戯曲賞の紹介の中には、「新人劇作家の登竜門とされることから、『演劇界の芥川賞』とも称される」とあるが、芥川賞ではこのような雑な文章を残した小説が最終候補になることはあり得ない。
白水社は、最終候補者とどのようなやりとりをしているのだろうか。岸田國士戯曲賞選定委員会を運営しているのは、実質的にはAさんと、サブ的な役割のBさんだけである。たった二人で選考や連絡業務の全てを(他の仕事をしながら)行うのは、さぞ大変だろうと思う。
白水社が演劇雑誌を廃刊してから29年間、岸田國士戯曲賞には掲載媒体が無い。各出版社が掲載雑誌を抱えている小説の世界とは異なり、戯曲を掲載してもらえる雑誌は『悲劇喜劇』と『テアトロ』の二誌のみで、掲載されたとしても出版される可能性は極めて低い。
不特定多数に読まれることを意識しなければ、戯曲は現場のみで共有する建築図面のような役割を果たせばいいだけで、文学作品として書かれることはないだろう。
岸田國士戯曲賞を文学作品に与える賞として位置付けるのであれば、最終候補となった劇作家に文学作品として推敲する時間を与えるべきなのではないだろうか。
わたしが白水社に望むことは、演劇雑誌の復刊である。文学作品は、活字として掲載され、読まれることによってしか育たない。白水社一社での復刊は難しいだろうから、たとえば公益財団法人を設立して、どこかの地方自治体や地方紙と協働する形にするとか、国や自治体や他団体からの補助金・助成金を受けるとか、クラウドファンディングの継続課金方式で継続的な資金調達を行うとか、いくつか方法はあるはずである。
「どうやら2つの場所を表しているらしい」の17行後に「どうやらこの2人のシーンになると点灯する決まりがあるようだ」とあり、次の行に「そしてセットの壁際に小さな1人掛けのソファがあり、そこには姉が丸くなって座っている。周りには少しだけ服が散らかっている。そして印象的なスタンドライトが置かれている」と、「どうやら」「そして」という言葉を頻出させている。このような雑な文章を残したままでは、文芸誌には掲載することは出来ないし、単行本として出版することも出来ないだろう。
白水社のホームページの岸田國士戯曲賞の紹介の中には、「新人劇作家の登竜門とされることから、『演劇界の芥川賞』とも称される」とあるが、芥川賞ではこのような雑な文章を残した小説が最終候補になることはあり得ない。
白水社は、最終候補者とどのようなやりとりをしているのだろうか。岸田國士戯曲賞選定委員会を運営しているのは、実質的にはAさんと、サブ的な役割のBさんだけである。たった二人で選考や連絡業務の全てを(他の仕事をしながら)行うのは、さぞ大変だろうと思う。
白水社が演劇雑誌を廃刊してから29年間、岸田國士戯曲賞には掲載媒体が無い。各出版社が掲載雑誌を抱えている小説の世界とは異なり、戯曲を掲載してもらえる雑誌は『悲劇喜劇』と『テアトロ』の二誌のみで、掲載されたとしても出版される可能性は極めて低い。
不特定多数に読まれることを意識しなければ、戯曲は現場のみで共有する建築図面のような役割を果たせばいいだけで、文学作品として書かれることはないだろう。
岸田國士戯曲賞を文学作品に与える賞として位置付けるのであれば、最終候補となった劇作家に文学作品として推敲する時間を与えるべきなのではないだろうか。
わたしが白水社に望むことは、演劇雑誌の復刊である。文学作品は、活字として掲載され、読まれることによってしか育たない。白水社一社での復刊は難しいだろうから、たとえば公益財団法人を設立して、どこかの地方自治体や地方紙と協働する形にするとか、国や自治体や他団体からの補助金・助成金を受けるとか、クラウドファンディングの継続課金方式で継続的な資金調達を行うとか、いくつか方法はあるはずである。
今回、「受賞作なし」という選考結果と、「コロナを意識しすぎて距離感のとれていない作品が多かった。戯曲のコトバとしても、こちらをワクワクさせるものが少なかった」と、野田秀樹さん名義のコメントが発表されると、Twitter 上ではちょっとした騒動になった。炎上というヤツだ。
主な内容を紹介する。
・この一年、演劇人たちがどんな思いで演劇を創ったのかを選考委員たちは理解していない。候補作は、どれもとても面白い舞台だったが、選考委員たちは舞台を観ていないのではないか?
