日常の政治と非日常の政治(6) 憲法改正のカギを握る憲法審査会の動向に注目せよ|西田亮介
初出:2016年10月07日刊行『ゲンロンβ7』
9月26日に臨時国会が招集され、第192回国会が始まりました。それにともなって、安倍総理が所信表明演説を行い、憲法改正に言及しました。本来は「『憲法2.0』再考」の2回目を予定していましたが、ここで一度、現在進行形の事案に立ち戻り、現在の国会の状況を整理したうえで、改めて憲法改正を具体的な手続きの面から考えていきたいと思います。憲法改正論議の動向を見極めようとする際に重要となるのが、実務上の要である憲法審査会です。今回は、この憲法審査会の会長が交代し、議論が動き始めたことを受けて、その機能と経緯について解説します。そこから見えてくるのは、改憲勢力による長年の「布石」が結実しつつある様子です。
まずはその前に、冒頭でも触れた安倍総理の所信表明演説を皮切りに、現在の政治的状況を整理しておきましょう。この連載ではしばしば憲法改正論議に注目してきました。7月の参院選直後の回でも触れたように[★1]、衆参両院ともに憲法改正発議が数字のうえでは不可能ではない状態であることを鑑みても、今国会での議論が憲法改正の動向に大きな影響を与える可能性があります。そんななかで行われた所信表明演説で、安倍総理は演説の最後に、「未来への架け橋」という項目において次のように憲法に言及しました。第2次安倍内閣発足以後、所信表明演説で改憲が取り上げられるのははじめてのことです[★2]。
安倍総理本人の政治的立場について、はっきりと言及されたとまではいえませんが、前回の連載でも取り上げたように[★4]、総理は7月の参院選投票日の翌日に、憲法問題はすでに賛否ではなく具体的な条文を検討する段階になったという趣旨の発言を残しています。また、実務上、政治日程上も、憲法改正に向けた布石が着々と打たれているようにも見えます。
12月に安倍総理の地元、山口県で開催される日露首脳会談については、北方領土の部分的な返還なども含めた「成果」に関して、すでにいろいろな憶測が流れています(2島返還+平和条約以上の「成果」?)。自民党総裁の3選禁止規定改正の議論も始まるとともに、9月の各社の内閣支持率が読売新聞の約62%を筆頭に軒並み高止まりしている状況と、新体制の民進党が準備不足な現状を踏まえて、年明けの衆議院の解散などもまことしやかに囁かれるようになってきています。ぼくの知る幾人かの政党支部長(この人たちは小選挙区の候補者になります)も政策の準備を始めるなど、確かに政治をめぐる状況は風雲急を告げつつあるようにも見えます。衆院選が実施され、改憲勢力が再び十分な議席を確保すれば、その暁には改憲の雰囲気はいっそう高まることでしょう。
一方で、メディアの政治報道はというと、安倍総理 vs. 蓮舫民進党新代表もさることながら、関心は主に小池都政と豊洲新市場移転問題の行方のほうに向けられているといったところでしょうか。憲法問題に関しても、日々流れていく政局動向、なかでも自民党憲法改正草案に関するものばかりで、本来、報道の中心となってしかるべき憲法審査会の仕組みや歴史については十分に報じられていません。極端なコンセプトばかりが並んだショーケースのような自民党憲法草案は、改憲の実務上の障害や議論の進捗についての報道量を減らすという意味で、生活者の関心をそらす「目眩まし」や「見せ玉」の役割を果たしているといえます。
しかし、繰り返しますが、憲法改正論議の動向を見極めるために真に重要なのは、その審査に深くかかわる憲法審査会の動向です。まずはその概要と仕組みをフォローしておきましょう。
着々と打たれる、憲法改正への布石
まずはその前に、冒頭でも触れた安倍総理の所信表明演説を皮切りに、現在の政治的状況を整理しておきましょう。この連載ではしばしば憲法改正論議に注目してきました。7月の参院選直後の回でも触れたように[★1]、衆参両院ともに憲法改正発議が数字のうえでは不可能ではない状態であることを鑑みても、今国会での議論が憲法改正の動向に大きな影響を与える可能性があります。そんななかで行われた所信表明演説で、安倍総理は演説の最後に、「未来への架け橋」という項目において次のように憲法に言及しました。第2次安倍内閣発足以後、所信表明演説で改憲が取り上げられるのははじめてのことです[★2]。
憲法はどうあるべきか。日本が、これから、どういう国を目指すのか。それを決めるのは政府ではありません。国民です。そして、その案を国民に提示するのは、私たち国会議員の責任であります。与野党の立場を超え、憲法審査会での議論を深めていこうではありませんか。
