【書評】身分制と自由のあいだで──森暢平『天皇家の恋愛』評|三浦瑠麗

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ゲンロンα 2022年5月27日配信

 本書は、近代日本における天皇家の家族としてのあり方の変遷の描写を通じ、これまで旧弊なものとして見られてきた天皇家の「新しさ」を描き出す。とりわけ、社会においてロマンティサイズされがちな「恋」というキーワードをもとに、近代的家族を形成しようとする試みを追いかけたことは秀逸である。本書の題にある「天皇家の恋愛」として、いわゆる「小室問題」が耳目をあつめた。  

 眞子内親王が、ICUの同窓であった小室圭さんとの婚約内定を表明して以降、4年にわたり彼女と婚約者、はたまた皇室の面々にぶつけられた怒りや謗りは、日ごろ皇室のニュースを報じるときの無難で恭しい態度からは想像もできないほどにかけ離れて感情的であった。海の王子というタイトルや、ポニーテールのような今様の髪型を、「当節の若者は分からんねえ」などと笑いごとにするというレベルではない。他人の結婚なのだ、放っておけばいいじゃないかという少数意見に対して、みんな心配しているんですよ、当然じゃないですか!と反論したテレビ番組の司会者の表情と声音は忘れられない。  

 それは、皇室の中の人が「人間」であることに対する拒否反応であるようにも見えたし、同時にわれわれと一緒でなければならないという宣言にも聞こえた。

 

 果たして、小室問題で感情的になる批判者にとって皇室の人間はわれわれと一緒の存在なのだろうか。それとも異なる存在として見ているのだろうか。こう問えば、皇族はわれわれ庶民とは違う身分に属するのであり、より高いモラルでもって国民の手本とならねばならぬという返答がすぐに返ってくるであろう。しかし、昔の庶民が女宮の結婚相手に関心を持っていたとはとても思えないし、そもそも女宮というのは雲上の人であるばかりか名前さえ伝わっていない人も多いのだから、バッシングの対象になろうはずもなかった。われわれと一緒であるという実感がなければ、それこそ「渡る世間は鬼ばかり」ばりのヨメの教育方針への当てこすりや、家格が釣り合わない結婚に対して怒り狂うといった感情移入は起きなかったであろう。  

 眞子内親王の身内にも、小室家に対して突き放した気持ちを持つ人はいただろう。しかし、そう感じたからと言ってネットに非難めいた文言を書き込んだり、公の場でとうとうと批判を繰り広げたりする様子はとても想像できない。内々のこととして生じた傷を大っぴらに取り出して詰るのは、いったいに家族がするやり方ではない。それを公に言い立てる方が恥だからである。結婚をめぐって娘と激しく対立したとされる秋篠宮が公には決して言わない言葉を、アカの他人である世間が発するというのはどういう現象なのだろうか。ここから導き出されるのは、(すでに数十年かけて表出してきたことではあるが)現代における皇室はもはや雲上の人ではなく、大衆に引きずりおろされ、正義感や妬みが向けられる対象となったということである。

 

 身分制という権威主義的要素と民主主義との結婚は常に緊張を孕んでいる。日本社会の平等性と大衆化が極まったところへ情報化が進み、眞子内親王の選択をめぐってとうとう大衆と皇室との関係がのっぴきならない対立へと持ち込まれた。宮中祭祀は行われず、眞子内親王は一時金を辞退するに至った。いずれも異例の事態である。小室夫妻の結婚報告会見は、口頭で応じられない質問が日本雑誌協会から提出されたということで質疑応答が省略され、夫妻は早々にアメリカへと旅立った。こう考えると、今回の件は皇室という権威の敗北のようにも見える。マスコミは二人の結婚こそ阻止できなかったものの、国を挙げての祝福を許さないことで意思を通したのだと。  

 しかし、それは物事の片面にすぎない。眞子さんがおかれた状況に限定せず、もっと広く日本における皇室と社会のかかわりを見るとどうだろうか。これまでの歴史を見れば、「権威」の側は単に防戦一方で攻め込まれるばかりであったわけでは決してない。そこには、皇室による大衆への接近、アプローチがあったからである。

 

 例えば、現上皇夫妻は皇太子時代に乳人制度を廃したとされる。それは恰も初の平民出の皇太子妃である美智子妃による先進的なイニシアチブであるかのように報じられたが、昭和天皇の理解なくして進められたことではなかった。また、上皇は平成の御代に戦跡を訪ね、地方に行幸を重ね、古式ゆかしい儀式の復活に努めたが、それは国民に向けた平成流の新たなアプローチであり、伝統の墨守ではない。