・岸田賞とは個人や作品への評価であると同時に、演劇業界を盛り上げるために存在している部分もある。コロナで演劇界が大変な時期なのだから、演劇界のためにならない「受賞作なし」だけはやめてほしかった。
・選考委員とは大事にしているものが違う。
・選考委員たちは、彼らが活躍していた時代の戯曲と比べて、今の時代の戯曲を評価しているのではないか? 昔の劇作家には、今の劇作家の戯曲を評価することなど出来ない。
他にも白水社と野田秀樹さんに対する批判、非難、怒り、呪詛の言葉が溢れていた。なかには、野田秀樹さんに「老害」などという悪罵を浴びせかける輩もいた。
わたしは選考会の場に居たので、このコメントが出された経緯を知っている。
例年ならば、受賞作に決まった作品を強く推した委員が、その作品の魅力を書く。約30分の時間が与えられ、映画の推薦文や本の帯文ぐらいの分量(50字から200字)の短いコメントにまとめなければならない。わたしはどんな短文であっても最低2時間は推敲しないと表に出せるレベルの文章に仕上げられないので、この作品を推すと決めた時点で、自分が指名されてもいいようにその作品に対するコメントを用意していた。
現行の選考委員の中では、岩松了さんと野田秀樹さんのお二人が、2002年と2007年の2回、「受賞作なし」を経験している。
Aさんは当時も司会を務めていたが、14年も前のことなので記憶が薄れていたのだと思う。
候補作のコピーの束をリュックにしまっていたら、受賞者がいないので授賞式は無しになったという確認があって、コメントも当然無いものだと思っていたら、Aさんから、「いま新聞社から、受賞作なしの理由というのをいただけないでしょうかという電話がありまして、2007年の受賞作なしの時にはひと言いただけたということで。このコロナの状況において、ということなんですけども……」と言われた。
わたしを含めて、7人の選考委員全員が何秒間か困惑したように沈黙をした。
Aさんは、「コロナと距離をとれていないということでしょうか?」と言った。
選評を読んでいただければわかるが、「私たち劇作家は大きな歴史的事件や厄災から、いかに距離をとって作品を創るかに腐心してきた。それらの出来事のなかから普遍的な要素を抽出し言葉を紡ぐのが演劇の役割だろうと私は思う。各候補作の作家の作品に対する真摯な態度は疑うべくもないが、技術の問題なのか、作品の主題に対する呻吟が足りないのか、いずれにしても、『この人はもっと書けるはずだ』という作品ばかりが並んでしまったように感じた」という言葉で候補作を評したのは平田オリザさんであって、野田秀樹さんの言葉ではない。
数分で7人の選考委員全員の意見をひと言でまとめるのは不可能だと思ったが、わたしは、「でも、新型コロナウイルスを題材にしていない作品もありますよね? そういう言葉で括ると誤解を招くんじゃないでしょうか?」とAさんの「まとめ」に対して疑義だけは呈した。
しかし、どうしても今すぐ新聞社にコメントを渡さなければならなかったらしく、コメントの文章を吟味する猶予は与えられなかった。
「コロナと距離をとれていないということに、もうひと言加えるとしたら、何でしょうか?」とAさんが促すような視線をテーブルに送り、「野田さん、いかがですか?」と言った。
「え? おれのコメントとして出すの? 柳さんの名前で出したら?」と野田さんは冗談でおっしゃったが、「もうひと言加えるとしたら?」というAさんの言葉に応じて、「……う〜ん……ワクワクさせる言葉がなかったということかな……」とおっしゃった。
重要なことなので、繰り返す。受賞作が決定した場合は、強く推した選考委員が、その戯曲作品の魅力についてコメントすればよいが、「受賞作なし」の場合は1作品についてではなく総評になる。しかも、いつもはコメントを書く時間が30分ほど与えられるのに、突然指名され、その場でひと言というのは、あまりにも雑な対応だったと思う。新聞記者には、選評が出るまで待っていただきたいと伝えればよかったのである。白水社には、場当たり的な対応ではなく、ケースに応じたルールを策定してほしい。
小説家にも長年の熱心な読者は存在する。わたしは小説を書いて30年になるが、そういう読者に支えられて、今まで書いてこられた。だが、小説の読者は、芥川賞や直木賞や、あるいは他の賞の落選や「受賞作なし」で、選考委員に罵声を浴びせるツイートを連投したりはしない。少なくとも、わたしは目にしたことがない。小説に限らず、詩、俳句、短歌、童話、エッセイ、ノンフィクションなど戯曲以外の文学賞では「受賞作なし」の結果に対して、これほど猛烈な反発は起きないだろう。
何故、演劇界では反発が起きるのか?