決して思考停止に陥ってはなりません。互いに知恵を出し合い、共に「未来」への橋を架けようではありませんか。
御清聴ありがとうございました。[★3]
安倍総理本人の政治的立場について、はっきりと言及されたとまではいえませんが、前回の連載でも取り上げたように[★4]、総理は7月の参院選投票日の翌日に、憲法問題はすでに賛否ではなく具体的な条文を検討する段階になったという趣旨の発言を残しています。また、実務上、政治日程上も、憲法改正に向けた布石が着々と打たれているようにも見えます。
12月に安倍総理の地元、山口県で開催される日露首脳会談については、北方領土の部分的な返還なども含めた「成果」に関して、すでにいろいろな憶測が流れています(2島返還+平和条約以上の「成果」?)。自民党総裁の3選禁止規定改正の議論も始まるとともに、9月の各社の内閣支持率が読売新聞の約62%を筆頭に軒並み高止まりしている状況と、新体制の民進党が準備不足な現状を踏まえて、年明けの衆議院の解散などもまことしやかに囁かれるようになってきています。ぼくの知る幾人かの政党支部長(この人たちは小選挙区の候補者になります)も政策の準備を始めるなど、確かに政治をめぐる状況は風雲急を告げつつあるようにも見えます。衆院選が実施され、改憲勢力が再び十分な議席を確保すれば、その暁には改憲の雰囲気はいっそう高まることでしょう。
一方で、メディアの政治報道はというと、安倍総理 vs. 蓮舫民進党新代表もさることながら、関心は主に小池都政と豊洲新市場移転問題の行方のほうに向けられているといったところでしょうか。憲法問題に関しても、日々流れていく政局動向、なかでも自民党憲法改正草案に関するものばかりで、本来、報道の中心となってしかるべき憲法審査会の仕組みや歴史については十分に報じられていません。極端なコンセプトばかりが並んだショーケースのような自民党憲法草案は、改憲の実務上の障害や議論の進捗についての報道量を減らすという意味で、生活者の関心をそらす「目眩まし」や「見せ玉」の役割を果たしているといえます。
しかし、繰り返しますが、憲法改正論議の動向を見極めるために真に重要なのは、その審査に深くかかわる憲法審査会の動向です。まずはその概要と仕組みをフォローしておきましょう。
憲法審査会とは何か
憲法審査会は衆参両院それぞれに設置され、委員の割り当て人数は会派の議席数の比率によって決まるので、国会の縮図と見なすこともできます。現在の会長は自民党の森英介元法相で、委員は改憲派が中心です。
憲法第96条の規定によって、衆参両院のそれぞれで3分の2以上の賛成があれば憲法改正の発議が可能となることは、さすがに昨年あたりからメディアも頻繁に報道していますが、憲法改正原案や憲法審査会などの国会内での手続きについてはあまり知られていないのではないでしょうか。下図[★5]が示すように、憲法改正原案の発議が行われたのちに、この憲法審査会での審査が重要な役割を担う仕組みになっています。憲法改正原案の発議がなければ国会が憲法改正を発議することはできません。現状では憲法改正原案は提出されていませんから、いまのところはまだ、下図の前段階にとどまっています。
憲法審査会は衆議院憲法審査会のサイトによれば「日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行い、憲法改正原案、日本国憲法に係る改正の発議又は国民投票に関する法律案等を審査するもの」、すなわち憲法改正原案、憲法改正発議を具体的に審議し、進めていく場として定められています。審査会は50人からなり、議員比率に比例して各会派に委員の人数が割り当てられます(なお、参議院憲法審査会は、委員の人数等に差異があります)。「会期中であると閉会中であるとを問わず、いつでも開会することができ」、会議の内容は原則として公開。また、憲法改正原案の検討にあたっては衆参両院の「合同審査会」の開催も可能です。なお、改正原案提出に際しては、公聴会の開催が義務付けられています。[★6]
改憲派、制度改正の60年
憲法審査会は改憲派が少しずつ制度改正を推し進めてたどり着いた、ある種の集大成ともいえます。憲法審査会の前身となる「憲法調査会」がはじめて内閣に設置されたのが1956年のことですから、それからすでに60年が経過しています[★7]。以下では、現在の憲法審査会が設置されるまでに至った経緯を確認します。この経緯を俯瞰することで、一般にはあまり知られていない、改憲派と護憲派の実務上のせめぎ合いが見えてきます。