 平成流は今でこそ賞賛の対象となっているが、美智子妃が大衆誌の批判によって声を一時的に失ったことは記憶に新しい。世の中には決して完璧な人などいない。たとえ存在したとしても、完璧な人間が好かれるとも限らない。親しみやすくノーブルな存在として演出され、大衆にアプローチした結果、美智子妃には人気とバッシングの両方が集中した。そうやって嵐のような注目と批難に耐えながら、美智子妃は良人と並び立つ、或いは上回る存在感さえある皇后になっていったのである。  

 こうしてみると、大衆からの反発は、庶民に近づいた皇室が必然的に経験する事象であり、伝統を墨守したいと考える保守派が目指してきた皇室と国民の一体感の演出のまさに結果ではなかろうか。そう考えていたところ、本書に出会った。

 

 本書は、天皇家の「恋愛」が、明仁皇太子と美智子妃のテニスコートでのロマンスからはじまるという通説を退ける。「明仁・美智子のカップルが、皇室の家族に画期的な変化をもたらしたと考えると、それ以前の皇室の新しさ、つまり近代家族性を見失ってしまう」(iv頁)と著者は指摘する。家から近代家族へ。一夫一婦多妾制から一夫一婦制へ。厳しい身分秩序から開かれた皇室へ。この流れはけっしてきっかりと戦後に始まったのではなく、近代化を急ぎ、王が娶る妻の血筋に「同等性の原則」を求める欧州に見習おうとした明治に遡るものであった。例えば、明治天皇は側室を否定しない皇室典範を定めたものの、宮家に関しては側室廃止の動きが進み、天皇の側室に関しても縮小や隠蔽の方向へと向かった。実子ではない子を抱く皇后を含めた核家族としての皇室の肖像が、それを示している。また、大正天皇は皇后となる節子とはじめて(入内や后妃冊立ではなく)法的な婚約に基づく結婚というかたちをとり、仲睦まじい関係を取り結んだほか、子どもたちとのふれあいもより頻繁になったことが綴られる。  

 皇室史上、はじめて恋愛結婚をしたと捉えられてきた明仁皇太子と美智子妃との「ロマンス」も、実際には妃候補としてあらかじめ選択された中での求婚の可否であった。実際には二人は結婚までデートを重ねてはいない。しかし、なぜそれがロマンスという形で演出されなければならなかったのか。著者は、二人の恋愛がクローズアップされたのは、当時の人々の欲望を反映した結果であると述べている。

 正田美智子さんが皇太子の説得を受けて結婚の覚悟を固める過程が「恋愛」として理解されたのは、皇室の周囲が多少ロマンチックにストーリーを演出したせいかもしれない。だが、それは世間が求める像を描くマスコミとそれへの寄り添いという共同作業であったということだろう。オブラートに包まれる形で演出されたお二人の「恋愛」イメージは、民間に流布していく段階でさらに拍車がかかる。マスコミも世間も、新しい皇室像に見たいものを見出したからだ。現に、皇室会議の記録では宮内庁長官が「恋愛問題が先行したなどと言うことは事実無根」と述べているが、それが明らかになったのちもマスコミ報道は修正されていない。

 

 時代を遡れば、明治天皇と美子皇后も、大正天皇と節子皇后も、昭和天皇と良子皇后も、近代化という時代の要請に応えつつ新たな家族像、つまり一夫一婦と子どもからなる理想の家族像を築こうと努めた。著者は、それぞれの皇后はそういった同時代的な感覚に照らせば「恋」をしたと言えるのだと指摘する。  

 しかし、皇室が近代化を牽引し、範を示した時代は終わった。眞子内親王が瑕疵の報じられているほんとうの庶民と結婚するにあたり、大衆に近づいた皇室はそれゆえにバッシングを受けることになったのではないか。  

 限定的にせよ身分制を維持するということは、そこにさまざまな矛盾を抱え込むということだ。皇室にもいずれ時代の変化の波は押し寄せる。われわれは次の内親王の結婚に当たって、またこの騒ぎを繰り返すのだろうか、ということは真に検討されねばならない点だろう。


『天皇家の恋愛:明治天皇から眞子内親王まで』
森暢平著(発行:中央公論新社)

三浦瑠麗

国際政治学者。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、東京大学政策ビジョン研究センター講師を経て、株式会社山猫総合研究所代表。ブログ「山猫日記」主宰。単著に『シビリアンの戦争——デモクラシーが攻撃的になるとき』(岩波書店)、『日本に絶望している人のための政治入門』(文春新書)、『「トランプ時代」の新世界秩序』(潮新書) 、『あなたに伝えたい政治の話』(文春新書) 、『21世紀の戦争と平和: 徴兵制はなぜ再び必要とされているのか』、『孤独の意味も、女であることの味わいも』(ともに新潮社)。
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