候補となる劇作家は、劇団や演劇ユニットの主宰・演出(俳優)を兼ねている場合が多い。彼あるいは彼女には、候補作となった芝居に関わったスタッフ・キャスト、その劇団の観客も(1000人未満から1万人以上と幅はあるが)付いている。その劇団の公演を必ず観に行くという観客は、その作家の新作を必ず読むという読者とは性質が異なるような気がする。
小説の読者は、一人の小説家の作品だけではなく複数の小説家の小説を読む傾向にある。演劇のチケット代が、本代よりも高額だということも一因だろう。本だったら、お金が無い時には図書館で借りることも出来るが、演劇はそういうわけにはいかない。日時を決めてチケットを購入し、その日時に劇場に行かなければ観劇することは出来ないのである。招待客として無料で観劇出来る新聞各紙の演劇担当記者や演劇評論家とは異なり、一般の人が面白いかどうかわからない芝居のチケットを次々に購入することは金銭的にも時間的にも難しい。本の場合はつまらないと感じたら途中で閉じて、メルカリやヤフオクやブックオフなどで転売すればよいが、いくらつまらなくても芝居を途中で退席するのには勇気がいるし、つまらなかったからチケット代を返してほしい、と劇場の受付で訴えても返金されるケースはまれだろう。観客はリスクを避けるために、一度観て面白かった劇団の芝居を選びがちだ。その劇団の劇作家が Twitter やインスタをやっていれば、フォローするだろう。劇団側は観客動員数を増やしていきたいので、「ファン」や「推し」を囲い込み、サークル化していく。そのサークルの存在は、芝居や劇団にとっては重要だろうが、文学者としては邪魔でしかない。劇作家は、そのサークルの中に入ってはいけない。お仲間になってはいけない。徒党を組んではいけない。徒党を組む人というのは、限りなく貧相だ。貧相な文学者は、貧相な作品しか書けない、とわたしは思う。
しかし、どうしても今すぐ新聞社にコメントを渡さなければならなかったらしく、コメントの文章を吟味する猶予は与えられなかった。
「コロナと距離をとれていないということに、もうひと言加えるとしたら、何でしょうか?」とAさんが促すような視線をテーブルに送り、「野田さん、いかがですか?」と言った。
「え? おれのコメントとして出すの? 柳さんの名前で出したら?」と野田さんは冗談でおっしゃったが、「もうひと言加えるとしたら?」というAさんの言葉に応じて、「……う〜ん……ワクワクさせる言葉がなかったということかな……」とおっしゃった。
重要なことなので、繰り返す。受賞作が決定した場合は、強く推した選考委員が、その戯曲作品の魅力についてコメントすればよいが、「受賞作なし」の場合は1作品についてではなく総評になる。しかも、いつもはコメントを書く時間が30分ほど与えられるのに、突然指名され、その場でひと言というのは、あまりにも雑な対応だったと思う。新聞記者には、選評が出るまで待っていただきたいと伝えればよかったのである。白水社には、場当たり的な対応ではなく、ケースに応じたルールを策定してほしい。
小説家にも長年の熱心な読者は存在する。わたしは小説を書いて30年になるが、そういう読者に支えられて、今まで書いてこられた。だが、小説の読者は、芥川賞や直木賞や、あるいは他の賞の落選や「受賞作なし」で、選考委員に罵声を浴びせるツイートを連投したりはしない。少なくとも、わたしは目にしたことがない。小説に限らず、詩、俳句、短歌、童話、エッセイ、ノンフィクションなど戯曲以外の文学賞では「受賞作なし」の結果に対して、これほど猛烈な反発は起きないだろう。
何故、演劇界では反発が起きるのか?