1956年に内閣に設置された憲法調査会は、30人の国会議員と20人の学識経験者で構成され、「日本国憲法に検討を加え、関係諸問題を調査審議し、その結果を内閣及び内閣を通じて国会に報告する」ことが目的でした(「憲法調査会法 第2条」より)。ポイントは、あくまで調査が中心で、国会議員だけでなく研究者らも参加しており、期限付きで設置されたものであったということでしょう。この最初の憲法調査会は1964年に「憲法調査会報告書」を提出し、翌年には役目を終えて廃止されました。それから、しばらく時が流れて、1997年の日本国憲法施行50周年をきっかけに、憲法調査委員会設置推進議員連盟が結成されます。ただし、国民投票法もなかった時代のことですから、憲法調査会の設置に対しても根強い抵抗があり、議論は難航しました。
その後、1999年に、現在の憲法審査会の前身ともいえる憲法調査会の設置が、衆議院のみならず参議院にも憲法調査会を設けるという法案の修正を受けたのちに可決。2000年に衆参両院に設置されます[★8]。ただし議案提出権はなく、調査期間も5年程度とするという条件がつけられていました。この時に設置された憲法調査会はその後、2005年に683頁という大部の報告書(『衆議院憲法調査会報告書』)を公開し、国民投票法の早急な整備と憲法調査特別委員会の設置を提案し、活動を終えています。
この提案を受けるかたちで、「日本国憲法改正国民投票制度に係る議案の審査等及び日本国憲法の広範かつ総合的な調査を行う」ことを目的に、同年「日本国憲法に関する調査特別委員会」(憲法調査特別委員会)が設置されます[★9]。また、国民投票制度がなければ、事実上、憲法改正を行うことができないため、国民投票法をめぐっては大きな議論が巻き起こりました。ただし、いわゆる郵政解散などの政局もあり、同法の成立はずれこみ、2007年にようやく、両院に現在の憲法審査会の設置が決定されます。ただし施行までには3年の準備期間が設けられ、この期間には憲法改正原案を提出することはできませんでした。2007年というと、第1次安倍内閣の時代です。短命政権でしたが、憲法改正ということに関しては大きな「成果」をあげたことになります。
2010年には同法が施行され、効力を持つことになりました。実際に憲法審査会が委員を選任し、活動をはじめたのは、2011年のことになります。そして現在に至ります。
余談ですが、同法が投票年齢を満18歳以上と定めたことが、のち、投票年齢の引き下げの議論に影響しました(ただし2020年までに国民投票が実施された場合の投票年齢は満20歳以上となっています)。
今年9月末に、衆議院憲法審査会の会長に自民党の森英介元法相が選出され、自民党の憲法改正推進本部長に保岡興治元法相が選ばれたことが報じられました。保岡元法相は2014年から衆院憲法審査会の3代目会長をつとめ、森元法相は自民党憲法改正推進本部長だったことから、両名が役職を交代したことになります。ふたりはともに法相経験者であるのみならず、この問題に長く関わってきたこともあり、憲法とその改正、実務上の現状によく通じた人物でもあります[★10]。
今回、ここまで概観してきたように、憲法改正について、改憲側は実に粘り強く、ときに信じられないくらいの根気で、長い時間をかけて少しずつ実務上の工夫を積み重ね、前進させ、会議や法律をつないできたことがわかります。それが、現状の憲法審査会が改憲派の「集大成」であると先に述べた理由です。一方で、改憲派がそのように議論を前進させてきたということは、表裏の関係にある護憲派の実務的な「失敗」の表れであるともいえるでしょう。護憲の側は何が制度改正の要かということを、一部の専門家をのぞくと、うまく掌握、周知することができず、ずるずると押し切られてきた/いまも押し切られている、ということです。
そして、この構図それ自体が実に日本的であることに既視感を禁じえませんが、憲法に関係しない国民はいないわけですから、改憲にせよ、護憲にせよ、憲法問題の理解が進まず、国民的な議論が生じないことは問題といわざるをえないでしょう。
冒頭述べたような幾つかの政治日程を念頭に置くと、憲法審査会での議論は極めて重要で、自民党憲法改正草案よりもよっぽど動向を注視する必要があります。そのことを改めて確認して、今回はここで一端筆を置きたいと思います。
余談ですが、同法が投票年齢を満18歳以上と定めたことが、のち、投票年齢の引き下げの議論に影響しました(ただし2020年までに国民投票が実施された場合の投票年齢は満20歳以上となっています)。