候補となる劇作家は、劇団や演劇ユニットの主宰・演出(俳優)を兼ねている場合が多い。彼あるいは彼女には、候補作となった芝居に関わったスタッフ・キャスト、その劇団の観客も(1000人未満から1万人以上と幅はあるが)付いている。その劇団の公演を必ず観に行くという観客は、その作家の新作を必ず読むという読者とは性質が異なるような気がする。
小説の読者は、一人の小説家の作品だけではなく複数の小説家の小説を読む傾向にある。演劇のチケット代が、本代よりも高額だということも一因だろう。本だったら、お金が無い時には図書館で借りることも出来るが、演劇はそういうわけにはいかない。日時を決めてチケットを購入し、その日時に劇場に行かなければ観劇することは出来ないのである。招待客として無料で観劇出来る新聞各紙の演劇担当記者や演劇評論家とは異なり、一般の人が面白いかどうかわからない芝居のチケットを次々に購入することは金銭的にも時間的にも難しい。本の場合はつまらないと感じたら途中で閉じて、メルカリやヤフオクやブックオフなどで転売すればよいが、いくらつまらなくても芝居を途中で退席するのには勇気がいるし、つまらなかったからチケット代を返してほしい、と劇場の受付で訴えても返金されるケースはまれだろう。観客はリスクを避けるために、一度観て面白かった劇団の芝居を選びがちだ。その劇団の劇作家が Twitter やインスタをやっていれば、フォローするだろう。劇団側は観客動員数を増やしていきたいので、「ファン」や「推し」を囲い込み、サークル化していく。そのサークルの存在は、芝居や劇団にとっては重要だろうが、文学者としては邪魔でしかない。劇作家は、そのサークルの中に入ってはいけない。お仲間になってはいけない。徒党を組んではいけない。徒党を組む人というのは、限りなく貧相だ。貧相な文学者は、貧相な作品しか書けない、とわたしは思う。
自分を「若手」カテゴリーに閉じ込めるのも、世代分けも、甚だしくくだらないので、やめた方がいい。文学の世界には、先輩も後輩も無い。芥川賞の最年少受賞は当時19歳だった『蹴りたい背中』の綿矢りささん、最年長は当時75歳だった『abさんご』の黒田夏子さんだが、共に平成の時代の新人作家としてデビューした。わたしは18歳で戯曲を書きはじめたが、自分を「若手」と規定したことは一度も無かった。「若手」というのは、演劇という集団を意識した言葉だ。新人、若手、中堅、ベテラン、大御所、たとえそんな序列があったとしても、そこにカテゴライズされ並べられてたまるものかと思い、10代、20代で「青春五月党」を率いていた頃は、ひたすら孤立していた。
戯曲も、小説も、10代半ばで初めて書いた作品が、50代で書いた100作目の作品よりもはるかに面白いという可能性を秘めている。わたしは、自分の作品を凌駕する力を持った作品に遭遇したい、打ちのめされるような作品に出遭うかもしれない、という期待で一頁一頁、一行一行、一文字一文字、岸田戯曲賞の候補作を読んでいた。
今回の「受賞作なし」の炎上の最中(3月13日選考会翌日)に、わたしはこうツイートした。
そうすると、ある最終候補者のフォロワーから、「カネの話まで出して、みっともない自己弁護に終始している。ああいう見苦しい態度しているから『大事にしているものが違う。』と吐き捨てられる」と返された。
わたしは、お金の話が「みっともない」とは全く思っていない。
この業界では、稿料や講演料やインタビューの謝金の金額が提示されない依頼書が多いのだが、物書きはかすみを食べて生きているわけではない。
物書きだって、米を買う。パンを買う。そば、うどん、パスタ、そうめんを買う。豚肉、鶏肉、牛肉を買う。魚を買う。野菜を買う。果物を買う。納豆、豆腐を買う。煮干し、かつおぶし、コンソメを買う。白ゴマ、黒ゴマを買う。のりを買う。卵を買う。砂糖、塩、酢、醤油、味噌、みりん、料理酒、マヨネーズ、ケチャップ、サラダ油、こしょうを買う。片栗粉、強力粉、薄力粉を買う。ヨーグルト、バター、チョコレートを買う。ミネラルウォーター、牛乳、豆乳、トマトジュース、オレンジジュース、リンゴジュースを買う。トイレットペーパー、ティッシュペーパーを買う。台所洗剤、トイレ洗剤、風呂洗剤、ボディーソープ、シャンプー、リンス、メイク落としを買う。家賃、住宅ローン、電気代、ガス代、灯油代、携帯電話料金、子どもの学費と仕送り、カフェの従業員の給与支払い、健康保険、生命保険、自動車保険、自賠責保険、所得税、消費税、自動車税、駐車場代、ガソリン代。美容院や歯医者にも定期的に行かなければならない。春先からゴールデンウイークまで花粉症の抗アレルギー薬をのまなければならない。眼科、皮膚科、泌尿器科、耳鼻咽喉科にも時々行っている。衣料品店、薬局、靴屋、本屋、文具屋、花屋でも、必要なもの、欲しいものがあれば購入する。電車に乗る、バスに乗る、仕事の都合でタクシーや飛行機に乗らなければならない時もある。宿泊費、宅配便代、切手代、冠婚葬祭の香典、結婚式の祝儀、お年玉、喫茶や飲食などの交際費も馬鹿にならない。
戯曲も、小説も、10代半ばで初めて書いた作品が、50代で書いた100作目の作品よりもはるかに面白いという可能性を秘めている。わたしは、自分の作品を凌駕する力を持った作品に遭遇したい、打ちのめされるような作品に出遭うかもしれない、という期待で一頁一頁、一行一行、一文字一文字、岸田戯曲賞の候補作を読んでいた。
今回の「受賞作なし」の炎上の最中(3月13日選考会翌日)に、わたしはこうツイートした。
岸田國士戯曲賞は、演劇界の芥川賞と言われるけれど、芥川賞の選考委員に支払われる選考料[選評原稿料込み]は100万円。岸田賞[選評原稿料込み]は5万円です。岸田賞の選考委員は全員、演劇への奉仕活動だと思って、自分の時間を割き、心を尽くして、選考をしています。
そうすると、ある最終候補者のフォロワーから、「カネの話まで出して、みっともない自己弁護に終始している。ああいう見苦しい態度しているから『大事にしているものが違う。』と吐き捨てられる」と返された。
わたしは、お金の話が「みっともない」とは全く思っていない。
この業界では、稿料や講演料やインタビューの謝金の金額が提示されない依頼書が多いのだが、物書きはかすみを食べて生きているわけではない。
物書きだって、米を買う。パンを買う。そば、うどん、パスタ、そうめんを買う。豚肉、鶏肉、牛肉を買う。魚を買う。野菜を買う。果物を買う。納豆、豆腐を買う。煮干し、かつおぶし、コンソメを買う。白ゴマ、黒ゴマを買う。のりを買う。卵を買う。砂糖、塩、酢、醤油、味噌、みりん、料理酒、マヨネーズ、ケチャップ、サラダ油、こしょうを買う。片栗粉、強力粉、薄力粉を買う。ヨーグルト、バター、チョコレートを買う。ミネラルウォーター、牛乳、豆乳、トマトジュース、オレンジジュース、リンゴジュースを買う。トイレットペーパー、ティッシュペーパーを買う。台所洗剤、トイレ洗剤、風呂洗剤、ボディーソープ、シャンプー、リンス、メイク落としを買う。家賃、住宅ローン、電気代、ガス代、灯油代、携帯電話料金、子どもの学費と仕送り、カフェの従業員の給与支払い、健康保険、生命保険、自動車保険、自賠責保険、所得税、消費税、自動車税、駐車場代、ガソリン代。美容院や歯医者にも定期的に行かなければならない。春先からゴールデンウイークまで花粉症の抗アレルギー薬をのまなければならない。眼科、皮膚科、泌尿器科、耳鼻咽喉科にも時々行っている。衣料品店、薬局、靴屋、本屋、文具屋、花屋でも、必要なもの、欲しいものがあれば購入する。電車に乗る、バスに乗る、仕事の都合でタクシーや飛行機に乗らなければならない時もある。宿泊費、宅配便代、切手代、冠婚葬祭の香典、結婚式の祝儀、お年玉、喫茶や飲食などの交際費も馬鹿にならない。
「演劇界の芥川賞」と自称しているのだから、芥川賞の選考委員並みに100万円の選考料を支払うべきだなどとは言わないが、岸田賞の5万円は各文芸誌が主催している新人賞の選考料と比べても破格に安い。(ちなみに、わたしが2002年から2011年まで選考委員を務めた「新潮ドキュメント賞」の選考料は50万円だった)