今年9月末に、衆議院憲法審査会の会長に自民党の森英介元法相が選出され、自民党の憲法改正推進本部長に保岡興治元法相が選ばれたことが報じられました。保岡元法相は2014年から衆院憲法審査会の3代目会長をつとめ、森元法相は自民党憲法改正推進本部長だったことから、両名が役職を交代したことになります。ふたりはともに法相経験者であるのみならず、この問題に長く関わってきたこともあり、憲法とその改正、実務上の現状によく通じた人物でもあります[★10]。
今回、ここまで概観してきたように、憲法改正について、改憲側は実に粘り強く、ときに信じられないくらいの根気で、長い時間をかけて少しずつ実務上の工夫を積み重ね、前進させ、会議や法律をつないできたことがわかります。それが、現状の憲法審査会が改憲派の「集大成」であると先に述べた理由です。一方で、改憲派がそのように議論を前進させてきたということは、表裏の関係にある護憲派の実務的な「失敗」の表れであるともいえるでしょう。護憲の側は何が制度改正の要かということを、一部の専門家をのぞくと、うまく掌握、周知することができず、ずるずると押し切られてきた/いまも押し切られている、ということです。
そして、この構図それ自体が実に日本的であることに既視感を禁じえませんが、憲法に関係しない国民はいないわけですから、改憲にせよ、護憲にせよ、憲法問題の理解が進まず、国民的な議論が生じないことは問題といわざるをえないでしょう。
冒頭述べたような幾つかの政治日程を念頭に置くと、憲法審査会での議論は極めて重要で、自民党憲法改正草案よりもよっぽど動向を注視する必要があります。そのことを改めて確認して、今回はここで一端筆を置きたいと思います。
★1 本連載第4回「18歳の投票率から振り返る政治教育の課題」、『ゲンロンβ5』
★2 「首相、改憲案に意欲 所信表明、安保法言及せず」、中日新聞、2016年9月26日付夕刊
★3 「平成28年9月26日 第百九十二回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説」、首相官邸サイト URL= http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement2/20160926shoshinhyomei.html
★4 本連載第5回「『憲法2.0』再考(1)」、『ゲンロンβ6』
★5 「もっと詳しく『国民投票制度』 」(総務省サイト)より URL= http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/kokkai.html
★6 「組織・運営の概要」、衆議院憲法審査会サイト URL= http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/gaiyo.htm
★7 憲法調査会法をめぐって、当時行われた議論の一部は、保阪正康監修『50年前の憲法大論争』(講談社現代新書、2007年)でも読むことができます。
★8 「設置の経緯及び概要」、衆議院憲法審査会サイト URL= http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/keii.htm
★9 「日本国憲法に関する調査特別委員会とは」、衆議院憲法審査会サイト URL= http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/toku/index.htm
★10 特に保岡元法相は憲法調査会時代から委員を務め、自身の公式サイトにも多くの憲法問題に関する論考、資料を掲載しています。 URL= http://www.yasuoka.org/
西田亮介
1983年京都生まれ。日本大学危機管理学部教授/東京工業大学リベラルアーツ研究教育院特任教授。博士(政策・メディア)。慶應義塾大学総合政策学部卒業、同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。同政策・メディア研究科助教(研究奨励Ⅱ)、(独)中小企業基盤整備機構経営支援情報センターリサーチャー、立命館大学大学院特別招聘准教授、東京工業大学准教授等を経て、2024年4月日本大学危機管理学部に着任。現在に至る。
専門は社会学。著書に『コロナ危機の社会学』(朝日新聞出版)『ネット選挙——解禁がもたらす日本社会の変容』(東洋経済新報社)、『メディアと自民党』(角川新書)『情報武装する政治』(KADOKAWA)他多数。