今回の「受賞作なし」騒動からもわかるだろうが、最終候補作の中から受賞作を選ぶ、あるいは選ばないことは、劇作家(わたしは演出家・小説家でもあるが)としてデメリットの方が多い。労働の対償(対価)としても到底見合わない金額であり、演劇への奉仕活動(岸田賞によって世に出してもらったことに対する恩返し)と思わなければ、とてもじゃないがやってられない。
それでも、「カネの話まで出して、みっともない」と言いたい人は、是非、芥川賞選考委員を19年間務めた高樹のぶ子さんの選評を読んでほしい。
岸田國士戯曲賞の選考対象となるのは、原則として1年以内に雑誌に掲載されたか単行本として出版された作品、と規定されている。ただし、選考委員等の推薦を受ければ上演台本であっても選考の対象とするという例外も設けられている。現行の推薦の仕組みだと、ある程度の動員数がある劇団の座付作家がどうしても有利である。
今回の最終候補作は全て上演台本なので、選考委員等の推薦によって選考に残ったのだろう。(わたしは誰も推薦しない、と決めている)
岸田賞の歴史上、初期は投稿作が受賞することも多かった。各出版社や出版社が出資した財団法人などが主催している文学新人賞の公募型と、岸田賞の推薦型をミックスする形に選考方法を変更すれば、地方の演劇部に所属している中・高校生や、演劇部顧問の教師などの戯曲が最終選考に残る可能性もあるのではないか。それが、優れた文学作品なのであれば、だが──。
わたしは、上演されていない戯曲が候補になってもいいし、これは上演不可能なのではないかと思われる挑戦的な戯曲が候補になってもいい、と考えている。
新型コロナウイルス変異株による第五波はようやくピークアウトしつつあるが、人の流れや交わりを極力抑制して感染収束に繋げることが善であるという「常識」は津々浦々にまで浸透しているので、当分の間は演劇公演に観客を誘えるような雰囲気にはならないだろうし、冬の訪れと共に第六波の足音が聞こえてくるだろう。再び緊急事態宣言が発出されれば、劇場や劇団には「原則として無観客」が要請される。劇場や劇団関係者は苦悩と困窮の只中にあるわけだが、わたしが主宰している劇団「青春五月党」もその例外ではなく、昨年に続き、今年予定していた3演目も、来年以降に延期を決断せざるを得なくなった。
舞台は、様々な制限の内側で創られる。従来の空間的、時間的、経済的な制限に加えて、2020年春からは、新型コロナウイルスのパンデミックという圧力が加わり、それぞれの制限がさらに厳しくなった。
「ソーシャルディスタンス」
「三密を避ける」
「マスク着用」
「検温」
「換気」
演劇にとってはかなり厳しいこれらの制限を逆手にとって創造に転回することは、戯曲という文学の器の中では可能だと思う。危機の襲来は、書き手に、書くという要請の重心をはっきりと自覚させるからである。なんの不自由も不足も禍もない平穏な状況の中から流れ出る言葉よりも、挫折と断念の危機と窮迫の中から立ち上がる無謀な言葉にこそ、文学は宿ると信じ、わたしはそういう岸田國士戯曲賞の候補作を待望している。
今回の「受賞作なし」騒動からもわかるだろうが、最終候補作の中から受賞作を選ぶ、あるいは選ばないことは、劇作家(わたしは演出家・小説家でもあるが)としてデメリットの方が多い。労働の対償(対価)としても到底見合わない金額であり、演劇への奉仕活動(岸田賞によって世に出してもらったことに対する恩返し)と思わなければ、とてもじゃないがやってられない。
それでも、「カネの話まで出して、みっともない」と言いたい人は、是非、芥川賞選考委員を19年間務めた高樹のぶ子さんの選評を読んでほしい。
「絶対文学と文芸ジャーナリズムの間で」
作家は自分の中に絶対文学とも呼べるものを持っている。ほとんど生理的なレベルで。心酔する文学に出会うと、この絶対性に変化が訪れるけれど、文学賞選考の場でそうした僥倖はまず起きない。となると、自分の中の絶対文学と候補作の距離が許容されるものかどうか、許容されるには何が必要か、ということになる。実作者が受賞作を選ぶということは、こうしたある種の妥協を、意識的にであれ無意識にであれ、行うことだ。どんな基準で許容するかは、作家の才能と性格にかかってくるし、作品ごとに基準も変わってくるのだろうが、自らに許容を強いることなしに受賞作は生まれにくい。選考料はある意味、この苦痛に対して支払われるものだと私は考えている。
一方で文芸ジャーナリズムは、この絶対文学の対極にある。ジャーナルとは記録、動いているものをキャッチし、時代性のファイルに収めること。「メディアの話題性」とは峻別されなくてはならない。小説が持っている情報の社会的鮮度と質量を、文学の重要な要素とする感覚のことで、これが無くては芥川賞は生き延びて来なかったと思う。(以下略)
『文藝春秋』2008年3月号(第138回芥川賞選評川上未映子さん『乳と卵』受賞)
岸田國士戯曲賞の選考対象となるのは、原則として1年以内に雑誌に掲載されたか単行本として出版された作品、と規定されている。ただし、選考委員等の推薦を受ければ上演台本であっても選考の対象とするという例外も設けられている。現行の推薦の仕組みだと、ある程度の動員数がある劇団の座付作家がどうしても有利である。
今回の最終候補作は全て上演台本なので、選考委員等の推薦によって選考に残ったのだろう。(わたしは誰も推薦しない、と決めている)
岸田賞の歴史上、初期は投稿作が受賞することも多かった。各出版社や出版社が出資した財団法人などが主催している文学新人賞の公募型と、岸田賞の推薦型をミックスする形に選考方法を変更すれば、地方の演劇部に所属している中・高校生や、演劇部顧問の教師などの戯曲が最終選考に残る可能性もあるのではないか。それが、優れた文学作品なのであれば、だが──。
わたしは、上演されていない戯曲が候補になってもいいし、これは上演不可能なのではないかと思われる挑戦的な戯曲が候補になってもいい、と考えている。
新型コロナウイルス変異株による第五波はようやくピークアウトしつつあるが、人の流れや交わりを極力抑制して感染収束に繋げることが善であるという「常識」は津々浦々にまで浸透しているので、当分の間は演劇公演に観客を誘えるような雰囲気にはならないだろうし、冬の訪れと共に第六波の足音が聞こえてくるだろう。再び緊急事態宣言が発出されれば、劇場や劇団には「原則として無観客」が要請される。劇場や劇団関係者は苦悩と困窮の只中にあるわけだが、わたしが主宰している劇団「青春五月党」もその例外ではなく、昨年に続き、今年予定していた3演目も、来年以降に延期を決断せざるを得なくなった。
舞台は、様々な制限の内側で創られる。従来の空間的、時間的、経済的な制限に加えて、2020年春からは、新型コロナウイルスのパンデミックという圧力が加わり、それぞれの制限がさらに厳しくなった。
「ソーシャルディスタンス」
「三密を避ける」
「マスク着用」
「検温」
「換気」
演劇にとってはかなり厳しいこれらの制限を逆手にとって創造に転回することは、戯曲という文学の器の中では可能だと思う。危機の襲来は、書き手に、書くという要請の重心をはっきりと自覚させるからである。なんの不自由も不足も禍もない平穏な状況の中から流れ出る言葉よりも、挫折と断念の危機と窮迫の中から立ち上がる無謀な言葉にこそ、文学は宿ると信じ、わたしはそういう岸田國士戯曲賞の候補作を待望している。
柳美里
1968年生まれ。高校中退後、劇団「東京キッドブラザース」に入団。1987年に演劇ユニット「青春五月党」旗揚げ。1993年、『魚の祭』で岸田國士戯曲賞を最年少受賞。著書に『フルハウス』(文藝春秋、野間文芸新人賞、泉鏡花文学賞)、『家族シネマ』(講談社、芥川賞)、『ゴールドラッシュ』、『8月の果て』(いずれも新潮社)、『JR上野駅公園口』(河出書房新社、全米図書賞翻訳部門受賞)、『町の形見』(河出書房新社)ほか多数。2018年、福島県南相馬市小高区に本屋「フルハウス」、演劇アトリエ「LaMaMa ODAKA」をオープン。同年「青春五月党」の復活公演で劇作家・演出家としての活動再開。